カテゴリー「文化・芸術」の記事

2026.05.06

今年もマラソン応援企画とKYOTOGRAPHIEのことを話しました(Harukana Show)

おなじみアメリカ・イリノイ州のアーバナ・シャンペーンにあるコミュニティFM「WRFU」で毎週金曜日に放送されている日本語プログラム「Harukana Show」にて、今年もマラソン大会のサッカーユニフォーム姿のランナーさん応援企画のことと、KYOTOGRAPHIEのことについて話をさせていただきました。
ポッドキャストの紹介ページを以下に。2回目の放送予定が、先方の都合でできなくなり、あらためて次週に放送されるようです。

No. 787, April 24, 2026, 街ぐるみの祝祭とTateishi流「応援」-マラソンと京都国際写真祭
https://harukanashow.org/archives/27823

No. 788, May 1, 2026, 春なのに…Podcastのみ、UCイベント情報、KGのボランティアスタッフ話 with Tateishi
https://harukanashow.org/archives/27861

【追加です】No. 789, May 8, 2026, UIUCの卒業式、KYOTOGRAPHIE2026のテーマはEDGE、KG+で街を発見 with Tateishi
https://harukanashow.org/archives/27905

この時期は「イリノイ・マラソン」の開催時期だったようで、それに合わせて私のマラソン応援ネタをテーマにさせてもらったわけです。トークのなかでも「アメリカもプロスポーツが盛んだからきっとサッカー以外でもいろんな競技のユニフォーム姿のランナーがいるのでは」という思いを込めつつ語ったわけですが、実際はどうなんだろうかと、ふと思い立ってイリノイ・マラソンで画像検索してみたわけです。

で、自分の探し方がよくないのか、そんなにたくさん画像を見つけられたわけでもなく、サンプルとして2枚ほどゲットしたわけですが、、、

Illinoismarathonrunners

全体的な印象として「コスプレ的なランナーそのものが少ないかもしれない」と感じたわけです。
こういう画像だと、それなりに探したらいそうなものなのだけど、自分はこの1名しかコスプレっぽいランナーをみつけられなかったわけです。

Kaso

そして肝心の「スポーツの推しチームのユニフォームを着てそうなランナー」も、画像をみる限り発見できず。

もう1枚の画像。

Hg77jbpwuaafy6m

ここでようやく、イングランドの有名サッカークラブのマンチェスター・ユナイテッドのユニフォームが確認できたわけです。

Manu

もちろんサンプルがたったの2枚では、なかなか結論めいたことは言えないけれども「案外、ちゃんとみんな普通のマトモな格好(?)で走っているかもしれない」ということを感じたわけです。や、サッカーユニフォームがマトモじゃないという意味ではないけれども(笑)

あるいは、Googleの画像検索であがってきやすい写真が、そういう「穏やかな傾向の画像」ばかりなのかもしれない??
本当はもっと過激なコスプレ(?)が、とくに後方ランナー群では多数存在しているかもしれない・・・?

と、いろいろと想像してしまう次第です。
(そもそも、ランナーが着ている衣装に注目して沿道で応援している私のような人がアメリカでは存在していないという向きもある)

なお上記のポッドキャスト用のページにも書かせていただきましたが、今回あらためて、マラソン応援と写真展のボランティアには似たような構造があるなぁと気づいた次第です。多くの人がやってきて、みんな同じ方向を向いて目指していて、それを傍らで見守って、自分も楽しんでいるという構図。しかも季節感を伴いつつ。

---

さてKYOTOGRAPHIEのほうですが、先日は、話題の重信会館でのサポートでした。天気がむちゃくちゃ良くて、屋上の展示も外観のツタも、青い空に映えてました。

Blog260506-15_20260506215701

Blog260506-13

テーマそのものは廃墟のなかでの廃墟、ということなので、建物のなかは薄暗いダークな環境ではありますが、唯一無二の世界がそこには展開されていて、お客さんのなかでも、外国人のおばあちゃんがやたらテンション高く楽しげに「この会場は素晴らしい!」という感じで帰りがけに私に話しかけてきてくれて、そういうのはやはりスタッフとして嬉しいわけです。

Blog260506-12
▲イブ・マルシャン&ロマ・メッフェルによる、パリの名所をAIで廃墟にした作品集が置いてあって、そのなかにサッカーファンにはおなじみのスタッド・ドゥ・フランスの競技場もあったので、そのページを選んで開いておいたり。

Blog260506-17

Blog260506-16

2000年までは大谷大学の学生寮として使われていて、あちこちに残る落書きや、貼り付けたままのシールやチラシの断片など、そういう箇所にも着目して見入ってしまう会場となっています。

Blog260506-11
▲AIによる、現実風景のコンピューター処理の試作経過をひたすら並べている展示に象徴されるように、今回の展示において「果たしてAIで処理したものは写真としてのアート作品として成り立つのかどうか」という、これからもさんざん議論されるであろう問いかけをこの場で提示していたことについて、それを観た自分も事あるごとに思い出したり振り返ったりするのかな、と思うわけです。

---
先日はあまりじっくり観られなかった誉田屋のタンディウェ・ムリウも連休中に再度サポートで入らせてもらったときに観させてもらいました。「アフリカのことわざ」が紹介されているのも興味深かったです。

Blog260506-6

Blog260506-5

Blog260506-3

---

さて、KG+のほうも、時間があれば出来るだけ回りたいところ。

No.165「美容師と写真と。」
関西ヘアドレッシング・アワーズのフォトコンテストということで、来場者はQRコードからお気に入りの一枚を投票するというもの。

Blog260506-7

Blog260506-8

こうしてみると、美容師の創作技術と、モデルさんの表情の作り方と、そして撮影するカメラマンの技量というものが組み合わさってひとつの作品ができあがっているわけで、そのなかで自分にグッとくる1枚「だけ」を選ぶ行為が加わると、そこで何か新たな意味合いを帯びた作品が成立するような気持ちになったりもします。

Blog260506-9

で、私はこの写真の左下の作品に投票しました。レトロフューチャーな雰囲気があって、こういうの好きです。

---

No.47 八木ジン「社会的レイヤー」、アートスペース感というギャラリーで、はじめて知るギャラリーでした。中庭の庭園と奥座敷が印象的な場所でしたが、そこで展開されている不思議なテクスチャーの「レイヤー」が重ね合わされた肖像写真たちが美しかったです。(会期が本日6日で終了なのであしからず)

Blog260506-18

Blog260506-19

その八木さんも参加されているという、No.S16「Dialogue of Earth」にも行ってみました。京都駅ビルの東広場なので、こういうことがないとなかなか行かないエリア。

Blog260506-23

ヨジュ国際写真祭ということで、韓国と日本の作家による作品が展示交流されているとのこと。

Blog260506-20

Blog260506-21

Blog260506-22

夕焼けに染まる京都タワーを背景にして展示を味わえました。

---

ちなみに、今年のKGのテーマ「EDGE」のロゴをかたどったアクリルキーホルダーが、開幕直後に即刻売り切れてしまい、「そのうち買おう」と思っていただけにとても悔しかったわけですが、最近になってカラーリングがシルバー色になって再販されました。(最初のバージョンは文字が蛍光レッドで、それはそれでむちゃくちゃ良かった)

Blog260506-2

キーホルダーは各会場の物販コーナーでも扱っていて、そして無料会場の八竹庵(インフォメーション・センター)でもその他グッズや関連写真集とともに販売されています。

Blog260506-1
▲こういう、誰も人がいない会場の様子を写真で撮れるのはボランティア・スタッフの役得ではあります。

| | Comments (0)

2026.04.29

KYOTGRAPHIE2026:2週目の彷徨記録

Kg2026_260429-19

ひきつづき京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」2026の記事を。開幕して2週間がたち、いよいよゴールデンウィークになるとさらに来場者も増えてくるであろう。

自分はメイン展示では北部の7番(ジュリエット・アニェル)と6番B(タンディウェ・ムリウ)だけを残して、あとは一通り回らせてもらった。ダダダッと各地の感想を。

まずはサポートで入らせてもらった京セラ美術館の森山大道回顧展。

Kg2026_260429-2

SNSでは高評価なリアクションが多く見受けられ、圧倒的な物量の展示がインパクトを与えているようで、実際に現場に来てみて納得。

Kg2026_260429-1

キュレーターの狙いとして、森山大道が雑誌をメインに作品を発表してきたことから、展示会場そのものが雑誌のような、イメージの洪水が表現されているかのよう。

260425095311726

過去に発表した写真集の多くは実際に来場者が手に取って閲覧できるようになっていて、この様子をスタッフとして見守っていて興味深かったのは、「やたらとお客が手に取りがちな写真集」があることだった。おそらくそれは装丁の影響なのだろうかと仮説を立てた。装丁は大事だ、と。

あとこの日は半日だけのボランティアに入っていて、そのうち1時間だけ受付のチケット確認係を担当していたのだが、ちょうどそのとき京セラ美術館の他の展覧会にお子様を連れて訪れていた友人のたじまりが、受付にいるタテーシを発見した。すごい偶然。

この京セラ美術館ではもう2つメイン展示が隣で行われている。

260425144104542

「SOUTH AFRICA IN FORCUS」ということで、まずアーネスト・コールについてはこれが日本ではじめて紹介される機会になっているということでとても意義深い展示であり、かなり見応えがあった。

来場者を迎える最初のゲートから、いろいろ突きつけてくる。

Kg2026_260429-3

代表作が南アフリカで発禁処分となり、自身も国外に逃れ、その後は流浪の人として生きるも40代で亡くなり、長きにわたり行方不明とされていたフィルムのネガが近年になってスウェーデンの銀行の金庫で大量に発見されたとのこと。

Kg2026_260429-4

当時のアパルトヘイト政策下における南アフリカの状況を、写真としては美しく収めつつ、社会状況の厳しい実態をストレートに告発している。

Kg2026_260429-5

Kg2026_260429-6

もうひとつの展示がピーター・ヒューゴ。現代に生きる南アフリカのフォトグラファーとして、本展示では大きい写真や小さい写真を並べ、生まれた子どもと、老いていく両親へのまなざしがコントラストのように構成されているのが印象的。

Kg2026_260429-7

Kg2026_260429-8

そして祇園四条の方面へ。
ygionでの福島あつし「灼熱の太陽の下で」。

Kg2026_260429-9

農業の現場を生きる写真家による、まさに灼熱の写真。のっけから巨大なミミズの写真には圧倒されたり。

Kg2026_260429-10

鴨川ぞいのロケーションゆえに、天気がよいと写真の見え方もより鮮烈な印象になる感じがした。

そのすぐ近く、ASPHODELでは柴田早理「Dotok Days」。

Kg2026_260429-11

フランスのシャンパーニュ地方の葡萄園で滞在した時期に撮影されたセルフポートレイトということで、登場する人はすべて自分が演じて合成したということか。日本における農村の茶摘みだったりお祭りだったりを、フランスの農園を背景に展開していく作品群がちょっとユーモラスだったりする。

Kg2026_260429-12

最上階の作品群も、空間との共鳴が素敵だった。

つづいて、京都文化博物館ではリンダー・スターリング「LINDER: GODDESS OF THE MIND」。

Kg2026_260429-21

こちらも自身を撮影したポートレイトだったり、パンク/フェミニズムの視点から刺激的な写真が、日本初展示ということで紹介されている。

Kg2026_260429-18
▲「She/She」という作品は、自身が活動していたパンクバンドの歌詞とともに「セルフ・モンタージュ」と称した手法によるポートレイトが並ぶ。これはカッコ良かった。

