カテゴリー「旅行・地域」の記事

2022.02.26

大阪のとなりの奈良に住んでる、とその悪人はオランダの空港で語りかける

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▲12年前に乗り継ぎではじめてスキポール空港に着いたとき。オランダの空は実にいい。その魅力と謎を探ったドキュメンタリー映画『オランダの光』はオススメ。


 いろんな国の大使館や領事館が発行している海外安全情報のメールマガジンを読む機会があるのだが、たまに詐欺事件の注意喚起があって、これがなかなか読ませるのである。
 つい最近では在オランダ大使館がこんな事件を報告していた。

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今回、当館へ情報提供をいただいた手口は次のとおりです。

1 スキポール空港第2ターミナルの自動チェックイン機周辺で外国人の男1名が声をかけてくる。

2 この外国人の男は、困った様子で、英語で「大阪に行きますか?私も行きます。チケット変更の手続きをしているが、現金では、その追加料金49ユーロの支払いを受け付けてもらえない。現金を渡すので、代わりにカードで決済をしてもらえないか。なお、私は、今、大阪隣県の奈良で働いています」と話し、現金50ユーロを手渡してくる。

3 一緒に自動チェックイン機へ行き、機械へクレジットカードを入れるが、画面が動作する様子がなく、また、表示を英語にするよう外国人の男に伝えるも、この男は「この機器では駄目かもしれない、係員にもう一度聞いてきます」と言い、一度その場から離れる。この間、この外国人の男は、現金50ユーロを預けたまま、また、自身の荷物は置いたままにし、ターゲットとした人物がその場から離れないよう仕向ける。

4 戻ってきた外国人の男は、「隣の自動チェックイン機で試してみましょう」と促し、瞬時にターゲットとした人物の手元からクレジットカードを取り上げ、別の自動チェックイン機へ移動する。この移動のため背を向けた瞬間を利用しクレジットカードをすり替える。その後、再度自動チェックイン機で操作をするが、画面が動作しないため、この外国人の男は「再度、係員に相談します。後でお会いするかもしれませんね」と言うと、クレジットカード(既にすり替えられたもの)を返却し、その場から離れる。

 本事案は、親切心を逆手にとり、また、日本に関わりがある等の情報を伝えることで親近感を抱かせた上で、行われています。また、同様の手口で入手したと思われるクレジットカードを多数所持していると思われ、すり替えたクレジットカードが、一目で自分のものではないと気付かれないよう、同種のカード、且つカード番号や名義人のイニシャルが似たようなものが渡されているとみられるほか、こうした手口からも、日本人を狙っているものと考えることもできます。

 このような事案が発生していることを念頭に、今回この種の事案が確認された空港をはじめ、外出先ではこうした被害に遭わないよう十分に注意してください。
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 ううむ、実によく計画されており、私もきっとその場にいたらダマされるかもしれないなぁと思う。簡単にホメちゃだめなのだが、見事な筋書きで演じられており、ある意味では即興芸術の域に達しているのではないかとすら感じる。

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▲なぜか自分もスキポール空港でこんな写真を撮っていたが、チェックインでこういう類の機械があって、オランダ語表示のまま使われても何がなんだか、ってなりますわな。

 それにしても「大阪の隣の奈良に住んでいる」っていうくだりが笑える。わざわざ大阪の隣っていうワンクッションを入れるあたりにリアリティを高める効果がありそうで、でも一歩間違えると胡散臭くも感じさせる、なかなか際どいシナリオだ。

 そして偶然にも私のように奈良県で育ったために土地勘がある場合、そこで考え得る対応としては「レアリー? 奈良の、どのへん?」と返答するのもいいのだろうけど、おそらく相手は急いでいるシチュエーションを演出するから、そこで話題を膨らまそうとは決してしないのだろう。もしこれが「東京の隣の埼玉」とか言われたら、私もその点についてはきっと何も言えない。だからこそそういう話題のときは知らない土地でも「最寄りはどの駅? オレは鉄道マニアなんだ!」っていう返答を用意しておくのもいいかもしれない。

 そしてもうひとつポイントとなるのは、自分が使っているクレジットカードがすり替えられてもしばらく気づかれないように、犯人が多種多様なカードを取りそろえている可能性があることだ。チェックインの機械にクレジットカードを入れさせることで、カードのデザインを観察できるチャンスを作っているのが巧妙であるが、ここでもしできるだけ変わったデザインのクレジットカードを使っていて、犯人の手持ちのストックに同じカードが該当しなかったら、おそらくこの一回目の時点で犯人は「じゃあ、係員に聞いてみます」と立ち去っていくのだろう。

 そういえばつい最近私は楽天カードの「2枚目発行キャンペーン」に乗っかり、デザインを選ぶ際にどうせならネタになるほうを、と思って

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 このイニエスタ選手のカードにしたわけだ。カードの有効期限が切れるころには同選手も引退しているだろうから、このデザインが引き続き更新されることもないのだろう(されてほしいんだけど)とも思えるわけだが、海外旅行のときはこういう変わったカードを使うほうがいいのかもしれない。


