カテゴリー「文化・芸術」の記事

2021.03.28

ちょっと昔のロンドン・バスの「あの部分」を再利用したバッグ・小物類をハンドメイドする京都の「SANS-SERIF」に出会ってテンション上がった日のこと

すごくひさしぶりに京都市役所前のゼスト御池を通りがかった。
そのまま地下鉄に乗ろうと思ったわけである。

イベントスペースでは、クラフト・雑貨を扱うお店のブースが立ち並んでいて、そこを通りすがりにたまたま目に入ったものがあり、思わず足が止まった。

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このロンドン・バスの写真のタペストリーを見た瞬間、そこにある品物が何を意味するかが「!!」とパッと分かるようになっていた仕組みも、さすがだと思う。

やーーーー、これはねぇ、もう、絶対、足が止まるでしょう、ロンドン大好き人間にとっては。

つまりこういうことである。

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あの古いバージョンのロンドンバスの、行き先案内表示に使われていた部分を再利用して、バッグなどを作っているわけである!

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つまりはFREITAGのようなコンセプトで、産業分野で使われた素材をリユースした一点物ばかりであり、どれも欲しくなる(笑)

京都を拠点に活動している「SANS-SERIF」、その代表でデザイナーの藤川和也さんという方がブースにおられたので、しばしの時間、お話をうかがえた。

あのレトロな行き先表示の部分は単純に紙類のように思っていたのだが、実際には古くはリネン生地だったり、その後はタイベックというポリエチレン系の素材だったりして、とても軽くて丈夫なのだった。現地でコレクターが収集しつつも、多くは破棄されるようで、それらの素材を仕入れてカッティングや組み合わせをデザインし、京都の鞄職人さんが帆布で縫い合わせていく。おそらく知る限り世界で他にやっているところはない、とのこと。

ロンドンの公共交通全般におよぶ独特の書体は、エドワード・ジョンストンがデザインしたフォントが100年前から使われていて、この行き先標示の文字の印刷はシルクスクリーンで行っているとのこと。よーく見ると、ところどころに線の微妙なうねりがあったりして、それも味わい深い。

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そして、ロンドン以外の地域だと、黒白だけでなく緑や青色が標示に使われることもあるようで、上の緑色のものはポーツマスで走るバスのものだとか。

こうなると、思い入れのある場所の地名が入っている商品を探してしまいたくなる。土地の記憶と結びつく一点物のプロダクト、ひたすら素敵である。

あらためて同社のHPは(こちら)へ!

あぁ、ロンドン行きたい・・・(笑)

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ちなみに。

このSANS-SERIFさんのブースを後にした直後に気づいたのだが、よくよく考えると、私がこのゼスト御池を通過して地下鉄に乗ろうとした経緯もシンクロニシティ的にすごいものがあった。

そもそも、三条駅付近でお昼ご飯を食べようと思ったが、目当ての店が混雑していたので京都市役所の近所まで移動してご飯を食べた。本当はここまで来る予定は当初はなく、そしてこのあとの用事は、地下鉄でいえば一駅先の烏丸御池駅周辺が目的地なので、本当は歩いてもよかったのだが、このときはたまたま地下鉄に頼ろうと思い、ゼスト御池の地下街に降りたのである。

そこで上記のSANS-SERIFさんに出くわして感動したわけだが、その後わたしが地下鉄に乗ったあとにやろうとしていた用事というのが、これがよりによって「コピー屋さん(京都カンプリ烏丸店)に行って、ロンドン中心部の鉄道路線図の大判プリントを行う」というものだった(笑)。

どういうことかというと・・・

実は私は家のトイレに、ロンドン地下鉄や近郊の鉄道がすべて網羅された案内地図の現物を壁に貼っていて、あたかも鉄道マニアのごとく日々これらの駅名を眺めて暮らしているのである。また最近は、英語の発音を家で練習するきっかけとして、それらの駅名を(現地の車内放送ばりに)いかに発声するかの練習を繰り返しているのである。そうなると、細かい文字で書かれた駅名が読みにくいため、いっそのこと最新版の路線図をPDFでダウンロードし、パソコンの画像ソフトで加工し、壁のスペースいっぱいまで貼り付けられるように拡大したものを自作しようと思い立ったのである。

そのファイルが完成したので、それをコピー屋さんに持っていって大判のA1サイズに印刷してもらおう・・・と思って、そのためだけに出かけたのである。それがこうして、ひょんなことからロンドン交通局のあの伝統的な書体をモチーフにしたバッグを扱うデザイナーさんと出会い、話をさせてもらったわけで(ひとまずこの日はキーホルダーとマスクホルダーを購入させてもらいました)。

興奮冷めやらぬ感じで地下鉄に乗って、そこであらためて「あ、今から自分、あの書体がたくさん書かれたロンドンの路線図を印刷するんだった」と気づいた次第(笑)。いやはや、こういう日もあるもんで・・・

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▲こうして大判の路線図が手に入り、トイレの壁面へ(笑)。これでどの駅名もしっかり読めるようになった!

