カテゴリー「旅行・地域」の記事

2021.07.31

ひたすらロンドンの地下鉄に乗ったり駅をウロウロしている動画

 先日ひさしぶりにharukanashowで喋らせていただく(こちら)。前回トークしたのがちょうど一年前だったことを知り、驚く。ついこの間のことのようだったが、このコロナ禍の日々がいかに早く過ぎていったかを実感・・・。
 収録日において、直近に迫りつつあった東京五輪開幕への違和感だったり、サッカーの欧州選手権やF1イギリスGPでのお客さんの入りっぷりへの不安などを語らせていただく。
 これを書いている時点で開幕一週間を経ているのだが、なんかもう、東京および全国各地での感染者の増加傾向を思うと、素直に五輪を楽しめるモードではまったくない。あと一週間後にはどうなっていることやら、この危なさや先行きの不安感を我々一般人が(税金払いながら)引き受けなければならないことへの憤慨にまみれている今日この頃である。


 そんなわけで、相変わらずテレビはそこそこにYouTubeに依存している日々である。


 以前、Watched Walkerについて紹介したが、最近新たに見つけたのは、それのロンドン地下鉄バージョンともいえる「London Underground First Person Journey 24/7 Livestream」という動画で、収録した映像をつないでひたすら24時間配信している。リンクは(こちら)。



 撮影者はひたすらロンドンの地下鉄に乗り、ホームに降りるや乗り換えのために駅構内を歩き回って、また違う地下鉄に乗り・・・その繰り返し。そうしてあの空間における音や情景をカメラに収め続ける(ただし、なぜそんなに急ぐのかっていうぐらい早足で移動したがるところがあるので、もうちょっと落ち着いて行動してよと言いたくなる)。そもそも地下鉄なので窓の外の風景が楽しいわけでもなく、下方のテロップのおかげで、かろうじて今はどの線の、どの駅の区間を動いているのかが分かるわけで、地味といえば地味な試みだ。
 動画として「見る」という以上に、そのまま部屋のBGMとして流しっぱなしにしてもいい。基本的にうるさいだけなのだが(笑)、車内アナウンスだったり、時おり聞こえる「Mind the Gap」の機械的な音声だったり、レールがきしむ音のデカさっぷりだったり、ドアの開閉のときになる電子音だったり、すべてがロンドン暮らしをイメージさせる音として、心和む。


 それと同時に、こうしてカメラを携えてやたら地下鉄に乗ったり降りたりを繰り返しているこの撮影者は、どうしたって不審者のようにも見られるかもしれない。しかしイギリスの国らしいというか、冷徹なほどに他人には干渉しないムードが車内にもうかがえて、そのうえでこういう動画撮影が成り立っている気もする。


 そして最近撮影した動画がほとんどのようで、あきらかにコロナ禍の影響で地下鉄の乗客や駅構内を歩く人が決定的に少ない。なのでこれを見ながら、どのみちちょっと切ない気分にもなる。「そこにいない自分のこと」と、「今はそこに行くことができない、ということを納得しなければいけない自分のこと」があって、そのうえで「コロナ禍のいま、ロンドンはこういう姿になっている」ということを知り得る手段のひとつとして、いくばくかの感謝の念をもってこの単調な動画を眺めつづけている。

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2021.03.28

ちょっと昔のロンドン・バスの「あの部分」を再利用したバッグ・小物類をハンドメイドする京都の「SANS-SERIF」に出会ってテンション上がった日のこと

すごくひさしぶりに京都市役所前のゼスト御池を通りがかった。
そのまま地下鉄に乗ろうと思ったわけである。

イベントスペースでは、クラフト・雑貨を扱うお店のブースが立ち並んでいて、そこを通りすがりにたまたま目に入ったものがあり、思わず足が止まった。

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このロンドン・バスの写真のタペストリーを見た瞬間、そこにある品物が何を意味するかが「!!」とパッと分かるようになっていた仕組みも、さすがだと思う。

やーーーー、これはねぇ、もう、絶対、足が止まるでしょう、ロンドン大好き人間にとっては。

つまりこういうことである。

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あの古いバージョンのロンドンバスの、行き先案内表示に使われていた部分を再利用して、バッグなどを作っているわけである!

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つまりはFREITAGのようなコンセプトで、産業分野で使われた素材をリユースした一点物ばかりであり、どれも欲しくなる(笑)

京都を拠点に活動している「SANS-SERIF」、その代表でデザイナーの藤川和也さんという方がブースにおられたので、しばしの時間、お話をうかがえた。

あのレトロな行き先表示の部分は単純に紙類のように思っていたのだが、実際には古くはリネン生地だったり、その後はタイベックというポリエチレン系の素材だったりして、とても軽くて丈夫なのだった。現地でコレクターが収集しつつも、多くは破棄されるようで、それらの素材を仕入れてカッティングや組み合わせをデザインし、京都の鞄職人さんが帆布で縫い合わせていく。おそらく知る限り世界で他にやっているところはない、とのこと。

ロンドンの公共交通全般におよぶ独特の書体は、エドワード・ジョンストンがデザインしたフォントが100年前から使われていて、この行き先標示の文字の印刷はシルクスクリーンで行っているとのこと。よーく見ると、ところどころに線の微妙なうねりがあったりして、それも味わい深い。

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そして、ロンドン以外の地域だと、黒白だけでなく緑や青色が標示に使われることもあるようで、上の緑色のものはポーツマスで走るバスのものだとか。

こうなると、思い入れのある場所の地名が入っている商品を探してしまいたくなる。土地の記憶と結びつく一点物のプロダクト、ひたすら素敵である。

あらためて同社のHPは(こちら)へ!

