カテゴリー「スポーツ」の記事

2022.06.30

竹馬のブームが来ないだろうか

このあいだ、たまたま訪れた場所に、竹馬がたくさん保管されていた。

最後に竹馬をしたのを確実に覚えているのは小学校5年生ぐらいの頃の体育の授業で、当時から運動神経は鈍かったが、どういうわけか竹馬はわりとすぐ乗れて、楽しかった記憶があった。

なので私はそこにあった竹馬のなかでもっとも足場が低いものを選んで、ほんの少し乗ってみた。
35年ぶりぐらいだ。
最初はちょっと苦労したが、やがてすぐに歩いたり、しばらくバランスを取って静止できるようになった。
「おおっ! 乗れる、乗れている!」・・・単に長い棒をつかんで、狭い足場に体重をのせてバランスを取っているだけなのだが、人間から他の違う生き物になったかのような、大げさだけれども「非日常」な瞬間がとっても楽しかったのである。

そもそも我々が子どもの頃に、すでに竹馬で遊ぶという文化はなかったと思う(だから体育の授業ぐらいでしか味わうことはなかった)。
さっきネットで調べてみたら、まだ竹馬は売られているようで少しは安心したが、そもそも令和はもとより平成のほとんどの期間、街中で子どもが竹馬に乗って遊んでいる光景というのを私は見たことがない。

もったいない。

充電もWi-Fiもガソリンも電気も不要で楽しめるエコな遊びであり、それでいて自分以外の何かになれるメタモルフォーゼ感覚を気軽に味わえる装置としての竹馬。

さらにネットで調べたら、「体幹を鍛えるのに適している」という記事があり(こちら)、それならもっと各種スポーツの部活動のトレーニングとかで竹馬を導入してもいいはずだ。竹馬で鬼ごっことかやってみたら楽しいはず。

そういう調子で、つい自宅にもマイ竹馬を買ってしまいたくなるが、クルマやバイクと違って「ちょっと近所を竹馬でツーリングしてくる」なんてことはこの現代社会ではなかなか難しい気もしてきて、すんなりと「よし、買うぞ!」とはならない。
たとえば、せいぜいアウトドア趣味の流れで、キャンプ場で竹馬に乗ってみるとかはありえるだろう。でも残念ながら竹馬を持ち運んで遠出することは難しいし、「折りたたみ竹馬」があったとしても耐久性の面で商品化もされてなさそう(まして大人の体重がかかれば、なおさら危険だ)。

逆にそこにチャンスを見出して、「携帯できる竹馬」とかを開発してもいいのかもしれない。モンベルとか作らないかな。

これを書きながらさらに妄想は広がっていくのだが、たとえばたくさんの人が沿道に集まる何かのパレード行進を見にいくような時とか、ロックフェスの会場とかで、人混みのなかで高さのアドバンテージを得るべく竹馬で参加するのはどうなんだろう。周囲の人にとってはひたすらジャマな人なんだろうけど、そもそも竹馬を準備してこないほうが悪いので、私は竹馬に乗り、かつ持ち手の棒のところにカメラとかをマウントして有利な位置でベストショットを撮ることだってできる。「あぁ、竹馬があればこういうときに有利だ」となり、そのうちオシャレ竹馬とかが出てきて、多くの人が竹馬に乗りながら音楽に合わせて踊る光景がブームになっていったりしないだろうか。
まぁ、突然バランスを崩してコケる場合もあるからただひたすらに迷惑極まりないヒトなのであるが。
でも電動キックボードみたいなのが普及しつつある昨今の状況を思うと、竹馬ぐらい街中でフラフラ歩いていたっていいではないか。

本当なら東京五輪も公開競技制度を復活させて新たに「竹馬」をスポーツとしてプッシュすべきだったのだ。マラソンなみにハイスピードな竹馬の競争。もしくはスケボーのようなトリック・プレイを駆使する採点系の競技とか。沿道の観客も竹馬に乗って駆けつけてみたり。

うぅむ、書きながらどんどん妄想が膨らむ。
普通にどこかで気軽に竹馬に乗りたい。そういう場所ないかな。

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2021.12.08

ちょっと言いそびれていたこと

 実生活でもそうだし、このブログなどでも表だって伝えていないままだったのだが、
 実は4年ほど前から、スキーにハマっている。

 きっかけはひょんなことで、4年前にテレビをつけたら平昌五輪のフリースタイル・スキー競技をやっていて、観ているうちに「スキーって高校の修学旅行でやって以来だな」と思ったことに始まる。インストラクターの先生に教わりながら、クラスの男子で間違いなく一番滑れなくて転んでばかりだったけれども最後にはなんとか滑れるようになり、トータルで振り返って「楽しい思い出」として自分のなかに残っていたのだ。

 でもそこから23年ちかく経って、まったく雪山に縁のない人生を歩んでいて、それでスキーやスノボをやっていないままだというのは、何かもったいない気がしてきたのである。もっとも、もし自分がやるならスノボよりは一度は経験があるスキーだろうな、とは思った。

