カテゴリー「DIY」の記事

2022.10.18

引っ越しをすることになった

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夏の終わりに、たまたまいい物件をネットでみつけたので賃貸の会社にいって、そのまま見学して即決となり、あわただしく2ヶ月後には引っ越しをすることとなった。同じ市内でちょっと場所を変えてみる感じである。
賃貸契約における「解約通知期限」(退去日の2ヶ月前の契約だった)というのがネックになるので、決めたとたんにドタバタしてしまうのが引っ越しの常なのだった。本当は年末にゆっくり引っ越したかったが、急きょ休みの日はダンボールとの闘いの日々となっていった。そして案の定、思っていたよりもペースはあがらず、ちょっと焦りが出てきているが、そういうときこそ珍しくこんなふうにブログを書いたりしてまったく関係ないアクションをしたくなるのも人間のサガというものか。

さて、向かった賃貸あっせん会社では、自分が見学を申し込んだ本命の物件にそのまま連れて行ってくれたらいいのに、こちらの条件を聞いたあと、頼んでもいないのにいろいろとデータベースから「こんな物件もありますよ」とプリントアウトを次々と渡してくる。まぁ、この業界のお決まりのパターンなのだろうけれども、次々と打ち出される物件情報を黙って受け取って一瞥するが、残念ながらほとんどの物件はすでに私にとっては調査済みのところばかりであり、「いかにこの物件が自分にはヒットしないか」をそれぞれ口頭試問ばりにスラスラと説明できるぐらいだった(それなりに候補となりうる物件はExcelですべて入力して比較していたのでマンション名まで覚え込んでしまっている)。どの提案もことごとく自分の好みには当てはまらず、私が見学を希望する物件には結局かなわないので、お店の人も最後には根負けしたかのように「よくこの物件を見つけましたねぇ」と、ホメてんだか呆れてんだか分からないリアクションをしていたのが心に残った。

そして、この本命物件は複数の賃貸情報サイトで同じ物件として掲載されていたのだが、なぜか部屋番号が同じなのにそれぞれのサイトで間取り図が左右反転となって食い違っていたり、かつフローリングの部屋が別のサイトでは畳の部屋として表示されていたりした。それもあって実際に見学を申し込んで事の真相を確かめたかったわけだが、担当者の人は、私の希望通りこの部屋はすべてフローリングだと断言した。それで実際に訪れてみると、なんと畳の部屋になっていて、苦笑いするしかないタテーシを横目にうろたえる担当者の人はすぐに管理部門に電話をかけて問いただし、その流れで家賃がその場でちょっと値引きされたのだった。それも決め手になり、じゃあなんとかウッドカーペットでも敷いて対応するかと腹をくくり、その場で契約を決意した次第であった。

(さらに言うと、この賃貸会社に出向く数日前に、この本命物件には仕事帰りのついでに立ち寄って、夕刻時の周辺の状況や駐輪場の雰囲気などを事前にチェックしておくのも、私のなかでは物件探しの基本ルーティンのひとつである。担当者の打ち出したプリントアウト1枚でなびくような決意でここには来ていないのであった)

そんなわけで、7年ぶりぐらいとなる引っ越しを、コロナ禍におけるある種の娯楽のような気持ちで楽しんでいる部分がある。古くて不要なものを見定めて一気に捨てまくり、あらゆる記憶もそのまま消えてしまいそうな勢いである。コロナ状況下での不毛でつらい日々が続いていたとしても、なんだかそういう気持ちも置いていって、新しい街での暮らしにのぞめるような感じがしている。

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2021.08.29

『B面の歌を聞け』vol.1「服の自給を考える」

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 友人の作家・太田明日香さんが主宰する「夜学舎」から、手作り雑誌『B面の歌を聞け』が創刊された。

 ここで語られる「B面」というのは、資本主義とかメインカルチャーが主軸で動いている世界を「A面」だと捉えたときに考え得る、オルタナティブな世界のありようのことだ。モノの交換だったり、できる範囲でDIY精神を発揮していったり、お金をかけなくてもいい部分をそれぞれのローカルの場から探求・実践していく姿勢を、このささやかな雑誌は問いかけようとしている。