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2021.03.13

ありがとうございました@版画展

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無事に教室展が終わりました。
来ていただいた友人の方々には感謝・・・!
自分の作品を前に友人と語り合うという体験は、とても新鮮なものでした。
またこういう機会があれば。

このミカリギャラリーのある建物の雰囲気が、こうして終わったあとも体にじんわりと残るような、不思議な感覚があります。
実質的に二日間とちょっとぐらいしかこの場所にいなかったはずなのに、なんだか古くから知っていた場所のようで。

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庭の黄色いミモザが本当に綺麗なタイミングで楽しめました。

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そして展覧会が終わったということは、あの空間や時間はもう二度と再現ができないということでもあり、そのことがなおいっそう、ノスタルジックな気持ちにさせてくれます。

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2021.02.28

水彩木版画の教室展はじまりました

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先日、展覧会の会場設営に参加してきました。
自分の関わる展示をゼロから作っていくのは考えてみたら初めてかもしれません。
無心でクギを打ち込む時間とか、なかなか新鮮。

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会期はわずかですが、それぞれの日に分担して教室の受講生が当番しています。タテーシは3月6日(土)の午前中と8日(月)の最終日にいる予定。

1Fのカフェは都合によりこの期間は営業していませんが、この建物を取り囲む雰囲気が、とても良い感じであります。
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ミモザが咲いてます。

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2021.01.31

通っている木版画教室の展覧会に参加します

2019年のゴールデンウィークのときに、水彩木版画の教室「空中山荘」の体験講座を受けて、そこから教室に通うようになりました。

2年に1回、教室では受講生の作品の展覧会をすることになっていて、今年度はコロナ禍ではあるものの、なんとか準備を続けてきて、このたびの開催となりました。
水彩木版画なので、白黒だけでなくカラフルな版画がメインとなりますが、このフライヤーが示唆するコントラスト具合も楽しめる展示になっています。

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会場となるカフェ、サルンポヮクさんはまだ現地にいったことがないのですが、素敵な雰囲気の場所です。【注:現在は完全予約制で営業されています】

この展覧会にむけては、昨年の大半の時間を費やして作った作品1点だけを展示すればいいかー・・・と、新米の私は(のんきに)思っていたのですが、先生より「最低2点は出すこと」と言われ(笑)、最初の体験講習会で作ったハガキサイズの作品も額装して出展させていただくことに・・・当時まだ版画を始めるかも決めていない体験講習のときだから、無邪気に自分の趣味丸出しのモチーフで彫ってしまった拙い作品で恥ずかしい限りですが・・・。
 私の作品はともかくとしても、他のみなさんがそれはもう多彩で、版画表現のいろんな可能性を見せてくれる楽しい作品を展示していますので!!

それとは別に、「白黒の旅」のテーマにそった、共同製作的な作品も別途1点、受講生全員が展示しています(その自分の作品によせてそれぞれがショートエッセイを書き添えています)。

もし展覧会に行ってみようという方がおられましたら、事前にお知らせいただけると助かりますし、特に何も言わずフラッとご来場いただいてもぜんぜんオッケーです。ただしコロナ感染対策で入場制限をかけておりますので、場合によっては寒い中ちょっと待っていただく可能性がありますのでご了承ください。

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2020.12.13

ロンドン・ナショナルギャラリー展・・・には行ってない

ロンドンネタが続くのだが、それだけロンドン禁断症状が出ているということでお許し願いたい。

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▲EU離脱したり移民に厳しかったりするものの、ヒースロー空港に到着すると、あちらこちらでいろんな職業の人が愛想良く「ウェルカム」と親しげにポーズをとっている看板に出くわす。このタクシー運転手のおじさんの写真ですら、次に出くわしたときには感極まってしまうかもしれない。

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さてコロナ禍で外に出られないのに、予定通り「ロンドン・ナショナルギャラリー展」は日本で開催されていて、いま大阪に来ている。
ただ、いろいろ迷いつつも私は行っていない。コロナ禍で極力外出を控えているという基本姿勢もあるが、そもそも入場にあたっては事前申込み制だったり(思い立ってフト行けない)、それなりに「さっさと観てさっさと外に出なければいけない」プレッシャーがうかがえるので(好きな絵は立ち止まってずっと観たい)、あまり積極的に「行くぞ!」とはなりにくい。

