カテゴリー「文化・芸術」の記事

2019.09.23

F1メカニック対抗いかだボートレース、そして過去の不思議な縁について

かつてF1を熱心に追っていた頃、「カナダGPが行われる場所はセントローレンス川の中州なので、各チームのメカニックによる手作りいかだボートのレースが毎年行われている」というのを本だか雑誌だかを読んで知り、世界中をサーカスのように回るF1関係者たちのつかの間の娯楽として、その光景を想像しては微笑ましい気分になっていた。

それがどういうイベントなのかあくまで想像するしかなかったのだが、こうして数十年たつとYouTubeみたいなものが出てきたわけで、ふと思い立って調べると、やはりそのボートレースの様子もいくつかアップされていた。いつものことながら、こうして過去に自分が知りたかった物事が映像として観ることができることに、あらためて驚異を覚える(そうやって過去の想い出ばかりに浸って、現在のテレビをますます観なくなるという症状もあるのだが)。

で、最近の様子は(こちらの動画)で確認できるが、どうやらレッドブルがスポンサー?みたいな感じになって、いかだの作り方ももしかしたらルールが設定されていて、そしてチームだけでなくFIA(国際自動車連盟)の関係者も参加していたり、イベントとしてオフィシャル感があったりする。レッドブルは何にでもお金出すのねぇ、と(笑)。

そして約30年前、1990年に行われたレースの様子も確認できる。(こちらの動画)より・・・こちらはかなりフリーダムでカオスな世界が展開されていて、たぶん長らくはこういうノリでやっていたんだろうと想像される。フェラーリは資金と技術力を投じてガチなモーターボート状態のマシンを作り込んで参加していて「それは、いかだじゃないだろう!」とツッコミを入れたくなるし、逆にお金のなさそうなチームは本当にありあわせの材料だけでいかだを作っていて果敢に川に漕ぎ出していて、その対比がなんとも哀愁を誘う。なまじF1マシンのメカニックたちだからそのへんの廃材を組み合わせて船を作るなんて朝飯前のようで、それぞれに工夫?が見られるのも興味深い。なにより半分冗談みたいなノリが大らかでいいなぁと思う。

ちなみに、なぜ急にそのいかだレースのことを思い出したかというと、ネルソン・ピケという往年の名レーサーについてウィキペディアで見たことがきっかけである。実はピケは、このお遊びのいかだレースのために優勝トロフィーを用意したらしく、それからは「ネルソン・ピケ杯」という名称でいかだレースが行われていたとのこと。牧歌的な時代の空気を感じるなぁ。

そしてなぜウィキペディアでネルソン・ピケについて調べたかというと、昔のピケが、他の周回遅れのマシンのミスで追突されてリタイアし、腹が立って相手のドライバーに殴りかかった動画を久しぶりに見たからである。これは大昔から「世界のスポーツ珍プレー」みたいなテレビ番組で必ず紹介されていたようなシーンなので、子供の頃から記憶に強く残っていた。(この映像)である。時代は1982年で、私がF1ファンになるだいぶ前の時代の話なので、リアルタイムではもちろん体験していないシーンだ。

で、よく考えたら私はこのとき殴られた側の、マイナーなチームのマイナーなドライバーのことを知らないままだった。この人はエリセオ・サラザールという、今に至るまでチリ出身では唯一のF1出場経験のあるレーサーとのこと。そしてサラザールについてウィキペディアで調べると、驚きの事実が分かった。彼にとってレーサーとしてチャンスを掴んだ転換期ともいえる偶然の出来事があって、1979年にイギリスでF3レースを観たあとにヒッチハイクで帰ろうとして、そのときにたまたま拾ってもらったのが、当時ブラジル人出身の若手有望F1レーサーとして頭角を現しつつあったネルソン・ピケだったとのこと。同じ南米出身ということもあったのか、ピケがサラザールをレース関係者に紹介して、そうしてサラザールはやがてF1にステップアップしていった・・・そんな不思議なご縁で、あのような「珍事」があったのかと思うと、より味わい深い。人生ってそういうことがあるのねぇと、こういうエピソードに触れるとテンションが上がるので、このブログでついつい書き残したくなった次第である。

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2019.09.16

水俣病を学ぶ旅

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このあいだ、初めて水俣市に行く機会があった。現地では「水俣病センター相思社」のスタッフさんのガイドによって、水俣病に関するいくつかの関連場所をめぐることができたのだが、この問題は過去の歴史どころか現在進行形で今の時代に地続きであるということを改めて思い知った旅となった。