グラビア誌のポルノグラフィー写真に家電製品などを貼り付けたりする作品など、多くの作品で切り抜かれたイメージがコラージュされているのが特徴的だが、作者へのインタビュー映像のところでは「幼少期に、大事だったはずのドレスをハサミで切り刻んだことがある」というエピソードが語られたりしている。パンク魂がその頃からあったかのような。

Kg2026_260429-20
▲展示のなかに、30分ほどのビデオ上映があって、ヘンテコな衣装をまとった4人のダンサーの奇怪な踊りが延々と流れていたのだが、意味が分からないなりにも妙にハマって最後まで観てしまった。

で、無料会場としての「KG+」のことも。
「KG+SELECT」では10人の写真家によるコンペティション展示となり、この中から来年のメイン展示に1名が選ばれるというもの。

Kg2026_260429-16
▲今年の会場はくろちく万蔵ビル。1FではKG+オリジナルのグッズ販売や、KG+の膨大な展示会場のフライヤーたちがたくさん置かれていたりして、KG+独自のインフォメーション・センターの機能を果たしている。

今回観た10人の展示で自分が最も感じ入ったのは、ポーランドのピオトル・ズビエルスキ「ソリッド・メイズ」。

Kg2026_260429-13_20260429223701

なんとも捉えどころのない世界観だけれど、イメージとしては自分はこういうのがすごく好きなんだよなぁと再認識させてくれた。

Kg2026_260429-14

Kg2026_260429-15

ただ今回のアワード受賞者はすでに決定しており、インドのスリダー・バラシュブラマニヤム「マナルスザル(砂の旅)」が来年度のKGでメイン展示を行うことに。

あと先日訪れたKG+でいえば、三条通りの同時代ギャラリーでのSAMURAI FOTOという、写真を通した国際交流を志向する団体による合同展をふらっとのぞいたり。

Kg2026_260429-24

この2名の作品がとくにグッときた。

Kg2026_260429-22
▲升本真理子「Sync」

Kg2026_260429-23
▲Ingo Bork「Fog and Clouds along the California Coast」

KG+のこうした企画展はたまたま歩いているエリアに出くわしたら入ってみる感じが楽しくて、でもこの時期はできるだけボランティアをしていたいから、そこまでウロウロする時間があまりないというジレンマがある。

で、今回の記事の締めくくりは、この記事を書いている日にサポートスタッフとして入らせてもらった、嶋臺ギャラリーのアントン・コービン展のことを少し。

Kg2026_260429-29

改めてスタッフ側として会場にたたずみ、お客さんたちの様子を眺められたのがよかった。
たとえば、友人と連れだって訪れるお客さんが、自分の好きなセレブの写真の横で同じポーズをして記念撮影をしていたり。「そうか、有名人のポートレートが主題なだけに、こういう展示だとそういう現象が起こるのか」と気づかされたり。

Kg2026_260429-27

Kg2026_260429-26

Kg2026_260429-25

ちなみにこの会場で唯一BGMが流れている部屋があって、会場担当リーダーさんの説明によると、アントン・コービン自身の手によるプレイリストで選曲されていて、なかには展示されているミュージシャンのものがちらほらと流れていたりする。

あと京都の光明院で収録したというコービンへのインタビュー動画は、いまのところウェブなどでの一般公開は予定されていないとのことで、この会期中の現地でしか観られないのであった。

Kg2026_260429-28
▲いろーんな有名人の写真があって見どころが多いのだが、とりわけ興味深かったのが、この晩年のウイリアム・バロウズ。(とはいえ、私はちゃんと彼の作品を読んだことないんだけど)右手の脇にはたくさんの銃痕があり、そして左腕のヒジの窓枠のところには、なぜかファニーな顔のイラストの落書きみたいなのがあって、あえてこの場所で撮影を行ったということも含めて、その人物独特のキャラクター性をさらに味わい深くしている。

というわけで、ぜひ連休中は京都へ、KGにお越し下さい(って、至ってフツーな結論ですが、この時期はどうしたって営業宣伝モードになってしまうわけです。お客さんあってこその写真祭なので!)

| | Comments (0)

2026.04.19

祝開幕、2026「KYOTOGRAPHIE」最初の週末の走り書き的感想

260419_01

 今年も開幕した京都国際写真祭KYOTOGRAPHIE(以下KG)について、最初の週末を終えたところでの、走り書きメモのような記事を・・・。

 ボランティアスタッフとして3年目を迎える今年は、はじめて(新年度早々に職場の休みを入れてw)開催前日の金曜日のプレ・オープンの日にスタッフ参加を申し込んでみたわけで、割り当てられたのがKGのインフォメーション・センターである八竹庵。まさにKGのコアな部分に入らせてもらう形になり、開幕前日ということで、きっとむちゃくちゃ慌ただしいのだろうな・・・と不安を少し抱えつつ一年ぶりに現場へ。でも実際に来てみたら、さすが12年以上やっているイベントともなるとソツなくすべてがオーガナイズされており、この日に来るのはプレス関係者やVIPだけということもあり、お客さんを迎えるのも落ち着いて対応できた。

とはいえさすが前日準備ならではのちょっとした業務が楽しめて、14台のレンタルサイクルの納品を手伝い、その車体番号に応じて電動アシスト自転車のバッテリーそれぞれに番号札を貼る作業を自分がやらせてもらった。今年のKG特別レンタサイクルを利用した場合、そこに貼られた養生テープ部分が、やや心許なかった場合は、あぁタテイシが雑な貼り方をしたんだなと思ってもらって間違いない。

260419_02

 前回の記事でも紹介したように今年は八竹庵でファトマ・ハッスーナの追悼展示がある。パレスチナの状況を伝える写真を撮りつづけた彼女がイスラエルの爆撃で亡くなる前に、支援者とかわしたiPhoneのビデオ通話の記録について、そのままiPhone1台だけを暗い室内に置いて動画を流すという展示が行われている。何もない暗い空間に、ぽつんとスマホだけが光を放っているその空間が、まさに彼女の置かれた境遇を表わしているかのような場となっている。

260419_03

 そして八竹庵でのもうひとつの展示は、今回のKGで重点的に取り上げられている南アフリカにフォーカスし、「A4 ARTS FOUNDATION」による、同国における写真集のありかたをめぐる歴史的変遷を、その政治状況を含めて振り返るもの。ほとんどの写真集は手にとって眺められるようになっている。

260419_04

 次の18日は誉田屋源兵衛の会場に行き、サポートスタッフとして開幕日を迎えた。色彩の鮮やかなタンディウェ・ムリウの展示の2階では誉田屋の帯の特別展示も行われていて、自分にはまったく分からない世界なのだが、これはこれでスゴいものを見ている! と唸るような超絶技巧の帯が飾られている。

260419_05

 そして同じ誉田屋でもうひとつある展示は、去年のKG+で観たときから関心を寄せていたフェデリコ・エストルの「シャイン・ヒーローズ」。「靴磨き」がテーマなので、来場者には入り口で脱いでもらった靴をあえてこうして下駄箱みたいなところに置かせて「靴が見られる」という趣向も、いい感じである。そしてアーティスト自身が置いた靴も2足ほどあるので、それがどれなのかはスタッフに尋ねてみてほしい。

260419_f01
260419_f02

 圧巻だったのは、「そうそう、こういうのが知りたかった!」となった、本プロジェクトがどのように社会運動とリンクして発展していったかというマッピング。社会的差別を受けているボリビアの靴磨きの人々をめぐり、アートの力で彼らを「ヒーロー」として描く試みを通じて、どのように支援活動がエンパワメントされ、実効性のあるユニークなプロジェクトに育って展開していったかが分かる解説展示となっている。

260419_f03

そのそばには、靴磨きの人々がヒーローとして活躍するアメコミ風マンガの展示があり、そして物販コーナーでもいろいろと味わい深いグッズが売られており、その売り上げの一部は靴磨き職人らへのサポート資金にもなっていくという循環型経済の仕組みが成り立っている。

そして19日の夕方には、ここでアーティスト・ツアーのイベントが行われ、私はこの特別イベント専用のサポートスタッフに申し込んで運良く関わらせてもらうことになった(このタイプの業務は募集枠が少ないので貴重なのだ)。やはり作家本人が作品を前に話をしてくれるというのはとても豪華な観賞体験であり、アートと社会運動の関係について熱心に語るフェデリコ・エストルに、来場者からも多くの質問が投げかけられ、濃密な時間だった。つくづくKGって良いイベントだよなぁとその様子を眺めながら思った。

260419_f04

で、この日はそれに先だってお客さんとして3つの会場を回ってみた(ボランティアスタッフは様々な会場を客として訪れることをKG事務局としては推奨しているので、規定回数以上ボランティアに入ることが事前に確定しているスタッフは、開幕早々であってもパスポートチケットが特典でいただけるのである。)。

260419_06

まずは東本願寺の大玄関。ここは南アフリカのレボハン・ハンイェの展示が行われている。自分が到着したときにたまたまアーティスト・ツアーが開始された直後で、予約なく来た我々のような客も一緒に参加してよいとのことだったので、ありがたく後ろのほうで拝聴した。

260419_09

ここで特に感じ入った作品が、ハンイェさんの母親が亡くなったあと、母親が着ていた服を自分で身につけ、かつての母親が写っている写真のなかに自分をモンタージュして写り込ませ、家族の歴史や、ひいては南アフリカの歴史を感じてもらうというプロジェクトだった。

260419_07

それに加えて、南アフリカでの灯台守の暮らしを再現するジオラマのような作品も展示されており、灯台が光を照らすようにこの小さな箱のなかの照明の具合によって、そこに映るシルエットが美しく浮かぶ作品群も強い印象を残した。説明文には「灯台は、暗闇を照らし出すこと、何かをたゆまず続けること、そして人々の暮らしを支える見えない構造の象徴となり、個人からコミュニティへと記憶を拡張していく」とあり、まさに今回のKGのテーマ「EDGE」を彷彿とさせる展示だったと感じる。これらをアーティストトークとともに鑑賞し、質疑応答のときは、作者のハンイェさんに、どうして写真家になったのかと参加者のお子さんが問い、「自分から写真家になろうと思ったのではなく、写真が自分を選んだとしか言いようがない」と答えていたのが印象的。

260419_08

その余韻を引きずりながら、すぐ近くにある重信会館へ。

260419_10

先日のブログ記事でも書いたとおり、おそらく今年の目玉企画のひとつであろうこの展示「残されるもののかたち」は、ちょっと今回の記事で書くには「語りどころ」がありすぎて、別の機会にじっくりと紹介したいと思う。まぁ、つまり、あれだ。「廃墟のような場所で、廃墟をテーマにした作品を鑑賞する」という、この体験は「ヤバイ!」の一言に尽きた。いろいろな意味で、ヤバかった。今回の記事では写真をあまり出さないでおこうと思うが、これから一ヶ月のあいだ、SNSなどでたくさんの感想が語られるであろうし、それらを眺める楽しみが増えた。みんなどういうリアクションをするんだろうなぁ、と。なので今の段階でいえることは「ぜひ、現地に行ってみてください」である。

260419_11

で、そのあと烏丸御池まで地下鉄に乗って、私が個人的に今年一番楽しみにしていたアントン・コービンの展示をじっくりと観賞させてもらった。

260419_12

このU2の『ヨシュア・ツリー』の写真がとりわけ大きく飾られていて、もうこれだけで満足感があった。

260419_13

あと、もうひとつ自分にとってアントン・コービンといえばジョイ・ディビジョンであり、とくにこのバンドの(その後に起こる出来事を思うとなおさらに)象徴的な1枚ともいえる伝説的な写真はロック写真の歴史上でも傑出した一枚であると思う。(この撮影地がマンチェスターではなくロンドンだったことを今回初めて知った)
でもあらためてこういう「展示」の場において、じっくり写真と向き合って眺めると、左端のスティーブン・モリスさん、寝癖立ってるように見えるのね、とかくだらないことを思ったりもする。

260419_14

他にもいろいろなミュージシャンや著名人のポートレイトが展示され、そして最後はあまり自分としては知らなかったコービンのプロジェクトのひとつである「墓地」についての展示があり、そこで彼自身のヒューマンな部分に触れるような感じが得られた。

この展示会場ではアントン・コービンへのインタビュー動画が上映されており、彼が被写体としてきたセレブたちへの接し方の部分などで興味深い語りが聴けた(本当は彼のアーティスト・ツアーにも参加したかったが、自分がスタッフで動いていた時間帯の実施だったので叶わず!)