あぁ、ロンドン行きたい・・・(笑)

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ちなみに。

このSANS-SERIFさんのブースを後にした直後に気づいたのだが、よくよく考えると、私がこのゼスト御池を通過して地下鉄に乗ろうとした経緯もシンクロニシティ的にすごいものがあった。

そもそも、三条駅付近でお昼ご飯を食べようと思ったが、目当ての店が混雑していたので京都市役所の近所まで移動してご飯を食べた。本当はここまで来る予定は当初はなく、そしてこのあとの用事は、地下鉄でいえば一駅先の烏丸御池駅周辺が目的地なので、本当は歩いてもよかったのだが、このときはたまたま地下鉄に頼ろうと思い、ゼスト御池の地下街に降りたのである。

そこで上記のSANS-SERIFさんに出くわして感動したわけだが、その後わたしが地下鉄に乗ったあとにやろうとしていた用事というのが、これがよりによって「コピー屋さん(京都カンプリ烏丸店)に行って、ロンドン中心部の鉄道路線図の大判プリントを行う」というものだった(笑)。

どういうことかというと・・・

実は私は家のトイレに、ロンドン地下鉄や近郊の鉄道がすべて網羅された案内地図の現物を壁に貼っていて、あたかも鉄道マニアのごとく日々これらの駅名を眺めて暮らしているのである。また最近は、英語の発音を家で練習するきっかけとして、それらの駅名を(現地の車内放送ばりに)いかに発声するかの練習を繰り返しているのである。そうなると、細かい文字で書かれた駅名が読みにくいため、いっそのこと最新版の路線図をPDFでダウンロードし、パソコンの画像ソフトで加工し、壁のスペースいっぱいまで貼り付けられるように拡大したものを自作しようと思い立ったのである。

そのファイルが完成したので、それをコピー屋さんに持っていって大判のA1サイズに印刷してもらおう・・・と思って、そのためだけに出かけたのである。それがこうして、ひょんなことからロンドン交通局のあの伝統的な書体をモチーフにしたバッグを扱うデザイナーさんと出会い、話をさせてもらったわけで(ひとまずこの日はキーホルダーとマスクホルダーを購入させてもらいました)。

興奮冷めやらぬ感じで地下鉄に乗って、そこであらためて「あ、今から自分、あの書体がたくさん書かれたロンドンの路線図を印刷するんだった」と気づいた次第(笑)。いやはや、こういう日もあるもんで・・・

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▲こうして大判の路線図が手に入り、トイレの壁面へ(笑)。これでどの駅名もしっかり読めるようになった!

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2020.12.13

ロンドン・ナショナルギャラリー展・・・には行ってない

ロンドンネタが続くのだが、それだけロンドン禁断症状が出ているということでお許し願いたい。

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▲EU離脱したり移民に厳しかったりするものの、ヒースロー空港に到着すると、あちらこちらでいろんな職業の人が愛想良く「ウェルカム」と親しげにポーズをとっている看板に出くわす。このタクシー運転手のおじさんの写真ですら、次に出くわしたときには感極まってしまうかもしれない。

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さてコロナ禍で外に出られないのに、予定通り「ロンドン・ナショナルギャラリー展」は日本で開催されていて、いま大阪に来ている。
ただ、いろいろ迷いつつも私は行っていない。コロナ禍で極力外出を控えているという基本姿勢もあるが、そもそも入場にあたっては事前申込み制だったり(思い立ってフト行けない)、それなりに「さっさと観てさっさと外に出なければいけない」プレッシャーがうかがえるので(好きな絵は立ち止まってずっと観たい)、あまり積極的に「行くぞ!」とはなりにくい。

ちなみにナショナルギャラリーは、いろんな部屋ごとに雰囲気が異なる壁紙が貼られているのだが、私はナショナルギャラリーでそうした壁紙を「観賞」するのが密かな楽しみだったりする。これはもう、すべての旅行者に伝えたいのである。「ナショナルギャラリーは、展示物だけじゃなく、壁紙もチェックやで!マジで!!」と。壮麗な壁紙が、天井の高い部屋でドカンと張り巡らされているわけで、絶妙な配色だったり模様の見事さだったり、私はときどき何もない壁に向かってですら、うっとり立ち尽くすのである(冷静にふりかえると、珍客だ)。

(とはいえ、ナショナルギャラリーに限らず、大英博物館とかその他のミュージアム系でも軒並み壁紙はきっとオシャレだったりするとは思うが)

