カテゴリー「旅行・地域」の記事

2019.05.20

平成最後の読書と、令和最初の読書

 読みながら、これが平成最後の読書になるのかもしれないと感じたので、4月30日を目標に読み切ったのが『ねじまき鳥クロニクル』だった。最近は「村上春樹再マイブーム期」で、特に近年のインタビュー集やエッセイなどを読んでいて、その流れで重い腰をあげ、今まで食わず嫌いだった長編も少しずつ手を出そうと思ったのである。でもこの作家の物語世界は、一年に一度読むぐらいがちょうどいいかもしれない。『ねじまき鳥』のおかげで、ゴールデンウィークのはじめごろはなんとなくフワフワとした気分になっていた。作者がこれを書いたのが1994年で、その後村上春樹は阪神大震災にみまわれた日本に戻り、オウムの事件に関心を寄せていく時期になるので、そう思うと平成を振り返る時期には図らずもどこかで共鳴していた気もする。

 なので令和になってからの最初の読書は地に足の着いた、現実的な内容の本を・・・と思い書店でウロウロした末に手に取ったのは、地に足が着くどころかずっと浮かんでいるようなテーマ、つまり空の旅についてのエッセイ、『グッド・フライト、グッド・ナイト:パイロットが誘う最高の空旅』(マーク・ヴァンホーナッカー著、ハヤカワ文庫)であった。現役パイロットでありつつ優美な文章を書くイギリス人作家による大空への賛歌。特に印象的だったのは、夜の飛行時における窓からの景色が好きであるという、根っからの「空マニア」としての記述であった。

---

旅客機のすぐ下を、空っぽの大地が流れていく。暗い地表は天国と同じくらい遠く思える。また地表には、人の創った光も自然の炎も思いがけずたくさんある。都市や小さな集落が光によって描きだされる。闇が支配する時間に、光の文字で記された本のページのような地表を眺めていると、夜間飛行は、人間が地上に生んだ光の美しさを再確認するだけのためにあるような気がしてくる。生きとし生けるものすべてが星々に包まれていることを、思い出すために飛んでいるように思えてくる。

----

 暗いコックピットから見る星々は息をのむすばらしさだ。高高度ともなると星々に遠近感が生まれ、夜空は三次元になる。宇宙に“深さ”という言葉を使ってもいいような気がしてくる。古の光が貫く深さから成る、宇宙という名の海だ。
 月のない夜は小さな星まで見えるので、意外にも星座の存在感は薄れる。乱気流や湿気のせいで11キロ下の地表までは届かない弱い光まで見えるがゆえに、星座の輪郭が埋もれてしまうのだ。逆に新しい星座を考えようと思えばいくらでもできる。天の川が初めて本物の川らしく見える。光のひとつひとつが水の粒だとしたら、暗黒を流れる星の雲といってもいい。

----

と、このように美しい文(または見事すぎる訳文)が続くのだが、「なるほど、そんな世界があったのか!」と、いままで夜に窓際の席からじっくり外を眺めたことがなかったことを激しく後悔している。とはいえ、特に夜間飛行のときは、窓は閉めたままにしないと客室乗務員から注意を受けるので、そのあたりは悩ましいところではある。

前回、飛行機に乗って海外に行ったのが2年前のロンドン行きの大韓航空になるわけだが、行きのソウルからの乗り継ぎ便では、ばっちり窓際を予約して、「おろしや国酔夢譚」の世界を思いつつ、ロシア上空での地表の景色を楽しみにしていて、ずっと窓の外を眺めていた。しかしかなり早い段階で「シェードを下ろせ命令」が客室乗務員からそれとなく通達され、なぜこんな明るい時間帯に!? 誰も寝ないのに? これを楽しみに窓際の席を(しかも追加料金で最前列を)予約したってのに!! と納得がいかなくて、ちょっと半開きにしてそのままボーッとしていたら、トイレ待ちで通路にいた子供が、わざわざ身を乗り出して私の窓を完全に閉め切りやがったのである(笑)。いくら大人げないと言われようが、私はそのときばかりは内心、おおいに憤ったぞ。そのことをこの記事を書きながら思い出したわけで、ふたたびまた腹立たしくなってきたので、だから次に飛行機に乗るときは、毛布をかぶって窓をあけてずっと外を見ているかもしれない。こうして私の場合、この本の流れるような文体のごとく落ち着いた優雅な空の旅とはほど遠いのである。

 

| | Comments (0)

2019.04.28

旅先での「寸劇スリ」(寸劇詐欺)にご用心

 仕事の関係で、いろいろな国の領事館などがメールで配信している海外危険情報を目にすることが多いのだが、ロシアの在ウラジオストク日本総領事館がこのまえメールで送ってきた、現地で流行りつつあるスリの手口がなかなか絶妙だったので紹介したい。

 バス停や横断歩道など、そこで立ち止まって何かを待っている状況だとする。あなたの前にはアジア系観光客がいる。そこへ現地のロシア人が近づいてきて、よくみたら目の前の観光客のポケットから財布を奪おうとしている! ・・・のだが、うっかり財布が地面に落ちてしまい、あわててロシア人は逃げ去った。
 アジア系観光客はスリに狙われたことに気づき、後ろにいたあなたに言いがかりをつけて詰め寄るのである。あなたは当然自分は何もしていないと言い張るが、言葉がうまく出てこない。そこであなたは身の潔白を晴らすべく上着やカバンのポケットなどを相手に調べさせることとなり、その混乱に乗じてあなたの所持品が盗まれるという手口だ。

 領事館のメールではこれを「寸劇サギ」と書いてあって、やや緊張感を欠いたファニーな響きを感じないでもないが、他に表現しようのない的確なネーミングでもある。以前からそういうことはあちこちで行われていたのかもしれないが、私はもし自分が実際に狙われたら、たぶんまんまと被害にあう可能性は高いなぁと感じた。

 そもそも現地人のスリの役と、アジア系観光客の役という「配役」が絶妙ではないだろうか。「現地のスリがアジア系観光客を狙う」という、自分にとっても当事者性の高い場面設定のなかに一気に引き込んで、「そこにあったはずの無関係さ」をいきなり排除して、「寸劇のキャスト」に無理矢理組み入れられてしまう感じが巧妙である。

