カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2026.05.23

『自分のために本をつくる ZINE&リトルプレス ビギナーズガイド』(石川理恵・著、グラフィック社)という本のこと

 自作のフリーペーパーを最後に印刷して配ったのがそろそろ10年前になることに気付いて愕然としている。マジか。この10年のあいだに何があったのかうまく思い出せない。コロナ禍の数年間はもう記憶に残したくないぐらいだし、引っ越しが一回あって、ほかに思い浮かぶことといえば最後にロンドンに行けたのが2017年の夏で、その後にひょんなことからスキーに一人でハマったり、マラソン大会の応援企画を冬場には楽しくやり続けていて、そして春にはKYOTOGRAPHIEのボランティアをこの3年間はがんばっていることぐらいで、他に何かあったっけとなり、あっという間という言葉では追いつけない速度感に苛まれる。

 そんななか最近になって、グラフィック社の編集者の方から連絡をいただいた。2012年に出版された『自由に遊ぶ、DIYの本づくり』をもとにリニューアルした本が計画されるとのことで、当時その本に掲載されていた、私の最初のZINE『DIY TRIP』の制作事例を取り上げた取材記事の再録についての問い合わせだった(正確にいうと、2011年に出た『リトルプレスをつくる』との合本・増補改訂版ということになる)。

 私としてはまったく問題ありませんと二つ返事でオッケーを出したものの、しかしそれにしてもだ、この『DIY TRIP』の作者自身が、もうこの10年間たいしたものを作って発表していなくて、その点についてはひたすら恐縮するしかない。再録にあたり、あらためて本文の校正をする機会をいただいたのだが、あまりに自分が当時と違って「現役感」に乏しいので、ページの隅にちょこっと入っているフリーペーパー『HOWE』の紹介部分は、私のふがいない実状に沿って少し手を入れさせていただいた。弱気なアピールである。この新しい本の読者さんがせっかく『DIY TRIP』や『HOWE』にもし興味を持ってもらっても、肝心の現物が手に入りにくいわけで、そこはちょっと申し訳ない気分になって、クヨクヨしている(フリーペーパーについては直接連絡をもらえたらなんとかします)。

 こうして『自分のために本をつくる ZINE&リトルプレス ビギナーズガイド』(石川理恵・著)という本が、このたび4月末にグラフィック社から刊行されたのである。ゼロから想いを立ち上げて、あれやこれやと冊子の形にし、人に読んでもらうまでのあらゆるステップが丁寧に解説されていて、これはZINE/リトルプレスの制作・流通を扱ったものとして現代の日本で手に入るなかで最良のテキストブックであると強く思った。

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 急いで付け加えるが、ZINEをつくるという行為にまつわるDIY精神論的な観点からいえば「そもそもテキストブックなんて不要だろう」という考え方は当然あるだろうし、「お手本」や「効率性」なんて気にせずに試行錯誤して自力でやり方を見出すことのほうが、より大事なのではという意見も、もっともだと思う。

 ただしそういうツッコミの部分を心の片隅に置きつつも、それでもこの本は良いテキストブックになっていると考えるし、そして感謝の気持ちもわき上がってきて、それはきっと、自分自身が「停滞している作り手」だからなのかもしれない。これは私個人の事情ゆえに基づく感慨みたいなものであって、「私がボヤボヤしていたこの10年のあいだに、ZINEづくりを取り巻く環境がこういうふうに変わりつつあるんだな」ということを余すところなく伝えてくれる、充実の改訂っぷりがこの本には詰め込まれている。自分が関与しているという「贔屓目」があるのは仕方ないかもしれないが、とかく著者の石川理恵さんをはじめとして、この本をリミックスして改めて世に放ちたいと思った人々による、ZINE/リトルプレスのシーンを活性化させたいという熱い気持ちが、自分には「リハビリ」のように効いてくる、ということだ。
(そして一方で、時代的にアナログ手作り出版物としてのZINEというものが広く認識され実践されつつある現況だからこそ、こうした出版企画が可能になっている、ということについても思うところはいろいろあるわけだが)

 なにせこの書名の冒頭には「自分のために本をつくる」と書いてある。これは、やもすると挑発的なフレーズだと感じる。「なぜZINEを作るのか」と問われるとき、それが「メディア」であるがゆえに、自分以外の人々に読んでもらいたいという、外側からみてもわかりやすい動機が絶対的にあるはずで、しかしその本質のところでは、ただ一人この世をただよう我が身のために作ることが奥底に横たわっていることを示唆している。結果として誰からも読まれないかもしれないし、幸運にも読まれたとしても無言でお互いの時間はただ過ぎていくだけかもしれない。でも少なくとも何かはこの世界のなかで作られて存在していて、それを果たした手応えは、自分のためのものとして最後に残っていく。そんなことをタイトルから思い浮かべた。

 だからこそ、自分のために作るうえでも、走り出そうと蹴り出した足の、その足が接する地面のように、誰かの言葉や仕事を求めたくなる。その土台や支点があってこそのDIY的なる試行錯誤の旅がはじまるような感じを認めておきたいのである。

 それはちょうど、私がインターネットという言葉をまだ知ることがなかった1995年の春にふと立ち寄った、近鉄奈良駅の北側にある東向北商店街の、今は営業していない豊住書店(今回ちょっと気になって調べたら江戸時代から存在していたとっても古い書店だったと知って今さら驚いている)の奥の書棚にぎっしりと並んでいた「別冊宝島」のバックナンバーから『新・メディアの作り方』を手にとってページをひらき、そこに『俄』という三つ折りのフリーペーパーの書影の写真を見つけたときに何らかの衝動性が電流のようにピリッとやってきて「自分でも作れるんじゃないか」と感じ、本を買ってその日の夜にワープロ専用機で『HOWE』を書きはじめたときのことを思うわけである。

 誰かがこのあたらしい本で思わぬところからインスピレーションを受けるかもしれないのであれば、その可能性をできるだけ広げていきたい。自分がそうだったように。

 そして今回この文章を書きながら改めて思い至ったのは、そもそも『DIY TRIP』をつくるきっかけとなったアメリカへの旅だって、もともとは『Stolen Sharpie Revolution』という正真正銘の「ZINEづくりガイドブック」を読んだことが始まりにあるわけで、つまり私にとっては「一冊の本にインスパイアされる」というのが、いろんな行動につながる、最初に起こる火花みたいなものになりやすいのかもしれない。

そういう意味では今回のこの本『自分のために本をつくる・・・』だって、クヨクヨしている自分がふたたび何かを語りたくなるきっかけにしてもいいわけである。そう思うことにする。

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 そして偶然にも、上記の文章でしめくくってこの記事をアップしようと準備していた矢先、つい昨晩に思わぬところでZINEのことに出くわした。

 人生の成り行きのアヤで、私には文化人類学に関わりが深い、ちょっと変わった友人知人恩人(ホメてます)が多数いるわけだが、そんな彼らが企画している「井戸端人類学」と称する研究会に出向き、そこで久しぶりにKさんと顔を合わせた。この日の発表者である彼はタイと日本を行き来し、多国籍の患者をケアする施設で介護職として奮闘した経験から文化人類学にたどり着くのだが、一筋縄ではいかない彼の人生譚、そしてさまざまな看取りや別れを経て彼なりに感じたタイと日本の死生観について、お手製のグリーンカレーをみんなで食べながらその語りを共有するという企画だった。

 そんな破天荒なKさんは私に会うなり、お久しぶりの挨拶もそこそこに「最近、ZINEをつくりましたよ!」と、彼がこの日取り上げたテーマにもとづく、タイでの義母の死や、ご自身の親の遺骨をメコン川で散骨した話などを写真とともにつづった冊子を紹介してくれたのである。私はそもそも、ZINEを作っていることをKさんに話したことすらも忘れていたほどなのだが、こうして彼にとって私は、「何かをつくって、人につたえる」手段のひとつとしてZINEを選ばせるきっかけの一部を作ったような存在であったことを、図らずも知ることとなった。つくづく人生はいろんなやり方で刺激を与えてくれて、何かを思い出させてくれる。

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2026.04.29

KYOTGRAPHIE2026:2週目の彷徨記録

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ひきつづき京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」2026の記事を。開幕して2週間がたち、いよいよゴールデンウィークになるとさらに来場者も増えてくるであろう。

自分はメイン展示では北部の7番(ジュリエット・アニェル)と6番B(タンディウェ・ムリウ)だけを残して、あとは一通り回らせてもらった。ダダダッと各地の感想を。

まずはサポートで入らせてもらった京セラ美術館の森山大道回顧展。

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SNSでは高評価なリアクションが多く見受けられ、圧倒的な物量の展示がインパクトを与えているようで、実際に現場に来てみて納得。

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キュレーターの狙いとして、森山大道が雑誌をメインに作品を発表してきたことから、展示会場そのものが雑誌のような、イメージの洪水が表現されているかのよう。

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過去に発表した写真集の多くは実際に来場者が手に取って閲覧できるようになっていて、この様子をスタッフとして見守っていて興味深かったのは、「やたらとお客が手に取りがちな写真集」があることだった。おそらくそれは装丁の影響なのだろうかと仮説を立てた。装丁は大事だ、と。

あとこの日は半日だけのボランティアに入っていて、そのうち1時間だけ受付のチケット確認係を担当していたのだが、ちょうどそのとき京セラ美術館の他の展覧会にお子様を連れて訪れていた友人のたじまりが、受付にいるタテーシを発見した。すごい偶然。

この京セラ美術館ではもう2つメイン展示が隣で行われている。

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「SOUTH AFRICA IN FORCUS」ということで、まずアーネスト・コールについてはこれが日本ではじめて紹介される機会になっているということでとても意義深い展示であり、かなり見応えがあった。

来場者を迎える最初のゲートから、いろいろ突きつけてくる。

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代表作が南アフリカで発禁処分となり、自身も国外に逃れ、その後は流浪の人として生きるも40代で亡くなり、長きにわたり行方不明とされていたフィルムのネガが近年になってスウェーデンの銀行の金庫で大量に発見されたとのこと。

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当時のアパルトヘイト政策下における南アフリカの状況を、写真としては美しく収めつつ、社会状況の厳しい実態をストレートに告発している。

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もうひとつの展示がピーター・ヒューゴ。現代に生きる南アフリカのフォトグラファーとして、本展示では大きい写真や小さい写真を並べ、生まれた子どもと、老いていく両親へのまなざしがコントラストのように構成されているのが印象的。

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そして祇園四条の方面へ。
ygionでの福島あつし「灼熱の太陽の下で」。

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農業の現場を生きる写真家による、まさに灼熱の写真。のっけから巨大なミミズの写真には圧倒されたり。

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鴨川ぞいのロケーションゆえに、天気がよいと写真の見え方もより鮮烈な印象になる感じがした。

そのすぐ近く、ASPHODELでは柴田早理「Dotok Days」。

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フランスのシャンパーニュ地方の葡萄園で滞在した時期に撮影されたセルフポートレイトということで、登場する人はすべて自分が演じて合成したということか。日本における農村の茶摘みだったりお祭りだったりを、フランスの農園を背景に展開していく作品群がちょっとユーモラスだったりする。

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最上階の作品群も、空間との共鳴が素敵だった。

つづいて、京都文化博物館ではリンダー・スターリング「LINDER: GODDESS OF THE MIND」。

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こちらも自身を撮影したポートレイトだったり、パンク/フェミニズムの視点から刺激的な写真が、日本初展示ということで紹介されている。