 初回のテーマは「服の自給を考える」ということで、ハンドメイドのシャツの制作者へのインタビューや、ただ消費される対象としてでなく、服との多様なつきあいかたを提案する記事などが楽しめた。とくに、よれよれになって着れなくなった服を、型紙から起こして別の素材で縫製して“コピー”するという発想は自分にとって新鮮だったし、あと自分に技術がなく、身近なところで縫製を頼めないような場合に有用な「縫製職人マッチングアプリ」があるというのも、面白い試みである。

 読みながら感じたことは、衣食住のなかで「衣」の部分はもっとも「B面仕様」にしやすい領域ではないかということだ。たとえば「子どもが暮らしやすい家を建てる」というのはありえるが「子ども専用の家を建てる」ということは難しいわけで、そう思うと衣服というのは年齢とか目的とかの一般的な側面での「個性」に応じて、それぞれにカスタマイズが求められ、さらに嗜好やオシャレさを追求する楽しさの幅もふんだんに備わっているわけで、この領域を企業の利潤追求作業にまかせっきりにするのは確かにもったいない。

 ただし、もちろんすべてをイチから自作する必要もなく、雑誌のなかでも「不要品からパーツを流用し、ここぞの部分だけをハンドメイドとして成立させていく」というスタンスが紹介されていたりするように、「いいとこ取り」で、手作りと既製品のハイブリッドを楽しんでいくことも可能である。
 そういえばちょっと前に『ゼロからトースターを作ってみた結果』(トーマス・トウェイツ、新潮文庫)を読んで、あらためて「ものを作ること」について考えさせられたが(この本、ある意味では名著だと思う)、すべてを自分で作り上げる必要はなく、技術がゼロであろうとも、出来る限り自分で考えたり学んだりしたうえで、どうしてもムリな部分は専門家や既製品に任せることだって、そのスタンスにおいてはDIY精神であり、そうした「A面とB面を行き来するバランス感」が大切なのだろうと思う。

 次号の予定は「コロナ以後におけるお酒とのつきあい方」とのことで、「夜学舎」については(こちら)へ!

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2021.03.13

ありがとうございました@版画展

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無事に教室展が終わりました。
来ていただいた友人の方々には感謝・・・!
自分の作品を前に友人と語り合うという体験は、とても新鮮なものでした。
またこういう機会があれば。

このミカリギャラリーのある建物の雰囲気が、こうして終わったあとも体にじんわりと残るような、不思議な感覚があります。
実質的に二日間とちょっとぐらいしかこの場所にいなかったはずなのに、なんだか古くから知っていた場所のようで。

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庭の黄色いミモザが本当に綺麗なタイミングで楽しめました。

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そして展覧会が終わったということは、あの空間や時間はもう二度と再現ができないということでもあり、そのことがなおいっそう、ノスタルジックな気持ちにさせてくれます。

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2021.02.28

水彩木版画の教室展はじまりました

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先日、展覧会の会場設営に参加してきました。
自分の関わる展示をゼロから作っていくのは考えてみたら初めてかもしれません。
無心でクギを打ち込む時間とか、なかなか新鮮。

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会期はわずかですが、それぞれの日に分担して教室の受講生が当番しています。タテーシは3月6日(土)の午前中と8日(月)の最終日にいる予定。

1Fのカフェは都合によりこの期間は営業していませんが、この建物を取り囲む雰囲気が、とても良い感じであります。
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ミモザが咲いてます。

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2021.01.31

通っている木版画教室の展覧会に参加します

2019年のゴールデンウィークのときに、水彩木版画の教室「空中山荘」の体験講座を受けて、そこから教室に通うようになりました。

2年に1回、教室では受講生の作品の展覧会をすることになっていて、今年度はコロナ禍ではあるものの、なんとか準備を続けてきて、このたびの開催となりました。
水彩木版画なので、白黒だけでなくカラフルな版画がメインとなりますが、このフライヤーが示唆するコントラスト具合も楽しめる展示になっています。

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会場となるカフェ、サルンポヮクさんはまだ現地にいったことがないのですが、素敵な雰囲気の場所です。【注:現在は完全予約制で営業されています】

この展覧会にむけては、昨年の大半の時間を費やして作った作品1点だけを展示すればいいかー・・・と、新米の私は(のんきに)思っていたのですが、先生より「最低2点は出すこと」と言われ(笑)、最初の体験講習会で作ったハガキサイズの作品も額装して出展させていただくことに・・・当時まだ版画を始めるかも決めていない体験講習のときだから、無邪気に自分の趣味丸出しのモチーフで彫ってしまった拙い作品で恥ずかしい限りですが・・・。
 私の作品はともかくとしても、他のみなさんがそれはもう多彩で、版画表現のいろんな可能性を見せてくれる楽しい作品を展示していますので!!

