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2017.03.04

さいきんのこと:プレステVR、デロンギ、『繁栄』、三谷幸喜と清水ミチコの対談について

 先日同僚のタスク家におじゃましたときに、最近話題の「プレイステーションVR」があって、ちょっと遊ばせてもらった・・・いやはや驚異の体験とはまさにこのことで、ゲームの世界に没入するというのは、文字通りの意味でこのVRという装置が叶えてしまった。

ファミコンをはじめて触って以来30年近くが経ったが、家庭用ゲーム機はついにここまできてしまったのかと、何か踏み込んではいけない領域を垣間見た気分で、「すげー!!」と叫びまくってしまった。当然、プレイ中は周囲に頭とかぶつけないようにしないといけないわけで、バーチャルの世界に埋没するがゆえに気をつけないといけない物理的状況を、現実的に配慮しないと危険なのである。当たり前といえば当たり前なのだが。

 実際にVRに対応したゲームの世界では、こちらの自由意志による視点移動を現実世界のそれのようにあらゆる角度で表示することを可能としている。つまり走行中の車のなかにいて、後ろをふりかえってみると、こちらの首振りのスピードに合わせて後部座席に映る景色をスムーズに見せてくれるわけだ。ふー。

 タスク氏はこのVRをまだ自分の子どもたちにはプレイさせておらず、それはとても賢明な判断だと思った。物心ついたときからこうしたバーチャル・ゲーム機器で遊びまくることで、いざ自分が生身の状態で運動をするときに、どうしても物理状況における限界、「身体が動き得る幅の狭さ」みたいなものを感じてしまい(動きにくいし、失敗したらケガも怖いし、いいことがない)、リアルな運動に興味を抱かなくなる子供が今後増えていくんじゃないかと想像してしまう。あくまでもバーチャルが楽しいのはリアルとの比較があるからなのだが、こうしたバーチャル・ゲームの流れが不可避となると、大きい目でみたときにどういう影響が浸透していくのか、見守っていくしかないのだろう。

 ちなみに、ゴーグルで映像を見せる装置という観点でいけば、このVRをつけたときに真っ先に感じたのは「まるで映画館にいるみたい」ということだったので、寝たきりの人とかがDVDの映画を楽しむときの補助具というような方向性も今後発展していくのだろう。


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いまさら驚くべきことではないのだが、住んでいる場所がとても寒く、部屋が冷え冷えとしており、エアコンだけでは限界を感じていた。しかし改めて賃貸契約をみると、燃やす系の暖房機器は使えないので、最近思い切ってデロンギのオイルヒーターを買ったのである。

 いままでオイルヒーターの導入をためらっていたのは、「置き場所によって性能が発揮できるかどうかが決まる」とか、「すぐには部屋が温まらない」という情報が、どうもひっかかっていたからである。しかし、ためらっているあいだにも部屋は寒いままであり、「ないよりはマシだろう」と買ってみたわけだ。

 そして結論からいうと「たしかに、いったいどこに置くのが正解なのかが分からない」ということだった。いちよガイダンス通り、もっとも寒くなりやすい窓際に置いているのだが、あまりにカーテンや壁にヒーターを近づけすぎると危険らしいので、このポジショニングが実に中途半端なものになるのだった(電源コードとコンセントの関係も考慮しないといけないし)。そして案の定、あまり温かさを感じることはない。

 これは何かに似ているなぁと思ったら、それは「どこのポジションが最も適正なのか分からないままのサッカー選手」だった。チームを去るときまで、結局どこのポジションがベストだったのか分からないままの選手はかなり多い。そのモヤモヤがまさにいま、オイルヒーターという物体として私の日常に、ささいな懸念事項として存在しているのである。

そういう意味ではかなり人間くさい器具かもしれない。そう思うと愛着すらわいてきた。寒いけど。

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 最近読んだ本でダントツに面白かったのが、マット・リドレー・著『繁栄―明日を切り拓くための人類10万年史』 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2013年)だ。