 で、ネットであれこれ調べてみると「ひとりスキー」とか「ぼっちスキー」という言葉があることを知り、これが非常に大きかったのである(もちろん、「ひとりスノボ」もある)。「そうか、スキーは独りで行っても差し支えないレジャーだったのか」ということに思い至り、クルマも持っておらず、雪山へはグループでワイワイと行くイメージに凝り固まっていた私は、公共交通機関だけを使って独りで滑って帰ってくるという人も多く存在しているという当たり前すぎる事実を、浅はかながら40年近く生きていて気づけていなかったわけである(そして同時に実感したのは、私の親しい友人たちも、奇跡的なほどに揃いも揃って雪山から縁遠い人生を歩んでいたわけである。あるいはタテイシなぞはどうせ雪山に誘っても乗ってこないと思われて、私の知らないところで楽しんでいたのかもしれないが)。

 そこから私はスキーについて調べまくり、すぐに挫折してやめるかもしれないリスクを想定してセール品の安いウェア類を揃えまくり、YouTube動画でスキーの基本やゲレンデでのマナーなどを予習しまくり(これができる環境が20年前とは大きく違う点であり、非常に恩恵を受けている)、準備を万全に整えてからその年の3月に満を持して滋賀県の箱館山スキー場へ足を踏み入れ、レンタルスキーを装着した40すぎのオッサンとして初心者向けスキー講習を受けてみたのである。
 そこですっかり雪山の壮大な景色に魅了されつつ、なんとかスキーも滑れたことに大いに気を良くし、そこからは文字通り雪山を転げ落ちるようにスキーへ傾倒していくことになった(ちなみに、このときに初心者スキー講習を受けたことやその前後のくだりについては、別に書いた長い文章があって、いつか公開できればと思う)。

 というわけで、それ以後は冬季シーズンを待ちわびるという、寒がりの私にしては大いなる転向を経て、ひとりスキーを楽しんでいるのであった(そして『スキーが趣味です』と堂々と言える程度には上手くなってから、周りの人に公言しようと思いつつ、毎年少しずつしかスキーに行けないので、自分が上達した実感もないまま伝えあぐねていて今日に至っている)。
 
 さて、今回はそれ以上スキーについて深く書くことはせず、話を別の方向へ持って行く。

 このスキー趣味が始まってから「日常生活のなかでもできるスキーの練習」として心がけていることとして、「電車のなかでヒザを軽く曲げて立ち、揺れに応じて体重移動を意識してふんばる」という行為がある。私は毎朝通勤で電車を利用するのだが、最初に乗る電車はいつも必ず立つしかなくて、そのときには吊り革を握らずに、軽くヒザを曲げた状態をキープし、揺れてもふらつかないように重心移動で対応している。そうすることでスキーっぽい足腰の動きが要求される(気がする)。

 そして、だ。例によって昨年からコロナ禍となってしまい、鉄道会社もクリーンで安全な車内環境づくりに努めているとはいえ、この「吊り革や手すりなどを極力触らないようにする」ということが、感染予防のリスク管理におけるひとつのポイントになってしまったのである。
 それゆえに、私はなおいっそう、電車に乗るときは吊り革や手すりを頼ることなく、この「スキー練習」の立ち方で乗り切っている。なのでこの2年間近く、私は電車内で一度も吊り革や手すりを触っていない。

 そう思うと、私が40歳をすぎて突然スキーにハマるようになったことも、このコロナ禍のタイミングを思うと、それなりにリスク管理という側面で多少の意味があったのかなと感じている。強引な解釈かもしれないが。
(そう書いておいたそばから、いきなり足腰がよろけて、ついに吊り革をつかむ日が近かったりしたら、情けない) 

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▲なので自撮りの写真しかない。

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2021.07.31

ひたすらロンドンの地下鉄に乗ったり駅をウロウロしている動画

 先日ひさしぶりにharukanashowで喋らせていただく(こちら)。前回トークしたのがちょうど一年前だったことを知り、驚く。ついこの間のことのようだったが、このコロナ禍の日々がいかに早く過ぎていったかを実感・・・。
 収録日において、直近に迫りつつあった東京五輪開幕への違和感だったり、サッカーの欧州選手権やF1イギリスGPでのお客さんの入りっぷりへの不安などを語らせていただく。
 これを書いている時点で開幕一週間を経ているのだが、なんかもう、東京および全国各地での感染者の増加傾向を思うと、素直に五輪を楽しめるモードではまったくない。あと一週間後にはどうなっていることやら、この危なさや先行きの不安感を我々一般人が(税金払いながら)引き受けなければならないことへの憤慨にまみれている今日この頃である。


 そんなわけで、相変わらずテレビはそこそこにYouTubeに依存している日々である。


 以前、Watched Walkerについて紹介したが、最近新たに見つけたのは、それのロンドン地下鉄バージョンともいえる「London Underground First Person Journey 24/7 Livestream」という動画で、収録した映像をつないでひたすら24時間配信している。リンクは(こちら)。



