カテゴリー「旅行・地域」の記事

2026.04.29

KYOTGRAPHIE2026:2週目の彷徨記録

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ひきつづき京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」2026の記事を。開幕して2週間がたち、いよいよゴールデンウィークになるとさらに来場者も増えてくるであろう。

自分はメイン展示では北部の7番(ジュリエット・アニェル)と6番B(タンディウェ・ムリウ)だけを残して、あとは一通り回らせてもらった。ダダダッと各地の感想を。

まずはサポートで入らせてもらった京セラ美術館の森山大道回顧展。

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SNSでは高評価なリアクションが多く見受けられ、圧倒的な物量の展示がインパクトを与えているようで、実際に現場に来てみて納得。

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キュレーターの狙いとして、森山大道が雑誌をメインに作品を発表してきたことから、展示会場そのものが雑誌のような、イメージの洪水が表現されているかのよう。

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過去に発表した写真集の多くは実際に来場者が手に取って閲覧できるようになっていて、この様子をスタッフとして見守っていて興味深かったのは、「やたらとお客が手に取りがちな写真集」があることだった。おそらくそれは装丁の影響なのだろうかと仮説を立てた。装丁は大事だ、と。

あとこの日は半日だけのボランティアに入っていて、そのうち1時間だけ受付のチケット確認係を担当していたのだが、ちょうどそのとき京セラ美術館の他の展覧会にお子様を連れて訪れていた友人のたじまりが、受付にいるタテーシを発見した。すごい偶然。

この京セラ美術館ではもう2つメイン展示が隣で行われている。

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「SOUTH AFRICA IN FORCUS」ということで、まずアーネスト・コールについてはこれが日本ではじめて紹介される機会になっているということでとても意義深い展示であり、かなり見応えがあった。

来場者を迎える最初のゲートから、いろいろ突きつけてくる。

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代表作が南アフリカで発禁処分となり、自身も国外に逃れ、その後は流浪の人として生きるも40代で亡くなり、長きにわたり行方不明とされていたフィルムのネガが近年になってスウェーデンの銀行の金庫で大量に発見されたとのこと。

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当時のアパルトヘイト政策下における南アフリカの状況を、写真としては美しく収めつつ、社会状況の厳しい実態をストレートに告発している。

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もうひとつの展示がピーター・ヒューゴ。現代に生きる南アフリカのフォトグラファーとして、本展示では大きい写真や小さい写真を並べ、生まれた子どもと、老いていく両親へのまなざしがコントラストのように構成されているのが印象的。

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そして祇園四条の方面へ。
ygionでの福島あつし「灼熱の太陽の下で」。

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農業の現場を生きる写真家による、まさに灼熱の写真。のっけから巨大なミミズの写真には圧倒されたり。

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鴨川ぞいのロケーションゆえに、天気がよいと写真の見え方もより鮮烈な印象になる感じがした。

そのすぐ近く、ASPHODELでは柴田早理「Dotok Days」。

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フランスのシャンパーニュ地方の葡萄園で滞在した時期に撮影されたセルフポートレイトということで、登場する人はすべて自分が演じて合成したということか。日本における農村の茶摘みだったりお祭りだったりを、フランスの農園を背景に展開していく作品群がちょっとユーモラスだったりする。

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最上階の作品群も、空間との共鳴が素敵だった。

つづいて、京都文化博物館ではリンダー・スターリング「LINDER: GODDESS OF THE MIND」。

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こちらも自身を撮影したポートレイトだったり、パンク/フェミニズムの視点から刺激的な写真が、日本初展示ということで紹介されている。

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▲「She/She」という作品は、自身が活動していたパンクバンドの歌詞とともに「セルフ・モンタージュ」と称した手法によるポートレイトが並ぶ。これはカッコ良かった。

グラビア誌のポルノグラフィー写真に家電製品などを貼り付けたりする作品など、多くの作品で切り抜かれたイメージがコラージュされているのが特徴的だが、作者へのインタビュー映像のところでは「幼少期に、大事だったはずのドレスをハサミで切り刻んだことがある」というエピソードが語られたりしている。パンク魂がその頃からあったかのような。

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▲展示のなかに、30分ほどのビデオ上映があって、ヘンテコな衣装をまとった4人のダンサーの奇怪な踊りが延々と流れていたのだが、意味が分からないなりにも妙にハマって最後まで観てしまった。

で、無料会場としての「KG+」のことも。
「KG+SELECT」では10人の写真家によるコンペティション展示となり、この中から来年のメイン展示に1名が選ばれるというもの。

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▲今年の会場はくろちく万蔵ビル。1FではKG+オリジナルのグッズ販売や、KG+の膨大な展示会場のフライヤーたちがたくさん置かれていたりして、KG+独自のインフォメーション・センターの機能を果たしている。

今回観た10人の展示で自分が最も感じ入ったのは、ポーランドのピオトル・ズビエルスキ「ソリッド・メイズ」。

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なんとも捉えどころのない世界観だけれど、イメージとしては自分はこういうのがすごく好きなんだよなぁと再認識させてくれた。

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ただ今回のアワード受賞者はすでに決定しており、インドのスリダー・バラシュブラマニヤム「マナルスザル(砂の旅)」が来年度のKGでメイン展示を行うことに。

あと先日訪れたKG+でいえば、三条通りの同時代ギャラリーでのSAMURAI FOTOという、写真を通した国際交流を志向する団体による合同展をふらっとのぞいたり。

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この2名の作品がとくにグッときた。

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▲升本真理子「Sync」

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▲Ingo Bork「Fog and Clouds along the California Coast」

KG+のこうした企画展はたまたま歩いているエリアに出くわしたら入ってみる感じが楽しくて、でもこの時期はできるだけボランティアをしていたいから、そこまでウロウロする時間があまりないというジレンマがある。

で、今回の記事の締めくくりは、この記事を書いている日にサポートスタッフとして入らせてもらった、嶋臺ギャラリーのアントン・コービン展のことを少し。

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改めてスタッフ側として会場にたたずみ、お客さんたちの様子を眺められたのがよかった。
たとえば、友人と連れだって訪れるお客さんが、自分の好きなセレブの写真の横で同じポーズをして記念撮影をしていたり。「そうか、有名人のポートレートが主題なだけに、こういう展示だとそういう現象が起こるのか」と気づかされたり。

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ちなみにこの会場で唯一BGMが流れている部屋があって、会場担当リーダーさんの説明によると、アントン・コービン自身の手によるプレイリストで選曲されていて、なかには展示されているミュージシャンのものがちらほらと流れていたりする。

あと京都の光明院で収録したというコービンへのインタビュー動画は、いまのところウェブなどでの一般公開は予定されていないとのことで、この会期中の現地でしか観られないのであった。

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▲いろーんな有名人の写真があって見どころが多いのだが、とりわけ興味深かったのが、この晩年のウイリアム・バロウズ。(とはいえ、私はちゃんと彼の作品を読んだことないんだけど)右手の脇にはたくさんの銃痕があり、そして左腕のヒジの窓枠のところには、なぜかファニーな顔のイラストの落書きみたいなのがあって、あえてこの場所で撮影を行ったということも含めて、その人物独特のキャラクター性をさらに味わい深くしている。

というわけで、ぜひ連休中は京都へ、KGにお越し下さい(って、至ってフツーな結論ですが、この時期はどうしたって営業宣伝モードになってしまうわけです。お客さんあってこその写真祭なので!)