 しかも「スリが失敗する」というストーリーによって、その現場を目撃してしまった人は、いくら勇敢な性格であっても、逃げていくドジなスリをあえて追いかけようとする可能性は低くなるはずだ。場合によっては「被害にあわなくてよかったですね」と、自分から被害者役に近づいてしまいたくなる気持ちも出てくるだろう。そのうえで被害者役のアジア系観光客の予想外の反応にさらされると、冷静な判断力ができなくなる可能性は高い。

 一連の出来事すべてが自分をターゲットにした寸劇だとすると、この状況に少なくとも一定時間は巻き込まれるしかないわけで、なかなかそこから冷静になって「ひたすら逃げる」という判断はかなり難しくなるわけだ。

 よくある海外旅行先での詐欺被害の手口だと、たいていは犯人が被害者に話しかけるところから始まるので、気をつけてさえいれば警戒心マックスで状況にあたれる。よく聞く「ケチャップ強盗」も寸劇の要素があるとも言えるが、事前にそのことを注意しておけば、衣服に突然ケチャップなどがついたことを認識したら、その場で立ち止まって「どうしよう」とか思うのではなく(話しかけてくる奴をガン無視して)ひたすらその場から(できれば怒りを表しながら)離れることで事態はある程度回避できる。そういう直接的なやり方ではなく、寸劇サギは他人同士の偶発的トラブルという事態を通してターゲットの心の隙に入り込んでくるので、これを考えた人のずる賢さには脱帽してしまう。

 こういう詐欺の手口は、悲しいかな常に新しい手法が試行錯誤して開発されていき、うまくいけばすぐ広まっていくわけで、不謹慎だが「その手があったのか!」と唸ってしまう。

| | Comments (0)

2019.01.26

映画『マイ・ジェネレーション:ロンドンをぶっとばせ!』を観て、平成の終わりに60年代ロンドンをあらためて想う

190126

やー、あらためて映像で観てもツィギーはやっぱりステキだ、ホントにステキ。
それが一番の感想かもしれない(笑)。

想像以上に、(良い意味で)“教材的な”内容で、60年代ロンドンのユースカルチャーを捉えていて、これでもかと当時の映像の洪水を見せてくれる。そしてまた、この前後の歴史的展開を照射しつつも、うたかたの幻のようだった刹那の輝き、刺激的かつポップさゆえの儚さ、そういった感傷をも、同時代を知らない我々に味わわせてくれるような時間だった。

この時代の生き証人として俳優のマイケル・ケインがナビゲート役を務めているのだが、ところどころで若き日のケインがロンドンの街を歩き回る映像が差し挟まれていて、このスケッチ的な映像資料が、あたかも50年後にこの映画を作るために記録されていたのではないかというぐらいに見事にハマっていたのも印象的。

なにより、この時代を彩るサウンドトラックも期待通りで、心なしか音質も素晴らしくて、京都シネマってこんなに音響良かったっけ? って思ったぐらい。唯一気になったのは映像のなかで「モッズ」の説明が出てきたときのBGMが(確か)ストーンズだったので「ちょっとそこはなぁ~」って感じになったことぐらい。
DVD版が出たらダラダラと部屋で流しっぱなしにしたい感じ。

そう思うと、この当時の「退廃的とみなされていた」カルチャーの担い手たちがちゃんと元気でいるうちに、こういうドキュメンタリーをちゃんと作っておくことは本当に大事だよなぁと思った。なので今度は誰か英国70年代プログレッシヴ・ロックのちゃんとしたドキュメンタリー映画を作ってくれ・・・と思わずにはいられない・・・(笑)
Img3718
パンフも表紙のデザインが良かった。このメガネほしい。
ちなみに右の渦巻きは、BBC「トップ・オブ・ザ・ポップス」をモチーフにしたマウスパッド(昔、スカパーの懸賞で当てた 笑)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2019.01.02

お店の空きスペースを有効利用。コインロッカー不足に対応したシェアリングサービス「ecbo cloak」を利用してみた

あけましておめでとうございます。
今年もできるかぎりたくさん書いていきたいと思います。できるだけ・・・

---

さて。
旅行などで大きい荷物のあるとき、大都市のターミナル駅などでは、コインロッカーが空いていないことがほとんどである。そしてスーツケースなど大きい荷物になると、さらにロッカーの数が限られている。「荷物預かり所」を設けている駅はよほど大きい駅じゃないとないので、なかなか困るわけである。

それでネットで調べると「ecbo cloak」というサービスがあることを知り、このあいだ初めて使ってみた。
店舗の空きスペースを利用して、ネットを介して「ここなら荷物預けられます」と検索されて、利用者とつなげるシェアリングサービスである。

会員登録をして、自分が預けたいエリアを検索すると、地図付きでいろいろなお店が表示される。そこからは手軽に自分の持ち物の個数などを選択していけば、あとはお店の営業時間に応じて予約ができる。

先日私が使ったのはとあるデパートの服屋さんだったのだが、レジに持っていくと「チェックイン」の作業が行われ、荷物の写真をその場で店員さんが撮影していた。
(何らかの処理が行われるたびに、登録してあるメールアドレス宛に通知がちゃんと来る)

ひとつ注意しないといけないのは、「この時間に取りに行く」ということを現場でも改めてはっきりさせておかないとお店側も困るので、そこだけはコインロッカーほどの気軽さはない(料金は1回いくらなので、もちろん遅刻しそうならあらかじめ電話連絡をすればいいだけなのだが)。

そしてもうひとつこのサービスが興味深いと思うのは、荷物を受け取りにいったついでに、私はその預かってくれたお店の商品もついでにチェックすることとなり、ついつい記念にTシャツを買ってしまったことだ(笑)。また場合によっては、旅先についてのちょっとした情報などもそこの店員さんに質問しやすい雰囲気も出てくるだろう。いくつか検索されたお店のなかで、自分の親しみやすいジャンルのお店を選んだことにより、そうした「旅先での予想外の出会い」も楽しめたわけである。

AirbnbとかUberとかは、日本の行政の強固な姿勢により普及は難しいが、コインロッカー業界においてはあまり既得権益を守る必要がないためか、このシェアリングサービスはすでに利用可能なわけで、今後はもっとお店が参加してほしいと思う次第である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.11.01

