カテゴリー「文化・芸術」の記事

2025.02.09

映画『ドリーミン・ワイルド:名もなき家族のうた』を観て、音楽環境の時代的変遷を実感したり不変の家族愛に心うたれつつ、どうしても映画に没頭できずにひとりツッコミを入れ続けたりしたこと

「実話に基づく映画」が好きだ。
たぶん、自分の立っている世界とどこかで地続きであるという実感をもって観ることができるからかもしれない。

さて今回観た映画『ドリーミン・ワイルド:名もなき映画のうた』(公式サイトはこちら)は、米国ワシントン州の田舎で、広い農場で暮らすエマーソン一家の物語だ。父親は楽器を与えるだけでなく、音楽スタジオをDIYで建造して、2人の兄弟は農作業の手伝いの傍ら音楽づくりに没頭していく。兄のジョーがドラムを叩き、弟のドニーが歌いつつギターやその他の楽器の多くを手がけ、曲も次々とドニーが生み出していく。

そして1979年、ドニーが17歳のときにエマーソン兄弟は『Dreamin' Wild』というアルバムを自主制作で完成させ、レコードを大量にプレスするのである。
Dreaminwild

ただしそれは片田舎での話であり、そこから販路をもって広げていく術もなく、その作品が陽の目を見ることはなかった(たびたび、エマーソン家の地下室などに未開封のダンボールの山が置かれている様子がうかがえて、自分もZINEの冊子とか自作Tシャツの在庫などをダンボールにひたすら抱えているだけに、人ごとではない切なさに共鳴する)。

その後も才能溢れるドニーは音楽の道を捨てきれずに奮闘するも、「夢」は夢のまま年月が過ぎていく。ところが約30年の時を経て、あるコレクターが骨董品屋でこのレコードを発見し、その音楽性を賞賛すると、ネット時代ゆえの「バズり」が生じて、一気にこのアルバムおよびエマーソン兄弟の存在が再評価される事態となり、レコードの再発やメディアからの注目、それに伴うライブ演奏の機会がめぐってくるのだが、そんな急展開の状況においてドニーには無邪気に喜ぶことができない葛藤が押し寄せてくる・・・というストーリーだ。

そして今この「あらすじ」を書いていて気づくのは、これはあくまでも「ドニー側からみた書き方」であり、この映画を観た後の心情から振り返ると、例えば兄のジョーの視点だったり、または惜しみなくすべてを注いで彼らを信じ続けてくれた両親の側からの視点で捉え直して「あらすじ」を書いてみたくもなる。私が冒頭で「エマーソン一家の物語だ」と書いたのは、そういうことなのだ。これは音楽の映画であるだけでなく、まさに家族をめぐる映画だった。

映画の最初のほうで、何も状況を把握していないエマーソン家(田舎暮らしで、ネット社会で起こっている音楽業界のことなんかには無関心だったのだろう)を訪ねてきた音楽プロデューサーがいかにこの作品に注目が集まっているかを力説し、少しずつ事の重大さが認識されていくシーンなんかは、素朴な気持ちで観ているこちら側にとってもだんだんと微笑ましい気持ちがこみ上げてくる。

しかし事態はそんな単純な話ではなく、そこからドニー個人にとってはいわば「遅れてきた試練」のような展開になっていくわけだが、それをふまえて一歩引いて現実のところで考えてみると、「この映画を作る話そのもの」も、リアルな部分でエマーソン家にとってはある意味で「試練」みたいなものがあったのではないか、と想像してしまう。大昔に子どもたちが青年期特有の熱情で作った音楽作品の、予想だにしなかった再評価に関わる家族間の、どちらかというとあまり表だって言いにくい「過去」の話を、この映画を通してドキュメンタリー的に追体験させてしまう、このあたりは実際のエマーソン家のなかでどういう昇華のされかたがあったのだろうか。こうした「音楽の再発見による家族の夢の新たな展開」と「夢を追っていた家族の歴史の露呈」の二重構造が途中からうっすらと気になってきたのだが、最後にはそのあたりも映画作品としてうまく着地させていった、とも言える(これから観る人のために詳しくは書かないでおく)。

それにしても、この兄弟が残したアルバムをよくぞ発掘してくれた! とも言いたくなる。映画を観る前から「予習」としてサブスクだったりYouTubeで実際のエマーソン兄弟の演奏を聴いていたわけだが、この『Dreamin' Wild』収録曲の、とくにラストの「My Heart」なんかは、果てなく広がる大地の地平線から立ち上がってくるような気配から奏でられる繊細なフレーズに、何度も繰り返して聴きたくなる中毒性がある。当時10代だった彼らがこうした音風景を自分たちのハンドメイドで結晶化させていったことは、確かにひとつの奇跡的な味わいがある。


(でもなぜかこの曲は映画のなかでは使われなかった。エンドロール向きだと予測していたのだが)

で、ここからはかなり下世話な感想・・・。

この映画では私の超好きなズーイー・デシャネルが、ドニーの妻、ナンシーの役として出演している。
そのことは映画を観る前から理解していたはずなのだが、そのせいで、どうしても私はスクリーンに現れるのが「ドニーの妻のナンシー」ではなく「うわー!ズーイー!」という存在感で捉えてしまうがために、映画の世界のなかで
どれだけドニーが苦悩しようが、
いらだちを見せようが、
つい反射的に

「おいおい、ズーイー・デシャネルが奥さんなんやから、それ以上人生に何を望むねん!?」

・・・というような気持ちになってしまうわけである。

気を取り直して「いやいやいや、ここはドニーの煩悶にフォーカスして、共感しないと・・・」となるわけだが、どうしてもズーイー登場時には元通りになってしまいがちで、物語世界そのものへの没入がそのつどリセットされるような感じになってしまい、その点についてはもう本当に本当にエマーソンさんご一家の皆様には申し訳ないと頭をさげたくなるし、純粋な気持ちで映画を観続けられていなかったことを平謝りするしかない。

結論:それにしてもズーイーはあいかわらず超絶ステキ。

いやいやいや、違う。違うんです。
(この記事の冒頭で「実話に基づいた話は自分と地続きだ」とかなんとか書いたけど、ズーイーに関してはまったく地続きじゃないですね・・・はい。)

(無理やり話をかえて)
あ、子ども時代のドニーを演じた印象的な俳優ノア・ジュプさんは、なんと『フォード vs フェラーリ』に出てきたケン・マイルズの息子役でもあったとは! それは気づかなかったぁー!!(すっかり大人になって!) この映画も実際にあった話を基にした作品になるわけだが、実際に起こったとは思えないほどにあらゆる点でドラマチックなモータースポーツ史の1ページを完璧に描ききった傑作で、コロナ期の果てにどうしてもスクリーンで味わいたいと願い、恐る恐る映画館に行って観た作品という意味でも、自分にとっては印象深い映画なのであった。

(たぶんコロナのこともあって、この映画をほとんど客のいない映画館で観たことは表だってブログに書かないままだったと思われる。)

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2024.12.14

取引先の営業さんが書店経営を妄想させてくれる件

私の職場にはいくつかの書店の営業担当の人が出入りするのだが、私は業務的に直接関わることはないため、普段そんなに話をする機会はない。

それが、ある日たまたま某大型書店の営業さんとしばし立ち話をするという状況になり、ふいに「これからの書店のありかたについて、何か思うところはありますか」という、唐突にデカいテーマの話題を振ってきたのである。