 まぁ、きっと犯人の側も、どうせならお金持ちが持っている大手会社発行のゴールドカードみたいなやつを狙うほうが効率がいいのでしょうから、ツッコミどころしかないイニエスタのカードを使いたがる旅行者には目もくれないんでしょうけど。

(まだこのカード、お店で対面のレジで使ったことない)

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2022.02.13

自分にとって最高だった古本屋が消えていく

奈良で育ってよかったことのひとつはフジケイ堂という古本屋が身近にあったことだったと言ってもいい。奈良県内に数店舗あり、とにかく良い本が安く売られている店で、商売が成り立っていたのがずっと不思議なほどだった。

それが、この2月末をもって閉店するということをツイッターで知った。

中学から大学あたりまで、何かとフジケイ堂には足を運んでいた。大学の進路選択の遠因になったF・D・ピートの『シンクロニシティ』もフジケイ堂で買ったものだし、あと、20代のはじめごろ定期的に通っていた病院の近くにあったフジケイ堂の支店では、ナタリー・ゴールドバーグの『Writing Down the Bones』の邦訳初版といえる『クリエイティブ・ライティング:<自己発見>の文章術』に出会うことになる。昨年末の記事でもこの本について触れているが、この作品は現時点での私の生涯のベスト3に入る本であり、この本と出会えたことで私は病気になったことを少しはポジティブに捉えることすらできている。

今までの自分を作ってきたいろいろな読書のかなりの部分はフジケイ堂によってもたらされていたと思える。
というわけで2月のとある日に、フジケイ堂にいくためだけに奈良へ行ってきた。自分にとって最もなじみのあった、近鉄奈良駅のそばの小西通り商店街のお店である。

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表の店構えが以前知っているものとは変わっていて、私が奈良を離れたあいだにお店は少しはリニューアルしていたのである。ただし店内の雰囲気は昔のままで、違ったことといえば、閉店セールの張り紙と、そしてレジの周囲に透明のビニールが張り巡らされていることであった。

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こういう日なので、絶対に何か本を買って帰ろうと思うわけで、そういう目で書棚を見やると・・・どういうわけか欲しいと思える本がこういうときに限ってあまり見つからない。なので書棚をウロウロし、普段見なかったような場所まで凝視する。最後の最後だから、こうしてあらためてじっくり丁寧に書棚を見る時間もまた特別なものとなった。

そうして、なんとか自分なりに選んだ本は、結局3冊のみ。
閉店セールで3割引なので、この3冊で847円・・・。最後の最後まで安すぎるだろう、この店は。

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▲ハウツー系の本は相変わらず好きだ。

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▲フジケイ堂で最後に買う本としてこれ以上ふさわしいタイトルの本はないだろうと思って手に取った。

レジの店員さんに、閉店がとても残念なことであり、長いこと営業していてとてもお世話になったことと、感謝の意を述べさせていただく。店員さんも「いろんなお客さんからお声掛けをいただいていて・・・」と言っていた。

店の入り口には以前から「小さな本から 大きな夢を」というキャッチフレーズが書かれていて、よく見たらレシートにも印字されている。それはまさにその通りなのだ、といつも思っていた。この店のおかげで出会った小さな本のいくつかは、たしかに自分に夢を描かせるだけのインパクトを与えられてきたと断言できる。ありがとう、本当にありがとう、フジケイ堂。

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▲レシートには、「またの御来店をお待ちしております」とあって、さらに切なくなる。

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2022.02.05

ふと思い出した、あるロンドンの朝のこと

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 2度目にロンドンに行った2005年4月のときのこと。
 旅の終盤、ロンドン中心部から西のほうにある町で、B&Bの民宿を1泊だけ利用した。住宅街は同じようなデザインの家屋が並び合っていて、静かな街のなかにあったその小さな宿の名前は「HWANY HOUSE」といい、私と同い年ぐらいの日本人女性と韓国人男性のカップルが経営していた。

 宿とはいえ、さすがに普通の家であった。イギリスの住宅の中で過ごすのは自分にとって新鮮な体験だったのだが、人の家だということで写真をあちこち撮ることは当時の私も控えていたらしく(上に載せた写真ぐらいは撮っていた)、宿主のお二人の写真も撮ったりしていなかったので、今となってはあらゆる印象がおぼろげである。当時あったホームページも今は存在していないようで、現在ここがどうなっているのか、そして宿主さんたちはどうしているのかも分からない。

 それでもずっと記憶に残っていることがあって、それは朝食のときの情景だった。家の玄関口の狭さのわりに、広く感じるダイニングルームが奥にあり、宿泊客がそろって同じ時間に顔を合わせてテーブルを囲むという形式だった。そこではあらゆるものが白色を基調としていた印象があって、テーブルも食器も床も壁も、そして大きな窓から差し込む光も真っ白なぐらいに、思い出のなかでずっとそこは白い世界である。