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2026.04.19

祝開幕、2026「KYOTOGRAPHIE」最初の週末の走り書き的感想

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 今年も開幕した京都国際写真祭KYOTOGRAPHIE(以下KG)について、最初の週末を終えたところでの、走り書きメモのような記事を・・・。

 ボランティアスタッフとして3年目を迎える今年は、はじめて(新年度早々に職場の休みを入れてw)開催前日の金曜日のプレ・オープンの日にスタッフ参加を申し込んでみたわけで、割り当てられたのがKGのインフォメーション・センターである八竹庵。まさにKGのコアな部分に入らせてもらう形になり、開幕前日ということで、きっとむちゃくちゃ慌ただしいのだろうな・・・と不安を少し抱えつつ一年ぶりに現場へ。でも実際に来てみたら、さすが12年以上やっているイベントともなるとソツなくすべてがオーガナイズされており、この日に来るのはプレス関係者やVIPだけということもあり、お客さんを迎えるのも落ち着いて対応できた。

とはいえさすが前日準備ならではのちょっとした業務が楽しめて、14台のレンタルサイクルの納品を手伝い、その車体番号に応じて電動アシスト自転車のバッテリーそれぞれに番号札を貼る作業を自分がやらせてもらった。今年のKG特別レンタサイクルを利用した場合、そこに貼られた養生テープ部分が、やや心許なかった場合は、あぁタテイシが雑な貼り方をしたんだなと思ってもらって間違いない。

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 前回の記事でも紹介したように今年は八竹庵でファトマ・ハッスーナの追悼展示がある。パレスチナの状況を伝える写真を撮りつづけた彼女がイスラエルの爆撃で亡くなる前に、支援者とかわしたiPhoneのビデオ通話の記録について、そのままiPhone1台だけを暗い室内に置いて動画を流すという展示が行われている。何もない暗い空間に、ぽつんとスマホだけが光を放っているその空間が、まさに彼女の置かれた境遇を表わしているかのような場となっている。

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 そして八竹庵でのもうひとつの展示は、今回のKGで重点的に取り上げられている南アフリカにフォーカスし、「A4 ARTS FOUNDATION」による、同国における写真集のありかたをめぐる歴史的変遷を、その政治状況を含めて振り返るもの。ほとんどの写真集は手にとって眺められるようになっている。

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 次の18日は誉田屋源兵衛の会場に行き、サポートスタッフとして開幕日を迎えた。色彩の鮮やかなタンディウェ・ムリウの展示の2階では誉田屋の帯の特別展示も行われていて、自分にはまったく分からない世界なのだが、これはこれでスゴいものを見ている! と唸るような超絶技巧の帯が飾られている。

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 そして同じ誉田屋でもうひとつある展示は、去年のKG+で観たときから関心を寄せていたフェデリコ・エストルの「シャイン・ヒーローズ」。「靴磨き」がテーマなので、来場者には入り口で脱いでもらった靴をあえてこうして下駄箱みたいなところに置かせて「靴が見られる」という趣向も、いい感じである。そしてアーティスト自身が置いた靴も2足ほどあるので、それがどれなのかはスタッフに尋ねてみてほしい。

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 圧巻だったのは、「そうそう、こういうのが知りたかった!」となった、本プロジェクトがどのように社会運動とリンクして発展していったかというマッピング。社会的差別を受けているボリビアの靴磨きの人々をめぐり、アートの力で彼らを「ヒーロー」として描く試みを通じて、どのように支援活動がエンパワメントされ、実効性のあるユニークなプロジェクトに育って展開していったかが分かる解説展示となっている。

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そのそばには、靴磨きの人々がヒーローとして活躍するアメコミ風マンガの展示があり、そして物販コーナーでもいろいろと味わい深いグッズが売られており、その売り上げの一部は靴磨き職人らへのサポート資金にもなっていくという循環型経済の仕組みが成り立っている。

そして19日の夕方には、ここでアーティスト・ツアーのイベントが行われ、私はこの特別イベント専用のサポートスタッフに申し込んで運良く関わらせてもらうことになった(このタイプの業務は募集枠が少ないので貴重なのだ)。やはり作家本人が作品を前に話をしてくれるというのはとても豪華な観賞体験であり、アートと社会運動の関係について熱心に語るフェデリコ・エストルに、来場者からも多くの質問が投げかけられ、濃密な時間だった。つくづくKGって良いイベントだよなぁとその様子を眺めながら思った。

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で、この日はそれに先だってお客さんとして3つの会場を回ってみた(ボランティアスタッフは様々な会場を客として訪れることをKG事務局としては推奨しているので、規定回数以上ボランティアに入ることが事前に確定しているスタッフは、開幕早々であってもパスポートチケットが特典でいただけるのである。)。

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まずは東本願寺の大玄関。ここは南アフリカのレボハン・ハンイェの展示が行われている。自分が到着したときにたまたまアーティスト・ツアーが開始された直後で、予約なく来た我々のような客も一緒に参加してよいとのことだったので、ありがたく後ろのほうで拝聴した。

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ここで特に感じ入った作品が、ハンイェさんの母親が亡くなったあと、母親が着ていた服を自分で身につけ、かつての母親が写っている写真のなかに自分をモンタージュして写り込ませ、家族の歴史や、ひいては南アフリカの歴史を感じてもらうというプロジェクトだった。

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それに加えて、南アフリカでの灯台守の暮らしを再現するジオラマのような作品も展示されており、灯台が光を照らすようにこの小さな箱のなかの照明の具合によって、そこに映るシルエットが美しく浮かぶ作品群も強い印象を残した。説明文には「灯台は、暗闇を照らし出すこと、何かをたゆまず続けること、そして人々の暮らしを支える見えない構造の象徴となり、個人からコミュニティへと記憶を拡張していく」とあり、まさに今回のKGのテーマ「EDGE」を彷彿とさせる展示だったと感じる。これらをアーティストトークとともに鑑賞し、質疑応答のときは、作者のハンイェさんに、どうして写真家になったのかと参加者のお子さんが問い、「自分から写真家になろうと思ったのではなく、写真が自分を選んだとしか言いようがない」と答えていたのが印象的。

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その余韻を引きずりながら、すぐ近くにある重信会館へ。

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先日のブログ記事でも書いたとおり、おそらく今年の目玉企画のひとつであろうこの展示「残されるもののかたち」は、ちょっと今回の記事で書くには「語りどころ」がありすぎて、別の機会にじっくりと紹介したいと思う。まぁ、つまり、あれだ。「廃墟のような場所で、廃墟をテーマにした作品を鑑賞する」という、この体験は「ヤバイ!」の一言に尽きた。いろいろな意味で、ヤバかった。今回の記事では写真をあまり出さないでおこうと思うが、これから一ヶ月のあいだ、SNSなどでたくさんの感想が語られるであろうし、それらを眺める楽しみが増えた。みんなどういうリアクションをするんだろうなぁ、と。なので今の段階でいえることは「ぜひ、現地に行ってみてください」である。

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で、そのあと烏丸御池まで地下鉄に乗って、私が個人的に今年一番楽しみにしていたアントン・コービンの展示をじっくりと観賞させてもらった。

