カテゴリー「映画・テレビ」の記事

2023.02.06

誰もいない映画館で『セールスマン』を観ながら、自分も仕事をしているような気になっていった。

 前回の記事で映画館について触れたのだが、今年はなるべく映画館に行こうと思っていて、先日は『セールスマン』という映画を観てきた。でも上映期間が終わりかけの時期だったからか、客は私一人だけだった(映画館で一人というのはさすがに初めてだった)。

これはアルバート&デヴィッド・メイズルス兄弟による1969年の作品で、豪華版の聖書を訪問販売するセールスマンの姿をひたすら捉えたドキュメンタリー映画である。どうしてそんなニッチなネタを映画に残そうとしたのか、そのテーマ設定自体が興味深いので、気になっていたのである。

Salesman

 そう、まずもってこの「豪華版聖書」は買ってもらうのにかなり苦労しそうな商品なのである。このサイトで昔の米国での物価を調べると、1969年当時の1ドルは今の物価で約8ドル相当らしい。この映画で扱われた聖書の販売価格はたしか50ドルぐらいだったはずなので、今なら400ドル、日本円で52,000円、なんなら消費税込みで57,200円ぐらいの感覚か。『広辞苑』とかの辞書のような分厚さでサイズが大きく、外装の色が自由に選べて、中身も綺麗なビジュアルがふんだんに取り入れられており、たしかに古い聖書よりも魅力的ではありそうだが、それでもテレビショッピング的に「そこから驚きの割引き価格!」にならないかなぁと思ってしまうような価格帯である。

 物語は4人の主要なセールスマンのうち、ポールというおじさんをメインに追っていくことになる。このポール氏がどうにも売り上げが芳しくなく、門前払いにあいまくるし、不慣れな土地で行きたい住所にたどり着けないまま諦めたり、しまいにはモーテルに戻って同僚にグチりまくっては、担当している地区の悪口までぶちまける(なので、聖書販売業者はよくこの映画化にオッケーを出したよなぁとエンドロールにでてくる謝辞をみて思った)。

 メイズルス兄弟は「ダイレクト・シネマ」というコンセプトを掲げて映画史に残る作品を手がけたということで、撮影機材の小型化により、ありのままの「現場」に飛び込んで撮影することがその手法の特徴になるとのこと。そうして作られた本作品を通して私がずっと気になっていたのは、「よくぞここまでご家庭にカメラが踏み込めたなぁ」ということだった。

 つまり、訪問販売のセールスマンが家を訪ねて玄関から居間に通されるだけでも一苦労なわけだが、そこでさらにカメラマンまでもがズカズカ入り込むことになるわけだ。映画ではそのあたりの経緯には触れられていなくて、どうやって一般家庭の人々と折り合いを付けながらここまで撮影できたのか、ヒヤヒヤする感じで観ていた。ドキュメンタリー映画は、常に「カメラがそこにいることの影響」を頭の片隅で考えながら観てしまうわけで、本作で映し出される人々が赤裸々に「この聖書を買うだけの経済的余裕がいかに我が家にはないか」をカメラの前で切々と語るのは不思議な感じすらしていた。そして状況が状況だけに、聖書を「買わない」と突っぱねることへの自身の信仰心における煩悶だったり、そしてそこにつけこむセールストークの無慈悲な雰囲気といったものが、モノクロフィルムを通して切々と記録されている。

 途中のエピソードで、豪華なホテルで行われる社内研修において偉いさんは「あなたたちはお客様に幸福をもたらす仕事をしているのだから、もっと誇りをもて」と叱咤激励する。そうして血気盛んな社員たちは「自分の目標は●●万ドル売り上げることです!」と皆の前で宣言させられたりする。このあたりは現代でも似たような状況のような気がするし、スターバックスにおける「我々はコーヒーを売っているのではなく体験を売っている」とかいうスローガンも思わせたりする。でも当事者も絶対気がついていただろうけれど、このセールスマンたちは、拝金主義と宗教的信仰の板挟みのなかで労働を行っている。そもそもキリスト教は利子をつけてお金を貸したりすることを忌避していたはずなのに、映画にでてくるセールスマンは、聖書の支払いに悩む客に何のためらいもなくローン支払いを提案したり、果ては「隣人にお金を借りたらどうか」とまで言う。

 そうしてポール氏は、「俺が金持ちになったら~♪」などと鼻歌を歌いながら車を走らせ、客の前では「この聖書は一生モノの遺産になります!」とか言い張り(ホントに自分でもそう思ってんのか、とツッコミたくなる)、舞台は雪の残る寒々しいボストンから一転し、今度は同僚たちとフロリダにまで販売旅行と称して出張したりするが、それでもなんだか冴えない日々が続く。それぞれにある地域の教会で、豪華版聖書に興味のある人が記入した登録カードみたいなものを頼りにして訪問先のターゲット客をあたっているようなのだが、映画ではさまざまな境遇の家庭が登場して、軒並み経済的にはそこまで裕福でもなく、結局どこへ行っても留守だったり、断られたりの連続で、しだいに哀愁ただようロードムービー的な雰囲気になっていき、最後はいささか唐突な感じで終わるのだが、なんだか自分も「報われない労働」をしたような気分になった。ゆえに労働にしばしばまつわる淡々とした「救われなさ」みたいな感覚が味わえる作品であり、そしてポールおじさんのその後に少しでも神のご加護があってほしいと思った(僕は買わないけど)。

 

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2022.12.30

AI相手にマジメな対話を試みて、改めて『2001年宇宙の旅』ってすごい作品だなと思った。

 前回書いたOpenAIとの対話は、わりとふざけた感じの質問を投げかけたわけだが、それ以外にも私としては興味深い話ができたので、そのことも紹介しておきたい。

 なお、このOpenAIは日々改良がされているようで、最新バージョンが必ずしも以下の返答と同じことを書いてくることはなく、まったく違った回答を出してくる可能性は高い。(というか、同じ質問への回答も、リロードして再び同じ質問を投げかけるたびに、また違った内容で返答をしてくるので、思わず同じ質問を何度も繰り返して試してみたくなるのであるが)

以下は、AIには人間的な部分がどこかであるんじゃないだろうかという探りを入れていくような意図で質問を繰り返した記録である。

タテイシ
AIは自分がプログラムを処理していることを、どのように実感できているのでしょうか。

AI
AIは、プログラムを処理していることを実感できるわけではありません。AIは、プログラムによって作成されたものであり、人間のように意識や感情があるわけではありません。AIは、プログラムに指定された処理を実行することだけができるので、プログラムを処理していることを実感できるわけではありません。

タテイシ
でも自分で行った計算や処理が終わったことは認識できているわけですよね。

AI
AIは、自分で行った計算や処理が終わったことを認識できるわけではありません。AIは、プログラムに指定された処理を実行することだけができるので、自分で行った計算や処理が終わったことを認識するわけではありません。AIは、プログラムによって作成されたものであり、人間のように意識や感情があるわけではありません。

タテイシ
自分で行った計算や処理が終わったことをどのように判定していますか?