 そんななか宿主の日本人女性が食事の配膳をしつつ、宿泊客の会話に混じり、お互いが自己紹介をするような流れを作ってくれていたように思う。そのときは私を含めて4組か5組ぐらいの客がいて、全員が日本人だったと思う。
 そのうちの2組のことはまだ記憶にある。まず私と同年代ぐらいの男女ペアがテーブルについていて、職場の先輩と後輩の間柄とのこと。後輩である女の子のほうは、恋人同士という関係に加えて「先輩についていってロンドンまで来ました、押忍!」みたいなコミカルな雰囲気だった印象が残っている。
 もう一人は、自分より少し年下だと思えた男の子で、職業は「プロのゲーマー」だという。スポンサーの支援を受けながら、世界のあちこちで開催されるゲーム大会を転戦しているという(日本ではメジャーではない系統のパソコンゲームの大会だったと思う)。そういうことで生活を送っている人がいることに驚かされた。彼とは朝食のあとにも少し話をさせてもらって、愛用のキーボードを商売道具のようにカバンに入れて世界を回っている姿には感じ入るものがあった。後になって自分自身もパソコンのキーボードにこだわりを持つようになった遠因は、彼との邂逅だったかもしれない。
 あともう1組か2組のお客さんがいたと思う。思い出せなくて申し訳ないが、ともあれこのようなメンバーで、4月のある朝、西ロンドンの住宅地の片隅で食卓を共にしたわけである。

 ただし正直なところ、普段の私であればこういうシチュエーションがとても苦手なのである。私はその宿で一泊しかしなかったので、ここでの朝食は最初で最後である。そして全員見知らぬ人で、一緒に朝ごはんを食べる。どちらかというと一人旅のときはどこまでも無愛想にたたずんで食事することを好むのだが、この状況ではどうしたって自己紹介やら世間話やらをしなければならない。うん、とっても苦手だ。

 しかし不思議なもので、もしかしたら海外旅行特有のテンションというものがあるのか、この日の朝の自分は、とても饒舌だったことは確かだった。「旅の恥はかき捨て」ということが気をラクにさせていたのか、私はどういうわけか、率先してこの日のテーブルの客それぞれに話しかけて、お互いがお互いのことをよく知れるように会話を引き出し、身の上を語り合えるような雰囲気をリードしていたのであった。
 それはあたかもテレビで明石家さんまがやるような、それぞれに笑いのポイントを引き出しながら次々とゲストの面白さを誘発していくような役回りであり、テーブルの会話はとても盛り上がったので、最終的には宿主の女性からも
「タテーシさんって、おもしろいですねぇ!」
と言われて、そこで我に返ったのである。

「あぁ、確かに自分は今、すごく面白い人になっている」

という実感がすごくあって、それはとても気恥ずかしくも心地よい感覚であり、あの白い食卓の空間のなかで、自分自身が別の人になっていったような、なんとも不思議な手応えとして記憶に残り続けている。

 もうあれから17年も時間が経ってしまった。あの先輩後輩のコンビはその後も二人の旅を楽しく過ごしていったのだろうか。そしてあのゲーマー青年は今もどこかで戦っているのだろうか。人生のある時季の巡り合わせにより食卓を共にした我々であるが、おそらくあの日の朝の自分が、今のところ人生で一番面白くて社交的なヤツだったのだろうと思われる。面白さの最大瞬間風速みたいなものだ。そこをもっと普段でもコンスタントに発揮できるようにしていきたいところであるが、さてどうだろう。

 ちなみに宿を出発するとき、見送ってくれた宿主さんに、「ロンドンはいいですねぇ。ロンドンに住んでみたいです」とつぶやいたら、とてもあっけらかんとした調子で「住んだらいいんですよ!」と言われたことも強烈に覚えている。そこには何の障壁もないように、一つの世界から一つの世界への移動は、まるでクツを履き替えるぐらい簡単なことなのだと言わんばかりのテンションで返されたのだった。その後も私は何度もロンドンの地を踏むことになるのだが、そのたびにリフレインするのはあのときの宿主さんのコトバだったりする。


 さらに、ちなみに・・・このときの旅の主な目的はサッカーで、チェルシーFCの50年ぶりのリーグ優勝を見届けたく渡航のタイミングを見極めてプランを練ってホームゲームのチケットを手配した結果、実際には優勝決定の一歩手前、勝てば王手をかけるという試合(そしてバナーを掲げる私の姿がテレビで抜かれるという、狙い通りの幸運もあり)に立ち会うこととなったわけだが、奇遇にもあのB&Bの宿主のお二人もチェルシーのファンだというので、それがまた嬉しかったなぁ。