ちなみにナショナルギャラリーは、いろんな部屋ごとに雰囲気が異なる壁紙が貼られているのだが、私はナショナルギャラリーでそうした壁紙を「観賞」するのが密かな楽しみだったりする。これはもう、すべての旅行者に伝えたいのである。「ナショナルギャラリーは、展示物だけじゃなく、壁紙もチェックやで!マジで!!」と。壮麗な壁紙が、天井の高い部屋でドカンと張り巡らされているわけで、絶妙な配色だったり模様の見事さだったり、私はときどき何もない壁に向かってですら、うっとり立ち尽くすのである(冷静にふりかえると、珍客だ)。

(とはいえ、ナショナルギャラリーに限らず、大英博物館とかその他のミュージアム系でも軒並み壁紙はきっとオシャレだったりするとは思うが)

ミュージアムの中では写真が撮れないから壁紙の記録を持ち帰ることもできず、頭のなかのイメージだけが残っているのだが、ふたたびあの壁紙の世界に戻れる日をひたすら待ち望む。

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▲昔のロンドン旅行の写真をいろいろ見返して自分をなだめている。何気ない1枚に新鮮な発見があったり。これは完全にジャケ買いだったアイスコーヒー。よくみると「ポラロイドカメラの写真みたいに軽く振ってください」っていう但し書きが。

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2020.10.10

『岐阜マン』の単行本!!!

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 10年ほど前に名古屋のシマウマ書房さんで初めて出会ってから魅了されっぱなしのフリーペーパー漫画『岐阜マン』が、エムエム・ブックスから今年の春に単行本として刊行されています!(こちらで!!) プヒャー! こういう日が来るとは・・・! ツカハラさんおめでとう! これはぜひ実物を手に取って欲しいのだ。なぜなら、この作品がフリーペーパーの小冊子の集まりであることが手触りで分かるようになっていて、背表紙が実質存在しておらず、現物オリジナルの雰囲気をそこねることなく、そしてちゃんと本のカタチに綴じられている。岐阜マンの存在感と同様、どこか不可思議な装丁になっているのだ。

 そして何より帯と「あとがき」は岐阜出身の女優・菊池亜希子さんが書かれているのがすごーーーい!(私、おっさんですが「マッシュ」数冊持っているぐらい、密かにずっとファンなんです)。

 こうしてまとまった形であらためて読むと、岐阜のあらゆる場所へ岐阜マンと猫のシェフチェンコはフィールドワークをして楽しんで、その積み重ねの結果が、じつにオルタナティブな岐阜観光ガイドとして成り立っている。東白川村ではみんなで集って幻のツチノコを探す「つちのこフェスタ」なんてイベントがあったり、飛騨古川では廃線の鉄道レールの上をマウンテンバイクで走れるルートがあったり、岐阜のあちこちに気になるスポットが増えていく。

 岐阜県というひとつのエリアを丹念に歩き回って取材されている作者ツカハラさんは、きっといつも岐阜マンたちの姿を感じながら道中を楽しんでいるんだろうなぁと想像する。フリーペーパー漫画のひとつひとつは単発で作られるが、コツコツと積み上げていくことで、気がつけばとても大きな山を登っていることになる。その持続力、岐阜への愛、そこがすごい。

 岐阜マンファンの次の夢は、念願のFC岐阜とのコラボレーション!?(笑)

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2020.06.21

「肩をすくめる読書」

 ずっと気になっていたが、なかなか挑む気になれなかったアイン・ランドの小説『肩をすくめるアトラス』を、このたび読み終えることができた。

 長い、ひたすら長い物語だ。でも小説としてそれなりに楽しんで読めたのが「意外」だった。
 というのもアイン・ランドの作品は小説というよりも「思想書」みたいな扱いで、1957年に発表されたこの『肩をすくめるアトラス』は彼女の最高傑作とされており、「アメリカ人が聖書の次に影響を受けた本」に選ばれるぐらいなので、アメリカ人の社会的意識や価値観などを理解するためには格好のテキストなんだろうという感じで、関心を寄せつつもずっと横目に見ていた感じであった。

 そしてなぜか日本語版はすんなりと手に入りにくい書物(その事情は後述)だったのでなおさらカルト的な存在感を放つ本であり、その分厚さも含めて容易には近づく気になれない小説であったのだが、最近になって手に取る意欲をかきたてたのは、たまたまオリヴァー・ストーン監督の『スノーデン』の映画をもう一度見直してみたことがきっかけだった。最初に観たときには記憶にまったくなかったのだが、スノーデンがCIAに入るための試験を受けるとき、その後彼にとって非常に重要な上司となる面接官が、話の流れで『肩をすくめるアトラス』からの引用を語りかけると、スノーデンが『私の信条です』と返すシーンがあったのである。つまりはそういう位置づけで語られうる小説であり、CIAで生きるようなアメリカ人の思想形成においてもあの作品が持っている「意味合い」がある程度共有されているのだろうということが伺えたわけで、うむ、ここは気合いを入れて向き合ってみるかとこのコロナ禍のステイホームな状況下で思い直したわけである。

 