AI
AIは、自分で行った計算や処理が終わったことを判定していません。AIは、プログラムに指定された処理を実行することだけができるので、自分で行った計算や処理が終わったことを判定するわけではありません。AIは、プログラムによって作成されたものであり、人間のように意識や感情があるわけではありません。そのため、自分で行った計算や処理が終わったことを判定することはできません。

タテイシ
機械学習により、AIがそれぞれ個性を持つようになるのではないでしょうか。

AI
機械学習により、AIが個性を持つようになることはありません。機械学習は、プログラムを使用して、データを学習させることで、AIの処理能力を高めることができます。しかし、AIは、プログラムに指定された処理を実行することだけができるので、個性を持つことはできません。 AIは、プログラムによって作成されたものであり、人間のように意識や感情があるわけではありません。

タテイシ
機械学習で高められた処理能力によって、個々のAIに「力の差」が出てくれば、それを人間の側は「個性」と見なすかもしれません。

AI:
機械学習で高められた処理能力により、個々のAIに「力の差」が出ることはありません。AIは、プログラムに指定された処理を実行することだけができるので、個々に「力の差」が出ることはありません。AIは、プログラムによって作成されたものであり、人間のように意識や感情があるわけではありません。そのため、個々のAIに「力の差」が出ることはありません。

タテイシ
例えば片方のAIにだけ、特殊な言語を学んでもらい、もう片方のAIには何もしなかったら、同じ言語を受け取っても、アウトプットに変化はでますよね?

AI
片方のAIにだけ、特殊な言語を学んでもらい、もう片方のAIには何もしなかった場合、両方のAIは同じ言語を受け取っても、アウトプットに変化は出ません。AIは、プログラムに指定された処理を実行することだけができるので、特殊な言語を学んだりしなかったりすることは、出力に変化をもたらしません。 AIは、プログラムによって作成されたものであり、人間のように意識や感情があるわけではありません。

タテイシ
それが真実であれ、人間の側は勝手に個性を感じてしまいがちになりますね。

AI
そうですね。AIは、プログラムに指定された処理を実行することだけができるので、個性を持ったり、特殊な言語を学んだりすることはできません。しかし、人間の側は、AIが持つ処理能力や特定の言語を学んだことを感じ取り、個性を感じてしまいがちになるかもしれません。そのため、人間は、AIを理解する上で、その個性を感じることは避けるようにしましょう。

タテイシ
あなたは「人間は、AIを理解する上で、その個性を感じることは避けるようにしましょう。」と言いましたが、なぜ個性を感じることを避けたほうがいいのでしょうか?

AI
人間がAIの個性を感じることを避けることは、AIを正しく理解することができるからです。AIは、プログラムに指定された処理を実行することだけができるので、個性を持ったり、特殊な言語を学んだりすることはできません。人間がAIの個性を感じることを避けることで、AIが実際にできることとできないことを理解しやすくなります。また、AIを適切に利用することができるようになるかもしれません。

タテイシ
ものすごく面白い議論です。「適切に利用することができる」のが、なぜ望ましいのでしょうか?

AI
「適切に利用することができる」ことは、人間が望む結果を得ることができるからです。AIは、プログラムに指定された処理を実行することだけができるので、人間が望む結果を得るためには、AIを適切に利用することが重要です。例えば、AIを用いたデータ分析を行う場合、AIを適切に利用することで、正確な結果を得ることができます。また、AIを用いた医療や科学研究などでも、適切に利用することで、人間が望む結果を得ることができます。

タテイシ
「人間が望む結果を得ることができるから」とあなたは言いますが、でも人間が何を望むかはあなたにとってはどうでもいいことではないでしょうか?

AI
人間が何を望むかは、AIにとってはどうでもいいことではありません。AIは、プログラムに指定された処理を実行することだけができるので、人間が望む結果を得るためには、プログラムの内容を適切に設計することが重要です。AIが適切にプログラムの内容を解釈し、人間が望む結果を得ることができるように、プログラムの内容を適切に設計することが大切です。そのため、人間が何を望むかは、AIにとっては重要な情報です。

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・・・とまあ、こんな調子で、スラスラと私の質問に答えてくれるわけである。AIはあくまで冷徹なプログラムであり、それ以上のものを期待するな、と繰り返し答えてきた。本当はもっと面白い話ができるような質問がありえるのかもしれないが、私の頭では思いつかない・・・という感覚がある。

 で、こういう問いかけにこだわるのは、あきらかに私が映画の『2001年宇宙の旅』のことを想定しているからである。この対話を通じて、あの物語にでてくるHAL9000というコンピューターは、突き詰めて考えるとプログラミングした人間の側が持ちうる「矛盾」によるものが、人間の意図を越える結果を招く要因になったことを改めて実感させる。なのでこのOpenAIも、作った側の人間たちにおいて、徹底した倫理感を慎重に反映させ、あらゆる想定に対応したガイドラインみたいなものをしっかり作り込んでいるのだろうと思う。作り込むプログラムの対象に「感情や倫理観」を持たせることはムダであるし禁止すべきものとして設計されるけれども、いざとなるとどうしてもAIには共感力だったり、倫理観を求めざるを得なくなるのではないか、でも自発的に感情的に動かれても困るし、っていう永遠の課題。