永遠に続くかのような、はるか遠い世界をくぐりぬけたような気持ちで読み終えた小説のこと

 だいぶ前に手に入れていたものの、なかなか読む決心がつかなくて、長いあいだ放置していた小説を、ようやく先日読み終えた。


 読む決心がつかなかったのは、その小説があまりにも長いからであった。ひとたび手を着けたら、一気にリズムに乗って読んでいかないと、きっとすぐ飽きて挫折するだろうと思っていた。

 しかし思い切って本の世界に飛び込むと、その心配は不要だった。それぞれの章ごとに、一遍のドラマが始まっては終わっていき、そして次の章へと時間の流れは受け継がれつつ、かすかな関連性が次の章への布石を打っていく。その端々で、その小説が描く空間に実在したであろうさまざまなものへの想いに浸らせつつ、つぎつぎとスリリングで面白いフィクションが展開されていく、みごとな構成の小説だった。


 その本の題名は、ずばり『ロンドン』である。エドワード・ラザファードによる1997年の作品で、日本語版は集英社が発行した。上下巻合わせてだいたい1100ページ。ハードカバー版しか存在しておらず、2冊重ねると8.5センチほどの厚さになる。なので読むのをためらっていた理由のひとつは「一冊が重たすぎる」ことにあり、この数年、この本がひょっこりと文庫版だったりデジタル版で再発されないものかとずっと望んでいたが、どうやらそうはならないようだ。通勤電車の中ぐらいでしか本を読まない私にとっては、この本をずっとカバンに入れ続けた2ヶ月が終わった今、毎朝がどことなく「軽やかな気分」にすらなっている。


London01
 この小説は紀元前54年から、1997年にいたる約2千年にわたるロンドンの、もっといえば「テムズ川とその周辺」を舞台に、フィクションとして10組ほどの家族の変遷を語りつつ、実際の歴史的事象を織り込んで描いたダイナミックな大河ドラマのごとき小説(まさに舞台も『大河』なのだ)である。

 それぞれの時代においてたくましく生き抜き、純朴な人だったり狡猾な人だったりが、幸運や不運に見舞われ、自らの力の及ばない時代の荒波に翻弄されていったりする。それぞれの登場人物やその子孫達の目線から、ひとつの大きな「河」とその周辺の大地が少しずつ発展し、大火や爆撃による崩壊をも乗り越えて現在の姿に至っていく、そのありようを壮大な小説として味わっていくわけで、ロンドンという街が好きで好きでたまらない私のような者にとっては、これまでにない独特な読書体験をさせてもらったと、いまはひたすら作者(と見事な翻訳者)に感謝しかない。


 もっと早く読んでおけばよかったと思うことが何度もあり、話のあちこちで差し挟まれる、考古学的・歴史学的な「ロンドン・トリビア」に触れるたびに、スマホでグーグル地図を調べたりウィキペディアで実物を確認したりする楽しさもあって、今度ロンドンを訪れるときにはぜひ行ってみたい場所がこれでさらに増えまくった次第である。そもそもロンドンには言うまでもなくたくさんの面白い博物館や美術館があって、どれもリピーターとなってついつい再訪してしまうので、時間がいくらあっても足りなくて、他に行くべき博物館がまだまだ残っている有様なのである。なので実は私はいまだに「ロンドン博物館」と「交通博物館」には行けてなくて「今後のお楽しみ」にしたままなのである。次回ロンドンに行ったら、この街の歴史の面白さをじっくり味わえるであろうこの2館は心からワクワクして訪れることができそうである。

 子どもの時から私は歴史の授業が得意ではなく、すぐに物忘れをするためになかなか歴史の流れを記憶することが苦手だと思ってきたが、こうしてたった一カ所の視点から離れずに、ひとつの人類史の流れをたどっていくことが、こんなにスリリングでドラマチックなのかと改めて歴史学の面白さに敬服している。思えば世界史の教科書って、読み進めるとこれまでの出来事がバッサリと後ろに追いやられて、突然次の章からまるで何事もなかったかのようにまったく別の地域の話になっていく展開になっていて、そのあたりでモヤモヤとさせられていたのだろうなぁとつくづく思い至った。そりゃあ限られた時間に生徒たちは歴史的事象を理解・把握しないといけなかったから仕方ないのだが、そのせいでこうした『ロンドン』がもたらしてくれる「定点観測的楽しさ」が味わえないのは歯がゆいところでもある。

装丁のイラストレーションも最高にステキで、帆船が宙に浮かんでいるという空想的コンセプトが、史実とフィクションの混交をうまく雰囲気として伝えているようにも思える。


London02

 なにより最後の最後で、人がやってきては去って行く巨大交易都市としてのロンドンが、古来よりさまざまな民族の移住によって築かれた場所であることを作者は強調して締めくくっているのが印象的であった。それはまさに私がはじめてロンドンを訪れたときに感じ得たことでもあり、現代のアメリカやブラジルの大統領の流れとも関して、また、移民の受入れにあまりにも消極的な先進国に住む者として、読後感にじんわりと残すものがあった。


 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.09.04

フライヤー/フリペ/Zineの整理・保管用に「自宅で展示しつつ収納する棚」をDIYしてみた【7年越しの第2弾】

Img3361

2011年5月にこのブログで私は『フライヤー/フリペ/Zineの整理・保管用に「自宅で展示しつつ収納する棚」を自作DIYしてみた』という記事を書いている。
有孔ボードを使ったフライヤー置き場を自分なりに作ってみたわけだが、かなり詳細に作り方を書いていて、当時の私の「してやったり感」がにじみでている。→記事は(こちら

そして引っ越した後もこの自作棚は活用されていて、今でもさまざまな「紙モノ」がギッシリと挟まっている。

で、この過去の記事をあらためて読むと「あまった板は、この棚づくりが成功したら第二弾を作るときに使おうと思った」としっかり書いてあって苦笑してしまう。
そう、余った棚はその後も7年間にわたり私の自宅に保管されたまま、持て余していたのである。

今年は自分のなかで「部屋のインテリアをしっかりがんばろうイヤー」にしているため、この「有孔ボード棚」のバージョン2を作ることにした。
あれから7年もたつと、とくに旅行先で手に入れるいろいろな紙モノも増えていき、それらをしまい込むのももったいなく、生活のなかで少しでも目に触れるところに置きたいという思いもあった。

