Posts categorized "書籍・雑誌"

2018.05.28

楽しげな本が新たに発刊されましたよ:『退屈をぶっとばせ!:自分の世界を広げるために本気で遊ぶ』(オライリージャパン)

読んでない本について書くのはこのブログでは控えてるのだが、2日前に出た本で「わー!」となったので、その気持ちに従って衝動的に紹介。『Make:』の関連書籍はどれも刺激的で見逃せない。
アマゾンの紹介ページではこんな風に書いてある:
本書は、自分自身にとって意味のある人生を作りたいと考えている10代の少年少女のための書籍です。
その内容は「すぐに大人にほめさせない」「学校に行かないで学ぶ」「ADHDの子どもへのメッセージ」など、成長の過程で必要なことが書かれたエッセイから、「文章を書くためのエクササイズ」「批評する方法を身につける」「スニーカーをデコる」「クッキーの焼き方を通して科学実験を学ぶ」「政治家に自分の考えを伝える」「ガレージセールでお金をかせぐ」「自分で自転車を修理する」「ゲームデザインを学ぶ」など、自己表現、社会活動、DIYに関連したハウトゥまで幅広く、これらを知り、体験することで、企業が提供する出来合いの娯楽ではない、本当に夢中になれることを自分で見つけることができるでしょう。
・・・ということなのだが、もはやこれは10代の子供向けではなく、文章を書いたり批評したりスニーカーをデコったり、クッキー焼いたり政治を考えたりガレージセールしたり自転車修理したりゲームづくりに挑んでみたりとか、「これはぜんぶオトナも本気出してやるべきだろう」っていう気持ちになるわけだ(そう思わせるウラの意図なり、真の狙いみたいなものも、『Make:』だったりオライリーの本全般は匂わせてくるので、さすがというか)。

そしてこの説明文でグッとくるのが「自己表現」と「社会活動」の同列のなかにDIY精神が当たり前のように語られて、それが共有されている状況がうかがえることだ。それこそがずっと私にとってこだわりのある部分であって、「ものづくり=DIY」の部分だけでなく、「それを行う主体としての自分そのもの」が「手作り、創意工夫」のなかで「自己表現」となっていく感じ、そこをちゃんと押さえていきたいのである。

で、これを言うと立場的にどうなんだとなりそうだが、そういう精神性ってやつは、教育だけでは(もっというと政策だけでは)育成されないし、常に「計画性」とか「プロセス、効用、効果測定、カリキュラム」みたいなものを、すっ飛ばして、すりぬけて、意味の分からない方向へ飛び散っていくのである。アウト・オブ・オーダーな世界。ざまぁみろ、っていう。

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2017.12.18

最近のあれこれをダダっと書く

 うっかりしているとこっちのブログを書かないまま2017年が終わってしまいそうになる。こんなはずじゃなかった、っていうのが2017年の自分を表わしているのかもしれないのだが、よくよく考えるとこれまでの人生全般において「こんなはずじゃなかった」って思いながら進んでいる気がするし(みんなもそうだと思うのだが、違うだろうか)、いずれにせよ「書くこと」によって、そのときどきの自分を確かめていかないといけない気もしている。なのにブログの更新頻度はお寒い状況であった。

 今日の時点で、思いつく限りのことをメモ書きのようにダダッと書いてみる。勢い重視。

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「こんなはずじゃない」っていう2017年においても、「これはもう文句なしに素晴らしい!」と思えることはあるわけで、(この本)が発表されて(このようなことがあった)、というのは私にとっても2017年最高の出来事のひとつ。おめでとうございます!!

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そして「harukanashow」のポッドキャスト、11月は2回連続でKanaさんという若いアーティストさんと音楽遍歴について話をさせていただく。(こちら)と(こちら)。なかなか思い返すと恥ずかしくなる過去の個人史について語っている。でも「インスタント・レタリング」って今だと気軽に似たような状態のものを個人で作成できてしまう時代なんだよなぁ、と。

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 ついに、来てしまった! と思ったこと。

 先日、デイリーポータルZで「現存世界最古のモノレール」としてヴッパータールのことが紹介された。
 (こちら)がその記事だ。ライターさんがヴッパータールにいって、その独特なモノレールについて興奮して取材している様子が伝わってくる。

 2014年にドイツ旅行をした際、このヴッパータールは私にとって旅のハイライトのひとつだった。映画『都会のアリス』の舞台のひとつであり、ずっとあこがれていた場所だった。そしてドイツではこのなんともいえないぶら下がりのモノレールがとても有名な観光名所であるにも関わらず、日本ではほとんど知られていないというのも、旅情をくすぐるわけである。