「いろいろ言われているけど、世界はこの10万年単位で、確実に『良く』なっている」というのがこの本の主張なのだけど、その是非はともかく、人類の繁栄のキーとなったのが「分業と交易・交換」という概念であるというポイントはとても示唆的だ。あるアイデアを、他人とシェアしたり、交換しあうことで、新たなアイデアが生まれていくということをひたすら繰り返してきたからこそ、人類は生きのびることができたというのがこの本全体を通して検証されている。

このネット時代だとなおさらその「分業・交換」のプロセスは予想を上回る規模とスピードで行いうるのだから、そうしてまた新たな課題解決に人類は取り組み、乗り越えていけるのだろう・・・という前向きな気分が読後感として残るので、ひろくオススメしたい一冊。

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あ、あともう一冊、このシリーズをいままでなんでスルーしてきたのだろうと後悔していて、このごろジワジワと集めて読みまくっている。三谷幸喜と清水ミチコの対談集。

もともとはFM番組での喋りを文章化しているのだけど、なんかこう、言葉のテンポや相手の発言への切り返しとか、文章だからこそできる「ある種のカタチやパターン」において、読み手を引き込んで、笑わせる技術に昇華させていて、この二人の絶妙なレベルでの掛け合いが、読んでいて爽快なのである。

ちなみに「むかつく二人」の文庫版は6年前に出たものだが、巻末の解説はいまをときめく星野源が書いていたりする。



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2016.11.27

ポッドキャスト『Harukana Show』で村上春樹の訳した『グレート・ギャツビー』について語りました

イリノイ州アーバナシャンペンからお送りするポッドキャスト「ハルカナショー」、No.297, Nov.25, 2016 「秋の夜長、村上春樹の世界観にふれるwith Tateishi」ということで、最近のマイブームを話そうと思って、このブログに書きそびれたままのネタ、村上春樹が訳したスコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』の話をさせていただく。

ポッドキャストは(こちら)より。

最近はまったく村上春樹を読んでないのだけど、高校時代に集中的に読んでいた時期があって、その延長で『グレート・ギャツビー』も当時の翻訳で読んだけど、なんかさっぱりで、でも書き出しと結論の部分の美しさは確かに印象が残っていた・・・という作品だった。村上春樹がもっとも好きな小説として挙げていて「老後の楽しみとしていつか翻訳する」と何かのエッセイで書いていて、それがいつのまにか10年前ぐらいに早々に出版されていたことを知りちょっと驚いて、ずっと気になっていて、最近ようやく手を出した・・・という顛末。

装丁に関してはこっちの下のほうの廉価版?のバージョンのほうが断然好みなんだけど、なぜかAmazonではこのバージョンが表示されない。
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ちなみにこの一連の翻訳シリーズは和田誠氏による他の装丁も絶妙にツボな写真を使っていてすごく好き。
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作家にしろミュージシャンにしろ、その本人が強く影響を受けた大好きなアーティストの作品にたいしてカバーをしてみたりオマージュを捧げたりするのはすごく興味深いもので、たとえば個人的にすぐ思いつくのはローリング・ストーンズがカバーするロバート・ジョンソンの『Love in vain』とか、「この曲本当に大好きなんです濃度」の高まりが素敵すぎて(あ、このブログの左端の下のほうに表示してる、好きな音楽動画を集めた中にも未だにアップしていますが)、もはや原曲よりもさらに違う味わいを放っていて、いろんなライヴ音源とかをネットでいろいろ探したくなる。アーティストによる「一方的な思い入れ、片思いっぷり」みたいな情熱を本家に向けて捧げていくそのテンション、私は好きである。

とにかく、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』ですよ。村上春樹が作家人生を賭けて最大限の愛情を込めて必死に翻訳した文章が面白くないわけがなくて、文章表現として何を読者に示して、どこで会話文を入れて、どこで情景描写を行って、どこまで言葉で説明するか/あるいは説明しないのかといった独特のバランス感、立体感というか・・・村上春樹は「テクスチャー」などと表現しているけれど、そういう「ある種の感触」が絶妙で、たしかに村上春樹がこの小説の魅力を力説するだけのことはある気がした。他のところで村上春樹は「文体とは乗り物みたいなもの」と書いていたことが印象的でずっと覚えているのだが、今回の翻訳を読んで、あらためて「読者を乗せて運ぶ」という概念を考え抜いていくことが文章を組み立てていくうえでの重要なポイントなのだと実感。