なので私も調子に乗って、思いつくままアイデアをダラダラと述べた。

例えば、書店の「有料ファンクラブ制度」はどうか。書店そのものに深くコミットしたい消費者はたくさんいると思うのだ。
そういうファンだったら、バックヤードの作業の一部とかをボランティアでもやってみたい人がわりといるんじゃないか(そんな悠長なことをやっている場合じゃない! と現場の書店員さんは思うだろうけど)。

ファンクラブ会員だったら、自分が買って読んだ本についてのレビューや的確なフィードバックを、出版社側にダイレクトに伝えることに前向きに取り組むだろうし、他の会員さんたちの感想文だって読んでみたくなる。
微力ながらも出版文化へのささやかな貢献を果たしたいというニーズは、読書好きならすごくあるはずなのだ。

あと私が力説したのは、最近ではスーパーマーケットに自動運転の掃除機マシンがウロウロし、ファミレスでは配膳ロボットが動き回っているような状況なので、そういう仕組みを応用し、週に一回でいいので、閉店後の大型書店のすべての棚の状況を画像化してスキャンできる仕組みをつくり、それらをネットで閲覧できるサービスはできないだろうか。別にこれは全店舗でやる必要はなく、最も売り場面積の大きい店舗の棚だけで充分である。
ただ、そこで知り得た情報をもとに、当該の本をその書店ではなく他のネット書店や古書店で発注してしまう客が多くなるかもしれないのだが、、、でもこうしたサービスは、忙しくて書店を回れない人や、とくに地方に住んでいる人にとってすごく有用だと思うわけである。リアル書店に足を運ぶ意義のかなりの部分が、そうした「最新の棚の状況を見ながらウロウロし、未知の本との出会いを求める」ところにあるからだ。

以上のような妄想めいたネタを語って聞かせて、営業さんも立場上「なるほどー」と話を合わせてくれて、そのときはそんな感じで話が終わった。


で、数日後にその営業担当さんが、私にピンポイントで話しかけて「こんな情報を持ってきました」とやってきた。

それは、トーハンによる書店開業パッケージ『HONYAL』(ホンヤル)がサービスを開始した、というリリースだった。

日本の書籍流通において、トーハンをはじめとする取次業はその独自の立ち位置でしばしば議論されることがあるが、このたびの新規サービスというのは、一言でいえば「小規模でも本が売れるようにハードルを低くしてサポートする」というものだ。

詳しくはウェブサイト(こちら)を見ていただくとして、要するに一般的な意味での書店が減少していくなか、個人書店だったり、あるいはカフェや美容院といった「書店じゃない業種」のところにも書籍の販路を一定のクオリティで増やしていくことで、「本と消費者の出会う場所を少しでも増やしていく」という狙いをもって展開していくようなのだ。

なるほど・・・と思ったが、

Inzaghitukkomi
いや、ちょっと待ってよ、なんでこのハナシ、僕のところに持ってきたん!?

つまり、僕にインディーズ書店をやれっていうことか!? 

「こいつは本屋をやりたがっているだろう」って思われてんのか!?

なので、トーハンの新しい動向そのものより、この営業担当さんの動きのほうに軽く衝撃を受けたわけである。

そんなわけで、このごろの私はこの営業さんのなかで「実は本屋をやりたがっているかもしれない事務員」と見なされつつ、そして私は私でふとした拍子にキテレツな本屋を営む妄想にかられながら日々を過ごしている。

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2024.08.17

ラヴェル「ボレロ」とドリフ大爆笑

あまり普段からクラシック音楽を聴くわけではないが、「ボレロ」は昔から一番好きな曲かもしれない。

この夏に映画『ボレロ:永遠の旋律』公式サイトはこちら)が公開されることを知り、それとなくモーリス・ラヴェルとその代表曲「ボレロ」について改めて調べてみると、この曲は1928年に発表されていて、ラヴェル自身は第一次世界大戦時に従軍経験があり、いわゆる戦間期を生きた人ということで、「この曲って、そんな最近に作られてたんですか!?」となり、そういうことを今までまったく知らずに「ボレロはいいな」となっていたことを強く反省し、ラヴェルさん申し訳ありませんでしたという気持ちでさっそくこの映画を観に行ったわけである。

Bolero

私にとって「ボレロ」の最大の魅力を挙げるとすると、これは「人間の一生」を感じさせる楽曲だからである。なぜそれを確信させるかというと、この曲の特徴である「規則的なリズム、パターン化されたフレーズの繰り返し」というのが「人工的」だからである。人工的というのが、ひるがえって「人の手によるもの」を強く意識させるというのが興味深いところであり、この曲は「大自然の雄大さを表現してみました」とかいうのではなく、徹底的に「人間そのもの」を追求した音楽なのだとずっと感じていた。

で、この映画の冒頭ではラヴェルがダンサーのイダ・ルビンシュタインを伴って工場を訪れるところから始まり、絶え間ない機械の作動音のなかから生じる「音楽」を感じてほしいとラヴェルがイダに力説しようとする。映画のパンフレットのなかでも、ラヴェル本人がこの「ボレロ」を工場の機械からインスピレーションを得て作ったと発言していたことが書いてあり、あぁやはりこの曲は自分がそれとなく感じ取っていたとおり「人工的なコンセプト」で生まれたのだと改めて認識できたのは個人的な収穫だった。

そんな「ボレロ」という曲は、さまざまな楽器がそれぞれ同じフレーズを順番に演奏していき、それらがだんだんと厚みを増して最後にひとつの荘厳なサウンドへ昇華していくさまが、まるで人生のその時々の出会いや出来事が積み重なっていくかのように感じられる。つまり生涯の終焉に向かっていくなかで「人生で起こったことはすべて意味があったのだ」というような想いに至る、ある意味での「調和」として結実していくような、そういうイメージを強く喚起させるところが魅惑的である。

でも今回の映画を観るまでまったく知らなかったのだが、この曲はイダが踊るためのダンス曲として依頼を受けて作曲に取りかかったもので、つまりは締め切りに追われてなんとかギリギリのところで生み出された仕事なのだった。

「人生の調和」とか言っている場合ではないほどに、プレッシャーのなかで極限まで追いつめられてインスピレーションを得るべく苦闘した末に生み出された曲「ボレロ」は、結果として誰しもが認める傑作となり、歴史に残る名曲へとなっていくのだが、しかし実はその影でラヴェル本人はこの曲を憎むようになってしまう・・・という知られざる秘話がこの映画の見どころの一つになるわけであるが、「創作した本人でも計り得ない強大なパワーを持つに至った芸術作品」というのは、得てして作り手である本人をも飲み込んでしまう、そういう底知れぬ危険なまでの魅力があるわけだ。

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ところで、この「ボレロ」という曲について個人的にずっと不満に思ってきた点が一つだけあって、それは曲の終わりかたについてである。

