Posts categorized "消費社会"

2017.03.04

さいきんのこと:プレステVR、デロンギ、『繁栄』、三谷幸喜と清水ミチコの対談について

 先日同僚のタスク家におじゃましたときに、最近話題の「プレイステーションVR」があって、ちょっと遊ばせてもらった・・・いやはや驚異の体験とはまさにこのことで、ゲームの世界に没入するというのは、文字通りの意味でこのVRという装置が叶えてしまった。

ファミコンをはじめて触って以来30年近くが経ったが、家庭用ゲーム機はついにここまできてしまったのかと、何か踏み込んではいけない領域を垣間見た気分で、「すげー!!」と叫びまくってしまった。当然、プレイ中は周囲に頭とかぶつけないようにしないといけないわけで、バーチャルの世界に埋没するがゆえに気をつけないといけない物理的状況を、現実的に配慮しないと危険なのである。当たり前といえば当たり前なのだが。

 実際にVRに対応したゲームの世界では、こちらの自由意志による視点移動を現実世界のそれのようにあらゆる角度で表示することを可能としている。つまり走行中の車のなかにいて、後ろをふりかえってみると、こちらの首振りのスピードに合わせて後部座席に映る景色をスムーズに見せてくれるわけだ。ふー。

 タスク氏はこのVRをまだ自分の子どもたちにはプレイさせておらず、それはとても賢明な判断だと思った。物心ついたときからこうしたバーチャル・ゲーム機器で遊びまくることで、いざ自分が生身の状態で運動をするときに、どうしても物理状況における限界、「身体が動き得る幅の狭さ」みたいなものを感じてしまい(動きにくいし、失敗したらケガも怖いし、いいことがない)、リアルな運動に興味を抱かなくなる子供が今後増えていくんじゃないかと想像してしまう。あくまでもバーチャルが楽しいのはリアルとの比較があるからなのだが、こうしたバーチャル・ゲームの流れが不可避となると、大きい目でみたときにどういう影響が浸透していくのか、見守っていくしかないのだろう。

 ちなみに、ゴーグルで映像を見せる装置という観点でいけば、このVRをつけたときに真っ先に感じたのは「まるで映画館にいるみたい」ということだったので、寝たきりの人とかがDVDの映画を楽しむときの補助具というような方向性も今後発展していくのだろう。


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いまさら驚くべきことではないのだが、住んでいる場所がとても寒く、部屋が冷え冷えとしており、エアコンだけでは限界を感じていた。しかし改めて賃貸契約をみると、燃やす系の暖房機器は使えないので、最近思い切ってデロンギのオイルヒーターを買ったのである。

 いままでオイルヒーターの導入をためらっていたのは、「置き場所によって性能が発揮できるかどうかが決まる」とか、「すぐには部屋が温まらない」という情報が、どうもひっかかっていたからである。しかし、ためらっているあいだにも部屋は寒いままであり、「ないよりはマシだろう」と買ってみたわけだ。

 そして結論からいうと「たしかに、いったいどこに置くのが正解なのかが分からない」ということだった。いちよガイダンス通り、もっとも寒くなりやすい窓際に置いているのだが、あまりにカーテンや壁にヒーターを近づけすぎると危険らしいので、このポジショニングが実に中途半端なものになるのだった(電源コードとコンセントの関係も考慮しないといけないし)。そして案の定、あまり温かさを感じることはない。

 これは何かに似ているなぁと思ったら、それは「どこのポジションが最も適正なのか分からないままのサッカー選手」だった。チームを去るときまで、結局どこのポジションがベストだったのか分からないままの選手はかなり多い。そのモヤモヤがまさにいま、オイルヒーターという物体として私の日常に、ささいな懸念事項として存在しているのである。

そういう意味ではかなり人間くさい器具かもしれない。そう思うと愛着すらわいてきた。寒いけど。

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 最近読んだ本でダントツに面白かったのが、マット・リドレー・著『繁栄―明日を切り拓くための人類10万年史』 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2013年)だ。