そして第二弾を作るにあたっては、「物が乗る部分は、木材を貼り付けるのではなく、ボルトを大量に並べてしまえばいいのではないか?」と思ったのである。

有孔ボードの穴のサイズにもよるが、自分の持っているボードの穴は8ミリだったので「M8サイズ」のボルトとナット、ワッシャーをまとめて仕入れてきた。
ボルトの長さは4cmぐらいがいいかなと思ったが、これは今後場合によって変更してもいいだろう。そう、ボルトで固定していくほうが、何かとカスタマイズ性は高くなるので、木材を貼り付けるよりもよっぽど良いんじゃないかと思える。

そしてボルトを取り付ける前に、ひと工夫を試みた。それはあるインテリア雑誌で有孔ボードの活用事例を見ていたとき、「なぜこの黒いボードはやたら格好良く見えるのか」をいろいろ考えてみた結果、「ボードの穴の側面も黒く塗っているのかもしれない」ということに気づいたのである。なのでマジックでひたすらすべての穴の側面を塗りつぶしていった(この作業でペンは完全に摩耗してダメになります)。

Img_3283
▲ペンで塗っている列の上下の穴の見え方に注目。側面を塗ると、どの角度からみても黒々と見えるわけだ。


たまたま昨日も同僚に「プライベートのとき何やっているかよく分からない」と言われてしまったが、こういうこと、つまり何時間もかけて穴にマジックペンを差し込んでグリグリしているような生活を送っているわけである(塗れたつもりでも板の向きを変えると塗り残しがたくさん見つかって、予想以上に何往復もして塗りまくった)。

こうしてボルトを取り付けていく。
Img_3348

裏面はこんな感じ。かなり適当にニスを塗っている。
Img_3349

そして今回は設置場所として、もともと賃貸で穴を空けてよい木材のレール部分があり、ここから吊り下げようと思った。まずはレール部分を、「カモ井加工紙」の撮影作業向けマスキングテープ「mt foto」シリーズの黒色を仕入れてきて、それを貼り込んでみた。ちなみに有孔ボードの端もこのテープで補強した。このテープはカメラ機材の補修にも使えるぐらい頑丈で発色もよいので、かなり使えることを最近知った。

Img3359

で、ひっかけるパーツについては、かねてからずっと気になっていて、近所にありながら今まで立ち寄ったことがなかった、京都・上賀茂神社ちかくの“インディーズ系”な金物雑貨店「BOLTS HARDWARE STORE」にて、ちょうど欲しかった感じのアルミフックをゲット。
それにしてもこのお店はすばらしかった・・・京都にお越しの際はぜひここまで足を伸ばして来訪してほしい(カフェも併設している金物屋さんっていうだけですごい)。雑貨系も充実していて、こういうお店は本当にがんばってほしい(サイトはこちら)。

カラビナを通してS字フックでぶらさげる方式にしているが、これについては今後の課題。このあたりはテキトーに対処しているので、また何らかのよい方法があればそれに変えていく。

あとは前回同様、ゴムを通していく。
ボードの片面は帽子をひっかけたりするスペースにしてみたり、とにかく思いつきでカスタムが可能。

Img3360
というわけで、ボルト方式でもまったく問題なく紙モノが置ける。木材を貼る手間もないから、とても簡単に作れるので、今後はこの方式をオススメしていく。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2018.07.01

無印良品の「キャリーカート」の外観を、ロックバンドの機材運搬ケース風(実際は大昔のピンク・フロイドのあれ)にステンシルでカスタマイズしてみた件

R0055780
 いわゆるキャリーカートやスーツケースで固いボディの場合は、車輪を床に設置した状態から見ておおむね表面の凹凸が縦向きに入っていることが多い気がする。そのことを意識するようになったのは、無印良品でリリースされている現行のキャリーカート(ストッパー付きハードキャリー)がそういった傾向とは異なるアプローチで作られていて、凹凸が横向きになっていることに気づいたからである。

 そしてある日、この「凹凸が横向きであること」、さらに「それぞれの凹凸の間隔が5センチぐらいあること」によって、私のなかにあるヴィジョンが浮かんだのである。それは次の画像にあるように、「これってピンク・フロイドの『あれ』が作りやすいのではないか!?」ということだ。

Echoes
 
これは1972年の映画『ライヴ・アット・ポンペイ』のワンシーンだが、バンドの持ち込む機材の裏面にはほぼすべて、ステンシルでこの文字が印字されていることが確認できるのである。昨年ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で観たピンク・フロイド回顧展のときは、まさにこのステンシルのロゴをモチーフにしたTシャツが売られていて私は狂喜したのであった。

Pinkfloydlondon
 
そうしたこともあり、このステンシルだったらわりと簡単にキャリーカートにペイントできるのではないか!? となった。

 一度それを思い浮かべるとどうしても作りたくなってきたので、(しばらくはないとは思うが)このデザインが生産中止になる前に買っておかねばと思い、「無印良品週間」を待って「キャリーバーの高さを自由に調節できるストッパー付きハードキャリー」を思い切ってオーダー。


 そうしてステンシルのシート作りに取りかかる。
 今回はWindowsに標準で入っている一般的な「ステンシル」のフォントで違和感なく使えそうなので、それを用いることにした。ちなみに本物をよくみると「LONDON」の最後の「N」だけがなぜか妙な形の文字になっているのだが、そこまでの忠実なコピーはやめて、すべての文字のフォントが整った状態で印字するほうを優先した。描画ソフト(Illustratorなど)を用いて文字を並べて、それをOHPシートに適切な大きさで印刷し、線にそって切っていけば簡単にステンシルのシートができる。

 (追記)ステンシルのフォントを並べたPDFデータはこちらのリンク先で提供します(「PFL.pdf」をダウンロード )。


 
ここからは少し根気の要る作業になるが、文字の切り抜きについては(こちらのサイト)などが分かりやすい。失敗した部分はマスキングテープで補修してみた。

Img3129

 このボディの素材を調べるとポリカーボネイトとのことで、田宮模型のポリカーボネイト専用塗料スプレーを仕入れた。これは普通の模型屋に行っても見つからなくて、店員に聞くと予想通り「ラジコン専門店だったらあると思う」とのこと(ポリカーボネイトといえば、私などは真っ先に田宮のラジコン模型を連想するので)。なのでややマニアックなタイプゆえに、ネットで取り寄せるしかなかった。ホワイトと、クリアーの2種類を調達。