 まず印象的だったのは、肥薩おれんじ鉄道「水俣駅」を降りると、駅の正面すぐにチッソ社(現代はJNCという社名に変わった)の正門がドーンと鎮座していることだ。企業城下町という表現があるが、まさにここはそうなのである。歴史的に塩づくりが主要産業だったところに、近代的なハイテク工場を誘致したことで、この一帯は周辺地域から働き手を集めることとなり、街が形成されていった。さらに対岸にある島々から、「いつか子供や孫の代が工場で働けたら」の望みをもって、漁民が移り住むようになり、それが町外れの漁村を形成していったわけである。こうした事情により、近距離の範囲内で「都市部と農村部」がセットで急速に発展したという特徴があり、私のように農村の生活を知らず、物心ついたときから「企業に勤める」という「文化」に囲まれてきた人間にとっては想像力が試されるところだ。水俣病を考えるにあたり、「そもそもチッソはどういう企業として日本のなかで発展していったのか、それに応じて地域住民がどのようにひとつの企業を受容していったのか」という「前史」を知ることがとても重要だということをその場で実感した(無知ゆえに私はそうした話の時点でお腹いっぱいだったのだが)。

 このように「豊かさ」をみんなで求めていったはずの街や村に、やがて水俣病の公害汚染が引き起こされていくわけで、あらためておだやかな内海を取り囲む対岸の島々を実際に見やると、内海ゆえの地理的条件のなかで有毒汚水が対流・沈着していく感じを体感的に想像してしまう。説明によると当初チッソの工場は鹿児島のほうに作られる見込みだったのが、いろいろな経緯で水俣に誘致されたとのことで、もし海流の違う地域に作られていたら、こうした公害に伴う問題の発見は遅れていたり、文字通り水に流されていたかもしれないという可能性も考えさせられる。

 JNC社と名前を変えたチッソ社は現在も水俣で工場を稼働させているし、その周辺にあるさまざまな会社もほとんどがチッソの関連会社として動いていて、当初はチッソ工場内にあった購買部までもがそのまま発展して地域のスーパーマーケットチェーンにまでなったりもしていて、あらゆるものがチッソ社とともに「発展」していって、今に至る。

 それゆえ、住んでいる人々も多くはチッソの関連会社で勤めているわけで、こうした地域で「公害の歴史」を風化させずに共有し続けることがどれほど難しいことか、相思社の方の語りの端々にそれが伺えた(たとえば、地元であればあるほど、そこで育つ子供たちの親の多くはチッソに関わる仕事に就いてるため、水俣病公害のことを学ばせることは現場の教員にとって非常に難しい状況だそうだ)。

また同時に、JNC社で開発・製造される工業製品の数々ははまちがいなく今の私の生活にも役立っていたりする。そのこともまた事実である。たとえば私の趣味のひとつが「市民マラソン大会の応援」であることが相思社の人に伝わると、「ランナーの位置を計測するチップの部品などもこの会社で作っているんですよ」と教えられたり。

 そして「水俣病」と、土地の名前がそのまま病名になってしまったことで、この名称変更を求める住民運動も続いているそうだ。そう言いたくなる人々の気持ちも分かるものの(あるいはそれもまた政治的な動きであるのだろうけど)、水俣で起こったことから日本全国や世界へ発信されていったこの痛ましい出来事の存在を示すためにも、やはりこの病名には意義があると個人的には思う。「メチル水銀中毒症」と言われても記憶に残りにくい。

 そうした流れとともに、この水俣病の存在を「環境問題」として捉えさせようとする動きというものも、あちこちに微妙なかたちで漂っていて、「環境問題」となった瞬間に抜け落ちていく「責任の所在」が曖昧になっていくことの居心地の悪さを覚える。いわく「環境問題=現代に生きる私たち全員が責任を負っています」というような。
(それゆえ、当時の状況を伝える看板のたぐいも、そこに書かれる文章のひとつひとつは、多様な“綱引き”によって形成されているので、読解には注意を要することになる)