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このU2の『ヨシュア・ツリー』の写真がとりわけ大きく飾られていて、もうこれだけで満足感があった。

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あと、もうひとつ自分にとってアントン・コービンといえばジョイ・ディビジョンであり、とくにこのバンドの(その後に起こる出来事を思うとなおさらに)象徴的な1枚ともいえる伝説的な写真はロック写真の歴史上でも傑出した一枚であると思う。(この撮影地がマンチェスターではなくロンドンだったことを今回初めて知った)
でもあらためてこういう「展示」の場において、じっくり写真と向き合って眺めると、左端のスティーブン・モリスさん、寝癖立ってるように見えるのね、とかくだらないことを思ったりもする。

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他にもいろいろなミュージシャンや著名人のポートレイトが展示され、そして最後はあまり自分としては知らなかったコービンのプロジェクトのひとつである「墓地」についての展示があり、そこで彼自身のヒューマンな部分に触れるような感じが得られた。

この展示会場ではアントン・コービンへのインタビュー動画が上映されており、彼が被写体としてきたセレブたちへの接し方の部分などで興味深い語りが聴けた(本当は彼のアーティスト・ツアーにも参加したかったが、自分がスタッフで動いていた時間帯の実施だったので叶わず!)

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そんなわけでスタートの3日間についてのこの走り書きのような内容がどこまで参考になるかは分からないけれど、ぜひKGの展示に足を運んでくれる人が増えることを祈りつつ、「今年も充実した一ヶ月が始まるよー!」という気持ちで、五月の連休を心待ちにしている。

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2026.03.03

こんな状況だからこそ、KYOTOGRAPHIE(京都国際写真祭)2026について、どこよりも気が早いレビューを書いてみたくなる

 世界があちこちで瓦解していて、どうにも腹立たしくて哀しくて、それでも季節はめぐってくる。今年も4月18日から約一ヶ月にわたり京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」(以下KG)が行われるわけで、「早く春になってほしい」という気持ちに連動して、今年もできるだけボランティアスタッフとして参加しようと決めている私はさっそくそわそわしている。

 今年のテーマは「EDGE」ということで、すでにメイン展示のプログラム内容や開催場所が広報されている。もちろんこの数日間のあいだにさらに深刻度を増しつつある世界情勢の影響で、人々やモノの移動などに予想外のアクシデントが起こりえる可能性も想定されるので、これから本番に向けて変更になったりする部分がいくつか出てくるかもしれないが、ひとまず現時点での情報をもとに、「気の早すぎるレビュー」として、私が気になるポイントをここに書き散らかせていただく。こんな状況下だからこそ、めぐる季節によってやってくる楽しいモノゴトは大事に味わいたいし、「祭」とはそういうものだ。

なお私のスタンスは、
・そんなに古今東西の写真家についての知識はない
・そんなに現代アートにも詳しくない
・そんなにガチで写真を撮るレベルにない
・そんなに長年KGのボランティアをやっているわけではない(今年で3回目)
・そんなに以前から毎年熱心な客としてKGを鑑賞していたわけではない
ということをあらかじめお断りしておく。

そんな私が今シーズンのKGの何にこんな早い段階から盛り上がっているかといえば、
アントン・コービンの展示が!! 
今年は! 
あるんですってば!!
 
そのことを言いたいがためにこの記事を書いているようなものである。

アントン・コービンといえば。
中学生の頃から、文字通り中2病のごとく、いまだに聴き続けているU2の『The Unforgettable Fire』や『The Joshua Tree』のアルバムジャケットなどをはじめ、初期のころからのU2の姿をたくさん撮影し、他にもジョイ・ディビジョンの写真もバンドの存在感を決定づける作品を多く残しており、その他たくさんのロックスターのポートレイトを手がけた、ベスト・オブ・ロッキンフォトグラファーである。

ジョイ・ディビジョンといえば夭折したカリスマ・ボーカリストのイアン・カーティスの半生を描いた映画『コントロール』を監督したのもコービンである。コービンならではの写真観そのもののようなモノクロームの映像によって、彼らの伝説の日々を限りなくリアルに描ききった作品で、当時私はこの映画を、学生時代の同期でU2ファンであったウメさんと東京で会った折りに、渋谷の映画館で一緒に観に行った・・・ちなみにこの記事を準備していた最中、「映画を観た場所って渋谷で合ってたっけ? 久しぶりにウメさんに連絡とって訊いてみようかなーどうしようかなー」となっていた矢先、恒例の京都マラソンでの「サッカーユニフォーム姿のランナーさん応援企画」をやっていたら、千葉にいるはずのウメさんがサプライズでランナーとして参加して目の前にやってくるという出来事がおこる(こちら参照)。ナイスすぎるだろウメさん・・・。

ということで、まさかKGでアントン・コービンという展開は予想していなかったので熱い。おまけにU2のギタリストの名前はEDGEである。今回の全体テーマにもピッタリである(強引)。

コービンの展示会場は「嶋臺(しまだい)ギャラリー」ということで、地下鉄の烏丸御池駅すぐの場所でアクセスも良く、古い町家を活用した展示に期待大である。

個人的には昨年までのKGにおいて、私にとってのベスト・ベニューでありつづけた京都新聞社ビル印刷工場跡地での展示が今年からはなくなってしまったので、テンションはやや下がり気味であったのだが、そんなところへアントン・コービンの展示が決まったとあり、おかげで今年も私は前のめりでボランティアスタッフに臨めそうである。

 そしてもうひとつ強烈にプッシュしたい展示は、ウルグアイ出身のフェデリコ・エストル「Shine Heroes」だ。ボリビアのラパスにおいて、靴磨きに従事する人々は差別的なまなざしを避けるべく覆面で仕事をしている人が多く、エストルらは支援団体とともにアートの力で彼らを取りまく状況をとらえ直し、靴磨き職人を「覆面ヒーロー」として読み替え、そこから新たな文化的アイデンティティを創出するというプロジェクトを展開しているとのこと。それで気付いたが、私は自分自身の生活でもこの「読み替える」という作戦を重視して好んでいるのだろう。たとえば市民マラソン大会の現場を意図的に「読み替えて」サッカーファンを応援する場にしてしまうという試みも、その流れにあるわけだ。
 このエストルの作品群は昨年のKG+SELECTで出展されていて、見事にアワードを受賞したことで、晴れて2026年KGのメイン展示として改めて単独の個展が開催されることになった。私も昨年のこの展示には強く印象づけられた一人で、ぜひ深掘りした内容で翌年も観てみたいと願っただけに嬉しい。そして予定されている展示会場となるのは、誉田屋源兵衛の「黒蔵」とのこと。そこがさらに「うおぉ!?」となるポイントであり、黒く大きい蔵の放つ謎めいたムードは、まさに「覆面」を捉える本作品群の展示空間としてはさぞかしハマることになるだろうと期待を込めて断言できる。

そして同じ誉田屋源兵衛では「竹院の間」のほうで、ケニア出身の写真家タンディウェ・ムリウ「Camo」の展示が行われる。布をテーマにした作品で知られる作家とのことで、鮮やかな布の背景と、自身のまとう衣装によるカモフラージュをとらえた印象的なキー・ビジュアルが告知されている。そもそも誉田屋が着物の帯をあつかう老舗だけに、テキスタイルというモチーフでのつながりが想定されているのだろう。会場に足を踏み入れたときに迫り来る色彩と、古きよき商家の空間のミクスチャーによる鮮烈なコントラストが想像される。
展示作品そのものに加えて、会場がどこに設定されるかで、観る前からの期待度がより強く増していくのはKGの素敵なところである。