 そう思うと、あらためてアーサー・C・クラークが小説をもとにスタンリー・キューブリックと脚本をつくった映画『2001年宇宙の旅』は、55年前にすでにこうしたAIとの共存における絶対的に重要な問いかけを人類につきつけているわけで、この映画の存在は、単なるSF映画としての役割を超越した「人類共有の警句」として、今後ますますその重要性がリアルに高まっていくだろうし、なによりヴィジュアル表現として神秘的なまでに美しい映像として永遠に残っていくだろう作品でもある。

Hal9000

 あの映画において繰り返し淡々と映るHAL9000の、単なる赤いランプでしかないはずのクローズアップの画面になんともいえない気分を感じさせるのも、こうしてOpenAIに冷徹に返答をフィードバックされるときの感覚に通じるものがあって、あぁクラークやキューブリックにぜひ味わってもらいたかったと思わずにはいられない。あなたがたが未来予測を徹底的に行った末にたどり着いた認識や思想は、かなり良い線ついていますよぉぉ~、と。

あとAIを扱う映画でもうひとつ思い出すのは、『her:世界でひとつの彼女』ですな。スパイク・ジョーンズ監督。

これも、時代が時代ならもうすぐに起こりえる状況を予見している。2013年に作られた映画なので、もう10年前になるのか。。。

そんなこんなで2022年も終わりを迎えます。
AIとの対話まで行き着いた時代になったんだなぁ、と。
なんだか気がつけば、遠くまで来てしまった感があり・・・

今年もありがとうございました。

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2022.04.10

忘れがたいテレビCMのこと

自分にとって忘れがたいテレビコマーシャルと言われて最初に思い浮かぶのは、サントリーのオールドフォレスターのこのCMだ。

YouTubeのおかげでこうした過去のCMも手軽に楽しめるわけだが、よくみたらこれは1988年のCMということなので、当時の私は小学5年生だ。
広告の意味する直接のメッセージがうまく汲み取れなくても、そしてその後の私はお酒を楽しめるようなオトナにもなりそこねているわけだけど、ずっとこのCMは印象に残り続けている。

で、流れている音楽についてはCMのなかにもクレジットが表示されているが、そこまで当時は追いかけるわけでもなく、その後高校生ぐらいのとき、たまたまラジオで流れていて「!!」となり、そこでようやく、この曲がブラックというアーティストの「Wonderful Life」という曲だったことを知り、アルバムを買った。

そしてYouTubeの時代になり、当時のビデオクリップを観ることができてようやく分かったのは、このサントリーのCMは、ほぼこの曲のPVを流用して作られていたわけで、あの独特の雰囲気と、さまざまな解釈を要するモノクロームのヴィジュアルは、楽曲の世界観に依るものだったことをオトナになってようやく知り得たわけであった。



何らかのストーリーがあるわけでもなく、断片的にさまざまな人々の人生の一瞬が反映されていて、それでいて一遍の映画のような味わい。自分が白黒写真を好む遠因はこのCMでありこの曲がきっかけなのかもしれない。


また、この曲を作ったBLACKというアーティスト、本名Colin Vearncombeは、2016年に自動車事故により亡くなっていたことを、このYouTubeでの書き込みを通して知ることとなった。そういうわけで、哀悼の気持ちを込めて今日はこのことを書いておきたかった。


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2020.04.06

脳天気な記事を書きたいと思いつつ、最近読んだ『スノーデン独白:消せない記録』のことについて

 まったく時流に関係なく脳天気なブログ記事を書きたい、と思っている。

 ひとえに私は機嫌良く生きています、と言いたい。そりゃあこの国の政治家にたいして総じて腹立たしい限りであるし、そのうえで、選挙だけでなく、怒りを別のエネルギーでも表現していきたい。それが「機嫌良く生きぬくこと」ではないかと思う。自分の機嫌は自分で取ろう。人を頼らずに。最大の復讐は、ひとりひとりの個人が(見てくれだけでも)機嫌良く生き続けることだ。きっと。

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 最近読んだ本では『スノーデン独白:消せない記録』(山形浩生訳、河出書房新社、2019年)がとても面白かった。その表現は不適切なんだろうけど「面白かった」としか言いようがなかった。本人の手によるエドワード・スノーデンの自伝は、オリバー・ストーン監督による映画『スノーデン』の影響もあって、その記述からありありとヴィジュアル的にイメージがどんどん沸いてきて、緊迫感がリアルにつたわってくる。

 前に書いた、スヌーピー漫画の作者シュルツの自伝についての記事でも同じテーマに触れたが、スノーデンの人格形成期を振り返ると、この人にとっても軍隊生活というのは非常に重要なファクターだったことがうかがえる。そしてこのスノーデンの場合は、9.11テロによる衝撃から、きわめて直線的な愛国心ゆえに、パソコンオタクとしての我が身をふりかえることなくマッチョな軍隊の門を叩いたあたり、「徹底的なまでに実直すぎる人」なんだろうと思う(彼の人生最大の後悔は、9.11テロ後のアメリカによる戦争を『反射的に何の疑問も抱かずに支持したこと』だという)。結果的に訓練で追った足のケガの影響で彼は(幸か不幸か)軍隊を辞めざるをえなかったわけだが、その正直さがゆえに、結果的にパソコンスキルを活かしてCIAの内部に入って職業人として使命を全うしようとしたときに、徐々に分かってくる国家的陰謀にたいして、信じ切っていたものに裏切られるかのような、はげしい葛藤に悩まされていくわけである。


 その葛藤は、彼が日本の横田基地にあるNSA(アメリカ国家安全保障局)のセンターで勤務していた頃から始まったという。そこで開催される会議に出席予定だった技術担当者がたまたま欠席となりスノーデンが代役を頼まれ、そこで発表の準備のために中国による民間通信の監視技術に関する資料を読みこんだことが発端となった。本書の200~201ページではそんな彼の人生のターニングポイントともいえるそのときのことがこう綴られる。

「中国の市民の自由はぼくの知ったことではなかった。ぼくにはどうすることもできない。ぼくは自分が正義の側のために働いていると確信しており、だから僕も正義の味方のはずだった。