それとは別に、「白黒の旅」のテーマにそった、共同製作的な作品も別途1点、受講生全員が展示しています(その自分の作品によせてそれぞれがショートエッセイを書き添えています)。

もし展覧会に行ってみようという方がおられましたら、事前にお知らせいただけると助かりますし、特に何も言わずフラッとご来場いただいてもぜんぜんオッケーです。ただしコロナ感染対策で入場制限をかけておりますので、場合によっては寒い中ちょっと待っていただく可能性がありますのでご了承ください。

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2020.12.31

2020→2021

 まずは自分も周りの人々も健康なままで年末を迎えることができていることに感謝。ひたすら感謝。ここまで健康管理に気を使った一年もないが、本当は普段から心がけるべきことなんだろう。

 コロナ禍って、文字通り世界中の宗教や国境の区別なく、すべての人が同時代のなかで共に向き合う課題となっていることで世界史に残る出来事になるわけだが、よく考えてみたらこういう感染症って時代を問わず発生するので、今回のCOVID-19がインターネットの発達したこの時代に起こったことがある意味ではまだラッキーだったのかもしれないと感じている。これがもし25年前ぐらいに起こっていて、情報の主要な入手先がまだテレビや新聞だけに限られた場合だったら、もっと厄介なことになっていたように思う。

 ところで花王の「ビオレ・ガード 手指用消毒スプレー」という製品をご存じであろうか。

200mlというサイズは持ち運ぶことを意識した製品となっている。ロック機構も備わっているので、不用意に噴射することもない。
 私もこれを買い求めた次第だが、カバンに入れて持ち運びたい場合、もっと収納しやすくて、かつ剥きだしのノズル部分をカバーできるような工夫ができないかを、このごろずっと考えている。
 いつも通勤電車のなかでみかける男性が、カバンについているペットボトル収納用のポケットにこのスプレーを差し込んでいるのだが、たしかにそうしたくなる気持ちは分かる。ただ、できればカバンの内部に収めたいところではあるので、何かを代用してケースのようにして、かつ取り出しやすくするような仕組みができないか、あるいはノズルで指をかけるところのプラスチック部分を削ることで形状をよりシャープにできないか、といったカスタマイズの可能性をぼんやりと考えている・・・そして、いまだにその解決策が見いだせていない状況ゆえに、スプレーをカバンに入れずに机のうえに置いたままだったりするので、本末転倒ではあるのだが。

 そういう「改造」を考えたくなるマインドがわき起こるのは、すぐ影響を受けやすい私が最近読んだ本が、とても楽しかったからである。


F1マシンのデザイナー、エイドリアン・ニューウェイの自伝『HOW TO BUILD A CAR』(三栄、2020年)では、空気力学のプロとして彼が手がけたマシンの設計において、そのときどきに考えだしたことやアイデア創出のプロセスが、工学の知識がない読者にも分かりやすく解説されていく。アイルトン・セナが事故死したときのマシンも彼の手によるものだったが、あの出来事を境に安全性との共存を図る時代的要請とともに様々なルール改定が行われ、その「網の目」をいかにかいくぐり、速さを失わないように知恵を絞るかという、そうした試行錯誤のせめぎ合いが折々のエピソードとともに語られており、ある意味ではビジネス書のような読み方ができる労作である。

 ニューウェイの本のおかげで「空力」の重要性についてあらためて意識するようになった私だが、さしずめ日常生活でそのことを活用できる場面といえば、マスクを着けるときにメガネが曇りにくいようにするため、いかに鼻の頭の部分までマスクを引き上げて折り曲げるかといった「鼻息の空力」について毎朝あれこれと苦慮することぐらいであるが・・・。

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さて2021年を迎えるにあたり、当然ながらコロナ禍の動向が気になることは変わらないが、ひとつお知らせできる個人的なイベントとして・・・ふと思い立って昨年から通い出した水彩木版画教室において、2年に一度、教室展として受講生の作品を合同展示する機会があり、それが2月末から3月頭、大阪・箕面市のミカリ・ギャラリー(サルンポヮク2階)で行われることになっている。コロナ禍において毎月メンバーで話し合いを続けながら実施形態を模索しつつ、講師の先生の指導のもと準備を進めている状況。まだ正式には案内ができないけれども、ひとまず予告として。