 撮影者はひたすらロンドンの地下鉄に乗り、ホームに降りるや乗り換えのために駅構内を歩き回って、また違う地下鉄に乗り・・・その繰り返し。そうしてあの空間における音や情景をカメラに収め続ける(ただし、なぜそんなに急ぐのかっていうぐらい早足で移動したがるところがあるので、もうちょっと落ち着いて行動してよと言いたくなる)。そもそも地下鉄なので窓の外の風景が楽しいわけでもなく、下方のテロップのおかげで、かろうじて今はどの線の、どの駅の区間を動いているのかが分かるわけで、地味といえば地味な試みだ。
 動画として「見る」という以上に、そのまま部屋のBGMとして流しっぱなしにしてもいい。基本的にうるさいだけなのだが(笑)、車内アナウンスだったり、時おり聞こえる「Mind the Gap」の機械的な音声だったり、レールがきしむ音のデカさっぷりだったり、ドアの開閉のときになる電子音だったり、すべてがロンドン暮らしをイメージさせる音として、心和む。


 それと同時に、こうしてカメラを携えてやたら地下鉄に乗ったり降りたりを繰り返しているこの撮影者は、どうしたって不審者のようにも見られるかもしれない。しかしイギリスの国らしいというか、冷徹なほどに他人には干渉しないムードが車内にもうかがえて、そのうえでこういう動画撮影が成り立っている気もする。


 そして最近撮影した動画がほとんどのようで、あきらかにコロナ禍の影響で地下鉄の乗客や駅構内を歩く人が決定的に少ない。なのでこれを見ながら、どのみちちょっと切ない気分にもなる。「そこにいない自分のこと」と、「今はそこに行くことができない、ということを納得しなければいけない自分のこと」があって、そのうえで「コロナ禍のいま、ロンドンはこういう姿になっている」ということを知り得る手段のひとつとして、いくばくかの感謝の念をもってこの単調な動画を眺めつづけている。

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2018.07.17

バスケ、バレー、サッカーのボール生地を使ったアパレルブランド「FUKUNARY」が超絶ステキな件

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スポーツ用品とアパレルのコラボレーションということで、最近知ってテンションが高まった事例。
広島にある八橋装院という会社では、特にバレーボールやバスケットボールで有名なMikasaの、あのボールに使う素材をそのまま転用して様々なグッズをデザインして「FUKUNARY」というブランドのもとでリリースしている(リンクはこちら)

ちょっと前の話になるのだが、たまたま梅田の百貨店ルクアにいたら、このFUKUNARYが期間限定で出店していた現場に遭遇し、

「ん・・? こ、これはーっ!?」となった。

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バレーボール、バスケットボール、そしてサッカー。これらのボールにはそれぞれの特性があるわけだが、その風合いや質感を生かして、オシャレかつ耐久性の高い製品たちがセンスよく作られていて、これはもう、やったもん勝ちである。私はその売場のスタッフさんたちに「すげー!!」と連呼してしまい、いろいろお話を聞かせてもらい、しまいには店員さんが実際に使っているお財布の使用状態までもを調子に乗って写真に撮らせてもらったぐらいだ。(結局そのときは何も買わなかったのですいません 笑)
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↑これ、表面はバスケットボールのあの質感でありつつ、中身の仕分け部分もすごく良く出来ていて、あえて写真は載せませんが(笑)、すごく使いやすそうだった。

そして当然、「使用済みボールから、記念品のようにグッズを作ることもできる」とのことで、それだったら普通にプロ選手の使用済みボールからグッズ展開してもいいわけで、マニアとはこういうのを買う人種なのだから、やったもん勝ちなのであると進言させてもらった。

「サッカーボールのキーケースとかネイマールとかに贈って使ってもらって、ネットにあげてくれたら一発でしょう~」とか勝手なことばかり言う私。

聞けば広島の工場も見学できるかもしれないので、これで広島へ旅したくなる理由がまたひとつ増えた(大雨の状況はどうだったのか気になるけれども)。

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2017.08.27

ECHOESなロンドン旅2017夏・その3:バッキンガム宮殿の中を見学したり、思いがけない出会いを果たしたり。

 思えば夏の時期のロンドンにひとり旅として訪れるのは今回が初めてだった。そして「夏ならでは」、「今年ならでは」の出来事もあったのでまとめて書いてみる。

 まず、夏期間だけ限定で行われている「バッキンガム宮殿の内部見学」について紹介したい。英国王室にそこまで特段詳しくも興味もないのだが、「夏期しか入れません」と聞くと、せっかくだから行ってみようかなと思い、事前に英国観光庁サイトで予約チケットを購入しておいた。

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 ちょうど正面の大きい門にたいして南側エリアがチケットブースになっていた。私はつい、事前に観光庁サイトで購入したときのメールのプリントアウトで入場できるものと思いこんでいたが、それはチケットとの交換用紙みたいなもので、結局ひたすら行列に並んでチケットを受け取る。そのあとの入場も、時間ごとにおおまかに区切られて、待機させられたあと、ひとかたまりの集団が一斉に中に入るという感じ。そしてもちろん空港ばりの手荷物検査がある。

 入り口では他言語対応のオーディオガイドが借りられる。日本語の解説を聴きながら、最初の部屋や通路の時点ですっかり建物や装飾品のすごさに圧倒される・・・なお、写真撮影はNGなのであるが、そりゃあそうだよなぁと思った。もし写真OKだったら、まずもって客の流れは滞るはずだ。あちこち撮影したくなるし、自撮りもしたくなるだろう。