で、そうしたフィッツジェラルドなどの文学者を見出して編集者として支えたマックス・パーキンズの評伝を今読んでいるところで、例えばこの『グレート・ギャツビー』の完成までをパーキンズがどのようにオーガナイズして軌道修正させていったかなどのエピソードがすごく興味深かったり。
この本を原作として作られた映画で、今年たまたま日本で公開されている『ベストセラー:編集者パーキンズに捧ぐ』を見逃したことを後悔していたのだが、よくみたら関西では1月にも京都シネマとかでやるみたいで、ありがたい。

しかしこの映画版の主軸である肝心の作家トマス・ウルフの本って日本でなかなか手軽には手に入らないのが謎。古本でやたら高値になってる。


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2016.09.12

『TED TALKS:スーパープレゼンを学ぶTED公式ガイド』&TEDICTのアプリが素晴らしい件

 出たばかりの新刊書をすぐ買って読むことは少なくて、ましてそれを人に勧めるのも稀なのだけど、この本は強烈にマジでおすすめ。
 この本はTEDが発展してきた歴史的展開をふまえつつも、それぞれの章において実に巧みに「プレゼンテーションの実践的ハウツー」を余すところなく紹介しており、きわめてストレートすぎるほどの「実用書」だった。と同時に、この本で実例として触れられているTEDトークの数々も、まだ観たことのないものが多くて、それらをすかさずネットでチェックしたくなるという意味では、「TED自体のPRプロモーションの本」としてもバッチリ狙い通りだったりする。

 特にこの本で繰り返し強調されているのは、ひとつのトーク、ひとつのプレゼンは「聞き手を旅行に誘うようなもの」というコンセプト。話者は旅行プランナーであり、観光ガイドであるわけで、「いかに面白い旅を提供するか」という切り口で捉えると、どこでみんなの注意をひきつけ、どこで「景色を味わってもらうか」を考え、どこまで自分の言いたい説明を、旅への興味を削ぐことなく伝えていくか・・・などなど、あらためてプレゼンの準備において大事なものがどういうことか、考えさせられる。

 というわけでこの本を読みながら、終始「うまい・・・さすがや・・・」と、唸った。つまりこの本の内容として、お客さん目線で知りたいことを知らせ、熱い気持ちにさせつつ、しっかりと自分たちの言いたいこともページの隅々に染み込ませていて、その方法論そのものが、まさにTEDが目指しているありかたにも通じていることがわかる。だからこの本を通して学べることは、今後もTEDの壇上にあがるようなことがない人々(ほとんどがそうだ)にとっても十分に役に立つわけで、もはや人前でのスピーチだけでなく、広くコミュニケーション全般において忘れたくないネタが満載の、買って読んで損はない一冊となっている。

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 ちなみにTEDの動画を用いた英語のリスニング教材のアプリで「TEDICT」というのがあるのだが、これが実によく出来ていて、ゲーム感覚でTEDのトークをネタに「リスニングしながら単語並び替え作文」ができてしまうので、移動時の暇つぶしには最適。私のiPodにはこれに加えてウィズダム2の辞書アプリも入れていて、分からない単語はTEDICTの画面からコピーしてすぐに調べられるのでこの組み合わせは今のところ最高だ。
 TEDのお気に入りトークをひたすら聞き続けるわけだから、話の内容も英単語も染み込んでくる感じがあって、かつ「英語を勉強している感じがあまりない」というのもポイント。数多くの英語教材が「日常会話の例文」を覚えさせようとして、もちろん大事なのは分かっているけど、どうしても「わざとらしい会話」に感じてしまって覚える気になれない自分にとっては、いやホント、良い時代になったと痛感している。少なくともこの分野においては。
 TEDICTについてはこちらの記事など!


