ラヴェル「ボレロ」とドリフ大爆笑
あまり普段からクラシック音楽を聴くわけではないが、「ボレロ」は昔から一番好きな曲かもしれない。
この夏に映画『ボレロ:永遠の旋律』(公式サイトはこちら)が公開されることを知り、それとなくモーリス・ラヴェルとその代表曲「ボレロ」について改めて調べてみると、この曲は1928年に発表されていて、ラヴェル自身は第一次世界大戦時に従軍経験があり、いわゆる戦間期を生きた人ということで、「この曲って、そんな最近に作られてたんですか!?」となり、そういうことを今までまったく知らずに「ボレロはいいな」となっていたことを強く反省し、ラヴェルさん申し訳ありませんでしたという気持ちでさっそくこの映画を観に行ったわけである。
私にとって「ボレロ」の最大の魅力を挙げるとすると、これは「人間の一生」を感じさせる楽曲だからである。なぜそれを確信させるかというと、この曲の特徴である「規則的なリズム、パターン化されたフレーズの繰り返し」というのが「人工的」だからである。人工的というのが、ひるがえって「人の手によるもの」を強く意識させるというのが興味深いところであり、この曲は「大自然の雄大さを表現してみました」とかいうのではなく、徹底的に「人間そのもの」を追求した音楽なのだとずっと感じていた。
で、この映画の冒頭ではラヴェルがダンサーのイダ・ルビンシュタインを伴って工場を訪れるところから始まり、絶え間ない機械の作動音のなかから生じる「音楽」を感じてほしいとラヴェルがイダに力説しようとする。映画のパンフレットのなかでも、ラヴェル本人がこの「ボレロ」を工場の機械からインスピレーションを得て作ったと発言していたことが書いてあり、あぁやはりこの曲は自分がそれとなく感じ取っていたとおり「人工的なコンセプト」で生まれたのだと改めて認識できたのは個人的な収穫だった。
そんな「ボレロ」という曲は、さまざまな楽器がそれぞれ同じフレーズを順番に演奏していき、それらがだんだんと厚みを増して最後にひとつの荘厳なサウンドへ昇華していくさまが、まるで人生のその時々の出会いや出来事が積み重なっていくかのように感じられる。つまり生涯の終焉に向かっていくなかで「人生で起こったことはすべて意味があったのだ」というような想いに至る、ある意味での「調和」として結実していくような、そういうイメージを強く喚起させるところが魅惑的である。
でも今回の映画を観るまでまったく知らなかったのだが、この曲はイダが踊るためのダンス曲として依頼を受けて作曲に取りかかったもので、つまりは締め切りに追われてなんとかギリギリのところで生み出された仕事なのだった。
「人生の調和」とか言っている場合ではないほどに、プレッシャーのなかで極限まで追いつめられてインスピレーションを得るべく苦闘した末に生み出された曲「ボレロ」は、結果として誰しもが認める傑作となり、歴史に残る名曲へとなっていくのだが、しかし実はその影でラヴェル本人はこの曲を憎むようになってしまう・・・という知られざる秘話がこの映画の見どころの一つになるわけであるが、「創作した本人でも計り得ない強大なパワーを持つに至った芸術作品」というのは、得てして作り手である本人をも飲み込んでしまう、そういう底知れぬ危険なまでの魅力があるわけだ。
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ところで、この「ボレロ」という曲について個人的にずっと不満に思ってきた点が一つだけあって、それは曲の終わりかたについてである。
静かな雰囲気から始まり、打楽器のリズムだけは通底音として規則正しく続いていき、だんだんとクライマックスに向けて盛り上がっていく展開の曲にあって、どうも終わりかたが性急な感じがして、せっかくここまで積み重ねてきた聴き手の高揚感のやり場が、なんだか急にあっけなくストンと奪われるような、そういう感覚が拭えないのだ。
で、これを書くと熱心なファンから物を投げつけられそうだが、私はそんな「ボレロ」の「急な終わりかた」に、どうしても昔の「ドリフ大爆笑」のコントをなんとなく連想してしまうのだ。コントのオチがついて、いかりや長介がカメラ目線で「ダメだこりゃ」とつぶやいて「♪チャララ~ン、テンテケテン!」といった感じで終わっていく、あのシメのBGMっぽさを想起してしまうのである。
すまん、ラヴェル。
そういうフトドキ者がこの映画を観ているもんだから、劇中でラヴェルがこの「ボレロ」の曲の構成について説明をするシーンでは、つい手にチカラを込めて見入ったわけである。そこでは「最後に激しく爆発して、人生のように終わる」というようなセリフが述べられていた。映画なので実際にラヴェルがそう言ったかどうかはもちろん定かではないものの、このセリフを私は「なるほど、人生か・・・」と襟を正す気分で受け止めた(あ、ウソ、Tシャツ姿で観てました)。
映画を通して考えてみると、この「人生のように終わる」というのは、ラヴェル自身のライフヒストリーを思うと共感できるような気がした。やはり彼にとって戦争体験の影響を免れることはなかっただろうし、ラヴェルは体格的に恵まれていなかったことから、本人としては不本意ながら救護班や物資の運搬役として兵役についていて、それゆえにたくさんの兵士たちの生死の境に立ち会いながら極限状況を渡り歩く役目を担っていたことがうかがえよう。そしてさらには最愛の母を戦争期のまっただ中に失い、そこからしばらくは音楽活動もできなかったほどに衝撃を受けたわけで、突然に大事なものが失われていくという彼の死生観やトラウマみたいなものが少なからず戦後の作曲活動のなかに反映されていったとしても不思議ではない。
その一方で野暮な見方をしてしまうと、「ボレロ」の作曲というものが締め切りのある仕事だったということで、依頼を受けたダンスの時間枠という「商業的な制約」も強く意識されていたために、理論上は延々と続けることができる感動的な旋律であっても「ハイ、時間がきました! ここでダンスは終わり! 仕事完了!」というノリで曲を締めくくった、という可能性もある。本当はこっちのほうが実情に近いのでは・・・と思えてきて、私はそんなラヴェルさんの肩をたたいて労いの言葉をかけてあげたい気分にもなったわけである。
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