 見学ツアーのなかでとくに印象的だったのは、公害を伝える「史跡」は、チッソの工場内にもまだ残っていることだった。ガイドの方が工場の塀の向こうにわずかに見える排水浄化装置のことを説明してくれたのだが、これは水俣病の存在が指摘され始めた初期において、病気の原因の疑いが有毒の工場排水にあることを受け、「表向きのアピールのために」作ったものであり、実際の浄化機能はなかったとのこと。こうしたごまかしの姿勢が一定期間続くことで、長らく「空白の年月」として原因究明や公害認定の道のりがさらに遠のいていき、被害をさらに拡大させたことは厳しく糾弾されるわけだが、そうした「経済発展至上主義の影」が形としてまだ現存しているのである。そしてその近くには監視カメラが当然あったりするわけだが、我々はこの何気ない塀の向こうの建造物に、さまざまなものを見いだせるのである。

 その翌日に訪れた市立水俣病資料館では当時の様子を伝える新聞記事のスクラップブックが年代別に並べられていた。最初はネコなどの動物が変な死に方をする奇病として報じられていき、それがやがて地域住民の中にも奇病が発生していることが分かっていき、どんどんその謎が広がりを見せる。しかし一向に原因や改善が見られないことへの戸惑いが、無実の住民の悲痛な姿をとらえた写真(当時の社会規範における許容範囲としてのものとはいえ、非常に生々しく)とともに報じられ、真相をすでに知っている新聞記事の読み手としての自分はこの「謎の病気」をめぐる叫びにたいして、やりきれない思いを抱かずにはいられない。

そうして紆余曲折を経てやがてひとつの原因にたどりつくも、それが一企業の引き起こした「公害」として認定されるまでにはさらに途方もない時間と運動が必要となっていった歴史が、スクラップブックの「背幅」を通して実感できる。先に述べた「偽りの浄化装置」が作られたときの新聞記事ももちろん確認することができ、この「偽り」で表向きの収束を見たのか、このあたりの時代は一気に報道量も減っていき、スクラップブックも薄かったりする。しかしこの「薄さ」の向こうに、健康だったはずの人生を奪われて次々と苦しんでいったたくさんの人々の姿があるはずなのである。

 近々、水俣の問題を追って撮り続けた写真家ユージン・スミスを題材にしたジョニー・デップ主演の映画作品が公開されるとのことで、水俣は改めて世界的な注目を集める場所になるであろう。話によると水俣はロケ地でもなく、セルビア方面で撮影が行われ、細部のディテールなどはどうしても実際のものと異ならざるを得ない内容になっているそうだが、こうした「自分たちでは振り返りたくない過去」を見据えるためには、外部からの視点を持ち込むことが有効なのかもしれない。それはまた、まさに今の日本の政治的社会的状況においても言えることだろう。

 

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2019.07.14

アウトドアの新しい楽しみ方「チェアリング」に興味がわく

たまたま書店でこういう本をみかけて、即買い。

椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門 (ele-king books)
スズキ ナオ パリッコ
Pヴァイン (2019-03-28)
売り上げランキング: 279,951

持ち運びの楽な折りたたみ椅子をもって、それを屋外において、限りなく荷物を持たずに、自然のなかでひとときを過ごすというアクティビティが「チェアリング」と名付けられていて、それが知る人ぞ知る密かなブームになって、こうして書籍まで刊行される運びになったようだ。

こういうことはもちろん以前からもそれなりに行われていたのだろうけど、「あらためて特定のアクションに名前をつける」ということで生み出される新たな「うごき」みたいなものに私は興味をひかれる。

日本チェアリング協会(笑)による、チェアリングを実施するうえでの注意点はこれだ。

・人様に迷惑をかけない
・ゴミは持ち帰る。むしろ掃除して帰るのかっこいい
・市井の人々に威圧感を与えない(酒をよく思わない人もいるので)
・私有地に無断で立ち入らない
・騒がない(KEEP CALM)
・公共の場を占有しない
・装備を増やしすぎてキャンプにしない

思い立って椅子とともに外へ行き、できれば近所にコンビニとかトイレがあれば嬉しくて、そうしてほどよい場所にスペースをみつけたら、そこで椅子を置いて座り、静かにその風景を味わう。

考えてみたらシンプルなことなのだけど、ある程度しっかり意識しないとこういうアクションを実行に移すことはなかなかできにくいものである。「チェアリング」は日常生活をすこし別の角度から眺めて、自分を取り囲む世界を新たな気持ちや視点で見つめ直す「工夫」だったり「アイデア」のひとつだと思う。