 そしてまずテストとして、小さい星を3つ並べたステンシルを作って、目立ちにくい底面の部分に貼り付け、それぞれの星に条件を変えてスプレーしてみた。左が2度吹き+クリアー1度吹き、真ん中が1度吹き+クリアー1度吹き、右が1度吹きのみ、となった。それで分かったのは、ボディ表面の無数の小さい穴に塗料が溜まる感じになり、一回吹いただけで十分な発色が得られ、強くこすっても塗料がほとんど広がらなかった。左端のは2度吹きのときにおそらく必要以上に塗料がはみ出して、ステンシルの隙間に進入した結果だと思われる。

Img3172

Img3173

 
ステンシルだと独特の「色むら」「ボケた感じ」「荒さ」がポイントになってくるので、あまりきっちりと塗る必要もなく、スプレーは1度吹くだけでいいかもしれないと思った。


 というわけで本番。切り抜いたステンシルを丁寧にマスキングテープで固定し、余計なところも新聞紙などでカバーして塗装を行う。


Img3195

 
もちろん他の多くのキャリーカートのように縦向きの筋が入ったボディでもステンシルを吹き付けることはできるだろうが、パッと見たときの印象でいえば、やはりこの横向きの平坦な部分に文字を入れられるほうが良いはずである。


R0055776
こうして無事に見事に、それらしくステンシルが印字された!(両面やってみた)
R0055779
 
この方法を応用すれば、思い思いに好きなロックバンドの機材運搬用ケースっぽいボディをカスタマイズすることが可能だろう。

 カートを使わないときは収納ケースのようにして部屋に置きっ放しにしていても、それなりにオブジェ的な存在感でインテリアに合わせていけそうなのもよい(自己満足でいいのである、こういうのは)。


 こうして無印のカートのボディは凸凹が横向きになっていることの素晴らしさを最大限利用した作品となったわけである。ナイスデザインなのである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.05.07

自分にとっての平成時代において、おそらく最後の全力疾走になると思えた日のこと

Iiyamast

 今年のゴールデンウィークはあちこちへ移動が激しかったのだが、ある事情で立ち寄った長野県の飯山駅から帰ったときのことを書いておきたい。

 当初手配していた切符は、18:23発の北陸新幹線「はくたか」で金沢駅にいき、そこからサンダーバードに乗り換えて京都に帰るというものであった。

 しかし当日、飯山駅の改札口を通ると、電光掲示板に「50分遅れ」の表示が(この日、北陸新幹線は架線にビニールがひっかかったようで、その影響で大幅な遅れが生じたとのこと。ビニールねぇ・・・)。あわてて改札口横の窓口へいく。すでに先客が切符を手にしつつ駅員さんに問い合わせていて、その話の内容から、まさに私がしたい質問そのものであった。その場にいた3組の客はどうやら全員が関西方面へ金沢経由で帰るつもりだったので「サンダーバードの乗り継ぎは待ってくれるのかどうか」が問い合わせの焦点となった。

 駅員さんも困っていて、金沢駅にその場ですぐ電話で問い合わせてくれていたが、少なくとも我々が乗る予定だった接続のサンダーバードは「待たない」との返答(金沢駅はJRが西日本の所管になることも影響していたようである)。駅員さんも金沢駅への電話のなかで「今ここに10名ほどのお客さんがその予定で切符を持っているのだが、なんとかならないだろうか」と、できる限りの対応をしてくれたが、難しそうであった。

 私は窓口カウンターでノートをひろげて、駅員さんの言ったことをメモしつつ、考えられるその他の手段を検討してみた。まずスマホで「長野からの夜行バス」の可能性を調べ、当日の座席が予約できるかどうかの問い合わせをするか迷ったが、あまりにも疲れていたのでそれはやめておきたかった。飯山駅から南下して関東経由で帰る線ももちろん検討したが、時間が遅くてどうにもいいダイヤがヒットしない。そのことについては駅員さんに聞いてもよかったが、それどころじゃない感じだったのと、もしその可能性があれば先に教えてくれていたであろう。現地で一泊するという可能性は、本当に最終手段である。翌日も大事な予定があったので、できる限り当日中に京都に戻りたい。



 で、こういうとき、お客さんのなかには駅員さんに不満をぶつけにかかる人がいる。怒りたい気持ちは分かる。分かるんだが、偉そうだが私の気持ちとしてはこういうことだ。旅のトラブルは、ある種の「神様からの挑戦状」みたいなものなのだ、と。こういうときには冷静に状況を味わい、最悪でも苦笑い、できれば笑顔で乗り切ってこそ、旅人としての矜持が問われてくるのである・・・そのお客さんが旅行中かどうかは知らないが。

 なので、ノートにあれこれと考えられる可能性を書き付けていくと、周囲の慌ただしさから距離を置いて、落ち着きを保つことができる。新幹線が1時間に1本到着するかどうかの閑散とした改札なので、そのまま窓口カウンターに留まっていても特に問題のない状況だったので気分的には助かった。

R0055104

 その場にいた他の駅員さんたちもいろいろ調べたり問い合わせたりしてくれて、もしどうしても当日中に帰るのであれば、我々が乗る予定だった列車の1時間後に出発するサンダーバードの終電しかない、となった。ただし連休中なので指定席は完売していて、自由席に乗るしかないが、おそらく混雑していて、立ったままの乗車になってしまうだろうとのこと(そして、ムダになった指定席券は行った先の駅で半額だけ払い戻しがされるらしい)。

 

 しばらくすると、金沢駅からの続報として「サンダーバードの終電だけは、遅延した電車の接続のために待ってくれる」ことの確約が得られたという情報が伝えられた。もはや選ぶべきルートはそれしかないと思ったので、そこで私は、いったん改札の外に出させてもらって、駅のコンビニで食料と多めの水分を調達しにいき、その後ひたすら待って、1時間遅れの新幹線「はくたか」に乗った。


R0055103

 この区間だけは指定席なので確実に座ってご飯が食べられるうちに・・・と思い、はくたかの中で、買っておいたおにぎりをまずは食べはじめた。

 