 で、アイン・ランドが14年間をかけて執筆したというこの『肩をすくめるアトラス』の要約を、無謀を承知で私なりにヒトコトで説明すると、

「自分では何もできない無能なヤツらは、できる人間の邪魔をするな」

ということなんだと思う。ひたすら長い物語を読み続ける読者にたいして、一貫して作者が訴えかけてきたメッセージは、シンプルにこのことだけだったと感じている。

 ストーリーのあらましを説明すると・・・時代設定が明確にされていないので少しSF風であり、50年代のようにも思うし近未来のようでもあるアメリカが舞台。メインの主人公は大きい鉄道会社の副社長を務める若い女性。創業者の子孫として誇りを持っており、社長である兄と対立しながら鉄道の経営に自らの能力を発揮して邁進している。石油産出で盛り上がるコロラドへの路線を再建するべく、鉄鋼の新素材を開発した実業家との協働により自らの信念によって事業を進めようとするも、政府や企業カルテルによる規制施行に翻弄され、そしてさまざまな業界の気鋭のリーダーたちが表舞台から不可解な形で次々に姿を消すという現象が起こり・・・ということで、このあたりが1巻目の話で、残り2巻でさらにいろ~んなことが起こっていく。企業小説でもあり、ややミステリー小説でもあり、やや恋愛小説でもあり、ちょっとSF風ディストピア小説的な、そういう意味で「結局なんなんだよ」というツッコミも入れたくなるが、この膨大すぎるページ数を前にすると「さもありなん」となるわけである。そりゃあ取材や執筆に14年もかかるわ。

 本のカバーに書かれた説明文では「利他主義の欺瞞を喝破し、二十世紀アメリカの進路を変えた資本主義の聖典」とあって、この物語が示す「できる人間の邪魔をするな!」というメッセージが、現在に至るまでのアメリカ主導における自由主義経済、市場原理、ひいては「個人の成功に基づくアメリカン・ドリーム」の存在を支える根本的な考えかたに結びついているんだろうと思う。旧ソ連からアメリカに亡命同然でやってきたアイン・ランドにとっては、自らのルーツを踏まえて、いわゆる社会主義的な思想への徹底した拒否感を小説執筆の形で昇華させていったのであろう。
 そしてこの小説で徹底的に糾弾される「たかり屋」のありかたやその構図は、まさに今の日本における自民党政権やアベ政治の拝金主義を連想させるし、一つの寓話として現在でもリアルに通用する部分があるかもしれない。

 ここまで影響力を誇る(らしい)本なので、当然のように賛否両論もあって、今はそうした論考をあれこれ探して読むのが楽しい。翻訳家の山形浩生氏は独特の論調でかなり酷評していて、どちらかというと私も山形氏の意見に近い感じを今は持っている。でもこういうすさまじい物量の小説を完成させるためのエネルギーを一人の作家が燃やし続けるにあたっては、アウトプットされる主張が極端なカタチになっていくのは致し方ないのかな、という印象もある。

 そんなわけで、「これはみんな読んだほうがいいぞ!」という気持ちにもなりにくい小説であり、ひとつの読書経験としては貴重かもしれない、ぐらいに留めておきたい。というのも、すごく印象的だったのは、終盤のクライマックスで一人の人物が小説の中の時間で3時間にわたる演説を行うのだが、その演説部分を読むだけで確かに実際の時間で2時間ぐらいかかって、「普通に小説を読んでいるだけなのに、一人の人間が話し続けるという場面状況においては、そこを読み進めることがどうしてこんなに苦痛を伴うものなのか」と感じながらページをめくっていた。これは今までに味わったことのない種類の「しんどい読書」の時間だった。そして同時に、小説の中の人物たちが、このときの長い演説を聴いているときに感じていたであろう苦々しい気持ちを読者として一緒に味わうかのような不思議な感覚が残った。

 さらに、この小説全体に言えることだが、登場人物の発言の内容がうまくすんなり理解できない部分が非常に多く、そこはもはや私のキャパがオーバーしているだけの問題なのだろうけど(決して翻訳が悪いとは言いたくない。むしろこの長い小説を、一定のテンションを保って訳しきっただけでも偉業だと思う)、まさに『肩をすくめる読書』とでも言いたくなる。

 そして私がどうしても気になっているのは、これほどまでに社会的影響力が強い「古典的名作」であるのなら、どうして日本では大手の出版社が発行を手がけないのか、ということである。メジャーな出版社から出ていないがために、この本をリアルな書店で見つけることは難しく、私はネット通販で文庫版を3巻すべて入手するのにもちょっと苦労した(最近は増刷されたのか、在庫がでてきている)。