ミュージアムの中では写真が撮れないから壁紙の記録を持ち帰ることもできず、頭のなかのイメージだけが残っているのだが、ふたたびあの壁紙の世界に戻れる日をひたすら待ち望む。

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▲昔のロンドン旅行の写真をいろいろ見返して自分をなだめている。何気ない1枚に新鮮な発見があったり。これは完全にジャケ買いだったアイスコーヒー。よくみると「ポラロイドカメラの写真みたいに軽く振ってください」っていう但し書きが。

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2020.11.22

ひたすらロンドンを散歩する動画シリーズ「Watched Walker」に心から感謝する日々

 よりによってというか、私がいま一番行きたい国である英国が、欧州においてコロナ禍で最大の死者数を記録してしまっており、今後いつになったら安心して訪れることができるのかと途方に暮れている。
 で、コロナ禍になる前からずっと注目しているYouTubeの動画シリーズ「Watched Walker」が、この状況下においてなおさら私の生活において欠かせない存在となっている。

 内容を説明すると、ただロンドンの街をカメラを持って歩き続けるだけの動画である。撮影している人の名前もよく分からない(なので仮にウォーカー氏としておこう)。ただひたすらWatched Walkerと称して動画をひたすらアップしている。



 だいたいのエリアを決めて、あとはカメラを手にダラダラと歩いていく。たまに編集が入るが、基本的にはカメラ長回しである。近年のカメラの性能の良さなのか、手ブレなども起こらずにスムーズにウォーカー氏の歩が進む。ロンドンのさまざまなストリートの歩道を黙々と進み、走り抜けるクルマの音や、行き交う人々の話し声が淡々と記録されている。そしてウォーカー氏は銅像などのモニュメントとか、ちょっと変わった建物の前にきたときは歩みを止めてカメラをしっかり向けてくれたり、たまに大通りから狭い路地にフッと曲がってみたりするときは「お、そっち歩きますか!?」と思わせたり、彼なりの面白がりかたが反映されている。
 つまりは、旅行者である我々が体験する街歩きのシーンがそのまま動画になっている。誰も知らないし、そんなに劇的なことがあるわけでもなく、その街の日常的な時間と空間がただ静かに流れてゆく、あのとき味わう感覚そのものだ。

 NHKの番組「世界ふれあい街歩き」も同じように旅行者目線で街並みをゆっくり進んでいくカメラワークが楽しめるが、テレビ番組ゆえに、現地の人に積極的に話しかけて関わろうとするし、人に誘われてよく知らない場所に連れて行かれたりする(そういう意味ではあまり教育的によろしくない向きもあるが 笑)。それと比べるとWatched Walkerは何もしないし誰とも関わらない。ウォーカー氏はほとんどの動画にナレーションを入れるわけでもないし(たまに話してる動画もある)、撮影にあたっては建物のガラスなどに自分自身の姿が反射して写らないように気をつけていることも伺えて、極力自分の存在を消すことを意識している(でもそれとなく映る姿から推測するに、自分と同じぐらいのおっさんっぽい)。そうしてただひたすらリアルな時空間を共有してもらおうとしていて、そこが「旅行欲」にかられている視聴者にとって、とってもありがたい。

 また、このコロナ禍においてはロックダウン前後のロンドンの様子もウォーカー氏は積極的にアップしており、ジャーナリスティックな使命感(?)も伺える。「あんたこそ、そんなに外でウロウロしてて大丈夫なんかい!」と言いたくもなるが、これなども後々になると非常に貴重な記録になるのだろう。

▲東京でいう銀座、オックスフォード・ストリートでお店が全部閉まっていて通行人がぜんぜんいない状態

 同じようなコンセプトで街歩きの様子を動画として発表している人は他にもいて(Sanpo_Strollなど)、そういうのを探すのも最近は楽しい。

 そんなわけで、毎晩寝る前に私はテレビのYouTubeアプリを開いてウォーカー氏の歩くロンドンの街並みを楽しませてもらっている。あまりにもお世話になっているので、寄付サイトでドネーションを送ったりもしたが、今度思い切ってメールで改めて感謝の気持ちを伝えたいと思う。早くこういうしんどい状況が収まって、みんな元気に街を歩ける日が戻ることを願いつつ。

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2020.10.10

『岐阜マン』の単行本!!!

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 10年ほど前に名古屋のシマウマ書房さんで初めて出会ってから魅了されっぱなしのフリーペーパー漫画『岐阜マン』が、エムエム・ブックスから今年の春に単行本として刊行されています!(こちらで!!) プヒャー! こういう日が来るとは・・・! ツカハラさんおめでとう! これはぜひ実物を手に取って欲しいのだ。なぜなら、この作品がフリーペーパーの小冊子の集まりであることが手触りで分かるようになっていて、背表紙が実質存在しておらず、現物オリジナルの雰囲気をそこねることなく、そしてちゃんと本のカタチに綴じられている。岐阜マンの存在感と同様、どこか不可思議な装丁になっているのだ。

 そして何より帯と「あとがき」は岐阜出身の女優・菊池亜希子さんが書かれているのがすごーーーい!(私、おっさんですが「マッシュ」数冊持っているぐらい、密かにずっとファンなんです)。