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2016.07.27

「『無知』の技法:不確実な世界を生き抜くための思考変革」

Amazonのカスタマーレビューでやたらと高い評価を受けていたので期待して読んだのだけど、読書体験の面でいえばそんなに言うほどグググと魅了されて読める本でもなかった。細かいツッコミをさせてもらえれば、それぞれの個別事例が興味深いわりに、その内容の説明があっさりしすぎていて、読んでいて消化不良になる箇所がところどころあって、そこが惜しかった。まぁ、本当に興味があるんだったらあとは自分で調べてちょうだい、っていうことか・・・。(アメリカのモンタナ州にあるリビーという小さい町で、アメリカ史上最悪の環境被害とも言えるレベルでアスベストの被害が長年存在していたにもかかわらず、当の住民たちがその事実を頑なに認めようとしなかった、つまり「この町は健全だと“知っている”」ことに固執しすぎて惨事を広げてしまった事例なんかは、いろいろ考えさせられる興味深い事例だ)

この本の言いたいことは、つまりのところ「私たちはもっと、『わからない』と率直に表明することを怖れるべきではない」ということだ。ますます世の中が「高度プロフェッショナル人材」を求めている(ように見せかけられている?)時代において、「専門性」をもったプロ職業人を養成しなければならない・・・っていう風潮のなかで、いろいろな局面で「私はそれを知らないです、分からないです」と認めることがますます言いにくい状況になっているのだけど、そのせいで本当に重大な決断が深い熟慮なしに、本人のメンツや見栄という要因で安易に決定されてしまうこと、そういうことに警鐘をならす本である・・・今に始まったことじゃないけれども、この問題って古今東西なくなる気配はないので、やっかい。

この本の最後あたりで繰り返される「闇に飛び込む」「未知を楽しむ」っていう姿勢だったり、途中で引用されている霊媒師さんのセリフ「天使と悪魔のあいだの空間で生きる方法を学びなさい」っていう言葉なんかは、まさに昨今の自分たちが置かれている状況に照らすと、「うむ・・・」と深く反芻したくなるものがある。中途半端なものに耐えること、分からないものを分からないまま抱えることのできる体力っていうのが、ますます大事だと。

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ちなみに。
上記の本の著者がもし日本語を理解できたら、あなたの追ったテーマと同じ方向性で、面白くてためになる先行研究としてこんな本がすでに書かれていたんですよと強く薦めたい。


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2016.02.28

「自然史」の観点からアイデア創出の秘密をさぐる:『イノベーションのアイデアを生み出す七つの法則』 スティーブン・ジョンソン著

 この本には邦題に問題があるように思えて、そのせいかAmazonでもレビュー数が少ないのが残念である。たしかに日本の出版社はこの本をたくさん売りたいがためにこういう安直な日本語タイトルにしたのだろうけど、そのことで「誤解や期待ハズレ感」が生じるのは否めない。この本の原題は「Where Good Ideas Come From: The Natural History of Innovation」つまり「良いアイデアはどこからやってくるのか:イノベーションの自然史」なのであり、「自然史」の部分がキモなのである。つまり歴史書として捉えたほうが適切であり、単なるアイデア発想法のハウツー本ではないのである。何よりそこは強調しておきたい。

 この本ではダーウィンらにおける進化生物学の理論構築から活版印刷やコンピュータといった電子技術に至るまでを、イノベーション創発の観点でダイナミックに論じている。イノベーションは、それを生み出した個人のひらめきや能力に注目しがちであるが、それを支えたり誘発させやすい要因を史的な枠組みから捉えてみようという意欲的な一冊なのであった。