「いろいろ言われているけど、世界はこの10万年単位で、確実に『良く』なっている」というのがこの本の主張なのだけど、その是非はともかく、人類の繁栄のキーとなったのが「分業と交易・交換」という概念であるというポイントはとても示唆的だ。あるアイデアを、他人とシェアしたり、交換しあうことで、新たなアイデアが生まれていくということをひたすら繰り返してきたからこそ、人類は生きのびることができたというのがこの本全体を通して検証されている。

このネット時代だとなおさらその「分業・交換」のプロセスは予想を上回る規模とスピードで行いうるのだから、そうしてまた新たな課題解決に人類は取り組み、乗り越えていけるのだろう・・・という前向きな気分が読後感として残るので、ひろくオススメしたい一冊。

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あ、あともう一冊、このシリーズをいままでなんでスルーしてきたのだろうと後悔していて、このごろジワジワと集めて読みまくっている。三谷幸喜と清水ミチコの対談集。

もともとはFM番組での喋りを文章化しているのだけど、なんかこう、言葉のテンポや相手の発言への切り返しとか、文章だからこそできる「ある種のカタチやパターン」において、読み手を引き込んで、笑わせる技術に昇華させていて、この二人の絶妙なレベルでの掛け合いが、読んでいて爽快なのである。

ちなみに「むかつく二人」の文庫版は6年前に出たものだが、巻末の解説はいまをときめく星野源が書いていたりする。



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2016.12.26

乾物屋スモール(大阪・高槻)に行ってみよう

以前も紹介した『スロウダウン』というフリーペーパーをつくっていた大学時代の後輩のまぁこ嬢が、旦那さんとともに高槻に古民家を買い取り、そこを改造して乾物屋「スモール」を10月にオープンさせた。
出来上がる直前、1日だけ自分もお店の壁の漆喰塗りを手伝わせてもらった。「こんなシロートが漆喰塗って大丈夫ですか」と思ったが、やってみると楽しくて、こうしていろんな人の手でDIY的にお店が出来上がることが面白くもあった。

オープン直後に訪れた写真がこちら。

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『スロウダウン』のなかでも、食べ物を大切にこだわって作っているさまざまな生産者の人への詳細なインタビューやレポートが書かれているが、そうしたつながりのなかで出会ってきた人々との関わりがこんどはお店の形になって、こうして我々が実際に購入できる場を作ったのであった。

お店のホームページは(こちら)。

そしてお店の場所が確かに分かりにくい。
ホームページではJR高槻駅からのバス利用の行き方が紹介されている。
JR高槻駅北乗り場②塚脇・下の口行きに乗車し、「塚脇」下車。約15分。
 バス停を降りたら、道路を反対側に渡って、バスの進行方向と逆にしばらく歩く。
 田んぼを左側に見ながら、その田んぼが終わったところを左折。
 右手に小さな坂道(服部連塚の表示があるところ)をしばらく登っていく。
 服部連塚の矢印の方(右折)に進み、つき当たりの白い家のところを左折。
 右手の角の家がスモールです。
 ぐるっと回ると入り口があります。

とのことで、「服部連塚」というのは小さい古墳のこと(こちら)。
そこで私なりにグーグルマップで文字を追加した地図はこちら。

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(クリックしたら大きくなります)

で、当初は私はここよりもちょっと西側の路地に迷い込んだのだが、かなり独特の面白い雰囲気をただよわせているエリアだったので、むしろ「さんざん迷ったほうが面白いぞ!」とオススメしたい気分であった。

営業時間11:00-18:00
日・祝・月 定休とのこと。

いろんなワークショップやイベントも実施されているので、自分もいつかここで何かやってみたい。

ここを訪れるお客さんには、まさに雰囲気はスモールだけど志のおおきい、ポジティブなエネルギーに満ちたまぁこ嬢と、食の安全やいろんなお話を楽しんで欲しいと思う!