静かな雰囲気から始まり、打楽器のリズムだけは通底音として規則正しく続いていき、だんだんとクライマックスに向けて盛り上がっていく展開の曲にあって、どうも終わりかたが性急な感じがして、せっかくここまで積み重ねてきた聴き手の高揚感のやり場が、なんだか急にあっけなくストンと奪われるような、そういう感覚が拭えないのだ。

で、これを書くと熱心なファンから物を投げつけられそうだが、私はそんな「ボレロ」の「急な終わりかた」に、どうしても昔の「ドリフ大爆笑」のコントをなんとなく連想してしまうのだ。コントのオチがついて、いかりや長介がカメラ目線で「ダメだこりゃ」とつぶやいて「♪チャララ~ン、テンテケテン!」といった感じで終わっていく、あのシメのBGMっぽさを想起してしまうのである。
すまん、ラヴェル。

そういうフトドキ者がこの映画を観ているもんだから、劇中でラヴェルがこの「ボレロ」の曲の構成について説明をするシーンでは、つい手にチカラを込めて見入ったわけである。そこでは「最後に激しく爆発して、人生のように終わる」というようなセリフが述べられていた。映画なので実際にラヴェルがそう言ったかどうかはもちろん定かではないものの、このセリフを私は「なるほど、人生か・・・」と襟を正す気分で受け止めた(あ、ウソ、Tシャツ姿で観てました)。

映画を通して考えてみると、この「人生のように終わる」というのは、ラヴェル自身のライフヒストリーを思うと共感できるような気がした。やはり彼にとって戦争体験の影響を免れることはなかっただろうし、ラヴェルは体格的に恵まれていなかったことから、本人としては不本意ながら救護班や物資の運搬役として兵役についていて、それゆえにたくさんの兵士たちの生死の境に立ち会いながら極限状況を渡り歩く役目を担っていたことがうかがえよう。そしてさらには最愛の母を戦争期のまっただ中に失い、そこからしばらくは音楽活動もできなかったほどに衝撃を受けたわけで、突然に大事なものが失われていくという彼の死生観やトラウマみたいなものが少なからず戦後の作曲活動のなかに反映されていったとしても不思議ではない。

その一方で野暮な見方をしてしまうと、「ボレロ」の作曲というものが締め切りのある仕事だったということで、依頼を受けたダンスの時間枠という「商業的な制約」も強く意識されていたために、理論上は延々と続けることができる感動的な旋律であっても「ハイ、時間がきました! ここでダンスは終わり! 仕事完了!」というノリで曲を締めくくった、という可能性もある。本当はこっちのほうが実情に近いのでは・・・と思えてきて、私はそんなラヴェルさんの肩をたたいて労いの言葉をかけてあげたい気分にもなったわけである。

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2024.06.07

新作ZINEをつくった(ある意味で)

ひきつづき、KYOTOGRAPHIEの話である。
(うん、『ロス』は続いている)

京都芸術センター会場ではジェームス・モリソンによる「子どもたちの眠る場所」という展示が行われていた。

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世界中のさまざまな境遇にある子どもたちを訪ね、写真家はすべての子どもたちの姿をできるだけ同じ条件でポートレート写真に収める(つまり、そこには「すべての子どもは平等である」という意味合いが込められているとのこと)。そして彼らの「寝室」を、これもできるだけ同じ角度から撮影し、そうしたプロジェクトから今回の展示においてセレクトされた世界の子どもたちの写真が並べて置かれている。

訪れた鑑賞者は、大量消費社会のなかで豊かに暮らす子どもの寝室の写真を目にしたかと思えば、その裏側に歩を進めると、過酷で悲惨な状況下で粗末な寝台をとらえた写真や、そこで毎日眠る彼らがどういう暮らしをして、どんな夢を持っているかといった説明文を読み、さまざまな社会背景や家族関係のありかたに直面し、その子どもたちの身の上を案じることになる。

写真家自身はただ淡々と、子どもたちの姿と寝室の写真を並べ、彼らの生活の様子を完結に書き添えて提示しているだけである。ただし、次々と並ぶ作品を観て歩く我々はそれらを淡々と受け止めるわけにはいかず、さまざまな感情が静かに沸き起こってくる、そういう展示だった(あえて導線を定めず、作品の間を自由に行ったり来たりできる設定にしているのも効果的だった)。

そして会場である京都芸術センターも、かつては小学校として使われており、そういう意味でも子どもに関する展示をここで行うことには意味があったと感じる。

その意義に呼応するように、この「子どもたちの眠る場所」とは別に、同じ敷地にある別の建物で「KG+」と銘打ったKYOTOGRAPHIEのサテライト・イベントの一環として、子ども写真コンクール展「しあわせのみなもと」の展示も行われていた。そこでは日本の子どもたちが応募した写真のなかから選ばれた作品を、和室の大広間で鑑賞することができた。

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私はボランティア・スタッフとしてこの京都芸術センター会場では一日だけ入らせてもらったのだが、その日に割り当てられたシフトのうち、最初のコマと最後のコマの計2回、この「しあわせのみなもと」の子ども写真展フロアを担当した。1コマが50分くらいで、スタッフの数の関係上、このエリアは1人きりで担当することになっていた。

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で、この子ども写真展の部屋の脇には、さまざまな紙や文房具類が置かれたスペースが用意されており、ちょっとした工作を楽しめるようになっていた。
スタッフはこの工作スペースのところに座りつつ、来場者が来たら畳の部屋の前で靴をぬいでもらうよう案内したり、人数をカウントしたりするのが主な仕事だった。
その傍らで、この工作スペースにもお客さんがやってきた場合はその応対もすることになっていて、ここでは「A4紙でミニブックをつくってみよう」という解説書が置いてあり、主にそういう趣旨で工作を楽しんでもらうようになっていた。

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そんなわけで、朝一番のシフトでこの場所を担当することになった私としては、この「ミニブックをつくってみよう」の解説書をみて、「お客さんが来た時に、このミニブックの作り方を教えられるようになっておかねば」と思い、さっそくA4用紙の束から1枚の紙を手に取ったのだが、このときすでに心の片隅で「自分も何か描くしかないよな、こうなると」という気持ちでいた。

もう、そりゃあね、
描かずにはいられませんよね、何か。
紙を折ってミニブックの形を作って、
空白のまま放置するなんて、
できませんよね。

ましてや朝一番の開場直後だったので、お客さんはそんなにやって来ない時間帯だった。
使える時間は50分ぐらいで、そのなかで紙を折り、ペンを取り、書き上げたのが以下である。









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「即興ZINE」を久しぶりに作ったわけで、ある意味で「新作」となった。
限定1部だけど。

ちなみに、すでにこの工作コーナーには、同様のミニブックの「サンプル」がいくつか置いてあった。いろんな色紙を切って貼り付けたり、何かの写真を切り取ってコラージュのように貼っていたりする作品などが置いてあり、私の「ZINE」もそのなかに混ぜて置いておいた。


こうして時間が過ぎていき、夕方の閉館前、最後のコマで再び私はこのフロアの担当となった。

どうせなら作りますよね、もうひとつ。
ええ、せっかくですし。

で、この時間帯になるとお客さんもわりと多く、隙を見て少しずつZINEを作るという状況だった。
そしてこの工作コーナーにも親子連れが留まり、2組ほど時間をかけて娘さんがミニブックを作り、それをお母さんが見守っていたり、一緒になって作ったりしてくれていた。