そして私に近しい人なら皆知っているように、こういう「ネタ」は私が次なるZINEなりフリーペーパーを書くためには絶好の素材であるにも関わらず、それを本当に現実にモノにするためには途方もないダラダラとした時間が必要であり、言うだけ言って企画倒れ、っていうのがいつものパターンとなっており、これもその一つである。今これを書いているパソコンの近くの棚には無印良品で買った大きめのファイルケースがあり、そこにはマスキングテープが貼られ、マジックペンでひとこと「ヴッパータールZINE」と書いてある。そして私の記憶を辿ると、最後にこのケースに手を触れたのはおそらく前の冬だったかもしれない。そういうことなのだ。

 この味わい深いモノレールが走るヴッパータールがどれだけ素敵な場所かということと、そしてまたこの街を教えてくれたきっかけとしての『都会のアリス』という映画について、そのふたつの事柄がこの街を流れゆく川のようにぐねぐねと入り交じったようなZINEを作ってみたいとずっと思っていて、結局何も動いていないのである。

 そうこうしているうちに、こうしてデイリーポータルZが「ついに」記事として取り上げたのである。この状況は、かつて『DIY TRIP』を作ったとたんに大手メディアがなぜかポートランドを特集しはじめて、結局私の書いたものの情報的な側面が急速に古くなっていって焦った出来事を思い起こさせる。グズグズしていたら、すぐに大きな注目が集まってしまう昨今である。

 ちなみにヴッパータールに関するもうひとつ最近のホットな関連事象を。
 職場で働いていた後輩が、30歳になる前にもういちどワーキングホリデービザ取得を目指し、無事にドイツのビザを取って仕事を辞めて旅立って行った。その出発直前、はなむけの言葉もそこそこに(とはいえ大半は『うらやましい~』というセリフばかり連呼していたのだが)「ぜひヴッパータールに行ってみて」ということを私は強くオススメしていたのである。するとつい先日メールがきて、ドイツ入国まもなくタイミングよく雪景色のヴッパータールに行ってきて感動した旨のメールが写真つきで送られてきた。そう、こういうスパッとした行動力こそが大事なのだと、私はこれを書きながら痛感している。

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 「書いていないネタ」は、この秋にもうひとつ出現している。手ぬぐい屋「にじゆら」で買い物をしたときに、たまたま「工場見学ツアー」の応募があることを知りエントリーをしたら見事に当たり、大阪の工場でにじゆらの社長自らによる「司会・進行・解説」を務めるツアーに参加する機会を得たのである。
社長の情熱はただひとつ、この「にじゆら」で伝統的に行っている染めの技法「注染(ちゅうせん)」がどういうものなのかを消費者に広く伝えたいというもので、私はこの日すっかり感動してしまった(社長さんの喋りも熱くて面白かった)。当然これも格好の「ネタ」としてブログに書いていきたいし、写真もあるのだが、自分の理解不足の部分もあって、ちゃんと調べ直さないといけない気もしていて、結局ずるずると時間が過ぎている。いつかいい文章でこの工場で出会ったことを伝えたい。

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 この秋はいろいろな場所へ出かけていたのだが、そのひとつが伊勢白子の「大黒屋光太夫記念館」だった。今年の春からとつぜんマイブームと化した例のロシア漂流民『おろしや国酔夢譚』の話は、自分のなかでこの記念館来訪でひとつのピークを迎えたといってもよかった。しかし、しかし、当然ながら記念館にしろそのほかの史跡にしろ、こういうのは得てして「昔からそこにあるもの」なのであり、私のマイブーム感による高揚した気分で訪れても、現実的にはクールにならざるを得ない部分があるわけだ(この感じ、伝わるだろうか)。
 なのでおおむね「大人しい旅」に終わり、そうなるとあまり「書きたい」という気分にもならず、いまは自分のなかで粛々とその史実のことをときおり想起しては、いよいよ寒くなる日々に当時の彼らの気持ちを重ねて想像する程度に留まっている。でもきっとこうして、私は年を重ねながら少しずつ歴史とか郷土史とかに関心をよせていくようになるのかもしれない。

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本についてもいろいろ書きたいのだが、気持ちが追いつかない。
や、最近ほんとにあらためて「本、おもしろい」って素直に思うことが多い。

