カテゴリー「ウェブログ・ココログ関連」の記事

2012.10.03

ブログの新しい書き方の提案

 なんだかライフハッカーのサイトとかをみていて「ブログを続けるコツ」とか紹介されているのだが、読んでみたところそんなに参考にはならなかったりする。そんななか、あたらしいブログの書き方でも提案してみようかと思い、いま実践している。それは「ブログを書くヒマがない」という悩みを解消するためのものであり、なぜ今まで思いつかなかったんだろうかと思える手法である。

その方法とはズバリ「時間制限を決めて書きまくる」ということだ。たとえば私は、やかんにお茶(なたまめ茶を飲む)を一気に沸かすときにいつも10分間のタイマーを使っているのだが、そのタイマーの時間内にひたすら文章を打っていくのである。そうすると、文章が途中で切れることもあるかもしれないが、それはそれとして受けれていこうというものである。誤字脱字、文章の乱れもあるだろうけど、それは極力「見逃していく」という方向でいいんじゃないかと思う。ちなみにこの今回のブログはためしに4分間のなかでひたすら改訂王とおも


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2011.05.05

地元のイオンモールは京都府と奈良県の間にラインがひいてある

というネタを今日デルニエさんでしたら、とても食いつかれたので、元ネタ記事を紹介(こちらです)。
おなじみ「デイリーポータルZ」の先月の記事「店内に県境がある店めぐり」。
超地元のイオンモールを取材していたので「おおおー、そうだったのか!」となっていた。
あらためて読むと、県境をはさんだことで消防や警察の管轄も(いちよ)違ったりする、という興味深い事実が明らかに。(この記事の写真の多くはマウスを上に置くと、ちゃんと県境が表示されていて労作です)
ていうかあのイオンモールの中が「平安コート」と「平城コート」という名称でブロック分けされていたことなんて初めて知った。


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2011.04.20

WIRED日本語版がふたたび

雑誌『WIRED』がまた日本語で読めるっぽい。6月から(こちら)。
「さっぱりついていけない領域」の話と、「かろうじてついていける領域」の話がまぜこぜになっていた気がする。昔読んだWIREDは。
でも多少、年を重ねると、たぶん今だったら「分からないかもしれないけど、分からないなりに、ついていきたい領域」みたいなものがあって、そういう些細なポイントにおいて、雑誌というメディアが今後も必要とされていくんじゃないかという予感もある。ピンポイントに追いかけたい領域なんて、もはやネットで能動的に自発的に自然発生的に収集されていっているので。そうじゃない部分を補完するために、雑誌や新聞といった「あいまいな感じ」が必要な気がしている。


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2011.02.14

思想表現の「セレクトショップ」としてのブログ

街を歩くと「セレクトショップ」的なお店が気になる。
どういうものがセレクトショップなのかを定めることは難しいが、オーナーの個人的嗜好が前面にあらわれていて、置いてある商品がやたら少なそうに見えて、いったいこれでどうやってお店が運営されているんだろうと心配にすらなるような、そういう店だ。

そして、ブログを書き続けるということは、思想や表現におけるセレクトショップを運営しているようなものではないかと思う。
コンビニエンスストアとは違って、すべての人に売れるような品物を扱う必要はなく、オーナー独自のセレクトで商品が選ばれ、販売されていく。
そういう意味で、お店を運営するためには仕入れをしなければならなくて、その仕入れと販売のバランスを保つことがブログを書き続けるうえで心を砕くところかもしれない。
しかも、あまり同じような商品ばかりを置いていても、店主にとっても客にとっても面白くない。

セレクトショップを長く続けるコツというのは、おそらく店主のこだわりだったり方向性だったりが、ある程度の数のお客さんに支持されていくことで達成されていくのだろう。
ただしブログの場合は、誰が読まなくても、続けようと思えば続けられるし、そしてそれも十分価値がある。
自分のためのショップとして、好きなだけ運営ができる。そこは実際のお店とは異なるところだ。