 普段そこまで装飾品やアンティークな家具に注目していない自分ですら、そこに置いてあるモノたちが放つパワーに魅了された。写真が撮れないもんだから、グググと目に焼き付けるべく凝視。「記録を許されない輝き」というのは、またよりいっそう、そこにあるモノや空間を美しく際だたせる。

 あちこちの部屋に置いてある休憩用ソファに腰を下ろし、その部屋の空気をめいいっぱい吸い込もうとするかのごとくさまざまな眺めを味わいながら感じたのは、この宮殿は決して古いだけの建物ではなく、現在も女王はじめ王室関係者が使用している「家であり仕事場」でもあるので、「人が使っている部屋」の空気感、現役感みたいなものが、よりいっそう素敵な雰囲気をつくる要因になっている気がした。「歴史や伝統」といった重たい距離感だけで圧倒するのではなく、訪れた客人の気持ちを心地よくさせ、生涯忘れられないような時間を過ごせる壮麗で気品に満ちた場所としてこの宮殿が時代を超えて成り立っているような、そういう活き活きとした感覚がわいてきたのが、思いがけず印象的だった。

 そしてまた、押し寄せる畏敬の念。ここで古来よりさまざまな人物が行き交い、向かい合い、歴史が紡がれてきたのかと思うと、「よくもまぁ、こんなふうに一般人に公開してくださったものだ」と、素直に感謝の気持ちがわいてくる。王室にしたら、これだけの建物を維持するための資金も現実的な問題としてあるわけで、90年代以降、女王が避暑地に行っている夏のあいだ限定で一般公開をするようになったようだが。

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↑宮殿を出た後の、出口に向かうまでの公園より。「宮殿アイス」とか売ってた。

 とかく、夏の間にロンドンに来る楽しみがまたさらにひとつ増えた。そう、私はまた何度でもここに来たいと思っている。ここはなんというか、「史跡見学」というのではなく、先述のとおり「いまも誰かが住んでいるご自宅のひとつ」なのである。世界最高峰に素敵な邸宅のひとつだと思うと「また来たいです、ていうか、いつかぜひ招待して!(笑)」といいたくなる、そういう「不思議な心地よさ」があったのだ。

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 さてもうひとつ書いておきたいのは、これとは別の日に、バッキンガム宮殿のあるグリーン・パークに来たときのこと。ちょうどこの時期に開催されていた「世界陸上」で、競歩の競技会場が、このバッキンガム宮殿の前を通る「The Mall」の一直線の道だった。競歩のある日に近くにいたので、ちょっとだけ様子を見てみようと訪れた。

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 そこはライヴ会場のような盛り上がりをみせていて、ちょうど女子の20kmが終わる頃だった。競歩を生で観るのは初めてだった。もはやマラソン並みのスピード感があって、地面に足をつけたままの速度とは思えないぐらい。とくにイギリス代表選手には沿道から大声援があがっていた。沿道の外国人応援団の隙間をぬって、この競技で唯一出場していた日本代表の岡田選手に「がんばれっ!」と、日本語で声援を送ることができた。

 で、次の男子20kmがはじまる直前に、別の目的地へ行こうかどうしようか迷いながら、ふらふらと競歩コースの折り返し地点のところに向けて適当に歩いていたら・・・ 「!!」












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 まさに昨晩、宿で私もテレビの生中継で観ていて興奮していた、男子100m×4人リレーで銅メダルを見事勝ち取った短距離日本代表チームのみなさんとバッタリ遭遇!! 競歩の応援に駆けつけていたようだ。
 あまりのバッタリ感に動揺しつつ、「昨日は感動しましたー!」と言うのが精一杯。
 手に持っていたデジカメですみやかに自撮りを試みたのが上記の写真。スマホとは違い、どういうふうに写っているか見えないのである意味これは「賭け」なのだが、見事にフレームにうまく全員収めた(笑)

 そのあと折り返し点の場所で男子20kmのスタートを待ちかまえてみた。遠くに宮殿を見ながら、選手たちが猛スピードでやってくる姿が圧巻だった。折り返しのときは写真を撮りつつも、この旅で一番大きな声を出して「がんばれー!」とエールを送った(タイトな日程で動いていた私はどうしても次に行きたい場所があったので、最後まで見届けずにこの場を離れざるを得なかった。)

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 というわけで、今後私にとってバッキンガム宮殿および「The Mall」は、競歩会場の賑わいと(それはロンドン五輪の追体験みたいな感じで、贅沢な時間でもあった)、そして陸上のリレーチームとの邂逅の場所としても思い出が刻まれたことになる。

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 ちなみに・・・

 最初に書いたバッキンガム宮殿の内部見学は、時間軸でいうとこの競歩のあった日の翌日のことであった。その日、宮殿見学の入場列に並ぶ前に、注意書きで「内部にトイレはないので、この近辺のトイレに事前に行くように」という案内が地図で示されていた。そこでおそらく一番分かりやすそうな場所にあるトイレに行こうと思い、The Mallの通りのちょうど真ん中あたりにあるトイレを目指して歩いた。ただ、自分のチケットの入場指定時間が迫っていたので、トイレにいくまでの道のりを急いで早歩きで向かっていて・・・ふと「あっ!? 今まさに!? 自分が競歩かっ!?」
と思って、ひとり笑ってしまった。

