Posts categorized "音楽"

2017.06.24

「世界を変えたレコード展」@グランフロント大阪

「ぜひ行ってみてほしい」とMSK氏に薦められてて、今日たまたま梅田に立ち寄ることができたので、グランフロント大阪のナレッジキャピタル・イベントラボにて開催中の「世界を変えたレコード展:レコードコレクションからたどるポピュラーミュージックの歴史」にいってきた。

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まったく知らなかったのだが、金沢工業大学では「ポピュラー・ミュージック・コレクション」というアナログレコード等のアーカイブが設置されていて、多様な側面からポピュラー・ミュージックの歴史的/芸術的視点に触れることができるようである。

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たくさんの貴重なレコードだけでなく、当時の時代背景を物語る資料などもいくつか展示されているのだが、とりわけ面白いと思えたのは、19世紀末から現在に至る巨大な歴史年表だった。

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今回の展示はたしかに図録集みたいなものを作ることは無理なのだろうけれど、せめてこの年表だけでも資料化して販売してもいいぐらいだと思えた。私なら買いたくなる。見終わったあとで受付の人に聞いたら、金沢工大の学生さんたちが制作した年表だそう。ちょいちょい興味深いエピソードなどもうまく書き込まれていて、読ませる年表になっている。

そして何より私のテンションを上げてくれたのは、最後の最後に設置されていた「顔ハメ」ならぬ、「そこで座って写真を撮ってください」という・・・

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ピンク・フロイドの「ウマグマ」のジャケット参加型記念撮影スポット!!

たまたま今ピンク・フロイドの本を読み返していて、この家のことが登場していた箇所を読んだばかりのところだったのでタイムリーだった。(ジャケット・デザインでおなじみの『ヒプノシス』のストーム・ソーガソンのガールフレンドのお父さんが田舎に持っていた家で、デビュー前にフロイドのメンバーたちや無名時代のポール・サイモンがここで行われたイベントで演奏を行ったこともあったそう)

このシュールな設定に感銘を受け、あいにく1人で来ていたから、係員のお姉さんに頼んでシャッターを押してもらう。

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やー、これはうれしかった(笑)。足の置き方もちゃんとギルモアに揃えてみたり。気合い入りすぎて肩に力入っているのが惜しい(笑)
このネタ考えた人には何か一杯おごりたい気持ち。まさかこんなオチに出会えるとは・・・入場無料で、7月23日まで開催中。

あ、テクニクスのレコードプレーヤーが設置されているコーナーもあって、たまたまそのときはロキシー・ミュージックの『アヴァロン』がヘッドホンで聴けるようになっていたのだけど、改めてアナログレコードの音の深みが味わえたのも貴重だった。うっかり手を出したら泥沼の趣味になりそうだが・・・


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2017.05.28

準備風景そのものも、ひとつのアート的な風情(ピンク・フロイド回顧展@V&A博物館)

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ジワジワくる(笑)。

この5月にはじまったロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館でのピンク・フロイド回顧展、その準備作業についての記事(こちら)をたまたまみつけたのである。

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この『Division Bell』のアルバムジャケットのこの頭のモチーフ、この現物を展示するというネタ。

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「ムギュ~~!」って感じ(笑)

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てなわけで、こんな感じでバンドのデビュー50周年回顧展が10月まで繰り広げられている模様。

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そもそもこの企画が昨年発表されたときのプレス向けイベントのときから、豚を飛ばしたりしてシュールさ全開。

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というわけで、常に謎めいた存在でありつつ、公式的には続いているロックバンド(実質的には終わっているんだろうけど)の50周年イベント、おめでとうございます。

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2017.05.27

「生活学校」とか「狂気」とか「HP」とか(なんのこっちゃ)

 奈良の名物カフェ「くるみの木」がプロデュースしている、奈良町の「鹿の舟」で「生活学校」というのがあって、「誠光社」を立ち上げた堀部さんが講師の「よむ」というのがあるとA氏から教えていただき、参加した。最近はこういう催しに参加することがなかなかできておらず、そして堀部さんにはかつて『DIY TRIP』のZINEに関していろいろとお世話になりつつ、そして京都に住んでいながら実はまだ誠光社にすら行っていないという不義理もあったので、この機会にお目にかかれてよかった。