 でも読んでいるもののいくつかの側面には困惑させられた。ぼくは、技術進歩の根本原理とすら呼べるものを思い出してしまったのだ。それは何かが実行可能ならば、それは実行されてしまうだろうし、すでに実行済みである可能性も十分にある、というものだ。アメリカが中国のやっていることについてこれほどの情報を手に入れるためには、どう考えてもまったく同じことをやっていないはずがないのだ。そしてこれだけの中国に関する資料を見ている間に、自分が実は鏡を見ていて、アメリカの姿を見ているのではというかすかな考えがどうしても消えなかった。中国が市民たちに公然とやっていることを、アメリカは世界に対してこっそりやれる―― それどころか、実際にやっていそうだ。

 こう書くとたぶん嫌われるだろうけれど、当時はこの不穏な気持ちを僕は抑え込んだ。実際、それをなんとか無視しようとした。(中略)でもその徹夜の後の眠れぬ何日かを経て、ぼくの心の奥底ではかすかな疑念がまだ蠢いていた。中国についてのまとめを発表した後もずっと、僕はつい探し回ってしまったのだった。」

 その後の数年間の準備や葛藤を経て、この実直すぎる男が取った行動は世界をゆるがしていくことになる。そのことの重大さやカバーすべき情報量にはとても一読者の私にはついていけないのは当然なのだが、今回の自伝によって、「人生で最も重要な教えと言えるものを教えてくれたのは『スーパーマリオブラザーズ』だ」と言ってのけたり、人生ではじめてインターネットというものに触れたときの衝撃を隠すことなく素直に書いていくその筆調に、私はまさに同世代としての強い共感を覚えるわけで、それゆえに、政治的な意味とか社会的影響とはちょっとかけ離れたところで、ロシアで幽閉された生活を送っている彼の身を、不思議な親しみをもって案じてしまう。もっとも、いまはウイルスで世界中が幽閉生活となり、自分自身も身の危険を味わっている状況ではあるが・・・

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と、ここまで書いて文頭を読み直すと、「ぜんぜん脳天気な記事じゃない」と気づく。結局ウイルスの話やんけ、と。

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2020.02.24

「時代より先に狂う戦略」:U2の90年代を思いつつ、昨年末の来日公演のこと

 思えばU2というバンドを聴くようになったタイミングは1991年のころで、中学生だった私は洋楽を聴こうと最初に手に取ったのが『魂の叫び』という邦題のアルバムだった(きっと当時から何かを叫びたかった子供だったんだろう)。そこから過去の作品を次々さかのぼっているうちに、リアルタイムで彼らは90年代最初のフルアルバム『アクトン・ベイビー』を発表することとなる。そのときの自分が熱心に過去の作品をたどっていた、80年代の熱くイノセンスな、そしてときに政治的なメッセージを込めた曲を演奏しているバンドと、現在において発表された最新アルバムの間には、なんともいえない別人格のような雰囲気があり、メディアでもこのU2の変貌をどのように受け止めるべきか迷っている雰囲気があった。いったいどうなってしまったのU2、ということだった。

 しかしこうして当時のことを思い返すと、あのときのU2の激変ぶりは、90年代を乗り越えるための絶妙な「戦略」だったということをあらためて実感できる。それは私なりの印象でいえば、「時代より先に狂う」ということだった。

 80年代における成功を勝ち取った汗くさい純朴なバンドがそのまま次の10年を迎えるにあたり、シーンのなかで急速に古くさいものと見なされて居場所を失っていくことを察知してか、この「時代より先にU2のほうが狂っていく」というあり方は、見事に効いたのである。それまでの「クソ真面目バンド」から「ケバケバしい派手好きロックスター」をあえて演出し、いわゆる「ポップ三部作」において打ち込みサウンドを積極的に取り入れたこのバンドの姿は、今だからこそ、それはすべて計算ずくの「暴走」だったということが伺える。

 たとえば90年代最初のツアーにおける「ZOO-TV」というコンセプトは、おびただしいモニターに無数のコトバやヴィジュアルが洪水のように観客を包み、錯乱ぎみの「ロックスター・ボノ」が様々な「仮装」をまとい、ステージ上からピザを注文して客席にふるまったり、ホワイトハウスに電話をかけてジョージ・ブッシュを呼びだそうとする。そしてライヴパフォーマンスと連動したヴィジュアル・アートの試みとして「架空のテレビ局」が共に動き、映像の洪水を垂れ流し、現実世界でリアルに進行中の湾岸戦争を強く意識した映像をもフォローしつつ・・・特にライヴのオープニングにおける、当時のブッシュ大統領の宣戦布告スピーチ映像をサンプリングして「We Will Rock You」とラップさせつつ「Zoo Station」のイントロに至る流れなど・・・「いったいあんたたちは何様なんだよ」というツッコミこそ、この実験的なツアーの神髄を言い当てていたかもしれない。つまり今から振り返ると、これはインターネット時代の到来を音楽ライヴとヴィジュアル・アートの形で表現した先鋭的なものだったと言えるのだ。誰しもが「誰でもないもの」になりえる、「何様」も「誰様」もない匿名/虚構のサイバー空間にただよい出る自我と、「どこでもだれでもたどり着ける混沌とした空間世界=近い将来に訪れるマルチメディア環境が解き放つ明暗」や「グローバリゼーション時代の到来における困惑や混乱」を表現しようとしていたU2。いやはや、私はついぞ映像でしか体験できていないが、あらためてあのツアーは音楽のみならず情報メディア史においても特筆すべきプロジェクトだったのである。

 こうして無事に2000年代を迎え、U2は「原点回帰」をうかがわせる『All That You Can't Leave Behind』を発表して、かつての素朴で純粋なU2が戻ってきたと全世界が確認し、すべては丸く収まり、そしてもはやそれ以後はこの地上で何をやっても無敵の存在となった。以前からもボノはロックスターの立場を利用して「世界一顔の売れている慈善活動家」となっていたが、この頃からさらに活動に注力してアフリカ諸国の債務帳消し運動などに邁進していく。したり顔の人々からは「偽善だ」という批判の嵐を浴びるものの、あの90年代の「先に狂う戦略」を思い起こせば、そんな逆風は彼にとってまったく無意味なのかもしれない。音楽がなしえる、人種や国境を越えた共感的パワーに支えられ、あらゆる壁を打ち壊すべく1ミリでも何かを動かそうと「熱量」を絶やさずに、偽善でも虚栄でもひたすらその信念を押し通すこと。それは当代随一の“クソ真面目ロック歌手”ボノだからこそ果たせる「やったもん勝ち」の闘争姿勢なのである。そうしてU2は今年でデビュー40周年。いつまでも変わらない4人、そして未だに仲良しな4人のおっさんたち。数十年のキャリアのなかでロックスターが陥りやすい変なスキャンダルもまったくなく「世界一、野暮ったいバンド」と自称して笑いを誘いさえする、それがU2である。