260419_15

そんなわけでスタートの3日間についてのこの走り書きのような内容がどこまで参考になるかは分からないけれど、ぜひKGの展示に足を運んでくれる人が増えることを祈りつつ、「今年も充実した一ヶ月が始まるよー!」という気持ちで、五月の連休を心待ちにしている。

| | Comments (0)

2026.03.03

こんな状況だからこそ、KYOTOGRAPHIE(京都国際写真祭)2026について、どこよりも気が早いレビューを書いてみたくなる

 世界があちこちで瓦解していて、どうにも腹立たしくて哀しくて、それでも季節はめぐってくる。今年も4月18日から約一ヶ月にわたり京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」(以下KG)が行われるわけで、「早く春になってほしい」という気持ちに連動して、今年もできるだけボランティアスタッフとして参加しようと決めている私はさっそくそわそわしている。

 今年のテーマは「EDGE」ということで、すでにメイン展示のプログラム内容や開催場所が広報されている。もちろんこの数日間のあいだにさらに深刻度を増しつつある世界情勢の影響で、人々やモノの移動などに予想外のアクシデントが起こりえる可能性も想定されるので、これから本番に向けて変更になったりする部分がいくつか出てくるかもしれないが、ひとまず現時点での情報をもとに、「気の早すぎるレビュー」として、私が気になるポイントをここに書き散らかせていただく。こんな状況下だからこそ、めぐる季節によってやってくる楽しいモノゴトは大事に味わいたいし、「祭」とはそういうものだ。

なお私のスタンスは、
・そんなに古今東西の写真家についての知識はない
・そんなに現代アートにも詳しくない
・そんなにガチで写真を撮るレベルにない
・そんなに長年KGのボランティアをやっているわけではない(今年で3回目)
・そんなに以前から毎年熱心な客としてKGを鑑賞していたわけではない
ということをあらかじめお断りしておく。

そんな私が今シーズンのKGの何にこんな早い段階から盛り上がっているかといえば、
アントン・コービンの展示が!! 
今年は! 
あるんですってば!!
 
そのことを言いたいがためにこの記事を書いているようなものである。

アントン・コービンといえば。
中学生の頃から、文字通り中2病のごとく、いまだに聴き続けているU2の『The Unforgettable Fire』や『The Joshua Tree』のアルバムジャケットなどをはじめ、初期のころからのU2の姿をたくさん撮影し、他にもジョイ・ディビジョンの写真もバンドの存在感を決定づける作品を多く残しており、その他たくさんのロックスターのポートレイトを手がけた、ベスト・オブ・ロッキンフォトグラファーである。

ジョイ・ディビジョンといえば夭折したカリスマ・ボーカリストのイアン・カーティスの半生を描いた映画『コントロール』を監督したのもコービンである。コービンならではの写真観そのもののようなモノクロームの映像によって、彼らの伝説の日々を限りなくリアルに描ききった作品で、当時私はこの映画を、学生時代の同期でU2ファンであったウメさんと東京で会った折りに、渋谷の映画館で一緒に観に行った・・・ちなみにこの記事を準備していた最中、「映画を観た場所って渋谷で合ってたっけ? 久しぶりにウメさんに連絡とって訊いてみようかなーどうしようかなー」となっていた矢先、恒例の京都マラソンでの「サッカーユニフォーム姿のランナーさん応援企画」をやっていたら、千葉にいるはずのウメさんがサプライズでランナーとして参加して目の前にやってくるという出来事がおこる(こちら参照)。ナイスすぎるだろウメさん・・・。

ということで、まさかKGでアントン・コービンという展開は予想していなかったので熱い。おまけにU2のギタリストの名前はEDGEである。今回の全体テーマにもピッタリである(強引)。

コービンの展示会場は「嶋臺(しまだい)ギャラリー」ということで、地下鉄の烏丸御池駅すぐの場所でアクセスも良く、古い町家を活用した展示に期待大である。

個人的には昨年までのKGにおいて、私にとってのベスト・ベニューでありつづけた京都新聞社ビル印刷工場跡地での展示が今年からはなくなってしまったので、テンションはやや下がり気味であったのだが、そんなところへアントン・コービンの展示が決まったとあり、おかげで今年も私は前のめりでボランティアスタッフに臨めそうである。

 そしてもうひとつ強烈にプッシュしたい展示は、ウルグアイ出身のフェデリコ・エストル「Shine Heroes」だ。ボリビアのラパスにおいて、靴磨きに従事する人々は差別的なまなざしを避けるべく覆面で仕事をしている人が多く、エストルらは支援団体とともにアートの力で彼らを取りまく状況をとらえ直し、靴磨き職人を「覆面ヒーロー」として読み替え、そこから新たな文化的アイデンティティを創出するというプロジェクトを展開しているとのこと。それで気付いたが、私は自分自身の生活でもこの「読み替える」という作戦を重視して好んでいるのだろう。たとえば市民マラソン大会の現場を意図的に「読み替えて」サッカーファンを応援する場にしてしまうという試みも、その流れにあるわけだ。
 このエストルの作品群は昨年のKG+SELECTで出展されていて、見事にアワードを受賞したことで、晴れて2026年KGのメイン展示として改めて単独の個展が開催されることになった。私も昨年のこの展示には強く印象づけられた一人で、ぜひ深掘りした内容で翌年も観てみたいと願っただけに嬉しい。そして予定されている展示会場となるのは、誉田屋源兵衛の「黒蔵」とのこと。そこがさらに「うおぉ!?」となるポイントであり、黒く大きい蔵の放つ謎めいたムードは、まさに「覆面」を捉える本作品群の展示空間としてはさぞかしハマることになるだろうと期待を込めて断言できる。

そして同じ誉田屋源兵衛では「竹院の間」のほうで、ケニア出身の写真家タンディウェ・ムリウ「Camo」の展示が行われる。布をテーマにした作品で知られる作家とのことで、鮮やかな布の背景と、自身のまとう衣装によるカモフラージュをとらえた印象的なキー・ビジュアルが告知されている。そもそも誉田屋が着物の帯をあつかう老舗だけに、テキスタイルというモチーフでのつながりが想定されているのだろう。会場に足を踏み入れたときに迫り来る色彩と、古きよき商家の空間のミクスチャーによる鮮烈なコントラストが想像される。
展示作品そのものに加えて、会場がどこに設定されるかで、観る前からの期待度がより強く増していくのはKGの素敵なところである。

このムリウは東アフリカの人だが、今年のKGは南アフリカの写真家も多くフィーチャーし、「SOUTH AFRICA IN FOCUS」と銘打って次の4つのプログラムが展開される。
アーネスト・コール(京セラ美術館)
ピーター・ヒューゴ(京セラ美術館)
レボハン・ハンイエ(東本願寺 大玄関)
“A4 ARTS FOUNDATION”(八竹庵)

アパルトヘイト下の歴史的記録を遺し、日本初公開の大規模展として紹介されるアーネスト・コール。そのコールの没年時に生まれた若いアーティストとしてのレボハン・ハンイェに、長いキャリアを重ねるピーター・ヒューゴと、それぞれの展示には同じ地を舞台にした異なる時間軸の位置づけが伺える。そしてKGのインフォメーションセンターである八竹庵では、南アフリカにおける1950年代からの抵抗的な表現実践について理解を深められる場として、ケープタウンを拠点とする、アートをめぐる支援団体「A4 ARTS FOUNDATION」による写真集(ブックメイキング)の展示などが行われる。

なお八竹庵ではそれに加えてもうひとつ展示がある。パレスチナの写真家としてガザ地区の姿を世界に発信しつづけ、2025年4月にイスラエルによる爆撃で命を落としたファトマ・ハッスーナの追悼展示が予定されている。八竹庵は無料で入れるインフォメーション・センターとしての中心的な役割をふまえつつ、その年ごとに伝えたいメッセージ性がダイレクトに込められた展示に出会える場でもある。この数日のあいだの情勢によっては、いろいろな面で緊張感が高まる会場になりかねないが、それはそれとして引き受けていくべき部分でもあろう。

***

私はボランティアとしてKGに関わるようになってから、KGにおけるあらゆる展示を網羅的に接することで、KGが毎年企画する展示においては、内容のジャンル分けのようなものがバランス感をもって設定されていることを実感するようになった。観客の側でいた時代にはあまり気にしなかった部分でもある。

そうした「自分なりのジャンル区分」でいえば、今年の「日本の大御所写真家の部」として森山大道の回顧展(京セラ美術館)、「自然環境の部」ではジュリエット・アニェルの植物と鉱物の作品(有斐斎弘道館)、「若手日本人写真家を応援しようの部」では福島あつしによる農業の営みをめぐる作品展示(ygion)、「KGイチオシの、アワード受賞者の部」として柴田早理のフランス・シャンパーニュでの葡萄畑と女性の作品群(ASPHODEL)、「シャネルが協賛する女性写真家特集の部」としてリンダー・スターリングの日本初個展(京都文化博物館)が予定されている。

この中ではとくに70年代英国パンクシーンから出てきたというリンダー・スターリングの展示は観客としても楽しみであるし、そしてまたボランティア・スタッフの立場からしてみたら、こうした「シャネル協賛の部」とか「ディオール協賛の部」といったブランド企業とのコラボレーション展示に関わるときは、いつも以上に緊張感を覚える。なぜならお客さんからしてみたらこんな私でもその日だけはシャネルやディオールの看板の下で動くスタッフの一員になるわけなので、現場では「わたしもシャネルです」みたいな表情や身振りを試行錯誤し続けたくなるわけだ・・・無駄な試みと言われようとも(笑)。でもそういうこと自体が、ボランティアを楽しむポイントだったりもする。

