カテゴリー「motorsports」の記事

2020.12.31

2020→2021

 まずは自分も周りの人々も健康なままで年末を迎えることができていることに感謝。ひたすら感謝。ここまで健康管理に気を使った一年もないが、本当は普段から心がけるべきことなんだろう。

 コロナ禍って、文字通り世界中の宗教や国境の区別なく、すべての人が同時代のなかで共に向き合う課題となっていることで世界史に残る出来事になるわけだが、よく考えてみたらこういう感染症って時代を問わず発生するので、今回のCOVID-19がインターネットの発達したこの時代に起こったことがある意味ではまだラッキーだったのかもしれないと感じている。これがもし25年前ぐらいに起こっていて、情報の主要な入手先がまだテレビや新聞だけに限られた場合だったら、もっと厄介なことになっていたように思う。

 ところで花王の「ビオレ・ガード 手指用消毒スプレー」という製品をご存じであろうか。

200mlというサイズは持ち運ぶことを意識した製品となっている。ロック機構も備わっているので、不用意に噴射することもない。
 私もこれを買い求めた次第だが、カバンに入れて持ち運びたい場合、もっと収納しやすくて、かつ剥きだしのノズル部分をカバーできるような工夫ができないかを、このごろずっと考えている。
 いつも通勤電車のなかでみかける男性が、カバンについているペットボトル収納用のポケットにこのスプレーを差し込んでいるのだが、たしかにそうしたくなる気持ちは分かる。ただ、できればカバンの内部に収めたいところではあるので、何かを代用してケースのようにして、かつ取り出しやすくするような仕組みができないか、あるいはノズルで指をかけるところのプラスチック部分を削ることで形状をよりシャープにできないか、といったカスタマイズの可能性をぼんやりと考えている・・・そして、いまだにその解決策が見いだせていない状況ゆえに、スプレーをカバンに入れずに机のうえに置いたままだったりするので、本末転倒ではあるのだが。

 そういう「改造」を考えたくなるマインドがわき起こるのは、すぐ影響を受けやすい私が最近読んだ本が、とても楽しかったからである。


F1マシンのデザイナー、エイドリアン・ニューウェイの自伝『HOW TO BUILD A CAR』(三栄、2020年)では、空気力学のプロとして彼が手がけたマシンの設計において、そのときどきに考えだしたことやアイデア創出のプロセスが、工学の知識がない読者にも分かりやすく解説されていく。アイルトン・セナが事故死したときのマシンも彼の手によるものだったが、あの出来事を境に安全性との共存を図る時代的要請とともに様々なルール改定が行われ、その「網の目」をいかにかいくぐり、速さを失わないように知恵を絞るかという、そうした試行錯誤のせめぎ合いが折々のエピソードとともに語られており、ある意味ではビジネス書のような読み方ができる労作である。

 ニューウェイの本のおかげで「空力」の重要性についてあらためて意識するようになった私だが、さしずめ日常生活でそのことを活用できる場面といえば、マスクを着けるときにメガネが曇りにくいようにするため、いかに鼻の頭の部分までマスクを引き上げて折り曲げるかといった「鼻息の空力」について毎朝あれこれと苦慮することぐらいであるが・・・。

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さて2021年を迎えるにあたり、当然ながらコロナ禍の動向が気になることは変わらないが、ひとつお知らせできる個人的なイベントとして・・・ふと思い立って昨年から通い出した水彩木版画教室において、2年に一度、教室展として受講生の作品を合同展示する機会があり、それが2月末から3月頭、大阪・箕面市のミカリ・ギャラリー(サルンポヮク2階)で行われることになっている。コロナ禍において毎月メンバーで話し合いを続けながら実施形態を模索しつつ、講師の先生の指導のもと準備を進めている状況。まだ正式には案内ができないけれども、ひとまず予告として。