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2021.12.08

ちょっと言いそびれていたこと

 実生活でもそうだし、このブログなどでも表だって伝えていないままだったのだが、
 実は4年ほど前から、スキーにハマっている。

 きっかけはひょんなことで、4年前にテレビをつけたら平昌五輪のフリースタイル・スキー競技をやっていて、観ているうちに「スキーって高校の修学旅行でやって以来だな」と思ったことに始まる。インストラクターの先生に教わりながら、クラスの男子で間違いなく一番滑れなくて転んでばかりだったけれども最後にはなんとか滑れるようになり、トータルで振り返って「楽しい思い出」として自分のなかに残っていたのだ。

 でもそこから23年ちかく経って、まったく雪山に縁のない人生を歩んでいて、それでスキーやスノボをやっていないままだというのは、何かもったいない気がしてきたのである。もっとも、もし自分がやるならスノボよりは一度は経験があるスキーだろうな、とは思った。

 で、ネットであれこれ調べてみると「ひとりスキー」とか「ぼっちスキー」という言葉があることを知り、これが非常に大きかったのである(もちろん、「ひとりスノボ」もある)。「そうか、スキーは独りで行っても差し支えないレジャーだったのか」ということに思い至り、クルマも持っておらず、雪山へはグループでワイワイと行くイメージに凝り固まっていた私は、公共交通機関だけを使って独りで滑って帰ってくるという人も多く存在しているという当たり前すぎる事実を、浅はかながら40年近く生きていて気づけていなかったわけである(そして同時に実感したのは、私の親しい友人たちも、奇跡的なほどに揃いも揃って雪山から縁遠い人生を歩んでいたわけである。あるいはタテイシなぞはどうせ雪山に誘っても乗ってこないと思われて、私の知らないところで楽しんでいたのかもしれないが)。

 そこから私はスキーについて調べまくり、すぐに挫折してやめるかもしれないリスクを想定してセール品の安いウェア類を揃えまくり、YouTube動画でスキーの基本やゲレンデでのマナーなどを予習しまくり(これができる環境が20年前とは大きく違う点であり、非常に恩恵を受けている)、準備を万全に整えてからその年の3月に満を持して滋賀県の箱館山スキー場へ足を踏み入れ、レンタルスキーを装着した40すぎのオッサンとして初心者向けスキー講習を受けてみたのである。
 そこですっかり雪山の壮大な景色に魅了されつつ、なんとかスキーも滑れたことに大いに気を良くし、そこからは文字通り雪山を転げ落ちるようにスキーへ傾倒していくことになった(ちなみに、このときに初心者スキー講習を受けたことやその前後のくだりについては、別に書いた長い文章があって、いつか公開できればと思う)。

 というわけで、それ以後は冬季シーズンを待ちわびるという、寒がりの私にしては大いなる転向を経て、ひとりスキーを楽しんでいるのであった(そして『スキーが趣味です』と堂々と言える程度には上手くなってから、周りの人に公言しようと思いつつ、毎年少しずつしかスキーに行けないので、自分が上達した実感もないまま伝えあぐねていて今日に至っている)。
 
 さて、今回はそれ以上スキーについて深く書くことはせず、話を別の方向へ持って行く。

 このスキー趣味が始まってから「日常生活のなかでもできるスキーの練習」として心がけていることとして、「電車のなかでヒザを軽く曲げて立ち、揺れに応じて体重移動を意識してふんばる」という行為がある。私は毎朝通勤で電車を利用するのだが、最初に乗る電車はいつも必ず立つしかなくて、そのときには吊り革を握らずに、軽くヒザを曲げた状態をキープし、揺れてもふらつかないように重心移動で対応している。そうすることでスキーっぽい足腰の動きが要求される(気がする)。

 そして、だ。例によって昨年からコロナ禍となってしまい、鉄道会社もクリーンで安全な車内環境づくりに努めているとはいえ、この「吊り革や手すりなどを極力触らないようにする」ということが、感染予防のリスク管理におけるひとつのポイントになってしまったのである。
 それゆえに、私はなおいっそう、電車に乗るときは吊り革や手すりを頼ることなく、この「スキー練習」の立ち方で乗り切っている。なのでこの2年間近く、私は電車内で一度も吊り革や手すりを触っていない。

 そう思うと、私が40歳をすぎて突然スキーにハマるようになったことも、このコロナ禍のタイミングを思うと、それなりにリスク管理という側面で多少の意味があったのかなと感じている。強引な解釈かもしれないが。
(そう書いておいたそばから、いきなり足腰がよろけて、ついに吊り革をつかむ日が近かったりしたら、情けない) 

