カテゴリー「events」の記事

2023.03.14

愛と葛藤の無印良品週間

「無印良品週間」といえば、いつ実施されるか予測ができない、ちょっとしたゲリラ的バーゲンセールである。あらゆるものが10%オフで購入できるので、無印良品ファンはその日がくるのを待ち構えつつ、普段から「次の『週間』に何を買うかリスト」なんかをメモっておいて準備しているはず・・・してますよね。するよね。

あと、たまたま買い物のついでに無印良品ストアに足を踏み入れちゃったりすると、「今度の『週間』で買おうと思っているものの現物をあらかじめ確認したり、最近出た新商品をチェックしておく」っていうことも・・・やりますよね。するよね。

で、「週間」が近づいてきたら、店内にも「●月●日から無印良品週間がはじまる」という案内が掲示されていたりするわけで、あらためて「うん、始まるな『週間』、よしよし・・・」と思いながら満足げに店内をウロウロしたりするわけで・・・するよね、うん。

で、そんな「週間」を近日中に控えた直前のときでも、たくさんのお客さんがレジに並んでいる光景を目にするわけである。
そのときに、私は葛藤を覚える。

うむ、たしかに、レジにたくさんのお客さんがいることは、間違いなく(株)良品計画にとっていいことであるには間違いない。

でも、でも、

「週間」が、あと数日で始まるんですよぉ!?

その買い物、もうちょっとガマンしたら、来週には10パー引きですよっ!?

あなたが、その、今まさにレジに持っていこうとしている「重なるラタン角形バスケット・大 3,990円」は、本当に今日ここで買っておかないといけないものなんですかぁ!?

お店にめったに行けないっていっても、「良品週間」はネットストアでも割引きになりますよー!?

・・・と、そこに並ぶ一人一人に語りかけたくなる。

普段そんなに無印に興味関心がないのであれば仕方がない。でも今日ここにきて、あちこちに貼られている「●月●日から無印良品週間10パーセント引き」のインフォメーションは目に入っていないのだろうか。今日の買い物をガマンしておいて、ちょっと時間をとって会員登録して(無料だ)、スマホにアプリでも入れておけば、「週間」の時期に10%引きクーポンが表示されるっていうのに。

そして店内スタッフも、あえて「無印良品週間」をことさらにアッピールしてこないのである。考えようによっては、会員登録を増やす良いきっかけともなりそうなものだが、そこに執心するわけでもなく、「知っている人には割引きますが、まぁ、そうでなくても普段からお客さんはやってきますし、通常価格で買ってくれてありがたいですね~」っていうノリである。むぅ。

これと似た葛藤は、実際に「週間」に突入して、ここぞとばかりに買い物をしてレジに並ぶときにも感じてしまう。

当然ながら「週間」は、無印フリークにとっての祭典として、どうしてもレジは通常以上に混む。普段あまり買い物をしてこなかったことを後ろめたく感じつつも、我々はこの「週間」でのレジの長蛇っぷりを甘んじて引き受け、覚悟をもって並んでいるわけである。

で、レジに並んでいるときに、つい私は暇つぶしを兼ねて「どれだけのお客さんが、レジでのお会計のときに『週間』の割引きクーポンを提示しているか」を、まるで良品計画のマーケティング担当部門の社員かよというぐらいにしっかり観察してしまうのである。

そこでのだいたいの印象では、「思っているほど『週間』のことは知られていないっぽい」ということである。レジの店員さんがクーポンやアプリはお持ちですかと尋ねるも、何も持っていないので別にいいです、というお客さんはめっぽう多いのだ。混雑したレジ前で並んでいる間に、もし店内のお知らせをみて気づいたら、その場でアプリをダウンロードして会員登録して、クーポンを用意する時間的な余裕は十分にあるというのに・・・キミはレジにたどり着くまでに何をボヤボヤしとるんや!? と、お節介オッサンはひとり買い物カゴを持ったまま問いただしたくなる気分にかられる。

つまりそういうお客さんは、よりによって無印ファンが押しかけていつも以上にレジが長蛇の列になって混雑するっていう時期に、割引で購入する意志もないまま、わざわざ買い物に来てしまっているということになる。
割引きにもならないわ、そしていつも以上に長蛇の列で並ぶことになり時間を失うわ、そしてお会計のときに無印アプリの入ったスマホをスタッフに提示しているかどうかを私みたいなヤツにジーッと観察されるハメになっているわで、まったく、いいことがない。