2021年こそは平穏な年となりますように・・・。

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2020.09.21

無観客開催でも、ルマン24時間レースはやはり自分にとって癒やしのイベントだった




本当だったら今、フランスから帰国途中だったはずだ。

春先のコロナ禍の折、今年のルマン24時間レースは6月の開催を取りやめ、9月開催が決定となり、うまく日本の連休と重なったのである。もしこの頃までにコロナが落ち着き、観客を入れてもいい状態になっていたら、念願の現地観戦ができるのではないかと密かに思っていた。今振り返ると、それは浅はかな期待だったのかもしれない。状況は良くなるどころか、ますます混迷にはまりこんでいる。

そうして88回目のルマンは無観客状態での開催となった。 また、長い歴史のなかで9月に実施したのは過去に一度、それは1968年の五月革命のときだったそうだ。

今年もありがたいことにCS放送のJ-SPORTSは狂気とも言える(笑)「24時間完全生中継」を敢行し、私は例年以上に気合いを入れて食料を買い込み、テレビの前にいつづけた。結果的におそらく通算で19時間ぐらいは観ていたはずだ。不思議なもので、まったく退屈することがない(近年は性能や技術の向上によってどのカテゴリーもかなりの接戦になるのも要因である)。最近個人的にはいろいろとしんどい日々が続いていたのだが、私にとってこのルマンはひとつの「癒やし」のようなものなのだと、あらためて今回実感した・・・ただひたすらボーッとお菓子食べながらテレビを観ていただけなんだが・・・

普段そこまでモータースポーツを追っていなくて、毎年一回のことでもあり、走っているドライバーや車のことやチームのこともよく分からないのに、なぜこの24時間耐久レースがどうしてここまで魅力的なのか、そのことを自問自答しながらいつも観ている。実況・解説陣がいくら「ルマンだけは特別な雰囲気がある」と言っても、その言葉の向こうに自分が納得できる答えがまだ見つからない(だからこそ、いつかは現地で確かめたいという夢がある)。

でもずっと思っていることは、24時間を走りきることは、やはり「人生」そのものであるということだ。昼から夜、夜明けを経て、また陽の光を取り戻して走り続ける機械と人間たちが、予期せぬ困難にも見舞われつつ乗り越えていこうとするその姿には、何度観ても深い感銘を受けるわけである。

世界には他にも24時間レースはあるものの、このルマンの街の一般公道を一部使いながら開催されるというあの現場の空気感、とくに森の中の果てしない直線の道を昼夜走り抜けていく舞台設定には、コースの各所に与えられた名前、「ユノディエール」とか「ミュルサンヌ」といった美しい言葉の響きも含めて、一種の魔力が備わっているように思う。そうでなければ「単にダラダラ車が走り続けているだけの状況」でしかなく、日本時間の午前中だと、我に返って眺めたら、テレビ中継に映るのはひたすら暗闇のなかでヘッドライトが動くだけのシュールな映像が続くときもあるわけで。


▲でも夜間は夜間でルマンの醍醐味でもある。


▲少しずつ空が明るくなっていく神秘的な時間帯

 なのできっと、多くのファンたちも同じ事を思っていると信じている。「どうして彼らは24時間走り続けようとしているのだろう。いったい自分たちは何を観ているのだろうか。なんのために、こういうことが88年間も繰り返されてきたのだろう?」。それでもまた、この歴史が続いていくことを望むわけである。

 そして今回は観客がいなくとも、ルマンには多くのマーシャル、つまりコース脇で待機し続ける保安係の人々が見守っていて、彼らの存在感がレースの安全性を守っている。そしてゴールを迎えたときにマーシャル全員がコース脇に出て、闘い終えたマシンとドライバーを讃えてさまざまな旗を振り回すあのシーンは、あらゆる垣根を越えていける感動を覚える。


ルマン24時間とは、走りきったすべての人が勝者の笑顔になれる特殊なレースであり、最初はまったくなじみのなかったチームやドライバーにたいしても、24時間を終える頃には自分でも不思議なぐらいの親しみをすべての人々に感じることができる(たしかに今年こそは小林可夢偉の7号車に勝ってほしかったが・・・)。そしてこのレースだけはプロだけじゃなくアマチュアのレーサーやチームも一緒に参加できる伝統を大切にしているのがまた良い。過酷なまでに車とともに走りきる感動をたくさんの人と分かち合う。きっとこの繰り返しで、毎年楽しみにしているイベントなのだ。