 この本の版元は「アトランティス」という出版社で、ネットで調べる限りとても大手とは言えず、そしてどうやらアイン・ランド関連の仕事しかしていないように思える。そもそも「アトランティス」というキーワードも『肩をすくめるアトラス』のなかに何度も出てくるので、まるでアイン・ランドの思想を広めるためだけに作られた組織のようにさえ映る。しかし、どうして? 版権の問題などはもちろんあるのだろうけど、長年にわたって大手出版社がこの本を扱えない事情でもあるのだろうか。

 そんなわけで、本の成り立ち自体が、まさにアイン・ランドの小説世界に出てくるかのように、ちょっと不思議な体裁をかもしだしているのであった。

 


第一部:矛盾律


第二部:二者択一


第三部:AはAである

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2020.05.09

動きの遅い私でも、いつでもメディアになりえること:『野中モモの「ZINE」:小さなわたしのメディアを作る』について

 

『野中モモの「ZINE」:小さなわたしのメディアを作る』(晶文社、2020年)

 

この本の帯にはこう書いてある。

「何かを作りたいと思ったら
 あなたはいつでも
 メディアになれる」

 フリーペーパーのようなものを作ってみたいと衝動的に思ったころの自分に言ってあげたい言葉だ。


 
 ごくたまに、若い人に向けて、自分が作っているものについての話をさせてもらう機会があったりする。そして私が高校3年生のときにフリーペーパー『HOWE』を作りはじめた頃のくだりで、必ず言いたくなることがある。
 それはきわめて当たり前のことなのかもしれないが、「人がメディアを語るとき、その人がどういう時代のなかで、どのような個人史においてメディアを捉えてきたか、そこを想像しながら聴いてほしい」ということである。

 私が自宅のワープロ機で最初のフリーペーパーの原稿を印刷したとき( とはいえインクリボンは高額だったのでめったに使わず、熱転写でプリントできる安い感熱紙であらゆる文書を打ち出していて、こうした保存がきかない紙で初期の『HOWE』を作っていたことを後々になって後悔することになるわけだが )、まだインターネットというものの存在は知らなかった。その年の暮れに「Windows 95」というパソコンの基本ソフトが発売されて盛り上がっている様子がニュースで盛んに報じられていたが、まだそのことの本当の意義やその直後に起こりうることはよく分かっていなかった。
 その翌年大学に入り、友人MSK氏に教えてもらい、図書館に置いてあるごく一部のパソコンだけがインターネットにつながっているというので、そこで私は初めてウェブサイトというものを見て衝撃を受け、それからはネットサーフィンに明け暮れるようになった。
 しかし私はそれでもホームページづくりではなく、すでに自分がカタチとして持っていた「新鮮な遊び」ともいえるフリーペーパー作りにもう少しこだわろうと思っていた。

 もしこのタイミングが少しでも違っていて、高校生の頃にインターネットに触れていたら、私はおそらく「紙によるメディア」を作ろうとはまったく思わなかったかもしれない。

 こうして個々人にとってのメディア体験を語ることは、その人の生きた時代なり技術史なりとの関係のなかにおいて受け止められることによってようやく「その時々の面白さや意味」が浮かんでくる。

 すでに『日本のZINEについて知ってることすべて』(誠文堂新光社、2017年)という決定的な仕事により、戦後占領期以後から現在に至るいくつもの自主制作印刷物について網羅的な解説をされた野中モモさんが今回の新著で取り組んだのが、まさにこの「メディア環境の変遷と個人史」を書ききることだった。まだ見ぬ若い世代の読み手にZINEの面白さや可能性を伝えるためには、やはりどうしてもこの作業が必要なのだ。おそらくご本人にとってしばしば書きにくさを感じるテーマだったかもしれないが、こうして日本のZINEカルチャーを応援し、また実践者としても試行錯誤してきた独自の取り組みのあれこれを読者と共有するためには、やはり野中さん個人による「私語り」からはじまっていくのが最もふさわしい。そしてそれは、決して「こういうルートがモデルである」というのではなく、むしろまったく逆で、「それぞれのオリジナルな自分だけの土壌から、いかにメディアを紡ぎ出すか」を示すことであり、そのひとつの手段としてZINEがあるのだ、ということだ。

 そして第2章からつづくのは、さまざまなZINEの作り手や、ZINEをめぐるコミュニティについての紹介になるのだが、そこにも「参考となるモデル」ではなく、「極めて独自の、他にない、その人ならでは」の話が連なっていく。だからこそZINEは「わたしがつくるもの/誰でもつくることができるもの」としての意味が深まっていくのであり、この本がトータルで伝えたいことも「お手本なんてないし、求められるクオリティなんて関係ないし、あなたの立ち位置から、自由に作ってみよう」なのだと思う。