 そして、このトラブルのなかで、考えられる限りの最善を尽くせるとしたら、「2時間立って帰ることになるであろう終電のサンダーバードで、誰よりも早く自由席車両に飛び込んだら、もしかしたら座れる可能性もあるのではないか?」ということだと思い至り、そこで、「時刻表を愛読するほど鉄道業界に明るく、調べ物が得意で、私の状況や事情をすぐに理解して適切なアドバイスをしてくれることが期待できる人物」として、友人のM・フィオリオ氏にLINEで事情説明をし、協力を取り付けた。実は改札の窓口カウンターでやりとりする直前に、彼はまったく別件でLINEを送ってきてくれていたので、頼みやすかったのも大きい。

 

 そして私はこのとき初めて北陸新幹線を利用したことになるのだが、しばらく乗っているうちに、金沢方面に向かうときには、やたらたくさんの長いトンネルがあるようで、スマホではネットの電波がすぐにとぎれてしまうことが多そうだということが分かってきた。そうなるとなおさら、金沢へ着く一時間ちょっとのあいだであれこれと自分のスマホで調べられることには限界があり、フィオリオ氏のほうで安定的に情報を集めてもらって、まとめて送ってもらえるほうが絶対に良いだろうという判断もあった。

 

 私が知りたい情報を要約すると、こういうことだった。「金沢駅で、はくたかが到着するホームから最短ルートでサンダーバードの自由席車両に行くにはどうすればいいか」、そのためには以下の情報が必要だった。

 ・はくたかが到着するホームで、乗り換えに適切なエスカレーターに最も近いはくたかの車両は何号車の、前後どちらの出入り口か?

 ・はくたかが到着するとき、車両の右、左のどちらのドアが開くのか?

 ・はくたかが到着するホームから、どういうルートでサンダーバードの待つホームに向かうべきか?

 ・サンダーバードの自由席車両は何号車か?

 ・最短ルートでサンダーバードの待つホームにたどり着いたとき、もっとも近い場所にある車両は何号車になるのか?

 

 おおむね上記のような内容を調べてもらった。その前提として、新幹線ホームと、サンダーバードのいる在来線ホームのあいだには乗り換え改札を通らないといけないことをフィオリオ氏は書いてきて、「そうだった!」となり、そんな当たり前のことを忘れていた私も実は今回のトラブルでやや参っていたのかもしれない。いずれにせよ私は金沢駅へは人生で2回ぐらいしか利用しておらず、まったく駅内部の記憶がないため、なおさらナビゲートを必要としていた。

 

 そうして、時間を追うごとにフィオリオ氏からはひとつひとつ情報が提供されていった。大げさかもしれないが、このシチュエーションはまるで映画『アポロ13』を思い起こさせた。トム・ハンクスらが地球に帰還するための宇宙船の電源を確保しなくてはならず、手順を少しでも間違えるとアウトとなるため、NASA管制塔からゲイリー・シニーズが苦労して見いだした適切な手順を伝えていく、あの名シーンみたいに思えた。もし仮に私が自由席に座れなくても、今回のトラブルを通して、こうしたやりとり自体がとても楽しく感じられてきた(フィオリオ氏にとっては迷惑で面倒な依頼が舞い込んできただけなんだが 笑)。

 

 こうした情報収集の結果、私がとるべきアクションは次のようにまとまった。

「はくたかの7号車の前寄りの出口でスタンバイ。13番ホームに到着予定なので左側ドアから出て、すぐ目の前に下りエスカレーターがあるので、下ったあと左側に折れて在来線への乗り換え改札を通り、すぐ左の階段で2番ホームに駆け上がり、サンダーバードの5、6、7号車の自由席を目指す(サンダーバードは先頭が9号車)」

 完璧だ。ありがとう、フィオリオ!

 

 幸い私は6号車に座っていたので、列車が金沢駅に近づく10分前には荷物を持ってすぐ隣の7号車の前方出口の左側にスタンバイできた。もはやこれは「勝負」なので、なりふり構わず「ポールポジション」を狙って、ドアが開いたと同時にダッシュするつもりであった。

 

 そして金沢駅に近づくにつれネットの電波も安定してきたので、ここでようやく、念のためJRの公式サイトに掲載されている金沢駅の構内図を見てみた。しかしこの構内図をパッと見て、小さい画面ですぐに何かを読みとるのも難しく、そこで自分のなかでちょっとした混乱を招いてしまい、ムダによけいな質問を次々とフィオリオ氏に投げかけてしまった。このあたりで自分の判断力に迷いが生じてきたのも事実である。

 

 はくたかが金沢駅に近づき、私は左側ドアに鼻を押しつける勢いだった。もし誤作動でドアが開いたら飛び出していただろう。

 

 そうして車内アナウンスが流れる。電車の遅延についての一通りのお詫びのあと、「到着は14番ホーム、お出口は右側です」との衝撃的なお知らせ。

Di_canio_2  

 後ろを振り返ると、4人の若い家族連れ(荷物多め)がいた・・・1時間も遅れてしまった新幹線は時刻表通りに13番ホームには入らないようであった。さっそくのつまずきにウケてしまい、思わず手にしたスマホでフィオリオ氏に「出口14番で右側やった(笑)」、「家族連れがポールポジション(笑)」と続けてLINEに書いて送ったため、その最中に続けてアナウンスされた「乗り換えのご案内」を耳に入れそこねる始末。サンダーバードが予定通り2番ホームにいるか確信がもてないグダグダの状態になり、自分を責めつつ(アナウンスを聞き逃したことはフィオリオ氏には伏せておいた)、4人の家族連れ(荷物多め)の、他愛ない会話の背後で、手にしたカバンをぶつける勢いの私が立ちすくむ構図。

 おそらくこれが『ミスター・ビーン』だと、なんとかしてヒドい手段を講じてこの家族連れを押しのけて右側ドアの先頭に立つのだろうなぁと思っていた。

 

 そうこうするうちに新幹線がホームにすべりこむ。するとフィオリオ氏が教えてくれたように、ドアの窓の向こうにはちょうどいい場所に下りエスカレーターが見えたので思わず笑ってしまいそうになった。できることならその光景を(家族連れの背中ごと)写真に撮りたかったぐらいなのだが、私はカメラではなく切符をしっかり手に持って、これから始まる競争に意識を向けなくてはいけないと自分に諭した(家族連れの背後で笑いをこらえていた時点では、この話をブログに書こうとはまったく思っていなかったため、残念ながら写真記録は取れずじまいである)。

 

 ドア、オープン!