 こうしてまとまった形であらためて読むと、岐阜のあらゆる場所へ岐阜マンと猫のシェフチェンコはフィールドワークをして楽しんで、その積み重ねの結果が、じつにオルタナティブな岐阜観光ガイドとして成り立っている。東白川村ではみんなで集って幻のツチノコを探す「つちのこフェスタ」なんてイベントがあったり、飛騨古川では廃線の鉄道レールの上をマウンテンバイクで走れるルートがあったり、岐阜のあちこちに気になるスポットが増えていく。

 岐阜県というひとつのエリアを丹念に歩き回って取材されている作者ツカハラさんは、きっといつも岐阜マンたちの姿を感じながら道中を楽しんでいるんだろうなぁと想像する。フリーペーパー漫画のひとつひとつは単発で作られるが、コツコツと積み上げていくことで、気がつけばとても大きな山を登っていることになる。その持続力、岐阜への愛、そこがすごい。

 岐阜マンファンの次の夢は、念願のFC岐阜とのコラボレーション!?(笑)

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2020.08.22

実在した名前

 その昔、自作フリーペーパー「HOWE」を友人知人だけに配る感じの範囲で書いていた頃、オマケとして「ゴールキーパー・ジョンの不安定な冒険」というマンガをつけていた。友人たちはわりと楽しんで読んでくれていたと思う(さらに当時のHOWEを読み返すと、自分の知らない読者に向けては、感想文を送ってくれた人へのお礼としてこのマンガを送り返そうとしていたようだ 笑)。

 ただし、私は今でもそうだが持続力や計画性といったものに非常に乏しいため、この作品は未完のまま、第4回で力尽きてそれ以後まったくマンガは描いていない。

 ちなみにこのマンガを描くことになったきっかけは、2001年にはじめてロンドンを訪れて街中を歩いているときに、突然「ガンガンと大量に降ってきた」のであった。数歩進むたびに不思議なぐらいに次々とキャラクターやストーリーが思い浮かんできて、最終回に至るオチまで思いつき、そのたびに立ち止まってメモをつけていった。どうしてこんなに創作のアイデアが一気にわいてくるのか自分でもよく分からなくて、そんな体験はあのときだけだった。おそらく、言葉の分からない世界でひとり黙々と歩き続けていくなかで、普段は使わない領域の集中力みたいなものが研ぎ澄まされていったのだろうか。よく音楽アーティストがわざわざ海外でレコーディングすることがあるが、そうしたくなる気持ちがそのときすごく共感できる気がした。

 というわけで、帰国後すぐにインスピレーションにまかせて創作した、とある国のとある弱小サッカークラブ「FCペンシルズ」というチームを舞台に、実在の人物をモデルにしたキャラや(主人公のジョンは、当時フランス代表キーパーだったファビアン・バルテズがモデルだ)、まったくの創作キャラを交えて、マンガを描いてみたのだった。

 

そのなかで、自分の創作したキャラに「トークマン」という選手がいる。

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このように、設定としては「常にブツブツと何かをつぶやいていて、試合のときは相手に語り続けて集中力を削ぐ『つぶやき作戦』を得意とするディフェンダー」である。
喋りまくる男だから「トーク」+「マン」であり、それだけの単純なネーミングであった。

で、話は急に先日のことになるのだが、早朝テレビをつけたらNHKのメジャーリーグ中継が放送されていて、ニューヨーク・ヤンキースのスタメンの選手名を実況アナウンサーが読み上げていたら、

「トークマン」

という言葉が耳に入り、

「ええええええーーー!?」と反応し、すかさずスマホで写真を撮ってしまった。


トークマンって人名、実在していたのか!?

 

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※画面の傾きっぷりから、いかにあわててカメラを向けていたかがうかがえる。

ただし調べるとスペルは「Tauchman」ということで、まぁ、そういうものだよなと納得した。

いつかサッカー界のトップレベルでもトークマン選手が現れてほしいものである。

★★★

今回のおかげで久しぶりにこのマンガのことを思いだし、手元の保管資料を発掘して読み返してみた。若干恥ずかしい部分もあるが、第2回と第4回の内容をスマホで撮ったので、画像で置いてみる。

第2回「新シーズン開幕!の巻」。設定では「いつまでも現役にこだわる超ベテランストライカー」のスチュワート選手が当時42歳ということで、気がつけば彼の年齢を自分が越えていたことにショックを受けている。

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こちらは第4回「ピッチの中心で、ウソを叫ぶの巻」。「セカチュー」が流行っていた頃なのね。

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ペンシルズ監督のイレイザー氏がよく頭突きをするのは、それを「イレイザー・ヘッド」と名付けたかったからである。元ネタの映画は観たことないんだけど(笑)

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2020.07.05

ウイリアム王子は「シードル男」だった

 前にこのブログでも紹介したが、イギリスのウイリアム王子はホームレス体験を率先して行ったことだったり(この記事)、2011年の結婚直前のときは仲間と公園でサッカーを楽しんだことだったり(この記事)、何かと親しみを覚える人物である。