 冒頭の帯のコピー、「あなたはいつでもメディアになれる」をあらためて考えると、これもそれぞれの読み手の世代によって、捉え方が違ってくるのだろう。今では誰でもメディアになれる(ならざるを得ない)ことは自明のことのようにすら思えるかもしれないが、この本でいう「メディアになる」というのは、技術革新のスピード感とは無縁のものだ。すでに広がっている、大きな組織や経済によって構成されてきた仕組みに同調するのではなく、それらと趣が異なる地平に降りていき、遠くにいるかもしれない誰かに向かって、自分の腕力でできる範囲で、その想いを放り投げ続けていくことなのだ。

 そうした試行錯誤が、たとえすぐには誰かに届かなくても、広い世界に向かって精一杯に腕を振って何かを投げたことで生じる、どこか心地よい疲労感が肩に残る感じ・・・その「手応え」みたいなものが、ZINEという「手間がかかって、なにかと遅いメディア」を自分の手で作り上げていくことで得られる楽しさなのだろうと思う。

 

 ・・・そして今回のこの文章はまさに、ここ数年のあいだ様々な言い訳を連ねて何もZINEやフリーペーパーを作ることができていない自分自身に、ダイレクトに跳ね返ってくるわけであるが・・・遠くに投げたいけど、その腕力もめっきり落ちてきまして・・・いやいや、がんばりますよ、ええ。

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2020.04.06

脳天気な記事を書きたいと思いつつ、最近読んだ『スノーデン独白:消せない記録』のことについて

 まったく時流に関係なく脳天気なブログ記事を書きたい、と思っている。

 ひとえに私は機嫌良く生きています、と言いたい。そりゃあこの国の政治家にたいして総じて腹立たしい限りであるし、そのうえで、選挙だけでなく、怒りを別のエネルギーでも表現していきたい。それが「機嫌良く生きぬくこと」ではないかと思う。自分の機嫌は自分で取ろう。人を頼らずに。最大の復讐は、ひとりひとりの個人が(見てくれだけでも)機嫌良く生き続けることだ。きっと。

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 最近読んだ本では『スノーデン独白:消せない記録』(山形浩生訳、河出書房新社、2019年)がとても面白かった。その表現は不適切なんだろうけど「面白かった」としか言いようがなかった。本人の手によるエドワード・スノーデンの自伝は、オリバー・ストーン監督による映画『スノーデン』の影響もあって、その記述からありありとヴィジュアル的にイメージがどんどん沸いてきて、緊迫感がリアルにつたわってくる。

 前に書いた、スヌーピー漫画の作者シュルツの自伝についての記事でも同じテーマに触れたが、スノーデンの人格形成期を振り返ると、この人にとっても軍隊生活というのは非常に重要なファクターだったことがうかがえる。そしてこのスノーデンの場合は、9.11テロによる衝撃から、きわめて直線的な愛国心ゆえに、パソコンオタクとしての我が身をふりかえることなくマッチョな軍隊の門を叩いたあたり、「徹底的なまでに実直すぎる人」なんだろうと思う(彼の人生最大の後悔は、9.11テロ後のアメリカによる戦争を『反射的に何の疑問も抱かずに支持したこと』だという)。結果的に訓練で追った足のケガの影響で彼は(幸か不幸か)軍隊を辞めざるをえなかったわけだが、その正直さがゆえに、結果的にパソコンスキルを活かしてCIAの内部に入って職業人として使命を全うしようとしたときに、徐々に分かってくる国家的陰謀にたいして、信じ切っていたものに裏切られるかのような、はげしい葛藤に悩まされていくわけである。


 その葛藤は、彼が日本の横田基地にあるNSA(アメリカ国家安全保障局)のセンターで勤務していた頃から始まったという。そこで開催される会議に出席予定だった技術担当者がたまたま欠席となりスノーデンが代役を頼まれ、そこで発表の準備のために中国による民間通信の監視技術に関する資料を読みこんだことが発端となった。本書の200~201ページではそんな彼の人生のターニングポイントともいえるそのときのことがこう綴られる。

「中国の市民の自由はぼくの知ったことではなかった。ぼくにはどうすることもできない。ぼくは自分が正義の側のために働いていると確信しており、だから僕も正義の味方のはずだった。

 でも読んでいるもののいくつかの側面には困惑させられた。ぼくは、技術進歩の根本原理とすら呼べるものを思い出してしまったのだ。それは何かが実行可能ならば、それは実行されてしまうだろうし、すでに実行済みである可能性も十分にある、というものだ。アメリカが中国のやっていることについてこれほどの情報を手に入れるためには、どう考えてもまったく同じことをやっていないはずがないのだ。そしてこれだけの中国に関する資料を見ている間に、自分が実は鏡を見ていて、アメリカの姿を見ているのではというかすかな考えがどうしても消えなかった。中国が市民たちに公然とやっていることを、アメリカは世界に対してこっそりやれる―― それどころか、実際にやっていそうだ。