 特に冒頭の「隣接可能性」の章で語られていたことで、隣り合うさまざまな部屋のドアを開けるように、あらゆる可能性を試行錯誤しながらどんどん探索していくその姿勢は「DIY精神」そのものであり(奇しくもわたしがDIY精神について他人に語るときと同様、この本でも映画『アポロ13』のことに触れているので、私はこの著者とだったら飲みに行けると思った)、そしてそのあとの章で出てくる「セレンディピティ」も、これは自分にとっては「シンクロニシティ」の話であり、まさに高校生の頃から今に至る、自分の抱えるまとまりのない関心領域を結びつけそうな道筋を語られちゃった感じがして面白かった。こういう本を書いてみたかった・・・。

「ゆっくりとした直感」の章では、2001年におけるアメリカ同時多発テロが起こる兆候を、それぞれ別の捜査官が自分のテリトリーのなかで事前に感じ取って危機意識を発信していたにもかかわわず、しかしそれら個々人の「直感、ひらめき」が結びつくことがなく、誰にも関心を持たれずに終わってしまったことの悲劇を取り上げている。これは同じ著者がその後に書くことになる『ピア: ネットワークの縁から未来をデザインする方法』にも通じるテーマなのであるが、中央集権的な古い体質の組織における「どうしようもなさ」についての著者なりの「怒り」に似た、強い主張を感じさせる部分だ。

 あとこの本でたびたびサンゴ礁の話が語られていたので、いま個人的にもサンゴ礁のことについて関心が高まっている。これからの社会組織(たとえば教育機関のあり方とか)を考えるうえで「サンゴ礁モデル」っていうのは有益なポテンシャルを秘めた知見がたくさんありそうな、そういう示唆も与えてくれた。

 著者によるこの本に関連したTEDトークも観られる。18分ぐらい。こちら
ここで語られている途上国での保育器の話や、ソ連のスプートニクからの信号をほんの思いつきで追いかけた研究者の顛末なども同書のなかでじっくり紹介されている。

 ちなみにこの本の存在を知ったきっかけは、オースティン・クレオンの『クリエイティブを共有(シェア)!』における参考文献リストで挙げられていたからであった。この著者による以下の本たちはこれはこれで気軽に楽しく読めておすすめ。
 


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2016.01.20

「あったかもしれないパラレルワールド」としての、昭和15年の東京オリンピックを今この時代に思うこと: 『幻の東京五輪・万博1940』(夫馬信一・著、原書房)

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 『幻の東京五輪・万博1940』夫馬信一・著、原書房

 2020年に「また」東京でオリンピックが開催されるわけだが、そんな状況においてこのような興味深い本が出たので紹介させていただく。

本当だったら1940年、昭和15年に行われていたかもしれない東京五輪・札幌冬季五輪・日本万博について、その計画経緯や準備状況、そしていかに「幻」に終わっていったかを丁寧に、豊富な図版とともに検証していく本である。歴史に疎い私は、戦前に冬季五輪や万博までもが計画されていたことなど、これまでまったく知らなかった。

 で、私がこの本の存在を知ったのは、実はひょんなことで私もこの本の、ほんの0.1ミリ程度だけ貢献させていただいたからである。

 このブログとは別にやっているサッカーのブログで、2012年の正月休みに訪れたベルリンのオリンピックスタジアムにあった鐘の写真を載せていて、著者の夫馬さんがたまたま検索でその写真にたどり着き、画像の使用許可を問うメールをくださったのである。そういうところで役に立つのであれば、私にとってあの旅はさらに意味のあったものになるわけで、うれしかった。

 「あとがき」を読むと、著者の夫馬さんはこの本を9年かけて準備されていたようで、70年近い時を隔てた資料や証言と格闘し続け、そしてその間に2020年の五輪が奇しくも東京に決まったり、そういったタイミングのなかで、寒空のベルリンで私の撮影した何気ない写真も、インターネットでもたらされた縁によって関わり合いをもつことになったわけで・・・不思議なつながりのなかで私が知り得たこの一冊の本もまた、「五輪をめぐる歴史」のひとつになっていくのであれば素敵なことだと思った。

 ちなみに巻末の協力者のクレジットのところ、名前だけじゃなくこのブログのタイトルまで入れてくださっていて、ちょっと恐縮(笑)。


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2015.12.06

『岐阜マンとゆく ぎふのモノ』という本が出版されています!