そういうオチ・・・。


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2017.01.25

古い時代のF1ファンにとってグッとくる体験ができるのは、実はこんな金曜日のことだったりする。

今日の記事はひさしぶりに「元F1マニアとして」体験したことをテンション高めに書いていくので、恐縮だが、ついて来られる人のみ読んでいただくしかなく、そこのところをあらかじめ断っておく。

ちょっと前の話になるが、たまたま金曜日の平日に休みを取り、せっかくなので日帰りで遠出をしたい気分になったので前日の夜にいろいろと調べてみた。「そういえば鈴鹿サーキットは最近どうなっているのかねぇ」とホームページをみると、ちょうどその土日に「Sound of ENGINE」というイベントがあることを知った。これは懐かしのレーシングカーのデモ走行を行うというもので、よくみるといろいろなカテゴリーのクラシカルなマシンが参加予定で、そしてF1マシンもなかなかのラインナップだった。そして開催日前日の金曜日は、準備日として「練習走行」のみが行われる旨が書かれていた。この練習走行は、土日のイベントのチケットを持っていれば観覧可能とのことだったので、日帰り小旅行のネタとしては悪くないと思った。

こうして金曜日の朝にひとまずコンビニで土曜の1日券を買って、私は鈴鹿に向かったのである。

そして結論から言うと、金曜の練習日に鈴鹿サーキットを訪れてみたことで、私は古い時代のF1マシンのファンとしてこれ以上ない最高の時間を味わうことができたので、以下そのことを報告させていただく。

このイベントのチケットを持っている人は、「パドックエリアも入場可能」と書いてあり、そのことが私を鈴鹿に行かせるうえでのモチベーションのひとつにもなった。普通、パドックエリアというのは特別なチケットを持っていないと入れないイメージがあり、「レースをやる側」の世界に触れるエリアのはず、なのである。「Sound of ENGINE」の入場客は気軽にパドックにまで行けるのであれば、それはとても価値のある機会だと思った。

そして金曜日はまだイベントの準備が行われている状況で、遊園地の入場料を支払ってサーキットエリアに向かいつつ、あらかじめコンビニで買っておいた「Sound of ENGINE」のチケットもすぐに取り出せるようにカバンに入れていたのだが、「パドックへのトンネル入口」に足を踏み入れ(緊張した)、そのまま突き進んで、トンネルを出てついにパドックエリアに来た!となっても、なぜか私のもっているチケットをチェックする係員などはおらず、私はどこに行ったらいいのか分からないまま、そのままピットの裏側まで普通に訪れることができた。

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で、いきなりピットガレージには、こういう状況を間近で見ることとなった。

たとえばカナダの富豪、ウォルター・ウルフのF1マシンがぽつんと置いてあったり。

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おいおいおいおいおいおい(心の中の声、動揺)。

私の生まれた1977年のF1でチーム初出場・初優勝を挙げたマシンである。後にフェラーリでチャンピォンになる南アフリカのジョディ・シェクターが乗っていた。もちろん、はじめて実車を観た。

ええと、これ、わたし、じっくり見学してていいんでしょうか?(心の中の声、動揺つづく)

でも、周りをみると、私と同様の、おそらく普通の客だと思うのだが、そのあたりをウロウロしていて、そしてピットガレージだったり、あちこちに立ち入っている。

ここは鈴鹿サーキットのピットガレージである。部外者の私がピットガレージにいていいんでしょうか。その想いを抱えつつ、表向き冷静にカメラで撮影しまくっていた。

通常のレース時には「ピットウォーク」というファンサービスのイベントはよくあって、決まった時間だけ、観客がピットレーンを歩いてガレージの中のマシンを外側から見学する・・・というものがあるのだが、どうみてもこの日の午後は、そういう「ピットウォーク」ではなく、単に「誰しもがピットガレージもピットレーンも、さらにピットウォールにも立ち入ってても特に何も言われない」という、かつてのモータースポーツファンだった少年時代の私にとっては鼻血が出るような状況だった。「マジっすか、マジなんですか、この状況は!」と、内心ずっと叫びっぱなしであった。

ちなみに耐久レースのグループCカーのカテゴリーも今回登場していて、その迫力ある佇まいにも圧倒。

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そうして、今回のイベントの「目玉」である2台の車を手がけている、外国人スタッフだけのピットガレージがあった。
フェラーリ312Tと、ティレル006。マジか・・・。

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ここも最初は遠巻きに観ているだけなのだが、他の一般客がカジュアルにガレージの中を通って、マシンを間近に観ていたりするので、私も徐々に中に入り、この状況のなかで、この貴重な車の整備作業をかなり長い時間見守っていた。

イベントのスポンサーの関係だったり、クラシックなレーシングカーを管理する団体から派遣されてきた雰囲気のスタッフさんなので、「レースをやるために来た」わけではなく、「趣味人のオジさんたち風情」のただよう現場だった。それゆえに、我々一般ファンもあまり臆することなく、ガレージに佇んでいられた気がする。

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なので、「ええと、何か飲み物でも買ってきましょうか?」とか言いたい気分でもあった。

しかしだ、目の前のこれ、フェラーリ312Tだ。ニキ・ラウダとともにこの当時のフェラーリで闘ったクレイ・レガッツォーニの車だ。1975年だ。

エンジンの試運転がはじまる。煙と匂いがただよう。時代を超えて、豪快なエンジン音が私のいる空間に響く。ええと、私はここに居てていいんですよね? そればっかり頭によぎる。

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動画も撮ってみた。

なんだこの、贅沢な時空間。

テスト走行の時間がはじまり、時間割にしたがってそれぞれのカテゴリーのマシンが走って行く。
そんなわけでグループCカーが野太い音とともにコースに出て行き、メインストレートに戻ってくる。

そしてそれをピットウォールにへばりついて見届け、爆音につつまれている。
ええと、ほんとに、ここに居ていいんでしょうか、危険といえば危険な場所なんですけど!?