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▲「She/She」という作品は、自身が活動していたパンクバンドの歌詞とともに「セルフ・モンタージュ」と称した手法によるポートレイトが並ぶ。これはカッコ良かった。

グラビア誌のポルノグラフィー写真に家電製品などを貼り付けたりする作品など、多くの作品で切り抜かれたイメージがコラージュされているのが特徴的だが、作者へのインタビュー映像のところでは「幼少期に、大事だったはずのドレスをハサミで切り刻んだことがある」というエピソードが語られたりしている。パンク魂がその頃からあったかのような。

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▲展示のなかに、30分ほどのビデオ上映があって、ヘンテコな衣装をまとった4人のダンサーの奇怪な踊りが延々と流れていたのだが、意味が分からないなりにも妙にハマって最後まで観てしまった。

で、無料会場としての「KG+」のことも。
「KG+SELECT」では10人の写真家によるコンペティション展示となり、この中から来年のメイン展示に1名が選ばれるというもの。

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▲今年の会場はくろちく万蔵ビル。1FではKG+オリジナルのグッズ販売や、KG+の膨大な展示会場のフライヤーたちがたくさん置かれていたりして、KG+独自のインフォメーション・センターの機能を果たしている。

今回観た10人の展示で自分が最も感じ入ったのは、ポーランドのピオトル・ズビエルスキ「ソリッド・メイズ」。

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なんとも捉えどころのない世界観だけれど、イメージとしては自分はこういうのがすごく好きなんだよなぁと再認識させてくれた。

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ただ今回のアワード受賞者はすでに決定しており、インドのスリダー・バラシュブラマニヤム「マナルスザル(砂の旅)」が来年度のKGでメイン展示を行うことに。

あと先日訪れたKG+でいえば、三条通りの同時代ギャラリーでのSAMURAI FOTOという、写真を通した国際交流を志向する団体による合同展をふらっとのぞいたり。

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この2名の作品がとくにグッときた。

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▲升本真理子「Sync」

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▲Ingo Bork「Fog and Clouds along the California Coast」

KG+のこうした企画展はたまたま歩いているエリアに出くわしたら入ってみる感じが楽しくて、でもこの時期はできるだけボランティアをしていたいから、そこまでウロウロする時間があまりないというジレンマがある。

で、今回の記事の締めくくりは、この記事を書いている日にサポートスタッフとして入らせてもらった、嶋臺ギャラリーのアントン・コービン展のことを少し。

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改めてスタッフ側として会場にたたずみ、お客さんたちの様子を眺められたのがよかった。
たとえば、友人と連れだって訪れるお客さんが、自分の好きなセレブの写真の横で同じポーズをして記念撮影をしていたり。「そうか、有名人のポートレートが主題なだけに、こういう展示だとそういう現象が起こるのか」と気づかされたり。

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ちなみにこの会場で唯一BGMが流れている部屋があって、会場担当リーダーさんの説明によると、アントン・コービン自身の手によるプレイリストで選曲されていて、なかには展示されているミュージシャンのものがちらほらと流れていたりする。

あと京都の光明院で収録したというコービンへのインタビュー動画は、いまのところウェブなどでの一般公開は予定されていないとのことで、この会期中の現地でしか観られないのであった。

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▲いろーんな有名人の写真があって見どころが多いのだが、とりわけ興味深かったのが、この晩年のウイリアム・バロウズ。(とはいえ、私はちゃんと彼の作品を読んだことないんだけど)右手の脇にはたくさんの銃痕があり、そして左腕のヒジの窓枠のところには、なぜかファニーな顔のイラストの落書きみたいなのがあって、あえてこの場所で撮影を行ったということも含めて、その人物独特のキャラクター性をさらに味わい深くしている。

というわけで、ぜひ連休中は京都へ、KGにお越し下さい(って、至ってフツーな結論ですが、この時期はどうしたって営業宣伝モードになってしまうわけです。お客さんあってこその写真祭なので!)

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2026.04.19

祝開幕、2026「KYOTOGRAPHIE」最初の週末の走り書き的感想

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 今年も開幕した京都国際写真祭KYOTOGRAPHIE(以下KG)について、最初の週末を終えたところでの、走り書きメモのような記事を・・・。

 ボランティアスタッフとして3年目を迎える今年は、はじめて(新年度早々に職場の休みを入れてw)開催前日の金曜日のプレ・オープンの日にスタッフ参加を申し込んでみたわけで、割り当てられたのがKGのインフォメーション・センターである八竹庵。まさにKGのコアな部分に入らせてもらう形になり、開幕前日ということで、きっとむちゃくちゃ慌ただしいのだろうな・・・と不安を少し抱えつつ一年ぶりに現場へ。でも実際に来てみたら、さすが12年以上やっているイベントともなるとソツなくすべてがオーガナイズされており、この日に来るのはプレス関係者やVIPだけということもあり、お客さんを迎えるのも落ち着いて対応できた。

とはいえさすが前日準備ならではのちょっとした業務が楽しめて、14台のレンタルサイクルの納品を手伝い、その車体番号に応じて電動アシスト自転車のバッテリーそれぞれに番号札を貼る作業を自分がやらせてもらった。今年のKG特別レンタサイクルを利用した場合、そこに貼られた養生テープ部分が、やや心許なかった場合は、あぁタテイシが雑な貼り方をしたんだなと思ってもらって間違いない。

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 前回の記事でも紹介したように今年は八竹庵でファトマ・ハッスーナの追悼展示がある。パレスチナの状況を伝える写真を撮りつづけた彼女がイスラエルの爆撃で亡くなる前に、支援者とかわしたiPhoneのビデオ通話の記録について、そのままiPhone1台だけを暗い室内に置いて動画を流すという展示が行われている。何もない暗い空間に、ぽつんとスマホだけが光を放っているその空間が、まさに彼女の置かれた境遇を表わしているかのような場となっている。

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 そして八竹庵でのもうひとつの展示は、今回のKGで重点的に取り上げられている南アフリカにフォーカスし、「A4 ARTS FOUNDATION」による、同国における写真集のありかたをめぐる歴史的変遷を、その政治状況を含めて振り返るもの。ほとんどの写真集は手にとって眺められるようになっている。

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 次の18日は誉田屋源兵衛の会場に行き、サポートスタッフとして開幕日を迎えた。色彩の鮮やかなタンディウェ・ムリウの展示の2階では誉田屋の帯の特別展示も行われていて、自分にはまったく分からない世界なのだが、これはこれでスゴいものを見ている! と唸るような超絶技巧の帯が飾られている。

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 そして同じ誉田屋でもうひとつある展示は、去年のKG+で観たときから関心を寄せていたフェデリコ・エストルの「シャイン・ヒーローズ」。「靴磨き」がテーマなので、来場者には入り口で脱いでもらった靴をあえてこうして下駄箱みたいなところに置かせて「靴が見られる」という趣向も、いい感じである。そしてアーティスト自身が置いた靴も2足ほどあるので、それがどれなのかはスタッフに尋ねてみてほしい。

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 圧巻だったのは、「そうそう、こういうのが知りたかった!」となった、本プロジェクトがどのように社会運動とリンクして発展していったかというマッピング。社会的差別を受けているボリビアの靴磨きの人々をめぐり、アートの力で彼らを「ヒーロー」として描く試みを通じて、どのように支援活動がエンパワメントされ、実効性のあるユニークなプロジェクトに育って展開していったかが分かる解説展示となっている。

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そのそばには、靴磨きの人々がヒーローとして活躍するアメコミ風マンガの展示があり、そして物販コーナーでもいろいろと味わい深いグッズが売られており、その売り上げの一部は靴磨き職人らへのサポート資金にもなっていくという循環型経済の仕組みが成り立っている。

そして19日の夕方には、ここでアーティスト・ツアーのイベントが行われ、私はこの特別イベント専用のサポートスタッフに申し込んで運良く関わらせてもらうことになった(このタイプの業務は募集枠が少ないので貴重なのだ)。やはり作家本人が作品を前に話をしてくれるというのはとても豪華な観賞体験であり、アートと社会運動の関係について熱心に語るフェデリコ・エストルに、来場者からも多くの質問が投げかけられ、濃密な時間だった。つくづくKGって良いイベントだよなぁとその様子を眺めながら思った。

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で、この日はそれに先だってお客さんとして3つの会場を回ってみた(ボランティアスタッフは様々な会場を客として訪れることをKG事務局としては推奨しているので、規定回数以上ボランティアに入ることが事前に確定しているスタッフは、開幕早々であってもパスポートチケットが特典でいただけるのである。)。

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まずは東本願寺の大玄関。ここは南アフリカのレボハン・ハンイェの展示が行われている。自分が到着したときにたまたまアーティスト・ツアーが開始された直後で、予約なく来た我々のような客も一緒に参加してよいとのことだったので、ありがたく後ろのほうで拝聴した。

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ここで特に感じ入った作品が、ハンイェさんの母親が亡くなったあと、母親が着ていた服を自分で身につけ、かつての母親が写っている写真のなかに自分をモンタージュして写り込ませ、家族の歴史や、ひいては南アフリカの歴史を感じてもらうというプロジェクトだった。

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それに加えて、南アフリカでの灯台守の暮らしを再現するジオラマのような作品も展示されており、灯台が光を照らすようにこの小さな箱のなかの照明の具合によって、そこに映るシルエットが美しく浮かぶ作品群も強い印象を残した。説明文には「灯台は、暗闇を照らし出すこと、何かをたゆまず続けること、そして人々の暮らしを支える見えない構造の象徴となり、個人からコミュニティへと記憶を拡張していく」とあり、まさに今回のKGのテーマ「EDGE」を彷彿とさせる展示だったと感じる。これらをアーティストトークとともに鑑賞し、質疑応答のときは、作者のハンイェさんに、どうして写真家になったのかと参加者のお子さんが問い、「自分から写真家になろうと思ったのではなく、写真が自分を選んだとしか言いようがない」と答えていたのが印象的。

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その余韻を引きずりながら、すぐ近くにある重信会館へ。

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先日のブログ記事でも書いたとおり、おそらく今年の目玉企画のひとつであろうこの展示「残されるもののかたち」は、ちょっと今回の記事で書くには「語りどころ」がありすぎて、別の機会にじっくりと紹介したいと思う。まぁ、つまり、あれだ。「廃墟のような場所で、廃墟をテーマにした作品を鑑賞する」という、この体験は「ヤバイ!」の一言に尽きた。いろいろな意味で、ヤバかった。今回の記事では写真をあまり出さないでおこうと思うが、これから一ヶ月のあいだ、SNSなどでたくさんの感想が語られるであろうし、それらを眺める楽しみが増えた。みんなどういうリアクションをするんだろうなぁ、と。なので今の段階でいえることは「ぜひ、現地に行ってみてください」である。

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で、そのあと烏丸御池まで地下鉄に乗って、私が個人的に今年一番楽しみにしていたアントン・コービンの展示をじっくりと観賞させてもらった。

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このU2の『ヨシュア・ツリー』の写真がとりわけ大きく飾られていて、もうこれだけで満足感があった。

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あと、もうひとつ自分にとってアントン・コービンといえばジョイ・ディビジョンであり、とくにこのバンドの(その後に起こる出来事を思うとなおさらに)象徴的な1枚ともいえる伝説的な写真はロック写真の歴史上でも傑出した一枚であると思う。(この撮影地がマンチェスターではなくロンドンだったことを今回初めて知った)
でもあらためてこういう「展示」の場において、じっくり写真と向き合って眺めると、左端のスティーブン・モリスさん、寝癖立ってるように見えるのね、とかくだらないことを思ったりもする。

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他にもいろいろなミュージシャンや著名人のポートレイトが展示され、そして最後はあまり自分としては知らなかったコービンのプロジェクトのひとつである「墓地」についての展示があり、そこで彼自身のヒューマンな部分に触れるような感じが得られた。

この展示会場ではアントン・コービンへのインタビュー動画が上映されており、彼が被写体としてきたセレブたちへの接し方の部分などで興味深い語りが聴けた(本当は彼のアーティスト・ツアーにも参加したかったが、自分がスタッフで動いていた時間帯の実施だったので叶わず!)