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2016.02.01

スマートレターとかクリックポストとか、日本郵便のサービス名称がいまいち覚えにくい

今日まで知らなかったのだが、日本郵便はクロネコメール便を叩きつぶしたあとに「スマートレター」なんてサービスをいつのまにか始めていたのな。

A5サイズで1kg以内だったら180円で送れる。

ちょうどDVDケースがぎりぎり収まるぐらい。

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ちなみに信書もOKとのこと。

政治的圧力により(そう言い切ってもいいだろう)、クロネコメール便がなくなってしまったあと、どーしようもないので、腹立たしさを覚えながらもしぶしぶ日本郵便の新サービスである「クリックポスト」を使うようになったのだが、いずれにせよこの手の郵便サービス、ネーミングがいまいち覚えにくい。どういうわけか、記憶に残りにくい。

実際、さっきこのスマートレターを買った「ゆうゆう窓口」のスタッフだって、「スマートレターください」と言ったら一瞬ポカンとして「なんだっけ」みたいな瞬間があったことを、私は見逃さなかったぞ。
(あ、『スマートレター』って、ひょっとしてスマートフォンという言葉が由来なのか? まさか、そんな)

それで思い出したが、どうして「エクスパック」という名前をやめてわざわざ「レターパック」に変更したのかもよく分からない。「レター」って、もはや郵便局という概念においてトータルに関わってくる言葉だから、あたかも飲食店チェーンの名前に「グルメ・レストラン」って名付けるぐらい落ち着かない感じがするのだが。

で、私なぞは、あえて郵便局の窓口でもいまだに「エクスパックください」って言ってしまうのである。たぶんこれからも意図的に「エクスパック」って言いたくなるかもしれない。



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2015.04.16

酒のケントボーイズにロンドン風情を感じる件

店の看板に「酒の」とつくので、あまりお酒を飲まない自分はいままで利用したことがほとんどなかったのだが、引っ越し先の近所に「酒のケントボーイズ」があったため、たまたま店内に入ってみたら、驚いた。

「ここ、イギリスのオフ・ライセンスの店っぽい!!」

その支店だけがたまたまそうなっているだけかもしれないが、酒だけでなく食料品や日用品や雑貨など、ゴタゴタしたノリでいろいろなものが売られていて、若干薄暗く、狭い店内に商品が敷き詰められている。
そして、店内にうっすらと流れるBGM。

これは、ロンドンを旅している気分である。

かの国には「オフ・ライセンス」と呼ばれる個人経営っぽい商店が街のあちこちにある。おそらくこれがあるがために、日本的なコンビニは作られにくいと思える。
「ライセンスがオフである」というのは、「この店内ではお酒は飲めません」ということのようで、つまりは酒屋さんのことである。酒屋がメインだけれども、食料品や雑貨や新聞雑誌などいろいろなものがそろう。

グーグルで画像をみてみると、

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だいたいがこういう店構えで、

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そう、こういう無愛想なオヤジさんが一人で店をやっている雰囲気。レジ横のガムやキャンディーの棚なんて、じっくり眺めてられない気分になりがち(笑)

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色気のない商品の陳列スタイル。

こういうオフ・ライセンスの店がわりと夜遅くまでやっていて、飲み物や果物とかパンとかを買って宿に戻る、っていうのが自分としては「ロンドンに来たんだなぁ」ということを実感できる、旅先での空気感のひとつである。

そういうテイストを、近所のケントボーイズでは知ってか知らずか、ナチュラルに表現できており(しかも輸入食材もわりと多いので、なおさら無国籍感がある)、ムダにここで積極的に買い物したくなる。

これがきっかけで、「オフ・ライセンスっぽさ」っていう尺度でもって日常の食料品店をあらためて観察してみるという、あたらしい趣向を手に入れた。
ほかのケントボーイズの支店ではどうなのか、ちょっと気になっている。