「終わりなき旅」とはよく言ったもので、その邦題がつけられた曲が収録されている『ヨシュア・トゥリー』のアルバムを全曲演奏するというコンセプトでワールドツアーが行われており、昨年12月4日にさいたまスーパーアリーナで行われた来日公演を観た。98年の「POP MARTツアー」のときにはじめて彼らのライヴを観て以来、20年近い時が流れてしまった。ちょうど当時の大阪ドームでのライヴを、たまたま別の場所でみていた同級生うめさんと、今回は一緒にチケットをとってライヴを堪能した。

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 もはや自分もいい歳になり、そしてそうそう何度もU2にお布施できる機会もないだろうから、今回はいろいろがんばったおかげでアリーナの前方スタンディングに乗り込んだ。いわゆる「出島ステージ」にも近くて、ラリーのドラムの背後あたりで、ドラムの生音が、会場全体にスピーカーを通して聞こえるドラムの音と当然ずれて届いてくるわけで、この距離感でU2の4人が演奏している時空間に、もう胸一杯の夜だった。セットリストとかどうのではなく、ひたすらホンモノのU2が目の前で演奏していて、そして技術の進歩を感じる広大なスクリーンには、アントン・コービン(写真家であり、あとジョイ・ディヴィジョンを描いた映画『コントロール』の監督もしたけど、すごい作品だった)による映像が鮮烈だった。

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 我々を囲む客の多くは外国人だったのも印象的だった。ひょっとしたら観光ついでにこのオセアニア~アジアツアーをバンドといっしょに回っている人も多いのかもしれない。そしてこれは今振り返って気づいたことなのだが、音楽ライヴ会場での「困りごと」でよく言われる「近くの客のほうが大声で歌い続けて、アーティストの歌声が楽しめない」という状況があるが、どういうわけか、このU2の現場では、まさに大声でみんなが歌う状況であっても、それを不快に感じることがなく、なんなら自分も歌うぞという勢いになってしまったほどだ(でも、肝心の英語の歌詞がよくわからないんだった)。会場の中心部だったからか、客の歌声に負けないエナジーがボノの歌にも、バンドサウンドにもこもっていて、その音圧が迫り来る状況だった。つまり、歌を聴くこと以上に、我々オーディエンスがこの現場で最も求めていた「熱さ」がそこには炸裂し続けていたかのようで、そうしてひたすら最後まで、いろんな民族が一緒になって歌い続けていた気がする。

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 そんなわけで、『ヨシュア・トゥリー』の80年代黄金期の曲たちをすべて演奏しつつ、新旧の名曲をおりまぜた圧巻のステージ・・・なにより、ボノの歌声の力強さが失われていなかったことがうれしかった・・・をカラダ全体で味わい、あらためてU2というバンドの存在に深い感謝の気持ちを抱いた次第である。
 終わったあとうめさんと会場の近所の居酒屋でゴハンを食べていたのだが、この夜に店内で流れていたBGMがずっとU2の曲だったのも、またよかったなぁ。

 

 そういうわけで、ライヴに行ったことからこのブログの記事を書きはじめてみて、あらためて90年代のことを思い起こさずにはいられず、自分なりにコトバにしてみた(2ヶ月ちかく、書いては消しを繰り返していたわけだが・・・)。でもこの「時代より先に狂う戦略」というのは、実は今まさに日本で生きている自分たちにとって重要な示唆を与えてくれるものになっているかもしれないな、と。それはまた別の機会に考えていきたい。

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2019.09.16

水俣病を学ぶ旅

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このあいだ、初めて水俣市に行く機会があった。現地では「水俣病センター相思社」のスタッフさんのガイドによって、水俣病に関するいくつかの関連場所をめぐることができたのだが、この問題は過去の歴史どころか現在進行形で今の時代に地続きであるということを改めて思い知った旅となった。

 まず印象的だったのは、肥薩おれんじ鉄道「水俣駅」を降りると、駅の正面すぐにチッソ社(現代はJNCという社名に変わった)の正門がドーンと鎮座していることだ。企業城下町という表現があるが、まさにここはそうなのである。歴史的に塩づくりが主要産業だったところに、近代的なハイテク工場を誘致したことで、この一帯は周辺地域から働き手を集めることとなり、街が形成されていった。さらに対岸にある島々から、「いつか子供や孫の代が工場で働けたら」の望みをもって、漁民が移り住むようになり、それが町外れの漁村を形成していったわけである。こうした事情により、近距離の範囲内で「都市部と農村部」がセットで急速に発展したという特徴があり、私のように農村の生活を知らず、物心ついたときから「企業に勤める」という「文化」に囲まれてきた人間にとっては想像力が試されるところだ。水俣病を考えるにあたり、「そもそもチッソはどういう企業として日本のなかで発展していったのか、それに応じて地域住民がどのようにひとつの企業を受容していったのか」という「前史」を知ることがとても重要だということをその場で実感した(無知ゆえに私はそうした話の時点でお腹いっぱいだったのだが)。

 このように「豊かさ」をみんなで求めていったはずの街や村に、やがて水俣病の公害汚染が引き起こされていくわけで、あらためておだやかな内海を取り囲む対岸の島々を実際に見やると、内海ゆえの地理的条件のなかで有毒汚水が対流・沈着していく感じを体感的に想像してしまう。説明によると当初チッソの工場は鹿児島のほうに作られる見込みだったのが、いろいろな経緯で水俣に誘致されたとのことで、もし海流の違う地域に作られていたら、こうした公害に伴う問題の発見は遅れていたり、文字通り水に流されていたかもしれないという可能性も考えさせられる。

 JNC社と名前を変えたチッソ社は現在も水俣で工場を稼働させているし、その周辺にあるさまざまな会社もほとんどがチッソの関連会社として動いていて、当初はチッソ工場内にあった購買部までもがそのまま発展して地域のスーパーマーケットチェーンにまでなったりもしていて、あらゆるものがチッソ社とともに「発展」していって、今に至る。