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▲ちなみに今年のオープニングの国歌斉唱のときは、歌手のおじさんが着用していたフランス国旗蝶ネクタイがやたら可愛らしかった。この時点からさっそく「癒やしモード」だったな(笑)

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2020.08.13

「COVID-19とスポーツ応援」@HarukanaShow のことなど

ひさしぶりにハルカナショーで2回にわけてトークをさせていただきました。テーマはCOVID-19とスポーツ応援。
こちら)と(こちら)を参照。

 毎年やっているマラソン大会の応援については本当に何とも言えなくて、いまだ考えがまとまらないので改めてブログで書くことがまだできていないのだけれども。いったいどうなることやら・・・。
 そして今回、Ryutaさんと話をさせてもらうなかで、アメリカの大学スポーツのありかたが、「場合によっては、一番身近に応援できるスポーツチームとしての存在」というものであるという認識に、なるほど~!となった。NCAAという枠組みが盛り上がる理由の一つはそこかもしれない(私が子どもの頃、NCAAブランドの商品が出回っていたので、その規模感というか、盛り上がりっぷりはそれとなく知っていた。ウィキペディアにもそのことが少し載っているが)。国土が広いから、自分の住むエリアから遠く離れた大きい都心部のプロスポーツチームより、むしろ近所の学校のスポーツチームのほうが応援したくなる気持ちが高まる可能性。アメリカは「学校の部活動」がやはり重要なのかもしれない。ヨーロッパ的な「地域のスポーツクラブ」も当然あるのだろうけれど、アメリカ人にとっての部活動の感覚は、日本のそれとどこかでつながっていて、ある側面では異なっているような気もする。このあたりは実際に住んでみないと感じ得ない部分かもしれない。

 そういえば『ライ麦畑でつかまえて』の主人公のホールデンも、高校ではフェンシング部のマネージャーをやっていて、対外試合に向かうべく部員と移動するときに、地下鉄に用具を忘れてきて試合ができなくて、帰りは皆から冷たくされて・・・となり、それであの小説のオープニングは、ホールデンが予定より早く高校の寮に戻ってきたので、全校挙げて応援に詰めかけているフットボール部の重要な試合の様子を遠くから眺めるところから始まる。アメリカの学校文化を語るうえでの部活動という「枠組み」とホールデンとの微妙な距離感をサリンジャーは描いていたとも言えるかもしれない。

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2019.12.18

今年も鈴鹿にいった話

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今年も11月のとある金曜日に休みをもらい、鈴鹿サーキットへ行ってきた。4年前、たまたま金曜日に休みを取ったが特にやることもなく、「久しぶりに鈴鹿へ行ってみようかな」と思いつき、偶然その日が「Sound of Engine」という、ヒストリックカーの走る週末のイベントのための「練習走行日」にあたることを知ったのである。で、いざ行ってみるとそこには写真でしか観たことのないような古いF1マシンがたくさん並び、パドックからピットガレージ、そしてピットウォールまで歩いていけて、丁寧にメンテナンスされた古い車のエンジン音やその走りを浴びるように体感できたのである。それがきっかけで私は、それまですっかり遠のいていたF1グランプリの世界に再び目を向け、特に70年代から80年代あたりのレトロなF1マシンを追うことに人生の愉しさを見いだせる方向性が残っていることに気づき、それ以来この時期はかならず金曜日に休みを取って鈴鹿を訪れているのであった(しかも金曜日は遊園地に入る料金だけでサーキットエリアにも立ち入ることができる。これ以上ない素敵な空間なのである)。