そんななか、
「ついに来た!」というか、「ついに出た!!」
という本。

雑誌『アイデア』の対談がついにまとまった、とんでもなく重厚な本。
これを乗り越える仕事は、今後の数十年は出てこないんじゃないかと思う。
そしてこの本には「自分自身の一部」が刻まれている以上、ちゃんと直視して読み通すべきなのだけど、どうもやはり、自分のなかで『いま何も作れていない』という焦燥感にかられるのも否めないので、実は順調にページが進んでいない。

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もう一冊、これは実用書ではあるのだが、

「こんな本よむヒマあったらブログ記事をひとつでも多く書けばいいのに」っていうツッコミは甘んじて引き受けるが、これは「アウトライン・プロセッサ―」についての私の思い込みや誤解を氷解させてくれたという意味で、「2017年度・目からウロコ賞」 を差し上げたい良書であったのだ。学術論文とか書く人にとっても改めて良いツールになりえる本なので、公私ともに強くプッシュしていきたい本。
アウトライン・プロセッサはどうしても「目次を作って、それを元に書いていく」という作業のための道具「でしかない」と思われがちだけど、そうじゃなくて、好きなように要素を書きまくって「並び替えること(=並び替えが容易であること)」の意味を積極的に思考の方法(もっと広くいえば、普段の生活の記録全般)へと活用していこうというところまで視野に入れていて、「そうだったのかー! もっと早く注目すべきだったー!」となっているところ・・・つまり自分にとっての最新のマイブームがこれ。

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急に太った理由として「アボカドをよく食べるようになったから」という原因を疑った経験のある方がいましたら、ぜひ語り合いましょう。

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そうしてとつぜん話を戻すと、「ヴッパータールについてのZINE」を作るためには「もういちど現地で取材をしないといけない」というのを自分のなかの言い訳にして、またドイツ旅行にいく、というオチは充分にありえる。

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2017.08.08

『誰にでも描ける! イラスト旅ノート。』(k.m.p.著)は旅=人生を楽しむ指南書としても秀逸だ

 イラストエッセイ風の旅行記をたくさん作っている2人組ユニット、k.m.p.による『誰にでも描ける! イラスト旅ノート。』(JTBパブリッシング、2016年)は、冒頭に「旅は3回楽しめる」と説明されている。それは「準備」と「旅の最中」、そして「旅のあと」だ。一度の旅をながーく楽しみ、味わっていくためにできる工夫がこの本には凝縮されている。

 本としてのトータルなコンセプトとしては「あなたも旅行の記録をこんな風にまとめてみましょう」という内容だけれども、その視点だけではなく、もはやこれはk.m.p.のお二人のこれまでの海外旅行経験から蓄積されてきた「取材ノウハウのすべて」を大公開、という向きでも読めるし、そして実際にこれまで作った本におけるカラフルでポップで濃密な紙面を、二人がどういうふうに考えて工夫して作ってきたかという「本づくりの舞台裏、メイキング」の大公開、みたいにも読める。そして一番大切な部分として「いかに旅(=生活)を楽しむか」というアイデアやコツをあますところなくちりばめてくれているという、一冊で4粒美味しい感じの、素敵な本である。

 たとえば、この本を書店でザッと立ち読みして、こう思う人は多いかもしれない・・・「こんなにマメな作業、自分にはムリ!」、うむ、それはよく分かる。そもそもがこの人たちの作る本すべてに言えることだが、ページにおける情報量が濃すぎて、すべてがマメマメしくて、超絶技巧を凝らしたアートみたいな本なのである。
 でもこれは、「あなたもこんな感じで旅行記をまとめなさい」という読み方を必ずしも要求するものではなく、「こういう旅行記を書く2人が、どんなアイデアや工夫をしているか、ちょっと知ってみたくない?」というスタンスで気軽に読んでも楽しめるわけである。つまり「自分にとって役立ちそうなものを取捨選択していく」という読み方だ。その点において「旅行をもっと自分らしく味わいたい、楽しみたい」と思っている人なら、「買い」の一冊だ。

 もし社会学系の大学生で野外調査(フィールドワーク)をしている人がいたら、ぜひこの本を参考にしてもらいたいぐらいである。旅行の計画の立て方や、現地でのメモの取り方なんかは、「実際に現場で数々の苦労をしてきたからこそ」の実用的なアドバイスに満ちている。そしてそうした作業をできる限り自分なりに楽しく実践し、その後のアウトプットをいかにワクワクしたものにするか、というところにつながっていくのが素晴らしい。