こういうとき、子どもにとってはスタッフのオッサンにずっと作業を見守られるのもウザいかと思うので、私も自分の作品づくりに勤しみつつ、ときおり他の来場者に対応しながら、工作を続ける子どもたちやお母さんにたまに声をかけたりした。お互いが黙々と各自の作業をして、ちょこちょこと会話するぐらいの、そういうスタンスがちょうどいいんじゃないかと思った。

こうして閉館時間がまもなくやってくるという緊張感もあったなか、私が描いたZINEがこれである。








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そしてこの作品ができあがる頃には、工作コーナーに残りつづけていた娘さんとお母さんとも、お互いの作品を見せ合うこととなる。さぞかし変なオッサンだと思われたことだろう。でも最後にお母さんは、娘さんと私が作品を手にして並ぶ写真を撮って帰った(笑)。

そういう思い出と共にこの日のボランティアが終了した。

最後にスタッフ全員で終礼のミーティングを行ったが、私が作った2つの作品のことは黙っていた。
でも数日後、あの会場の担当だったサブリーダーさんと別のところで再会したとき、私があのZINEの作者であることを認識してくれていて、そしてあの作品が「スタッフみんなのお気に入り」になっているということを教えてもらい、久しぶりに味わう種類の達成感があった。

あともう一つ印象的だったのが、写真祭が開幕した直後に誉田屋源平衛の会場――中国の2人組・Birdheadの展示が行われ、ここもなかなかの会場だった――でスタッフに入ったときに一緒だった高校生の男の子がいて、そのときはお互い半日だけの業務だったのもあり会話もあまりできないまま解散したのだが、会期の最終日に再び誉田屋でのシフトに入ったときにたまたまその高校生くんとも再会し、ボランティア同士の会話の鉄板ネタとして「このほかに、どこの会場のスタッフに入ったか」という話になったわけだが、彼は京都芸術センターの担当になったときに私の作ったZINEを目にし、すぐにその作者が「このまえ誉田屋で一緒にボランティアをしたあの人だ」ということを認識したとのこと。ほとんど会話していなかったこのオッサンのことを、あのZINEを手にしただけで思い至ってくれたということに、なんだかグッとくるものがあった。

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2024.05.20

KYOTOGRAPHIEのボランティアが終わってロスになっている、っていう話

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 まさか、こんなにも「ロス」な気分になるとは一ヶ月前には想像もしていなかった。そして私の暮らす街について、ちょっと違った気分で眺めていた日々でもあった。

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 4月中旬から開催されていた京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」(以下KG)が先日閉幕し、私は主にゴールデンウィークを中心とした祝日・休日にボランティアスタッフとして携わったわけだが、この一ヶ月間は「イベントの合間に本業の仕事をこなす」という感覚だった。すまん本業。何せ京都市街のあちこちにある13会場(加えてそれらのメイン会場の他に、『KG+』という関連展示が数え切れないほど存在する)が舞台となっているわけで、すべての会場で事故なく滞りなく日々の会期が無事に過ぎていくことをボランティアの端くれである自分も祈るような気持ちでいたのである。



 つまり、楽しかったのだ。とっても。



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 結果的に私は13会場のうち6会場で、のべ8日間活動を行った。
 スタッフとして求められた役割はいたってシンプルで、入場の際のチケットチェックや、展示会場の監視、巡回、案内誘導である。それ以外のややこしい作業は、その会場ごとに配置されているリーダー役の有給スタッフが行っていた。

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 このリーダーさんたちの存在も興味深く、それぞれがいろいろなバックボーンを持ってこの役割に挑戦し、そしてキャリアの分岐点を迎えているのであろう若い人が多かった。とはいえ実際には、その日のスタートからあわただしくなるリーダーからゆっくり話を聞いたりする機会はそんなにはないので、ふとしたタイミングで交わす会話のなかで、その一端を伺い知る程度にはならざるを得ないのだが、自分が担当することになった会場に愛着を寄せつつ、よりよい展示空間を作っていこうとする真摯さには熱いものを感じた(なのでいつもの本業にも伝播していくような前向きなエネルギーをいただいた気がする。。。すぐに消えそうだけど)。

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 そうして私は今回はじめてボランティアスタッフとしてお客さんを迎え入れる側になったわけだが、この役割が長時間にわたってもまったく苦にはならず、いつもあっという間に時間が過ぎていく感覚があった。そしてこのことについてよく考えてみると、「一定の目的をもって集まった大勢の老若男女が、自分の目の前を次々と通り過ぎるのを見守る」というこの状況は、「市民マラソンでの沿道応援」の趣味と構造がまったく同じであることに気づき、そこは苦笑いするしかなかった。冬はマラソン大会でサッカーユニフォーム姿のランナーを探し続け、そこに加えて5月の連休は写真展の会場で無言のうちにいろいろな人々が通り過ぎゆくのを見守るというのが新たなルーティンになりそうな。

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 前回のこのブログ記事で書いたとおり、個人的にこのイベント最大の推し会場は「京都新聞社ビルの地下、印刷工場跡地」である。そして私はここで2回、スタッフとしてシフトを割り当てていただいた(最初は1回だけの予定だったが、無理やり都合をつけてもう1日追加で入らせてもらった)。そもそもKGのボランティアに申し込んだ動機が「この会場でスタッフ側として携われたら楽しいだろうな」という思いがあったからなのだが、その狙い通り、いや想像以上に、この会場はやはり特別な場所だった。

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 今年の京都新聞社会場の展示はヴィヴィアン・サッセンの回顧展ということで、現代の写真業界もファッション業界にも疎い私は彼女のことをそれまでまったく知らなかったのだが、色彩の強弱が印象的な写真作品が、この印刷工場の無機質でダークな空間のなかで放つ存在感のコントラストが見事だった(そしてアンビエント・テクノっぽいBGMが鳴り続け、それもまた雰囲気づくりとして最高に合っていた)。

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 およそ写真展の入り口とは思えない通用口(でもマンチェスターの伝説的クラブ、ハシエンダって結局こういうことだよな? と思った)を出入りし、足下にはかつて大量の新聞紙が運ばれたのであろうレールなどがそのまま残っており(穴が深すぎてスマホを落としたら二度と取れなさそう)、背の高い人がアタマをぶつけまくりそうなところに配管パイプが張り巡らされ、導線もはっきりしない会場の作り方ゆえに出口を求めてさまよい続けるお客さんなどの動きを常に注視して見守る必要があったのでスリリングなのである。

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 さらに最も気をつけていたのが、プロジェクションで作品が照らされた展示場所のさらに奥にも空間が続いていて、幻惑をもよおすシチュエーションゆえにか、プロジェクターが置いてある舞台を乗り越えてまでその暗黒の世界の果てへ進んでいこうとする客がたまにいるので、そんな彼らを現実世界へ呼び戻さないといけないことだった(私が体験した限りでは、不思議とそういう動きを見せるのはほとんどが女性客だった。そして私は決まりの悪そうなお客さんにむかって毎回『お気持ちは、よく分かります』と言い添えた)。