というわけで、お酒を飲まなくても、好きな過ごし方をすればいいわけで、私も折りたたみ椅子(と、虫除けスプレーとか)を手に入れるところから始めようと思う。

この本の著者たちが以前デイリーポータルZで書いた記事がとても詳しいのでリンクを貼っておく(こちら)。

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2019.01.26

映画『マイ・ジェネレーション:ロンドンをぶっとばせ!』を観て、平成の終わりに60年代ロンドンをあらためて想う

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やー、あらためて映像で観てもツィギーはやっぱりステキだ、ホントにステキ。
それが一番の感想かもしれない(笑)。

想像以上に、(良い意味で)“教材的な”内容で、60年代ロンドンのユースカルチャーを捉えていて、これでもかと当時の映像の洪水を見せてくれる。そしてまた、この前後の歴史的展開を照射しつつも、うたかたの幻のようだった刹那の輝き、刺激的かつポップさゆえの儚さ、そういった感傷をも、同時代を知らない我々に味わわせてくれるような時間だった。

この時代の生き証人として俳優のマイケル・ケインがナビゲート役を務めているのだが、ところどころで若き日のケインがロンドンの街を歩き回る映像が差し挟まれていて、このスケッチ的な映像資料が、あたかも50年後にこの映画を作るために記録されていたのではないかというぐらいに見事にハマっていたのも印象的。

なにより、この時代を彩るサウンドトラックも期待通りで、心なしか音質も素晴らしくて、京都シネマってこんなに音響良かったっけ? って思ったぐらい。唯一気になったのは映像のなかで「モッズ」の説明が出てきたときのBGMが(確か)ストーンズだったので「ちょっとそこはなぁ~」って感じになったことぐらい。
DVD版が出たらダラダラと部屋で流しっぱなしにしたい感じ。

そう思うと、この当時の「退廃的とみなされていた」カルチャーの担い手たちがちゃんと元気でいるうちに、こういうドキュメンタリーをちゃんと作っておくことは本当に大事だよなぁと思った。なので今度は誰か英国70年代プログレッシヴ・ロックのちゃんとしたドキュメンタリー映画を作ってくれ・・・と思わずにはいられない・・・(笑)
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パンフも表紙のデザインが良かった。このメガネほしい。
ちなみに右の渦巻きは、BBC「トップ・オブ・ザ・ポップス」をモチーフにしたマウスパッド(昔、スカパーの懸賞で当てた 笑)。

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2019.01.02

お店の空きスペースを有効利用。コインロッカー不足に対応したシェアリングサービス「ecbo cloak」を利用してみた

あけましておめでとうございます。
今年もできるかぎりたくさん書いていきたいと思います。できるだけ・・・

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さて。
旅行などで大きい荷物のあるとき、大都市のターミナル駅などでは、コインロッカーが空いていないことがほとんどである。そしてスーツケースなど大きい荷物になると、さらにロッカーの数が限られている。「荷物預かり所」を設けている駅はよほど大きい駅じゃないとないので、なかなか困るわけである。

それでネットで調べると「ecbo cloak」というサービスがあることを知り、このあいだ初めて使ってみた。
店舗の空きスペースを利用して、ネットを介して「ここなら荷物預けられます」と検索されて、利用者とつなげるシェアリングサービスである。

会員登録をして、自分が預けたいエリアを検索すると、地図付きでいろいろなお店が表示される。そこからは手軽に自分の持ち物の個数などを選択していけば、あとはお店の営業時間に応じて予約ができる。

先日私が使ったのはとあるデパートの服屋さんだったのだが、レジに持っていくと「チェックイン」の作業が行われ、荷物の写真をその場で店員さんが撮影していた。
(何らかの処理が行われるたびに、登録してあるメールアドレス宛に通知がちゃんと来る)

ひとつ注意しないといけないのは、「この時間に取りに行く」ということを現場でも改めてはっきりさせておかないとお店側も困るので、そこだけはコインロッカーほどの気軽さはない(料金は1回いくらなので、もちろん遅刻しそうならあらかじめ電話連絡をすればいいだけなのだが)。

そしてもうひとつこのサービスが興味深いと思うのは、荷物を受け取りにいったついでに、私はその預かってくれたお店の商品もついでにチェックすることとなり、ついつい記念にTシャツを買ってしまったことだ(笑)。また場合によっては、旅先についてのちょっとした情報などもそこの店員さんに質問しやすい雰囲気も出てくるだろう。いくつか検索されたお店のなかで、自分の親しみやすいジャンルのお店を選んだことにより、そうした「旅先での予想外の出会い」も楽しめたわけである。