 個人的に参考になった点を挙げたらキリがないが、ひとつだけ。旅行ガイドブックの表紙を隠すために、別の大きい紙をブックカバーのようにする人は多いと思うが、その紙をわざと本の背丈よりも大きめにとっておいて、はみ出る部分を外側に折込んで、そうしてブックカバーにすることで「外側に簡易なポケットができる」というもの。「だから何?」と思うかもしれないが、私は「うぉ~!もっと早く知っておけばよかった!」となった。ささいな工夫だけども、現地で行動するときにはかなり有用なテクニックだと思えて、こういう小技は好きだ。

 そしてこの本では「番外編」として、こうして培った「旅ノートづくりのノウハウ」を、もっと身近な日常の「おさんぽ」でも活用してみては、という提案。日常も旅も同じように、「しっかり味わい、よく観察すること」や「良いことも悪いこともひっくるめて、自分なりに消化して、慈しむようにそれらを記録に残すこと」が、日々の人生を豊かにしていくことなのでは・・・というのが、k.m.p.のお二人によるささやかなメッセージだったりする。


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2017.07.31

ペンギン・ブックスの関連グッズっていい味だしてる

たまたま丸善の大きい店舗にいったら、洋書コーナーの隅っこに、ペンギン・ブックスの装丁をモチーフにしていた折りたたみ傘がディスプレイされていて、買いそうになった。でも自分としては折りたたみ傘は「軽量命、デザイン二の次」という考え方なので、踏みとどまった。

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調べたら案外、ほかにもペンギン・ブックスのグッズがあるのな。
でも日本語で調べてもあまりうまくヒットしなかった。
どこで買えるんだこれ、っていう。探せば日本でもあるのだろうけど。
ちなみにアマゾンでも「在庫切れ」っていうのが多い。

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と、ここまで盛り上がっておいて、私はケルアックも読んだことないんだが。
もっと言うと、洋書そのものを持ってないやん、っていう(笑)

でも欲しくなるな、この独特の味わい。

それにしても「ペンギンブックス 折りたたみ傘」で検索しているのに、日本語のグーグルはなぜ「Suica」のペンギンのグッズばかり推してくるのだ!? 全然違うやん!

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2017.03.04

さいきんのこと:プレステVR、デロンギ、『繁栄』、三谷幸喜と清水ミチコの対談について

 先日同僚のタスク家におじゃましたときに、最近話題の「プレイステーションVR」があって、ちょっと遊ばせてもらった・・・いやはや驚異の体験とはまさにこのことで、ゲームの世界に没入するというのは、文字通りの意味でこのVRという装置が叶えてしまった。

ファミコンをはじめて触って以来30年近くが経ったが、家庭用ゲーム機はついにここまできてしまったのかと、何か踏み込んではいけない領域を垣間見た気分で、「すげー!!」と叫びまくってしまった。当然、プレイ中は周囲に頭とかぶつけないようにしないといけないわけで、バーチャルの世界に埋没するがゆえに気をつけないといけない物理的状況を、現実的に配慮しないと危険なのである。当たり前といえば当たり前なのだが。

 実際にVRに対応したゲームの世界では、こちらの自由意志による視点移動を現実世界のそれのようにあらゆる角度で表示することを可能としている。つまり走行中の車のなかにいて、後ろをふりかえってみると、こちらの首振りのスピードに合わせて後部座席に映る景色をスムーズに見せてくれるわけだ。ふー。

 タスク氏はこのVRをまだ自分の子どもたちにはプレイさせておらず、それはとても賢明な判断だと思った。物心ついたときからこうしたバーチャル・ゲーム機器で遊びまくることで、いざ自分が生身の状態で運動をするときに、どうしても物理状況における限界、「身体が動き得る幅の狭さ」みたいなものを感じてしまい(動きにくいし、失敗したらケガも怖いし、いいことがない)、リアルな運動に興味を抱かなくなる子供が今後増えていくんじゃないかと想像してしまう。あくまでもバーチャルが楽しいのはリアルとの比較があるからなのだが、こうしたバーチャル・ゲームの流れが不可避となると、大きい目でみたときにどういう影響が浸透していくのか、見守っていくしかないのだろう。

 ちなみに、ゴーグルで映像を見せる装置という観点でいけば、このVRをつけたときに真っ先に感じたのは「まるで映画館にいるみたい」ということだったので、寝たきりの人とかがDVDの映画を楽しむときの補助具というような方向性も今後発展していくのだろう。