 家族連れがエスカレーターに。

 ハタから見たらタテイシもこの家族の一員だと思われたであろう距離感で後に続く。

 殊勝にも、先頭をいくお父さんが重たそうなスーツケースを持ったままエスカレーターを駆け下りていったので、心から拍手を送りたい気分。ほら、子供たちもお母さんも後に続け! ほら早くーっ!!

 

 自分の足がエスカレーターから降りた瞬間、その家族連れを置き去りにして走る。ちゃんと目の前に乗り換え改札口があり、瞬間的に「現在、改札口を開放しています」という見慣れない案内表示が目に入る。おそらく今回の事情ゆえにそういう配慮をしているのだろうか、とっさのことなので理由を確かめず、開け放たれていたゲートを遠慮なく走り抜け、すぐ左の階段をあがる。

だあぁぁぁーー。

 

 階段の上に2番ホームの表示がみえ、たしかに列車が停まっていて、「9」の文字が車体に。すかさずターンして後ろの車両をめざし、7号車車両に。混んでいた車内で、2つぐらいしか空いてる座席がなかったが、とにかく通路側の空き座席に飛び込む。車内アナウンスが聞こえ、いま乗った電車が無事にサンダーバードであることをそこではじめて確認できた。

 そして間もなく、つぎつぎと新たな乗客がこの自由席車両にやってきて、通路は人であふれる。

 

ウェェェェーーーイ!!!

Olympicmomentsmrbean  

 その場にいた乗客からしたら、北陸新幹線のトラブルのせいで出発が遅れて、ただでさえ夜遅い電車なのに、グダグダした感じであっただろう。そこへ血相を変えて40歳の男が息切れ激しくゼーハー言いながら突然走り込んできたのだから(でもおそらく顔は少しニヤニヤしてたとも思う)、せっかくの(平成最後の)ゴールデンウィークの夜に気持ち悪い光景を見せてしまったかと思う。

 

 

 「・・・座れた・・・」

 

Tension

 ともかくこのときの、「一言打ってすぐ送る」を繰り返しているLINEの状況から、私のテンションの高ぶりがうかがえよう。

 旅先での予想外のトラブルを、一転してスリリングなゲームに仕立てることができたのは、すべてはフィオリオ氏のおかげである。しかもこうして久しぶりのブログのネタにもすることができた。さらに言うと、今回のこの記事の下書きは、その金沢からのサンダーバードの車中で、持ち歩いていたポメラで書いた次第である。多くの「座れなかった乗客」を周りに感じる中では、眠ってしまう気にはなれず、何らかの文章を打つことで、自分なりにこの一連の出来事を振り返る時間にしようと思ったわけである。

 

 そして、最近ことに強く思うのは、年齢を重ねるとますます私はミスター・ビーンのような行動様式を是としてしまう感覚が強まってきたことだ。ビーン師匠と呼んでしまいたい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.02.23

日本焚火学会があるのな&土井善晴が最近気になる

ずっと前から、焚き火がしたいと思っていてなかなか手が出せていないのだが(そもそもアウトドア趣味にほど遠い生活をしている)、「日本焚き火学会」があることを知った。アカデミックな学会というよりかは、イベントを通して焚火ファンが親睦をふかめるためにあるような雰囲気だが、いずれにせよ最近何かと個人的に広島が熱い。
日本焚火学会のサイトは(こちら)。

最近はとてもスキーとかやってみたい気持ちが高まっており(高校の修学旅行でしか行ったことがない)、それは単にオリンピックを観ているからなのか、だんだん中年になってきて体が動かなくなってきていることの危機感からなのかは分からない。

---

最近気になるのは料理研究家の土井善晴さんだ。『一汁一菜でよいという提案』という本をさいきん読んだのである。

本の内容はシンプルだ。このタイトル通りのことを言っている。でもその奥にあるまなざしがとても本質をついていて、「たしかに!なるほど!!」となる。しっかり食事を作ること、食べること、感謝すること・・・というシンプルな営みについてあらためて見なおすことができた。

とはいえ・・・なかなか自炊できていないので、まずはそこからですな・・・

地上波テレビをほんとうに観ていないので、土井善晴による「塩むすび」がえらく話題になっていたことを今さらになって知る。(こちら)とか(こちら)を参照。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.12.18

最近のあれこれをダダっと書く

 うっかりしているとこっちのブログを書かないまま2017年が終わってしまいそうになる。こんなはずじゃなかった、っていうのが2017年の自分を表わしているのかもしれないのだが、よくよく考えるとこれまでの人生全般において「こんなはずじゃなかった」って思いながら進んでいる気がするし(みんなもそうだと思うのだが、違うだろうか)、いずれにせよ「書くこと」によって、そのときどきの自分を確かめていかないといけない気もしている。なのにブログの更新頻度はお寒い状況であった。

 今日の時点で、思いつく限りのことをメモ書きのようにダダッと書いてみる。勢い重視。

---

「こんなはずじゃない」っていう2017年においても、「これはもう文句なしに素晴らしい!」と思えることはあるわけで、(この本)が発表されて(このようなことがあった)、というのは私にとっても2017年最高の出来事のひとつ。おめでとうございます!!