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2014.12.23

Harukana Showポッドキャスト:2週連続で、あれやこれやと。

イリノイ州アーバナ・シャンペンのコミュニティラジオ番組「Harukana Show」、2週連続で話をさせていただきました。
「ちょっと古いもの、がオシャレになっている話」とか、新作のZINEの話(こちら)。
そして、小説『ジェネレーションX』を読んで人生踏み外したなーっていう、改めて聞くとはずかしい話(こちら)。あぁだからDIYとかに人生の関心をシフトさせていったのか、とタテイシがしゃべっているうちに気づいていくあたりも、聞く人が聞くと痛々しい(笑)。

ポッドキャストを聴き直して気づいたことがあって補足すると、「物語をクリエイトしていく、言葉の可能性」っていう、その言説もよく考えたら、ヴィム・ヴェンダースの映画『夢の涯てまでも』(1991年)の最後の最後で出てくるテーマだった。結局そんなところからの影響ばっかりやんけ、っていう(笑)。 

ちなみにこの映画はヴェンダースの大失敗作のひとつらしいが、中高生の頃に観てしまった以上、ただストレートに私にはグッときてしまったものがあったので、いつまでも大事にしたい作品なのだ(でもあまりに駄作らしく、日本版DVDがこの作品については今の時点では入手できない 笑)。

↑日本での劇場公開時のポスターを見つける。買うかどうか迷い中。

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2014.11.10

『ヒップな生活革命』著者・佐久間裕美子さんトークイベント@京都市立芸大ギャラリー@KCUA

 アメリカにおいて近年ひろがりを見せているオルタナティブでインディペンデントなライフスタイルの現況を、徹底した現地取材を通して描いた本『ヒップな生活革命』(朝日出版社)の著者・佐久間裕美子さんが来日し、この数日間あちこちでトークイベントをされていて、今日は京都市立芸大のギャラリーKCUAで行われたので参加してきた。

 本には書かれていないことについて話していたことで印象的だったのは、最近佐久間さんが取材を重ねているというデトロイトの事例。
 自治体の財政破綻や不況により、産業力や人口が激減し、交通インフラも悪化していったなかで、30代の若者が、中古のバスを買い取って、いわゆるコミュニティバスを自前で運営しようとした。しかし前例がないということで、保険も下りず、なかなか現実には難しいわけである。
 そこで目をつけたのが、飲み屋さんの存在。飲んで帰るお客さんを、いわゆる「代行タクシー」みたいに家まで届けるというサービスをすると、飲み屋のサービスの一環とみなされて規制をクリアできるとのことで、「それなら地域の飲み屋さんと飲み屋さんを結んでいって、独自の『バスルート』で運行すればいい」というアイデアに至ったとのこと。
 こういう「簡単にはめげないで粘り強くアイデアをひねりだす発想力」みたいなものが、私にとっては「DIY精神」の一種だと思えるので、痛快に思う。
 そんなわけでこの本はそういう「生活革命」ムーブメントとしての発想のネタになるような事例が、食べ物やファッション、音楽やメディアといったさまざまな分野から紹介されている。どれも「あー、いい線ついてるなー!」と感心することしきりなので、こういう話がもっと日本でも一般的にひろがっていけばいいなぁと願う。

 あとどうしても個人的に質問したかったことがあった。この本で紹介されている「エースホテル」の事例が特に興味深くて、安い施設を買い取ってホテルにするのだけど、いわゆる一般的なホテルとは違って、アーティストやクリエイターといった人々を招き入れる仕組みを充実させ、部屋代を安くするなど、とにかく「人と人が出会う刺激的な場づくり」を追求していったとのことなのだが、この事例を読んで私はどうしても、自分の人生で最も大事にしている小説である『ジェネレーションX』(ダグラス・クープランド・作)のことを思わずにはいられなかったのである。
 この小説は最終的に主人公たちが砂漠の生活から離れて、小さなホテルを自分たちで経営するために新たな旅に出るところで終わるのだが、そのホテルをどういうふうにするかというプラン(妄想)が、登場人物の一人であるダグによって物語の途中で語られていて、引用すると・・・