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そんなわけでスタートの3日間についてのこの走り書きのような内容がどこまで参考になるかは分からないけれど、ぜひKGの展示に足を運んでくれる人が増えることを祈りつつ、「今年も充実した一ヶ月が始まるよー!」という気持ちで、五月の連休を心待ちにしている。

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2026.03.03

こんな状況だからこそ、KYOTOGRAPHIE(京都国際写真祭)2026について、どこよりも気が早いレビューを書いてみたくなる

 世界があちこちで瓦解していて、どうにも腹立たしくて哀しくて、それでも季節はめぐってくる。今年も4月18日から約一ヶ月にわたり京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」(以下KG)が行われるわけで、「早く春になってほしい」という気持ちに連動して、今年もできるだけボランティアスタッフとして参加しようと決めている私はさっそくそわそわしている。

 今年のテーマは「EDGE」ということで、すでにメイン展示のプログラム内容や開催場所が広報されている。もちろんこの数日間のあいだにさらに深刻度を増しつつある世界情勢の影響で、人々やモノの移動などに予想外のアクシデントが起こりえる可能性も想定されるので、これから本番に向けて変更になったりする部分がいくつか出てくるかもしれないが、ひとまず現時点での情報をもとに、「気の早すぎるレビュー」として、私が気になるポイントをここに書き散らかせていただく。こんな状況下だからこそ、めぐる季節によってやってくる楽しいモノゴトは大事に味わいたいし、「祭」とはそういうものだ。

なお私のスタンスは、
・そんなに古今東西の写真家についての知識はない
・そんなに現代アートにも詳しくない
・そんなにガチで写真を撮るレベルにない
・そんなに長年KGのボランティアをやっているわけではない(今年で3回目)
・そんなに以前から毎年熱心な客としてKGを鑑賞していたわけではない
ということをあらかじめお断りしておく。

そんな私が今シーズンのKGの何にこんな早い段階から盛り上がっているかといえば、
アントン・コービンの展示が!! 
今年は! 
あるんですってば!!
 
そのことを言いたいがためにこの記事を書いているようなものである。

アントン・コービンといえば。
中学生の頃から、文字通り中2病のごとく、いまだに聴き続けているU2の『The Unforgettable Fire』や『The Joshua Tree』のアルバムジャケットなどをはじめ、初期のころからのU2の姿をたくさん撮影し、他にもジョイ・ディビジョンの写真もバンドの存在感を決定づける作品を多く残しており、その他たくさんのロックスターのポートレイトを手がけた、ベスト・オブ・ロッキンフォトグラファーである。

ジョイ・ディビジョンといえば夭折したカリスマ・ボーカリストのイアン・カーティスの半生を描いた映画『コントロール』を監督したのもコービンである。コービンならではの写真観そのもののようなモノクロームの映像によって、彼らの伝説の日々を限りなくリアルに描ききった作品で、当時私はこの映画を、学生時代の同期でU2ファンであったウメさんと東京で会った折りに、渋谷の映画館で一緒に観に行った・・・ちなみにこの記事を準備していた最中、「映画を観た場所って渋谷で合ってたっけ? 久しぶりにウメさんに連絡とって訊いてみようかなーどうしようかなー」となっていた矢先、恒例の京都マラソンでの「サッカーユニフォーム姿のランナーさん応援企画」をやっていたら、千葉にいるはずのウメさんがサプライズでランナーとして参加して目の前にやってくるという出来事がおこる(こちら参照)。ナイスすぎるだろウメさん・・・。

ということで、まさかKGでアントン・コービンという展開は予想していなかったので熱い。おまけにU2のギタリストの名前はEDGEである。今回の全体テーマにもピッタリである(強引)。

コービンの展示会場は「嶋臺(しまだい)ギャラリー」ということで、地下鉄の烏丸御池駅すぐの場所でアクセスも良く、古い町家を活用した展示に期待大である。

個人的には昨年までのKGにおいて、私にとってのベスト・ベニューでありつづけた京都新聞社ビル印刷工場跡地での展示が今年からはなくなってしまったので、テンションはやや下がり気味であったのだが、そんなところへアントン・コービンの展示が決まったとあり、おかげで今年も私は前のめりでボランティアスタッフに臨めそうである。

 そしてもうひとつ強烈にプッシュしたい展示は、ウルグアイ出身のフェデリコ・エストル「Shine Heroes」だ。ボリビアのラパスにおいて、靴磨きに従事する人々は差別的なまなざしを避けるべく覆面で仕事をしている人が多く、エストルらは支援団体とともにアートの力で彼らを取りまく状況をとらえ直し、靴磨き職人を「覆面ヒーロー」として読み替え、そこから新たな文化的アイデンティティを創出するというプロジェクトを展開しているとのこと。それで気付いたが、私は自分自身の生活でもこの「読み替える」という作戦を重視して好んでいるのだろう。たとえば市民マラソン大会の現場を意図的に「読み替えて」サッカーファンを応援する場にしてしまうという試みも、その流れにあるわけだ。
 このエストルの作品群は昨年のKG+SELECTで出展されていて、見事にアワードを受賞したことで、晴れて2026年KGのメイン展示として改めて単独の個展が開催されることになった。私も昨年のこの展示には強く印象づけられた一人で、ぜひ深掘りした内容で翌年も観てみたいと願っただけに嬉しい。そして予定されている展示会場となるのは、誉田屋源兵衛の「黒蔵」とのこと。そこがさらに「うおぉ!?」となるポイントであり、黒く大きい蔵の放つ謎めいたムードは、まさに「覆面」を捉える本作品群の展示空間としてはさぞかしハマることになるだろうと期待を込めて断言できる。

そして同じ誉田屋源兵衛では「竹院の間」のほうで、ケニア出身の写真家タンディウェ・ムリウ「Camo」の展示が行われる。布をテーマにした作品で知られる作家とのことで、鮮やかな布の背景と、自身のまとう衣装によるカモフラージュをとらえた印象的なキー・ビジュアルが告知されている。そもそも誉田屋が着物の帯をあつかう老舗だけに、テキスタイルというモチーフでのつながりが想定されているのだろう。会場に足を踏み入れたときに迫り来る色彩と、古きよき商家の空間のミクスチャーによる鮮烈なコントラストが想像される。
展示作品そのものに加えて、会場がどこに設定されるかで、観る前からの期待度がより強く増していくのはKGの素敵なところである。

このムリウは東アフリカの人だが、今年のKGは南アフリカの写真家も多くフィーチャーし、「SOUTH AFRICA IN FOCUS」と銘打って次の4つのプログラムが展開される。
アーネスト・コール(京セラ美術館)
ピーター・ヒューゴ(京セラ美術館)
レボハン・ハンイエ(東本願寺 大玄関)
“A4 ARTS FOUNDATION”(八竹庵)

アパルトヘイト下の歴史的記録を遺し、日本初公開の大規模展として紹介されるアーネスト・コール。そのコールの没年時に生まれた若いアーティストとしてのレボハン・ハンイェに、長いキャリアを重ねるピーター・ヒューゴと、それぞれの展示には同じ地を舞台にした異なる時間軸の位置づけが伺える。そしてKGのインフォメーションセンターである八竹庵では、南アフリカにおける1950年代からの抵抗的な表現実践について理解を深められる場として、ケープタウンを拠点とする、アートをめぐる支援団体「A4 ARTS FOUNDATION」による写真集(ブックメイキング)の展示などが行われる。

なお八竹庵ではそれに加えてもうひとつ展示がある。パレスチナの写真家としてガザ地区の姿を世界に発信しつづけ、2025年4月にイスラエルによる爆撃で命を落としたファトマ・ハッスーナの追悼展示が予定されている。八竹庵は無料で入れるインフォメーション・センターとしての中心的な役割をふまえつつ、その年ごとに伝えたいメッセージ性がダイレクトに込められた展示に出会える場でもある。この数日のあいだの情勢によっては、いろいろな面で緊張感が高まる会場になりかねないが、それはそれとして引き受けていくべき部分でもあろう。

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私はボランティアとしてKGに関わるようになってから、KGにおけるあらゆる展示を網羅的に接することで、KGが毎年企画する展示においては、内容のジャンル分けのようなものがバランス感をもって設定されていることを実感するようになった。観客の側でいた時代にはあまり気にしなかった部分でもある。

そうした「自分なりのジャンル区分」でいえば、今年の「日本の大御所写真家の部」として森山大道の回顧展(京セラ美術館)、「自然環境の部」ではジュリエット・アニェルの植物と鉱物の作品(有斐斎弘道館)、「若手日本人写真家を応援しようの部」では福島あつしによる農業の営みをめぐる作品展示(ygion)、「KGイチオシの、アワード受賞者の部」として柴田早理のフランス・シャンパーニュでの葡萄畑と女性の作品群(ASPHODEL)、「シャネルが協賛する女性写真家特集の部」としてリンダー・スターリングの日本初個展(京都文化博物館)が予定されている。

この中ではとくに70年代英国パンクシーンから出てきたというリンダー・スターリングの展示は観客としても楽しみであるし、そしてまたボランティア・スタッフの立場からしてみたら、こうした「シャネル協賛の部」とか「ディオール協賛の部」といったブランド企業とのコラボレーション展示に関わるときは、いつも以上に緊張感を覚える。なぜならお客さんからしてみたらこんな私でもその日だけはシャネルやディオールの看板の下で動くスタッフの一員になるわけなので、現場では「わたしもシャネルです」みたいな表情や身振りを試行錯誤し続けたくなるわけだ・・・無駄な試みと言われようとも(笑)。でもそういうこと自体が、ボランティアを楽しむポイントだったりもする。

そして、あくまで私の主観ではあるが、KGのなかには「この特別な場所だからこそ、この写真作品を展示してみました部門」というのが毎年あり、今年でいえばイヴ・マルシャン&ロマ・メェッフェルの「重信会館」での展示が挙げられよう。実は今回の発表があるまで、そもそも私は重信会館という建物については何も知らなかった。真宗大谷派の研究所であったり大谷大学の学生寮などに使われてきたという古い建物がまだ残っており、ツタがたくさん覆い茂るこのモダンな建物のなかで「近代建築の廃墟」をテーマとする作品を鑑賞できるというのは、なかなかの体験となるであろう。

そんなわけで、とりまく世界の状況は落ち着かないけれども、KGは今年もさまざまな角度からの発見や鮮烈なイメージを、わすれがたい一瞬において感じさせてくれるイベントになるだろうと期待している。そしてお客さんとして楽しむのはもちろんのこと、どんな短い単発のシフトでもボランティアスタッフを随時募集しているようなので、KGというイベントそのものを味わうチャンスとして捉えていただければ幸いである。