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 そして本会場ではサッセンがキュレーションに協力した、Diorが主催した若手作家支援の関連展示も併設されていた。工場跡地からその地点へ誘導し、見終わって戻ってきた客を出口へ案内するという業務もあった。で、このポジションではDiorの洗練されたクールな写真展示とともに「ふつうに京都新聞社で働いている社員さん」が導線のすぐ脇をウロウロしたり、新聞社の清掃担当のスタッフがふつうに我々の傍らで作業をするというリアリティかつ混沌とした状況もしばしば発生し、刺激的で飽きがこなかった。

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 また、閉館したあとにリーダーさんの計らいで、お客さんには通らせないバックヤードをスタッフみんなで歩かせてもらったことがあった。誰もいなくて真っ暗で、サッセンの展示だけが煌々と光り続けている空間をゆっくり味わっているとき、ふと、このメンバーでこの時間をともにすることはもう二度とないんだろうな、ということを思うと胸に迫るものがあった。

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 うん、他にも書きたいことがいろいろとある気がするのだが、ひとまずは会期のあと個人的・仕事的にもバタバタが続いているので、「終わった! ロスだ!! なんなんだこの感情は!!」という気持ちとともに、まずはこの書きっぱなしの文章のままでアップさせてもらう。自分と写真との向き合いかたもなんとなく変化していった感じもあって、アートを楽しむというシンプルな行為をたくさんのお客さんやスタッフさんたちと共有できたことのテンションの高ぶりに、いまはボーッとのぼせあがっている状況なのかもしれない。

 ということで、落ち着いたらまたこのことを書くかもしれない。

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2024.04.06

京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」がはじまるよ(ボランティアで参加します)

今年も京都市街のさまざまな場所を舞台に、4月13日~5月12日の会期で京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」が行われます。
で、今回は初めてボランティアのサポートスタッフとして、(少しだけですが)参加させてもらうことになりました。

公式サイトは(こちら)へ。

以前、観客として京都新聞社ビルの地下会場での展示を訪れたとき、「京都の地下にこんな空間があるのか!」と、写真を観賞するだけでなくそれをとりまく不思議な空間の強いインパクトにも感じ入るものがあって、また行ってみたいなー・・・あ、スタッフで体験したらもっと面白いんじゃないかと思ってボランティアに申し込んでみたら、数日あるシフトのうちこの京都新聞ビル地下会場にも1日だけ割り当てをいただけて、それがかなり楽しみ。

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他にもなかなか味のある会場で展開されていますので、京都にお越しの際はぜひ。

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2023.12.25

意志決定理論「エフェクチュエーション」とは、DIY精神のことなんじゃないか & 今年もありがとうございました

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『エフェクチュエーション:優れた起業家が実践する「5つの原則」』(吉田満梨・中村龍太著、ダイヤモンド社 2023年)という本を読んでみた。

そんな結論になることを予想して読んだわけじゃないのだが、私なりにこの本で言われていることを強引にまとめると、結局のところエフェクチュエーション(Effectuation)とされる思考様式は、私がずーーっとこだわっている、Do it Yourself、DIY精神そのものじゃないかということだった。

まず本書では、従来の組織がとりがちなアプローチとして「コーゼーション(因果論)」が紹介される。市場調査・マーケティング分析などによって利益の見込みを立て、それに向けて事業計画が練られ、実行にあたっての資源を確保し、目標に向かって突き進む。「まぁ、どこでも普通はそうするよな」とも思える合理的で一般的な物事の進め方だとは思うが、このスタンスでは不確実性の高い現実世界において想定外の出来事や使える資源に制限がでてきたりすると、とたんに行き詰まるわけである(そしてまた事業計画をめぐる会議や下準備が繰り返される・・・と)。

そこでエフェクチュエーション(実効理論)という考え方になるのだが、これは卓越した起業家たちの意志決定プロセスを分析した学術研究をもとに編み出されたとのことで、次の5点の思考様式を特徴としている。

「手中の鳥の原則」
「許容可能な損失の原則」
「レモネードの原則」
「クレイジーキルトの原則」
「飛行機のパイロットの原則」

・・・と言われても「なんのこっちゃ」と言いたくなる名前がつけられているわけだが、本書の戦略としてこうして各原則につけられたユニークなネーミングが読み手の好奇心をさらに刺激するという意味で、マーケティング的にはうまくいっている気がする。そして表紙の装丁のポップなデザインも効果的で、書店で見かけたらつい手に取ってしまう策略に私もひっかかったわけだ。

で、今回のブログ記事を書くにあたって初めて知ったのだが、これらの原則については、実は本書を刊行したダイヤモンド社のホームページで、著者自身がものすごく詳しく解説しているのであった(こちら)。はっきりいってこのサイトの記事を通読すれば、本書の主要なエッセンスはタダ同然ですべて吸収できると思えるので「お金返して!」とさえ言いたくなる(笑)。
ちなみに本のほうでは、これらの原則の解説のあと、残り3分の1ぐらいのページ量を使ってひとつの事例が紹介されているのだが、これがあまりにも特殊事例すぎて、なんだか自分としてはあまりピンとこないのであった。

ともあれ、私がDIY精神として重視している考え方と、このエフェクチュエーションが通じていると思うのは「手持ちの材料や条件を創意工夫して活用し、どのような状況にも柔軟に対応できるように備える」ということである(なので、必要に応じて昔ながらのコーゼーション的にいってもいいわけだし、状況に応じてエフェクチュエーションに切り替えて対応していく、というスタンスが推奨される)。

たとえば実際にDIY的なものづくりでは、あらかじめ設計図は作るだろうけれども、いざ作り出すと想定通りにはいかなかったりもする。そこで「設計図が悪い」と、作業を止めて振り出しに戻るというよりも、ひとまずアドリブやアレンジを加えて、使えるものを駆使してとりあえず完成までこぎつけてみることもできるわけだ。そうすることで、当初は思いもしなかった新たな魅力や愛着を覚えることもあるだろうし、それらの一連の体験をふまえて今後はより望ましい活動に結びつけられるかもしれない。

そんなわけで、古くて新しいDIYスピリットの発想や志向といったものは、硬直した組織を改善するうえでも使える思想なんだということを、図らずも再確認させてもらった気がする。


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さて2023年の本ブログも最後の記事になりまして、少ない本数ながら今年も読んでいただきありがとうございました。

個人の目からみても、そして世界のあちこちからの目を通しても、いろいろと落ち着かない日々が続いているのですが、自分の周りの平穏をまず祈るような気持ちで日々を生きて、そして時間を削りながらも書き続けていくしかないのだなと、あらためて思う日々であります。

「今年のシメの一曲」は、ラブ・サイケデリコの『All the best to you』を選びます。このあいだ彼らのライヴを観てきたのですが、今年リリースされたこの新曲も披露されて、デビューして25年以上経ってもまったくサビつかない「デリコ節」に熱いものを感じたのでした。

この曲のミュージック・ビデオは市井の人々のさまざまな表情や街の何気ない風景が続くだけなのに、なんだか少しだけ勇気づけられるような、そんな感じがわき起こる不思議な作品です。