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岐阜のいろいろな観光地やおもしろスポットを紹介するフリーペーパー漫画『岐阜マン』のファン必携の本が「さかだちブックス」というファニーな出版社から出ております。

何せタイトルに「岐阜マンとゆく」と付けてしまったのだから、まずこの「岐阜マン」が何なのか知らない人にとっては、ミステリアスでアメージングな読書体験予測を強いることになっている、そのことがすごい。

でも内容はそこまで岐阜マンが「プヒャー!」とか叫びまくるわけではなく、あくまでも岐阜の良さをしっかり伝えよう、岐阜っていろいろ見どころがあるんだよ、ということが落ち着いたトーンで解説されている本なのである。
(そして最後のほうに、岐阜マン自身についての解説もかなり詳細に書かれている。ずっと気になっていたあの頭の「岐」のナゾが解けたり・・・!)

くわしくは(こちら)のページを参照。

この勢いで岐阜マンとシェフチェンコが岐阜の観光大使になっていったらいいなぁと夢想!
そして岐阜マンはサッカー大好きなので、FC岐阜の中の人たちもぜひ岐阜マン要チェックや!!(笑)

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2014.12.23

Harukana Showポッドキャスト:2週連続で、あれやこれやと。

イリノイ州アーバナ・シャンペンのコミュニティラジオ番組「Harukana Show」、2週連続で話をさせていただきました。
「ちょっと古いもの、がオシャレになっている話」とか、新作のZINEの話(こちら)。
そして、小説『ジェネレーションX』を読んで人生踏み外したなーっていう、改めて聞くとはずかしい話(こちら)。あぁだからDIYとかに人生の関心をシフトさせていったのか、とタテイシがしゃべっているうちに気づいていくあたりも、聞く人が聞くと痛々しい(笑)。

ポッドキャストを聴き直して気づいたことがあって補足すると、「物語をクリエイトしていく、言葉の可能性」っていう、その言説もよく考えたら、ヴィム・ヴェンダースの映画『夢の涯てまでも』(1991年)の最後の最後で出てくるテーマだった。結局そんなところからの影響ばっかりやんけ、っていう(笑)。 

ちなみにこの映画はヴェンダースの大失敗作のひとつらしいが、中高生の頃に観てしまった以上、ただストレートに私にはグッときてしまったものがあったので、いつまでも大事にしたい作品なのだ(でもあまりに駄作らしく、日本版DVDがこの作品については今の時点では入手できない 笑)。

↑日本での劇場公開時のポスターを見つける。買うかどうか迷い中。

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2014.11.24

「古雑誌を使った封筒づくりワークショップ@FOLK」実施報告(自分が一番楽しんでいたかも)

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あらためて、FOLKさんでの展示イベントにお越し頂いた皆様には感謝申し上げます!
そして22日は、はじめて「古雑誌を使った封筒づくりワークショップ」をやってみました!!

が!

当初はほとんど申込みがなかったので、企画倒れかー! と思っていたのですが・・・・

直前にメールをいただいたり、そして当日に2名の方のお申し込みがあったりで、結果的に2回のワークショップで7名の方々に参加いただくことができました。ありがとうございますー!

記念すべき最初の回では、実に久しぶりにお会いした友人のMeineさんが9歳の娘さんとともに参加!(その傍らで7歳の次女ちゃんが上手なイラストを描いてくれていました)。

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このように、透明プラ板(0.3mm)をレジュメに書かれた線にそってマジックでなぞり、それを切り取ったものを「テンプレート」とします。あとは雑誌のページの好きな写真などにテンプレートをあてがって、封筒の枠組みをなぞって切り取っていくわけです。
(今回使った古雑誌はFOLKさんのお店で扱っている女性ファッション誌などを提供していただきました)

貼り付けは、5mmの両面テープを使っていきます。封筒が空洞の筒状になるように注意しながら、のりしろを自分で定めて貼っていくのがちょっと難しいわけです。
実際、私はこのワークショップを子供向けにはまったく想定していなかったのですが、今回チャレンジしてくれた9歳の女の子は、このような見事な作品を次々と作りまくっていったのでした(家に帰ってからも黙々と作っていたそうで 笑)。