このムリウは東アフリカの人だが、今年のKGは南アフリカの写真家も多くフィーチャーし、「SOUTH AFRICA IN FOCUS」と銘打って次の4つのプログラムが展開される。
アーネスト・コール(京セラ美術館)
ピーター・ヒューゴ(京セラ美術館)
レボハン・ハンイエ(東本願寺 大玄関)
“A4 ARTS FOUNDATION”(八竹庵)

アパルトヘイト下の歴史的記録を遺し、日本初公開の大規模展として紹介されるアーネスト・コール。そのコールの没年時に生まれた若いアーティストとしてのレボハン・ハンイェに、長いキャリアを重ねるピーター・ヒューゴと、それぞれの展示には同じ地を舞台にした異なる時間軸の位置づけが伺える。そしてKGのインフォメーションセンターである八竹庵では、南アフリカにおける1950年代からの抵抗的な表現実践について理解を深められる場として、ケープタウンを拠点とする、アートをめぐる支援団体「A4 ARTS FOUNDATION」による写真集(ブックメイキング)の展示などが行われる。

なお八竹庵ではそれに加えてもうひとつ展示がある。パレスチナの写真家としてガザ地区の姿を世界に発信しつづけ、2025年4月にイスラエルによる爆撃で命を落としたファトマ・ハッスーナの追悼展示が予定されている。八竹庵は無料で入れるインフォメーション・センターとしての中心的な役割をふまえつつ、その年ごとに伝えたいメッセージ性がダイレクトに込められた展示に出会える場でもある。この数日のあいだの情勢によっては、いろいろな面で緊張感が高まる会場になりかねないが、それはそれとして引き受けていくべき部分でもあろう。

***

私はボランティアとしてKGに関わるようになってから、KGにおけるあらゆる展示を網羅的に接することで、KGが毎年企画する展示においては、内容のジャンル分けのようなものがバランス感をもって設定されていることを実感するようになった。観客の側でいた時代にはあまり気にしなかった部分でもある。

そうした「自分なりのジャンル区分」でいえば、今年の「日本の大御所写真家の部」として森山大道の回顧展(京セラ美術館)、「自然環境の部」ではジュリエット・アニェルの植物と鉱物の作品(有斐斎弘道館)、「若手日本人写真家を応援しようの部」では福島あつしによる農業の営みをめぐる作品展示(ygion)、「KGイチオシの、アワード受賞者の部」として柴田早理のフランス・シャンパーニュでの葡萄畑と女性の作品群(ASPHODEL)、「シャネルが協賛する女性写真家特集の部」としてリンダー・スターリングの日本初個展(京都文化博物館)が予定されている。

この中ではとくに70年代英国パンクシーンから出てきたというリンダー・スターリングの展示は観客としても楽しみであるし、そしてまたボランティア・スタッフの立場からしてみたら、こうした「シャネル協賛の部」とか「ディオール協賛の部」といったブランド企業とのコラボレーション展示に関わるときは、いつも以上に緊張感を覚える。なぜならお客さんからしてみたらこんな私でもその日だけはシャネルやディオールの看板の下で動くスタッフの一員になるわけなので、現場では「わたしもシャネルです」みたいな表情や身振りを試行錯誤し続けたくなるわけだ・・・無駄な試みと言われようとも(笑)。でもそういうこと自体が、ボランティアを楽しむポイントだったりもする。

そして、あくまで私の主観ではあるが、KGのなかには「この特別な場所だからこそ、この写真作品を展示してみました部門」というのが毎年あり、今年でいえばイヴ・マルシャン&ロマ・メェッフェルの「重信会館」での展示が挙げられよう。実は今回の発表があるまで、そもそも私は重信会館という建物については何も知らなかった。真宗大谷派の研究所であったり大谷大学の学生寮などに使われてきたという古い建物がまだ残っており、ツタがたくさん覆い茂るこのモダンな建物のなかで「近代建築の廃墟」をテーマとする作品を鑑賞できるというのは、なかなかの体験となるであろう。

そんなわけで、とりまく世界の状況は落ち着かないけれども、KGは今年もさまざまな角度からの発見や鮮烈なイメージを、わすれがたい一瞬において感じさせてくれるイベントになるだろうと期待している。そしてお客さんとして楽しむのはもちろんのこと、どんな短い単発のシフトでもボランティアスタッフを随時募集しているようなので、KGというイベントそのものを味わうチャンスとして捉えていただければ幸いである。

Enjoykg

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2024.05.20

KYOTOGRAPHIEのボランティアが終わってロスになっている、っていう話

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 まさか、こんなにも「ロス」な気分になるとは一ヶ月前には想像もしていなかった。そして私の暮らす街について、ちょっと違った気分で眺めていた日々でもあった。

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 4月中旬から開催されていた京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」(以下KG)が先日閉幕し、私は主にゴールデンウィークを中心とした祝日・休日にボランティアスタッフとして携わったわけだが、この一ヶ月間は「イベントの合間に本業の仕事をこなす」という感覚だった。すまん本業。何せ京都市街のあちこちにある13会場(加えてそれらのメイン会場の他に、『KG+』という関連展示が数え切れないほど存在する)が舞台となっているわけで、すべての会場で事故なく滞りなく日々の会期が無事に過ぎていくことをボランティアの端くれである自分も祈るような気持ちでいたのである。



 つまり、楽しかったのだ。とっても。



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 結果的に私は13会場のうち6会場で、のべ8日間活動を行った。
 スタッフとして求められた役割はいたってシンプルで、入場の際のチケットチェックや、展示会場の監視、巡回、案内誘導である。それ以外のややこしい作業は、その会場ごとに配置されているリーダー役の有給スタッフが行っていた。

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 このリーダーさんたちの存在も興味深く、それぞれがいろいろなバックボーンを持ってこの役割に挑戦し、そしてキャリアの分岐点を迎えているのであろう若い人が多かった。とはいえ実際には、その日のスタートからあわただしくなるリーダーからゆっくり話を聞いたりする機会はそんなにはないので、ふとしたタイミングで交わす会話のなかで、その一端を伺い知る程度にはならざるを得ないのだが、自分が担当することになった会場に愛着を寄せつつ、よりよい展示空間を作っていこうとする真摯さには熱いものを感じた(なのでいつもの本業にも伝播していくような前向きなエネルギーをいただいた気がする。。。すぐに消えそうだけど)。

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 そうして私は今回はじめてボランティアスタッフとしてお客さんを迎え入れる側になったわけだが、この役割が長時間にわたってもまったく苦にはならず、いつもあっという間に時間が過ぎていく感覚があった。そしてこのことについてよく考えてみると、「一定の目的をもって集まった大勢の老若男女が、自分の目の前を次々と通り過ぎるのを見守る」というこの状況は、「市民マラソンでの沿道応援」の趣味と構造がまったく同じであることに気づき、そこは苦笑いするしかなかった。冬はマラソン大会でサッカーユニフォーム姿のランナーを探し続け、そこに加えて5月の連休は写真展の会場で無言のうちにいろいろな人々が通り過ぎゆくのを見守るというのが新たなルーティンになりそうな。