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いまさら驚くべきことではないのだが、住んでいる場所がとても寒く、部屋が冷え冷えとしており、エアコンだけでは限界を感じていた。しかし改めて賃貸契約をみると、燃やす系の暖房機器は使えないので、最近思い切ってデロンギのオイルヒーターを買ったのである。

 いままでオイルヒーターの導入をためらっていたのは、「置き場所によって性能が発揮できるかどうかが決まる」とか、「すぐには部屋が温まらない」という情報が、どうもひっかかっていたからである。しかし、ためらっているあいだにも部屋は寒いままであり、「ないよりはマシだろう」と買ってみたわけだ。

 そして結論からいうと「たしかに、いったいどこに置くのが正解なのかが分からない」ということだった。いちよガイダンス通り、もっとも寒くなりやすい窓際に置いているのだが、あまりにカーテンや壁にヒーターを近づけすぎると危険らしいので、このポジショニングが実に中途半端なものになるのだった(電源コードとコンセントの関係も考慮しないといけないし)。そして案の定、あまり温かさを感じることはない。

 これは何かに似ているなぁと思ったら、それは「どこのポジションが最も適正なのか分からないままのサッカー選手」だった。チームを去るときまで、結局どこのポジションがベストだったのか分からないままの選手はかなり多い。そのモヤモヤがまさにいま、オイルヒーターという物体として私の日常に、ささいな懸念事項として存在しているのである。

そういう意味ではかなり人間くさい器具かもしれない。そう思うと愛着すらわいてきた。寒いけど。

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 最近読んだ本でダントツに面白かったのが、マット・リドレー・著『繁栄―明日を切り拓くための人類10万年史』 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2013年)だ。

「いろいろ言われているけど、世界はこの10万年単位で、確実に『良く』なっている」というのがこの本の主張なのだけど、その是非はともかく、人類の繁栄のキーとなったのが「分業と交易・交換」という概念であるというポイントはとても示唆的だ。あるアイデアを、他人とシェアしたり、交換しあうことで、新たなアイデアが生まれていくということをひたすら繰り返してきたからこそ、人類は生きのびることができたというのがこの本全体を通して検証されている。

このネット時代だとなおさらその「分業・交換」のプロセスは予想を上回る規模とスピードで行いうるのだから、そうしてまた新たな課題解決に人類は取り組み、乗り越えていけるのだろう・・・という前向きな気分が読後感として残るので、ひろくオススメしたい一冊。

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あ、あともう一冊、このシリーズをいままでなんでスルーしてきたのだろうと後悔していて、このごろジワジワと集めて読みまくっている。三谷幸喜と清水ミチコの対談集。

もともとはFM番組での喋りを文章化しているのだけど、なんかこう、言葉のテンポや相手の発言への切り返しとか、文章だからこそできる「ある種のカタチやパターン」において、読み手を引き込んで、笑わせる技術に昇華させていて、この二人の絶妙なレベルでの掛け合いが、読んでいて爽快なのである。

ちなみに「むかつく二人」の文庫版は6年前に出たものだが、巻末の解説はいまをときめく星野源が書いていたりする。



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2016.11.27

ポッドキャスト『Harukana Show』で村上春樹の訳した『グレート・ギャツビー』について語りました

イリノイ州アーバナシャンペンからお送りするポッドキャスト「ハルカナショー」、No.297, Nov.25, 2016 「秋の夜長、村上春樹の世界観にふれるwith Tateishi」ということで、最近のマイブームを話そうと思って、このブログに書きそびれたままのネタ、村上春樹が訳したスコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』の話をさせていただく。

ポッドキャストは(こちら)より。

最近はまったく村上春樹を読んでないのだけど、高校時代に集中的に読んでいた時期があって、その延長で『グレート・ギャツビー』も当時の翻訳で読んだけど、なんかさっぱりで、でも書き出しと結論の部分の美しさは確かに印象が残っていた・・・という作品だった。村上春樹がもっとも好きな小説として挙げていて「老後の楽しみとしていつか翻訳する」と何かのエッセイで書いていて、それがいつのまにか10年前ぐらいに早々に出版されていたことを知りちょっと驚いて、ずっと気になっていて、最近ようやく手を出した・・・という顛末。