実際のセレクトショップにもホームページがあったり店主のブログが更新されていたりするだろうが、そういうブログの中身がやたら営業志向的だったりすると興ざめしてしまうわけで、そういう意味でも「みんな読んでください的なブログ」ではなく、ただひたすらマイペースに好き勝手書き続けるようなブログ、というのがセレクトショップ的な観点からもベターなのだろう、きっと。

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2009.07.25

DPZ『ハトが選んだ生命保険に入る』

こんなにデイリーポータルZの記事で笑ってしまったのは久しぶり。
「ハトが選んだ生命保険に入る」by林雄司
記事は(こちら)。ぜひ。
デイリーにおける林さんらしさが凝縮されたような見事なネタ。

あと最後にチョロッと書いてあるが、この記事のすべての写真に収まっている、保険会社のパネルの部分が(どんな小さい部分になっていても)すべてリンク先へとつながっていて、芸が細かすぎる。

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2008.12.16

なぜに集中砲火

この数日、やたらこのブログのコメント欄にスパム書き込みが打ち込まれている。
しかも同じ記事にスパムが届くようになっている。最近はこういうのが減ってきたので、「うむ、ニフティがんばっているじゃないか」と思っていたのだが・・・

で、昨晩から今日にかけて、なぜに4年前(もうそんな昔からブログ書いてんのか)の記事、「長田江身子さんの時代」(こちら)に集中砲火するかなぁ。たしかにこのブログの記事のおかげで、やたらと(今でも)この人の名前でこのブログにやってくるお客さんは多いけれども。やや恥ずかしい過去の青春の想い出みたいなものなので、そっとしておいてほしい(笑)

明日は大学事務局忘年会の日。一年はやすぎる。


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2008.11.30

ブログにむかう意識

「どういう意識で毎日ブログを書いているのか」と問われた。

たぶんそれは、「みんなへのメールを書いているつもり」だと思う。
これを読んでいるアナタに向けて、書いている。日々。
友人の一人一人には毎日メールを送れないので。

あの人も、あの方も、あのお方もこのブログを読んでくれていることを知っているので、そういう意味では毎日ブログを書くのは良い意味でプレッシャーであり、また「自分なりの意地っぱりを貫く」ためにもブログを毎日書いている。


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2008.11.11

ブロガーの鏡

先日紹介した、劇作家・坂手洋二氏のブログで、

「もろもろの仕事がなかなか進まない。しかし意地になってこのブログを一日一回更新することを続けている。」

とあって、手をたたいて喜んでしまう自分。
もはや今度の講演会のときは、勝手に「同志よ!」と思ってしまうんだろう。

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2008.10.12

毎日書く人

こんどの11月26日に、人間学研究所の公開講演会で、劇作家の坂手洋二さんを迎えることになった。
坂手さんは非常にご多忙のようで、世界中を飛び回っている感じである。

しかし、それでも坂手さんは自らブログを書いている。
しかも、毎日。
150文字以内という制限を設けて、日々の出来事を書き続けている。
ブログは(こちら)。

私もこのブログを意地で毎日更新しているわけだが、
はっきりいって坂手洋二の10分の1も忙しくないであろう自分の生活を思えば、ブログの更新などでヒーヒーいっている場合ではない、と思った。
なのでこのごろでは、ブログの更新をするときにいつでも「坂手洋二だって毎日書いているんだ」と言い聞かせている。
そして、きっと講演会の当日に坂手洋二さんを見るときは、劇作家云々よりも「毎日ブログ書いている人」というふうに見てしまう、のか。いや、それはないです、はい。

それにしても150字以内という制限を設けてしまうと、毎日その条件でブログを書くのはさらに大変なんじゃないかと思う。
だって、日によっては1500字ぐらい書きたいときとか、あるいは10文字ぐらいで「うううううああああー!」っていう一文で終わりたくなる日だって、あるじゃないか、ねぇ。