 都合により初日のプログラムしか参加していないのだが、その日の午後のメインテーマがサリンジャーについていろんな角度で解説してもらう内容で、いろいろ知らなかったことを学ぶことができ、なんだか「堀部先生の演習ゼミ」みたいな雰囲気を楽しむ。ちなみに年齢幅がわりとあったはずの聴講者12名ぐらいのなかで、『ライ麦畑でつかまえて』を読んだことのある人・・・で、自分だけが手を挙げていた。堀部さんにとっても意外だったみたいで。ちなみに堀部さんは僕と同い年である。おたがい、適切に「こじらせ」ていたんだろうな、若い頃。
 初夏を思わせる陽射しと、和室を通り抜ける風のさわやかさが身に残る、静かな午後を過ごした。

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 こじらせ、といえば。
 高校生ぐらいのときは何度聴いてもあまりピンとこなかったピンク・フロイド『狂気』だが、たとえばこんな日の朝に通勤途中で歩きながら聴いていてラストの『Eclipse』にさしかかったとき、ふいにどういうわけか急に目頭が熱くなるような感じになって、それは歳を重ねてようやく『狂気』の描く普遍的なテーマ性を理解できるようになったからなのか、単に人生に疲れて精神的にまいっている40オヤジになっただけなのか。それはともかく、いまひたすらピンク・フロイドを聴きまくっている。

 ちなみにこの13年ちかく続くブログの歴史上もっともツイッター界隈で反響を読んだ記事のひとつは、ピンク・フロイドの評伝本についてのネタ、「本を読んでいて久しぶりに心底驚いたこと」(こちら)なのであるが、最近になってこの本の「下巻」をようやく読み終えた次第。つまりそれだけ後期フロイドには関心がなかったのだが、それも加齢とともに変わってきていて、最近は『ザ・ウォール』とかも体になじんできたところ。

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 自宅のパソコンがいよいよヤバい感じになってきたので、買い換えの決断を下す。訪れた電気店でヒューレット・パッカードのオーダーメイドPCを検討していたときに、HPの担当者の人がいろいろと説明をしてくれて、自分好みのスペックを一緒に検討することに。そのなかで最近よく聞く「SSD」のハードディスクについて、「従来のハードディスクとは比べものにならないぐらい、読み込みが速いんです」と教えてくれて、でも現状だと最大で256GBぐらいしか搭載できず、それだったら従来のHDDの1TBを選ぼうかなー、と迷っていたときに、担当者の人が「確かに現状ではSSDの容量はまだまだ少ない」ことを認めつつ、

「まぁ、SSDの速さを知らないままでいるのも良いかもしれません」

と言ってきたのがミョーにウケて、それで私はこの担当者さんに任せてこのHPでパソコンを買おうとその場で決めた。
なんというか、余裕やユーモアを感じさせる接客って、いい買い物をしたと客に思わせるうえで大事だなーと。

あとHPのオーダーメイドPCだと、マウスやキーボードも「なし」で買えるのが非常にありがたい。他のところで本体だけを買おうとしてもなぜか余計なキーボードがくっついてきたりしていて、「本体だけ欲しいヤツは本当に本体だけでいいんじゃないのか!?」と思っていたところだった。

ちなみにキーボードは、もう「東プレ」のREALFORCE以外は使いたくないのである。テンキー無しのバージョン。
まさに「これを使ったらもう元には戻れない」と言える打ち心地。こればかりは「高いだけある」と納得せざるをえない逸品。でもたくさんの人がこれに目覚めて信者になったら価格下がるかもしれないから、みんな買え!

「椅子」と「クツ」と「キーボード」って、どれも「体の動きを受け止める道具」だから、そういうアイテムに関してはできるだけ良いクオリティのものを使いたい。


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2017.05.16

自分が40歳になったことと、U2の”40”と、『おろしや国酔夢譚』のこと

40歳になったのだけど、何か久しぶりに、U2の古い曲『40』のことを想い出して、リピートしたりする。

もっとも、このうつくしい曲の主題は年齢のそれなんかじゃなく、旧約聖書詩篇の40篇だそうで。
「How long to sing this song」って、まさにそんな気分。

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ここ最近の突発的マイブームが、映画『おろしや国酔夢譚』で、その原作となった井上靖の本もがっつり読んだ。
この映画が作られた、バブリーで景気の良かった頃、日本テレビがこの映画について放映していたのを観た記憶が突然浮かんで、この江戸時代の漂流民の実話に基づく長大なスケールの映画が急に今になって気になりだしたのであった。