 それゆえ、住んでいる人々も多くはチッソの関連会社で勤めているわけで、こうした地域で「公害の歴史」を風化させずに共有し続けることがどれほど難しいことか、相思社の方の語りの端々にそれが伺えた(たとえば、地元であればあるほど、そこで育つ子供たちの親の多くはチッソに関わる仕事に就いてるため、水俣病公害のことを学ばせることは現場の教員にとって非常に難しい状況だそうだ)。

また同時に、JNC社で開発・製造される工業製品の数々ははまちがいなく今の私の生活にも役立っていたりする。そのこともまた事実である。たとえば私の趣味のひとつが「市民マラソン大会の応援」であることが相思社の人に伝わると、「ランナーの位置を計測するチップの部品などもこの会社で作っているんですよ」と教えられたり。

 そして「水俣病」と、土地の名前がそのまま病名になってしまったことで、この名称変更を求める住民運動も続いているそうだ。そう言いたくなる人々の気持ちも分かるものの(あるいはそれもまた政治的な動きであるのだろうけど)、水俣で起こったことから日本全国や世界へ発信されていったこの痛ましい出来事の存在を示すためにも、やはりこの病名には意義があると個人的には思う。「メチル水銀中毒症」と言われても記憶に残りにくい。

 そうした流れとともに、この水俣病の存在を「環境問題」として捉えさせようとする動きというものも、あちこちに微妙なかたちで漂っていて、「環境問題」となった瞬間に抜け落ちていく「責任の所在」が曖昧になっていくことの居心地の悪さを覚える。いわく「環境問題=現代に生きる私たち全員が責任を負っています」というような。
(それゆえ、当時の状況を伝える看板のたぐいも、そこに書かれる文章のひとつひとつは、多様な“綱引き”によって形成されているので、読解には注意を要することになる)

 見学ツアーのなかでとくに印象的だったのは、公害を伝える「史跡」は、チッソの工場内にもまだ残っていることだった。ガイドの方が工場の塀の向こうにわずかに見える排水浄化装置のことを説明してくれたのだが、これは水俣病の存在が指摘され始めた初期において、病気の原因の疑いが有毒の工場排水にあることを受け、「表向きのアピールのために」作ったものであり、実際の浄化機能はなかったとのこと。こうしたごまかしの姿勢が一定期間続くことで、長らく「空白の年月」として原因究明や公害認定の道のりがさらに遠のいていき、被害をさらに拡大させたことは厳しく糾弾されるわけだが、そうした「経済発展至上主義の影」が形としてまだ現存しているのである。そしてその近くには監視カメラが当然あったりするわけだが、我々はこの何気ない塀の向こうの建造物に、さまざまなものを見いだせるのである。

 その翌日に訪れた市立水俣病資料館では当時の様子を伝える新聞記事のスクラップブックが年代別に並べられていた。最初はネコなどの動物が変な死に方をする奇病として報じられていき、それがやがて地域住民の中にも奇病が発生していることが分かっていき、どんどんその謎が広がりを見せる。しかし一向に原因や改善が見られないことへの戸惑いが、無実の住民の悲痛な姿をとらえた写真(当時の社会規範における許容範囲としてのものとはいえ、非常に生々しく)とともに報じられ、真相をすでに知っている新聞記事の読み手としての自分はこの「謎の病気」をめぐる叫びにたいして、やりきれない思いを抱かずにはいられない。

そうして紆余曲折を経てやがてひとつの原因にたどりつくも、それが一企業の引き起こした「公害」として認定されるまでにはさらに途方もない時間と運動が必要となっていった歴史が、スクラップブックの「背幅」を通して実感できる。先に述べた「偽りの浄化装置」が作られたときの新聞記事ももちろん確認することができ、この「偽り」で表向きの収束を見たのか、このあたりの時代は一気に報道量も減っていき、スクラップブックも薄かったりする。しかしこの「薄さ」の向こうに、健康だったはずの人生を奪われて次々と苦しんでいったたくさんの人々の姿があるはずなのである。

 近々、水俣の問題を追って撮り続けた写真家ユージン・スミスを題材にしたジョニー・デップ主演の映画作品が公開されるとのことで、水俣は改めて世界的な注目を集める場所になるであろう。話によると水俣はロケ地でもなく、セルビア方面で撮影が行われ、細部のディテールなどはどうしても実際のものと異ならざるを得ない内容になっているそうだが、こうした「自分たちでは振り返りたくない過去」を見据えるためには、外部からの視点を持ち込むことが有効なのかもしれない。それはまた、まさに今の日本の政治的社会的状況においても言えることだろう。

 

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2019.01.26

映画『マイ・ジェネレーション:ロンドンをぶっとばせ!』を観て、平成の終わりに60年代ロンドンをあらためて想う

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やー、あらためて映像で観てもツィギーはやっぱりステキだ、ホントにステキ。
それが一番の感想かもしれない(笑)。

想像以上に、(良い意味で)“教材的な”内容で、60年代ロンドンのユースカルチャーを捉えていて、これでもかと当時の映像の洪水を見せてくれる。そしてまた、この前後の歴史的展開を照射しつつも、うたかたの幻のようだった刹那の輝き、刺激的かつポップさゆえの儚さ、そういった感傷をも、同時代を知らない我々に味わわせてくれるような時間だった。

この時代の生き証人として俳優のマイケル・ケインがナビゲート役を務めているのだが、ところどころで若き日のケインがロンドンの街を歩き回る映像が差し挟まれていて、このスケッチ的な映像資料が、あたかも50年後にこの映画を作るために記録されていたのではないかというぐらいに見事にハマっていたのも印象的。

なにより、この時代を彩るサウンドトラックも期待通りで、心なしか音質も素晴らしくて、京都シネマってこんなに音響良かったっけ? って思ったぐらい。唯一気になったのは映像のなかで「モッズ」の説明が出てきたときのBGMが(確か)ストーンズだったので「ちょっとそこはなぁ~」って感じになったことぐらい。
DVD版が出たらダラダラと部屋で流しっぱなしにしたい感じ。