そして、あくまで私の主観ではあるが、KGのなかには「この特別な場所だからこそ、この写真作品を展示してみました部門」というのが毎年あり、今年でいえばイヴ・マルシャン&ロマ・メェッフェルの「重信会館」での展示が挙げられよう。実は今回の発表があるまで、そもそも私は重信会館という建物については何も知らなかった。真宗大谷派の研究所であったり大谷大学の学生寮などに使われてきたという古い建物がまだ残っており、ツタがたくさん覆い茂るこのモダンな建物のなかで「近代建築の廃墟」をテーマとする作品を鑑賞できるというのは、なかなかの体験となるであろう。

そんなわけで、とりまく世界の状況は落ち着かないけれども、KGは今年もさまざまな角度からの発見や鮮烈なイメージを、わすれがたい一瞬において感じさせてくれるイベントになるだろうと期待している。そしてお客さんとして楽しむのはもちろんのこと、どんな短い単発のシフトでもボランティアスタッフを随時募集しているようなので、KGというイベントそのものを味わうチャンスとして捉えていただければ幸いである。

Enjoykg

| | Comments (0)

2025.06.02

2025KYOTOGRAPHIE:印刷工場跡地で過ごした日々のこと

 京都国際写真祭・KYOTOGRAPHIE(以下KG)が終幕し、昨年と同様にさっそくの「ロス」を味わっている。この一ヶ月のあいだ、休日を中心に11回ボランティアスタッフとして参加し、空いた時間にも他の会場の展示を観に行ったり、今年から行われた「KG+アカデミー」という講座のひとつであった「9枚から始める写真史(講師:タカザワケンジ氏)」を受講してみたり、関連音楽イベントKYOTOPHONIEで来日したパティ・スミスのパフォーマンスを鑑賞したりなど、忘れがたい濃密な日々が怒濤のスピードで過ぎていった。

 鑑賞者の立場から思ったことは前回の記事で書いたが(こちら)、写真祭がもう終わってしまう!という感情に駆られて自分の印象をあのタイミングで記しておいたことは、それはそれでよかった気がする。別れを惜しむ間もなく、すべての作品たちは「現場」からすみやかに取り払われて、すっかり日々は元通りとなり、祭りは過去のことになった。

 ありがたいことに私は会期の最終日において、京都新聞ビル会場にボランティアの担当を割り当ててもらったので、あの大好きな印刷工場跡地における展示会場の最後の瞬間に立ち会うことができた。ただし感傷にふける間もなく、最後のお客さんを送り出した鉄のドアの閉まる音が響くやいなや、撤収の作業開始を待ち構えていた関係者は粛々と動き出す。場所を借りるというのはそういうことなのだ。この空間で長い時間を一緒に過ごした会場担当リーダーの方々へも、あらためてじっくりと謝意を伝えることもままならず、ボランティアとしての我々はその場からすみやかに立ち去るしかなかったわけだが、あのときの気持ちをずっと抱えたままだからこそ、いまこのブログ記事をじっくり丁寧に書きたい理由になっている(なので、はい、今回も長文です、あしからず)。

 私は全11日間のボランティア活動日のうち、5日間もこの京都新聞ビルで過ごすことができた。活動日のシフト希望を出すにあたっては柔軟に要望を聞いてくれるのをいいことに「可能なかぎりたくさん京都新聞ビルの会場にあててほしい」というリクエストをダメモトでさせてもらい、そんなワガママを十分に汲んでくださったKGボランティア担当マネージャーのMさんには感謝しかない。

 今年の京都新聞ビル会場を舞台に展示されたのはフランスの写真家JRの作品であった。例によって私は、今回の写真祭での展示が決まるまでJR氏のことやその活動については何も知らなかった。
 もちろん、そういったアート方面の知識が乏しくてもボランティアスタッフを務めることにはまったく問題ないのだが、ときどきお客さんから質問を受けたり、その場で感想を自分に向かって述べてくれることもあったりするので(よほど誰かに何かを語りたい気持ちがわいてきたのだろうと思うと嬉しく感じる)、せっかくならば担当する会場の作品やアーティストについては自分ができる範囲で理解を深めておきたい気持ちがある。

 で、たまたまJRについては今回の展示に連動して『顔たち、ところどころ』という2017年制作の映画がUPLINK京都で期間特別上映されていたので、すかさず観に行った。これは当時33歳のJRと、87歳の映画監督アニエス・ヴァルダがコンビを組んでフランスの地方を旅し、そこで出会った人々やコミュニティを題材に、独自の手法で大きな壁画作品を作っていく過程を追った映像記録である。<本作のすてきな予告編はこちら

 二人が乗り込むのはJRのつくった不思議なクルマで、内部はスタジオになっておりそこでポートレイトを撮影し、やたら大きな紙に印刷された写真が出てくるという楽しげな装置を備えている。
 そうして人々の大きな顔たちを、廃れつつある住宅地であったり、職場であったり、さまざまな屋外の壁や建造物に大きく貼り出す。その壮観な光景をみるにつけ、「でかい」というだけで、それらは動物的な本能に訴えかけてくるのか、なんだか特別な面白みが感じられてくる。そして作品の当事者たちも、その場所や人々との結びつきをあらためて確認しあい、できあがった作品やその風景そのものからエンパワメントされていくような感じがあった。

 つまり「技術によってサイズの大きい写真を作品としてつくる」ことと「いかに作品を展示する『場』の力を活用するか」ということが、JRの作品としての妙味でありツボであると思った。
(そのほかにも、この映画全編を通してJRとヴァルダの間に流れるチャーミングな空気感もとても印象的で、ほのぼのとさせる)

Jrwithjr

 今回のKYOTOGRAPHIEにおいて、JRはJR京都駅の烏丸口の壁面スペースを使って「クロニクル」シリーズの京都編を制作した。約500人もの様々な人のポートレイトを撮影し、コラージュし、ひとつの絵巻物のように構成することで、京都という街のありようを捉える試みである。この巨大な作品を構成する一人一人の姿であったり過去に世界中で手がけたプロジェクトの紹介展示を京都新聞ビル会場で行うことにより、「場」のもつエネルギーを取り入れたJRの作品を、駅と新聞工場跡地の2つの空間で味わえるようになっていた。

Jrkyoto

 京都新聞ビル会場ではまず最初の展示エリアでJRの過去の作品や今回の「クロニクル京都」をめぐる展示を自由に観てもらい、そこから15分ごとの完全入れ替え制でオープンするビデオルームに進み、JRのインタビューおよび本プロジェクトに関わるメイキング映画を観てもらう。

Zone1

 そしてここから目玉の展示ともいえる印刷工場跡地にお客さんは案内される。真っ暗な状況で、目隠しになっていたシャッターがお客さんの目の前で開かれるとこの巨大空間の全貌が現れ、そこにはクロニクルの被写体から選ばれた10人の巨大化されたポートレイトがそびえ立っており、その中を通っていくという流れとなる。

 スタッフとしてこの「巨人ゾーン」のスタート部分を担当するときは、暗闇のなかペンライトを使って、ビデオルームから出てくる来場者の集団を所定の場所に誘導する。やがて担当のサブ・リーダーさんが注意事項を説明する(でも、ずっと真っ暗なのでお互いの顔は見えない)。説明を終えたリーダーさんがアコーディオンカーテンのようなシャッターの中央部分に近づくので、自分もその動きに応じてシャッターのハンドルに手をかけておく。そこからタイミングを合わせて真ん中から左右に分かれてガラガラと音を響かせながら体重をかけて重たいシャッターを開けていく。それぞれの表情は暗闇の中で見えにくいものの、大きな工場跡地で薄暗がりのなかに並ぶ巨人たちを目にしたお客さんたちが「うわぁ~」と反応する様子をダイレクトに感じられるのが毎回楽しかった。

Zone2
【 ▲ この写真は、通常の展示のときには設定されない照明の明るさのときに撮ったので、いつもはもっと暗かった】

 シャッターが開いたら、自動化された照明が順番に巨人を照らし、収録された本人の語りが所定のタイミングで流れる。彼らのメッセージはもはや何十回と繰り返し聞いているので全部のセリフを暗唱できそうなぐらいであるが、特に広島の被爆体験から生きのびた方の語りは何度聞いても心を揺さぶる。たまたま自分も3月に広島に行ったばかりなので、夕刻に原爆ドームのまわりを歩いたときの情景がそのままつながってくる。

 10人全員のメッセージが流れ終えたら、奥に控えるスタッフは鉄のドアを開けて、そこに屋外からの光が一気に差し込むことで出口があることを示し、それとなく退場をうながす。この「出口ドア担当」のときは、巨人のダイナミックな展示を見終えた直後のお客さんのひとりひとりの表情と出会えるのが楽しく、ここが新聞社の印刷工場跡地であることを認識していないお客さんになると、この異質な空間に圧倒されてやや興奮気味にこの場所について質問してきたりするので、こちらも嬉々として説明する。

 こうしてその場にいた来場者が全員退室したらまたシャッターも出口もすべて閉じて、暗闇のなかで10人の巨人とともに、次のビデオ上映が終了するタイミングを待ちつづける・・・という流れだ。まるで「お祭り」というものは最初から存在していなかったかのような、暗くて巨大な印刷工場跡地でたたずむ、あのひとときの静けさが忘れられない。外の世界は陽光まぶしい5月のゴールデンウィークだったりするが、鉄のドアをはさんで時間が止まったかのような暗い工場跡地で過ごすというのは、それ自体もある種のアート的な体験だった気がする。

Dark

 そんなわけで、この京都新聞ビル会場を担当するスタッフは一般的な写真展においてはなかなか求められないであろう心構えのもとで動いていた。ガチの工場跡地ゆえに出口の鉄製ドアはかなりチカラをこめてガツンと閉めないといけないし(でも出口に戻ってこようとするお客さんも稀にいたりするのですごく気をつけていた)、暗闇で迷ったりコケたり、仮設の手すりを越えて工場の地下ゾーンに落下する客がいないように気をつけるとか、ここは工事現場かよと思えるような注意喚起がシロウトの我々にもフツーに必要とされており、今年も期待通りに京都新聞ビル会場は本写真祭のなかでも屈指のデンジャラス・ゾーンと化し、毎日がスリリングな現場だったのは間違いない。

 それは同時に、お客さんの側にもある種の「負担」を強いる展示会場でもあったということだ。入り口で事前に注意事項を説明することを必須としていたので多少の緊張感を与えざるを得ないし、とくにビデオルームに入ってからは演出の都合上、決められた時間ごとに集団で一緒に動いてもらうという段取りになるので、そうした「定まった流れ」に乗りたくないと訴えるお客さんだって往々にして出てくるし、それは日本人だけでなく様々な国からの人々だったりもする。そういう来場者の事情やニーズとも柔軟に向かい合わねばならないのがこの会場特有の難しさであり、「見ず知らずの外国人からちょっと文句を言われる」というのは日頃の生活ではなかなか直面しないシチュエーションであるがゆえに、しまいには面白味すら感じていたので、やりがいのある部分でもあった。

Track

 そんななか、最後まで無事に展示をやりきれたのは、この京都新聞ビル会場を運営したリーダー陣の、(我々の伺いしれない部分もたくさんあったであろう)日々の奮闘あってのことだったと思う。現場監督としての「ベニュー・リーダー」と、その脇を固める「サブ・リーダー」は各会場ごとに設定されており、今年も私は多種多様なリーダーさんたちとの関わりに感じ入るものがあった。

