日本×タジキスタンはゴールラッシュ。長居でW杯予選をやるのは初めてだったらしく、そうだったっけ? となる。
ぜひ最終予選のときも長居でやってほしい。まだまだこれからなので、気長に見守っていきたい。
最近、ようやく遠藤のすごさについて理解しつつあって、それはやはり生で観戦する機会を増やしたからだろうと思う。ついテレビだとボールの動きに画面が動くので分かりにくいのだが、遠藤のプレーをみるときは、彼に視点を固定して、「ボールを出すタイミングの妙味」を感じてみてほしい。何気ないパス回しにみえる状況でも、遠藤は「いつボールを放つか」というタイミングについてものすごく微細にこだわっていて、そのおかげで相手のタイミングをずらしたり、動きだしを遠藤の思うテンポで呼び込んだりしているように思う。そういう側面で、サッカー選手の技術の評価ができることを教えてくれたのが遠藤である。
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先日、スティーブ・ジョブズが亡くなった。あまり私はアップル社についてフォローしていないので、ジョブズについてこのブログでも触れることがなかったのだが、たまたま最新号の『クーリエ・ジャポン』11月号では「ジョブズ伝説の真実」という記事があって、とても面白いポイントを示していたので書いておきたい。
記事のなかで、これは有名なエピソードらしいのだが、若き日のジョブズが、当時のコンピュータ産業で最先端を誇っていたゼロックス社のPARC研究所を訪れたときのこと。この研究所では「マウス」を使って、画面上のポインターを動かして「アイコン」をクリックしてメニューを起動させるというコンピュータを開発していた(当時はキーボードで命令をうたないと何も動かなかったわけで)。それをみたジョブズは「なんでこれを眠らせているんです? すごいじゃないですか、革命的ですよ!」と叫び、自分たちの作るプロダクトにそのアイデアを導入し、そうして「マッキントッシュ」が誕生した。ゼロックスは自分たちの手元にあった「チャンス」をうまく活かせずにその後パソコン事業から撤退することになる(お気づきの通り、このときジョブズが目撃したパソコンの革新的な操作方法は、結果的に今日の我々が使っているパソコンの操作性にそのまま継承されている)。
この記事では、この話の背後関係をめぐってさらに深い洞察を試みる内容であるのだが、私にとってはそれ以前に、この短いエピソードからうかがえるポイントに魅了される。
ジョブズは、「万人の人々がパソコンを使う時代に向けて、万人の人にいかにウケる道具を作るか」という目標をまず設定していて、一方でゼロックスの研究者たちは「いかにすごい道具を作るか」という目標に注力していた、ということである。この微細な違いは、じつはものすごく大きな意味の違いがあるように思う。
つまり、テクノロジーを創り上げる最先端の技術者・研究者たちは、技術的な向上に努力を傾けるわけで、それはそれでまったくノーマルで重要なことではあるが、そのさらに向こうにある、「多くの人にウケるのかどうか」という地平まで思考のベクトルをのばし、視野を広げながら、自分の目の前のものを見つめているかどうか、というのがジョブズおよびアップル社の成功のカギだったんだろうと、このエピソードから学べるような気がする。
どうしても僕らは、まさにゼロックスのPARC研究所みたいなスタンスを追求させてしまいがちになっていくのでは、と思うわけだ。ジョブズのスタンスは、そこの目的を「単なる手段」として捉えて、「いかに人にウケるか」という、いわば「エロい領域」ともいえるような所までガッツリと見定めていたことに強みがあった。逆に言えば、その「見定めの強さ」があれば、あとの足場(つまりこの場合では技術的イノベーションなど)は他の人のチカラを借りたり、時代の進展を待てばいいわけだ。
うまく表現できないのだが、そういうことが日常生活のいろんなところでも問われているような気がする。
「目的」とか「目標」っていうのは、じつにややこしいテーマでもあるが、何らかのヒントみたいなものをこの短い記事で得られるような気がしている。
ていうか、今さらだけど『クーリエ・ジャポン』って毎号コンスタントに満足できる雑誌。この手堅さはすばらしい。たしかにこれを読むといろいろ語り合いたくなる。
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