Enjoykg

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2026.01.02

津村記久子と大神神社とキング・クリムゾン

2026onenga

今年もよろしくおねがいします。

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初詣は今年も奈良県桜井市に出向き、大神神社へ行った。
自分はずっと奈良県で生まれ育ったが、昔は大神神社のことは何も知らず、その存在を意識して行くようになったのは京都で一人暮らしをしてからだった。わりとパワースポット的なものに興味があり、その流れで行ってみて、たしかに良い空気感のある場所だなぁと感じたのがきっかけである。

そこから毎年正月にはここで祈祷をしてもらうようになり、それなりに平穏無事に楽しく生きているので、いつもいつもありがとうございます~というノリで今年も新年早々大神神社に行ってきたのである。

で、京都からだとそれなりに小旅行といえる距離感で、長く電車にゆられることになる。なので車内では本を読むわけだが、今回持ってきたのは津村記久子が2012年に発表した小説『ウエストウイング』の文庫本だった。

この本を選んだのは「津村記久子でまだ読んでいない作品はどれだろうか」とふと思い立って、大晦日に書店に行って検索機で調べ、手ごろな文庫版で在庫があったのがこの本だけだったという次第であり、正月に読もうと思って買っておいたわけである。

そうして、奈良へ向かう電車のなかで何の気なしにこの文庫本を読み始めて、75ページの最後のところにさしかかると、こんな一文があった。

「二つ年下の彼女とは、初詣にどこへ行くかという話をした。彼女の夫の実家が奈良なので、毎年大神神社に行くのだそうだ」

Buffon_20260102163501

「ふおぉ~、偶然ぐーぜん! 津村センセイ、いま僕は、その大神神社に向かってるって~!」

ということで、この軽いシンクロニシティ的な偶然にちょっと驚いて、なんだか新年早々いいことありそうだなと思った。

で、

津村作品ではしばしば、唐突に説明抜きにサブカルチャーの固有名詞が文章のなかに出てくることがあり、分からない人にはなんのこっちゃ、となりかねないワードが効果的に差し挟まれることがある。

それで、さきほどの偶然の余韻をすこし引きずりながら、さらに読み進めて、そのあとすぐの99ページ目。

物語の進行上、ここでは、ある「顔」をめぐっての描写説明が入るのだが、そのなかで

「その顔が『クリムゾン・キングの宮殿』のジャケットに似ているのではないか、」

といった具合で、キング・クリムゾンのファーストアルバムである『クリムゾン・キングの宮殿』というワードがこのページだけで4回登場する。


実は私はこの本を読みながら、電車のなかでずっと聴いていたのが、キング・クリムゾンの曲だけを集めた自作プレイリストだったりする(笑)

Kyuden
「どひゃー!」

そのプレイリストは惜しくも『宮殿』に関わる曲は入っていなくて、昨年11月ぐらいに思い立ってサブスクで検索して集めた、クリムゾンのライヴの定番である『トーキング・ドラム』と『太陽と戦慄パート2』の2曲が連続して演奏される、さまざまな年代のライヴ音源だけを集めたもので、ひたすらこの数週間はこのプレイリストをループで延々と聴き続けることが多かったのである(自分のなかで、この曲にはある種のセラピー的な効能があるんじゃないかとすら思っていて、聴き飽きない)。

そんな状況で、この小説を読みながら、「えええええクリムゾンってー!!」と、ひとりでまさに「戦慄」を覚えていた。

そんな正月でした。
ほんと、いいこと起こってほしい。シンクロニシティ大歓迎。

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2025.12.30

着ぐるみの中の人になってみた

 このあいだ職場で実施するイベントに際して同僚から私に電話があり「着ぐるみに入ってもらうことはできないでしょうか」という突然の打診を受けたので「やりたいです。ぜひやらせてください」と即答した。

「きっとタテーシならやってくれるだろう」という見込みは、ものの見事にその通り、的中である。まぁ、来年で49歳だけどな。

 で、その際に着ぐるみの概要について簡単な説明をうけたのだが、何やらちょっと不穏な気配を感じたので電話を切ったあとすぐ自分でも調べてみた。(この件をブログに書くにあたってはあらゆる具体的な名称は今回すべて伏せさせていただきます)それは某都道府県の違法薬物対策キャンペーンの一環として公募採用されたキャラクターで、パッとみたらとても可愛い男の子なのだが、よくみたら頭の上に、注射器、大麻、ドクロ、薬品のビン、怪しい錠剤が乗っているという、なかなかアッパーなデザインのキャラクターであり、妙な着ぐるみを二つ返事で引き受けてしまった・・・と頭をかかえた。

 

 

Kigurumi

▲自分で模写してみた。

 実際、このキャラの発表当時はネット界隈でもちょっと話題になったようで、「防止するどころか自分自身がヤバいのでは」と揶揄されたりもしていたようだ。よく調べると、設定としては「薬物におぼれた友人を救うべく立ち上がった男の子」ということらしい。まぁ、そりゃそうするしかないよな。

 今回のイベントにおける位置づけとしては、会場にいくつかあるブースのなかで、違法薬物の蔓延防止キャンペーンにかかる展示発表が行われており、それのPRという目的でこの着ぐるみを借りられることになったようだ。そして役所の担当者などは当日来ることがないと聞き、そこは正直なところホッとした。つまり自分の動きは自由裁量がきくことになり、休みたいときに休めそうである。加えて「受け持っている展示会場の入り口から少し外に出て、建物周辺にいるイベント来場者に向けて展示会場そのもののアピールを行い、会場に立ち寄ってもらうように呼び込むこと」もこの担当部署の上司からは期待されているようだったので、ブースを離れてのんびりと自由に動き回って来場者と触れあえそうだった。

 本番の2日前にその着ぐるみは職場に到着した。担当部署の上司自らがクルマで役所に出向いて着ぐるみを借りてきたらしく、でかい風呂敷に包まれた頭と胴体とクツは、上司のセダン車で一度に運ばれたことが信じがたいボリュームだった。そこまでして持ち込まれた着ぐるみを、私が着て「やっぱり動けませんでした~」となったらどうしようかとさらに不安がつのり、恐る恐るその部署のスタッフの力を借りてまずは装着してみたわけだ。

 最初に頭部をかぶったとき、丸くて暗い空間のなかで、自分の呼吸する音だけが静かに聞こえるだけだったので、私は映画『2001年宇宙の旅』のクライマックスの場面を思った。BGMを流すことなく、HALの淡々とした機械音声と、人間であるボーマン船長の息づかいの音だけが延々と続き、ほかに誰もいない静寂の宇宙空間における途方もない絶望的なまでの孤独感をスタンリー・キューブリック監督は巧みに表現していたが、あの名作シーンも着ぐるみの中も、「非日常感」という意味では共通している(強引)。

 視界については、着ぐるみのオデコのあたりに書かれている文字「薬物乱用防止」の背景部分が細かい網目状になっていて、そこからかろうじて外が見えるようになっていた。そして人形の目玉にあたるところは自分の胸下あたりに位置し、その目玉は自動車の窓とかに貼るスモークスクリーンのようになっていた。そのため外側からは黒い目玉にみえるが、内側からはサングラスをかけたときのように外が見られるようになっていて、それで足下の様子が確認できるようになっていた。よくできている。

Shikai

▲外の世界を認識するための網の目

 しばらくその暗闇の孤独感を味わったのち、着替えに使っていた小部屋からノソノソとドアをくぐりぬけて事務室の面々に会おうとしたら、頭がうまく通らずドアに頭をゴツンとぶつけながらジタバタしてしまう。目の前の格子ごしにうっすら見える同僚たちがひとしきり指をさしてクスクス笑う状況を自分も楽しむ余裕があった。ひとまずは自分の太りぎみの体が着ぐるみに無事にフィットしたことに安心した。

 こうしてイベント当日を迎える。11月初旬のいい天気の日だった。

 この日ひたすら着ぐるみをかぶり続けていた私の感想は、「暑い」「怖い」「でも楽しい」、これに尽きた。

 まず、とにかく暑かった。たしかに11月にしては天気がよすぎて気温が高めだったのもある。着ぐるみというのは、たしかに文字通り「ヌイグルミ」なのであり、そこに己の肉体が同化していく装置なのだということを改めて思い知った。何もしなくても汗が流れ続け、この日だけはメガネではなく使い捨てコンタクトレンズを装着しておいたのは大正解だった。自分のかいた汗や、吐く息のせいで湿度は上昇し、着ぐるみの目にあたる部分のスモークスクリーンが内側から結露し、足下を確認するはずの視界が水滴だらけでよく見えなくなっていった。

 これを翌日返却するにあたり、私の汗の染み込み具合はどうなんだろうか、次に使う人はどういうニオイに見舞われるのかと不安になるレベルで一日中ずっと汗をかきまくったのである。

 自分が受け持っている会場の室内にいるよりも、屋外にいたほうが冷たい空気が体内に少しだけ流れてきていくぶん過ごしやすいことが分かってきた。なのでほとんどの時間は玄関先エリアの日陰部分を選びながら「ここには何かがあるよ~みんな来てね~」といったアクションをし続けることにした。そしてそうなると、今度は建物の周辺エリアを散策していた子どもたちがこちらをめがけて四方八方から寄ってくるという状況になっていく。

 何が怖いかって、こういう子どもたちであった。
 特に「親がどこかに行っていて、単独でこっちに突っ込んでくる男の子」が、とっても怖い。
 このことはある程度事前に予想できたことであるが、親の監督下にない状態の子どもにとって、着ぐるみは非日常の意味をはき違えることが一方的に許される存在対象と化すのである。

 何せ、この着ぐるみの胸の部分には「NO DRUGS」というメッセージがプリントされていた。この言葉こそが、この日の私が同一化している寡黙なキャラクターが全世界の人々に伝えたいことのすべてなのである。
 しかし今こうして汗まみれの狭い視野のなかで私が受けている激しい振動や感触を通して、抱きついてきたり手や足を振り回しているのであろうと推測される子どもたちには、このメッセージの意味を理解してもらえそうな気配はない。もし親が近くにいる場合なら「これはこういう意味なんだよ」という解説が入ることを期待できるのだが、単独で突進してくる幼い子どものなかで「英語が読めてその意味が理解できる子ども」がいればそれなりに驚くべきことであるし、そこからさらに「ドラッグという英単語が広義では薬品のことであるとふまえつつ、この文脈では違法薬物を指していることも的確に理解している子ども」がいれば、そっちのほうがさらに驚いてしまうとともに、ちょっと心配にすらなるだろう。

 いずれにせよ、そんな子どもたちに喫緊に伝えたかったのは、ノー・ドラッグの前に、まずはノー・バイオレンスのほうだ。

 無尽蔵のスタミナを誇って延々と迫り来る子どもたちからは頭部のパーツを外されないように気を付けつつ、彼らからは「なんかしゃべれ」という圧をかけられ続け、こちらは無言の身振り手振りでごまかし、それでも食い下がってくる子たちには、いっそのこと自分から頭を外し、汗だくのオッサンによる怒号を飛ばしてしまうという、ある種の一線を越えたい誘惑に何度もかられたが、そこはなんとか耐えた。