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 前回のこのブログ記事で書いたとおり、個人的にこのイベント最大の推し会場は「京都新聞社ビルの地下、印刷工場跡地」である。そして私はここで2回、スタッフとしてシフトを割り当てていただいた(最初は1回だけの予定だったが、無理やり都合をつけてもう1日追加で入らせてもらった)。そもそもKGのボランティアに申し込んだ動機が「この会場でスタッフ側として携われたら楽しいだろうな」という思いがあったからなのだが、その狙い通り、いや想像以上に、この会場はやはり特別な場所だった。

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 今年の京都新聞社会場の展示はヴィヴィアン・サッセンの回顧展ということで、現代の写真業界もファッション業界にも疎い私は彼女のことをそれまでまったく知らなかったのだが、色彩の強弱が印象的な写真作品が、この印刷工場の無機質でダークな空間のなかで放つ存在感のコントラストが見事だった(そしてアンビエント・テクノっぽいBGMが鳴り続け、それもまた雰囲気づくりとして最高に合っていた)。

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 およそ写真展の入り口とは思えない通用口(でもマンチェスターの伝説的クラブ、ハシエンダって結局こういうことだよな? と思った)を出入りし、足下にはかつて大量の新聞紙が運ばれたのであろうレールなどがそのまま残っており(穴が深すぎてスマホを落としたら二度と取れなさそう)、背の高い人がアタマをぶつけまくりそうなところに配管パイプが張り巡らされ、導線もはっきりしない会場の作り方ゆえに出口を求めてさまよい続けるお客さんなどの動きを常に注視して見守る必要があったのでスリリングなのである。

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 さらに最も気をつけていたのが、プロジェクションで作品が照らされた展示場所のさらに奥にも空間が続いていて、幻惑をもよおすシチュエーションゆえにか、プロジェクターが置いてある舞台を乗り越えてまでその暗黒の世界の果てへ進んでいこうとする客がたまにいるので、そんな彼らを現実世界へ呼び戻さないといけないことだった(私が体験した限りでは、不思議とそういう動きを見せるのはほとんどが女性客だった。そして私は決まりの悪そうなお客さんにむかって毎回『お気持ちは、よく分かります』と言い添えた)。

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 そして本会場ではサッセンがキュレーションに協力した、Diorが主催した若手作家支援の関連展示も併設されていた。工場跡地からその地点へ誘導し、見終わって戻ってきた客を出口へ案内するという業務もあった。で、このポジションではDiorの洗練されたクールな写真展示とともに「ふつうに京都新聞社で働いている社員さん」が導線のすぐ脇をウロウロしたり、新聞社の清掃担当のスタッフがふつうに我々の傍らで作業をするというリアリティかつ混沌とした状況もしばしば発生し、刺激的で飽きがこなかった。

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 また、閉館したあとにリーダーさんの計らいで、お客さんには通らせないバックヤードをスタッフみんなで歩かせてもらったことがあった。誰もいなくて真っ暗で、サッセンの展示だけが煌々と光り続けている空間をゆっくり味わっているとき、ふと、このメンバーでこの時間をともにすることはもう二度とないんだろうな、ということを思うと胸に迫るものがあった。

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 うん、他にも書きたいことがいろいろとある気がするのだが、ひとまずは会期のあと個人的・仕事的にもバタバタが続いているので、「終わった! ロスだ!! なんなんだこの感情は!!」という気持ちとともに、まずはこの書きっぱなしの文章のままでアップさせてもらう。自分と写真との向き合いかたもなんとなく変化していった感じもあって、アートを楽しむというシンプルな行為をたくさんのお客さんやスタッフさんたちと共有できたことのテンションの高ぶりに、いまはボーッとのぼせあがっている状況なのかもしれない。

 ということで、落ち着いたらまたこのことを書くかもしれない。

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2024.04.06

京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」がはじまるよ(ボランティアで参加します)

今年も京都市街のさまざまな場所を舞台に、4月13日~5月12日の会期で京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」が行われます。
で、今回は初めてボランティアのサポートスタッフとして、(少しだけですが)参加させてもらうことになりました。

公式サイトは(こちら)へ。

以前、観客として京都新聞社ビルの地下会場での展示を訪れたとき、「京都の地下にこんな空間があるのか!」と、写真を観賞するだけでなくそれをとりまく不思議な空間の強いインパクトにも感じ入るものがあって、また行ってみたいなー・・・あ、スタッフで体験したらもっと面白いんじゃないかと思ってボランティアに申し込んでみたら、数日あるシフトのうちこの京都新聞ビル地下会場にも1日だけ割り当てをいただけて、それがかなり楽しみ。

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他にもなかなか味のある会場で展開されていますので、京都にお越しの際はぜひ。

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2023.03.25

福井の書店「わおん書房」にて出会った『やりなおし世界文学』(津村記久子)で自分もやりなおしたくなった

出張で福井にいくことがあり、帰る前の空き時間に立ち寄れそうな本屋を探したら、「わおん書房」という小さい書店があったので行ってみた。

簡素なカフェスペースも備えていて、どの棚も「売りたい本しか置かないぞ」というこだわりが感じられるおしゃれな空間だった。

インディーズ系書店に来たからには絶対に何か本を買って帰ろうと、狭い店内を何往復もウロウロしていた私を見かねたのか、店員さんから「荷物をここに置いてもらっていいですよ」と声をかけていただいた。しかしよくみると私が肩からさげていた仕事用のカバン(着替えも入っていたからよけいにパンパン)が、店の中央に設置してある大きいテーブルに平積みされていた本たちを知らず知らずになぎ倒していたのでプヒャー! すいません! となった。

そうして気を取り直して、帰りの電車内で気楽に読めるようなコラム集みたいなものがちょうどいいだろうなとウロウロを繰り返し、装丁の良さも目をひいたので手にとったのが津村記久子の『やりなおし世界文学』(新潮社、2022年)だった。

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津村記久子さんと言えばサッカーのサポーターを題材にした小説があり、その存在を知ってはいたが、読んでいなかった。
なので、わおん書店のテーブル陳列を乱した申し訳なささに加えて津村記久子さんにも若干の申し訳なささを感じつつ、この本とともに帰路についたのであった。

でもこうした「実はまだ読んでません、すいません、テヘッ」というスタンスそのものが、この『やりなおし世界文学』のテーマともなっている。読書好きが高じてプロの作家となっても、なぜか読まずじまいで通り過ぎていった古今東西の名作文学たちについて、津村さんが「今まで読んでなくてすいません」の姿勢で一作ずつ向き合い、その感想を述べていくコラム集となっており、もともとは新潮社の『波』などに連載されていたものだ。

そしてこれが期待以上に面白かったのである。読み手としての津村さんの視点が絶妙で、ときに鋭く深く読み解いたかと思えば、下世話で小市民的なスタンスになったり、放埒な筆運びで世界文学の巨匠たちの仕事を語りまくる。