装丁に関してはこっちの下のほうの廉価版?のバージョンのほうが断然好みなんだけど、なぜかAmazonではこのバージョンが表示されない。
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ちなみにこの一連の翻訳シリーズは和田誠氏による他の装丁も絶妙にツボな写真を使っていてすごく好き。
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作家にしろミュージシャンにしろ、その本人が強く影響を受けた大好きなアーティストの作品にたいしてカバーをしてみたりオマージュを捧げたりするのはすごく興味深いもので、たとえば個人的にすぐ思いつくのはローリング・ストーンズがカバーするロバート・ジョンソンの『Love in vain』とか、「この曲本当に大好きなんです濃度」の高まりが素敵すぎて(あ、このブログの左端の下のほうに表示してる、好きな音楽動画を集めた中にも未だにアップしていますが)、もはや原曲よりもさらに違う味わいを放っていて、いろんなライヴ音源とかをネットでいろいろ探したくなる。アーティストによる「一方的な思い入れ、片思いっぷり」みたいな情熱を本家に向けて捧げていくそのテンション、私は好きである。

とにかく、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』ですよ。村上春樹が作家人生を賭けて最大限の愛情を込めて必死に翻訳した文章が面白くないわけがなくて、文章表現として何を読者に示して、どこで会話文を入れて、どこで情景描写を行って、どこまで言葉で説明するか/あるいは説明しないのかといった独特のバランス感、立体感というか・・・村上春樹は「テクスチャー」などと表現しているけれど、そういう「ある種の感触」が絶妙で、たしかに村上春樹がこの小説の魅力を力説するだけのことはある気がした。他のところで村上春樹は「文体とは乗り物みたいなもの」と書いていたことが印象的でずっと覚えているのだが、今回の翻訳を読んで、あらためて「読者を乗せて運ぶ」という概念を考え抜いていくことが文章を組み立てていくうえでの重要なポイントなのだと実感。

で、そうしたフィッツジェラルドなどの文学者を見出して編集者として支えたマックス・パーキンズの評伝を今読んでいるところで、例えばこの『グレート・ギャツビー』の完成までをパーキンズがどのようにオーガナイズして軌道修正させていったかなどのエピソードがすごく興味深かったり。
この本を原作として作られた映画で、今年たまたま日本で公開されている『ベストセラー:編集者パーキンズに捧ぐ』を見逃したことを後悔していたのだが、よくみたら関西では1月にも京都シネマとかでやるみたいで、ありがたい。

しかしこの映画版の主軸である肝心の作家トマス・ウルフの本って日本でなかなか手軽には手に入らないのが謎。古本でやたら高値になってる。


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2016.09.12

『TED TALKS:スーパープレゼンを学ぶTED公式ガイド』&TEDICTのアプリが素晴らしい件

 出たばかりの新刊書をすぐ買って読むことは少なくて、ましてそれを人に勧めるのも稀なのだけど、この本は強烈にマジでおすすめ。
 この本はTEDが発展してきた歴史的展開をふまえつつも、それぞれの章において実に巧みに「プレゼンテーションの実践的ハウツー」を余すところなく紹介しており、きわめてストレートすぎるほどの「実用書」だった。と同時に、この本で実例として触れられているTEDトークの数々も、まだ観たことのないものが多くて、それらをすかさずネットでチェックしたくなるという意味では、「TED自体のPRプロモーションの本」としてもバッチリ狙い通りだったりする。

 特にこの本で繰り返し強調されているのは、ひとつのトーク、ひとつのプレゼンは「聞き手を旅行に誘うようなもの」というコンセプト。話者は旅行プランナーであり、観光ガイドであるわけで、「いかに面白い旅を提供するか」という切り口で捉えると、どこでみんなの注意をひきつけ、どこで「景色を味わってもらうか」を考え、どこまで自分の言いたい説明を、旅への興味を削ぐことなく伝えていくか・・・などなど、あらためてプレゼンの準備において大事なものがどういうことか、考えさせられる。

 というわけでこの本を読みながら、終始「うまい・・・さすがや・・・」と、唸った。つまりこの本の内容として、お客さん目線で知りたいことを知らせ、熱い気持ちにさせつつ、しっかりと自分たちの言いたいこともページの隅々に染み込ませていて、その方法論そのものが、まさにTEDが目指しているありかたにも通じていることがわかる。だからこの本を通して学べることは、今後もTEDの壇上にあがるようなことがない人々(ほとんどがそうだ)にとっても十分に役に立つわけで、もはや人前でのスピーチだけでなく、広くコミュニケーション全般において忘れたくないネタが満載の、買って読んで損はない一冊となっている。