AirbnbとかUberとかは、日本の行政の強固な姿勢により普及は難しいが、コインロッカー業界においてはあまり既得権益を守る必要がないためか、このシェアリングサービスはすでに利用可能なわけで、今後はもっとお店が参加してほしいと思う次第である。

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2018.12.31

今年最後の読書は、パン職人の自叙伝。

 今年は結局フリーペーパーも書かず、ZINEづくりに向けた作業もまったくはかどらずに終わっていく。
 ただ、インプットの面において久しぶりに読書欲が旺盛な周期に入ってきたのか、今年はめっぽういろんなジャンルの本を読んできたように思う。ただし今年最後の読書のきっかけは意外なところからやってきて、つい先日顔を合わせた旧友のM・フィオリオ氏が「これを読め!」と(強引に)貸してきた、ドミニク・ドゥーセ氏の自叙伝『ドミニクドゥーセ、リスタート!』(伊勢新聞社、2014年)となった。


 ドミニク・ドゥーセって、誰? となるのも無理はない。我々にとってその名前が特別なのは、90年代の初めに我々がF1マニアだった頃、鈴鹿サーキットで出店していたパン・お菓子屋のフランス人オーナーシェフとしてこの名前を深く記憶に留めていたからだ。特にフィオリオ氏がこのお店のお菓子を気に入り、彼が買った缶入りのお菓子に添えられていたリーフレットもなんとなく印象的だった。それで私もずっとドミニク・ドゥーセという名前を、聖地としての鈴鹿サーキットのこととセットで想い出のなかにしまっている。

 ただそれから25年ぐらいたって、お互いF1ファンではなくなっている今の状況において、フィオリオ氏がこの本を私にどうしても読ませたかったのは、我々はドミニク・ドゥーセが当時どういう想いでフランスから来日して、三重県の国際レーシングサーキットに店を構えて、その後どういうことがあったかということをまったく知らないまま生きていたからである。別にそんなことを知らないままでも、それはそれで問題はないのだろうが、この本を読むと「そんなことがあったのか、ドミニク!!」と、まるで遠い親戚のおじさんの知られざる驚きの過去をこそっと告白されたかのような、その数奇な人生の浮き沈みがなんとも驚きの連続だったからである。

 そもそもドミニク・ドゥーセは、87年に鈴鹿でF1日本GPを誘致するにあたって海外からの選手や客に対応できる良質の料理人の必要性が検討されたことで、サーキットの運営母体であるホンダから熱心なオファーを受けて日本に来ることになったそうだ。そこからの日本社会への適応に関する苦闘ぶりを読むにつれ、結局この人は日本のバブル期における「ノウハウがなくても金で解決すればいい」的なありかたに翻弄された人のようにも思えてくる。苦労して母国でパン職人になり、腹をくくって日本に来たからにはフランスの味をたくさんの人に伝えようという使命感をもって頑張り続けるも、遠くに住む家族との問題や、サーキットから独立してお店を展開するも、あやしい事業提携話にひっかかって悲惨な目にあったりと、幾多の困難を経て「ドミニク・ドゥーセの店」のブランドを守り抜き、今は原点である鈴鹿に本店を構えて「リスタート」をきっているドミニク氏の職人魂を思うと、今すぐにでもお店に出向いて、パンやカヌレを食べたい気持ちになってくる。

 「鈴鹿に行けばドミニクのパンが食べられる」ということでファンも多かったという幾多のF1ドライバーたちとの交流もまた、彼のパン職人としての来歴を語るうえでは欠かせない部分であるが、「私も、彼らとは違ったレースを、必死で走っていた」という一文がすごく、光っている。

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2018.11.01

永遠に続くかのような、はるか遠い世界をくぐりぬけたような気持ちで読み終えた小説のこと

 だいぶ前に手に入れていたものの、なかなか読む決心がつかなくて、長いあいだ放置していた小説を、ようやく先日読み終えた。


 読む決心がつかなかったのは、その小説があまりにも長いからであった。ひとたび手を着けたら、一気にリズムに乗って読んでいかないと、きっとすぐ飽きて挫折するだろうと思っていた。