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先日ブログで紹介した、オリガミCDケース(こちら)。
なんと、あんとら氏がさっそく完成させたようで、携帯メールで写真が送られてきて、バッチリ出来上がっていたのですごいと思った。子どものときから折り紙が得意だったとは聞いていたが、その出来栄えには驚き。聞けば、仕組みを理解するのに挑戦意欲がかきたてられたようで。ということはやはり、完成させるにはそれ相応の力量がいるのかもしれない。

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2008.06.12

ブログに書くことがないと感じるときにいつも思い出す言葉

U2のボーカリスト、ボノの言。

「子どものときだったけど、学校で先生がアイルランドの偉大な詩人ウィリアム・バトラー・イエーツについて話してくれたのを覚えている。彼はスランプに悩んでいた・・・書けない時期があったんだ。僕は手をあげて言ったよ。『どうして彼はそのことについて書かなかったんですか?』『馬鹿なことを言うもんじゃありません。手を下ろしなさい。あんまり生意気なことを言うんじゃない』。でも、生意気を言おうとしたわけじゃない。僕はその考え方を糧にしてやってきた。真実を知りなさい。そうすれば真実があなたを自由にする。もし何も言うことがなければ、そのことを歌の一行目にすればいい。実際、まだ二枚目のアルバム(『オクトーバー』)だというのに、僕は言うことがなくなりそうだった」

『ボノ・インタビューズ』より。
最近、やたらこの本から引用しているが。それだけ興味深いインタビュー集だということで。

そういえば。
このあいだ、N先生より、僕が毎日ブログを書いていることについて、「面白くしようと思わずに、毎日淡々と書いていけばいい」と言われて、「あぁ、そうだった。笑いを取らなくてもいいんだった」と、思いなおした。気が楽になった。そうすると、わりとネタ的な毎日がやってきて、そこそこブログが快調になっていったりもした。不思議なものである。

それと、最近読んだある友人の書いた文章のなかに、あらゆる分野で、『巧い人』だったり『達人』というのは、「無駄な力が抜けている人のことだ」というようなことが述べられていて、なるほどなーと思った。

文章を書くことは、ある種自分自身をウケさせるためにやっているところもあるので、ついつい自分自身へのサービス精神という、ちょっと訳が分からない領域の部分を意識しているフシもある。「やるからにはウケよう」という感じが、他人だけでなく自分にも向けられている。ただ、そういうことを強く意識し続けると、すぐにどこかが硬直してしまいそうである。「これは自分なりの“生活記録運動”なんだ」という感じで、誰のためでもなく、ただ流れるままに文章を書いていったっていい。

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次のチェルシーの監督に、フェリペ・スコラーリの就任が決定。
この人は愛称が「フェリポン」なのである。フェリポン。ほら、発音したくなる名前だろう。
今度は名前の方向から、キャラ立ちする人事を展開してきたぞチェルシーFC。
Felipe_scolari
フェリぽん。

あ、いや、別に名前だけじゃなく、実績もすごい人なんですがね。2002年W杯で優勝したときのブラジル代表監督は彼だった。

ついでにいうと、2002年の、あの、どうかしていた時期、私は衝動的にフェリポンの似顔絵を描いて、スカパーの「ワールドカップジャーナル」の番組に宛ててコンビニからFAXを送ったことがある。すると番組で紹介されて、えのきどいちろう氏に「線は単純だけど、うまい」と褒められたことがある。
自分にとって、FAXを送りつけたくなるほどに参加意識をかきたてられ、共感を抱きながら観つづけたテレビ番組は、あの「ワールドカップジャーナル」が最初で最後であった。それは2002年の想い出のなかで非常に大きい位置をしめる存在であり、しかもFAXがちゃんと紹介されたときの嬉しさと気恥ずかしさは、今でも大切にしたい記憶だ。

なので、今回のチェルシーへの就任は、私にはとても感慨深いのである。

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