漂流してアラスカに近いぐらいの離れ小島に漂着して、何も分からないまま、ただひたすらロシアの言葉を少しずつ覚えて順応していって、そこから帰国を願いつづけて9年間、最終的にはこの大黒屋光太夫はシベリアを超えてユーラシア大陸の西の端、サンクトペテルブルグまでたどり着くという、とんでもなく数奇な運命のなかで、女帝エカチェリーナ二世に直接会えることとなり帰国許可を陳情するわけだけど、人間の持っているエネルギーとか精神力とか、ありとあらゆる部分の感動を覚えてしまう話である(帰国後は鎖国体制下の事情により、かなり不遇な晩年を送ったそうだが)。
 そしてどうしたって命を落としそうな過酷な生活環境と決死の大移動のなか、あらゆる場所で光太夫らを支え、応援してくれた無数の人々がいたのも確かであり、距離や時代を超えたヒューマニズムに、純粋に心打たれるものがある。

とまぁ、最近の私はことあるごとにこの『おろしや国酔夢譚』の話をしているのだが、先日、職場での懇親会の席上、同い年の同僚S氏にそれとなくこの映画の話をすると、彼は中学2年生のときにリアルタイムでこの映画を観てから、たまたまモンベル社の企画で「ロシアの川を3ヶ月間、ロシア・アメリカ・日本の若者が一緒になって川くだりをするツアー」というのに出会い、親に頼んでひとり中学生ながら参加して、初の海外体験をロシアの果てしない川下り、しかも言葉もよく分からない者同士で過ごすということをしたという話をしてくれた。なんたる奇遇。そして中学2年といえば1991年で、ソ連崩壊の大変革の時代だったはず。こんな身近に、そんなとてつもない冒険をしていた人が居たとは! と、驚きまくってしまった。

人生ってこういう感じで、ちょくちょくビビらせてくれるから好きだ。

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2017.02.06

「余情」っていう言葉。

先日のネタ(たほいや)で『広辞苑』に親しむようになってから、ときおりパラパラとめくることが多くなった。自分が使ったことのない言葉、まったく知らない言葉との出会いを楽しんでいる。

そんなわけで最近の私の中に響いてきたのが、「余情」という言葉である。

余る情と書いて余情。

意味は、「ある行為や表現の目に見えない背後に、なお深く感じられる風情。行為や表現のあとに残る、しんみりとした美的印象。言外の情趣。」
とのこと。

うむ、あまり触れたことがない言葉ではあるが、観念としてはすごく共感できる。

それとともに考えさせられるのは、まさにこういう「余情のある表現」っていうのが、このごろだといろんな領域で不足しているような、もっと言うと失われつつあるんじゃないか、ということだ。
「余情」はひょっとしたら、気づかれにくくて面倒くさい感じだったりもするだろうし、まどろっこしかったり、思わせぶりだったり、そういう受け止められ方をされてしまいがちかもしれない。

何せ言葉の意味に「言外の情趣」とある(この「情趣」って言葉もなかなか使わないけど、いい言葉ですね)。「言外」というのは、言葉の意味として、その意味や示すものの「外側」を無理矢理でも伝えようとする、ある種の矛盾がそこにはあるわけで、そこをひっくるめて「余情! 以上!」みたいな感じで、潔い日本語であり、独特の感覚である。

こういう話を書きたくなった背景を思い返すと、最近とあるお店でご飯を食べていたら、そこで流れていた有線放送のBGMで、最近売れてる曲なのかどうかも分からないとあるポップソングの歌詞が、「ずっと仲の良かった友だちがいま結婚式を挙げている。昔はこんな日がくるなんて信じられなかったけど、これからは幸せになってね」みたいな内容なのだが、その歌詞のフレーズが、まさに「ずっと仲の良かった友だちがいま結婚式を挙げている。昔はこんな日がくるなんて信じられなかったけど、これからは幸せになってね」っていう「言葉そのもの」がひたすら羅列されていて、「なんじゃあそりゃあ!!」っていう気分になったわけである。つまりはこれは「余情がない」言葉なのですよ。こういうのは歌詞というものではなく、「単なる説明文」だと思うわけで。どうしていつの間にかポピュラー音楽界は余情を失ってしまったんだろう、っていう。

古いものを礼賛する悪いクセをここでも発揮して申し訳ないが、この現代の貧相な日本語歌詞の世界観でいえば、80年代における銀色夏生が書いた名作『そして僕は途方に暮れる』の歌い出しの絶妙な歌詞も、現代風に変換すれば「彼女が家を出て行って、僕はとっても哀しいよ」みたいな歌詞になりかねない。

ていうか、そもそも、それだとこの曲のタイトルも『そして僕は途方に暮れる』じゃなくて、『僕は別れて哀しい』になるのかもしれない・・・余情、あぁ余情!