 執拗に着ぐるみを取り囲んでいると、なかには鋭い観察眼を持った子どももいる。この着ぐるみは私の体の大きさではすこし窮屈だったため、胴体と腕のパーツのあいだに、私自身の体がどうしても少し露出してしまう箇所があるらしかった(中にいるとそれがどういう様子なのかが見えない)。たまたま黒い長袖シャツを着ていたから目立たなかったが、すかさずそのスキマを見つけてしまった子どもは、なんともいえない気持ちになっていたように思う。モノゴトの裏側、オトナの事情をかいま見てしまった瞬間であり、なんともリアクションしにくい部分を、この私の生身の腕から感じ取って「一気に冷める」ようであった。

 そんな子どもたちの中には、親に促されても決して私に近寄ろうとしない子もいた。そりゃそうだろう、笑顔なんだけど頭に注射器やドクロをつけたキャラクターなので、「行っていいかどうか」の判断がつきにくい。逆にそういう子のほうが例えばオトナになって海外旅行とかでもトラブルに遭わない可能性が高い気がするので、親御さんには「あなたの子育てはうまくいっている」と声をかけてあげたかったがもちろん黙っておいた。でもこうなると自分もプロ意識がムダに刺激され、どうにかして「自分は怖くない、かわいいキャラなんだよ~」ということを必死にジェスチャーで示したくなる。どうやったら子どもに親しんでもらえるパフォーマンスを繰り出せるかというのは、普段の私が1ミリも考えないことでもあったので、これはこれで良い経験になったと思う。

 そうかと思えば、老若男女いろいろな人が私のところへ近寄ってきては、口々に「かわいい」と言ってくれたりするので照れてしまうし、女子学生たちからは次々とセルフィーを一緒に撮ってもらえたりするし、ある女の子からは「だいすき」とまで言ってもらえたりもした。私からはまったく何も喋っていないのに、初対面で「だいすき」である。こうなると、着ぐるみの暗い頭部から見える世界を眺めながら、今までの人生で自分が女子に好かれようと必死に試みてきた数々の努力や苦労はいったい何だったんだろうかと、ふと我に返ってしまいそうにもなる。

 そんな私の苦闘ぶりを、忙しいなか折に触れて様子を見に来ていたらしい担当部署の上司は「例年になく展示会場にたくさんの人をひきよせて、子どもたちが楽しそうに着ぐるみと触れあっている!」と認識していたようで、私のところにやってきては健闘を称えつつ、あまりに私が多くの時間を屋外で子どもたちと過ごしていることを心配もしてくれていた。長いあいだ外にいるのは着ぐるみの内部にひたすら冷気を取り入れたいがための「命を守る行動」の一環であったが、そのことは黙っておいた。
 結局はその担当部署の上司がいつになくうれしそうにしていたので自分としても、この着ぐるみ体験はやってよかったし楽しいものに感じられたわけである。

 あと普段から私はよくJリーグの試合会場でもマスコットに熱視線を送るファンの一人でもあるが、特に夏場の試合などでも黙々と求められるアクションを繰り出し続けているマスコット着ぐるみの労苦を思わずにはいられなかった。いつだってフレンドリーに我々ファンへ手を振ってくれているが、きっとその中は汗だくでむちゃくちゃ苦しいはずだ・・・と思った。

 ちなみに、会場内に設けた自分専用の控え室で休憩をとるとき、必ず現場担当の学生スタッフさんに声をかけて一緒についてきてもらい、控え室のなかで着ぐるみの頭部を外してもらう手助けをしてもらっていた。そして学生スタッフさんの担当シフトの関係上、休憩のたびにいつも異なる学生さんたちが私を手伝うことになった。なので可愛い着ぐるみの頭部を外したら「バンダナを巻いた汗だくの疲弊したオッサン」が現れるという状況だったので、そのとき学生さんが浮かべるビミョーな表情を私はいつも楽しみにしていたりもした。

 こうして着ぐるみ係をやりきった私はその日の「業務」を心から楽しんだわけだが、職場からの帰り、電車に乗るべく駅を歩いていて、向こうから子連れの家族を見かけると、つい反射的に手を振りかけてしまい、慌ててごまかした。

 これはもしかしたら「着ぐるみの中の人あるある」なのかもしれない。 (了)

Ashi

▲また、このクツに足をつっこむ日がくることを楽しみにしている

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・・・というわけで、今回も長文の記事となりましたが、今年もこのブログを読んでいただきありがとうございます。
読んだ本の話とか書きたいことがいろいろあるのですが、それはまた追々、少しずつ書いていければと思います。

2025年もいろいろなことがあり、ショックだったり考えさせられることがあったり、ただひたすら楽しかったりグッとくるシーンもあったりですが、とにかく前へと進むしかないですね・・・

この「前へと進む」という意識付けについては最近強く思うところがあって、スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』の最後の一文が、

「だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも」 (村上春樹訳)
となって物語が終わっていくわけですが、この原文
「So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.」
が、どうして英語ネイティブの人にとっては美しい名文だと感じられるのかを、つい最近ChatGPTさんに尋ねてみたら、「うぉぉ!!そうなのか!?」という発見が炸裂しまくって、それ以来この文章がマイブームになってるところです。

「舟」って、車とかと違って必ずしも自分が制御したとおりに精緻には動いてくれなくて、それでも自分を乗せて何らかの流れには乗って進んでいくわけで、それはまさに生活に似ているところがあるなと、つくづく思う次第です。

そんなわけでこのブログ恒例の「今年よく聴いた一曲」で締めくくります。
羊文学『あいまいでいいよ』

 

 

いい流れがたくさん、きますように。

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2025.10.12

なぞかけ配達員さん

 職場で自分がいる部署に、たまに来る配達員のおじさんがいる。少年がそのまま歳をとった感じで年齢が判別しにくく、目がギラギラしている。陽に焼けて色黒くやせ細っていて、やつれた感じがうかがえるところに運送業の大変さを思わせるが、いつもどこかしら「昨晩は深酒しちゃいましてね」と言いたげな雰囲気でフラリとやってくる。

 このおじさんは荷物を配達して普通に帰って行けばいいものの、しばしば「つぶやき」が付け加わってくるのであった。例えば受領書と控えの伝票が2枚セットになっているものを、1枚はがして持ち帰るにあたり、そのおじさんは「これがぁ~! いっつも、ウマくできないんですよねぇぇ~何年このシゴトしてんだかねぇぇぇ~」と自虐的にわめきながら、実際にぜんぜん薄紙がめくれずに苦闘していたりする。

 こういう「可愛げのあるボヤキ」が、状況を問わずついつい口にでちゃうタイプのようで、俳優でいえば『北の国から』の田中邦衛を彷彿とさせるような昭和感をふんだんに放っている。おそらく仲間から麻雀に誘われたら、弱いくせにいつもホイホイ張り切って参加するものの、案の定たくさん負けまくって、その「ボヤき節」が皆からの笑いを誘うような、そういう姿を想像させてしまう人の良さがある。令和の時代において、もはやこういうおじさんは絶滅危惧種のような気もしてくる。

 その日も配達員のおじさんは我々のところへやってきて、同僚のTさんが応対した。最近この部署に異動してきたTさんはすぐれたコミュニケーション能力を持っているため、このおじさんともすぐに仲良くなり、近頃はもっぱらTさんが配達員さんの相手をして、しばらく談笑するまでになっていた。

 デスクの配置上、いつも私は彼らの談笑には背を向ける位置で仕事をしているのだが、この日は配達員のおじさんが突然Tさんに「なぞかけ」を出題してきたもんだから、それを背中ごしに耳にした我々もすかさず仕事の手を止めて振り返り、おじさんに向き合うこととなった。

「夏バテとかけて、宇宙に出ちゃったと説く。そのココロは?」

と、おじさん。

お、おう・・・。

ううむ、さっぱり分からない・・・。
同僚たちも首をひねる。

おじさん、ドヤ顔で甲高い声をあげて、


「こたえ、『くうき』がない!」


ああぁぁああぁぁあぁ~!!
なるほどおおぉぉおおぉ!!
「食う気」ね、はいはいはい!!

そもそも「なぞかけ」と真剣に向き合うことになるのは、少なくとも21世紀に入ってからは初めてのことだと思えるので、こうした「トンチを効かせていく感覚」が異様に新鮮だったりする。

我々のリアクションをみて興に乗ってきたおじさん、得意顔で第二問。

「大雨とかけて、鍋料理と説く。そのココロは?」

ううぅ、これも分からない。
雨? 鍋? なんじゃそりゃ。
またしても、みんな答えが出せない・・・。


「こたえ、あとはゾウスイ!」


うおぉうおああおあああぁぁぁぁ~!!
くっそおおおお!!! 
面白いやないかい!!

ここまでくると、我々のほうから「師匠、もう1問ください!」というノリになっていた。

つづけて第三問。

「次も大統領選挙に出たがるトランプとかけて、人の来ない神社と説く。そのココロは?」

これはすぐ分かった! 
私もドヤ顔で即答。

「再選(賽銭)がない!」「正解!」


第四問。
「カルメンとかけて、危ない電話と説く。そのココロは?」


「・・・オレオレ!?」「正解!」


もはやここまでくると「なぞかけ的思考」のコツがつかめてきたようで、嬉しくなった。

こうしてひとしきり盛り上がり、私の悪い癖というか、書き手としてのサガというか、「これはブログのネタになる」と思ってしまうと、ついこのおじさんにインタビューっぽく尋ねてしまうわけで(仕事に戻れよ)、どうしてなぞかけに興味を持つようになったのかを聞くと、「配達中のクルマのなかでいつも聴いてるラジオ番組でなぞかけのコーナーがあり、自分もよく投稿している」とのこと。

ラジオを聴きながらハンドルを握る手でパン! と膝を打ち「ハッハー! ウメぇこと言いやがるなぁぁぁ~!!」とか唸っているおじさんの姿が容易に想像できてしまう。

今思うと、あの日に出してくれた問題もおじさんの「自信作」だったかもしれない。そのことを聞きそびれていた。

しかしそれをあらためて訊く機会が今後はなさそうである。なぜなら、この日おじさんは帰り際にこう言ったのである。


「実は今日で私はこのエリアの担当を外れますので、
みなさま、ごきげんよう!!」


さんざん「なぞかけ」を出して、名前も知らないままのおじさんは我々の前から去っていった。

なんだかコメディ映画のワンシーンのようであった。
なぞかけ配達員さんに幸あれ。

251012nazokake

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2025.08.25

コカコーラ社のCoke ONアプリを作った人たちが読んだら手を叩いて高笑いするだろうから心底腹立たしいが、悔しまぎれにブログのネタにさせてもらう

 これまでも私は、外出先で飲み物を買いたい場合は極力スーパーやドラッグストアで買うようにしており、そして職場へは水筒に白湯を入れて持参し、できるだけ自販機で飲み物を買わないようにして無駄な出費を抑えるように努めてきた。

 そんな慎ましやかな(=ケチくさい)私のスタンスが、最近になってコカコーラ社のCoke ON(コーク・オン)のアプリをスマホに入れたことによって崩されつつある。

 だいぶ以前からこのアプリが存在していることは街で見かける自販機で知っていて、小銭がなくても電子決済で飲み物が購入できるんだろうなぁ、という程度の認識でいた。
 そんな私だが、遅ればせながら最近はいろんなお店の専用アプリをスマホに入れて会員登録し、少しでもお得に買い物をしようという流れに乗っかるようになり、このコーク・オンのアプリにしても、今年の春頃に「これから暑い時期になれば、外出先でやむなく自販機でお茶やお水を買う機会が多くなるだろうし」という軽い気持ちでアプリをダウンロードしてみたのだが・・・さすがに天下のコカコーラ社と言わざるを得ない、まさにマーケティング学の英知を極めた凶悪的なまでの戦略に、すっかり丸め込まれてしまったのである。