ただ、すべてを大きな視点から捉えると、そんな10パーセントのためにあくせくと動くような私みたいな輩よりも、いつでも値段を気にせずフラッとやってきては買っていく、そういう人たちが本当の意味で良品計画を応援して支えているのかもしれない・・・と、こうして「葛藤」は終わることがないのであった。

Muji

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2021.03.13

ありがとうございました@版画展

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無事に教室展が終わりました。
来ていただいた友人の方々には感謝・・・!
自分の作品を前に友人と語り合うという体験は、とても新鮮なものでした。
またこういう機会があれば。

このミカリギャラリーのある建物の雰囲気が、こうして終わったあとも体にじんわりと残るような、不思議な感覚があります。
実質的に二日間とちょっとぐらいしかこの場所にいなかったはずなのに、なんだか古くから知っていた場所のようで。

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庭の黄色いミモザが本当に綺麗なタイミングで楽しめました。

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そして展覧会が終わったということは、あの空間や時間はもう二度と再現ができないということでもあり、そのことがなおいっそう、ノスタルジックな気持ちにさせてくれます。

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2021.02.28

水彩木版画の教室展はじまりました

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先日、展覧会の会場設営に参加してきました。
自分の関わる展示をゼロから作っていくのは考えてみたら初めてかもしれません。
無心でクギを打ち込む時間とか、なかなか新鮮。

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会期はわずかですが、それぞれの日に分担して教室の受講生が当番しています。タテーシは3月6日(土)の午前中と8日(月)の最終日にいる予定。

1Fのカフェは都合によりこの期間は営業していませんが、この建物を取り囲む雰囲気が、とても良い感じであります。
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ミモザが咲いてます。

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2021.01.31

通っている木版画教室の展覧会に参加します

2019年のゴールデンウィークのときに、水彩木版画の教室「空中山荘」の体験講座を受けて、そこから教室に通うようになりました。

2年に1回、教室では受講生の作品の展覧会をすることになっていて、今年度はコロナ禍ではあるものの、なんとか準備を続けてきて、このたびの開催となりました。
水彩木版画なので、白黒だけでなくカラフルな版画がメインとなりますが、このフライヤーが示唆するコントラスト具合も楽しめる展示になっています。

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会場となるカフェ、サルンポヮクさんはまだ現地にいったことがないのですが、素敵な雰囲気の場所です。【注:現在は完全予約制で営業されています】

この展覧会にむけては、昨年の大半の時間を費やして作った作品1点だけを展示すればいいかー・・・と、新米の私は(のんきに)思っていたのですが、先生より「最低2点は出すこと」と言われ(笑)、最初の体験講習会で作ったハガキサイズの作品も額装して出展させていただくことに・・・当時まだ版画を始めるかも決めていない体験講習のときだから、無邪気に自分の趣味丸出しのモチーフで彫ってしまった拙い作品で恥ずかしい限りですが・・・。
 私の作品はともかくとしても、他のみなさんがそれはもう多彩で、版画表現のいろんな可能性を見せてくれる楽しい作品を展示していますので!!

それとは別に、「白黒の旅」のテーマにそった、共同製作的な作品も別途1点、受講生全員が展示しています(その自分の作品によせてそれぞれがショートエッセイを書き添えています)。

もし展覧会に行ってみようという方がおられましたら、事前にお知らせいただけると助かりますし、特に何も言わずフラッとご来場いただいてもぜんぜんオッケーです。ただしコロナ感染対策で入場制限をかけておりますので、場合によっては寒い中ちょっと待っていただく可能性がありますのでご了承ください。

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2020.12.31

2020→2021

 まずは自分も周りの人々も健康なままで年末を迎えることができていることに感謝。ひたすら感謝。ここまで健康管理に気を使った一年もないが、本当は普段から心がけるべきことなんだろう。

 コロナ禍って、文字通り世界中の宗教や国境の区別なく、すべての人が同時代のなかで共に向き合う課題となっていることで世界史に残る出来事になるわけだが、よく考えてみたらこういう感染症って時代を問わず発生するので、今回のCOVID-19がインターネットの発達したこの時代に起こったことがある意味ではまだラッキーだったのかもしれないと感じている。これがもし25年前ぐらいに起こっていて、情報の主要な入手先がまだテレビや新聞だけに限られた場合だったら、もっと厄介なことになっていたように思う。