 とくに今年の京都新聞ビル会場は、ベニュー・リーダーが2名体制となり、そのうちの一人であるSさんは昨年も同じ京都新聞ビルのリーダーを務めていたことが大きかった。そのことを知った当初は「おおっ!? 今年も京都新聞会場でリーダーやるんか!」となり、がぜん楽しみが増した。つまりは、そういう人なのである。私より2回りほども若い人であるが、特にモチベーターとしての才覚がバツグンで、下は中学生から上はご高齢の方々にいたる我々ボランティアスタッフの多種多様な面々とSさんは日々丁寧に向き合い、それぞれに参加意欲をかきたてて仲間意識をスムーズに構築し、「この人のもとで一緒に働けてうれしい」という気持ちにさせてくれる。つまりは「理想の上司像」を感じさせる人物であり、今年も相変わらず無尽蔵の愛嬌と野性的な瞬発力でもって、この特殊な京都新聞ビル会場をめぐる多様な局面の数々にも軽やかに立ち向かっていた。

 そしてもう一人のベニュー・リーダーがYくんであった。フランス人のお父さんを持ち関西弁と英語も話すマルチリンガルで、それゆえいろんな国からのお客さんが来場するにあたってはフル回転で対応し続けていた。いつも飄々としたムードで会場を歩き回り、そしてしばしば上手な言い回しで我々ボランティアスタッフにも「こういうふうにしてほしい」と要望を伝えることで写真展会場としてのクオリティを損なうことがないよう常に現場での心配りを怠らず、そうしてスタッフ間のつながりが緩慢な状態にならぬよう、ほどよい緊張感を保つうえでもYくんはキーパーソンであったように思う。ちなみに彼は子どもの頃からフランス屈指のサッカークラブ、オリンピック・マルセイユの熱狂的なサポーターだということが分かり、彼の深いサッカー愛が垣間見えたのも個人的にとてもうれしかった。

 そんなわけでこの2人のベニュー・リーダーの組み合わせはお互いの持ち味を活かし合えるような、とても良いコンビだった。あるとき、私は会場入り口のチケット確認係の担当としてそこにいて、たまたま客足が止まって落ち着いた時間がしばらく続き、Sさんはおもむろに入り口の軒先のほうにまで進み出て、何かを待って遠くを見ているかのように無言で一人じっと立っていた。そこへYくんも隣にやってきてSさんの肩をガシッと組み、まるで二人が担う大きな責任への役割を互いに労り合うような感じで、同じ方向を見たまま彼らはしばらく話し込んでいた。ビルの隙間から差しこむ太陽の光が遠くに立つ二人の後ろ姿を際だたせていて、それが実にクールで詩的だった。つい自分はスマホでその様子を撮影したくなったが、ここは控えておいて目に焼き付けておこうと決めた。あの場にいられたことに感謝したくなるような、今年のKGを思い返すうえで自分だけの宝物のようなシーンだった。

 そしてサブ・リーダーと呼ばれるスタッフさんたちも交代で毎日3~4人ぐらいのシフトで現場を担当し、必要に応じてほかの会場のサポートに入ったりすることもあったようだ。このサブ・リーダーさんたちもそれぞれに個性的な方々でじっくり話を聞いてみたかったのだが、何せこの現場で我々が共有していた最大の関心事は、「次々とやってくる来場者を人数制限の範囲内で適度なタイミングをはかりビデオルームに案内し続け、次のゾーンに送り出してシャッターを開けて巨人たちに『うわ~!』となって会ってもらい、工場跡地の暗いキャットウォークの足場をたどって出口の鉄トビラにたどり着いてもらったあとは、できれば建物の外に設置されている物販ブースのテントにも行ってもらうというオペレーションを円滑に回し続けること」にあったので、それ以外のテーマで雑談をしている余裕は少なかった。それでも別の日にKG主催のパーティーイベントで他のボランティア・スタッフさんらとともにお話をうかがい、あらためてそれぞれの興味深いキャリアの個人史やKGへの想いを聞かせていただけたのは貴重な時間だった。

Backyard2
【 ▲ 毎回、閉館後にはSさんがサービス精神を発揮して「バックヤード・ツアー」を開いてくれて、ボランティア・スタッフに展示物やこの建物の裏側を紹介してくれた。特別な時間。】

 こうして「いろんな経歴を持った多様な人たちが集まって、長い人生のほんのひとときを一緒に働く」というこのKGの状況というのは、JRの「クロニクル京都」の作品が醸し出す雰囲気とどこかで通じ合う気がしてきた。この市井の人々の集合体が、まさに写真祭をつくっていく多くのスタッフ・関係者の姿に重なってくるように思えてきて、そして自分もまたその一人として作品のなかに紛れ込ませてもらっているような感覚だ。

 そのことは、京都新聞ビル会場でJR作品の被写体に囲まれて過ごした最後の最後の日になってようやく芽生えてきたところがあり、これは「KGという大きなイベントが始まって、終わっていく」という感慨をシンボリックに描いた、ある種の「記念写真」のようにも感じられ、私は最終日の業務の休憩時間に物販のテントブースに出向きこの「クロニクル京都」の特製トートバッグを思いきって買わせていただいた(現場では残り1つとなっていたこの貴重なバッグを快く私に売ってくれたサブ・リーダーのTさんに感謝。ちなみにボランティアスタッフとして規定の参加回数に達すると、特典としてグッズが割引で買えるのであった)。

Tote

で、今回のこの「クロニクル京都」の展示についてどこかのメディア記事で取り上げられたときに「この作品に写っている約500人の中にあなたの知っている人が登場しているかも」といったことが書いてあったのを読んで、私は直感的に「さすがにそんなことはないだろうなー」と思っていたのだが、結果的に私も直接知っている人が被写体として入っていたのだった。

それはベニュー・リーダーのSさんだった。2回目に京都新聞ビル会場を担当したとき、たくさんの被写体が並べられている展示をあらためてじっくり見ていて「あれ、これってもしかして・・・?」と、ようやく気づいた次第である。本人に訊ねたら、気づくのが遅い!と言われてしまった。聞けばJR氏がこの作品制作のために京都で撮影をしていた時期にアシスタントとしても関わっていたとのこと。

一通り見ているつもりでも、なかなか気づかないものだなぁ~と、ぼんやり思っていた。

しかも、それだけに留まらなかった。

それは会期が終了する直前のことであった。
私がいない日に同僚のmizuix氏がこの京都新聞ビル会場を訪れて、その感想を送ってくれたのだが、「Sが写っていたのに気づいていたか?」ときた。

Sくんは、かつて我々とともにSUPERCARのコピーバンド「ワルシャワ・ドロップ&ロマンティック」を組んだ人物であった。

Warsaw
【 ▲ 当時つくった手作りバンドTシャツ。なつかしい】

しかもしかも、ビデオルームで上映されていたメイキング映画のエンドロールの部分で、彼がJRに撮影されている様子も映っていたことを(1回しかそれを観ていないはずの)mizuix氏はちゃんと認識していた。例によって私はこのビデオ上映だって、何回も何回も繰り返しエンドロールを観ているにもかかわらず・・・そこに自分のよく知っている人が映っていたことに、mizuix氏から言われるまで、まっっったく、ちぃぃぃっとも、気づいていなかった。

いったい自分はなにを見ていたのだろうか・・・とアタマを抱えるしかない。
「見ているようで、見えていない」
これは写真に限らず、日々の生活全般においても言えることかもしれない。
JRの作品は、最後の最後まで私を揺さぶってきたのであった。

そんなふうにしてこの一ヶ月が終わっていった。あの大きな印刷工場跡地に戻ってこられる日がくるのかは、今は分からない。そして京都新聞ビルだけでなく、ボランティアで携わったさまざまな展示会場で出会った人々と、同じ場所で同じように過ごすことはもうないのかもしれない。それでもまた来年、KGのそこかしこの会場で「ひさしぶりーー!?」と言えるような状況があればいいなと、それこそ「顔たち、ところどころ」というフレーズがかもしだす雰囲気を想いながら、その日を待ちわびている。

Building

------
そして最後にお知らせとして・・・おなじみイリノイ州アーバナ・シャンペンで展開するコミュニティラジオ「Harukana Show」では、数週にわたってKGをめぐるあれこれについて取り上げていただき、自分もメールやトークで参加させていただいた。このブログに書ききれていないエピソードなども少し話しているので、よければぜひ。(ポッドキャストのページはこちら。No.735~No.740です)

| | Comments (0)

2025.05.06

京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」の印象をざっくりと。

京都国際写真祭KYOTOGRAPHIE(以下KG)もあとちょっとで閉幕! ゴールデンウィークの混雑のなか京都をウロウロしたくない人もまだ会期としては5月11日まで残っているので、観にいけるチャンスはまだある!
・・・ということで、今回の記事は、ボランティアスタッフとして立ち入ったり、スキマ時間でお客として訪れたりした範囲でタテーシが書けるレビューを、ダァーッと殴り書きのように記す。誰かにとって何かの参考になれば幸い。

八竹庵
ここについては前回の記事で取り上げているけれども、ひとつ書き忘れていたのは土田ヒロミによる「リトルボーイ」は今回の写真祭における最重要作品となり、終戦80年を経たことへの大切な、とっても大切なメッセージがこめられている。今回のメインテーマ「HUMANITY」はこの作品ですべて語り尽くしているのでは。
この展示だけはメディアに載る広報物でも非公開の設定になっており、実物はこの八竹庵会場の一番奥の倉で、暗がりのなか、静かにあなたを待っている。

京都市美術館別館

今回のKGで予想以上に自分に刺さったのがこのグラシエラ・イトゥルビデの展示。実際SNSで検索してもここは大絶賛の様子。KGは毎年、取り上げる写真家や展示内容のコンセプトのバランスを考慮して、一人の作家のこういうガッツリした展示を最低でも1箇所は設定しているように思われる。実際この会場がもっとも作品の展示点数が多いそうで、見応え度という意味でもダントツに推せるのがこのメキシコ出身の写真家の回顧展であった。

2504291
▲この入り口のキーヴィジュアルの時点で、これはタダものではない作品たちが待ちかまえていることを示していた。

Kyoubi-3
▲イトゥルビデさんは鳥をモチーフにいくつかの写真を撮影してきたとのことだが、特にこの作品は、今年のKGのメイン会場で観たすべての写真のなかでも個人的ベストとして推したい。動物を被写体に入れる場合は、往々にして運を味方につける必要があるにせよ、「それにしても!」ですよ。ものすごくないですか、これ。

Kyoubi-1
▲Diorから依頼されたという作品も少し展示されていた。こういう依頼仕事でも写真家の強い個性がどうしたって滲み出るものがあるようで、写真というものが、その瞬間を永遠のなかに閉じこめる装置であるということを改めて思い至らせてくれるような「神秘的な静けさ」みたいなものが、張りつめた緊張感とともにプリントされているような感じが忘れられないのである。いったい何がどうしてこういうふうになるんでしょうねぇ、と。