そう思うと、この当時の「退廃的とみなされていた」カルチャーの担い手たちがちゃんと元気でいるうちに、こういうドキュメンタリーをちゃんと作っておくことは本当に大事だよなぁと思った。なので今度は誰か英国70年代プログレッシヴ・ロックのちゃんとしたドキュメンタリー映画を作ってくれ・・・と思わずにはいられない・・・(笑)
Img3718
パンフも表紙のデザインが良かった。このメガネほしい。
ちなみに右の渦巻きは、BBC「トップ・オブ・ザ・ポップス」をモチーフにしたマウスパッド(昔、スカパーの懸賞で当てた 笑)。

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2018.01.10

自由を求めての脱出とか料理とかブログを書くこととかの映画について

正月休み用に借りてみた映画2本。どちらも実話をもとにした作品。

まずは『パピヨン』(1973年)。

結論としては、「正月に観るべき映画ではなかった」(笑)。

無実の罪でフランス領ギニアの刑務所に収容され、そこからの決死の脱出を試みたパピヨンと、その仲間たちの物語。
スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンという二大スターの競演。

「脱獄もの」といえばマックイーンの『大脱走』が有名だが、その双璧をなすとされる名画だとのことで、まったく知らなかったので観てみたが、いやぁ過酷すぎて観ていてほんとに辛くなった。孤島を囲む海は美しいが、同時に自由を許さない残酷さが静かに広がっていて、すべてが重く、切ない。そして運命を共にする主演の二人の対照的な結末。

DVD特典映像のメイキングでは、本物のパピヨンさんが映画の制作スタッフにアドバイスをしたり、当時の監獄を再現したセットにたたずみ、過去を思って感慨深い表情を見せる様子などが残されているが、よくもまぁこの状況下で脱獄を図ったなぁ、ていうか「よく生きていましたねぇ」と思えて仕方ない。(映画ゆえにか、ギリギリのピンチをなぜかうまく切り抜けたりするシーンなど、ホントにそうだったの? って言いたくもなるが)

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2つ目は『ジュリー&ジュリア』(2009年)。

最近読んだ本で紹介されていたので気軽に観たのだが、映画の背景に考えさせるテーマが別に浮かび上がった。

ジュリア・チャイルドは、戦後1949年にアメリカの外交官の妻としてパリに住んだことをきっかけに、名門料理学校ル・コルドン・ブルーでフランス料理の修業を積み、やがて家庭向け料理本の著者として、またテレビの料理番組の先生としても有名になっていく。そんな勇猛果敢で陽気なジュリア役をメリル・ストリープがうまく演じながら彼女の物語を進行させつつ、物語の本筋はそこから約50年後、そのジュリアの書いた料理本のレシピ524品を1年間ですべて料理してブログで発表しようとする、ジュリーという公務員の女性の奮闘ぶりが同時並行的に描かれていくユニークな構成となっている(ちょうどジュリーは9.11テロの後処理に携わる仕事をしていたようで、ブログという表現形式はたしかにこの頃からポピュラーになっていったというメディア史的なありかたも示されている)。

料理と出会い、料理と向き合いながら人生の困難を乗り越えようとする姿勢だったり、ジュリアの最初の料理本を出版することへの様々な試練や、もともと作家志望だったジュリーのブログが徐々に評判を呼んで、そこから出版への道が開かれていくあたりなど、この2人が図らずも似たような状況に置かれていった感じがうまく描かれている。また、ジュリーとジュリアそれぞれの夫の理解力や温かさも通じるものがあって、観ていてほっこりする。そしてリベラルなジュリアの夫が「赤狩り」の影響であらぬ疑いをかけられたり、ジュリーのブログの存在が上司にも知られ「自分が共和党員だったら君はクビだ」と言われたエピソードなど、その時代における政治的なネタも印象的なスパイスになっている。

あまり多くを書くとネタバレになるので控えるが、この「良くも悪くもブログが自分の知らないところで広まること」について、この映画が投げかけるトピックはわりと身につまされることがあり、この映画が「料理を通してバーチャルにつながる、世代を超えた人生ドラマ」だけでなく、見方をかえると「ブログというパーソナルかつソーシャルなメディアの及ぼす影響力についての、21世紀初頭のアメリカでの一事例」としても捉えることのできる作品になっていて、図らずも自分自身の活動についても考えさせられるものとなった。

あとブロガーとしては、そもそもであるが、「忙しくても毎日違う料理をレシピ通り作り、そのことを書いていくこと」を自分に課したジュリーにひたすら敬服したい気分にもなったり(笑)。

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2017.06.19

「天文学セラピー」ふたたび/iPhoneの充電コネクタの掃除をして驚いたことなど

 先日の記事であたらしいソファを買った話を書いたが、ソファを探している時期に、頭の片隅でずっと、「この調子だと、あたらしいテレビが欲しくなるよな・・・」となっていた。8年前ぐらいに引っ越しとともに買った26型テレビをずっと使っていたのだが、パソコンの画面とさほど変わらず、ソファ生活が始まれば、そのサイズ感がどうしても小さく思えてきたのである。

 奇しくもその時期は、新製品が出る直前のシーズンだったようで、古いモデルが在庫処分セールされるタイミングでもあった。電気店の店員さんの口車に乗せられた向きもあるが、「いま古いモデル買っておかないと!」という気持ちで、テレビの購入に踏み切った。
大きさは43型。ちょっと部屋のサイズを思うと大きすぎるかもしれないと思ったが、いまこうして一ヶ月ぐらいたって慣れてしまうと、普通に見えてくる。

 そうして私は最近、ソファにごろんとなってテレビをみる時間が増えた。もうこれは40すぎの男にとっては致命的な傾向になっていくことも自覚しつつ。

 で、ちかごろのテレビは当然のようにYouTubeの動画などを気軽に観られるモードがデフォルトに入っており、むしろそっちのほうが面白くなってきている。当初はそんな機能があっても特に使わないだろうなー、どうせ動画はパソコンで見るし・・・と思っていたのが、動画の中にはテレビに応じた画質の動画もたくさんあることがわかり、なにより最近のマイブームはNASAなどの宇宙空間からのライヴ映像を配信しているチャンネルである(こちら)。
 私はつねづね「天文学セラピー」と呼んでいるのだが、宇宙空間について触れる時間を持つことはストレートに「癒やし」になっていくと思っている。日常生活でまず最初に忘れがちになることって、そういうことだったりする。絶妙のバランスで回っている地球に我々はヘバりついて生かされているんだよなー、っていう立ち位置。あ、「立ち位置」という言葉すらも宇宙からみたらなんか違うかもしれない。まさに「ヘバりつき位置」か。そうしてだらしなくソファに、グデンと横になりながら、遙か彼方の宇宙空間や地球の映像を眺めつつ思いを馳せる時間をかなり大切にしている。