 ところで花王の「ビオレ・ガード 手指用消毒スプレー」という製品をご存じであろうか。

200mlというサイズは持ち運ぶことを意識した製品となっている。ロック機構も備わっているので、不用意に噴射することもない。
 私もこれを買い求めた次第だが、カバンに入れて持ち運びたい場合、もっと収納しやすくて、かつ剥きだしのノズル部分をカバーできるような工夫ができないかを、このごろずっと考えている。
 いつも通勤電車のなかでみかける男性が、カバンについているペットボトル収納用のポケットにこのスプレーを差し込んでいるのだが、たしかにそうしたくなる気持ちは分かる。ただ、できればカバンの内部に収めたいところではあるので、何かを代用してケースのようにして、かつ取り出しやすくするような仕組みができないか、あるいはノズルで指をかけるところのプラスチック部分を削ることで形状をよりシャープにできないか、といったカスタマイズの可能性をぼんやりと考えている・・・そして、いまだにその解決策が見いだせていない状況ゆえに、スプレーをカバンに入れずに机のうえに置いたままだったりするので、本末転倒ではあるのだが。

 そういう「改造」を考えたくなるマインドがわき起こるのは、すぐ影響を受けやすい私が最近読んだ本が、とても楽しかったからである。


F1マシンのデザイナー、エイドリアン・ニューウェイの自伝『HOW TO BUILD A CAR』(三栄、2020年)では、空気力学のプロとして彼が手がけたマシンの設計において、そのときどきに考えだしたことやアイデア創出のプロセスが、工学の知識がない読者にも分かりやすく解説されていく。アイルトン・セナが事故死したときのマシンも彼の手によるものだったが、あの出来事を境に安全性との共存を図る時代的要請とともに様々なルール改定が行われ、その「網の目」をいかにかいくぐり、速さを失わないように知恵を絞るかという、そうした試行錯誤のせめぎ合いが折々のエピソードとともに語られており、ある意味ではビジネス書のような読み方ができる労作である。

 ニューウェイの本のおかげで「空力」の重要性についてあらためて意識するようになった私だが、さしずめ日常生活でそのことを活用できる場面といえば、マスクを着けるときにメガネが曇りにくいようにするため、いかに鼻の頭の部分までマスクを引き上げて折り曲げるかといった「鼻息の空力」について毎朝あれこれと苦慮することぐらいであるが・・・。

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さて2021年を迎えるにあたり、当然ながらコロナ禍の動向が気になることは変わらないが、ひとつお知らせできる個人的なイベントとして・・・ふと思い立って昨年から通い出した水彩木版画教室において、2年に一度、教室展として受講生の作品を合同展示する機会があり、それが2月末から3月頭、大阪・箕面市のミカリ・ギャラリー(サルンポヮク2階)で行われることになっている。コロナ禍において毎月メンバーで話し合いを続けながら実施形態を模索しつつ、講師の先生の指導のもと準備を進めている状況。まだ正式には案内ができないけれども、ひとまず予告として。

2021年こそは平穏な年となりますように・・・。

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2020.09.21

無観客開催でも、ルマン24時間レースはやはり自分にとって癒やしのイベントだった




本当だったら今、フランスから帰国途中だったはずだ。

春先のコロナ禍の折、今年のルマン24時間レースは6月の開催を取りやめ、9月開催が決定となり、うまく日本の連休と重なったのである。もしこの頃までにコロナが落ち着き、観客を入れてもいい状態になっていたら、念願の現地観戦ができるのではないかと密かに思っていた。今振り返ると、それは浅はかな期待だったのかもしれない。状況は良くなるどころか、ますます混迷にはまりこんでいる。

そうして88回目のルマンは無観客状態での開催となった。 また、長い歴史のなかで9月に実施したのは過去に一度、それは1968年の五月革命のときだったそうだ。

今年もありがたいことにCS放送のJ-SPORTSは狂気とも言える(笑)「24時間完全生中継」を敢行し、私は例年以上に気合いを入れて食料を買い込み、テレビの前にいつづけた。結果的におそらく通算で19時間ぐらいは観ていたはずだ。不思議なもので、まったく退屈することがない(近年は性能や技術の向上によってどのカテゴリーもかなりの接戦になるのも要因である)。最近個人的にはいろいろとしんどい日々が続いていたのだが、私にとってこのルマンはひとつの「癒やし」のようなものなのだと、あらためて今回実感した・・・ただひたすらボーッとお菓子食べながらテレビを観ていただけなんだが・・・