 しかし思い切って本の世界に飛び込むと、その心配は不要だった。それぞれの章ごとに、一遍のドラマが始まっては終わっていき、そして次の章へと時間の流れは受け継がれつつ、かすかな関連性が次の章への布石を打っていく。その端々で、その小説が描く空間に実在したであろうさまざまなものへの想いに浸らせつつ、つぎつぎとスリリングで面白いフィクションが展開されていく、みごとな構成の小説だった。


 その本の題名は、ずばり『ロンドン』である。エドワード・ラザファードによる1997年の作品で、日本語版は集英社が発行した。上下巻合わせてだいたい1100ページ。ハードカバー版しか存在しておらず、2冊重ねると8.5センチほどの厚さになる。なので読むのをためらっていた理由のひとつは「一冊が重たすぎる」ことにあり、この数年、この本がひょっこりと文庫版だったりデジタル版で再発されないものかとずっと望んでいたが、どうやらそうはならないようだ。通勤電車の中ぐらいでしか本を読まない私にとっては、この本をずっとカバンに入れ続けた2ヶ月が終わった今、毎朝がどことなく「軽やかな気分」にすらなっている。


London01
 この小説は紀元前54年から、1997年にいたる約2千年にわたるロンドンの、もっといえば「テムズ川とその周辺」を舞台に、フィクションとして10組ほどの家族の変遷を語りつつ、実際の歴史的事象を織り込んで描いたダイナミックな大河ドラマのごとき小説(まさに舞台も『大河』なのだ)である。

 それぞれの時代においてたくましく生き抜き、純朴な人だったり狡猾な人だったりが、幸運や不運に見舞われ、自らの力の及ばない時代の荒波に翻弄されていったりする。それぞれの登場人物やその子孫達の目線から、ひとつの大きな「河」とその周辺の大地が少しずつ発展し、大火や爆撃による崩壊をも乗り越えて現在の姿に至っていく、そのありようを壮大な小説として味わっていくわけで、ロンドンという街が好きで好きでたまらない私のような者にとっては、これまでにない独特な読書体験をさせてもらったと、いまはひたすら作者(と見事な翻訳者)に感謝しかない。


 もっと早く読んでおけばよかったと思うことが何度もあり、話のあちこちで差し挟まれる、考古学的・歴史学的な「ロンドン・トリビア」に触れるたびに、スマホでグーグル地図を調べたりウィキペディアで実物を確認したりする楽しさもあって、今度ロンドンを訪れるときにはぜひ行ってみたい場所がこれでさらに増えまくった次第である。そもそもロンドンには言うまでもなくたくさんの面白い博物館や美術館があって、どれもリピーターとなってついつい再訪してしまうので、時間がいくらあっても足りなくて、他に行くべき博物館がまだまだ残っている有様なのである。なので実は私はいまだに「ロンドン博物館」と「交通博物館」には行けてなくて「今後のお楽しみ」にしたままなのである。次回ロンドンに行ったら、この街の歴史の面白さをじっくり味わえるであろうこの2館は心からワクワクして訪れることができそうである。

 子どもの時から私は歴史の授業が得意ではなく、すぐに物忘れをするためになかなか歴史の流れを記憶することが苦手だと思ってきたが、こうしてたった一カ所の視点から離れずに、ひとつの人類史の流れをたどっていくことが、こんなにスリリングでドラマチックなのかと改めて歴史学の面白さに敬服している。思えば世界史の教科書って、読み進めるとこれまでの出来事がバッサリと後ろに追いやられて、突然次の章からまるで何事もなかったかのようにまったく別の地域の話になっていく展開になっていて、そのあたりでモヤモヤとさせられていたのだろうなぁとつくづく思い至った。そりゃあ限られた時間に生徒たちは歴史的事象を理解・把握しないといけなかったから仕方ないのだが、そのせいでこうした『ロンドン』がもたらしてくれる「定点観測的楽しさ」が味わえないのは歯がゆいところでもある。

装丁のイラストレーションも最高にステキで、帆船が宙に浮かんでいるという空想的コンセプトが、史実とフィクションの混交をうまく雰囲気として伝えているようにも思える。


London02

 なにより最後の最後で、人がやってきては去って行く巨大交易都市としてのロンドンが、古来よりさまざまな民族の移住によって築かれた場所であることを作者は強調して締めくくっているのが印象的であった。それはまさに私がはじめてロンドンを訪れたときに感じ得たことでもあり、現代のアメリカやブラジルの大統領の流れとも関して、また、移民の受入れにあまりにも消極的な先進国に住む者として、読後感にじんわりと残すものがあった。