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 ちなみにTEDの動画を用いた英語のリスニング教材のアプリで「TEDICT」というのがあるのだが、これが実によく出来ていて、ゲーム感覚でTEDのトークをネタに「リスニングしながら単語並び替え作文」ができてしまうので、移動時の暇つぶしには最適。私のiPodにはこれに加えてウィズダム2の辞書アプリも入れていて、分からない単語はTEDICTの画面からコピーしてすぐに調べられるのでこの組み合わせは今のところ最高だ。
 TEDのお気に入りトークをひたすら聞き続けるわけだから、話の内容も英単語も染み込んでくる感じがあって、かつ「英語を勉強している感じがあまりない」というのもポイント。数多くの英語教材が「日常会話の例文」を覚えさせようとして、もちろん大事なのは分かっているけど、どうしても「わざとらしい会話」に感じてしまって覚える気になれない自分にとっては、いやホント、良い時代になったと痛感している。少なくともこの分野においては。
 TEDICTについてはこちらの記事など!


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2016.07.27

「『無知』の技法:不確実な世界を生き抜くための思考変革」

Amazonのカスタマーレビューでやたらと高い評価を受けていたので期待して読んだのだけど、読書体験の面でいえばそんなに言うほどグググと魅了されて読める本でもなかった。細かいツッコミをさせてもらえれば、それぞれの個別事例が興味深いわりに、その内容の説明があっさりしすぎていて、読んでいて消化不良になる箇所がところどころあって、そこが惜しかった。まぁ、本当に興味があるんだったらあとは自分で調べてちょうだい、っていうことか・・・。(アメリカのモンタナ州にあるリビーという小さい町で、アメリカ史上最悪の環境被害とも言えるレベルでアスベストの被害が長年存在していたにもかかわらず、当の住民たちがその事実を頑なに認めようとしなかった、つまり「この町は健全だと“知っている”」ことに固執しすぎて惨事を広げてしまった事例なんかは、いろいろ考えさせられる興味深い事例だ)

この本の言いたいことは、つまりのところ「私たちはもっと、『わからない』と率直に表明することを怖れるべきではない」ということだ。ますます世の中が「高度プロフェッショナル人材」を求めている(ように見せかけられている?)時代において、「専門性」をもったプロ職業人を養成しなければならない・・・っていう風潮のなかで、いろいろな局面で「私はそれを知らないです、分からないです」と認めることがますます言いにくい状況になっているのだけど、そのせいで本当に重大な決断が深い熟慮なしに、本人のメンツや見栄という要因で安易に決定されてしまうこと、そういうことに警鐘をならす本である・・・今に始まったことじゃないけれども、この問題って古今東西なくなる気配はないので、やっかい。

この本の最後あたりで繰り返される「闇に飛び込む」「未知を楽しむ」っていう姿勢だったり、途中で引用されている霊媒師さんのセリフ「天使と悪魔のあいだの空間で生きる方法を学びなさい」っていう言葉なんかは、まさに昨今の自分たちが置かれている状況に照らすと、「うむ・・・」と深く反芻したくなるものがある。中途半端なものに耐えること、分からないものを分からないまま抱えることのできる体力っていうのが、ますます大事だと。

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ちなみに。
上記の本の著者がもし日本語を理解できたら、あなたの追ったテーマと同じ方向性で、面白くてためになる先行研究としてこんな本がすでに書かれていたんですよと強く薦めたい。


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2016.02.28

「自然史」の観点からアイデア創出の秘密をさぐる:『イノベーションのアイデアを生み出す七つの法則』 スティーブン・ジョンソン著

 この本には邦題に問題があるように思えて、そのせいかAmazonでもレビュー数が少ないのが残念である。たしかに日本の出版社はこの本をたくさん売りたいがためにこういう安直な日本語タイトルにしたのだろうけど、そのことで「誤解や期待ハズレ感」が生じるのは否めない。この本の原題は「Where Good Ideas Come From: The Natural History of Innovation」つまり「良いアイデアはどこからやってくるのか:イノベーションの自然史」なのであり、「自然史」の部分がキモなのである。つまり歴史書として捉えたほうが適切であり、単なるアイデア発想法のハウツー本ではないのである。何よりそこは強調しておきたい。

 この本ではダーウィンらにおける進化生物学の理論構築から活版印刷やコンピュータといった電子技術に至るまでを、イノベーション創発の観点でダイナミックに論じている。イノベーションは、それを生み出した個人のひらめきや能力に注目しがちであるが、それを支えたり誘発させやすい要因を史的な枠組みから捉えてみようという意欲的な一冊なのであった。