Cokeon

 今回も長文になるこのブログ記事を律儀に最後まで読もうとしてくださる方々のなかで、このコーク・オンのアプリにはまったく興味関心のない方々にまず説明しておきたいことがある。普通にお金を入れて自販機から購入する場合と違って、このアプリを使って購入したらどういうメリットがあるのかという点であり、それは「スタンプ」にある。アプリで購入するとスタンプがもらえて、これが15個たまると好きな飲み物が1本無料でもらえるのだ。昔からいろんな業種のリアルなお店で行われている「お得意さまスタンプカード方式」を、コカコーラ社はスマホ時代に商機を見出し自販機での買い物にまで適用して、ユーザーを囲い込もうという所業である。

 そしてこのスタンプを集めるうえでは「条件達成でスタンプが2つもらえる!」というようなお約束通りの「キャンペーン」がいつも行われていて、そしてスマホの万歩計機能と連動させて、目標の歩数を一週間で歩ききったらスタンプがもらえたりする。もともと普段からせっせと歩いておこうと意識的にがんばっている自分としてはもっと早くからこのアプリを導入しておけばよかったとすら思ってしまう。

ちなみにこのコカコーラ社のスマホ対応自販機でアプリから飲み物を買うときは、「スマホを悪用したハッキング行為によって自販機から飲み物をくすねているような疑似体験」を思わせるので、なんだかこの行為自体が楽しく思えてもくる。

そうこうしているうちに、ある日気がつけば自分でも予想以上に早いタイミングでスタンプが15個たまり、アプリには「交換チケット」なるものが表示された。あらためて自販機にスマホを接続させて、恐る恐るそのチケットを利用してみると、選んだ商品がゴトンと受け取り口に落ちてきた。冷静に考えると結果的にはそこまでお得でもないのだが、「自販機からタダで飲み物をもらう」というこのサイクルを一度体験すると「よし、またスタンプをためよう」という気持ちに傾いてしまったのである。

で、ここからこのアプリのネタはさらに展開していくのですよ。
これまでは「前フリ」の説明なのですよ。
恐ろしいマーケターたちの謀略は、ここからが本番なのですよ。

先に述べた「ウォーキングの歩数によってスタンプがもらえる」というのはアプリのなかの「チャレンジ」というカテゴリーによるもので、他にもさまざまな「チャレンジ」が用意されている。

で、そのなかで「チーム」という表示があったので何気なく開いてみた。
するとそこには「コーク・オンを利用するお友達、仲間同士でチームを作って、一緒に協力しあったり、競い合ったりしてチャレンジ達成を目指しましょう」とある。

複数人で協力すればスタンプがさらに集まりやすくなるメリットに突き動かされたのと、「チームを作る」という行為自体に面白味があったので、すかさず自分でチームを作ってみた。チーム名はこのブログのタイトルでもある「HOWE_GTR」にした。

Teamhowegtr

しかし、ここからが問題だった。
身の回りに、このアプリを使っているという人がなかなか見つからないのである。

チームを創設した直後にたまたま次姉に会う機会があったので、コーク・オンのことを尋ねてみたら「何それ?」という素っ気ない反応で、その後も会う人会う人にその話題をふってみるも、往々にして似たような反応をされてしまうのであった。コカコーラ社の公式サイトでは「6500万ダウンロード突破」と景気良く書いてあって、それは日本の人口の半分近い数字だが、私の体感ではまったく信じがたいのである。

そして話題をふってしまった以上、ここで私は自らが実践するコーク・オンアプリの利用やスタンプ収集についてクドクドと説明をしてしまうのである。つまりこれは、我々ユーザーがコカコーラ社の営業活動に率先して荷担していることに等しい。私はそうやってこの数ヶ月、周りの人たちにコーク・オンアプリの宣伝活動を行ってしまっているのであった。

先日もたまたま職場で後輩にドリンクをおごるという流れになったとき、哀れな後輩は私から嬉々としてコーク・オンについての営業じみたトークを聞かされ、当然のようにコカコーラの自販機の前に連れて行かれて「この中から飲みたいものを選んでほしい」と頼まれるハメになり、しまいには「アプリを登録して、タテーシが作ったチームに入らないか」と勧誘されるのである。もはやこれは「アプリ・ハラスメント」と糾弾されても仕方のない事態である。そのうえ私のやっていることは、なんだかマルチ商法の勧誘みたいにも思えてくる。実際、このアプリではお友達が登録すれば紹介した自分にもメリットとなってスタンプがたくさん手に入る仕組みになっている。非道だ。

ちなみに、終始その後輩はアプリにはまったく興味がわかない様子であった。そういうものである。

しかしそもそも、この歳になって「オレのチームに入らないか」と人を誘うシチュエーションっていうのも、なんなんだろうなとは思う。

このような状況において、「あの人ならば」と思った人物がいて、それが同僚のタスク氏である。思えば以前の記事(こちら)でも紹介したように、スマホに疎い私にスターバックスでモバイルオーダーの利用方法を目の前で実演してくれた人でもあり、そんな彼ならばきっとコーク・オンのアプリだって使っているんじゃないだろうかと踏んで、探りを入れてみたら案の定ビンゴだった。ここぞとばかりに私は自分のチームを立ち上げたことを説明し、メンバーに加わってもらえることになった。(『誰もみんなアプリを使っていない』とタスク氏にボヤいたら、『スタバのモバイルオーダー知らなかった人がなんか言ってる・・・』と返された)

ちなみにチームは最大8人まで組めることになるのだが、ひとまずタスク氏と私の2名体制で「チーム・チャレンジ」に臨むこととなった。

さて「チーム・チャレンジ」は主に2つの種目があり、ひとつは「100本チャレンジ」である。チームで購入した合計本数が100本になるたびにスタンプがもらえるとのことで、これは2人で達成するにはだいぶ先のことになるだろう。どんなけ買うねん。

そしてもうひとつが「BINGOチャレンジ」である。
これは毎月ごとにビンゴカードが提示されて、マスごとにコカコーラ社のさまざまな商品が並んでいる。つまりチームの誰かがこの中の商品を自販機で買えばマスが埋まっていき、ビンゴの要領でタテ、ヨコ、ナナメをそろえていく。その成果に応じてスタンプが手に入るという仕組みである。

Cokeonchallenge

ここまで読んでくれた方ならすぐに察しがつくとおり、これによって「普段だったら買わないような商品まで選んでしまう」という、マーケティング戦略における類を見ない巧妙な策略により、カモの我々は踊らされていることになる。

はっきり言わせてもらう。これ考えた連中、天才だし、悪魔だ。

前もって「お互いに無理はしないように」と言い合ってはいても、この「仲間の購買行動がスマホで分かってしまう」という状況が、今までに味わったことのない集団力学における機微をもたらすのである。数日後にビンゴカードをみたら、チームメイトが果敢にもいろいろな飲料を購入していたことが手元のスマホで確認できてしまい、その意欲的な購買行動に賛辞を送ると、タスク氏からは「代わりに缶コーヒーと『いろはす』飲んでおいてください!」とメッセージが返ってきて、「よし分かった! それなら自分は缶コーヒーを買うとするか!」と前のめりになってしまう・・・いや、水飲めよ! また太るぞ! と、本来なら見舞われる必要がなかったはずの葛藤のなかで自販機に舞い戻ってしまうのである。これが鬼畜マーケティングといわずになんといおう。

さらにですよ。

チーム名が表示されている近くに王冠のマークがついていて、そこをクリックすると「今月のチーム内でもっとも購入本数が多い人」「今月もっともたくさんの種類の商品を買った人」「今月もっともいろんな場所の自販機で商品を買った人」という部門に分かれた「マンスリーランキング」が表示されてチーム内での競争が盛大に煽られ、各部門のトップにはスタンプがボーナスでもらえる可能性が出てくるのである。
私なんかは「うむ、自販機バリエーション部門でトップを狙おう」と思ってしまうと、街を歩いていてもムダにコカコーラ社の自販機の存在を意識してしまうことになり、完全に会社の思うツボなのである。

さらには、この暑い夏の時期、実際に炎天下を歩かなければならないような状況下で、「み、水を買おう・・・」と街中で自販機を探しても、そこにコカコーラ社ではない別会社の自販機しかなかったら「次を探そう・・・」となってしまうわけである。いや、すぐに買えよ、水を! と、ヘタをすると生命の危機にかかわりかねない事態に自らを追い込んでしまっている(そういうこともあり、最近はライバル社も同様のアプリ制度を導入したので、そっちのアプリも念のため入れてしまうという事態に陥っている)。

こうして個人的にこの夏でもっともホットな話題といっていい(他にないんかい)コーク・オンアプリをめぐる「チーム・HOWE_GTR」での闘いの日々を今回このブログで書きつづったわけだが、この記事を準備しているあいだも一向にチームメンバーが増える様子のないまま、我々2人は黙々と自販機に向き合っている次第である。

もし万が一、何らかの巡り合わせがきっかけで、狡猾なコカコーラ社のマーケティング担当者がこの記事を見つけて読んで大笑いした場合はだな・・・ええっと・・・そうですね、連絡ください、取材させてください(笑)

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2025.06.24

読売ジャイアンツのファンでもない私が「松井秀喜が巨人時代に東京ドームで打ったすべてのホームラン映像記録」を最後まで必死に見入った理由

ぼんやりと「次のブログ記事には、松井秀喜のことを書いてみようかな」と思っていた。そんな矢先、長嶋茂雄が6月3日に亡くなった。

テレビのニュース番組では、長嶋茂雄の告別式における松井秀喜の弔辞が放送されていた。原稿を読み上げるのではなく、まっすぐ長嶋茂雄の遺影を見つめたまま、絶妙なユーモアを交えつつ深い敬愛と尊敬の情に満ちた想いを語りあげた松井秀喜の姿には強い印象を受けた。翌日、私は弔辞の全文をネットでみつけて保存した。そういえば松井は読書家であることが知られているが、言葉を持っている人なのだと改めて認識した。

私は特に巨人ファンでもないのだが、在りし日の長嶋茂雄の明るくお茶目なキャラクターに追悼の思いを馳せつつ、そして忘れがたい弔辞を述べていた松井秀喜にもリスペクトを示しつつ、今回の記事を予定通り「明るくお茶目に」書いていく。

ちょっと前に、スカパーの日テレ・ジータスというチャンネルで「松井秀喜が巨人在籍時に東京ドームで打ったすべてのホームランの中継映像をダイジェストで次々と流す」という、記録映像のようなプログラムが放送されたのである。

たまたま番組が始まるタイミングにテレビの前にいた私は、ちょっとしたストレス解消みたいなものを期待するノリで、「ゴジラ松井」のデビュー当時のホームランシーンをいくつか見届けて、しばらくしたら適当に他のチャンネルに変えるつもりだった。

しかし、ホームランを打ちまくる松井秀喜の打席を次々と見ていくうちに、私はあることが気になってきてしょうがなくなり、結果的にその番組を最後まで食い入るように観続けたのであった。