 

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2018.08.04

かねてから気になっていた大阪・難波の「DIY FACTORY」に行ってみた

おなじみイリノイ州アーバナシャンペンのコミュニティラジオ「Harukana Show」で、先日行ってきたDIY FACTORYの話をさせていただく(こちら)。
(あとその前の回は、ワールドカップの話をさせていただいたり)
というわけであらためてブログでそのことを書いてみる。
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 「DIY FACTORY」ではさまざまなDIYツールや素材を売っているだけでなく、作業場所の提供や、用具の貸し出し、そしてDIYのノウハウを教えてくれるスクールが開講されている。
 そこで今回、体験レッスン(1000円)で、「電動工具の使い方」の講座を受けてみた。

 普段から電動工具を必要とするほどの物作りを頻繁にやっているわけではないので、このようなツールを私はまだ持ったことがない。ごくたまに「あったら便利だろうな」と感じるシーンもあるが、周囲に持っている人がいて貸してもらえそうな道具でないかぎり、まずそれを取り扱う経験を得ることは難しい。そしてホームセンターに行けばこうした電動工具は買えるわけだが、安全上の観点もあって、それらの工具を店内で気軽に試して使わせてもらえるような販売方法は一般的ではないだろう。電動ドリルならまだイメージがわくが、実際に木材に向かってサンダーでヤスリがけをするのがどういう感覚なのかを分からずして、店頭で見ただけで「これ買います」とはなりにくい。

 そういうニーズに応えるかたちでDIY FACTORYはレッスンを通して、誰しもが気軽に工具の使い方の入り口に立つことができるわけである。まさに私のように「いつかDIY工具を手に入れようとは思っているけど、その前にちょっと試しに触ってみたい」と思っているような人にはうってつけのショップである。

 参加者にはエプロンが貸与され(念のため、汚れてもいい格好で来ること)、この日約1時間のレッスンで体験できた工具は、ジグソー、サンダー、電動ドリルとインパクトドライバーである。それぞれの道具についてわかりやすく説明が書かれたレジュメをもとに、先生が詳しく説明をしてくれる。用意された木材をジグソーで切っていくときなどは、普段木材をたくさん切る用事が特になくても「これ欲しい!」となったり、サンダーで杉の木をヤスリがけし、表面のツルツル感を確かめてはウットリしたり、電動ドリルとインパクトドライバーについては形もよく似ているから「どっちがどう違うのか」と前から疑問に思っていたわけだが、その違いを実体験を伴って理解することができた。こんなに楽に木材を切ったりネジを回せるのか!と、電動工具をすぐ買ってしまいそうになるほど楽しめた。

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 やはりこうした電動工具の便利さを知ってしまうと、おのずと「何か作ってみようかな」という意識に傾くわけで、そうして初めてDIYの物作りプロジェクトがその人なりに進んでいく部分もあるはずだ。たいていは「作りたい欲や、差し迫った必要性」が先にあるのだろうけど、「作れる/作りやすい技術を手に入れる」ことが先にあってもいいわけで、あらためて中学校のときの「技術家庭科」の授業をオトナになっても受けられるような、こういう機会がもっとあってもいいなぁと実感した。

 このお店では他にもさまざまなレッスンがあって、「溶接技術の基本」というレッスンもあり、近いうちに溶接をしなければならない予定が個人的にまったくなくても、なんだか受講してみたいと思える。

 あとこのお店で売られている塗料で、「こんなのあるんだー!」と初めて知ってテンションが高まったものがチラホラと。
 たとえば(株)タカラ塗料の「コンクリートエフェクト」(こちら)。これは塗っただけでコンクリートっぽく見えるペンキで、これだと例えば賃貸の壁の上にシートを張って上からペンキが塗れるというやり方と組み合わせたら面白いかもしれない。

 大阪は難波、関東では東京の二子玉川にこのDIY FACTORYはあるので、ぜひお気軽にレッスンを受講してみてはいかがかと。本格的にレッスンする場合は、英会話教室みたいにポイントを購入して受講するシステムとなっている。
 

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2018.07.17

バスケ、バレー、サッカーのボール生地を使ったアパレルブランド「FUKUNARY」が超絶ステキな件

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スポーツ用品とアパレルのコラボレーションということで、最近知ってテンションが高まった事例。
広島にある八橋装院という会社では、特にバレーボールやバスケットボールで有名なMikasaの、あのボールに使う素材をそのまま転用して様々なグッズをデザインして「FUKUNARY」というブランドのもとでリリースしている(リンクはこちら)

