U2のボーカリスト、ボノの言。
「子どものときだったけど、学校で先生がアイルランドの偉大な詩人ウィリアム・バトラー・イエーツについて話してくれたのを覚えている。彼はスランプに悩んでいた・・・書けない時期があったんだ。僕は手をあげて言ったよ。『どうして彼はそのことについて書かなかったんですか?』『馬鹿なことを言うもんじゃありません。手を下ろしなさい。あんまり生意気なことを言うんじゃない』。でも、生意気を言おうとしたわけじゃない。僕はその考え方を糧にしてやってきた。真実を知りなさい。そうすれば真実があなたを自由にする。もし何も言うことがなければ、そのことを歌の一行目にすればいい。実際、まだ二枚目のアルバム(『オクトーバー』)だというのに、僕は言うことがなくなりそうだった」
『ボノ・インタビューズ』より。
最近、やたらこの本から引用しているが。それだけ興味深いインタビュー集だということで。
そういえば。
このあいだ、N先生より、僕が毎日ブログを書いていることについて、「面白くしようと思わずに、毎日淡々と書いていけばいい」と言われて、「あぁ、そうだった。笑いを取らなくてもいいんだった」と、思いなおした。気が楽になった。そうすると、わりとネタ的な毎日がやってきて、そこそこブログが快調になっていったりもした。不思議なものである。
それと、最近読んだある友人の書いた文章のなかに、あらゆる分野で、『巧い人』だったり『達人』というのは、「無駄な力が抜けている人のことだ」というようなことが述べられていて、なるほどなーと思った。
文章を書くことは、ある種自分自身をウケさせるためにやっているところもあるので、ついつい自分自身へのサービス精神という、ちょっと訳が分からない領域の部分を意識しているフシもある。「やるからにはウケよう」という感じが、他人だけでなく自分にも向けられている。ただ、そういうことを強く意識し続けると、すぐにどこかが硬直してしまいそうである。「これは自分なりの“生活記録運動”なんだ」という感じで、誰のためでもなく、ただ流れるままに文章を書いていったっていい。
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次のチェルシーの監督に、フェリペ・スコラーリの就任が決定。
この人は愛称が「フェリポン」なのである。フェリポン。ほら、発音したくなる名前だろう。
今度は名前の方向から、キャラ立ちする人事を展開してきたぞチェルシーFC。

フェリぽん。
あ、いや、別に名前だけじゃなく、実績もすごい人なんですがね。2002年W杯で優勝したときのブラジル代表監督は彼だった。
ついでにいうと、2002年の、あの、どうかしていた時期、私は衝動的にフェリポンの似顔絵を描いて、スカパーの「ワールドカップジャーナル」の番組に宛ててコンビニからFAXを送ったことがある。すると番組で紹介されて、えのきどいちろう氏に「線は単純だけど、うまい」と褒められたことがある。
自分にとって、FAXを送りつけたくなるほどに参加意識をかきたてられ、共感を抱きながら観つづけたテレビ番組は、あの「ワールドカップジャーナル」が最初で最後であった。それは2002年の想い出のなかで非常に大きい位置をしめる存在であり、しかもFAXがちゃんと紹介されたときの嬉しさと気恥ずかしさは、今でも大切にしたい記憶だ。
なので、今回のチェルシーへの就任は、私にはとても感慨深いのである。
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