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▲なので自撮りの写真しかない。

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2021.07.31

ひたすらロンドンの地下鉄に乗ったり駅をウロウロしている動画

 先日ひさしぶりにharukanashowで喋らせていただく(こちら)。前回トークしたのがちょうど一年前だったことを知り、驚く。ついこの間のことのようだったが、このコロナ禍の日々がいかに早く過ぎていったかを実感・・・。
 収録日において、直近に迫りつつあった東京五輪開幕への違和感だったり、サッカーの欧州選手権やF1イギリスGPでのお客さんの入りっぷりへの不安などを語らせていただく。
 これを書いている時点で開幕一週間を経ているのだが、なんかもう、東京および全国各地での感染者の増加傾向を思うと、素直に五輪を楽しめるモードではまったくない。あと一週間後にはどうなっていることやら、この危なさや先行きの不安感を我々一般人が(税金払いながら)引き受けなければならないことへの憤慨にまみれている今日この頃である。


 そんなわけで、相変わらずテレビはそこそこにYouTubeに依存している日々である。


 以前、Watched Walkerについて紹介したが、最近新たに見つけたのは、それのロンドン地下鉄バージョンともいえる「London Underground First Person Journey 24/7 Livestream」という動画で、収録した映像をつないでひたすら24時間配信している。リンクは(こちら)。



 撮影者はひたすらロンドンの地下鉄に乗り、ホームに降りるや乗り換えのために駅構内を歩き回って、また違う地下鉄に乗り・・・その繰り返し。そうしてあの空間における音や情景をカメラに収め続ける(ただし、なぜそんなに急ぐのかっていうぐらい早足で移動したがるところがあるので、もうちょっと落ち着いて行動してよと言いたくなる)。そもそも地下鉄なので窓の外の風景が楽しいわけでもなく、下方のテロップのおかげで、かろうじて今はどの線の、どの駅の区間を動いているのかが分かるわけで、地味といえば地味な試みだ。
 動画として「見る」という以上に、そのまま部屋のBGMとして流しっぱなしにしてもいい。基本的にうるさいだけなのだが(笑)、車内アナウンスだったり、時おり聞こえる「Mind the Gap」の機械的な音声だったり、レールがきしむ音のデカさっぷりだったり、ドアの開閉のときになる電子音だったり、すべてがロンドン暮らしをイメージさせる音として、心和む。


 それと同時に、こうしてカメラを携えてやたら地下鉄に乗ったり降りたりを繰り返しているこの撮影者は、どうしたって不審者のようにも見られるかもしれない。しかしイギリスの国らしいというか、冷徹なほどに他人には干渉しないムードが車内にもうかがえて、そのうえでこういう動画撮影が成り立っている気もする。


 そして最近撮影した動画がほとんどのようで、あきらかにコロナ禍の影響で地下鉄の乗客や駅構内を歩く人が決定的に少ない。なのでこれを見ながら、どのみちちょっと切ない気分にもなる。「そこにいない自分のこと」と、「今はそこに行くことができない、ということを納得しなければいけない自分のこと」があって、そのうえで「コロナ禍のいま、ロンドンはこういう姿になっている」ということを知り得る手段のひとつとして、いくばくかの感謝の念をもってこの単調な動画を眺めつづけている。

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2021.03.28

ちょっと昔のロンドン・バスの「あの部分」を再利用したバッグ・小物類をハンドメイドする京都の「SANS-SERIF」に出会ってテンション上がった日のこと

すごくひさしぶりに京都市役所前のゼスト御池を通りがかった。
そのまま地下鉄に乗ろうと思ったわけである。

イベントスペースでは、クラフト・雑貨を扱うお店のブースが立ち並んでいて、そこを通りすがりにたまたま目に入ったものがあり、思わず足が止まった。

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このロンドン・バスの写真のタペストリーを見た瞬間、そこにある品物が何を意味するかが「!!」とパッと分かるようになっていた仕組みも、さすがだと思う。

やーーーー、これはねぇ、もう、絶対、足が止まるでしょう、ロンドン大好き人間にとっては。

つまりこういうことである。

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あの古いバージョンのロンドンバスの、行き先案内表示に使われていた部分を再利用して、バッグなどを作っているわけである!

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つまりはFREITAGのようなコンセプトで、産業分野で使われた素材をリユースした一点物ばかりであり、どれも欲しくなる(笑)

京都を拠点に活動している「SANS-SERIF」、その代表でデザイナーの藤川和也さんという方がブースにおられたので、しばしの時間、お話をうかがえた。

あのレトロな行き先表示の部分は単純に紙類のように思っていたのだが、実際には古くはリネン生地だったり、その後はタイベックというポリエチレン系の素材だったりして、とても軽くて丈夫なのだった。現地でコレクターが収集しつつも、多くは破棄されるようで、それらの素材を仕入れてカッティングや組み合わせをデザインし、京都の鞄職人さんが帆布で縫い合わせていく。おそらく知る限り世界で他にやっているところはない、とのこと。

ロンドンの公共交通全般におよぶ独特の書体は、エドワード・ジョンストンがデザインしたフォントが100年前から使われていて、この行き先標示の文字の印刷はシルクスクリーンで行っているとのこと。よーく見ると、ところどころに線の微妙なうねりがあったりして、それも味わい深い。

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そして、ロンドン以外の地域だと、黒白だけでなく緑や青色が標示に使われることもあるようで、上の緑色のものはポーツマスで走るバスのものだとか。

こうなると、思い入れのある場所の地名が入っている商品を探してしまいたくなる。土地の記憶と結びつく一点物のプロダクト、ひたすら素敵である。

あらためて同社のHPは(こちら)へ!