 でも個人的に親しみを覚える大きな理由は、私より年下なんだけど、私と同じように頭髪環境が非常に寂しいところにある。もし実際に会って話をする機会があれば、「ハゲトーク」で分かり合えて仲良くなれる自信がある。そもそも王室の人間なんだから、本当だったらカツラでも植毛でも何でもし放題だったはずなのに、頭髪を自然のままにさらすメンタリティにも大いに敬意を表したくなる。ウイリアム王子がそういうスタンスなので、私も自らの頭髪環境はナチュラルさを保とうと誓っている。

・・・って、何の話なんだ(笑)

 それはそうと、先日のニュースで、そんなウイリアム王子がロックダウン解除を前に、とあるパブを訪問したことが報じられた(こちら)。
 王子であれ庶民であれ、パブでお酒を飲んだり誰かと語らう時間はイギリス人としての欠かせない人生の楽しみのひとつなんだろう。
 その報道のなかで感じ入ったのは、ウイリアム王子は自らを「シードル男」と称していて、このとき注文したのは800円ほどのシードルとのこと。

 私は普段あまりお酒を飲まないのだが、梅酒とかシードルはだんだん美味しく感じられるようになってきた。確かに飲み屋さんのメニューでシードルが置いてあるとそれを頼みたくなる。
 うむ、ウイリアムもシードル派なのか。ますます親近感がわくじゃないか。今日から私も「シードル男」と名乗ろうかとすら思う。

 ちなみにウイリアム王子がこの日頼んだシードルは、アスポールというメーカーのものらしい。自分は今まで見たことがない。通販で仕入れたくなってきた。

<追記>そのあと7月4日にイギリスでは「パブとかレストランとか、営業再開!」となったとたん、街中にみんな押しかけて、すごい浮かれっぷりになっている様子が伝えられていて、ちょっと心配にすらなってくる(例えばこちらの動画)。でもまぁ、こうなっちゃうよなぁとも思う。

 

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2020.05.17

フロッシュ洗剤の匂いに、旅の記憶を呼び起こさせられる

10年ほど前に一人暮らしを始めるにあたって、長姉から「これはおすすめ」と、フロッシュの食器洗剤でアロエの香りのするタイプのやつを専用ボトルとセットでもらった。

 

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 水を混ぜて薄めて使うから経済的で、手にもやさしそうだし、特に食器洗剤にこだわりもなかったので、その後もずっとこのタイプを使い続けていた。

 で、ついこの間、洗剤のストックが切れそうなので買い足すべく、近所でフロッシュ製品を扱っているお店に行った。

 すると、どういうわけかこのアロエのタイプのものだけが売り切れていた。いつでもこの店で手に入ると思っていたのでストックがなくなるギリギリまで買わなかったことを後悔し、そしてこんなコロナの状況下だから、買い物のために外出する回数をできるだけ減らしておきたい気持ちもあったので、「仕方ないからたまには別のタイプの洗剤を試してみるか」と思い、「重曹入り」を買って帰ったのである。

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 フロッシュはドイツのメーカーがリリースしているはずなのだが、重曹入りのことを「Juso Plus」と書かれると、これは日本市場向けの製品なんだろうか、なんだか柔道がオリンピックで「Judo」と表記される感覚と似ているなぁ、などと思ったのが第一印象である。

 そしていざ使ってみると、この10年間近くずっと同じ種類の食器洗剤を使い続けてきたというのは、すなわちそれ以外の匂いが少しでもすると、「必要以上に匂いを強烈に意識する」ことを痛感したのである。

 最初の印象は、「すげぇ外国っぽい匂い!!!」である。うむ、これはもともとがドイツのメーカーだから、そりゃあそうなのかもしれない。ただ先ほど書いたように、もしかしたら日本だけに向けて企画された商品かもしれないという、かすかな推測があったので、なおさら「Juso」の日本語なまりの製品名からは対極にあるような「むっちゃ異国情緒」の圧力が押し寄せるこのフレーバーには、まず面食らった。や、「鼻に食らった」というべきか。

 そして次に浮かんできたのは、まさに「匂いの記憶」というものであった。人間の嗅覚が呼び起こす記憶にはしばしば驚かされるものがあるが、私にとってこのJuso Plusがかきたてたのは、「イギリスかドイツかアメリカのユースホステルの台所」だった。私の人生では海外でユースホステルに泊まったことがあるのは今のところその3カ国だが、自分でご飯を作ったりお皿を洗ったりするシチュエーションにおける、「あの場所の匂い」が、この洗剤のフレーバーと強く結びついたのである。

 なので、「久しくユースホステルを泊まり歩くような旅行もしていないな」とか「たまにはああいうちょっと不便な状況に身を置くのも楽しいよなぁ」とか「フツーに海外旅行行きたいよな、いま」とか、洗剤ひとつでいろいろなことを、食器洗いのつかの間のひとときに考えたりする日々が今続いていて、このアクの強い匂いにも親しみがわいてきている。

ひょっとしたらそのうちこの匂いにも慣れて、何も感じなくなるのかもしれないが。

 