それではみなさま、よい年末年始を。

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2023.08.14

国会図書館のデジタルアーカイブ検索で遊んでみたら、父親の卒業制作までたどり着いた話

国立国会図書館デジタルコレクションというページ(こちら)では、所蔵しているデジタルコンテンツを次々とテキスト化しているようで、それらを検索可能な状態で提供している。
基本的にはものすごく古い時代の書物あたりがメインになっているが、たとえば自分の祖父母とかご先祖の名前を入れてみると、いろいろと楽しめるはずである。

私の場合、祖母の名前ではヒットしなかったが、祖父と思われる人物は数件ヒットしたのである(同じ漢字を途中まで含む、似た名前の別人もヒットするわけだが)。両方の祖父ともに特に有名人というわけではないのだが、長い人生においては、たとえば公的機関が出すような文書だったり、地域における公共性の高いちょっとした読み物みたいなものには、ときに名前ぐらいは載ったりすることもあるだろう。

そしてそういう非常に細かい情報たちが、こうしてネットで探し出せることに「すげぇぇぇ」となる。ここは世代的な問題だろうが、未だにインターネットにたいしては、そういう気持ちになってしまう。すげぇよ。

で、一般ユーザーの場合は、「この文書に、この検索キーワードがヒットした」というレベルまでしか分からないので、当該のページそのものをネットで閲覧することはできない。本当にデータが欲しい場合は別途、手続きが必要になる。

私の場合は「これは」と思う資料について古本サイトで検索すると、実物で入手できるものがあったので、ちょっとした記念に2つほど発注してみた。
ひとつは父方の祖父についてのもので、地域の郷土史家らしき人々が戦後に編纂した重厚な本だった。地元の産業界の詳細な紹介をしているコーナーに関係者の名前が細かく列挙されており、電力会社に勤めていた祖父の名前を見つけることができた。
もうひとつは母方の祖父についてのもので、実は某地方の旧制高校の出身だったようで(私の母もその認識はなかった)、その高校の同窓会が編纂した書物の中に主だった卒業生たちの進路先や活躍ぶりが分野ごとにずらっと紹介されており、絶対にこれは本人だと分かる内容で書き残されていた。

そんなわけで「恐るべし国会図書館」、思わぬタイムカプセルを見つけた感じであるが、さらに踏み込んで父親の名前を入力すると、似たような名前の検索結果がたくさん出てくるなかで、誠文堂新光社が発行している、広告関係やデザイン関連を扱った雑誌『アイデア』の1961年6月号に、父の名前がありそうだということが分かったのである。
私の父は多摩美術大学の図案科、つまり今でいうところのグラフィックデザイン学科で学んでいたのである。おそらくその関係ではないかと思われた。

すかさずこれも古本市場で調べたのだが、あいにく雑誌の現物を入手できそうなアテがなかった。
そこで次に調べたのは、国立情報学研究所のCiNiiによる全国の大学図書館の蔵書検索である(こちら)。そうすると『アイデア』の当該号を所蔵しているいくつかの大学のなかで、自宅に近い某大学図書館が学外一般者も資料閲覧やコピーが可能だということが分かったので、とある日の午後に訪れてみた。

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たまに「休みの日には何をしているか」と人から訊かれることがあり、いつも答えに苦しんで「いろいろやってます」と返すのだが、こういうことが「いろいろ」の中にあるんだろうなと、誰もいない静かな書庫を歩き回りながら思った。「父親の名前が載った古い雑誌をみるために、よく知らない大学図書館の書庫の中でウロウロする」という、ただそれだけの休日。

もちろん図書館なので、きっちり整理されている資料群から、目的のものを探し当てるのにまったく時間はかからなかった。

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(▲黒表紙に製本されて「アイデア」とだけ書かれて並んでいる状況がなんだかポップ感があって、よい。)

こうして1961年6月号の『アイデア』と対面することができた。

そこで分かったのは、この号では前年度の主な美術系大学のデザイン関係の卒業制作展のなかから、いくつかの作品を紹介するという趣旨の特集記事があり、そこに父の卒業制作が掲載されていたということであった。

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「え、ということは、他の美術大学も含めていくつもある卒業制作のなかからピックアップして選出されたということ!? すごいやん!?」と、素直に父親を褒め称えたい気持ちになった。
誰もいない書庫で。



そこで見つけたのがこれだった。










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タイトルは『日本の民謡』




Torres

お、おう・・・・。


たしかに味のある作品といえば味があるが、当時のこの美大生の試みがうまくいっているのかどうかはよく分からない。でもまぁ、こうして雑誌に選ばれているのだから、きっと良い作品なのだろうと自分に言い聞かせながら、この特集コーナーまるごとをコピー機にかけさせてもらい、あらためて実家に行って父親にこのコピーを手渡してみた。

なんとなくの予想通り、父の反応はたいして盛り上がるわけではなく薄いリアクションであった。
この卒業制作はレコードジャケットを作るという課題だったとのことで、たしかに他のページに掲載されている学生の作品も、そんな感じで正方形にオシャレなデザインを配置しており、当時はモダンジャズが流行っていたようで、ジャズのレコードっぽいのがたくさん掲載されていた。

そんななかであえて「日本の民謡」を押し出したあたり、さすが「ビートルズは嫌いだった」と言い張る偏屈な若者だった当時の父親の気概を匂わせる(正確にはビートルズは大学卒業後に流行っていたわけだが)。

私がこのコピーを持ってきたことで、父にとっては自分の作品のことよりも、あちこちのページに記載されている同級生の名前にひとつずつ懐かしさを覚えていたようで、それはそれでコピーしておいてよかったと思った。

父は卒業後に某家電メーカーの宣伝部に進むことになるのだが、この雑誌が出たのはまさに社会人一年目の慌ただしいときのことだったようで、こともあろうに私が今回見つけるまで「こんな雑誌に載っていたことは知らなかった」とのこと。つまりあれか、遠く山口県の故郷から芸大にまで通わせてくれた両親にも雑誌に載ったことなんて伝えてなかったのかこの息子は。

あと、ついでに書くと、私自身もたしかにイラストや絵を描くのは得意なほうだが、子どものときから振り返るに、父から絵の描き方を具体的に教えてもらった記憶はない。
さらに、私はやがて仕事上のなりゆきで、自分でチラシ制作のためにデザインやグラフィックソフトを独学で習得して、趣味においても仕事においても我流でデザイン作業がそれなりにできる人になったのだが、よくよく考えたら父のほうは学生時代にみっちりデザインを専門に学んでいたというのに、そういう会話をほとんどしたことがなく、これは我々の間における「皮肉な謎」のひとつである。

例えば私などは「教えたがり」なので、もし子どもがいたら、良くも悪くもそれなりに自分の得意技能についてあれこれと言ってしまいたくなるだろうと思う。しかし私の父はそういう干渉をまったく行わなかったことになるので、人からみたら「それが最高の教育なんです」とか言うかもしれないが、本当に何もなかった側からすると、ちょっとぐらいは何か教えておいてくれてもよかったんじゃないかと思う部分もある(笑)

皮肉ついでにさらにいうと、この1961年に父が『デザイン』にその名を刻んだ55年後に、今度は私が同じ雑誌(2016年7月号)に載ることになったわけである。野中モモさんとばるぼらさんのZINEについての連載で、フリーペーパーを紹介していただいたのであった。