そして着々とフェラーリF1が整備されていき・・・
誰が運転するんだろうと思ったら、さっきまで整備していたおじさん、ガレージの隅で着替えをはじめて、まさかのレーシングスーツ姿に。
いやー、このへんの、なんというか、アバウトな展開に、笑えてきた。

こうして発車準備が整い、ガレージ内にエンジン音が轟き、スタッフの兄さんが1人で後ろからマシンを押すのだが、ここまでくるともはや私も一緒に手を貸して押そうかというぐらいの勢いになっていたが、ガマンして動画を撮るほうを選んだ。

そんなわけで、この日私はひさしぶりにF1マシンにとっぷりと浸かって、なんともいえない充実感を味わった。
間違いなく翌年のスケジュールや来日マシンを確認していることだろう。そうか、現役のF1レースではなく、私はもはやクラシックカー趣味みたいなもので、こういう方面でF1を追ってもいいのだとあらためて実感した。

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テンション高まって自撮りもするわな、この場所だと。

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またこういう光景を見たいと思う!

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2016.01.20

「あったかもしれないパラレルワールド」としての、昭和15年の東京オリンピックを今この時代に思うこと: 『幻の東京五輪・万博1940』(夫馬信一・著、原書房)

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 『幻の東京五輪・万博1940』夫馬信一・著、原書房

 2020年に「また」東京でオリンピックが開催されるわけだが、そんな状況においてこのような興味深い本が出たので紹介させていただく。

本当だったら1940年、昭和15年に行われていたかもしれない東京五輪・札幌冬季五輪・日本万博について、その計画経緯や準備状況、そしていかに「幻」に終わっていったかを丁寧に、豊富な図版とともに検証していく本である。歴史に疎い私は、戦前に冬季五輪や万博までもが計画されていたことなど、これまでまったく知らなかった。

 で、私がこの本の存在を知ったのは、実はひょんなことで私もこの本の、ほんの0.1ミリ程度だけ貢献させていただいたからである。

 このブログとは別にやっているサッカーのブログで、2012年の正月休みに訪れたベルリンのオリンピックスタジアムにあった鐘の写真を載せていて、著者の夫馬さんがたまたま検索でその写真にたどり着き、画像の使用許可を問うメールをくださったのである。そういうところで役に立つのであれば、私にとってあの旅はさらに意味のあったものになるわけで、うれしかった。

 「あとがき」を読むと、著者の夫馬さんはこの本を9年かけて準備されていたようで、70年近い時を隔てた資料や証言と格闘し続け、そしてその間に2020年の五輪が奇しくも東京に決まったり、そういったタイミングのなかで、寒空のベルリンで私の撮影した何気ない写真も、インターネットでもたらされた縁によって関わり合いをもつことになったわけで・・・不思議なつながりのなかで私が知り得たこの一冊の本もまた、「五輪をめぐる歴史」のひとつになっていくのであれば素敵なことだと思った。

 ちなみに巻末の協力者のクレジットのところ、名前だけじゃなくこのブログのタイトルまで入れてくださっていて、ちょっと恐縮(笑)。


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2015.09.28

17年ぶりに鈴鹿でF1日本グランプリを観に行ったはなし

 思いがけず、F1日本グランプリを観に17年ぶりに鈴鹿サーキットへ行った。

 K家の方々が都合で行けなくなったとのことで、ご厚意によりチケットを譲っていただいたのである。
 
 あの頃の熱狂的な気持ちはどこへ行ったのか、というぐらいに近年の私はF1グランプリから遠ざかっていた。理由はいくつかあるのだが、どうしても底辺には「あまりにハマりすぎていて、その過去を思い出すと恥ずかしい」という心情がつきまとい、そのことがなおさら、最近のF1を改めて見つめ直す気持ちになりにくくなっていた。

 しかし心のどこかで、近年はどんな様子でF1日本グランプリが実施されているのか気にはなっていたので、今回の機会はまさに「17年前の自分と向き合う」タイミングではないかと思い、鈴鹿に向かったのである。


 さて朝早くにサーキットのゲート付近にいくと、駐車場で待機している人の列に出くわす。

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 この人たちは何をしているのかというと、「ドライバーや関係者がやってくる車を出待ちしている」のである。そうでなければここにはいない。サインをもらえる可能性はこの場所だと少ない気もするが、手を振るぐらいはできそうだ。
 そして、そう、まさに17年前の自分がまさにそういうことに情熱を燃やしていたわけであり、サーキットに入る前から私のなかには、ある種の感慨深い気持ちがこみ上げてきたのである。本当に。