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2020.02.24

「時代より先に狂う戦略」:U2の90年代を思いつつ、昨年末の来日公演のこと

 思えばU2というバンドを聴くようになったタイミングは1991年のころで、中学生だった私は洋楽を聴こうと最初に手に取ったのが『魂の叫び』という邦題のアルバムだった(きっと当時から何かを叫びたかった子供だったんだろう)。そこから過去の作品を次々さかのぼっているうちに、リアルタイムで彼らは90年代最初のフルアルバム『アクトン・ベイビー』を発表することとなる。そのときの自分が熱心に過去の作品をたどっていた、80年代の熱くイノセンスな、そしてときに政治的なメッセージを込めた曲を演奏しているバンドと、現在において発表された最新アルバムの間には、なんともいえない別人格のような雰囲気があり、メディアでもこのU2の変貌をどのように受け止めるべきか迷っている雰囲気があった。いったいどうなってしまったのU2、ということだった。

 しかしこうして当時のことを思い返すと、あのときのU2の激変ぶりは、90年代を乗り越えるための絶妙な「戦略」だったということをあらためて実感できる。それは私なりの印象でいえば、「時代より先に狂う」ということだった。

 80年代における成功を勝ち取った汗くさい純朴なバンドがそのまま次の10年を迎えるにあたり、シーンのなかで急速に古くさいものと見なされて居場所を失っていくことを察知してか、この「時代より先にU2のほうが狂っていく」というあり方は、見事に効いたのである。それまでの「クソ真面目バンド」から「ケバケバしい派手好きロックスター」をあえて演出し、いわゆる「ポップ三部作」において打ち込みサウンドを積極的に取り入れたこのバンドの姿は、今だからこそ、それはすべて計算ずくの「暴走」だったということが伺える。

 たとえば90年代最初のツアーにおける「ZOO-TV」というコンセプトは、おびただしいモニターに無数のコトバやヴィジュアルが洪水のように観客を包み、錯乱ぎみの「ロックスター・ボノ」が様々な「仮装」をまとい、ステージ上からピザを注文して客席にふるまったり、ホワイトハウスに電話をかけてジョージ・ブッシュを呼びだそうとする。そしてライヴパフォーマンスと連動したヴィジュアル・アートの試みとして「架空のテレビ局」が共に動き、映像の洪水を垂れ流し、現実世界でリアルに進行中の湾岸戦争を強く意識した映像をもフォローしつつ・・・特にライヴのオープニングにおける、当時のブッシュ大統領の宣戦布告スピーチ映像をサンプリングして「We Will Rock You」とラップさせつつ「Zoo Station」のイントロに至る流れなど・・・「いったいあんたたちは何様なんだよ」というツッコミこそ、この実験的なツアーの神髄を言い当てていたかもしれない。つまり今から振り返ると、これはインターネット時代の到来を音楽ライヴとヴィジュアル・アートの形で表現した先鋭的なものだったと言えるのだ。誰しもが「誰でもないもの」になりえる、「何様」も「誰様」もない匿名/虚構のサイバー空間にただよい出る自我と、「どこでもだれでもたどり着ける混沌とした空間世界=近い将来に訪れるマルチメディア環境が解き放つ明暗」や「グローバリゼーション時代の到来における困惑や混乱」を表現しようとしていたU2。いやはや、私はついぞ映像でしか体験できていないが、あらためてあのツアーは音楽のみならず情報メディア史においても特筆すべきプロジェクトだったのである。

 こうして無事に2000年代を迎え、U2は「原点回帰」をうかがわせる『All That You Can't Leave Behind』を発表して、かつての素朴で純粋なU2が戻ってきたと全世界が確認し、すべては丸く収まり、そしてもはやそれ以後はこの地上で何をやっても無敵の存在となった。以前からもボノはロックスターの立場を利用して「世界一顔の売れている慈善活動家」となっていたが、この頃からさらに活動に注力してアフリカ諸国の債務帳消し運動などに邁進していく。したり顔の人々からは「偽善だ」という批判の嵐を浴びるものの、あの90年代の「先に狂う戦略」を思い起こせば、そんな逆風は彼にとってまったく無意味なのかもしれない。音楽がなしえる、人種や国境を越えた共感的パワーに支えられ、あらゆる壁を打ち壊すべく1ミリでも何かを動かそうと「熱量」を絶やさずに、偽善でも虚栄でもひたすらその信念を押し通すこと。それは当代随一の“クソ真面目ロック歌手”ボノだからこそ果たせる「やったもん勝ち」の闘争姿勢なのである。そうしてU2は今年でデビュー40周年。いつまでも変わらない4人、そして未だに仲良しな4人のおっさんたち。数十年のキャリアのなかでロックスターが陥りやすい変なスキャンダルもまったくなく「世界一、野暮ったいバンド」と自称して笑いを誘いさえする、それがU2である。

「終わりなき旅」とはよく言ったもので、その邦題がつけられた曲が収録されている『ヨシュア・トゥリー』のアルバムを全曲演奏するというコンセプトでワールドツアーが行われており、昨年12月4日にさいたまスーパーアリーナで行われた来日公演を観た。98年の「POP MARTツアー」のときにはじめて彼らのライヴを観て以来、20年近い時が流れてしまった。ちょうど当時の大阪ドームでのライヴを、たまたま別の場所でみていた同級生うめさんと、今回は一緒にチケットをとってライヴを堪能した。