「友だちや変人たちだけのための小さなホテルを開くんだ。スタッフには、齢とったメキシコ人の女性と、気絶するほど綺麗なサーファーやヒッピー・タイプの若い男女を雇う。そういうのは、大麻をやりすぎて脳みそがスイス・チーズ化しているからな。そこにはバアがあって、みんな名刺や金を壁や天井に止めるんだ。照明は唯一、天井のサボテンの骨格の蔭に隠した十ワット電球いくつかだけ。夜ともなれば、お互いの鼻から亜鉛軟膏を洗いあい、ラム・ドリンクを呑み、物語を語る。いい話をした人間は、ただで泊まれる。バスルームを使いたいときは、壁にフェルト・ペンで面白いジョークを書かなくちゃならない。そして、どの部屋も節だらけの松材を壁にして、お土産には、みんな小さな石鹸を受け取る」

 ・・・とまぁ、あらためて読みかえすと荒唐無稽な部分もあるが(そして何度読み返しても黒丸尚さんの訳はとてもリズミカルで素敵だ)、でも基本的なコンセプトはそのまんまな気がしたのである。「エースホテル」もこの本によればヴィンテージ家具と現代アートをミックスさせた内装に、「髪が長く伸びきって腕にタトゥーが入っていたりするキャラクターの濃いスタッフ」が玄関で迎えてくれたりしているらしく、なんだかこの小説が書かれた90年代初頭の流れから思うに、「エースホテル」を作った人々は・・・もしかして・・・・ひょっとしたら・・・このダグラス・クープランドの小説に影響を受けていたりするのでしょうか? そういう話が取材の中で出てきたりしていませんでしょうか? という、直感的かつ個人的な興味による質問であった。

 で、佐久間さんも実際この小説がアメリカでたくさん読まれていたことは認識されていたようで、そのうえで「(その小説の内容を取材時に)知っていればよかったです」と答えてくれた(エースホテル創業者のアレックス・カルダーウッド氏は昨年若くしてお亡くなりになっているのである)。

 いやー、こういう質問ができてよかった。読者としてはものすごく贅沢なシチュエーションだった。なんだか久しぶりに『ジェネレーションX』のことを強い感情とともに思い起こす機会にもなったわけで。

 でも、こうしてブログを書いていてあらためて思い至るのは、『ジェネレーションX』のサブタイトルは「加速された文化のための物語たち」とあって、これってインターネット時代の直前に書かれた小説としては、その後のこの状況にたいしてモロに響いてくる「鋭さ」があるわけで。モノや資本や人間関係とかが加速させられまくったあげくのオーバーフロー気味な昨今の状況が、こうしたオルタナティブでインディーズな生活思考のムーブメントの広がりをもたらしたのであれば、うむ、やはりこの小説は今でこそ読まれる意義のあるものかもしれない・・・などなど。


 

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2014.07.28

ブックオフで「ビームせどり」をしている「セドラー」の客に出くわす

 ブックオフにいったら、「美容・健康・ダイエット」コーナーで、明らかにそんな本を必要としているように思えない男性客が、端から一冊ずつ抜き出しては棚にしまっていた。よくみると右手に小型の機械を持っていて、値段のバーコードのところを照らしていた。

 一瞬その人は店員かとも思ったが、普通の格好をしているので単なる客であり、そして一番下の本棚に、その男のものと思われる荷物が置いてあって、一番上にはスマホが電源ONのまま置いてあった。で、スマホの画面をみると、あきらかに男がバーコードをチェックしている動きにあわせて、記号らしきものがリストに増えており、本のバーコードをスキャンしていることが確認された。