そもそも最初に登場するのがスコット・フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』である。
「もういいかげん、ギャツビーのことを知る潮時が来たように感じたのだった。」
という書き出しで、あぁーこれを津村さんはそれまで読んでこなかったのかとまずは驚かされるわけだが、
「ギャツビーは、わたしには華麗な人には思えなかったけれども、人気がある理由は辛くなるほど理解できた。少なくとも、『華麗さ』と『男性用スキンケア用品の名前だから』という理由で避けている人であればあるほど、本書の切実さが刺さると思う。」
とあって、ネタバレをギリギリに回避しつつ、自分もこの本を読んでみたいと思わせる楽しげな文体が、「津村さんも面白いし、取り上げた名作文学たちも面白い(はず)」と感じさせるのであった。

あと、毎回のコラムに添えられるタイトルも秀逸なのが多い。アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』については「幼年期はべつに終わっていい」とか、サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』については「誰もがゴドーを待っている」とか、カフカ『城』に至っては「仕事がまったく進まない」とか、こういうノリで紹介されると、今まで読んでいなかった作品も中身ががぜん気になってくるのである。

普段利用するような大型書店だと、あまり「文学」のコーナーにいくことも少ないので、わおん書房のようなセレクトショップ的な本屋さんならではの出会い方でこういう本を知ることができたのはよかった。

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2023.01.15

今さらながら「ふるさと納税」をやってみた話

数年前に、普段は業務で関わることが少ない職場の人と世間話をする機会があり、そのときに「『ふるさと納税』やってないんですか! 絶対やったほうがいいですよ!」と強くオススメされたことがあった。

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しかし、そのあとも相変わらず何もしないまま日々を過ごしていた。特産物の果物とかが自宅に届くのはよさそうだが、「マイナンバーカード」を作らないと参加できないものだと勝手に思い込んでいたのである。

で、昨年の末頃に、どうやらふるさと納税はマイナンバーカードがなくてもできるらしいことが分かり、そこで初めてこの制度について真剣に向き合った次第である。今さら・・・と思われるかもしれないが、私の周りの人にそれとなく訊いてみても、まだやったことがない人も多いみたいで、そういうものなのかもしれない。

それにしてもあらためてこの制度のことを知ると、ポジティブな面とネガティブな面があり、いろいろと奥深い。例えば最近でもニュースでやっていたが、川崎市などは市民がこぞってこの制度を利用したので「税金の流出」が問題になって、市側が市民向けに「このままだと行政サービスが低下します」と訴えていたりする(こちら参照)。
それと、約9割の自治体がこの制度に参加しているとのことで、東京都は自らの判断で辞退していたりするケースがあるものの、もしかしたらとても小さい地方自治体のなかでは、制度に乗りたくても乗れないほどいろんな意味でのエネルギーが枯渇していたりするところがあったりするのかな・・・とか想像してしまう。現在の政権下においては、「自助努力」を求められる厳しい風潮があって、それは自治体においても同様に、税収の奪い合いの競争を生み出してしまっているフシもある。

で、ユーザー側(というか納税者側)からすると、何もしなかったらそのまま税金として徴収されるぶんを、自分の思い入れのある好きな自治体に寄付できたり、災害に見舞われた地域に支援の気持ちで寄付したり、あるいは返礼品をいろいろ探して、それ目当てで寄付を送ることができ、それまで名前すら知らなかった地方自治体とちょっとした「ご縁」ができることは、この制度のポジティブな点ではある。

あと、これも自分の思い込みだったのだが、ふるさと納税の返礼品は「地元の特産物」として食品関係ばかりがほとんどだと思っていた。しかしそれ以外にも地元の製造業や観光業とも連携して、現地企業が生産する日用品とか、スキー場のリフト券なども返礼品となっていて、バリエーションが豊富であることに驚かされた。つまり普段の生活で何か日用品を買おうと思い、それが自己負担額2000円以上は確実にするもので、かつ寄付上限額を超えない限りであれば、買い物に行く前にふるさと納税の返礼品で入手できるかどうか探してみて、もしあればそっちで注文するほうがお得なわけである。

そんなわけで「もっと早くから気づいておけばよかった・・・」と、昨年末に駆け込みでいろいろと楽天のふるさと納税サイトをあれこれ検索しまくっていたわけである。

そんな私が一番最初に申し込んだ返礼品がこれである。


















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お味噌汁用に欲しかった、大きなお椀・・・。

一人暮らしをして以来、お味噌汁を一人分つくると、どうしても量が少しオーバーすることが多々あって、使っていたお椀だと一度に入りきらなかったのである。なので長い間、それとなく大きいお椀を探していたのだが、これ!といったものに出会えていなかったのである。それで今回のふるさと納税デビューにおいて、大きいお椀を探してみたら見事に出てきたのでオーダーしたのであった。

うむ、これを読んだ“ふるさと納税ユーザー”の読者諸氏のツッコミが聞こえてくるよ・・・。
「それって・・・その辺のお店で2000円以内で買えない?」と。

や、たしかに、私もオーダーした直後にそのことをうっすら思った。

しかし、実際に届いたものを手にしたら、ものすごく手触りが良く、丁寧に加工された、人の手の温もりを感じさせるものであり「おおお! これはかなり良い! 2000円以上は確実にします! ありがとうございます!」と納得した。
(寄付金額は15000円だったので、それの3割以内が返礼品価格だから、きっと4000円ぐらいのものだろうと思う)

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これは、島根県益田市にある匹見というところで生産されている「Hikimi 森の器」とのこと。今回用いられた木材はトチノキであることが焼き印で示されている。

そこで生産者さんの思いがこのように語られていたりする。
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◆生産者の想い
益田地域の山林での雪害・風害による倒木、道路建設等のためやむを得ず伐採された樹木などを譲り受けた後、製材・乾燥・ロクロ削り加工など1年以上の時間と愛情をかけて、樹木から食器へと新たな使命を与えて生まれ変わらせ、皆様のもとへお届けします。

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ということで、非常に時間をかけた丁寧なものづくりをされているわけである。
そうして生産者さんの作業風景の写真も見ることができる。ご参考までに当該ページは(こちら)。
こういうのを目にすると、たしかに応援したくなるじゃないですか。

そして匹見という地域について調べてみると、ウィキペディアでは「1960年代以降より過疎が進行しており、『過疎発祥の地』として知られる」とあり、そうだったんだぁ~となり、なおさらに寄付をしようという気持ちになったわけである。こうして知らない地域のことを新たに学べる機会にもなっている。

そして寄付控除の手続きについては、確かにマイナンバーカードを持っていない場合はプラスアルファでちょっとした書類手続きがゴチャゴチャと発生する。だが「しかるべき書類を作って折りたたんで封筒にノリ付けして封をして、郵送に備える」という一連の作業について、私の場合は長年にわたる特異な趣味(← 笑)の影響で、自宅デスクで極めてスムーズに行える体制をすでに築き上げていたため、何ら面倒に感じることはないのであった。

こんな調子で、他にもいろいろと調べては、寄付を申し込んでみた。ベタではあるが夏ごろには山梨から果物がちょくちょく届けられるように手配したりして、楽しみにしている。

私の同僚の人が世間話のトークのネタで(タテーシとの話題に困ったあげく?)ふるさと納税を持ち出してきたくなる気持ちも今ならよく分かる。「そんな返礼品があるのか!」っていうのが他にもたくさんありそうなので、情報交換したくなるわけである。