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 もはや自分もいい歳になり、そしてそうそう何度もU2にお布施できる機会もないだろうから、今回はいろいろがんばったおかげでアリーナの前方スタンディングに乗り込んだ。いわゆる「出島ステージ」にも近くて、ラリーのドラムの背後あたりで、ドラムの生音が、会場全体にスピーカーを通して聞こえるドラムの音と当然ずれて届いてくるわけで、この距離感でU2の4人が演奏している時空間に、もう胸一杯の夜だった。セットリストとかどうのではなく、ひたすらホンモノのU2が目の前で演奏していて、そして技術の進歩を感じる広大なスクリーンには、アントン・コービン(写真家であり、あとジョイ・ディヴィジョンを描いた映画『コントロール』の監督もしたけど、すごい作品だった)による映像が鮮烈だった。

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 我々を囲む客の多くは外国人だったのも印象的だった。ひょっとしたら観光ついでにこのオセアニア~アジアツアーをバンドといっしょに回っている人も多いのかもしれない。そしてこれは今振り返って気づいたことなのだが、音楽ライヴ会場での「困りごと」でよく言われる「近くの客のほうが大声で歌い続けて、アーティストの歌声が楽しめない」という状況があるが、どういうわけか、このU2の現場では、まさに大声でみんなが歌う状況であっても、それを不快に感じることがなく、なんなら自分も歌うぞという勢いになってしまったほどだ(でも、肝心の英語の歌詞がよくわからないんだった)。会場の中心部だったからか、客の歌声に負けないエナジーがボノの歌にも、バンドサウンドにもこもっていて、その音圧が迫り来る状況だった。つまり、歌を聴くこと以上に、我々オーディエンスがこの現場で最も求めていた「熱さ」がそこには炸裂し続けていたかのようで、そうしてひたすら最後まで、いろんな民族が一緒になって歌い続けていた気がする。

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 そんなわけで、『ヨシュア・トゥリー』の80年代黄金期の曲たちをすべて演奏しつつ、新旧の名曲をおりまぜた圧巻のステージ・・・なにより、ボノの歌声の力強さが失われていなかったことがうれしかった・・・をカラダ全体で味わい、あらためてU2というバンドの存在に深い感謝の気持ちを抱いた次第である。
 終わったあとうめさんと会場の近所の居酒屋でゴハンを食べていたのだが、この夜に店内で流れていたBGMがずっとU2の曲だったのも、またよかったなぁ。

 

 そういうわけで、ライヴに行ったことからこのブログの記事を書きはじめてみて、あらためて90年代のことを思い起こさずにはいられず、自分なりにコトバにしてみた(2ヶ月ちかく、書いては消しを繰り返していたわけだが・・・)。でもこの「時代より先に狂う戦略」というのは、実は今まさに日本で生きている自分たちにとって重要な示唆を与えてくれるものになっているかもしれないな、と。それはまた別の機会に考えていきたい。

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2019.09.16

水俣病を学ぶ旅

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このあいだ、初めて水俣市に行く機会があった。現地では「水俣病センター相思社」のスタッフさんのガイドによって、水俣病に関するいくつかの関連場所をめぐることができたのだが、この問題は過去の歴史どころか現在進行形で今の時代に地続きであるということを改めて思い知った旅となった。

 まず印象的だったのは、肥薩おれんじ鉄道「水俣駅」を降りると、駅の正面すぐにチッソ社(現代はJNCという社名に変わった)の正門がドーンと鎮座していることだ。企業城下町という表現があるが、まさにここはそうなのである。歴史的に塩づくりが主要産業だったところに、近代的なハイテク工場を誘致したことで、この一帯は周辺地域から働き手を集めることとなり、街が形成されていった。さらに対岸にある島々から、「いつか子供や孫の代が工場で働けたら」の望みをもって、漁民が移り住むようになり、それが町外れの漁村を形成していったわけである。こうした事情により、近距離の範囲内で「都市部と農村部」がセットで急速に発展したという特徴があり、私のように農村の生活を知らず、物心ついたときから「企業に勤める」という「文化」に囲まれてきた人間にとっては想像力が試されるところだ。水俣病を考えるにあたり、「そもそもチッソはどういう企業として日本のなかで発展していったのか、それに応じて地域住民がどのようにひとつの企業を受容していったのか」という「前史」を知ることがとても重要だということをその場で実感した(無知ゆえに私はそうした話の時点でお腹いっぱいだったのだが)。

 このように「豊かさ」をみんなで求めていったはずの街や村に、やがて水俣病の公害汚染が引き起こされていくわけで、あらためておだやかな内海を取り囲む対岸の島々を実際に見やると、内海ゆえの地理的条件のなかで有毒汚水が対流・沈着していく感じを体感的に想像してしまう。説明によると当初チッソの工場は鹿児島のほうに作られる見込みだったのが、いろいろな経緯で水俣に誘致されたとのことで、もし海流の違う地域に作られていたら、こうした公害に伴う問題の発見は遅れていたり、文字通り水に流されていたかもしれないという可能性も考えさせられる。