Kyoubi-2

この他にもいくつか「うおぉああ~」と感じた写真があるのだが、ともかくこれらは現地でぜひ観てほしいと願う。

TIME’S
三条通り高瀬川ぞいに80年代からある安藤忠雄設計のTIME’Sがすっからかんになって久しいが、このKGの時期だけはあたかも以前からずっとそうであったかのように全部が写真館みたいになって、あちこち歩き回れる状態になっていて、それだけでもここに来る価値があり、そこへきてマーティン・パーの展示「Small World」だ。世界の観光客の行動を皮肉とユーモアで切り取った作品群で、ただひたすら笑える。そう、笑えるのだが、同時にそれは今まさに写真展に押し掛けている自分自身もある部分で観光客と同じようなもので、その笑いが直接自分自身へ返ってくることにも思い至る、という部分もある。

Times-1
▲このラマほんとに好き。

Times-2
▲ピサの斜塔にまだ行ったことがないが、自分もぜひこのような写真を撮りたいと固く決意した(笑)。

ちなみにパー氏はイギリス人(さすがMr.ビーンを生んだ国だけある)。そんなパー氏が春の桜咲き誇る京都に滞在し、いろいろな観光スポットで撮影した写真が延々リピートされる映像コーナーも、苦笑いをひとりこらえつつ楽しませてもらった。大混雑のなか、観光を楽しめているように思えないいくつもの疲弊した表情だったり、なんとか自分なりに観光を意味のあるものに奮闘すべく必死になっている姿だったり・・・ある種、そこを強調してチョイスしているんだろうけど、パー氏のブラックな皮肉を込めた視点を通して、「観光地に人が集まるってどういうことなんだろうか」と改めて問わずにはいられない。そして映像の後ろで流れるユルいBGMも、より哀愁を誘う。
(そして同会場では吉田多麻希「土を継ぐ」の展示があるのだが、私があまりにパー氏の作品に時間をかけすぎて、こちらのほうの開館時間を逃してしまい、観ていないのであった・・・)

嶋臺(しまだい)ギャラリー
 同じように「皮肉」っぽさが効果的に炸裂している展示として、リー・シェルマン&オマー・ヴィクター・ディオプの「Being There」がある。この展示は何の予備知識もないまま進んでいくと、古き良きアメリカのほのぼのとした写真がレトロな調度品やインテリアとともに次々と並んでいるという、ただそれだけの作品なのだけれど、展示の最後に流れている映像を観て、「そういうことだったの!?」と驚いてしまうという仕掛け(なので、もういちど前に戻って見返したくなるお客さんも多数)。

Shimadai-2

Shimadai-1

ちなみにこの会場ではもうひとつ無料の企画として、長年京都で発行されている英文雑誌『KYOTO JOURNAL』のこれまでの歩みを振り返る特別プログラムも併催されており、タイミングがあえば創始者のジョンさんが温和な笑顔で来場者を迎えてくれる。

京都文化博物館 別館
 KGは写真作品を展示する場所そのものの個性との相互作用を楽しむというコンセプトを志向しているけれども、この京都文化博物館の別館はまさにその強烈な存在感をもって来場者を迎え入れ、古くは日本銀行京都支店として人が行き交っていたであろう歴史ある格式高い空気感が今もそこかしこに漂い、そんな空間で作品が楽しめる。

Bunpaku-2

Bunpaku-1

今回はインドのプシュパマラ・Nの展示ということで、森村泰昌のように自分自身をさまざまな役柄に変身させて、根強い因習やジェンダー規範などへの問題提起を試みた作品群が展示されている。2階では彼女のインタビュー映像作品が視聴でき、インドのカースト制や民族誌的な知識がないと難解な内容であるのは否めないが、ずっと撮影用のメイクをしてもらいながらしゃべり続けたり、被った冠の衣装が対話の途中でズレてくるのがどうしても気になってしまう様子だったりを観ているうちに、プシュパマラさんへの親しみがわいてきたりする。

ASPHODEL
 「自分自身の身体を作品にする」という意味では、こちらのレティシア・キイ「LOVE & JUSTICE」もストレートに迫ってくる。コートジボワールで生まれ育ち、髪の毛はまっすぐでなければならないという俗習にみまわれていたところを、かつての植民地以前のアフリカ人女性たちの髪型の多様性を知ることで「自然な私」を受け入れ、そこから表現活動を通して女性へのエンパワメントへとつながっていく。それにしても自分の髪でここまで作り込むか!?と驚かされる。
Img_9664

Img_9667

Img_9670

そしてこの力強い展示が、祇園という特殊な場所のまっただ中を選んで設営されているということもポイントである。
(これとは別に、京都滞在時に撮影した作品たちが出町枡形商店街で展示されているのだが、私はまだ観ておらず)

Img_9645

東本願寺 大玄関
京都に住んでいると、なかなか具体的な用事がない限り、こうした「ザ・名所」には立ち入らないわけで、今回のKGでこの場所が会場になったおかげで、おそらく初めてじゃないかと思う訪問となったのが東本願寺だ。

Higashihonganji-1

このイーモン・ドイル「K」は、作者の急逝した兄、そして兄にあてて母親が書いた手紙がモチーフとなり、追悼としての作品が捧げられている。有料会場にしては展示の規模が小さく感じるのだが、この「大玄関」が普段は非公開となっている希少な場所ということで、そこでアイルランド由来の音楽とともに、その場を流れる風を味わってみたりした。

Higashihonganji-2

Higashihonganji-3

両足院
逆に「ここは無料でいいの!?」となったのが建仁寺のなかにある両足院、エリック・ポワトヴァン。ここは庭園とともに日本家屋の佇まいにとけ込む絵画のような繊細な写真作品を堪能できる。襖絵のような大きなプリントが、余白の美とともに存在感を放っている。時間帯によって日の傾き具合で少しずつ色彩がうつろう世界。

Img_9617

Img_9643

ちなみに庭園のなかをサンダルで歩いて茶室の窓からのぞく作品は、「だから何?」と思うかもしれないので、近くにいるスタッフに作品の意味を訊ねることをお勧めする(スタッフは自分からは話しかけないし、ましてやお寺の会場なので、静寂をできるだけ保とうとしている)。

Img_9626

堀川御池ギャラリー

同じく無料会場でがっつり展示が楽しめる場所として紹介したい。これはメイン・プログラムではないが「KG+SELECT」という関連イベントとして、審査員から選ばれた国内外10組のアーティストの作品を集めて展示し、ここで審査のうえ選出された1組には、翌年のKGのメイン・プログラムとして開催権が与えられるというもの。

私がとくに見入ったのがウルグアイのフェデリコ・エストル。まず説明文でノックアウトされた。「ラパスやエル・アルト近郊には、毎日3000人の靴磨き職人が客を求めて街に繰り出している。彼らを特徴づけているのは、周囲に気づかれないようにつけているスキーマスクだ。近所では、彼らが靴磨きの仕事をしていることは誰も知らない。」とはじまり、「え!? どういうこと!?」となる。続きはこの以下の画像からぜひ読んでみてほしい。
Estol1

こういう社会があり、こういう人がいて、そしてそれをアートのチカラで変調させる可能性があるということを知らせてくれる展示であり、「うむ・・・ぜひ来年のKGのメインプログラムになってほしい・・・もっとこの人の作品について知りたいわ・・・」と思っていたら、よくよく調べるとすでに今年のKG+セレクトのアワードで受賞決定していたことを知る。おおっ、来年さっそく超楽しみな展示がこれで確定!!

Estol-1

Estol-2

それともうひとつ、香港の何兆南(サウス・ホー・シウナム)による「Work naming has yet to succeed」も印象的だった。香港における2019年の民主化デモにおいて街のあちこちに書かれたメッセージが消去され、その「痕跡」を捉えた写真群が展示されている。「壁の言葉が消されたあと」の光景ではあるものの、実は消えきっていないという、その曖昧な領域が可視化されている。説明文を読まずにさっさと通過して「単なる街の風景写真」だと認識して去っていくカップルのお客さんがいて、「あぁっ、そうじゃないんです! 説明文を読んで!」となってしまった歯がゆさも思い出として残っている。

South-2

South-1

ギャラリー素形
で、その昨年のKG+で展示された作家のうち、アワードを獲得して今年のメインプログラム開催に至ったのが台湾の劉星佑(リュウ・セイユウ)の「父と母と私」という展示。昨年のKG+で観た、「父親にウェディングドレス、母親にスーツ」を着させて撮影した作品群がインパクト大で、その圧巻の「両親シリーズ」の発展系ともいえる内容が今回じっくりとメインプログラムとして鑑賞できるわけで「フシギなご両親との久しぶりの再会」のような感覚で展示会場を歩いた。

Sugata-1

性別役割の固定概念を問いかけるシリーズから、さらには父親が兵役をつとめた土地に赴いて制作した作品など、家族の歴史をたどっていくことでそのメッセージ性がより社会的なものへと昇華していく感じがあったが、それにしても映像で展示された、ご両親の「足踏みダンス」みたいなナゾの動きが延々と展開していく作品が絶妙にジワジワきて、目が離せなくなった。表現行為の原動力には作者にとってのシリアスで切実な想いがあるのだろうけれど、それをファニーなタッチで「作品」にしていくことで、観る者の心情にグッと入り込んで、不思議な角度から共感を呼び起こすような、そういう作品たちであった。

Sugata-2

Sugata-3

・・・と、ここまで書いても、まだ「誉田屋」の石川真生「くろちく万蔵ビル」の甲斐啓二郎の展示について書ききれていない! そしてタテーシにとって最重要な「京都新聞ビル・印刷工場跡」のJRの展示についても、今回はあえて触れずにこの記事をアップしようと思う。なぜなら「京都新聞ビルはマストだから」。ここを行かずしてKGは始まらないし終わらない。すでにSNSではたくさん写真が拡散しているけれども、最後のネタバレについてはまだこのブログでは書きたくないので、そういうのも含めてぜひこれはマジで京都新聞ビルの展示「Printing the Chronicles of Kyoto」は多くの方々に味わってほしい。

本当ならもっと洗練された記事にしたかったけれども、もう連休も終わってしまうので、エイヤッとこの記事を公開させていただきます。

Jr
▲JR京都駅の壁面にJRの「クロニクル京都」の壁画が会期終了後もしばらくは展示されているとのこと!

| | Comments (0)

2025.02.09

映画『ドリーミン・ワイルド:名もなき家族のうた』を観て、音楽環境の時代的変遷を実感したり不変の家族愛に心うたれつつ、どうしても映画に没頭できずにひとりツッコミを入れ続けたりしたこと

「実話に基づく映画」が好きだ。
たぶん、自分の立っている世界とどこかで地続きであるという実感をもって観ることができるからかもしれない。

さて今回観た映画『ドリーミン・ワイルド:名もなき映画のうた』(公式サイトはこちら)は、米国ワシントン州の田舎で、広い農場で暮らすエマーソン一家の物語だ。父親は楽器を与えるだけでなく、音楽スタジオをDIYで建造して、2人の兄弟は農作業の手伝いの傍ら音楽づくりに没頭していく。兄のジョーがドラムを叩き、弟のドニーが歌いつつギターやその他の楽器の多くを手がけ、曲も次々とドニーが生み出していく。

そして1979年、ドニーが17歳のときにエマーソン兄弟は『Dreamin' Wild』というアルバムを自主制作で完成させ、レコードを大量にプレスするのである。
Dreaminwild