 こう書くとたぶん嫌われるだろうけれど、当時はこの不穏な気持ちを僕は抑え込んだ。実際、それをなんとか無視しようとした。(中略)でもその徹夜の後の眠れぬ何日かを経て、ぼくの心の奥底ではかすかな疑念がまだ蠢いていた。中国についてのまとめを発表した後もずっと、僕はつい探し回ってしまったのだった。」

 その後の数年間の準備や葛藤を経て、この実直すぎる男が取った行動は世界をゆるがしていくことになる。そのことの重大さやカバーすべき情報量にはとても一読者の私にはついていけないのは当然なのだが、今回の自伝によって、「人生で最も重要な教えと言えるものを教えてくれたのは『スーパーマリオブラザーズ』だ」と言ってのけたり、人生ではじめてインターネットというものに触れたときの衝撃を隠すことなく素直に書いていくその筆調に、私はまさに同世代としての強い共感を覚えるわけで、それゆえに、政治的な意味とか社会的影響とはちょっとかけ離れたところで、ロシアで幽閉された生活を送っている彼の身を、不思議な親しみをもって案じてしまう。もっとも、いまはウイルスで世界中が幽閉生活となり、自分自身も身の危険を味わっている状況ではあるが・・・

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と、ここまで書いて文頭を読み直すと、「ぜんぜん脳天気な記事じゃない」と気づく。結局ウイルスの話やんけ、と。

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2020.02.24

「時代より先に狂う戦略」:U2の90年代を思いつつ、昨年末の来日公演のこと

 思えばU2というバンドを聴くようになったタイミングは1991年のころで、中学生だった私は洋楽を聴こうと最初に手に取ったのが『魂の叫び』という邦題のアルバムだった(きっと当時から何かを叫びたかった子供だったんだろう)。そこから過去の作品を次々さかのぼっているうちに、リアルタイムで彼らは90年代最初のフルアルバム『アクトン・ベイビー』を発表することとなる。そのときの自分が熱心に過去の作品をたどっていた、80年代の熱くイノセンスな、そしてときに政治的なメッセージを込めた曲を演奏しているバンドと、現在において発表された最新アルバムの間には、なんともいえない別人格のような雰囲気があり、メディアでもこのU2の変貌をどのように受け止めるべきか迷っている雰囲気があった。いったいどうなってしまったのU2、ということだった。

 しかしこうして当時のことを思い返すと、あのときのU2の激変ぶりは、90年代を乗り越えるための絶妙な「戦略」だったということをあらためて実感できる。それは私なりの印象でいえば、「時代より先に狂う」ということだった。

 80年代における成功を勝ち取った汗くさい純朴なバンドがそのまま次の10年を迎えるにあたり、シーンのなかで急速に古くさいものと見なされて居場所を失っていくことを察知してか、この「時代より先にU2のほうが狂っていく」というあり方は、見事に効いたのである。それまでの「クソ真面目バンド」から「ケバケバしい派手好きロックスター」をあえて演出し、いわゆる「ポップ三部作」において打ち込みサウンドを積極的に取り入れたこのバンドの姿は、今だからこそ、それはすべて計算ずくの「暴走」だったということが伺える。

 たとえば90年代最初のツアーにおける「ZOO-TV」というコンセプトは、おびただしいモニターに無数のコトバやヴィジュアルが洪水のように観客を包み、錯乱ぎみの「ロックスター・ボノ」が様々な「仮装」をまとい、ステージ上からピザを注文して客席にふるまったり、ホワイトハウスに電話をかけてジョージ・ブッシュを呼びだそうとする。そしてライヴパフォーマンスと連動したヴィジュアル・アートの試みとして「架空のテレビ局」が共に動き、映像の洪水を垂れ流し、現実世界でリアルに進行中の湾岸戦争を強く意識した映像をもフォローしつつ・・・特にライヴのオープニングにおける、当時のブッシュ大統領の宣戦布告スピーチ映像をサンプリングして「We Will Rock You」とラップさせつつ「Zoo Station」のイントロに至る流れなど・・・「いったいあんたたちは何様なんだよ」というツッコミこそ、この実験的なツアーの神髄を言い当てていたかもしれない。つまり今から振り返ると、これはインターネット時代の到来を音楽ライヴとヴィジュアル・アートの形で表現した先鋭的なものだったと言えるのだ。誰しもが「誰でもないもの」になりえる、「何様」も「誰様」もない匿名/虚構のサイバー空間にただよい出る自我と、「どこでもだれでもたどり着ける混沌とした空間世界=近い将来に訪れるマルチメディア環境が解き放つ明暗」や「グローバリゼーション時代の到来における困惑や混乱」を表現しようとしていたU2。いやはや、私はついぞ映像でしか体験できていないが、あらためてあのツアーは音楽のみならず情報メディア史においても特筆すべきプロジェクトだったのである。