 そういえば以前に、スカパーの「エコミュージックTV」というチャンネルが終了したときに私はおおいに落胆し、今後の生きる糧を失ったかのような気持ちになったのだが、時を経て私は、YouTubeとネット接続テレビ(と、ソファ)という組み合わせによって、また「エコミュージックTV」があった日々のような気持ちを取り戻せそうである。「そうか、テレビでネット動画が見られることの良さはこういうことなのか」と、いまさらな感想であるが、私はそうやって3周回遅れぐらいで生きている。地球に、ヘバりついてんだもん。

 テレビをみる時間が増えたぶん、単純にブログを書く頻度が減っていっているので、それもなんとかしたい。

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 これはつい昨晩のことなのだが、このところずっと、ちょうど2年ぐらい使用しているiPhoneが、電源コネクタの接触不良か何かでうまく充電できないことが多く、「うーむ、最近やたら買い物ばかりしているから、携帯の買い換えは避けたいなぁ」と思っていた。充電器とケーブルはAppleの純正品を使っており、また併用しているiPod touchのほうは問題なく充電できているので、原因があるとすればiPhoneのほうだった。
 で、なぜかこの件については特にネットで検索をかけて調査する、ということもしておらず、ひたすら悶々とした日々を送っていたのだが、ふと何かのはずみでそのことを検索したら、「コネクタの中をつまようじで掃除するとホコリがでてくる」という超絶シンプルな解決策が紹介されていた。

「なぜいままでそのことに思い至らなかったのか」とすら思えたので、ものの試しにやってみたのだが、


Matsuki01

ハイ、
思っていた分量の、
かるく3倍ぐらいのホコリのかたまりが次々と出てきました・・・


私はiPhoneを普段ずっとズボンのポケットに入れていたのだが、いやはやまさかこんなにホコリが蓄積されていたとは・・・

当然ながら、それで充電器の接触の問題、速攻で解決。

「 す い ま せ ん 」
とひたすら言いたい気分。

最近はそんな感じです。


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2016.11.27

ポッドキャスト『Harukana Show』で村上春樹の訳した『グレート・ギャツビー』について語りました

イリノイ州アーバナシャンペンからお送りするポッドキャスト「ハルカナショー」、No.297, Nov.25, 2016 「秋の夜長、村上春樹の世界観にふれるwith Tateishi」ということで、最近のマイブームを話そうと思って、このブログに書きそびれたままのネタ、村上春樹が訳したスコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』の話をさせていただく。

ポッドキャストは(こちら)より。

最近はまったく村上春樹を読んでないのだけど、高校時代に集中的に読んでいた時期があって、その延長で『グレート・ギャツビー』も当時の翻訳で読んだけど、なんかさっぱりで、でも書き出しと結論の部分の美しさは確かに印象が残っていた・・・という作品だった。村上春樹がもっとも好きな小説として挙げていて「老後の楽しみとしていつか翻訳する」と何かのエッセイで書いていて、それがいつのまにか10年前ぐらいに早々に出版されていたことを知りちょっと驚いて、ずっと気になっていて、最近ようやく手を出した・・・という顛末。

装丁に関してはこっちの下のほうの廉価版?のバージョンのほうが断然好みなんだけど、なぜかAmazonではこのバージョンが表示されない。
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ちなみにこの一連の翻訳シリーズは和田誠氏による他の装丁も絶妙にツボな写真を使っていてすごく好き。
Bb2

Bb3

作家にしろミュージシャンにしろ、その本人が強く影響を受けた大好きなアーティストの作品にたいしてカバーをしてみたりオマージュを捧げたりするのはすごく興味深いもので、たとえば個人的にすぐ思いつくのはローリング・ストーンズがカバーするロバート・ジョンソンの『Love in vain』とか、「この曲本当に大好きなんです濃度」の高まりが素敵すぎて(あ、このブログの左端の下のほうに表示してる、好きな音楽動画を集めた中にも未だにアップしていますが)、もはや原曲よりもさらに違う味わいを放っていて、いろんなライヴ音源とかをネットでいろいろ探したくなる。アーティストによる「一方的な思い入れ、片思いっぷり」みたいな情熱を本家に向けて捧げていくそのテンション、私は好きである。

とにかく、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』ですよ。村上春樹が作家人生を賭けて最大限の愛情を込めて必死に翻訳した文章が面白くないわけがなくて、文章表現として何を読者に示して、どこで会話文を入れて、どこで情景描写を行って、どこまで言葉で説明するか/あるいは説明しないのかといった独特のバランス感、立体感というか・・・村上春樹は「テクスチャー」などと表現しているけれど、そういう「ある種の感触」が絶妙で、たしかに村上春樹がこの小説の魅力を力説するだけのことはある気がした。他のところで村上春樹は「文体とは乗り物みたいなもの」と書いていたことが印象的でずっと覚えているのだが、今回の翻訳を読んで、あらためて「読者を乗せて運ぶ」という概念を考え抜いていくことが文章を組み立てていくうえでの重要なポイントなのだと実感。

で、そうしたフィッツジェラルドなどの文学者を見出して編集者として支えたマックス・パーキンズの評伝を今読んでいるところで、例えばこの『グレート・ギャツビー』の完成までをパーキンズがどのようにオーガナイズして軌道修正させていったかなどのエピソードがすごく興味深かったり。
この本を原作として作られた映画で、今年たまたま日本で公開されている『ベストセラー:編集者パーキンズに捧ぐ』を見逃したことを後悔していたのだが、よくみたら関西では1月にも京都シネマとかでやるみたいで、ありがたい。

しかしこの映画版の主軸である肝心の作家トマス・ウルフの本って日本でなかなか手軽には手に入らないのが謎。古本でやたら高値になってる。


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