普段そこまでモータースポーツを追っていなくて、毎年一回のことでもあり、走っているドライバーや車のことやチームのこともよく分からないのに、なぜこの24時間耐久レースがどうしてここまで魅力的なのか、そのことを自問自答しながらいつも観ている。実況・解説陣がいくら「ルマンだけは特別な雰囲気がある」と言っても、その言葉の向こうに自分が納得できる答えがまだ見つからない(だからこそ、いつかは現地で確かめたいという夢がある)。

でもずっと思っていることは、24時間を走りきることは、やはり「人生」そのものであるということだ。昼から夜、夜明けを経て、また陽の光を取り戻して走り続ける機械と人間たちが、予期せぬ困難にも見舞われつつ乗り越えていこうとするその姿には、何度観ても深い感銘を受けるわけである。

世界には他にも24時間レースはあるものの、このルマンの街の一般公道を一部使いながら開催されるというあの現場の空気感、とくに森の中の果てしない直線の道を昼夜走り抜けていく舞台設定には、コースの各所に与えられた名前、「ユノディエール」とか「ミュルサンヌ」といった美しい言葉の響きも含めて、一種の魔力が備わっているように思う。そうでなければ「単にダラダラ車が走り続けているだけの状況」でしかなく、日本時間の午前中だと、我に返って眺めたら、テレビ中継に映るのはひたすら暗闇のなかでヘッドライトが動くだけのシュールな映像が続くときもあるわけで。


▲でも夜間は夜間でルマンの醍醐味でもある。


▲少しずつ空が明るくなっていく神秘的な時間帯

 なのできっと、多くのファンたちも同じ事を思っていると信じている。「どうして彼らは24時間走り続けようとしているのだろう。いったい自分たちは何を観ているのだろうか。なんのために、こういうことが88年間も繰り返されてきたのだろう?」。それでもまた、この歴史が続いていくことを望むわけである。

 そして今回は観客がいなくとも、ルマンには多くのマーシャル、つまりコース脇で待機し続ける保安係の人々が見守っていて、彼らの存在感がレースの安全性を守っている。そしてゴールを迎えたときにマーシャル全員がコース脇に出て、闘い終えたマシンとドライバーを讃えてさまざまな旗を振り回すあのシーンは、あらゆる垣根を越えていける感動を覚える。


ルマン24時間とは、走りきったすべての人が勝者の笑顔になれる特殊なレースであり、最初はまったくなじみのなかったチームやドライバーにたいしても、24時間を終える頃には自分でも不思議なぐらいの親しみをすべての人々に感じることができる(たしかに今年こそは小林可夢偉の7号車に勝ってほしかったが・・・)。そしてこのレースだけはプロだけじゃなくアマチュアのレーサーやチームも一緒に参加できる伝統を大切にしているのがまた良い。過酷なまでに車とともに走りきる感動をたくさんの人と分かち合う。きっとこの繰り返しで、毎年楽しみにしているイベントなのだ。

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▲ちなみに今年のオープニングの国歌斉唱のときは、歌手のおじさんが着用していたフランス国旗蝶ネクタイがやたら可愛らしかった。この時点からさっそく「癒やしモード」だったな(笑)

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2020.02.24

「時代より先に狂う戦略」:U2の90年代を思いつつ、昨年末の来日公演のこと

 思えばU2というバンドを聴くようになったタイミングは1991年のころで、中学生だった私は洋楽を聴こうと最初に手に取ったのが『魂の叫び』という邦題のアルバムだった(きっと当時から何かを叫びたかった子供だったんだろう)。そこから過去の作品を次々さかのぼっているうちに、リアルタイムで彼らは90年代最初のフルアルバム『アクトン・ベイビー』を発表することとなる。そのときの自分が熱心に過去の作品をたどっていた、80年代の熱くイノセンスな、そしてときに政治的なメッセージを込めた曲を演奏しているバンドと、現在において発表された最新アルバムの間には、なんともいえない別人格のような雰囲気があり、メディアでもこのU2の変貌をどのように受け止めるべきか迷っている雰囲気があった。いったいどうなってしまったのU2、ということだった。