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 しかし、イベント公式サイトの最新情報を日々チェックするうちに、どうやら昨年までのメインスポンサーであるRichard Milleが今年は撤退したようで、その影響で海外からやってくるマシンの数が相当減っていることが伺え、そのあたりからちょっと不安な気持ちになっていった。
 それでも今年は6輪ティレルP34が目玉マシンとして登場するし、その一方でこちらもレーシングカーの歴史に残る革新的なティレルの名車「019」も走るわけで、期待は十分抱いていた。

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 で、実際に来てみると、どうも運営側は昨年までの「ユルさ」を許さない雰囲気のようで、盛んに「一般客はスタンドから観てください」とのアナウンスが繰り返された。もちろんほぼすべての客は去年までもずっと節度を守っているはずなのだが、こう言われても仕方のないほどにユルい、つまり「危険な状態」にあったことは同時に認めざるを得ない。私も2年前にはたまたま2つのピットの間の支柱あたりに身を寄せていたせいで、「自分のまわりを5台ぐらいのF1マシンがアイドリング状態で囲んでからピットアウトしていく」という、なんとも非現実すぎるシーンを味わったのだが、冷静に考えるとかなり危ない立ち位置でもあったので、今年はそういう場所そのものに一般客を立ち入らせないような対応になってしまった。その影響か、各団体のガレージも今年はシャッターを下ろすところが多かった気がする。モータースポーツって見せ物だし、このイベントは競争が目的ではなく、テクノロジー面での企業秘密などは無関係の「クラシックカー」のイベントなのだから、そのへんはもっとオープンでいてほしいのだが、図に乗ったマニアのわがままが過ぎると言われたら、何も言い返せない。

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そんなわけで、間近でエンジン音を聞くぐらいがかろうじて可能な楽しみ方で、あこがれの古い車に鼻先をつけるぐらいの距離でじっくり観察できる機会は稀だった。
今回のゲスト・ドライバーのひとり、ピエルルイジ・マルティニと、彼の所有する6輪ティレルP34の練習走行前などは、さすがにお客さんもピット前に集合していて(もちろん節度は守りつつ)、私もその一人だったわけだが、どうもマシントラブルが直らなかったようで、練習走行の時間には間に合わなかった。マルティニも走りたかっただろうに。

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そんなわけで例年になくテンションは下がる一方だが、さらに追い打ちをかけるように、サーキット内のレーシングカート場「アドバンスドカート」が閉鎖されていたのである。この跡地にできるカートのアトラクションが、どうも「親子でチャレンジ」みたいなことが書いてあって、これもイヤな予感しかしない。

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レーシングカートが誰でもちょっとした講習ののちに運転できる場所というのが、遊園地という装置のすぐそばにあるということがこの鈴鹿サーキットのすばらしい点だと思っていて、遊具とかアトラクションとは無縁の「ガチのレーシング体験」ができてこそ、サーキットならではの取り組みだと思っているのだが・・・そして何よりペーパードライバーである私が年に一度だけ運転免許証を持っていることに意味が見いだせるような、エンジン付き自動車を思い切り運転できる貴重な場であったので、秋晴れの空の下、受付のあった暗い入り口の前でしばらく固まってしまった。

そんなわけで、毎年の秋の秘かな楽しみだったこのイベントもひとつの曲がり角を迎えているのかもしれないが、「回顧的モータースポーツ趣味」という新たなジャンルを見つけさせてくれたこの場所にはやはり感謝しかない。
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そして今年になってようやく気づいたのだが、YouTubeでは、古いF1レースの中継映像を世界中のマニアがアップしてくれているのである。なのでもっぱら最近はそればっかりをテレビで流す生活を送っている。いろんな言語の動画があるのだが、中学生だった当時の私が知ったら卒倒しそうな貴重映像がいくらでも無料で観られる時代になっており、写真でしか観たことがないF1マシンの、実際の動く様子が手軽に確認できてしまうわけで、こんな時代がくるとは・・・と遠い目で画面を眺めてしまう。

 

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そんなわけで、最近は静かに自分のなかで、ふたたびモータースポーツ熱が高まっている。ただし後ろ向きのベクトルで、だが。

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