それは、テレビに映るバックネット裏の席にいるお客さんたちの存在である。

次々とホームランを打つシーンだけがダイジェストに流れていくということは、すなわち視聴者である私は「神の視点」を得ていて、この対戦相手のピッチャーが投げる次の一球を松井が必ず打ってホームランにすることが分かっている。

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そして、松井の打席を見つめるバックネット席のお客さんたちが、彼の描く豪快なフルスイングのすぐ直後に「ウワッ!」と一斉に沸き立つ様子が中継カメラに一瞬だけ捉えられる。このことに気づいた当初はその光景に微笑ましさを覚え、それぞれのシーンにおけるバックネット裏の状況に注目するようになってしまった。

で、そうしているうちに、さらに気になってしまうことが出てきたのだ。

松井秀喜がバットを振ってボールを打つという、まさにその瞬間に、

「隣の人の顔を見てしゃべっている客」

「ビールの売り子さんに気を取られているオジさん」


「まったく関係ない方向を見ている子ども」


「座席を移動する他の客のせいで、視界が遮られてしまった人」


そういう客が、まぁまぁいるのである。

中継テレビに映るような範囲のバックネット裏の座席は当然ながら特等席であり、調べてみると一般では販売されないような、いわゆるスポンサー枠みたいなもので、ここにもし座れるとしたら、かなり貴重な機会なのだろう。

そしてプロ野球の年間試合数をおおむね140試合として、本拠地である東京ドームでの試合がその半分の70試合ぐらいとして考えてみる。もし松井がシーズンで50本もの本塁打を記録するシーズンを送ったとしてその半分の25本を東京ドームで打つと仮定すれば、「東京ドームで松井がホームランを打つ可能性」は2.8試合に1回ぐらいになる。10試合連続で東京ドームに行っても2試合か3試合ぐらいしか観られないであろう松井のホームランを、しかもバックネット裏の特等席から観ることができたのなら、それはファンとして極上の体験だったといえるだろうし、特にファンでもない私だって、そんな機会があればものすごく観てみたかった。

なのに、だ!!

せっかくの、その機会に!!

松井が打つ瞬間をこともあろうに、見逃してしまった人たちが、いる!!

そんなお客さんたちが現場で味わったであろう心境を想像すると、なんともいえない気分になる。
松井のホームランの瞬間を犠牲にしてまで買ったビールは、そのあとどんな味がしただろうか(いや、まぁ、普通にウマイ!って思ったかもしれないんだろうけど)。
そして、他の客が自分の座る前を横切っているという刹那のタイミングで、よりによって松井がホームランを放ち、周囲が一斉に歓喜の声でわき上がるというのは、お互いにとって残念すぎるではないか。点が入ったことを喜びつつも、心中すごく気まずい空気が流れたはずだ。

というわけで、私の性格の悪さゆえに、そこから先は松井秀喜のバッティングに注目するのではなく「バックネット裏の、ちょっと哀れな人々」を瞬時に探しまくることに没頭していったわけである。

Matsui2

今となっては、あの番組を途中からでも録画して保存しておけばよかったと悔やんでいるのだが、今回の記事を書くにあたってちょっとYouTubeを調べたら、当時のプログラムを拝借しているとおぼしき動画が散見されるので、気になる方は自己責任で検索して観ていただければと思う。

もちろん、普通に純粋な気持ちで松井秀喜が次々とホームランを打ちまくる様子を観ているだけでも爽快感が得られるわけだが、バックネット裏の様子に集中して観るのも、梅雨時で外出できないときのヒマつぶしにはうってつけかもしれない。「あぁー! もったいない!」という気持ちしかわき起こらない、性格のねじれた不健康な遊びかもしれないが。

それでも今回あらためて動画を観ていると、ホームランを打ったあとにベンチに戻る松井を最初に出迎えるのは、当時の監督だった長嶋茂雄の朗らかな笑みであり、ひねくれた動機でこの「歴史のワンシーン」を観ている私のこともきっと長嶋さんだったら笑って許してくれるんじゃないかとも思う。ミスター、どうか安らかに。


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2025.06.02

2025KYOTOGRAPHIE:印刷工場跡地で過ごした日々のこと

 京都国際写真祭・KYOTOGRAPHIE(以下KG)が終幕し、昨年と同様にさっそくの「ロス」を味わっている。この一ヶ月のあいだ、休日を中心に11回ボランティアスタッフとして参加し、空いた時間にも他の会場の展示を観に行ったり、今年から行われた「KG+アカデミー」という講座のひとつであった「9枚から始める写真史(講師:タカザワケンジ氏)」を受講してみたり、関連音楽イベントKYOTOPHONIEで来日したパティ・スミスのパフォーマンスを鑑賞したりなど、忘れがたい濃密な日々が怒濤のスピードで過ぎていった。

 鑑賞者の立場から思ったことは前回の記事で書いたが(こちら)、写真祭がもう終わってしまう!という感情に駆られて自分の印象をあのタイミングで記しておいたことは、それはそれでよかった気がする。別れを惜しむ間もなく、すべての作品たちは「現場」からすみやかに取り払われて、すっかり日々は元通りとなり、祭りは過去のことになった。

 ありがたいことに私は会期の最終日において、京都新聞ビル会場にボランティアの担当を割り当ててもらったので、あの大好きな印刷工場跡地における展示会場の最後の瞬間に立ち会うことができた。ただし感傷にふける間もなく、最後のお客さんを送り出した鉄のドアの閉まる音が響くやいなや、撤収の作業開始を待ち構えていた関係者は粛々と動き出す。場所を借りるというのはそういうことなのだ。この空間で長い時間を一緒に過ごした会場担当リーダーの方々へも、あらためてじっくりと謝意を伝えることもままならず、ボランティアとしての我々はその場からすみやかに立ち去るしかなかったわけだが、あのときの気持ちをずっと抱えたままだからこそ、いまこのブログ記事をじっくり丁寧に書きたい理由になっている(なので、はい、今回も長文です、あしからず)。

 私は全11日間のボランティア活動日のうち、5日間もこの京都新聞ビルで過ごすことができた。活動日のシフト希望を出すにあたっては柔軟に要望を聞いてくれるのをいいことに「可能なかぎりたくさん京都新聞ビルの会場にあててほしい」というリクエストをダメモトでさせてもらい、そんなワガママを十分に汲んでくださったKGボランティア担当マネージャーのMさんには感謝しかない。

 今年の京都新聞ビル会場を舞台に展示されたのはフランスの写真家JRの作品であった。例によって私は、今回の写真祭での展示が決まるまでJR氏のことやその活動については何も知らなかった。
 もちろん、そういったアート方面の知識が乏しくてもボランティアスタッフを務めることにはまったく問題ないのだが、ときどきお客さんから質問を受けたり、その場で感想を自分に向かって述べてくれることもあったりするので(よほど誰かに何かを語りたい気持ちがわいてきたのだろうと思うと嬉しく感じる)、せっかくならば担当する会場の作品やアーティストについては自分ができる範囲で理解を深めておきたい気持ちがある。

 で、たまたまJRについては今回の展示に連動して『顔たち、ところどころ』という2017年制作の映画がUPLINK京都で期間特別上映されていたので、すかさず観に行った。これは当時33歳のJRと、87歳の映画監督アニエス・ヴァルダがコンビを組んでフランスの地方を旅し、そこで出会った人々やコミュニティを題材に、独自の手法で大きな壁画作品を作っていく過程を追った映像記録である。<本作のすてきな予告編はこちら

 二人が乗り込むのはJRのつくった不思議なクルマで、内部はスタジオになっておりそこでポートレイトを撮影し、やたら大きな紙に印刷された写真が出てくるという楽しげな装置を備えている。
 そうして人々の大きな顔たちを、廃れつつある住宅地であったり、職場であったり、さまざまな屋外の壁や建造物に大きく貼り出す。その壮観な光景をみるにつけ、「でかい」というだけで、それらは動物的な本能に訴えかけてくるのか、なんだか特別な面白みが感じられてくる。そして作品の当事者たちも、その場所や人々との結びつきをあらためて確認しあい、できあがった作品やその風景そのものからエンパワメントされていくような感じがあった。

 つまり「技術によってサイズの大きい写真を作品としてつくる」ことと「いかに作品を展示する『場』の力を活用するか」ということが、JRの作品としての妙味でありツボであると思った。
(そのほかにも、この映画全編を通してJRとヴァルダの間に流れるチャーミングな空気感もとても印象的で、ほのぼのとさせる)

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 今回のKYOTOGRAPHIEにおいて、JRはJR京都駅の烏丸口の壁面スペースを使って「クロニクル」シリーズの京都編を制作した。約500人もの様々な人のポートレイトを撮影し、コラージュし、ひとつの絵巻物のように構成することで、京都という街のありようを捉える試みである。この巨大な作品を構成する一人一人の姿であったり過去に世界中で手がけたプロジェクトの紹介展示を京都新聞ビル会場で行うことにより、「場」のもつエネルギーを取り入れたJRの作品を、駅と新聞工場跡地の2つの空間で味わえるようになっていた。

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 京都新聞ビル会場ではまず最初の展示エリアでJRの過去の作品や今回の「クロニクル京都」をめぐる展示を自由に観てもらい、そこから15分ごとの完全入れ替え制でオープンするビデオルームに進み、JRのインタビューおよび本プロジェクトに関わるメイキング映画を観てもらう。

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 そしてここから目玉の展示ともいえる印刷工場跡地にお客さんは案内される。真っ暗な状況で、目隠しになっていたシャッターがお客さんの目の前で開かれるとこの巨大空間の全貌が現れ、そこにはクロニクルの被写体から選ばれた10人の巨大化されたポートレイトがそびえ立っており、その中を通っていくという流れとなる。

 スタッフとしてこの「巨人ゾーン」のスタート部分を担当するときは、暗闇のなかペンライトを使って、ビデオルームから出てくる来場者の集団を所定の場所に誘導する。やがて担当のサブ・リーダーさんが注意事項を説明する(でも、ずっと真っ暗なのでお互いの顔は見えない)。説明を終えたリーダーさんがアコーディオンカーテンのようなシャッターの中央部分に近づくので、自分もその動きに応じてシャッターのハンドルに手をかけておく。そこからタイミングを合わせて真ん中から左右に分かれてガラガラと音を響かせながら体重をかけて重たいシャッターを開けていく。それぞれの表情は暗闇の中で見えにくいものの、大きな工場跡地で薄暗がりのなかに並ぶ巨人たちを目にしたお客さんたちが「うわぁ~」と反応する様子をダイレクトに感じられるのが毎回楽しかった。

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【 ▲ この写真は、通常の展示のときには設定されない照明の明るさのときに撮ったので、いつもはもっと暗かった】

 シャッターが開いたら、自動化された照明が順番に巨人を照らし、収録された本人の語りが所定のタイミングで流れる。彼らのメッセージはもはや何十回と繰り返し聞いているので全部のセリフを暗唱できそうなぐらいであるが、特に広島の被爆体験から生きのびた方の語りは何度聞いても心を揺さぶる。たまたま自分も3月に広島に行ったばかりなので、夕刻に原爆ドームのまわりを歩いたときの情景がそのままつながってくる。