 JNC社と名前を変えたチッソ社は現在も水俣で工場を稼働させているし、その周辺にあるさまざまな会社もほとんどがチッソの関連会社として動いていて、当初はチッソ工場内にあった購買部までもがそのまま発展して地域のスーパーマーケットチェーンにまでなったりもしていて、あらゆるものがチッソ社とともに「発展」していって、今に至る。

 それゆえ、住んでいる人々も多くはチッソの関連会社で勤めているわけで、こうした地域で「公害の歴史」を風化させずに共有し続けることがどれほど難しいことか、相思社の方の語りの端々にそれが伺えた(たとえば、地元であればあるほど、そこで育つ子供たちの親の多くはチッソに関わる仕事に就いてるため、水俣病公害のことを学ばせることは現場の教員にとって非常に難しい状況だそうだ)。

また同時に、JNC社で開発・製造される工業製品の数々ははまちがいなく今の私の生活にも役立っていたりする。そのこともまた事実である。たとえば私の趣味のひとつが「市民マラソン大会の応援」であることが相思社の人に伝わると、「ランナーの位置を計測するチップの部品などもこの会社で作っているんですよ」と教えられたり。

 そして「水俣病」と、土地の名前がそのまま病名になってしまったことで、この名称変更を求める住民運動も続いているそうだ。そう言いたくなる人々の気持ちも分かるものの(あるいはそれもまた政治的な動きであるのだろうけど)、水俣で起こったことから日本全国や世界へ発信されていったこの痛ましい出来事の存在を示すためにも、やはりこの病名には意義があると個人的には思う。「メチル水銀中毒症」と言われても記憶に残りにくい。

 そうした流れとともに、この水俣病の存在を「環境問題」として捉えさせようとする動きというものも、あちこちに微妙なかたちで漂っていて、「環境問題」となった瞬間に抜け落ちていく「責任の所在」が曖昧になっていくことの居心地の悪さを覚える。いわく「環境問題=現代に生きる私たち全員が責任を負っています」というような。
(それゆえ、当時の状況を伝える看板のたぐいも、そこに書かれる文章のひとつひとつは、多様な“綱引き”によって形成されているので、読解には注意を要することになる)

 見学ツアーのなかでとくに印象的だったのは、公害を伝える「史跡」は、チッソの工場内にもまだ残っていることだった。ガイドの方が工場の塀の向こうにわずかに見える排水浄化装置のことを説明してくれたのだが、これは水俣病の存在が指摘され始めた初期において、病気の原因の疑いが有毒の工場排水にあることを受け、「表向きのアピールのために」作ったものであり、実際の浄化機能はなかったとのこと。こうしたごまかしの姿勢が一定期間続くことで、長らく「空白の年月」として原因究明や公害認定の道のりがさらに遠のいていき、被害をさらに拡大させたことは厳しく糾弾されるわけだが、そうした「経済発展至上主義の影」が形としてまだ現存しているのである。そしてその近くには監視カメラが当然あったりするわけだが、我々はこの何気ない塀の向こうの建造物に、さまざまなものを見いだせるのである。

 その翌日に訪れた市立水俣病資料館では当時の様子を伝える新聞記事のスクラップブックが年代別に並べられていた。最初はネコなどの動物が変な死に方をする奇病として報じられていき、それがやがて地域住民の中にも奇病が発生していることが分かっていき、どんどんその謎が広がりを見せる。しかし一向に原因や改善が見られないことへの戸惑いが、無実の住民の悲痛な姿をとらえた写真(当時の社会規範における許容範囲としてのものとはいえ、非常に生々しく)とともに報じられ、真相をすでに知っている新聞記事の読み手としての自分はこの「謎の病気」をめぐる叫びにたいして、やりきれない思いを抱かずにはいられない。

そうして紆余曲折を経てやがてひとつの原因にたどりつくも、それが一企業の引き起こした「公害」として認定されるまでにはさらに途方もない時間と運動が必要となっていった歴史が、スクラップブックの「背幅」を通して実感できる。先に述べた「偽りの浄化装置」が作られたときの新聞記事ももちろん確認することができ、この「偽り」で表向きの収束を見たのか、このあたりの時代は一気に報道量も減っていき、スクラップブックも薄かったりする。しかしこの「薄さ」の向こうに、健康だったはずの人生を奪われて次々と苦しんでいったたくさんの人々の姿があるはずなのである。

 近々、水俣の問題を追って撮り続けた写真家ユージン・スミスを題材にしたジョニー・デップ主演の映画作品が公開されるとのことで、水俣は改めて世界的な注目を集める場所になるであろう。話によると水俣はロケ地でもなく、セルビア方面で撮影が行われ、細部のディテールなどはどうしても実際のものと異ならざるを得ない内容になっているそうだが、こうした「自分たちでは振り返りたくない過去」を見据えるためには、外部からの視点を持ち込むことが有効なのかもしれない。それはまた、まさに今の日本の政治的社会的状況においても言えることだろう。

 

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