2016_vol7

そして、このページにたまたま挙げてもらっていた『HOWE』の第20号「ベルギー、フランス、ハイタッチ」の表紙絵は、父親に頼んで描いてもらったモン・サン=ミシェルを載せていたわけで、図らずも父親は2回、自分の作品を『アイデア』に載せたことになるのであった。

(そんなことよりも、いいかげんフリペの新作を作れよというツッコミはさておき)

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2023.02.06

誰もいない映画館で『セールスマン』を観ながら、自分も仕事をしているような気になっていった。

 前回の記事で映画館について触れたのだが、今年はなるべく映画館に行こうと思っていて、先日は『セールスマン』という映画を観てきた。でも上映期間が終わりかけの時期だったからか、客は私一人だけだった(映画館で一人というのはさすがに初めてだった)。

これはアルバート&デヴィッド・メイズルス兄弟による1969年の作品で、豪華版の聖書を訪問販売するセールスマンの姿をひたすら捉えたドキュメンタリー映画である。どうしてそんなニッチなネタを映画に残そうとしたのか、そのテーマ設定自体が興味深いので、気になっていたのである。

Salesman

 そう、まずもってこの「豪華版聖書」は買ってもらうのにかなり苦労しそうな商品なのである。このサイトで昔の米国での物価を調べると、1969年当時の1ドルは今の物価で約8ドル相当らしい。この映画で扱われた聖書の販売価格はたしか50ドルぐらいだったはずなので、今なら400ドル、日本円で52,000円、なんなら消費税込みで57,200円ぐらいの感覚か。『広辞苑』とかの辞書のような分厚さでサイズが大きく、外装の色が自由に選べて、中身も綺麗なビジュアルがふんだんに取り入れられており、たしかに古い聖書よりも魅力的ではありそうだが、それでもテレビショッピング的に「そこから驚きの割引き価格!」にならないかなぁと思ってしまうような価格帯である。

 物語は4人の主要なセールスマンのうち、ポールというおじさんをメインに追っていくことになる。このポール氏がどうにも売り上げが芳しくなく、門前払いにあいまくるし、不慣れな土地で行きたい住所にたどり着けないまま諦めたり、しまいにはモーテルに戻って同僚にグチりまくっては、担当している地区の悪口までぶちまける(なので、聖書販売業者はよくこの映画化にオッケーを出したよなぁとエンドロールにでてくる謝辞をみて思った)。

 メイズルス兄弟は「ダイレクト・シネマ」というコンセプトを掲げて映画史に残る作品を手がけたということで、撮影機材の小型化により、ありのままの「現場」に飛び込んで撮影することがその手法の特徴になるとのこと。そうして作られた本作品を通して私がずっと気になっていたのは、「よくぞここまでご家庭にカメラが踏み込めたなぁ」ということだった。

 つまり、訪問販売のセールスマンが家を訪ねて玄関から居間に通されるだけでも一苦労なわけだが、そこでさらにカメラマンまでもがズカズカ入り込むことになるわけだ。映画ではそのあたりの経緯には触れられていなくて、どうやって一般家庭の人々と折り合いを付けながらここまで撮影できたのか、ヒヤヒヤする感じで観ていた。ドキュメンタリー映画は、常に「カメラがそこにいることの影響」を頭の片隅で考えながら観てしまうわけで、本作で映し出される人々が赤裸々に「この聖書を買うだけの経済的余裕がいかに我が家にはないか」をカメラの前で切々と語るのは不思議な感じすらしていた。そして状況が状況だけに、聖書を「買わない」と突っぱねることへの自身の信仰心における煩悶だったり、そしてそこにつけこむセールストークの無慈悲な雰囲気といったものが、モノクロフィルムを通して切々と記録されている。

 途中のエピソードで、豪華なホテルで行われる社内研修において偉いさんは「あなたたちはお客様に幸福をもたらす仕事をしているのだから、もっと誇りをもて」と叱咤激励する。そうして血気盛んな社員たちは「自分の目標は●●万ドル売り上げることです!」と皆の前で宣言させられたりする。このあたりは現代でも似たような状況のような気がするし、スターバックスにおける「我々はコーヒーを売っているのではなく体験を売っている」とかいうスローガンも思わせたりする。でも当事者も絶対気がついていただろうけれど、このセールスマンたちは、拝金主義と宗教的信仰の板挟みのなかで労働を行っている。そもそもキリスト教は利子をつけてお金を貸したりすることを忌避していたはずなのに、映画にでてくるセールスマンは、聖書の支払いに悩む客に何のためらいもなくローン支払いを提案したり、果ては「隣人にお金を借りたらどうか」とまで言う。

 そうしてポール氏は、「俺が金持ちになったら~♪」などと鼻歌を歌いながら車を走らせ、客の前では「この聖書は一生モノの遺産になります!」とか言い張り(ホントに自分でもそう思ってんのか、とツッコミたくなる)、舞台は雪の残る寒々しいボストンから一転し、今度は同僚たちとフロリダにまで販売旅行と称して出張したりするが、それでもなんだか冴えない日々が続く。それぞれにある地域の教会で、豪華版聖書に興味のある人が記入した登録カードみたいなものを頼りにして訪問先のターゲット客をあたっているようなのだが、映画ではさまざまな境遇の家庭が登場して、軒並み経済的にはそこまで裕福でもなく、結局どこへ行っても留守だったり、断られたりの連続で、しだいに哀愁ただようロードムービー的な雰囲気になっていき、最後はいささか唐突な感じで終わるのだが、なんだか自分も「報われない労働」をしたような気分になった。ゆえに労働にしばしばまつわる淡々とした「救われなさ」みたいな感覚が味わえる作品であり、そしてポールおじさんのその後に少しでも神のご加護があってほしいと思った(僕は買わないけど)。

 

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2023.01.22

ひさびさの「当たり読書」:『THE WORLD FOR SALE:世界を動かすコモディティー・ビジネスの興亡』

 突然だが、以下にある企業のロゴや社名をご存じの方々はどれぐらいいるだろうか。

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 今回取り上げる本『THE WORLD FOR SALE:世界を動かすコモディティー・ビジネスの興亡』(J・ブラス、J・ファーキー著、松本剛史訳、日経BP、2022年)を読むまで、私はこれらの企業の名前はまったく知らなかった。
 しかしこれらの会社は、たとえば米国におけるアップル社やコカ・コーラ社のようなワールドワイドな規模で商売をし、時としてとてつもない収益をあげていたりする。

 扱っているのはいわゆるコモディティー、つまり原油や金属資源、農作物などである。
 仮に我々はアップル製品を買わずとも、またコーラを1本も飲まなくてもそれなりに社会生活を送ることができるだろうけれど、一方でエネルギー資源や食料が世界中を移動することによる様々な恩恵を受けなければ、まずもって生活が成り立たない。ただ、これらを取引して動かしていく「コモディティー商社」の社名に我々が触れることは稀だろう。彼らは自らの存在を一般消費者に誇示する必要はまったくなく、いわゆる「B to B」のビジネス形態なのだから当然かもしれない。そしてこの本を読むと、むしろその存在ができるだけ表舞台に出てこないほうが彼らにとっては動きやすく、利する部分が多いことも分かる。