 10人全員のメッセージが流れ終えたら、奥に控えるスタッフは鉄のドアを開けて、そこに屋外からの光が一気に差し込むことで出口があることを示し、それとなく退場をうながす。この「出口ドア担当」のときは、巨人のダイナミックな展示を見終えた直後のお客さんのひとりひとりの表情と出会えるのが楽しく、ここが新聞社の印刷工場跡地であることを認識していないお客さんになると、この異質な空間に圧倒されてやや興奮気味にこの場所について質問してきたりするので、こちらも嬉々として説明する。

 こうしてその場にいた来場者が全員退室したらまたシャッターも出口もすべて閉じて、暗闇のなかで10人の巨人とともに、次のビデオ上映が終了するタイミングを待ちつづける・・・という流れだ。まるで「お祭り」というものは最初から存在していなかったかのような、暗くて巨大な印刷工場跡地でたたずむ、あのひとときの静けさが忘れられない。外の世界は陽光まぶしい5月のゴールデンウィークだったりするが、鉄のドアをはさんで時間が止まったかのような暗い工場跡地で過ごすというのは、それ自体もある種のアート的な体験だった気がする。

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 そんなわけで、この京都新聞ビル会場を担当するスタッフは一般的な写真展においてはなかなか求められないであろう心構えのもとで動いていた。ガチの工場跡地ゆえに出口の鉄製ドアはかなりチカラをこめてガツンと閉めないといけないし(でも出口に戻ってこようとするお客さんも稀にいたりするのですごく気をつけていた)、暗闇で迷ったりコケたり、仮設の手すりを越えて工場の地下ゾーンに落下する客がいないように気をつけるとか、ここは工事現場かよと思えるような注意喚起がシロウトの我々にもフツーに必要とされており、今年も期待通りに京都新聞ビル会場は本写真祭のなかでも屈指のデンジャラス・ゾーンと化し、毎日がスリリングな現場だったのは間違いない。

 それは同時に、お客さんの側にもある種の「負担」を強いる展示会場でもあったということだ。入り口で事前に注意事項を説明することを必須としていたので多少の緊張感を与えざるを得ないし、とくにビデオルームに入ってからは演出の都合上、決められた時間ごとに集団で一緒に動いてもらうという段取りになるので、そうした「定まった流れ」に乗りたくないと訴えるお客さんだって往々にして出てくるし、それは日本人だけでなく様々な国からの人々だったりもする。そういう来場者の事情やニーズとも柔軟に向かい合わねばならないのがこの会場特有の難しさであり、「見ず知らずの外国人からちょっと文句を言われる」というのは日頃の生活ではなかなか直面しないシチュエーションであるがゆえに、しまいには面白味すら感じていたので、やりがいのある部分でもあった。

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 そんななか、最後まで無事に展示をやりきれたのは、この京都新聞ビル会場を運営したリーダー陣の、(我々の伺いしれない部分もたくさんあったであろう)日々の奮闘あってのことだったと思う。現場監督としての「ベニュー・リーダー」と、その脇を固める「サブ・リーダー」は各会場ごとに設定されており、今年も私は多種多様なリーダーさんたちとの関わりに感じ入るものがあった。

 とくに今年の京都新聞ビル会場は、ベニュー・リーダーが2名体制となり、そのうちの一人であるSさんは昨年も同じ京都新聞ビルのリーダーを務めていたことが大きかった。そのことを知った当初は「おおっ!? 今年も京都新聞会場でリーダーやるんか!」となり、がぜん楽しみが増した。つまりは、そういう人なのである。私より2回りほども若い人であるが、特にモチベーターとしての才覚がバツグンで、下は中学生から上はご高齢の方々にいたる我々ボランティアスタッフの多種多様な面々とSさんは日々丁寧に向き合い、それぞれに参加意欲をかきたてて仲間意識をスムーズに構築し、「この人のもとで一緒に働けてうれしい」という気持ちにさせてくれる。つまりは「理想の上司像」を感じさせる人物であり、今年も相変わらず無尽蔵の愛嬌と野性的な瞬発力でもって、この特殊な京都新聞ビル会場をめぐる多様な局面の数々にも軽やかに立ち向かっていた。

 そしてもう一人のベニュー・リーダーがYくんであった。フランス人のお父さんを持ち関西弁と英語も話すマルチリンガルで、それゆえいろんな国からのお客さんが来場するにあたってはフル回転で対応し続けていた。いつも飄々としたムードで会場を歩き回り、そしてしばしば上手な言い回しで我々ボランティアスタッフにも「こういうふうにしてほしい」と要望を伝えることで写真展会場としてのクオリティを損なうことがないよう常に現場での心配りを怠らず、そうしてスタッフ間のつながりが緩慢な状態にならぬよう、ほどよい緊張感を保つうえでもYくんはキーパーソンであったように思う。ちなみに彼は子どもの頃からフランス屈指のサッカークラブ、オリンピック・マルセイユの熱狂的なサポーターだということが分かり、彼の深いサッカー愛が垣間見えたのも個人的にとてもうれしかった。

 そんなわけでこの2人のベニュー・リーダーの組み合わせはお互いの持ち味を活かし合えるような、とても良いコンビだった。あるとき、私は会場入り口のチケット確認係の担当としてそこにいて、たまたま客足が止まって落ち着いた時間がしばらく続き、Sさんはおもむろに入り口の軒先のほうにまで進み出て、何かを待って遠くを見ているかのように無言で一人じっと立っていた。そこへYくんも隣にやってきてSさんの肩をガシッと組み、まるで二人が担う大きな責任への役割を互いに労り合うような感じで、同じ方向を見たまま彼らはしばらく話し込んでいた。ビルの隙間から差しこむ太陽の光が遠くに立つ二人の後ろ姿を際だたせていて、それが実にクールで詩的だった。つい自分はスマホでその様子を撮影したくなったが、ここは控えておいて目に焼き付けておこうと決めた。あの場にいられたことに感謝したくなるような、今年のKGを思い返すうえで自分だけの宝物のようなシーンだった。

 そしてサブ・リーダーと呼ばれるスタッフさんたちも交代で毎日3~4人ぐらいのシフトで現場を担当し、必要に応じてほかの会場のサポートに入ったりすることもあったようだ。このサブ・リーダーさんたちもそれぞれに個性的な方々でじっくり話を聞いてみたかったのだが、何せこの現場で我々が共有していた最大の関心事は、「次々とやってくる来場者を人数制限の範囲内で適度なタイミングをはかりビデオルームに案内し続け、次のゾーンに送り出してシャッターを開けて巨人たちに『うわ~!』となって会ってもらい、工場跡地の暗いキャットウォークの足場をたどって出口の鉄トビラにたどり着いてもらったあとは、できれば建物の外に設置されている物販ブースのテントにも行ってもらうというオペレーションを円滑に回し続けること」にあったので、それ以外のテーマで雑談をしている余裕は少なかった。それでも別の日にKG主催のパーティーイベントで他のボランティア・スタッフさんらとともにお話をうかがい、あらためてそれぞれの興味深いキャリアの個人史やKGへの想いを聞かせていただけたのは貴重な時間だった。

Backyard2
【 ▲ 毎回、閉館後にはSさんがサービス精神を発揮して「バックヤード・ツアー」を開いてくれて、ボランティア・スタッフに展示物やこの建物の裏側を紹介してくれた。特別な時間。】

 こうして「いろんな経歴を持った多様な人たちが集まって、長い人生のほんのひとときを一緒に働く」というこのKGの状況というのは、JRの「クロニクル京都」の作品が醸し出す雰囲気とどこかで通じ合う気がしてきた。この市井の人々の集合体が、まさに写真祭をつくっていく多くのスタッフ・関係者の姿に重なってくるように思えてきて、そして自分もまたその一人として作品のなかに紛れ込ませてもらっているような感覚だ。

 そのことは、京都新聞ビル会場でJR作品の被写体に囲まれて過ごした最後の最後の日になってようやく芽生えてきたところがあり、これは「KGという大きなイベントが始まって、終わっていく」という感慨をシンボリックに描いた、ある種の「記念写真」のようにも感じられ、私は最終日の業務の休憩時間に物販のテントブースに出向きこの「クロニクル京都」の特製トートバッグを思いきって買わせていただいた(現場では残り1つとなっていたこの貴重なバッグを快く私に売ってくれたサブ・リーダーのTさんに感謝。ちなみにボランティアスタッフとして規定の参加回数に達すると、特典としてグッズが割引で買えるのであった)。

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で、今回のこの「クロニクル京都」の展示についてどこかのメディア記事で取り上げられたときに「この作品に写っている約500人の中にあなたの知っている人が登場しているかも」といったことが書いてあったのを読んで、私は直感的に「さすがにそんなことはないだろうなー」と思っていたのだが、結果的に私も直接知っている人が被写体として入っていたのだった。

それはベニュー・リーダーのSさんだった。2回目に京都新聞ビル会場を担当したとき、たくさんの被写体が並べられている展示をあらためてじっくり見ていて「あれ、これってもしかして・・・?」と、ようやく気づいた次第である。本人に訊ねたら、気づくのが遅い!と言われてしまった。聞けばJR氏がこの作品制作のために京都で撮影をしていた時期にアシスタントとしても関わっていたとのこと。

一通り見ているつもりでも、なかなか気づかないものだなぁ~と、ぼんやり思っていた。

しかも、それだけに留まらなかった。

それは会期が終了する直前のことであった。
私がいない日に同僚のmizuix氏がこの京都新聞ビル会場を訪れて、その感想を送ってくれたのだが、「Sが写っていたのに気づいていたか?」ときた。

Sくんは、かつて我々とともにSUPERCARのコピーバンド「ワルシャワ・ドロップ&ロマンティック」を組んだ人物であった。

Warsaw
【 ▲ 当時つくった手作りバンドTシャツ。なつかしい】

しかもしかも、ビデオルームで上映されていたメイキング映画のエンドロールの部分で、彼がJRに撮影されている様子も映っていたことを(1回しかそれを観ていないはずの)mizuix氏はちゃんと認識していた。例によって私はこのビデオ上映だって、何回も何回も繰り返しエンドロールを観ているにもかかわらず・・・そこに自分のよく知っている人が映っていたことに、mizuix氏から言われるまで、まっっったく、ちぃぃぃっとも、気づいていなかった。

いったい自分はなにを見ていたのだろうか・・・とアタマを抱えるしかない。
「見ているようで、見えていない」
これは写真に限らず、日々の生活全般においても言えることかもしれない。
JRの作品は、最後の最後まで私を揺さぶってきたのであった。

そんなふうにしてこの一ヶ月が終わっていった。あの大きな印刷工場跡地に戻ってこられる日がくるのかは、今は分からない。そして京都新聞ビルだけでなく、ボランティアで携わったさまざまな展示会場で出会った人々と、同じ場所で同じように過ごすことはもうないのかもしれない。それでもまた来年、KGのそこかしこの会場で「ひさしぶりーー!?」と言えるような状況があればいいなと、それこそ「顔たち、ところどころ」というフレーズがかもしだす雰囲気を想いながら、その日を待ちわびている。

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そして最後にお知らせとして・・・おなじみイリノイ州アーバナ・シャンペンで展開するコミュニティラジオ「Harukana Show」では、数週にわたってKGをめぐるあれこれについて取り上げていただき、自分もメールやトークで参加させていただいた。このブログに書ききれていないエピソードなども少し話しているので、よければぜひ。(ポッドキャストのページはこちら。No.735~No.740です)

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