「自転車の盆栽化」というコンセプトをアムステルダムで考えるの巻
アムステルダムは実質1日半しかいなかったが、来てみるとじつに心地よい雰囲気の街で気に入ったので、また何度でも行きたい場所になった。
さて、今回の記事はアムステルダムにおける自転車に注目してみたい。
話には聞いていたが、たしかにオランダは自転車の国だと感じた。
街中に停まっている自転車で、目についたものは写真に収めていった。
これはレンタルサイクルだった。分かりにくいが、ペダルの根元付近のフレームに、それぞれ識別番号がくり抜かれているのがデザイン的にポップ(画像をクリックするとちょっと拡大します)。
ただし、こういう綺麗な自転車はむしろ少数派だ。アムステルダムの街中にはどちらかというと「ちょっとボロボロで、でも味のある自転車」が見受けられ、そうしていくつもみているうちに、私は「自転車の盆栽化」という概念を思いついた。
つまり、
・自転車を積極的に古びさせ、キズや汚れすらも次第に味わい深いものへと昇華させていく
・でもただ古いだけでなく、端々に自分らしさは演出する
・古くすることで風景に溶け込ませたり、盗まれにくくなったりするかもしれない
と、こういう要素が感じられたのである。盆栽を時間をかけて育てていき、古さや汚れも徐々に味わいとなっていくような、そういう感覚がこの国の自転車には、ある。
この泥よけ部分の茶色は、すべてサビである。サビに見えない美しさがあった。そしてフレームも自分でスプレー塗装しているように見受けられる箇所がある。
サドルのカバーが街中でわりと売られていて、そこがカスタマイズ化のポイントになる。
これもそうだが、造花で飾り立てる自転車が多くてヒッピーライク。
これも全体的にサビサビでボロい。でもサドルカバーの赤色も効いていて、そして大きい鎖のチェーンがかかっているあたり、結果的にトータルでファッションセンスを感じさせる。
・・・こんな調子で、「ほどよくボロボロに、かつオシャレに、個性溢れる自分の自転車ライフ」というのを演出しているような気がするのだ。これを私は「盆栽化」と捉えた。時間とともにジワジワと自転車をわざと汚していき、でもきっちりと味わいを生み出していく。こういうプロセスが仮説としてありえるのではないだろうか。
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その他に気づいたこととして、
そもそも多くの自転車は、停めるときに日本の自転車のような「自立するスタンド」がついておらず、柵やポールにチェーン状のものでくくりつけていく。
で、アムステルダムに特化して考えると、運河がたくさんあって、街中を通っているから、おのずと柵のようなものも張り巡らされることになるのだ。
だからそういう意味では自転車をくくりつける場所には困らない。
かつ、「柵にそって自転車をくくりつける」わけだから、自立して停める自転車とは違って歩道をふさぐ可能性が低い。
日本だとついぞ自転車を歩道に停めることは歩行者のジャマになるしかないので、結果的に都心部になればなるほど駐輪場を探すしかなく、クルマと同様の面倒くささを味わうことになる。
もちろん、たまにこういう駐輪場もお目にかかる。
ちょっとしたデザインセンスを取り入れると、これすらも何らかのオブジェのように見えるのが不思議。
あと驚いたことは、自転車に乗る人がきっちりと「手信号」をしながら曲がったりしていたことだ。リアルに自転車で手信号をする人を初めて見た気がする。自転車専用道路が備わっている社会なので、手信号も当然のように行われるのであろうけど、このへんの律儀さはちょっと予想外だった。日本でやるとちょっと恥ずかしいし、そもそも小学校とかで自転車の講習が行われるときにどれだけ手信号を教わるのか。
日本もオランダと同様狭い国なわけだし、もうちょっとこうして都心部でも自転車でうまく生活できるような状況になってほしい。
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