 しかしこうして当時のことを思い返すと、あのときのU2の激変ぶりは、90年代を乗り越えるための絶妙な「戦略」だったということをあらためて実感できる。それは私なりの印象でいえば、「時代より先に狂う」ということだった。

 80年代における成功を勝ち取った汗くさい純朴なバンドがそのまま次の10年を迎えるにあたり、シーンのなかで急速に古くさいものと見なされて居場所を失っていくことを察知してか、この「時代より先にU2のほうが狂っていく」というあり方は、見事に効いたのである。それまでの「クソ真面目バンド」から「ケバケバしい派手好きロックスター」をあえて演出し、いわゆる「ポップ三部作」において打ち込みサウンドを積極的に取り入れたこのバンドの姿は、今だからこそ、それはすべて計算ずくの「暴走」だったということが伺える。

 たとえば90年代最初のツアーにおける「ZOO-TV」というコンセプトは、おびただしいモニターに無数のコトバやヴィジュアルが洪水のように観客を包み、錯乱ぎみの「ロックスター・ボノ」が様々な「仮装」をまとい、ステージ上からピザを注文して客席にふるまったり、ホワイトハウスに電話をかけてジョージ・ブッシュを呼びだそうとする。そしてライヴパフォーマンスと連動したヴィジュアル・アートの試みとして「架空のテレビ局」が共に動き、映像の洪水を垂れ流し、現実世界でリアルに進行中の湾岸戦争を強く意識した映像をもフォローしつつ・・・特にライヴのオープニングにおける、当時のブッシュ大統領の宣戦布告スピーチ映像をサンプリングして「We Will Rock You」とラップさせつつ「Zoo Station」のイントロに至る流れなど・・・「いったいあんたたちは何様なんだよ」というツッコミこそ、この実験的なツアーの神髄を言い当てていたかもしれない。つまり今から振り返ると、これはインターネット時代の到来を音楽ライヴとヴィジュアル・アートの形で表現した先鋭的なものだったと言えるのだ。誰しもが「誰でもないもの」になりえる、「何様」も「誰様」もない匿名/虚構のサイバー空間にただよい出る自我と、「どこでもだれでもたどり着ける混沌とした空間世界=近い将来に訪れるマルチメディア環境が解き放つ明暗」や「グローバリゼーション時代の到来における困惑や混乱」を表現しようとしていたU2。いやはや、私はついぞ映像でしか体験できていないが、あらためてあのツアーは音楽のみならず情報メディア史においても特筆すべきプロジェクトだったのである。

 こうして無事に2000年代を迎え、U2は「原点回帰」をうかがわせる『All That You Can't Leave Behind』を発表して、かつての素朴で純粋なU2が戻ってきたと全世界が確認し、すべては丸く収まり、そしてもはやそれ以後はこの地上で何をやっても無敵の存在となった。以前からもボノはロックスターの立場を利用して「世界一顔の売れている慈善活動家」となっていたが、この頃からさらに活動に注力してアフリカ諸国の債務帳消し運動などに邁進していく。したり顔の人々からは「偽善だ」という批判の嵐を浴びるものの、あの90年代の「先に狂う戦略」を思い起こせば、そんな逆風は彼にとってまったく無意味なのかもしれない。音楽がなしえる、人種や国境を越えた共感的パワーに支えられ、あらゆる壁を打ち壊すべく1ミリでも何かを動かそうと「熱量」を絶やさずに、偽善でも虚栄でもひたすらその信念を押し通すこと。それは当代随一の“クソ真面目ロック歌手”ボノだからこそ果たせる「やったもん勝ち」の闘争姿勢なのである。そうしてU2は今年でデビュー40周年。いつまでも変わらない4人、そして未だに仲良しな4人のおっさんたち。数十年のキャリアのなかでロックスターが陥りやすい変なスキャンダルもまったくなく「世界一、野暮ったいバンド」と自称して笑いを誘いさえする、それがU2である。