---

そして「harukanashow」のポッドキャスト、11月は2回連続でKanaさんという若いアーティストさんと音楽遍歴について話をさせていただく。(こちら)と(こちら)。なかなか思い返すと恥ずかしくなる過去の個人史について語っている。でも「インスタント・レタリング」って今だと気軽に似たような状態のものを個人で作成できてしまう時代なんだよなぁ、と。

---

 ついに、来てしまった! と思ったこと。

 先日、デイリーポータルZで「現存世界最古のモノレール」としてヴッパータールのことが紹介された。
 (こちら)がその記事だ。ライターさんがヴッパータールにいって、その独特なモノレールについて興奮して取材している様子が伝わってくる。

 2014年にドイツ旅行をした際、このヴッパータールは私にとって旅のハイライトのひとつだった。映画『都会のアリス』の舞台のひとつであり、ずっとあこがれていた場所だった。そしてドイツではこのなんともいえないぶら下がりのモノレールがとても有名な観光名所であるにも関わらず、日本ではほとんど知られていないというのも、旅情をくすぐるわけである。

そして私に近しい人なら皆知っているように、こういう「ネタ」は私が次なるZINEなりフリーペーパーを書くためには絶好の素材であるにも関わらず、それを本当に現実にモノにするためには途方もないダラダラとした時間が必要であり、言うだけ言って企画倒れ、っていうのがいつものパターンとなっており、これもその一つである。今これを書いているパソコンの近くの棚には無印良品で買った大きめのファイルケースがあり、そこにはマスキングテープが貼られ、マジックペンでひとこと「ヴッパータールZINE」と書いてある。そして私の記憶を辿ると、最後にこのケースに手を触れたのはおそらく前の冬だったかもしれない。そういうことなのだ。

 この味わい深いモノレールが走るヴッパータールがどれだけ素敵な場所かということと、そしてまたこの街を教えてくれたきっかけとしての『都会のアリス』という映画について、そのふたつの事柄がこの街を流れゆく川のようにぐねぐねと入り交じったようなZINEを作ってみたいとずっと思っていて、結局何も動いていないのである。

 そうこうしているうちに、こうしてデイリーポータルZが「ついに」記事として取り上げたのである。この状況は、かつて『DIY TRIP』を作ったとたんに大手メディアがなぜかポートランドを特集しはじめて、結局私の書いたものの情報的な側面が急速に古くなっていって焦った出来事を思い起こさせる。グズグズしていたら、すぐに大きな注目が集まってしまう昨今である。

 ちなみにヴッパータールに関するもうひとつ最近のホットな関連事象を。
 職場で働いていた後輩が、30歳になる前にもういちどワーキングホリデービザ取得を目指し、無事にドイツのビザを取って仕事を辞めて旅立って行った。その出発直前、はなむけの言葉もそこそこに(とはいえ大半は『うらやましい~』というセリフばかり連呼していたのだが)「ぜひヴッパータールに行ってみて」ということを私は強くオススメしていたのである。するとつい先日メールがきて、ドイツ入国まもなくタイミングよく雪景色のヴッパータールに行ってきて感動した旨のメールが写真つきで送られてきた。そう、こういうスパッとした行動力こそが大事なのだと、私はこれを書きながら痛感している。

----

 「書いていないネタ」は、この秋にもうひとつ出現している。手ぬぐい屋「にじゆら」で買い物をしたときに、たまたま「工場見学ツアー」の応募があることを知りエントリーをしたら見事に当たり、大阪の工場でにじゆらの社長自らによる「司会・進行・解説」を務めるツアーに参加する機会を得たのである。
社長の情熱はただひとつ、この「にじゆら」で伝統的に行っている染めの技法「注染(ちゅうせん)」がどういうものなのかを消費者に広く伝えたいというもので、私はこの日すっかり感動してしまった(社長さんの喋りも熱くて面白かった)。当然これも格好の「ネタ」としてブログに書いていきたいし、写真もあるのだが、自分の理解不足の部分もあって、ちゃんと調べ直さないといけない気もしていて、結局ずるずると時間が過ぎている。いつかいい文章でこの工場で出会ったことを伝えたい。

---

 この秋はいろいろな場所へ出かけていたのだが、そのひとつが伊勢白子の「大黒屋光太夫記念館」だった。今年の春からとつぜんマイブームと化した例のロシア漂流民『おろしや国酔夢譚』の話は、自分のなかでこの記念館来訪でひとつのピークを迎えたといってもよかった。しかし、しかし、当然ながら記念館にしろそのほかの史跡にしろ、こういうのは得てして「昔からそこにあるもの」なのであり、私のマイブーム感による高揚した気分で訪れても、現実的にはクールにならざるを得ない部分があるわけだ(この感じ、伝わるだろうか)。
 なのでおおむね「大人しい旅」に終わり、そうなるとあまり「書きたい」という気分にもならず、いまは自分のなかで粛々とその史実のことをときおり想起しては、いよいよ寒くなる日々に当時の彼らの気持ちを重ねて想像する程度に留まっている。でもきっとこうして、私は年を重ねながら少しずつ歴史とか郷土史とかに関心をよせていくようになるのかもしれない。

---

本についてもいろいろ書きたいのだが、気持ちが追いつかない。
や、最近ほんとにあらためて「本、おもしろい」って素直に思うことが多い。

そんななか、
「ついに来た!」というか、「ついに出た!!」
という本。

雑誌『アイデア』の対談がついにまとまった、とんでもなく重厚な本。
これを乗り越える仕事は、今後の数十年は出てこないんじゃないかと思う。
そしてこの本には「自分自身の一部」が刻まれている以上、ちゃんと直視して読み通すべきなのだけど、どうもやはり、自分のなかで『いま何も作れていない』という焦燥感にかられるのも否めないので、実は順調にページが進んでいない。

---

もう一冊、これは実用書ではあるのだが、

「こんな本よむヒマあったらブログ記事をひとつでも多く書けばいいのに」っていうツッコミは甘んじて引き受けるが、これは「アウトライン・プロセッサ―」についての私の思い込みや誤解を氷解させてくれたという意味で、「2017年度・目からウロコ賞」 を差し上げたい良書であったのだ。学術論文とか書く人にとっても改めて良いツールになりえる本なので、公私ともに強くプッシュしていきたい本。
アウトライン・プロセッサはどうしても「目次を作って、それを元に書いていく」という作業のための道具「でしかない」と思われがちだけど、そうじゃなくて、好きなように要素を書きまくって「並び替えること(=並び替えが容易であること)」の意味を積極的に思考の方法(もっと広くいえば、普段の生活の記録全般)へと活用していこうというところまで視野に入れていて、「そうだったのかー! もっと早く注目すべきだったー!」となっているところ・・・つまり自分にとっての最新のマイブームがこれ。

---

急に太った理由として「アボカドをよく食べるようになったから」という原因を疑った経験のある方がいましたら、ぜひ語り合いましょう。

---

そうしてとつぜん話を戻すと、「ヴッパータールについてのZINE」を作るためには「もういちど現地で取材をしないといけない」というのを自分のなかの言い訳にして、またドイツ旅行にいく、というオチは充分にありえる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