Charaのカバーしたバージョンもすごくいい。


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2017.02.01

RIP, John Wetton

 いつも乗る電車を今朝は乗り過ごしてしまった。それはきっとこの日の朝はあらためてゆっくりスマホでツイッターをチェックする時間が必要だったからなのかもしれない。そうしてジョン・ウェットンが亡くなったことを知った。

 英国プログレッシヴ・ロック黄金時代のさまざまなバンドを渡り歩き、そのジャンルそのものを体現していたミュージシャンとして、ウェットンにはそれ以外の形容が見当たらない。それはまさにプログレッシヴ・ロックのひとつの時代が終わったわけで、いやそもそも「ひとつの」っていう言葉ももはやいらないのかもしれない。

 キング・クリムゾンの『Red』は、いまもなお、自分にとっては「ここぞ」という集中を要する作業のときなどに、ひたすらリピートで聴くことが定番となっているアルバムだ。作業中にかけるBGMとしてはふさわしくない盤かもしれないのだが、ウェットンのベースが、ビル・ブラフォードの変幻ドラムと合わさって織りなす音楽空間はこれからも自分のなかにいろいろなインスピレーションを与えてくれるだろう。そういう意味では心からある種の恩義を感じるアーティストであり、そんな彼の姿を一度しかライヴで観たことが無かったのが本当に悔やまれる。どうか安らかに・・・ライヴの定番MC「キミたちサイコダヨ」を想い出しつつ。


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2016.12.07

黒沢健一、ありがとう

 出張で、梅田のとあるビルの一室にたどりつき、ブラインドの隙間から見える大阪の街を眺めながらぼんやり座っていた。

 そのとき、かつて高校3年のときに組んだバンドメンバーのLINEグループ宛てにボーカルのK奈から書き込みがあって、

「黒沢健一、ありがとう」

とあって、
すべてを察した。


つらいなぁ、いろいろと。

さいきん。


早すぎる死に黙祷。

みんなでL⇔Rの曲をたくさん練習した1995年の記憶とともに。

個人的にはこの一曲。


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2016.11.14

ULTRA4@今年も学園祭に出させていただきました、の話

 今年も学園祭で、職員おっさんバンド"ULTRA4"で出演させていただく。

 今回の開始時間が夕方17時前で、晴れた秋の午後の空の色や、周囲をただよう空気感が刻々と変わっていくような時間帯で、ステージ上でOasisの『Champagne Supernova』を演奏しているときなど、あの曲の雰囲気とともに忘れがたい気分を味わった。

 あの日のセットリスト。

 Jet 『Are You Gonna Be My Girl』
 

 Feeder 『Just a Day』

 Feeder 『Just The Way I'm Feeling』

Oasis 『Champagne Supernova』

もうホントにこの曲大好き。そして今回の出演に際して、あまりに練習しなくて新曲を覚えたがらない私に業を煮やして(?)、メンバーがこの演奏し慣れた曲をセットリストに加えてくれたことに感謝。

Feeder 『Feeling A Moment』

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ちなみにこの日の演奏直前まで、伏見区の大手筋商店街で友人がかかわる「蔵ジャズフェスティバル」にいてて、フジヤマウンテンのクールな演奏を時間ギリギリまで味わって、その足で学園祭会場に向かったのも、すごくハイテンションな刺激を受けることができて良かった!