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 そしてメインゲートから遊園地エリアを歩く。このあたりの構造はまったく変わっていなくて嬉しかった。

 しかし、その先にあるエリアが、やたらと大改装されていて、まったく違う遊園地となっていた。
 ただしF1マニアだった私に言わせると、その改装がもっとも重要なのは遊園地の中身ではなく、サーキットホテルのエリアと遊園地を結ぶ導線に変化がもたらされた点にある。どういうことかというと、

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 このように「ホテルゲート」という門衛所がしっかりと設定されていたのである。

 鈴鹿は世界でも類を見ない「よくできたサーキット」で、お客さんにとっては「遊園地とサーキット」があり、そしてレース関係者には「ホテルとサーキット」が隣接して存在する貴重なサーキット場なのである。そして、昔の遊園地エリアをよーく調べると、ホテルエリアとサーキットへの導線のなかに、わずかながらフリーで行き来ができるスポットが存在していたのである。なので私や友人は、かつてそのルートを使ってホテルエリアに行き、朝に晩に出待ちを続け、レース関係者をつかまえてはサインをもらったり話しかけたりして楽しんでいたのである。

 それがこうして、立派なゲートが作られたことにより、実質的にホテルエリア周辺での出待ちはできなくなっていた。スターであるドライバーたちは車でサーキット内部(パドック)へ移動し、普通の関係者はこのゲートから遊園地エリアを歩いてパドックへのトンネル通路に行く。

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パドックへの通路も改装されてすっかりモダンになったが、トンネル通路そのものは健在だった。こうして柵にそって出待ちのファンが並んでいる。

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そしてこれが、ホテルから自動車でパドックにいくルートで、この柵の周りにもたくさんのファンが「出待ち」状態で立ち続けていた。サーキットに来ていながら、普通の道路のアスファルトに長時間熱視線を送るという、これこそがF1マニアの生き様と言える。

おそらく現状ではかつてのようにドライバーにダイレクトに会ったり、チームのスタッフや監督さんと挨拶したり会話するなんていう遊びは到底難しくなっているようだった(学生の頃、たとえ英会話能力は低くても、英語を話すという行為は楽しいことなのだとひたすら心から実感できたのは、年に一度の鈴鹿のF1で、こういう楽しみを味わえたからこそである。そう思うと今の私の礎を作ってくれたのは鈴鹿なのだろう)。

 さて、そんな私のノスタルジックな気持ちにさらに輪をかけるように、イベントブースでは懐かしのマシンが展示されていた。ちなみにレース前にはこれらのマシンのデモ走行も行われた。

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 好きなF1マシンを挙げろと言われたらまずこの87年のフェラーリを推す。実物を初めて観たので立ち尽くしてしまった。

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 このウイリアムズFW11も思い出深い。小学生のとき祖父がくれたキャノンのジグソーパズルの図柄がこれだったので、私が人生でふれた最も古い記憶のなかのF1マシンはこれになる。

 いずれにせよ、こういう80年代後半のF1マシンは造形としてシンプルで美しいとあらためて思った。

 さて、この展示ブースに立ち寄った時間帯が、たまたまそこにあった他の2台のマシンにおける「エンジン始動デモンストレーション」の時間に近かったので、そのまま待ち続けた。
 動画まで撮影したのだが、これが本当に、よかった。

 これは80年代初頭に試作車のままで終わってしまったロータス88という珍車。F1の歴史において名高いフォードのDFVエンジン(のはず)の音をこんな近距離で生で聴けたのはラッキーだった。

 そして1990年代を代表する歴史的名車のひとつ、ティレル019。中嶋悟がドライブしたマシンである。こちらはエンジンがフォードのコスワースDFRで・・・と、もはや私は中学生に戻った気分で嬉々としてこのエンジン音を堪能していた。

で、
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17年前にはこんな設備は作られていなかったし、

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とくに子どもを対象としたイベントにかなり重点が置かれている印象があって、これもそうだった。マクラーレン・ホンダ第一次時代の最後の名車MP4/6、子どもしか乗せてもらえないので本気で羨ましかった。その近くでは、「F1の模型がついた帽子を作るワークショップ」があったりして、子どもファンを増やす努力をかなり行っている様子がうかがえた。

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シアターや博物館も新設されていた。アラン・プロストとアイルトン・セナのレーシングスーツとヘルメットが並んで展示されていて、この並びには涙しかない。

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そもそもメインスタンドもすっかり改築され、なんだかサッカースタジアムみたいだし、

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これ見よがしなVIPルームの入口なんかもあったりする。

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そんなこんなで付属施設を楽しんだあと、いただいたチケットの席に移動する。このあたりは完全にハイキングのノリになっていく。その「土の匂いのするアウトドア感」と、「最新ハイテクの車たち」のミクスチャーが、サーキットの醍醐味なのかもしれない。

あ、あと気づいたのは、「授乳室」とか「ベビーカー置き場」なんていうのも各所にしっかり設置してあって、こういうのは昔はそんなになかった気がする。かなりファミリー向けに観戦しやすい状況を整えていることが感じられた。