あぁ、ロンドン行きたい・・・(笑)

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ちなみに。

このSANS-SERIFさんのブースを後にした直後に気づいたのだが、よくよく考えると、私がこのゼスト御池を通過して地下鉄に乗ろうとした経緯もシンクロニシティ的にすごいものがあった。

そもそも、三条駅付近でお昼ご飯を食べようと思ったが、目当ての店が混雑していたので京都市役所の近所まで移動してご飯を食べた。本当はここまで来る予定は当初はなく、そしてこのあとの用事は、地下鉄でいえば一駅先の烏丸御池駅周辺が目的地なので、本当は歩いてもよかったのだが、このときはたまたま地下鉄に頼ろうと思い、ゼスト御池の地下街に降りたのである。

そこで上記のSANS-SERIFさんに出くわして感動したわけだが、その後わたしが地下鉄に乗ったあとにやろうとしていた用事というのが、これがよりによって「コピー屋さん(京都カンプリ烏丸店)に行って、ロンドン中心部の鉄道路線図の大判プリントを行う」というものだった(笑)。

どういうことかというと・・・

実は私は家のトイレに、ロンドン地下鉄や近郊の鉄道がすべて網羅された案内地図の現物を壁に貼っていて、あたかも鉄道マニアのごとく日々これらの駅名を眺めて暮らしているのである。また最近は、英語の発音を家で練習するきっかけとして、それらの駅名を(現地の車内放送ばりに)いかに発声するかの練習を繰り返しているのである。そうなると、細かい文字で書かれた駅名が読みにくいため、いっそのこと最新版の路線図をPDFでダウンロードし、パソコンの画像ソフトで加工し、壁のスペースいっぱいまで貼り付けられるように拡大したものを自作しようと思い立ったのである。

そのファイルが完成したので、それをコピー屋さんに持っていって大判のA1サイズに印刷してもらおう・・・と思って、そのためだけに出かけたのである。それがこうして、ひょんなことからロンドン交通局のあの伝統的な書体をモチーフにしたバッグを扱うデザイナーさんと出会い、話をさせてもらったわけで(ひとまずこの日はキーホルダーとマスクホルダーを購入させてもらいました)。

興奮冷めやらぬ感じで地下鉄に乗って、そこであらためて「あ、今から自分、あの書体がたくさん書かれたロンドンの路線図を印刷するんだった」と気づいた次第(笑)。いやはや、こういう日もあるもんで・・・

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▲こうして大判の路線図が手に入り、トイレの壁面へ(笑)。これでどの駅名もしっかり読めるようになった!

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2020.12.13

ロンドン・ナショナルギャラリー展・・・には行ってない

ロンドンネタが続くのだが、それだけロンドン禁断症状が出ているということでお許し願いたい。

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▲EU離脱したり移民に厳しかったりするものの、ヒースロー空港に到着すると、あちらこちらでいろんな職業の人が愛想良く「ウェルカム」と親しげにポーズをとっている看板に出くわす。このタクシー運転手のおじさんの写真ですら、次に出くわしたときには感極まってしまうかもしれない。

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さてコロナ禍で外に出られないのに、予定通り「ロンドン・ナショナルギャラリー展」は日本で開催されていて、いま大阪に来ている。
ただ、いろいろ迷いつつも私は行っていない。コロナ禍で極力外出を控えているという基本姿勢もあるが、そもそも入場にあたっては事前申込み制だったり(思い立ってフト行けない)、それなりに「さっさと観てさっさと外に出なければいけない」プレッシャーがうかがえるので(好きな絵は立ち止まってずっと観たい)、あまり積極的に「行くぞ!」とはなりにくい。

ちなみにナショナルギャラリーは、いろんな部屋ごとに雰囲気が異なる壁紙が貼られているのだが、私はナショナルギャラリーでそうした壁紙を「観賞」するのが密かな楽しみだったりする。これはもう、すべての旅行者に伝えたいのである。「ナショナルギャラリーは、展示物だけじゃなく、壁紙もチェックやで!マジで!!」と。壮麗な壁紙が、天井の高い部屋でドカンと張り巡らされているわけで、絶妙な配色だったり模様の見事さだったり、私はときどき何もない壁に向かってですら、うっとり立ち尽くすのである(冷静にふりかえると、珍客だ)。

(とはいえ、ナショナルギャラリーに限らず、大英博物館とかその他のミュージアム系でも軒並み壁紙はきっとオシャレだったりするとは思うが)

ミュージアムの中では写真が撮れないから壁紙の記録を持ち帰ることもできず、頭のなかのイメージだけが残っているのだが、ふたたびあの壁紙の世界に戻れる日をひたすら待ち望む。