ただしそれは片田舎での話であり、そこから販路をもって広げていく術もなく、その作品が陽の目を見ることはなかった(たびたび、エマーソン家の地下室などに未開封のダンボールの山が置かれている様子がうかがえて、自分もZINEの冊子とか自作Tシャツの在庫などをダンボールにひたすら抱えているだけに、人ごとではない切なさに共鳴する)。

その後も才能溢れるドニーは音楽の道を捨てきれずに奮闘するも、「夢」は夢のまま年月が過ぎていく。ところが約30年の時を経て、あるコレクターが骨董品屋でこのレコードを発見し、その音楽性を賞賛すると、ネット時代ゆえの「バズり」が生じて、一気にこのアルバムおよびエマーソン兄弟の存在が再評価される事態となり、レコードの再発やメディアからの注目、それに伴うライブ演奏の機会がめぐってくるのだが、そんな急展開の状況においてドニーには無邪気に喜ぶことができない葛藤が押し寄せてくる・・・というストーリーだ。

そして今この「あらすじ」を書いていて気づくのは、これはあくまでも「ドニー側からみた書き方」であり、この映画を観た後の心情から振り返ると、例えば兄のジョーの視点だったり、または惜しみなくすべてを注いで彼らを信じ続けてくれた両親の側からの視点で捉え直して「あらすじ」を書いてみたくもなる。私が冒頭で「エマーソン一家の物語だ」と書いたのは、そういうことなのだ。これは音楽の映画であるだけでなく、まさに家族をめぐる映画だった。

映画の最初のほうで、何も状況を把握していないエマーソン家(田舎暮らしで、ネット社会で起こっている音楽業界のことなんかには無関心だったのだろう)を訪ねてきた音楽プロデューサーがいかにこの作品に注目が集まっているかを力説し、少しずつ事の重大さが認識されていくシーンなんかは、素朴な気持ちで観ているこちら側にとってもだんだんと微笑ましい気持ちがこみ上げてくる。

しかし事態はそんな単純な話ではなく、そこからドニー個人にとってはいわば「遅れてきた試練」のような展開になっていくわけだが、それをふまえて一歩引いて現実のところで考えてみると、「この映画を作る話そのもの」も、リアルな部分でエマーソン家にとってはある意味で「試練」みたいなものがあったのではないか、と想像してしまう。大昔に子どもたちが青年期特有の熱情で作った音楽作品の、予想だにしなかった再評価に関わる家族間の、どちらかというとあまり表だって言いにくい「過去」の話を、この映画を通してドキュメンタリー的に追体験させてしまう、このあたりは実際のエマーソン家のなかでどういう昇華のされかたがあったのだろうか。こうした「音楽の再発見による家族の夢の新たな展開」と「夢を追っていた家族の歴史の露呈」の二重構造が途中からうっすらと気になってきたのだが、最後にはそのあたりも映画作品としてうまく着地させていった、とも言える(これから観る人のために詳しくは書かないでおく)。

それにしても、この兄弟が残したアルバムをよくぞ発掘してくれた! とも言いたくなる。映画を観る前から「予習」としてサブスクだったりYouTubeで実際のエマーソン兄弟の演奏を聴いていたわけだが、この『Dreamin' Wild』収録曲の、とくにラストの「My Heart」なんかは、果てなく広がる大地の地平線から立ち上がってくるような気配から奏でられる繊細なフレーズに、何度も繰り返して聴きたくなる中毒性がある。当時10代だった彼らがこうした音風景を自分たちのハンドメイドで結晶化させていったことは、確かにひとつの奇跡的な味わいがある。


(でもなぜかこの曲は映画のなかでは使われなかった。エンドロール向きだと予測していたのだが)

で、ここからはかなり下世話な感想・・・。

この映画では私の超好きなズーイー・デシャネルが、ドニーの妻、ナンシーの役として出演している。
そのことは映画を観る前から理解していたはずなのだが、そのせいで、どうしても私はスクリーンに現れるのが「ドニーの妻のナンシー」ではなく「うわー!ズーイー!」という存在感で捉えてしまうがために、映画の世界のなかで
どれだけドニーが苦悩しようが、
いらだちを見せようが、
つい反射的に

「おいおい、ズーイー・デシャネルが奥さんなんやから、それ以上人生に何を望むねん!?」

・・・というような気持ちになってしまうわけである。

気を取り直して「いやいやいや、ここはドニーの煩悶にフォーカスして、共感しないと・・・」となるわけだが、どうしてもズーイー登場時には元通りになってしまいがちで、物語世界そのものへの没入がそのつどリセットされるような感じになってしまい、その点についてはもう本当に本当にエマーソンさんご一家の皆様には申し訳ないと頭をさげたくなるし、純粋な気持ちで映画を観続けられていなかったことを平謝りするしかない。

結論:それにしてもズーイーはあいかわらず超絶ステキ。

いやいやいや、違う。違うんです。
(この記事の冒頭で「実話に基づいた話は自分と地続きだ」とかなんとか書いたけど、ズーイーに関してはまったく地続きじゃないですね・・・はい。)

(無理やり話をかえて)
あ、子ども時代のドニーを演じた印象的な俳優ノア・ジュプさんは、なんと『フォード vs フェラーリ』に出てきたケン・マイルズの息子役でもあったとは! それは気づかなかったぁー!!(すっかり大人になって!) この映画も実際にあった話を基にした作品になるわけだが、実際に起こったとは思えないほどにあらゆる点でドラマチックなモータースポーツ史の1ページを完璧に描ききった傑作で、コロナ期の果てにどうしてもスクリーンで味わいたいと願い、恐る恐る映画館に行って観た作品という意味でも、自分にとっては印象深い映画なのであった。

(たぶんコロナのこともあって、この映画をほとんど客のいない映画館で観たことは表だってブログに書かないままだったと思われる。)

| | Comments (2)

2024.12.14

取引先の営業さんが書店経営を妄想させてくれる件

私の職場にはいくつかの書店の営業担当の人が出入りするのだが、私は業務的に直接関わることはないため、普段そんなに話をする機会はない。

それが、ある日たまたま某大型書店の営業さんとしばし立ち話をするという状況になり、ふいに「これからの書店のありかたについて、何か思うところはありますか」という、唐突にデカいテーマの話題を振ってきたのである。

なので私も調子に乗って、思いつくままアイデアをダラダラと述べた。

例えば、書店の「有料ファンクラブ制度」はどうか。書店そのものに深くコミットしたい消費者はたくさんいると思うのだ。
そういうファンだったら、バックヤードの作業の一部とかをボランティアでもやってみたい人がわりといるんじゃないか(そんな悠長なことをやっている場合じゃない! と現場の書店員さんは思うだろうけど)。

ファンクラブ会員だったら、自分が買って読んだ本についてのレビューや的確なフィードバックを、出版社側にダイレクトに伝えることに前向きに取り組むだろうし、他の会員さんたちの感想文だって読んでみたくなる。
微力ながらも出版文化へのささやかな貢献を果たしたいというニーズは、読書好きならすごくあるはずなのだ。

あと私が力説したのは、最近ではスーパーマーケットに自動運転の掃除機マシンがウロウロし、ファミレスでは配膳ロボットが動き回っているような状況なので、そういう仕組みを応用し、週に一回でいいので、閉店後の大型書店のすべての棚の状況を画像化してスキャンできる仕組みをつくり、それらをネットで閲覧できるサービスはできないだろうか。別にこれは全店舗でやる必要はなく、最も売り場面積の大きい店舗の棚だけで充分である。
ただ、そこで知り得た情報をもとに、当該の本をその書店ではなく他のネット書店や古書店で発注してしまう客が多くなるかもしれないのだが、、、でもこうしたサービスは、忙しくて書店を回れない人や、とくに地方に住んでいる人にとってすごく有用だと思うわけである。リアル書店に足を運ぶ意義のかなりの部分が、そうした「最新の棚の状況を見ながらウロウロし、未知の本との出会いを求める」ところにあるからだ。

以上のような妄想めいたネタを語って聞かせて、営業さんも立場上「なるほどー」と話を合わせてくれて、そのときはそんな感じで話が終わった。


で、数日後にその営業担当さんが、私にピンポイントで話しかけて「こんな情報を持ってきました」とやってきた。

それは、トーハンによる書店開業パッケージ『HONYAL』(ホンヤル)がサービスを開始した、というリリースだった。

日本の書籍流通において、トーハンをはじめとする取次業はその独自の立ち位置でしばしば議論されることがあるが、このたびの新規サービスというのは、一言でいえば「小規模でも本が売れるようにハードルを低くしてサポートする」というものだ。

詳しくはウェブサイト(こちら)を見ていただくとして、要するに一般的な意味での書店が減少していくなか、個人書店だったり、あるいはカフェや美容院といった「書店じゃない業種」のところにも書籍の販路を一定のクオリティで増やしていくことで、「本と消費者の出会う場所を少しでも増やしていく」という狙いをもって展開していくようなのだ。

なるほど・・・と思ったが、

Inzaghitukkomi
いや、ちょっと待ってよ、なんでこのハナシ、僕のところに持ってきたん!?

つまり、僕にインディーズ書店をやれっていうことか!? 

「こいつは本屋をやりたがっているだろう」って思われてんのか!?

なので、トーハンの新しい動向そのものより、この営業担当さんの動きのほうに軽く衝撃を受けたわけである。

そんなわけで、このごろの私はこの営業さんのなかで「実は本屋をやりたがっているかもしれない事務員」と見なされつつ、そして私は私でふとした拍子にキテレツな本屋を営む妄想にかられながら日々を過ごしている。

| | Comments (0)

2024.08.17

ラヴェル「ボレロ」とドリフ大爆笑

あまり普段からクラシック音楽を聴くわけではないが、「ボレロ」は昔から一番好きな曲かもしれない。

この夏に映画『ボレロ:永遠の旋律』公式サイトはこちら)が公開されることを知り、それとなくモーリス・ラヴェルとその代表曲「ボレロ」について改めて調べてみると、この曲は1928年に発表されていて、ラヴェル自身は第一次世界大戦時に従軍経験があり、いわゆる戦間期を生きた人ということで、「この曲って、そんな最近に作られてたんですか!?」となり、そういうことを今までまったく知らずに「ボレロはいいな」となっていたことを強く反省し、ラヴェルさん申し訳ありませんでしたという気持ちでさっそくこの映画を観に行ったわけである。

Bolero

私にとって「ボレロ」の最大の魅力を挙げるとすると、これは「人間の一生」を感じさせる楽曲だからである。なぜそれを確信させるかというと、この曲の特徴である「規則的なリズム、パターン化されたフレーズの繰り返し」というのが「人工的」だからである。人工的というのが、ひるがえって「人の手によるもの」を強く意識させるというのが興味深いところであり、この曲は「大自然の雄大さを表現してみました」とかいうのではなく、徹底的に「人間そのもの」を追求した音楽なのだとずっと感じていた。

で、この映画の冒頭ではラヴェルがダンサーのイダ・ルビンシュタインを伴って工場を訪れるところから始まり、絶え間ない機械の作動音のなかから生じる「音楽」を感じてほしいとラヴェルがイダに力説しようとする。映画のパンフレットのなかでも、ラヴェル本人がこの「ボレロ」を工場の機械からインスピレーションを得て作ったと発言していたことが書いてあり、あぁやはりこの曲は自分がそれとなく感じ取っていたとおり「人工的なコンセプト」で生まれたのだと改めて認識できたのは個人的な収穫だった。