 つまりこれは古本業界でいう「背取り」のために、こういうツールが開発されたということなのだろう、とすぐに察しがついた。つい私のなかで眠っていた「探偵魂」(あったのかそんなものが)に火が付いたので、その男のすぐ横で、他の本を読んでいるフリをしてしばらく立ったままその様子を観察していた(『美容・ダイエット』コーナーの横は『人生論・生きかた』コーナーだったので、私がいても違和感はない)。おそらくその男にしてみたら私はうっとうしいヤツだと思われただろう。それでもひるまずに男はその棚のすべての本の値段をスキャンしたらしく、1冊取り出してはキープして、別の場所に行った。

 あとでネットで調べたら、たーくさんこの手のスマホのアプリやら道具やらが出てきた。そして私が見たのは「ビームせどり」と呼ばれるもののようだ(こちら参照)。

 そういう人を「セドラー」って言うそうだが、セルラー電話だかアドラー心理学だか分からないな。自己実現欲求か。

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アドラー。


 たしかに店側にしてみたら、迷惑行為でもある一方で、一冊でも多く在庫が処分されるのであればありがたいので、むやみに禁止することもできそうにない。ブックオフは特に、本来高値でもいいはずの本でもありえない安値をつけてしまうが、それでも在庫の回転があがるほうが先決なので、こういう現象を招きやすいのだろう。

 ただ、まぁ、そのこと自体をどうのこうのは言わないが、
 ヒトコトだけ言わせてもらうと、

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「自分の荷物は商品棚に置きっ放しにすんじゃねぇよ」

ってことだ。うん。


 

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2014.03.13

各都道府県でミスドが人口にたいしてどのぐらい店舗があるか、つい調べたくなった

しばしば、急に、ミスタードーナツのオールドファッションとか食べたくなる。
歩いて5分とか10分以内の近所にミスタードーナツがあったら、かなり頻繁に通う気がするなぁ、とふと思った。しかし幸いなことに(?)そういう環境ではなかった。

そこで思い立って、自分が住んでいる地方の店舗数をミスタードーナツのホームページで調べたら、想像以上に少なかった。

そして各都道府県の店舗数もそこで簡単に分かったので、それならばと、総務省のページから都道府県の人口統計を調べ、人口比でどれぐらいになるのかを計算してみたのが下のリストだ。上位に来るほど「ミスド密度」が高い都道府県になる。

こういう思いつきもネットとエクセルを使うと5分ぐらいですべての計算が完了したりするので、便利な世の中である。

(都道府県名につづく人数は「この人数あたり1店舗」という割合。そのあとの店数は、その都道府県すべての店舗数)


石川県 61211 人 19 店
福井県 61462 人 13 店
奈良県 63182 人 22 店
沖縄県 67096 人 21 店
北海道 76902 人 71 店
大阪府 77009 人 115 店
福岡県 82017 人 62 店
和歌山県 82334 人 12 店
三重県 83637 人 22 店
宮崎県 86616 人 13 店
愛知県 88417 人 84 店
秋田県 88584 人 12 店
広島県 89000 人 32 店
山口県 89438 人 16 店
兵庫県 89855 人 62 店
大分県 91154 人 13 店
長崎県 93867 人 15 店
滋賀県 94334 人 15 店
愛媛県 94334 人 15 店
熊本県 95106 人 19 店
山形県 96000 人 12 店
京都府 97223 人 27 店
岐阜県 98143 人 21 店
鹿児島県 99412 人 17 店
群馬県 99600 人 20 店
埼玉県 100167 人 72 店
岩手県 100231 人 13 店
宮城県 101087 人 23 店
千葉県 103250 人 60 店
福島県 103264 人 19 店
青森県 103847 人 13 店
佐賀県 105375 人 8 店
富山県 108200 人 10 店
香川県 109889 人 9 店
神奈川県 110574 人 82 店
東京都 111177 人 119 店
新潟県 111762 人 21 店
鳥取県 116400 人 5 店
静岡県 116719 人 32 店
茨城県 117720 人 25 店
島根県 117834 人 6 店
山梨県 121715 人 7 店
長野県 125412 人 17 店
岡山県 129067 人 15 店
徳島県 129334 人 6 店
栃木県 132800 人 15 店
高知県 150400 人 5 店