2021年こそは平穏な年となりますように・・・。

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2020.05.09

動きの遅い私でも、いつでもメディアになりえること:『野中モモの「ZINE」:小さなわたしのメディアを作る』について

 

『野中モモの「ZINE」:小さなわたしのメディアを作る』(晶文社、2020年)

 

この本の帯にはこう書いてある。

「何かを作りたいと思ったら
 あなたはいつでも
 メディアになれる」

 フリーペーパーのようなものを作ってみたいと衝動的に思ったころの自分に言ってあげたい言葉だ。


 
 ごくたまに、若い人に向けて、自分が作っているものについての話をさせてもらう機会があったりする。そして私が高校3年生のときにフリーペーパー『HOWE』を作りはじめた頃のくだりで、必ず言いたくなることがある。
 それはきわめて当たり前のことなのかもしれないが、「人がメディアを語るとき、その人がどういう時代のなかで、どのような個人史においてメディアを捉えてきたか、そこを想像しながら聴いてほしい」ということである。

 私が自宅のワープロ機で最初のフリーペーパーの原稿を印刷したとき( とはいえインクリボンは高額だったのでめったに使わず、熱転写でプリントできる安い感熱紙であらゆる文書を打ち出していて、こうした保存がきかない紙で初期の『HOWE』を作っていたことを後々になって後悔することになるわけだが )、まだインターネットというものの存在は知らなかった。その年の暮れに「Windows 95」というパソコンの基本ソフトが発売されて盛り上がっている様子がニュースで盛んに報じられていたが、まだそのことの本当の意義やその直後に起こりうることはよく分かっていなかった。
 その翌年大学に入り、友人MSK氏に教えてもらい、図書館に置いてあるごく一部のパソコンだけがインターネットにつながっているというので、そこで私は初めてウェブサイトというものを見て衝撃を受け、それからはネットサーフィンに明け暮れるようになった。
 しかし私はそれでもホームページづくりではなく、すでに自分がカタチとして持っていた「新鮮な遊び」ともいえるフリーペーパー作りにもう少しこだわろうと思っていた。

 もしこのタイミングが少しでも違っていて、高校生の頃にインターネットに触れていたら、私はおそらく「紙によるメディア」を作ろうとはまったく思わなかったかもしれない。

 こうして個々人にとってのメディア体験を語ることは、その人の生きた時代なり技術史なりとの関係のなかにおいて受け止められることによってようやく「その時々の面白さや意味」が浮かんでくる。

 すでに『日本のZINEについて知ってることすべて』(誠文堂新光社、2017年)という決定的な仕事により、戦後占領期以後から現在に至るいくつもの自主制作印刷物について網羅的な解説をされた野中モモさんが今回の新著で取り組んだのが、まさにこの「メディア環境の変遷と個人史」を書ききることだった。まだ見ぬ若い世代の読み手にZINEの面白さや可能性を伝えるためには、やはりどうしてもこの作業が必要なのだ。おそらくご本人にとってしばしば書きにくさを感じるテーマだったかもしれないが、こうして日本のZINEカルチャーを応援し、また実践者としても試行錯誤してきた独自の取り組みのあれこれを読者と共有するためには、やはり野中さん個人による「私語り」からはじまっていくのが最もふさわしい。そしてそれは、決して「こういうルートがモデルである」というのではなく、むしろまったく逆で、「それぞれのオリジナルな自分だけの土壌から、いかにメディアを紡ぎ出すか」を示すことであり、そのひとつの手段としてZINEがあるのだ、ということだ。

 そして第2章からつづくのは、さまざまなZINEの作り手や、ZINEをめぐるコミュニティについての紹介になるのだが、そこにも「参考となるモデル」ではなく、「極めて独自の、他にない、その人ならでは」の話が連なっていく。だからこそZINEは「わたしがつくるもの/誰でもつくることができるもの」としての意味が深まっていくのであり、この本がトータルで伝えたいことも「お手本なんてないし、求められるクオリティなんて関係ないし、あなたの立ち位置から、自由に作ってみよう」なのだと思う。