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(その下は次女ちゃんのイラスト)

センスよすぎ! テンプレートをあてて、自分の望むバランス感覚で図像を切り取っていくというこの行為をすっかり自分のものにしていった感がありました。

こちらはMeineさんの作品。実際に封筒を使う場合に、「切手を貼る位置や、宛先を書いたりするスペースを意識すること」も大事になってくるので、そのあたりを意識しながら作っていたようです。

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もうひとりの参加者の方の作品。特に右はしの、雑誌の説明図解的なページをうまくデザインとして切り取って作った封筒が斬新です。必ずしも写真ページだけが封筒に適しているとは限らない例として、すごく良い感じです。

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2回目の回では、同世代ぐらいの男女4人で、いろいろお話をしながら封筒を作り続けました。

テンプレートの範囲でどこをどう切り取るかが腕の見せ所で、それぞれにドラマチックな雰囲気のヴィジュアルが出現します。

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そして、このように登山をテーマにしたイラスト記事を封筒にして、

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ページの裏側、つまり封筒の内側に富士山がのぞくような、味わい深い逸品も。
「裏地も楽しむことができる」というのはこの手作り封筒ならではの魅力かもしれません。

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こうして、次々と素敵な封筒が量産されていき、いろいろと話をしていくなかで、たとえばクリエイターの方が自らの作品をポートレート作品のようにアピールするツールにも、このような手作り封筒の技法が使えるのではないかというアイデアなども出てきました。

封筒を作る、という意識なり「構え」で雑誌の写真やページを眺めることにより、普段とは違った感覚で雑誌の記事に向き合うことが、この作業の面白さかと思います。

雑誌を捨てる前に、気に入ったページを切り取って保管するというのは多くの人がやっていることかもしれませんが、そこから気軽に封筒を作る方法を自分のものにしておくと、新しい楽しみ方の幅が広がるわけです。
なによりこんな素敵な封筒でメッセージが届いたら、すごーーく感動したり驚いたりできるわけで。
(普通に切手を貼ってマジックで住所を書いたら相手に届く封筒になります)

いやーー、私もかなりこのワークショップを楽しませていただきました。
「これはまた今後もワークショップのネタとしてやってみたい」と思いつつあります。

ひたすら、この初めての試みに参加してくださったみなさまおよびFOLKさんに感謝です!!


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2014.11.10

『ヒップな生活革命』著者・佐久間裕美子さんトークイベント@京都市立芸大ギャラリー@KCUA

 アメリカにおいて近年ひろがりを見せているオルタナティブでインディペンデントなライフスタイルの現況を、徹底した現地取材を通して描いた本『ヒップな生活革命』(朝日出版社)の著者・佐久間裕美子さんが来日し、この数日間あちこちでトークイベントをされていて、今日は京都市立芸大のギャラリーKCUAで行われたので参加してきた。

 本には書かれていないことについて話していたことで印象的だったのは、最近佐久間さんが取材を重ねているというデトロイトの事例。
 自治体の財政破綻や不況により、産業力や人口が激減し、交通インフラも悪化していったなかで、30代の若者が、中古のバスを買い取って、いわゆるコミュニティバスを自前で運営しようとした。しかし前例がないということで、保険も下りず、なかなか現実には難しいわけである。
 そこで目をつけたのが、飲み屋さんの存在。飲んで帰るお客さんを、いわゆる「代行タクシー」みたいに家まで届けるというサービスをすると、飲み屋のサービスの一環とみなされて規制をクリアできるとのことで、「それなら地域の飲み屋さんと飲み屋さんを結んでいって、独自の『バスルート』で運行すればいい」というアイデアに至ったとのこと。
 こういう「簡単にはめげないで粘り強くアイデアをひねりだす発想力」みたいなものが、私にとっては「DIY精神」の一種だと思えるので、痛快に思う。
 そんなわけでこの本はそういう「生活革命」ムーブメントとしての発想のネタになるような事例が、食べ物やファッション、音楽やメディアといったさまざまな分野から紹介されている。どれも「あー、いい線ついてるなー!」と感心することしきりなので、こういう話がもっと日本でも一般的にひろがっていけばいいなぁと願う。