北陸の2県が1,2位であった。そして自分が住んでいる場所は、予想に反してちょうど中位ぐらいだった。で、私が生まれ育った奈良県が3位にランクインしており、「そうか、だから今まで自分はミスドがそこらじゅうにあるような気分で生きていたのかもしれない」ということに気付いたのであった。

東京があんがい下位にあって、人口の多さに比べてそんなに豊富にミスドの店舗が供給されているわけではなさそうだ・・・うん、まぁ、大都会だとミスド以外にもいろいろ選択肢が豊富なんだろうけど!

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2014.02.19

焚火をみつめるような生き方:どいちなつ・著 『焚火かこんで、ごはんかこんで』

焚火の好きな人は、好きだ。

ここ数年、「焚火やりたい欲」が高まっている。
とはいえそもそも自分はアウトドア趣味から完全にほど遠い生活をしており、憧れだけを口にしては行動に移さないタイプに留まっている。むぅ。

そんな欲求をかきたてたきっかけは、古本屋で見つけた『焚火パーティへようこそ』という、各界の著名人が「いかに焚火が好きか」を延々と書き連ねていくエッセイ集を読んでしまったことである。

昔はそこらへんの空き地で行われていたという、完全にインディーズ路上ライヴ的な活動としての焚火。もはや平成の都市生活者にとっては非日常となってしまった焚火について、なぜ子どものときにもっとこういうことをしてこなかったのかと悔やみつつ「焚火、いいなぁ」と思いながら読んでいた。そして焚火経験を嬉々として語る面々にたいしても、なんだか妙な親近感を覚えたのである。なので、私にとっては「焚火の好きな人」というのは、きっと自分にとってものすごく親しみやすい人々かもしれない、と勝手に思い込んでいる。

そんななか、友人のオオタさんが編集した『焚火かこんで、ごはんかこんで』(どいちなつ・著、サウダージ・ブックス・刊)という本を読ませていただく。「焚火」と「ごはん」をテーマにしているとあれば、「焚火やりたい症候群」の私にとってはこれ以上ない本ではないか。

そして読んでいくうちに、この本は、面白い意味で私の期待を裏切ってくれたのである。

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どいちなつさんは料理家として淡路島に移住し、自然に根ざした健康的で素朴な料理を探求されている。そして海辺で焚火をかこんで、家族や仲間とごはんを食べたり語らったり、という生活を送っている。

そこで紹介されていく、どいさんの生き方やお気に入りのもの、そしておいしそうな料理たち。

この本は、焚火の好きな料理家が、透明で暗い空を遠くにいだきつつ、焚火の揺れる姿を見つめ続けるように日々の暮らしを味わい、そして焚火をするかのように注意深く、丁寧に時間をすごしていくなかで作られていく素朴でシンプルな料理の説明を、押しつけがましくなく、それこそ焚火の熱にあたるようにパチパチと、ぽかぽかと、提示している本だった。この「押しつけがましさのなさ」が自分にとっては「意外」だったのである。つい、どうしても、「どうですか、これが焚火の醍醐味ですよ、そしてこれが焚火で作る料理ですよ!」的なものを期待していたのであった。そういう傾向を想定しがちな自分のなかの「慣習」みたいなものの存在に気づかされた次第である。

焚火をみつめるように生きていく人、の姿がそこにある。
だから、決して物理的な焚火をせずとも、「焚火を見つめていくような生活」はおおいに可能である、そういうメッセージを受け取れた本だった。

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2014.01.14

雑誌『spectator』の「ホール・アース・カタログ特集」を読む前に、池田純一『ウェブ×ソーシャル×アメリカ:<全球時代>の構想力』を読む

雑誌『スペクテイター』が、ついに「ホール・アース・カタログ」特集を組んできて、そっちを早く読みたい気分をおさえ、この年末年始の「課題図書」として、宿題のようにこの『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』を読んでみた。