ただ、ふるさと納税は決して節税ではなく、「単なる税金の前払い」と言える制度でもあるので、昨年分を年末のうちに駆け込みで一気にまとめて申し込んだがゆえに、翌月のクレジットカードの支払い予定がえらいことになるというのがオチといえばオチである。

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2022.02.26

大阪のとなりの奈良に住んでる、とその悪人はオランダの空港で語りかける

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▲12年前に乗り継ぎではじめてスキポール空港に着いたとき。オランダの空は実にいい。その魅力と謎を探ったドキュメンタリー映画『オランダの光』はオススメ。


 いろんな国の大使館や領事館が発行している海外安全情報のメールマガジンを読む機会があるのだが、たまに詐欺事件の注意喚起があって、これがなかなか読ませるのである。
 つい最近では在オランダ大使館がこんな事件を報告していた。

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今回、当館へ情報提供をいただいた手口は次のとおりです。

1 スキポール空港第2ターミナルの自動チェックイン機周辺で外国人の男1名が声をかけてくる。

2 この外国人の男は、困った様子で、英語で「大阪に行きますか?私も行きます。チケット変更の手続きをしているが、現金では、その追加料金49ユーロの支払いを受け付けてもらえない。現金を渡すので、代わりにカードで決済をしてもらえないか。なお、私は、今、大阪隣県の奈良で働いています」と話し、現金50ユーロを手渡してくる。

3 一緒に自動チェックイン機へ行き、機械へクレジットカードを入れるが、画面が動作する様子がなく、また、表示を英語にするよう外国人の男に伝えるも、この男は「この機器では駄目かもしれない、係員にもう一度聞いてきます」と言い、一度その場から離れる。この間、この外国人の男は、現金50ユーロを預けたまま、また、自身の荷物は置いたままにし、ターゲットとした人物がその場から離れないよう仕向ける。

4 戻ってきた外国人の男は、「隣の自動チェックイン機で試してみましょう」と促し、瞬時にターゲットとした人物の手元からクレジットカードを取り上げ、別の自動チェックイン機へ移動する。この移動のため背を向けた瞬間を利用しクレジットカードをすり替える。その後、再度自動チェックイン機で操作をするが、画面が動作しないため、この外国人の男は「再度、係員に相談します。後でお会いするかもしれませんね」と言うと、クレジットカード(既にすり替えられたもの)を返却し、その場から離れる。

 本事案は、親切心を逆手にとり、また、日本に関わりがある等の情報を伝えることで親近感を抱かせた上で、行われています。また、同様の手口で入手したと思われるクレジットカードを多数所持していると思われ、すり替えたクレジットカードが、一目で自分のものではないと気付かれないよう、同種のカード、且つカード番号や名義人のイニシャルが似たようなものが渡されているとみられるほか、こうした手口からも、日本人を狙っているものと考えることもできます。

 このような事案が発生していることを念頭に、今回この種の事案が確認された空港をはじめ、外出先ではこうした被害に遭わないよう十分に注意してください。
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 ううむ、実によく計画されており、私もきっとその場にいたらダマされるかもしれないなぁと思う。簡単にホメちゃだめなのだが、見事な筋書きで演じられており、ある意味では即興芸術の域に達しているのではないかとすら感じる。

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▲なぜか自分もスキポール空港でこんな写真を撮っていたが、チェックインでこういう類の機械があって、オランダ語表示のまま使われても何がなんだか、ってなりますわな。

 それにしても「大阪の隣の奈良に住んでいる」っていうくだりが笑える。わざわざ大阪の隣っていうワンクッションを入れるあたりにリアリティを高める効果がありそうで、でも一歩間違えると胡散臭くも感じさせる、なかなか際どいシナリオだ。

 そして偶然にも私のように奈良県で育ったために土地勘がある場合、そこで考え得る対応としては「レアリー? 奈良の、どのへん?」と返答するのもいいのだろうけど、おそらく相手は急いでいるシチュエーションを演出するから、そこで話題を膨らまそうとは決してしないのだろう。もしこれが「東京の隣の埼玉」とか言われたら、私もその点についてはきっと何も言えない。だからこそそういう話題のときは知らない土地でも「最寄りはどの駅? オレは鉄道マニアなんだ!」っていう返答を用意しておくのもいいかもしれない。

 そしてもうひとつポイントとなるのは、自分が使っているクレジットカードがすり替えられてもしばらく気づかれないように、犯人が多種多様なカードを取りそろえている可能性があることだ。チェックインの機械にクレジットカードを入れさせることで、カードのデザインを観察できるチャンスを作っているのが巧妙であるが、ここでもしできるだけ変わったデザインのクレジットカードを使っていて、犯人の手持ちのストックに同じカードが該当しなかったら、おそらくこの一回目の時点で犯人は「じゃあ、係員に聞いてみます」と立ち去っていくのだろう。

 そういえばつい最近私は楽天カードの「2枚目発行キャンペーン」に乗っかり、デザインを選ぶ際にどうせならネタになるほうを、と思って

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 このイニエスタ選手のカードにしたわけだ。カードの有効期限が切れるころには同選手も引退しているだろうから、このデザインが引き続き更新されることもないのだろう(されてほしいんだけど)とも思えるわけだが、海外旅行のときはこういう変わったカードを使うほうがいいのかもしれない。


 まぁ、きっと犯人の側も、どうせならお金持ちが持っている大手会社発行のゴールドカードみたいなやつを狙うほうが効率がいいのでしょうから、ツッコミどころしかないイニエスタのカードを使いたがる旅行者には目もくれないんでしょうけど。

(まだこのカード、お店で対面のレジで使ったことない)

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2022.02.13

自分にとって最高だった古本屋が消えていく

奈良で育ってよかったことのひとつはフジケイ堂という古本屋が身近にあったことだったと言ってもいい。奈良県内に数店舗あり、とにかく良い本が安く売られている店で、商売が成り立っていたのがずっと不思議なほどだった。

それが、この2月末をもって閉店するということをツイッターで知った。

中学から大学あたりまで、何かとフジケイ堂には足を運んでいた。大学の進路選択の遠因になったF・D・ピートの『シンクロニシティ』もフジケイ堂で買ったものだし、あと、20代のはじめごろ定期的に通っていた病院の近くにあったフジケイ堂の支店では、ナタリー・ゴールドバーグの『Writing Down the Bones』の邦訳初版といえる『クリエイティブ・ライティング:<自己発見>の文章術』に出会うことになる。昨年末の記事でもこの本について触れているが、この作品は現時点での私の生涯のベスト3に入る本であり、この本と出会えたことで私は病気になったことを少しはポジティブに捉えることすらできている。

今までの自分を作ってきたいろいろな読書のかなりの部分はフジケイ堂によってもたらされていたと思える。
というわけで2月のとある日に、フジケイ堂にいくためだけに奈良へ行ってきた。自分にとって最もなじみのあった、近鉄奈良駅のそばの小西通り商店街のお店である。

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表の店構えが以前知っているものとは変わっていて、私が奈良を離れたあいだにお店は少しはリニューアルしていたのである。ただし店内の雰囲気は昔のままで、違ったことといえば、閉店セールの張り紙と、そしてレジの周囲に透明のビニールが張り巡らされていることであった。