 冒頭の帯のコピー、「あなたはいつでもメディアになれる」をあらためて考えると、これもそれぞれの読み手の世代によって、捉え方が違ってくるのだろう。今では誰でもメディアになれる(ならざるを得ない)ことは自明のことのようにすら思えるかもしれないが、この本でいう「メディアになる」というのは、技術革新のスピード感とは無縁のものだ。すでに広がっている、大きな組織や経済によって構成されてきた仕組みに同調するのではなく、それらと趣が異なる地平に降りていき、遠くにいるかもしれない誰かに向かって、自分の腕力でできる範囲で、その想いを放り投げ続けていくことなのだ。

 そうした試行錯誤が、たとえすぐには誰かに届かなくても、広い世界に向かって精一杯に腕を振って何かを投げたことで生じる、どこか心地よい疲労感が肩に残る感じ・・・その「手応え」みたいなものが、ZINEという「手間がかかって、なにかと遅いメディア」を自分の手で作り上げていくことで得られる楽しさなのだろうと思う。

 

 ・・・そして今回のこの文章はまさに、ここ数年のあいだ様々な言い訳を連ねて何もZINEやフリーペーパーを作ることができていない自分自身に、ダイレクトに跳ね返ってくるわけであるが・・・遠くに投げたいけど、その腕力もめっきり落ちてきまして・・・いやいや、がんばりますよ、ええ。

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2020.05.03

外に出かけられないし、掃除機をデコレーションしてレーシングカーっぽくしてみた

 掃除機を新しく買おうと決めたのだが、どうせなら以前やったネタのように、レーシングカー的なデコレーションがやりやすそうな掃除機を買おうと思った。つまり、性能とかは度外視である(もちろん価格は考慮したが)。
 そうしてさまざまな掃除機の「外観」だけをチェックした結果、購入を決めたのが東芝のVCーC7である。まるで掃除機のジャケ買いだ。

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 いかがだろうか。デコレーション欲をかきたてられないだろうか、なりませんか。ボディーワークの優美な曲線が、「マシン感」を醸しだしている。
 
 そうしてあらためて掃除機のデザインを、レーシングカーとの接点という文脈で眺めてみると、面白いことに気づかされる。タイヤがついていて、高速回転する部分があって音がうるさく、そしてサイクロン部分の透明パーツはドライバーのかぶるヘルメットのバイザーのようにも見えてくるし、さらに言うと吸引ホースだって、見ようによってはまるで「燃料タンクの給油ホース」のようである。つまり家電製品のなかで、掃除機はもっともレーシングカーの“様態”に近いのである。このことに気づいているモータースポーツファンはどのくらいいるのだろうか? 私は世界中で似たようなネタをやっている人をそれなりに探したつもりだが、ついぞ見かけなかった。どうしてもっと多くのマニアは、こんなにも「似ている」のに、自宅の掃除機をレーシングマシンっぽくデコレーションしようとしないのか!? (まぁ、家族の理解が得られないのだろうけど・・・)

 

 そんなわけで、私は(今回も)イタリアの酒造メーカー、マルティーニ社のスポンサーカラーを表現するべく、1971年のルマン24時間耐久レースで優勝したポルシェ917Kをモチーフにして、ひたすらステッカーを作って貼りまくってみた。

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▲この記事をアップする直前まですっかり忘れていたが、以前ドイツを旅したときに、ポルシェ・ミュージアムに行っていたのだった。この写真はそのとき観た別の917。

 

 今回は2種類のステッカー用紙を使ったが、ボディの白色部分には今回はじめて「伸びる素材」の用紙(透明タイプ)を使ってみた。これが程良い素材感で、マットな色調で貼り付いた部分にもなじみやすかった。黒っぽい部分には下地が透けない通常タイプのステッカー用紙を使っている。あとはいつも通り、ネットで企業ロゴを検索できるサイト(こちら)や(こちら)などを参考にしたり、カーナンバーの写真をIllustratorのソフトでなぞって自分で作ってみたりした。

 

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 こうして作ると、今にも勝手に走り去っていきそうな掃除機となった。スピード感ではあのルンバもまったくかなわない驚きのポテンシャルを秘めていそうだが、自動で掃除まではしてくれなさそう。

 