 あとどうしても個人的に質問したかったことがあった。この本で紹介されている「エースホテル」の事例が特に興味深くて、安い施設を買い取ってホテルにするのだけど、いわゆる一般的なホテルとは違って、アーティストやクリエイターといった人々を招き入れる仕組みを充実させ、部屋代を安くするなど、とにかく「人と人が出会う刺激的な場づくり」を追求していったとのことなのだが、この事例を読んで私はどうしても、自分の人生で最も大事にしている小説である『ジェネレーションX』(ダグラス・クープランド・作)のことを思わずにはいられなかったのである。
 この小説は最終的に主人公たちが砂漠の生活から離れて、小さなホテルを自分たちで経営するために新たな旅に出るところで終わるのだが、そのホテルをどういうふうにするかというプラン(妄想)が、登場人物の一人であるダグによって物語の途中で語られていて、引用すると・・・

「友だちや変人たちだけのための小さなホテルを開くんだ。スタッフには、齢とったメキシコ人の女性と、気絶するほど綺麗なサーファーやヒッピー・タイプの若い男女を雇う。そういうのは、大麻をやりすぎて脳みそがスイス・チーズ化しているからな。そこにはバアがあって、みんな名刺や金を壁や天井に止めるんだ。照明は唯一、天井のサボテンの骨格の蔭に隠した十ワット電球いくつかだけ。夜ともなれば、お互いの鼻から亜鉛軟膏を洗いあい、ラム・ドリンクを呑み、物語を語る。いい話をした人間は、ただで泊まれる。バスルームを使いたいときは、壁にフェルト・ペンで面白いジョークを書かなくちゃならない。そして、どの部屋も節だらけの松材を壁にして、お土産には、みんな小さな石鹸を受け取る」

 ・・・とまぁ、あらためて読みかえすと荒唐無稽な部分もあるが(そして何度読み返しても黒丸尚さんの訳はとてもリズミカルで素敵だ)、でも基本的なコンセプトはそのまんまな気がしたのである。「エースホテル」もこの本によればヴィンテージ家具と現代アートをミックスさせた内装に、「髪が長く伸びきって腕にタトゥーが入っていたりするキャラクターの濃いスタッフ」が玄関で迎えてくれたりしているらしく、なんだかこの小説が書かれた90年代初頭の流れから思うに、「エースホテル」を作った人々は・・・もしかして・・・・ひょっとしたら・・・このダグラス・クープランドの小説に影響を受けていたりするのでしょうか? そういう話が取材の中で出てきたりしていませんでしょうか? という、直感的かつ個人的な興味による質問であった。

 で、佐久間さんも実際この小説がアメリカでたくさん読まれていたことは認識されていたようで、そのうえで「(その小説の内容を取材時に)知っていればよかったです」と答えてくれた(エースホテル創業者のアレックス・カルダーウッド氏は昨年若くしてお亡くなりになっているのである)。

 いやー、こういう質問ができてよかった。読者としてはものすごく贅沢なシチュエーションだった。なんだか久しぶりに『ジェネレーションX』のことを強い感情とともに思い起こす機会にもなったわけで。

 でも、こうしてブログを書いていてあらためて思い至るのは、『ジェネレーションX』のサブタイトルは「加速された文化のための物語たち」とあって、これってインターネット時代の直前に書かれた小説としては、その後のこの状況にたいしてモロに響いてくる「鋭さ」があるわけで。モノや資本や人間関係とかが加速させられまくったあげくのオーバーフロー気味な昨今の状況が、こうしたオルタナティブでインディーズな生活思考のムーブメントの広がりをもたらしたのであれば、うむ、やはりこの小説は今でこそ読まれる意義のあるものかもしれない・・・などなど。


 

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