 特に冒頭の「隣接可能性」の章で語られていたことで、隣り合うさまざまな部屋のドアを開けるように、あらゆる可能性を試行錯誤しながらどんどん探索していくその姿勢は「DIY精神」そのものであり(奇しくもわたしがDIY精神について他人に語るときと同様、この本でも映画『アポロ13』のことに触れているので、私はこの著者とだったら飲みに行けると思った)、そしてそのあとの章で出てくる「セレンディピティ」も、これは自分にとっては「シンクロニシティ」の話であり、まさに高校生の頃から今に至る、自分の抱えるまとまりのない関心領域を結びつけそうな道筋を語られちゃった感じがして面白かった。こういう本を書いてみたかった・・・。

「ゆっくりとした直感」の章では、2001年におけるアメリカ同時多発テロが起こる兆候を、それぞれ別の捜査官が自分のテリトリーのなかで事前に感じ取って危機意識を発信していたにもかかわわず、しかしそれら個々人の「直感、ひらめき」が結びつくことがなく、誰にも関心を持たれずに終わってしまったことの悲劇を取り上げている。これは同じ著者がその後に書くことになる『ピア: ネットワークの縁から未来をデザインする方法』にも通じるテーマなのであるが、中央集権的な古い体質の組織における「どうしようもなさ」についての著者なりの「怒り」に似た、強い主張を感じさせる部分だ。

 あとこの本でたびたびサンゴ礁の話が語られていたので、いま個人的にもサンゴ礁のことについて関心が高まっている。これからの社会組織(たとえば教育機関のあり方とか)を考えるうえで「サンゴ礁モデル」っていうのは有益なポテンシャルを秘めた知見がたくさんありそうな、そういう示唆も与えてくれた。

 著者によるこの本に関連したTEDトークも観られる。18分ぐらい。こちら
ここで語られている途上国での保育器の話や、ソ連のスプートニクからの信号をほんの思いつきで追いかけた研究者の顛末なども同書のなかでじっくり紹介されている。

 ちなみにこの本の存在を知ったきっかけは、オースティン・クレオンの『クリエイティブを共有(シェア)!』における参考文献リストで挙げられていたからであった。この著者による以下の本たちはこれはこれで気軽に楽しく読めておすすめ。
 


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2016.01.20

「あったかもしれないパラレルワールド」としての、昭和15年の東京オリンピックを今この時代に思うこと: 『幻の東京五輪・万博1940』(夫馬信一・著、原書房)

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 『幻の東京五輪・万博1940』夫馬信一・著、原書房

 2020年に「また」東京でオリンピックが開催されるわけだが、そんな状況においてこのような興味深い本が出たので紹介させていただく。

本当だったら1940年、昭和15年に行われていたかもしれない東京五輪・札幌冬季五輪・日本万博について、その計画経緯や準備状況、そしていかに「幻」に終わっていったかを丁寧に、豊富な図版とともに検証していく本である。歴史に疎い私は、戦前に冬季五輪や万博までもが計画されていたことなど、これまでまったく知らなかった。

 で、私がこの本の存在を知ったのは、実はひょんなことで私もこの本の、ほんの0.1ミリ程度だけ貢献させていただいたからである。

 このブログとは別にやっているサッカーのブログで、2012年の正月休みに訪れたベルリンのオリンピックスタジアムにあった鐘の写真を載せていて、著者の夫馬さんがたまたま検索でその写真にたどり着き、画像の使用許可を問うメールをくださったのである。そういうところで役に立つのであれば、私にとってあの旅はさらに意味のあったものになるわけで、うれしかった。

 「あとがき」を読むと、著者の夫馬さんはこの本を9年かけて準備されていたようで、70年近い時を隔てた資料や証言と格闘し続け、そしてその間に2020年の五輪が奇しくも東京に決まったり、そういったタイミングのなかで、寒空のベルリンで私の撮影した何気ない写真も、インターネットでもたらされた縁によって関わり合いをもつことになったわけで・・・不思議なつながりのなかで私が知り得たこの一冊の本もまた、「五輪をめぐる歴史」のひとつになっていくのであれば素敵なことだと思った。

 ちなみに巻末の協力者のクレジットのところ、名前だけじゃなくこのブログのタイトルまで入れてくださっていて、ちょっと恐縮(笑)。


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