こうして2コーナーの席に座らせていただく。

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さっきのブースでみた古いマシンたちのデモ走行、それぞれの時代特有のエンジン・サウンドを響かせていて、もっと周回してほしかったぐらいだ。中嶋悟がティレル019を走らせていたが、ついぞ私は彼の現役時代を生で観ることができなかっただけに、じっくりとその姿を噛みしめた。フェラーリF187は現在解説者をしているM・ブランドルが走らせていてレア感があり、ロータス88は佐藤琢磨が「壊さないように・・・」っていう感じで走らせていたのが印象的。ゲルハルト・ベルガーは、1991年の鈴鹿で勝ったときのマクラーレン・ホンダMP4/6を1周だけ走らせていて、もうこれだけで私は大満足なのであった。

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こうして14時にF1の決勝レースがはじまった。自分のいる席からは、なによりスタートから最初のコーナーリングでの攻防にドキドキし、そうしてレース序盤を見届けて、頃合いを見計らって私は席を立った。

今回、こうしていただいたチケットで観戦をするにあたり、「せっかくなので、昔からやってみたかったことを試してみよう」と思ったのである。つまり、普通にチケットを買ったらあまり心情的にできなかったこと、すなわち

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そう、観覧車である。

鈴鹿サーキットにそびえ立つ観覧車、これを「F1のレース中に乗る」という、鈴鹿でF1を観に来た人なら誰しもが一度は味わってみたいことをやってみようと思ったのである。

やはり普通に観戦していると、どうしても席を離れにくいのが心情である。観覧車に乗るということは、席を離れて、小道を歩き、そのあいだはレースが観られない。それゆえに「観覧車に乗る」というのはけっこうハードルがあるのである。

実際、レース中に来てみると、5分ぐらい並べばすぐに乗れたのである。
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こんな感じ。

こうして、私は、子どもの頃からの夢を叶えた気分に浸った。

レース中の観覧車、眺めは別格。

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こっち向きの写真は白黒しか撮ってなかった。高揚感でちょっとテンパっていたのも確かである。

うむ、本当は、降りたらまた再び観覧車に乗りたいと思ったのは確かだ。けど、どこかで何かが自分を留めた(笑)。

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レース中のイベント広場の閑散ぶりも、当然初めて体験した。
とても新鮮な空気感だった。
※ちなみにイベント中の様子はこちら↓
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そんなわけで、
もはやドライバーの名前もチームの名前も半分以上は分からなくて、今もなおこうしてF1を観続けている熱いファンの人には怒られるようなスタンスかもしれないが、私なりに17年ぶりの鈴鹿を思いきり楽しませていただいた。
こういうチャンスを与えてくださったK家のみなさまにはひたすら感謝!である。
もっとF1以外のときにも、また鈴鹿には行きたい・・・と思える秋の日だった。


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サーキットにあるボウリング場付近の建物の入口。昔この場所で寝袋しいて野宿したことがあるなーっていう感慨とともに。

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2014.10.10

丸の内で不思議な人違い

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シャムキャッツpresents「EASY」を明日に控え、せっかくなので休みをいただき前日に東京入り。そしてちょうど1964東京五輪開幕から50周年のこの日に、丸の内オアゾで行われていた記念の展示イベントに立ち寄る。

表彰台のレプリカに乗ってスタッフさんに写真を撮ってもらったりしてひとりではしゃいでいて、そのあと落ち着いてポスター展示を観ていたら、見知らぬ男性に声をかけられた。


「あの、東京タワーでピンク色のツナギを着ている方ですか?」


......え?


いやいやいや、私は単なる関西人で、いま東京にきたばかりのものですと説明。

聞くと、東京タワーにはピンク色のツナギを着た芸人さんみたいなのがいるようで、その男性はかなり気になっていた芸人らしく、私は背格好も顔も似ているようで。

「まさかこんなところでお会いできるとは、と思ったんですが。すいませんでした」

とのこと。

いやはや、一般人で人違いになるならまだしも、東京タワーでピンク色のツナギで、しかも、芸人(笑)。

いま浦和のホテルの一室で、その芸人さんのことについてはあえてまだ調べないままブログを書いている。帰ったらじっくりと調べてみよう。
不思議な時間だった。

そんなこんなで明日の「EASY」、たくさんの方々にとっても自分にとっても良い一日でありますように!!


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2014.07.13

「スポーツ観戦をしながらでも着用できる手作りお面」の分野なら、私も日本代表としてワールドカップに臨めるかもしれないと思った件。

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ケガからの回復を祈念して「ネイマールお面」をつけたお客さんが増えたり、地元新聞紙面にネイマールの顔が印刷されて「これをお面にしよう」という盛り上がりを見せていたが・・・


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しかし・・・


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ちがう!ちがうちがーーう!!

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目の部分をくり抜いてはならぬ!(海原雄山)


単に不気味なだけやん~こわいやん~。


くり抜くべきは、マユゲだ!


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こちら)の記事を参照。

Pixywenger_1_2
このネタ)を参照。


というわけで、「お面の作り方を私はブラジル人に教えたかった!」っていう、なんだかよく分からない地団駄をふむ。


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↑そういえばこんな人たちもいた。メルケル首相の場合は目の玉をくり抜いても問題なさそうに見えるのが、逆にある意味で怖い。



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