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▲昔のロンドン旅行の写真をいろいろ見返して自分をなだめている。何気ない1枚に新鮮な発見があったり。これは完全にジャケ買いだったアイスコーヒー。よくみると「ポラロイドカメラの写真みたいに軽く振ってください」っていう但し書きが。

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2020.11.22

ひたすらロンドンを散歩する動画シリーズ「Watched Walker」に心から感謝する日々

 よりによってというか、私がいま一番行きたい国である英国が、欧州においてコロナ禍で最大の死者数を記録してしまっており、今後いつになったら安心して訪れることができるのかと途方に暮れている。
 で、コロナ禍になる前からずっと注目しているYouTubeの動画シリーズ「Watched Walker」が、この状況下においてなおさら私の生活において欠かせない存在となっている。

 内容を説明すると、ただロンドンの街をカメラを持って歩き続けるだけの動画である。撮影している人の名前もよく分からない(なので仮にウォーカー氏としておこう)。ただひたすらWatched Walkerと称して動画をひたすらアップしている。



 だいたいのエリアを決めて、あとはカメラを手にダラダラと歩いていく。たまに編集が入るが、基本的にはカメラ長回しである。近年のカメラの性能の良さなのか、手ブレなども起こらずにスムーズにウォーカー氏の歩が進む。ロンドンのさまざまなストリートの歩道を黙々と進み、走り抜けるクルマの音や、行き交う人々の話し声が淡々と記録されている。そしてウォーカー氏は銅像などのモニュメントとか、ちょっと変わった建物の前にきたときは歩みを止めてカメラをしっかり向けてくれたり、たまに大通りから狭い路地にフッと曲がってみたりするときは「お、そっち歩きますか!?」と思わせたり、彼なりの面白がりかたが反映されている。
 つまりは、旅行者である我々が体験する街歩きのシーンがそのまま動画になっている。誰も知らないし、そんなに劇的なことがあるわけでもなく、その街の日常的な時間と空間がただ静かに流れてゆく、あのとき味わう感覚そのものだ。

 NHKの番組「世界ふれあい街歩き」も同じように旅行者目線で街並みをゆっくり進んでいくカメラワークが楽しめるが、テレビ番組ゆえに、現地の人に積極的に話しかけて関わろうとするし、人に誘われてよく知らない場所に連れて行かれたりする(そういう意味ではあまり教育的によろしくない向きもあるが 笑)。それと比べるとWatched Walkerは何もしないし誰とも関わらない。ウォーカー氏はほとんどの動画にナレーションを入れるわけでもないし(たまに話してる動画もある)、撮影にあたっては建物のガラスなどに自分自身の姿が反射して写らないように気をつけていることも伺えて、極力自分の存在を消すことを意識している(でもそれとなく映る姿から推測するに、自分と同じぐらいのおっさんっぽい)。そうしてただひたすらリアルな時空間を共有してもらおうとしていて、そこが「旅行欲」にかられている視聴者にとって、とってもありがたい。

 また、このコロナ禍においてはロックダウン前後のロンドンの様子もウォーカー氏は積極的にアップしており、ジャーナリスティックな使命感(?)も伺える。「あんたこそ、そんなに外でウロウロしてて大丈夫なんかい!」と言いたくもなるが、これなども後々になると非常に貴重な記録になるのだろう。

▲東京でいう銀座、オックスフォード・ストリートでお店が全部閉まっていて通行人がぜんぜんいない状態

 同じようなコンセプトで街歩きの様子を動画として発表している人は他にもいて(Sanpo_Strollなど)、そういうのを探すのも最近は楽しい。

 そんなわけで、毎晩寝る前に私はテレビのYouTubeアプリを開いてウォーカー氏の歩くロンドンの街並みを楽しませてもらっている。あまりにもお世話になっているので、寄付サイトでドネーションを送ったりもしたが、今度思い切ってメールで改めて感謝の気持ちを伝えたいと思う。早くこういうしんどい状況が収まって、みんな元気に街を歩ける日が戻ることを願いつつ。

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2020.10.10

『岐阜マン』の単行本!!!