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2016.11.05

Feederのライヴのこと、そして次の土曜日は学祭に職員バンドで出ます

 次の土曜日12日は職場の学園祭でULTRA4の演奏をさせていただく。たぶん16:50ごろ。

 今のバンドはoasis以外のバンドの曲のコピーもやっていて、そのひとつがFeederなのだが、奇しくも本物が来日して大阪でもライヴをやるというので、バンドメンバー総出で観に行ってきた。

 整理券番号が前の方だったので、最前列で味わうホンモノのFeeder。そもそもバンドメンバーのmizuix氏が昔からプッシュしていてその影響で聴いているのだが、とはいえ自分は曲名とかをちゃんと覚えているわけでもなく、ちょっと申し訳ない気持ちもあった。
 バンドのメンバーの顔と名前もほとんどわかっていなくて、それも申し訳ない。でも最前列で演奏に圧倒されて楽しくて手拍子してた。
 この日演奏したあらゆる曲がよくて、帰り道もずっとテンションが高ぶっていたのだが、でも個人的には知らない曲も半分くらいあって、うむ、申し訳ない。
 最前列の端にいたファンが、バンドのお膝元であるウェールズの旗を振り回しているのが見えて、あぁこういうのも準備しておけばよかったと思えた。とはいえ、私はイギリス好きを公言し続けているくせに、実はまだウェールズにまでは行ったことがなくて、申し訳ない。



↑自分たちがコピーしている『Just The Way I'm Feeling』。この曲は弾いていて心地よい。はじめてこのPVを観たが独特の味わいでかなり好きだ。

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ちなみに今回のFeederのライヴは、フレッド・ペリーの主催するイベントでもあり、来場者全員にフレッドペリーのロゴ入りリストバンドが配られて、おおいに嬉しがったのだが、よく考えたら今までフレッドペリーなんて高い服買ったことなくて、やっぱり、申し訳ない。

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2016.07.19

たまたま流れている、その音楽をキャッチすること、についての憧憬


Three Trapped Tigersというバンド。なんかすごい。

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スマホのアプリをたどたどしく探求しては「すごい時代になったなぁ」と浦島太郎的なことを思ってしまうわけだが、「Shazam」は最近いちばん驚いた。周囲に流れている音楽を認識して、それが誰の何の曲かをデータベースから抽出してくれるというもの。かなりマニアックな曲でも数秒でポンだ。この上にあげているThree Trapped Tigersの曲もすぐに出してきた。

これでもう外出先で流れているBGMとか、テレビで流れている音楽だって場合によってはすぐに情報が分かる。
もちろん、お店の店員さんに「この今流れているCDはダレのですか!?」と聞いたりするコミュニケーションもそれはそれで味があるのだが、いやはや時代はすごいところまできた・・・と思える。

昔は・・・すいません、すぐにこういう「昔話」になってしまうのが最近の悪いクセですが・・・たまたまラジオでいい曲が流れても、テープで録音することを手間取ったり、かつDJの曲紹介を聞き逃した、なんていう場合は、よほどの流行りの曲じゃない限り再び出会うことなんて奇跡に近いものがあった。

でもそうやって「再会できた曲」のなかで、最も印象的なのはR.E.M.の『シャイニー・ハッピー・ピープル』だ。もっともこの場合は、当時たまたまテープで(途中から)ラジオの音を録音できていたけれども、そのあとにDJがアーティスト名を言う、その発音が聞き取れなかったわけだ。そりゃ無理もない、REMだもんな。「アーリーエー」とかしか聞き取れない・・・そこの情報を頼りに(90年代初頭の中学生においては、なかなかR.E.M.なんてバンドまで好んでいる人はあまりいなかったと思う)、どういう経緯かは忘れたが、CD盤を手に入れるまでの「ゆるやかに続く執念の捜査」みたいなものは、探し当てるのにかかった時間が長ければ長いほど、生涯忘れられない一曲になったりする。そしてまた、その曲をきっかけにR.E.M.のことが知れたのもよかった。

そんなわけで、いまやスマホのアプリにかざせば、すぐさまその曲の題名もアーティストも分かり、さらに言えばそこからすぐにダウンロードで曲が買えたりもする。あぁ。

で、このアプリがあれば、自分が気になっていた過去の音楽も分かるんじゃないだろうか? 特にもうかれこれ10年近く気になっていた音楽があって、それはスカパーがはじめてサッカーの欧州チャンピオンズリーグを放送したとき、試合終了後のブレイクタイムに流していた曲である。ずっとそれが何なのかを探し続けていたのだが、このアプリがあれば・・・!! ・・・と思ったが、よくよく考えたら今度はそのテレビの放送のほうのビデオテープがどこにあるのかさっぱり分からない、っていう(笑)

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