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こういう日なので、絶対に何か本を買って帰ろうと思うわけで、そういう目で書棚を見やると・・・どういうわけか欲しいと思える本がこういうときに限ってあまり見つからない。なので書棚をウロウロし、普段見なかったような場所まで凝視する。最後の最後だから、こうしてあらためてじっくり丁寧に書棚を見る時間もまた特別なものとなった。

そうして、なんとか自分なりに選んだ本は、結局3冊のみ。
閉店セールで3割引なので、この3冊で847円・・・。最後の最後まで安すぎるだろう、この店は。

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▲ハウツー系の本は相変わらず好きだ。

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▲フジケイ堂で最後に買う本としてこれ以上ふさわしいタイトルの本はないだろうと思って手に取った。

レジの店員さんに、閉店がとても残念なことであり、長いこと営業していてとてもお世話になったことと、感謝の意を述べさせていただく。店員さんも「いろんなお客さんからお声掛けをいただいていて・・・」と言っていた。

店の入り口には以前から「小さな本から 大きな夢を」というキャッチフレーズが書かれていて、よく見たらレシートにも印字されている。それはまさにその通りなのだ、といつも思っていた。この店のおかげで出会った小さな本のいくつかは、たしかに自分に夢を描かせるだけのインパクトを与えられてきたと断言できる。ありがとう、本当にありがとう、フジケイ堂。

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▲レシートには、「またの御来店をお待ちしております」とあって、さらに切なくなる。

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2022.02.05

ふと思い出した、あるロンドンの朝のこと

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 2度目にロンドンに行った2005年4月のときのこと。
 旅の終盤、ロンドン中心部から西のほうにある町で、B&Bの民宿を1泊だけ利用した。住宅街は同じようなデザインの家屋が並び合っていて、静かな街のなかにあったその小さな宿の名前は「HWANY HOUSE」といい、私と同い年ぐらいの日本人女性と韓国人男性のカップルが経営していた。

 宿とはいえ、さすがに普通の家であった。イギリスの住宅の中で過ごすのは自分にとって新鮮な体験だったのだが、人の家だということで写真をあちこち撮ることは当時の私も控えていたらしく(上に載せた写真ぐらいは撮っていた)、宿主のお二人の写真も撮ったりしていなかったので、今となってはあらゆる印象がおぼろげである。当時あったホームページも今は存在していないようで、現在ここがどうなっているのか、そして宿主さんたちはどうしているのかも分からない。

 それでもずっと記憶に残っていることがあって、それは朝食のときの情景だった。家の玄関口の狭さのわりに、広く感じるダイニングルームが奥にあり、宿泊客がそろって同じ時間に顔を合わせてテーブルを囲むという形式だった。そこではあらゆるものが白色を基調としていた印象があって、テーブルも食器も床も壁も、そして大きな窓から差し込む光も真っ白なぐらいに、思い出のなかでずっとそこは白い世界である。

 そんななか宿主の日本人女性が食事の配膳をしつつ、宿泊客の会話に混じり、お互いが自己紹介をするような流れを作ってくれていたように思う。そのときは私を含めて4組か5組ぐらいの客がいて、全員が日本人だったと思う。
 そのうちの2組のことはまだ記憶にある。まず私と同年代ぐらいの男女ペアがテーブルについていて、職場の先輩と後輩の間柄とのこと。後輩である女の子のほうは、恋人同士という関係に加えて「先輩についていってロンドンまで来ました、押忍!」みたいなコミカルな雰囲気だった印象が残っている。
 もう一人は、自分より少し年下だと思えた男の子で、職業は「プロのゲーマー」だという。スポンサーの支援を受けながら、世界のあちこちで開催されるゲーム大会を転戦しているという(日本ではメジャーではない系統のパソコンゲームの大会だったと思う)。そういうことで生活を送っている人がいることに驚かされた。彼とは朝食のあとにも少し話をさせてもらって、愛用のキーボードを商売道具のようにカバンに入れて世界を回っている姿には感じ入るものがあった。後になって自分自身もパソコンのキーボードにこだわりを持つようになった遠因は、彼との邂逅だったかもしれない。
 あともう1組か2組のお客さんがいたと思う。思い出せなくて申し訳ないが、ともあれこのようなメンバーで、4月のある朝、西ロンドンの住宅地の片隅で食卓を共にしたわけである。

 ただし正直なところ、普段の私であればこういうシチュエーションがとても苦手なのである。私はその宿で一泊しかしなかったので、ここでの朝食は最初で最後である。そして全員見知らぬ人で、一緒に朝ごはんを食べる。どちらかというと一人旅のときはどこまでも無愛想にたたずんで食事することを好むのだが、この状況ではどうしたって自己紹介やら世間話やらをしなければならない。うん、とっても苦手だ。

 しかし不思議なもので、もしかしたら海外旅行特有のテンションというものがあるのか、この日の朝の自分は、とても饒舌だったことは確かだった。「旅の恥はかき捨て」ということが気をラクにさせていたのか、私はどういうわけか、率先してこの日のテーブルの客それぞれに話しかけて、お互いがお互いのことをよく知れるように会話を引き出し、身の上を語り合えるような雰囲気をリードしていたのであった。
 それはあたかもテレビで明石家さんまがやるような、それぞれに笑いのポイントを引き出しながら次々とゲストの面白さを誘発していくような役回りであり、テーブルの会話はとても盛り上がったので、最終的には宿主の女性からも
「タテーシさんって、おもしろいですねぇ!」
と言われて、そこで我に返ったのである。

「あぁ、確かに自分は今、すごく面白い人になっている」

という実感がすごくあって、それはとても気恥ずかしくも心地よい感覚であり、あの白い食卓の空間のなかで、自分自身が別の人になっていったような、なんとも不思議な手応えとして記憶に残り続けている。

 もうあれから17年も時間が経ってしまった。あの先輩後輩のコンビはその後も二人の旅を楽しく過ごしていったのだろうか。そしてあのゲーマー青年は今もどこかで戦っているのだろうか。人生のある時季の巡り合わせにより食卓を共にした我々であるが、おそらくあの日の朝の自分が、今のところ人生で一番面白くて社交的なヤツだったのだろうと思われる。面白さの最大瞬間風速みたいなものだ。そこをもっと普段でもコンスタントに発揮できるようにしていきたいところであるが、さてどうだろう。

 ちなみに宿を出発するとき、見送ってくれた宿主さんに、「ロンドンはいいですねぇ。ロンドンに住んでみたいです」とつぶやいたら、とてもあっけらかんとした調子で「住んだらいいんですよ!」と言われたことも強烈に覚えている。そこには何の障壁もないように、一つの世界から一つの世界への移動は、まるでクツを履き替えるぐらい簡単なことなのだと言わんばかりのテンションで返されたのだった。その後も私は何度もロンドンの地を踏むことになるのだが、そのたびにリフレインするのはあのときの宿主さんのコトバだったりする。


 さらに、ちなみに・・・このときの旅の主な目的はサッカーで、チェルシーFCの50年ぶりのリーグ優勝を見届けたく渡航のタイミングを見極めてプランを練ってホームゲームのチケットを手配した結果、実際には優勝決定の一歩手前、勝てば王手をかけるという試合(そしてバナーを掲げる私の姿がテレビで抜かれるという、狙い通りの幸運もあり)に立ち会うこととなったわけだが、奇遇にもあのB&Bの宿主のお二人もチェルシーのファンだというので、それがまた嬉しかったなぁ。

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