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 10年ほど前に名古屋のシマウマ書房さんで初めて出会ってから魅了されっぱなしのフリーペーパー漫画『岐阜マン』が、エムエム・ブックスから今年の春に単行本として刊行されています!(こちらで!!) プヒャー! こういう日が来るとは・・・! ツカハラさんおめでとう! これはぜひ実物を手に取って欲しいのだ。なぜなら、この作品がフリーペーパーの小冊子の集まりであることが手触りで分かるようになっていて、背表紙が実質存在しておらず、現物オリジナルの雰囲気をそこねることなく、そしてちゃんと本のカタチに綴じられている。岐阜マンの存在感と同様、どこか不可思議な装丁になっているのだ。

 そして何より帯と「あとがき」は岐阜出身の女優・菊池亜希子さんが書かれているのがすごーーーい!(私、おっさんですが「マッシュ」数冊持っているぐらい、密かにずっとファンなんです)。

 こうしてまとまった形であらためて読むと、岐阜のあらゆる場所へ岐阜マンと猫のシェフチェンコはフィールドワークをして楽しんで、その積み重ねの結果が、じつにオルタナティブな岐阜観光ガイドとして成り立っている。東白川村ではみんなで集って幻のツチノコを探す「つちのこフェスタ」なんてイベントがあったり、飛騨古川では廃線の鉄道レールの上をマウンテンバイクで走れるルートがあったり、岐阜のあちこちに気になるスポットが増えていく。

 岐阜県というひとつのエリアを丹念に歩き回って取材されている作者ツカハラさんは、きっといつも岐阜マンたちの姿を感じながら道中を楽しんでいるんだろうなぁと想像する。フリーペーパー漫画のひとつひとつは単発で作られるが、コツコツと積み上げていくことで、気がつけばとても大きな山を登っていることになる。その持続力、岐阜への愛、そこがすごい。

 岐阜マンファンの次の夢は、念願のFC岐阜とのコラボレーション!?(笑)

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2020.08.22

実在した名前

 その昔、自作フリーペーパー「HOWE」を友人知人だけに配る感じの範囲で書いていた頃、オマケとして「ゴールキーパー・ジョンの不安定な冒険」というマンガをつけていた。友人たちはわりと楽しんで読んでくれていたと思う(さらに当時のHOWEを読み返すと、自分の知らない読者に向けては、感想文を送ってくれた人へのお礼としてこのマンガを送り返そうとしていたようだ 笑)。

 ただし、私は今でもそうだが持続力や計画性といったものに非常に乏しいため、この作品は未完のまま、第4回で力尽きてそれ以後まったくマンガは描いていない。

 ちなみにこのマンガを描くことになったきっかけは、2001年にはじめてロンドンを訪れて街中を歩いているときに、突然「ガンガンと大量に降ってきた」のであった。数歩進むたびに不思議なぐらいに次々とキャラクターやストーリーが思い浮かんできて、最終回に至るオチまで思いつき、そのたびに立ち止まってメモをつけていった。どうしてこんなに創作のアイデアが一気にわいてくるのか自分でもよく分からなくて、そんな体験はあのときだけだった。おそらく、言葉の分からない世界でひとり黙々と歩き続けていくなかで、普段は使わない領域の集中力みたいなものが研ぎ澄まされていったのだろうか。よく音楽アーティストがわざわざ海外でレコーディングすることがあるが、そうしたくなる気持ちがそのときすごく共感できる気がした。

 というわけで、帰国後すぐにインスピレーションにまかせて創作した、とある国のとある弱小サッカークラブ「FCペンシルズ」というチームを舞台に、実在の人物をモデルにしたキャラや(主人公のジョンは、当時フランス代表キーパーだったファビアン・バルテズがモデルだ)、まったくの創作キャラを交えて、マンガを描いてみたのだった。

 

そのなかで、自分の創作したキャラに「トークマン」という選手がいる。

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このように、設定としては「常にブツブツと何かをつぶやいていて、試合のときは相手に語り続けて集中力を削ぐ『つぶやき作戦』を得意とするディフェンダー」である。
喋りまくる男だから「トーク」+「マン」であり、それだけの単純なネーミングであった。

で、話は急に先日のことになるのだが、早朝テレビをつけたらNHKのメジャーリーグ中継が放送されていて、ニューヨーク・ヤンキースのスタメンの選手名を実況アナウンサーが読み上げていたら、

「トークマン」

という言葉が耳に入り、

「ええええええーーー!?」と反応し、すかさずスマホで写真を撮ってしまった。


トークマンって人名、実在していたのか!?

 

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※画面の傾きっぷりから、いかにあわててカメラを向けていたかがうかがえる。

ただし調べるとスペルは「Tauchman」ということで、まぁ、そういうものだよなと納得した。

いつかサッカー界のトップレベルでもトークマン選手が現れてほしいものである。

★★★

今回のおかげで久しぶりにこのマンガのことを思いだし、手元の保管資料を発掘して読み返してみた。若干恥ずかしい部分もあるが、第2回と第4回の内容をスマホで撮ったので、画像で置いてみる。

第2回「新シーズン開幕!の巻」。設定では「いつまでも現役にこだわる超ベテランストライカー」のスチュワート選手が当時42歳ということで、気がつけば彼の年齢を自分が越えていたことにショックを受けている。

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こちらは第4回「ピッチの中心で、ウソを叫ぶの巻」。「セカチュー」が流行っていた頃なのね。

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ペンシルズ監督のイレイザー氏がよく頭突きをするのは、それを「イレイザー・ヘッド」と名付けたかったからである。元ネタの映画は観たことないんだけど(笑)

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