 そういうわけで「民間で知られないままでいるには、あまりにも巨大な影響力を持った、途方もない強欲の組織体」ともいえるコモディティー商社群について、その通史や暗部、そしてこの業界の未来について徹底的なリサーチやインタビューに基づいて書ききったこの本は、とっても刺激的であった。

 登場する企業・政府・人物、彼らが行ってきたことのあらゆることが非常に狡猾だったり強欲だったり倫理感が欠如していたり、さまざまな部分でスキャンダラスでダーティーなものなのに、それらをすべてひっくるめて「楽しんで読めるもの」として成立しているのは、これはもうジャーナリストの見事な技芸のたまものであり、ストーリーテリングの妙味が炸裂した本だと感服するしかない。
 
 とくに私は「グローバリゼーション」という言葉を、これまでなんとなくフワッとした意味合いの、大きい概念を指し示す適当なフレーズ程度のものとして捉えていたことに気づかされた。ちょうど「マルチメディア」という言葉が今となっては陳腐なものになっているように、時代を経るごとにグローバリゼーションという言葉も「今さら、なんですか」という印象しか浮かばないような、そんな感じである。
 だがこの本を読んで、私にとっての「グローバリゼーション観」はドス黒いものとセットに、生々しく迫るものとして強制的に再認識させられたのだった。
 国家の枠組みを飛び越えるもの、その動態みたいなものをグローバリゼーションのひとつの表われとして捉えるのであれば、まさにコモディティー商社が、とうの昔から国家の管理とか法律とかの規制に縛られることなく活動の幅を拡大して好き勝手に動いており、もはや彼らの金儲けの飽くなき探求の結果としてグローバリゼーションといえる状態が作られていったのではないか、ひいては「オマエらのせいかーーっ!?」というツッコミをしてしまいたくなるのであった。
 
 何せインターネットができるずっと以前から、ある意味での「情報ネットワーク網」を世界中にはりめぐらせ、こともあろうにCIAですらそこに頼ることが多々あったらしく、また「ビッグデータ」という言葉ができるずっと前から、商社は世界中の農場から得た膨大な情報を駆使して未来予測を立てて生産量や値動きの変動を追っていたりもする。なので彼らの活動が現代に至る技術革新のイノベーションを促進していた部分があるとも言えそうである。

 で、この本でもいろいろな「歴史的取引」が紹介されるのだが、国際社会からの経済制裁により貿易が本来はできないはずの国だったり、反政府ゲリラ組織だったり、債務危機に陥って破綻寸前の国だったり、そうした困窮状況につけこんだコモディティー商社の暗躍によって資金や資源が動き、国や反体制組織が支援されていく。そしてそこには政治的公正さや倫理観は「二の次」となる。ただひたすら「たくさん儲かるから」、彼らはリスクを背負って賭けに飛び込む。
 そういう意味では「武器商人」にも通じる話でもあるが、コモディティー商社の場合は、扱っている商材が最終的に私たちの生活の一部としてつながっていて、末端のところにいる「顧客=読者」としての我々もある意味でそうしたドロドロの状況に含まれているのだということも実感させられる。

 届けられるはずのない場所へ誰も想像もしないルートから原油を送り込んでみせたり、あるはずの大型タンカーが突然姿を消したり、そうした「ナイフの刃の上を歩く」ように綱渡りで秘密裏に進められる巨大な商取引をダイナミックに展開する商社のトレーダーたちの奮闘ぶりは、それが褒められる行為かどうかは別として、どうしたって「面白い」のである。国家という枠組みによる衝突や駆け引きをよそに、その裏をかいて、自分たちの利益のためだけに国境をやすやすと飛び越えて資源を調達しては売りさばき、あるいは値上がりを見越して溜め込み、さまざまな策略を駆使して法の網の目をかいくぐりライバルを出し抜いて巨万の富を獲得しようというそのエネルギッシュな動きは、もはや読んでいて感心すらしてしまう。

 そうやって「国家を裏であやつる存在」にもなりうるコモディティー商社の影響力が途方もなく大きいものに発展していくこととなる。ネタバレになるので詳細は書かないが、近年の動向において、こうした動きを監視し抑圧する方向で一番の役割を担いつつあるのが、やはり「世界の警察」を自認する合衆国だったりする。本書の終盤においては、このあたりの動きを含めてコモディティー商社をとりまく世情が今後どうなるかを占っていくのだが、「それでもしぶとく彼らは儲け続けるはずだ」という論調になっていくのが苦笑いを誘う。
 もし今後、探査船が月に飛んで、月の深部に有益な埋蔵資源が眠っていることが判明しても、それはコモディティー商社の手配したコンテナや重機が月から資源をすっかり回収した跡が残っていたがゆえに発見できました、というオチになるんじゃないかと夢想してしまう。

 そしてまた、ここまで広範囲で多方面にわたる天然資源の商取引の歴史を語るにあたり、「主だった登場人物や会社が一冊の本のなかで認識しうる程度の数に収まっていること」が、いかにわずか少数の人間や組織が、この地球全体の資源をコントロールしているかという不穏な実情を示唆している気がする。なので本書の題名『THE WORLD FOR SALE』はこれ以上見事な表現がないぐらいに著者たちの伝えたいことが示されていて、決して誇張でもないのであった。

 それにしてもこの本は、題名と装丁がちょっと気になったのでたまたま手に取り、それでお正月休みに読み始めてみたら、とにかく筆の運びが巧みで翻訳も自然で一気にグイグイ読ませ、どの章もスリリングなサスペンス小説のようで、かつ今までまったく知らなかった業界の内側をわかりやすく丁寧に解説してくれるという、久しぶりの「当たり読書」だった。

 たとえば本書の終盤、「第13章 権力の商人」の書き出しはこうだ。

2018年初めにその短い発表があったとき、ペンシルベニア州の公立学校に勤める教員の誰かが注意を払うことはおそらくなかっただろうが、そこには彼らの退職後の蓄えにとってありがたくない知らせが含まれていた。

 この第13章に至るまで本を読み進んでいると、崩壊後のソ連だったり、キューバや湾岸戦争や中国の資源需要急増などといった緊張感の高い話がテーマとして連発してくるなかで、このシンプルで唐突な書き出しは絶妙だ。いったいどうして、ペンシルベニア州の公立学校の先生たちの退職金が、このコモディティー業界史をめぐる激しいテーマに関わってくるんだ!? と気になって仕方がなくなる(実際、このあと予想だにしない方向へ話が急展開する)。カメラの視点と、背景のテーマとの距離感のギャップが大きければ大きいほど、著者が仕掛ける「演出」が際だってくる。

 このごろは「面白い!ブログで書きたい!」と思える本になかなか出会えてなくて、昨年だと『コンテナ物語:世界を変えたのは「箱」の発明だった』(M・レビンソン著、日経BP、2019年)は、そのテーマ性が絶妙なので読む前から期待値が高くなりすぎたのもあったが、どういうわけか途中から急激につまらなくなって、結局途中でギブアップしてしまった。やはり書き手の側にある種のサービス精神だったり、人間存在のユーモアとペーソスを大事にしようという意識が根底にうかがえる本は、読者を飽きさせずページをめくる手を随行させ、読み終わるのが惜しいぐらい充実した読後感を与えてくれる。そういう本にもっと出会いたいものである。

 

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