自分は『DIY TRIP』というZineを作るべくシアトル・ポートランドにいって、DIY精神とは何かを考えようとしていたわりに、じつは「ホール・アース・カタログ」のことはほとんど知識として持っていなくって、そのことが最近になってジワジワと「あぁ、もったいなかった」と悔やまれつつもあった。そんな折に、さすが『スペクテイター』は、タイミングよく鋭いボールを放り込んできた。そんな気分。


↑いまこれも手元にあって、パラパラめくったけど、ヤバイっす。実物の「カタログ」をまだ見たことがない読者のために、かなり丁寧にこの書物の説明をしてくれている。そうそう、こういうのが読みたかったのよ的な気分が高揚。

そしてこの新書『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』は、発行年でいえば大震災の頃にあたるわけだが、「2007年以前の、あの取材旅行に出る前の自分に渡してあげたいと思えた本」だった。もちろんその時点ではこの本で取り上げているフェイスブックもツイッターも自分の生活圏では存在していなかったわけだが。

自分なりにこの新書をヒトコトで説明してみると、「アメリカの精神史をひもとき、そこからパーソナルコンピュータやインターネットが生まれていく構想力を解き明かす」という本だ(もちろん、読み方によっては違う方向性もありえる)。

で、その中心的課題、補助線としての役割として、スチュアート・ブランドという鬼才によって作られた「ホール・アース・カタログ」によって影響を受けた実践的な思想、カウンターカルチャー周辺をこの本ではものすごく丁寧に解説してくれている。

「ホール・アース・カタログ」が、単にヒッピーがDIY精神的な隠遁生活を送るうえで有益な情報を提供しつづけたメディアだったという以上に、機械技術・産業の発達や、社会生活・コミュニケーション、そして何よりエコロジー・生態系に至るあらゆる領域への反省的態度をうながしていく役割を担ってきたわけで、そこで影響を受けまくった人びとが、このカタログの思想的影響に基づいて今日のメディア環境や社会経済を作り上げてきたわけだ。

つまり、僕らの時代だとますます想像しにくいのだけど、60年代においては「コンピュータも、自然回帰的な農業も、宇宙を目指すNASAの活動も、LSDドラッグも、ヨガや瞑想も、全部、みーーーんな『意識の拡張』という目的意識のもとでは、あまり大差ないものとして捉えうる状況だった」ということがポイントになってくる。「ホール・アース・カタログ」は、それらをうまくまとめあげて、多くの人に「カタログ」というフォーマットで提供したメディアだった。結局その思想性は、今日に至るまで、つまりはスティーブ・ジョブズがアップル製品で到達しようとした領域につながっていく。

とにかくいろいろな分野にまたがった論考で、読む方もだんだんしんどくなってきそうな内容だが、でも不思議と次々と好奇心にかられてページをめくる手が止まらなかったのは、ひとえにスチュアート・ブランドという不思議な人物と、その「ホール・アース・カタログ」という、素朴な手触りの「太古のウェブ的メディア」がかもしだす時代的な煌めきというようなものが本書の内容に通底している感覚があったからだ。

どうしてパーソナルコンピュータが、インターネットが、そして2010年代にフェイスブックやツイッターがアメリカから生まれてきたのか、その根幹に迫っていくなかで、最終的な結論としては「すべては宇宙開発が先にあったからで、パソコンなどはその過程で生み出されたにすぎないもの」となっている。ただ、自分としては、「その宇宙開発ってやつも、大本をたどれば、国防・軍事利用という要素があるんですよねぇ・・・」と、小声でつぶやいてしまいたくなる。

でもまぁ、その結論が正しいとかそういうのは脇に置いてでも、「DIY精神」を考えるうえでも日本語で書かれた本のなかではとてつもなく有益な一冊。


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