そんな「ボレロ」という曲は、さまざまな楽器がそれぞれ同じフレーズを順番に演奏していき、それらがだんだんと厚みを増して最後にひとつの荘厳なサウンドへ昇華していくさまが、まるで人生のその時々の出会いや出来事が積み重なっていくかのように感じられる。つまり生涯の終焉に向かっていくなかで「人生で起こったことはすべて意味があったのだ」というような想いに至る、ある意味での「調和」として結実していくような、そういうイメージを強く喚起させるところが魅惑的である。

でも今回の映画を観るまでまったく知らなかったのだが、この曲はイダが踊るためのダンス曲として依頼を受けて作曲に取りかかったもので、つまりは締め切りに追われてなんとかギリギリのところで生み出された仕事なのだった。

「人生の調和」とか言っている場合ではないほどに、プレッシャーのなかで極限まで追いつめられてインスピレーションを得るべく苦闘した末に生み出された曲「ボレロ」は、結果として誰しもが認める傑作となり、歴史に残る名曲へとなっていくのだが、しかし実はその影でラヴェル本人はこの曲を憎むようになってしまう・・・という知られざる秘話がこの映画の見どころの一つになるわけであるが、「創作した本人でも計り得ない強大なパワーを持つに至った芸術作品」というのは、得てして作り手である本人をも飲み込んでしまう、そういう底知れぬ危険なまでの魅力があるわけだ。

---

ところで、この「ボレロ」という曲について個人的にずっと不満に思ってきた点が一つだけあって、それは曲の終わりかたについてである。

静かな雰囲気から始まり、打楽器のリズムだけは通底音として規則正しく続いていき、だんだんとクライマックスに向けて盛り上がっていく展開の曲にあって、どうも終わりかたが性急な感じがして、せっかくここまで積み重ねてきた聴き手の高揚感のやり場が、なんだか急にあっけなくストンと奪われるような、そういう感覚が拭えないのだ。

で、これを書くと熱心なファンから物を投げつけられそうだが、私はそんな「ボレロ」の「急な終わりかた」に、どうしても昔の「ドリフ大爆笑」のコントをなんとなく連想してしまうのだ。コントのオチがついて、いかりや長介がカメラ目線で「ダメだこりゃ」とつぶやいて「♪チャララ~ン、テンテケテン!」といった感じで終わっていく、あのシメのBGMっぽさを想起してしまうのである。
すまん、ラヴェル。

そういうフトドキ者がこの映画を観ているもんだから、劇中でラヴェルがこの「ボレロ」の曲の構成について説明をするシーンでは、つい手にチカラを込めて見入ったわけである。そこでは「最後に激しく爆発して、人生のように終わる」というようなセリフが述べられていた。映画なので実際にラヴェルがそう言ったかどうかはもちろん定かではないものの、このセリフを私は「なるほど、人生か・・・」と襟を正す気分で受け止めた(あ、ウソ、Tシャツ姿で観てました)。

映画を通して考えてみると、この「人生のように終わる」というのは、ラヴェル自身のライフヒストリーを思うと共感できるような気がした。やはり彼にとって戦争体験の影響を免れることはなかっただろうし、ラヴェルは体格的に恵まれていなかったことから、本人としては不本意ながら救護班や物資の運搬役として兵役についていて、それゆえにたくさんの兵士たちの生死の境に立ち会いながら極限状況を渡り歩く役目を担っていたことがうかがえよう。そしてさらには最愛の母を戦争期のまっただ中に失い、そこからしばらくは音楽活動もできなかったほどに衝撃を受けたわけで、突然に大事なものが失われていくという彼の死生観やトラウマみたいなものが少なからず戦後の作曲活動のなかに反映されていったとしても不思議ではない。

その一方で野暮な見方をしてしまうと、「ボレロ」の作曲というものが締め切りのある仕事だったということで、依頼を受けたダンスの時間枠という「商業的な制約」も強く意識されていたために、理論上は延々と続けることができる感動的な旋律であっても「ハイ、時間がきました! ここでダンスは終わり! 仕事完了!」というノリで曲を締めくくった、という可能性もある。本当はこっちのほうが実情に近いのでは・・・と思えてきて、私はそんなラヴェルさんの肩をたたいて労いの言葉をかけてあげたい気分にもなったわけである。

| | Comments (0)

2024.06.07

新作ZINEをつくった(ある意味で)

ひきつづき、KYOTOGRAPHIEの話である。
(うん、『ロス』は続いている)

京都芸術センター会場ではジェームス・モリソンによる「子どもたちの眠る場所」という展示が行われていた。

Img_7229

世界中のさまざまな境遇にある子どもたちを訪ね、写真家はすべての子どもたちの姿をできるだけ同じ条件でポートレート写真に収める(つまり、そこには「すべての子どもは平等である」という意味合いが込められているとのこと)。そして彼らの「寝室」を、これもできるだけ同じ角度から撮影し、そうしたプロジェクトから今回の展示においてセレクトされた世界の子どもたちの写真が並べて置かれている。

訪れた鑑賞者は、大量消費社会のなかで豊かに暮らす子どもの寝室の写真を目にしたかと思えば、その裏側に歩を進めると、過酷で悲惨な状況下で粗末な寝台をとらえた写真や、そこで毎日眠る彼らがどういう暮らしをして、どんな夢を持っているかといった説明文を読み、さまざまな社会背景や家族関係のありかたに直面し、その子どもたちの身の上を案じることになる。

写真家自身はただ淡々と、子どもたちの姿と寝室の写真を並べ、彼らの生活の様子を完結に書き添えて提示しているだけである。ただし、次々と並ぶ作品を観て歩く我々はそれらを淡々と受け止めるわけにはいかず、さまざまな感情が静かに沸き起こってくる、そういう展示だった(あえて導線を定めず、作品の間を自由に行ったり来たりできる設定にしているのも効果的だった)。

そして会場である京都芸術センターも、かつては小学校として使われており、そういう意味でも子どもに関する展示をここで行うことには意味があったと感じる。

その意義に呼応するように、この「子どもたちの眠る場所」とは別に、同じ敷地にある別の建物で「KG+」と銘打ったKYOTOGRAPHIEのサテライト・イベントの一環として、子ども写真コンクール展「しあわせのみなもと」の展示も行われていた。そこでは日本の子どもたちが応募した写真のなかから選ばれた作品を、和室の大広間で鑑賞することができた。

Img_7215

私はボランティア・スタッフとしてこの京都芸術センター会場では一日だけ入らせてもらったのだが、その日に割り当てられたシフトのうち、最初のコマと最後のコマの計2回、この「しあわせのみなもと」の子ども写真展フロアを担当した。1コマが50分くらいで、スタッフの数の関係上、このエリアは1人きりで担当することになっていた。

Img_7214

で、この子ども写真展の部屋の脇には、さまざまな紙や文房具類が置かれたスペースが用意されており、ちょっとした工作を楽しめるようになっていた。
スタッフはこの工作スペースのところに座りつつ、来場者が来たら畳の部屋の前で靴をぬいでもらうよう案内したり、人数をカウントしたりするのが主な仕事だった。
その傍らで、この工作スペースにもお客さんがやってきた場合はその応対もすることになっていて、ここでは「A4紙でミニブックをつくってみよう」という解説書が置いてあり、主にそういう趣旨で工作を楽しんでもらうようになっていた。

Img_7227

そんなわけで、朝一番のシフトでこの場所を担当することになった私としては、この「ミニブックをつくってみよう」の解説書をみて、「お客さんが来た時に、このミニブックの作り方を教えられるようになっておかねば」と思い、さっそくA4用紙の束から1枚の紙を手に取ったのだが、このときすでに心の片隅で「自分も何か描くしかないよな、こうなると」という気持ちでいた。

もう、そりゃあね、
描かずにはいられませんよね、何か。
紙を折ってミニブックの形を作って、
空白のまま放置するなんて、
できませんよね。

ましてや朝一番の開場直後だったので、お客さんはそんなにやって来ない時間帯だった。
使える時間は50分ぐらいで、そのなかで紙を折り、ペンを取り、書き上げたのが以下である。









Img_7222
Img_7223
Img_7224
Img_7225
Img_7226

「即興ZINE」を久しぶりに作ったわけで、ある意味で「新作」となった。
限定1部だけど。

ちなみに、すでにこの工作コーナーには、同様のミニブックの「サンプル」がいくつか置いてあった。いろんな色紙を切って貼り付けたり、何かの写真を切り取ってコラージュのように貼っていたりする作品などが置いてあり、私の「ZINE」もそのなかに混ぜて置いておいた。


こうして時間が過ぎていき、夕方の閉館前、最後のコマで再び私はこのフロアの担当となった。

どうせなら作りますよね、もうひとつ。
ええ、せっかくですし。

で、この時間帯になるとお客さんもわりと多く、隙を見て少しずつZINEを作るという状況だった。
そしてこの工作コーナーにも親子連れが留まり、2組ほど時間をかけて娘さんがミニブックを作り、それをお母さんが見守っていたり、一緒になって作ったりしてくれていた。

こういうとき、子どもにとってはスタッフのオッサンにずっと作業を見守られるのもウザいかと思うので、私も自分の作品づくりに勤しみつつ、ときおり他の来場者に対応しながら、工作を続ける子どもたちやお母さんにたまに声をかけたりした。お互いが黙々と各自の作業をして、ちょこちょこと会話するぐらいの、そういうスタンスがちょうどいいんじゃないかと思った。

こうして閉館時間がまもなくやってくるという緊張感もあったなか、私が描いたZINEがこれである。








Img_7230
Img_7231
Img_7232
Img_7233
Img_7234

そしてこの作品ができあがる頃には、工作コーナーに残りつづけていた娘さんとお母さんとも、お互いの作品を見せ合うこととなる。さぞかし変なオッサンだと思われたことだろう。でも最後にお母さんは、娘さんと私が作品を手にして並ぶ写真を撮って帰った(笑)。

そういう思い出と共にこの日のボランティアが終了した。

最後にスタッフ全員で終礼のミーティングを行ったが、私が作った2つの作品のことは黙っていた。
でも数日後、あの会場の担当だったサブリーダーさんと別のところで再会したとき、私があのZINEの作者であることを認識してくれていて、そしてあの作品が「スタッフみんなのお気に入り」になっているということを教えてもらい、久しぶりに味わう種類の達成感があった。

あともう一つ印象的だったのが、写真祭が開幕した直後に誉田屋源平衛の会場――中国の2人組・Birdheadの展示が行われ、ここもなかなかの会場だった――でスタッフに入ったときに一緒だった高校生の男の子がいて、そのときはお互い半日だけの業務だったのもあり会話もあまりできないまま解散したのだが、会期の最終日に再び誉田屋でのシフトに入ったときにたまたまその高校生くんとも再会し、ボランティア同士の会話の鉄板ネタとして「このほかに、どこの会場のスタッフに入ったか」という話になったわけだが、彼は京都芸術センターの担当になったときに私の作ったZINEを目にし、すぐにその作者が「このまえ誉田屋で一緒にボランティアをしたあの人だ」ということを認識したとのこと。ほとんど会話していなかったこのオッサンのことを、あのZINEを手にしただけで思い至ってくれたということに、なんだかグッとくるものがあった。

| | Comments (0)

より以前の記事一覧