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 1971年のルマン24時間レースのことはもちろん、このポルシェについても本来はまったく自分には馴染みがなかったが、この掃除機とともに少しずつ親しみを覚えそうである。まぁ、そもそも掃除機に「ポルシェ」のロゴを勝手に貼り付けて「まるでポルシェがデザインしたような掃除機ではないか!!」と一人で盛り上がっている時点で、何かしら貧乏くさい気分になりつつあるが、そこは置いておこう。出来上がってしまったものは仕方がない。

 そしてこれは本気で真面目にアピールしたい部分なのだが、こういうデコレーションをすることで、掃除機を「見せる収納」として置いておくことができるのである。まるでお気に入りの楽器を立てかけているような感じで、この掃除機も部屋のインテリアの一部として、すぐ手の届くところに置いてあり、部屋の彩りになっているのである。
・・・「奥にしまえよ!」というツッコミは、ナシで。

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▲まぁ、単にどこに置いても家のなかで存在感出しまくりなので収納する気にもならず。

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2019.12.14

MARTINI RACING風のウェットティッシュケース

ふとキャンドゥの100円ショップにいったら、こういうものをみつけた。

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ウェットティッシュのケース。

白くて角張っているのがとってもいい感じ。

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中ふたが着脱可能なので、そのへんもよくできている。

 

最初これを出先のキャンドゥでみたとき、荷物がかさばるので、後日あらためて他の近所のキャンドゥで買おう・・・と思ったのだが、いざ探してみるとぜんぜん他の店になくて、こういうのは100均とはいえ一期一会なのねぇと痛感し、面倒だったがもう一度同じ店に出向いて購入。(追記:Seriaでも売っているみたいです → こちらなど参照)

 

これを欲しくなった理由としては、パソコンで印刷したシールでデコレートできそうだと思ったからである。

というわけで、最近凝っている、レトロでちょっとケバい雰囲気の「MARTINI RACING」風にアレンジしてみた。

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▲こういうイメージです。

 

いくばくかの試行錯誤の末、シールを貼ってみると・・・



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うむ。

深く考えずにシールを配置してみたら、なんだかプレゼントのリボン包みみたいなノリになったので、妙に可愛げが増したな。

以上、最近の工作ネタです。

 

★作ったシールの原画のPDFをアップしてみます

ダウンロード - martinie382a6e382a7e38383e38388e38386e382a3e38383e382b7e383a5.pdf

 

 

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2019.07.07

もはや自分の持ってる黒い電子機器をすべて「ピンク・フロイドの機材」にしてしまいそうな勢い

近年はKING JIMのポメラを使ってブログの下書きなどを書いたりすることが多い。外出先でがっつりテキストを書くだけでなく、最近は自宅の机にも適当に置いておいて、すぐに何かが書けるようにしている。パソコンの起動を待つことなく、スパッと「はい、テキスト書いてね」という感じになるスピード感が好きだ。

しかし、こともあろうに最新のDM200という機種で「バッテリー方式」を採用してしまったKING JIMには、「目を覚ませ!」とマジで言いたい。バッテリー頼みのポメラなんて「使えないノートパソコン」と同じようなものに成り下がってしまったも同然で、それはつまりクズだ。長いこと放置していて、ふとした機会に使おうと思っても、乾電池の予備さえあれば何の心配もせずに起動して書き続けられる作業環境を創出させることがこのポメラの唯一無二の良さじゃないのか。月に1回ぐらいしか更新できていないブロガーだって立派なヘビーユーザーなんだぞ(笑)。

なので、ひとつ前の機種になるDM100は、「乾電池が使える」ということで、KING JIMの商品開発者やマーケティング担当者が「やっぱりバッテリー方式はクズだった」ということを正直に認めて改心してくれるまで、今後も使い続けることになるであろう。というか、もはやこのDM100はポメラという機種のなかで「これ以上は進化しなくてもいい」と思えるほどの完成度の高さなので、もしこれが故障してもおそらく次に買うのもDM100になるだろうと思う。

そんなわけで、この黒い筐体に愛着を覚えると、ふと以前作った「ピンク・フロイドの機材っぽく見えるキャリーカート」のネタ(こちら)を想起し、ポリカーボネイト専用スプレーで同じようなものが作れるのか実験してみた。

小さめのロゴを切り抜いて、スプレーで塗装してみると・・・

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はい、問題なし!(笑)

塗装が剥がれることなく(今のところ 笑)、しっかりと定着。

少しだけ液だれしてしまったところがあるが、おおむね満足。

もはや何がなんだか、って感じであるが。

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