ちょっと前の話になるのだが、たまたま梅田の百貨店ルクアにいたら、このFUKUNARYが期間限定で出店していた現場に遭遇し、

「ん・・? こ、これはーっ!?」となった。

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バレーボール、バスケットボール、そしてサッカー。これらのボールにはそれぞれの特性があるわけだが、その風合いや質感を生かして、オシャレかつ耐久性の高い製品たちがセンスよく作られていて、これはもう、やったもん勝ちである。私はその売場のスタッフさんたちに「すげー!!」と連呼してしまい、いろいろお話を聞かせてもらい、しまいには店員さんが実際に使っているお財布の使用状態までもを調子に乗って写真に撮らせてもらったぐらいだ。(結局そのときは何も買わなかったのですいません 笑)
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↑これ、表面はバスケットボールのあの質感でありつつ、中身の仕分け部分もすごく良く出来ていて、あえて写真は載せませんが(笑)、すごく使いやすそうだった。

そして当然、「使用済みボールから、記念品のようにグッズを作ることもできる」とのことで、それだったら普通にプロ選手の使用済みボールからグッズ展開してもいいわけで、マニアとはこういうのを買う人種なのだから、やったもん勝ちなのであると進言させてもらった。

「サッカーボールのキーケースとかネイマールとかに贈って使ってもらって、ネットにあげてくれたら一発でしょう~」とか勝手なことばかり言う私。

聞けば広島の工場も見学できるかもしれないので、これで広島へ旅したくなる理由がまたひとつ増えた(大雨の状況はどうだったのか気になるけれども)。

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2018.05.28

楽しげな本が新たに発刊されましたよ:『退屈をぶっとばせ!:自分の世界を広げるために本気で遊ぶ』(オライリージャパン)

読んでない本について書くのはこのブログでは控えてるのだが、2日前に出た本で「わー!」となったので、その気持ちに従って衝動的に紹介。『Make:』の関連書籍はどれも刺激的で見逃せない。
アマゾンの紹介ページではこんな風に書いてある:
本書は、自分自身にとって意味のある人生を作りたいと考えている10代の少年少女のための書籍です。
その内容は「すぐに大人にほめさせない」「学校に行かないで学ぶ」「ADHDの子どもへのメッセージ」など、成長の過程で必要なことが書かれたエッセイから、「文章を書くためのエクササイズ」「批評する方法を身につける」「スニーカーをデコる」「クッキーの焼き方を通して科学実験を学ぶ」「政治家に自分の考えを伝える」「ガレージセールでお金をかせぐ」「自分で自転車を修理する」「ゲームデザインを学ぶ」など、自己表現、社会活動、DIYに関連したハウトゥまで幅広く、これらを知り、体験することで、企業が提供する出来合いの娯楽ではない、本当に夢中になれることを自分で見つけることができるでしょう。
・・・ということなのだが、もはやこれは10代の子供向けではなく、文章を書いたり批評したりスニーカーをデコったり、クッキー焼いたり政治を考えたりガレージセールしたり自転車修理したりゲームづくりに挑んでみたりとか、「これはぜんぶオトナも本気出してやるべきだろう」っていう気持ちになるわけだ(そう思わせるウラの意図なり、真の狙いみたいなものも、『Make:』だったりオライリーの本全般は匂わせてくるので、さすがというか)。

そしてこの説明文でグッとくるのが「自己表現」と「社会活動」の同列のなかにDIY精神が当たり前のように語られて、それが共有されている状況がうかがえることだ。それこそがずっと私にとってこだわりのある部分であって、「ものづくり=DIY」の部分だけでなく、「それを行う主体としての自分そのもの」が「手作り、創意工夫」のなかで「自己表現」となっていく感じ、そこをちゃんと押さえていきたいのである。

で、これを言うと立場的にどうなんだとなりそうだが、そういう精神性ってやつは、教育だけでは(もっというと政策だけでは)育成されないし、常に「計画性」とか「プロセス、効用、効果測定、カリキュラム」みたいなものを、すっ飛ばして、すりぬけて、意味の分からない方向へ飛び散っていくのである。アウト・オブ・オーダーな世界。ざまぁみろ、っていう。

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