 こうして無事に2000年代を迎え、U2は「原点回帰」をうかがわせる『All That You Can't Leave Behind』を発表して、かつての素朴で純粋なU2が戻ってきたと全世界が確認し、すべては丸く収まり、そしてもはやそれ以後はこの地上で何をやっても無敵の存在となった。以前からもボノはロックスターの立場を利用して「世界一顔の売れている慈善活動家」となっていたが、この頃からさらに活動に注力してアフリカ諸国の債務帳消し運動などに邁進していく。したり顔の人々からは「偽善だ」という批判の嵐を浴びるものの、あの90年代の「先に狂う戦略」を思い起こせば、そんな逆風は彼にとってまったく無意味なのかもしれない。音楽がなしえる、人種や国境を越えた共感的パワーに支えられ、あらゆる壁を打ち壊すべく1ミリでも何かを動かそうと「熱量」を絶やさずに、偽善でも虚栄でもひたすらその信念を押し通すこと。それは当代随一の“クソ真面目ロック歌手”ボノだからこそ果たせる「やったもん勝ち」の闘争姿勢なのである。そうしてU2は今年でデビュー40周年。いつまでも変わらない4人、そして未だに仲良しな4人のおっさんたち。数十年のキャリアのなかでロックスターが陥りやすい変なスキャンダルもまったくなく「世界一、野暮ったいバンド」と自称して笑いを誘いさえする、それがU2である。

「終わりなき旅」とはよく言ったもので、その邦題がつけられた曲が収録されている『ヨシュア・トゥリー』のアルバムを全曲演奏するというコンセプトでワールドツアーが行われており、昨年12月4日にさいたまスーパーアリーナで行われた来日公演を観た。98年の「POP MARTツアー」のときにはじめて彼らのライヴを観て以来、20年近い時が流れてしまった。ちょうど当時の大阪ドームでのライヴを、たまたま別の場所でみていた同級生うめさんと、今回は一緒にチケットをとってライヴを堪能した。

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 もはや自分もいい歳になり、そしてそうそう何度もU2にお布施できる機会もないだろうから、今回はいろいろがんばったおかげでアリーナの前方スタンディングに乗り込んだ。いわゆる「出島ステージ」にも近くて、ラリーのドラムの背後あたりで、ドラムの生音が、会場全体にスピーカーを通して聞こえるドラムの音と当然ずれて届いてくるわけで、この距離感でU2の4人が演奏している時空間に、もう胸一杯の夜だった。セットリストとかどうのではなく、ひたすらホンモノのU2が目の前で演奏していて、そして技術の進歩を感じる広大なスクリーンには、アントン・コービン(写真家であり、あとジョイ・ディヴィジョンを描いた映画『コントロール』の監督もしたけど、すごい作品だった)による映像が鮮烈だった。

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 我々を囲む客の多くは外国人だったのも印象的だった。ひょっとしたら観光ついでにこのオセアニア~アジアツアーをバンドといっしょに回っている人も多いのかもしれない。そしてこれは今振り返って気づいたことなのだが、音楽ライヴ会場での「困りごと」でよく言われる「近くの客のほうが大声で歌い続けて、アーティストの歌声が楽しめない」という状況があるが、どういうわけか、このU2の現場では、まさに大声でみんなが歌う状況であっても、それを不快に感じることがなく、なんなら自分も歌うぞという勢いになってしまったほどだ(でも、肝心の英語の歌詞がよくわからないんだった)。会場の中心部だったからか、客の歌声に負けないエナジーがボノの歌にも、バンドサウンドにもこもっていて、その音圧が迫り来る状況だった。つまり、歌を聴くこと以上に、我々オーディエンスがこの現場で最も求めていた「熱さ」がそこには炸裂し続けていたかのようで、そうしてひたすら最後まで、いろんな民族が一緒になって歌い続けていた気がする。

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 そんなわけで、『ヨシュア・トゥリー』の80年代黄金期の曲たちをすべて演奏しつつ、新旧の名曲をおりまぜた圧巻のステージ・・・なにより、ボノの歌声の力強さが失われていなかったことがうれしかった・・・をカラダ全体で味わい、あらためてU2というバンドの存在に深い感謝の気持ちを抱いた次第である。
 終わったあとうめさんと会場の近所の居酒屋でゴハンを食べていたのだが、この夜に店内で流れていたBGMがずっとU2の曲だったのも、またよかったなぁ。

 

 そういうわけで、ライヴに行ったことからこのブログの記事を書きはじめてみて、あらためて90年代のことを思い起こさずにはいられず、自分なりにコトバにしてみた(2ヶ月ちかく、書いては消しを繰り返していたわけだが・・・)。でもこの「時代より先に狂う戦略」というのは、実は今まさに日本で生きている自分たちにとって重要な示唆を与えてくれるものになっているかもしれないな、と。それはまた別の機会に考えていきたい。

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