「終わりなき旅」とはよく言ったもので、その邦題がつけられた曲が収録されている『ヨシュア・トゥリー』のアルバムを全曲演奏するというコンセプトでワールドツアーが行われており、昨年12月4日にさいたまスーパーアリーナで行われた来日公演を観た。98年の「POP MARTツアー」のときにはじめて彼らのライヴを観て以来、20年近い時が流れてしまった。ちょうど当時の大阪ドームでのライヴを、たまたま別の場所でみていた同級生うめさんと、今回は一緒にチケットをとってライヴを堪能した。

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 もはや自分もいい歳になり、そしてそうそう何度もU2にお布施できる機会もないだろうから、今回はいろいろがんばったおかげでアリーナの前方スタンディングに乗り込んだ。いわゆる「出島ステージ」にも近くて、ラリーのドラムの背後あたりで、ドラムの生音が、会場全体にスピーカーを通して聞こえるドラムの音と当然ずれて届いてくるわけで、この距離感でU2の4人が演奏している時空間に、もう胸一杯の夜だった。セットリストとかどうのではなく、ひたすらホンモノのU2が目の前で演奏していて、そして技術の進歩を感じる広大なスクリーンには、アントン・コービン(写真家であり、あとジョイ・ディヴィジョンを描いた映画『コントロール』の監督もしたけど、すごい作品だった)による映像が鮮烈だった。

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 我々を囲む客の多くは外国人だったのも印象的だった。ひょっとしたら観光ついでにこのオセアニア~アジアツアーをバンドといっしょに回っている人も多いのかもしれない。そしてこれは今振り返って気づいたことなのだが、音楽ライヴ会場での「困りごと」でよく言われる「近くの客のほうが大声で歌い続けて、アーティストの歌声が楽しめない」という状況があるが、どういうわけか、このU2の現場では、まさに大声でみんなが歌う状況であっても、それを不快に感じることがなく、なんなら自分も歌うぞという勢いになってしまったほどだ(でも、肝心の英語の歌詞がよくわからないんだった)。会場の中心部だったからか、客の歌声に負けないエナジーがボノの歌にも、バンドサウンドにもこもっていて、その音圧が迫り来る状況だった。つまり、歌を聴くこと以上に、我々オーディエンスがこの現場で最も求めていた「熱さ」がそこには炸裂し続けていたかのようで、そうしてひたすら最後まで、いろんな民族が一緒になって歌い続けていた気がする。

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 そんなわけで、『ヨシュア・トゥリー』の80年代黄金期の曲たちをすべて演奏しつつ、新旧の名曲をおりまぜた圧巻のステージ・・・なにより、ボノの歌声の力強さが失われていなかったことがうれしかった・・・をカラダ全体で味わい、あらためてU2というバンドの存在に深い感謝の気持ちを抱いた次第である。
 終わったあとうめさんと会場の近所の居酒屋でゴハンを食べていたのだが、この夜に店内で流れていたBGMがずっとU2の曲だったのも、またよかったなぁ。

 

 そういうわけで、ライヴに行ったことからこのブログの記事を書きはじめてみて、あらためて90年代のことを思い起こさずにはいられず、自分なりにコトバにしてみた(2ヶ月ちかく、書いては消しを繰り返していたわけだが・・・)。でもこの「時代より先に狂う戦略」というのは、実は今まさに日本で生きている自分たちにとって重要な示唆を与えてくれるものになっているかもしれないな、と。それはまた別の機会に考えていきたい。

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2019.04.22

時代の変わり目における「かたち」

 そもそも西洋かぶれの自分はなるべく西暦を使いたいと思っているので元号は仕方なく用いているにすぎないのだが、それでも時代区分の節目に立っていることについて、どこかしら落ち着かない気分にはなっている。

 天皇が新しく即位して元号が変わったからといってもちろん何か社会が変わるわけでもなく、むしろ書類仕事的に面倒くさい手続きや調整が増えるだけで、これまでの「平成」を一挙に過去のものにしようとする政治的な狡猾さにも気をつけないといけないわけだが、そういう手触りのない時代感覚の変わり目において、改元の節目を「物理的に」味わえる唯一といっていいかもしれない場所を知ったので、この落ち着かなさを抱えつつ、思いきって東京まで行ってみたのである。

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 行き先は国立公文書館。ここでいま、期間限定で「平成」の改元の書が特別に展示公開されているのである。当時の官房長官、小渕氏が掲げたあれだ。

(写真も撮ってよかったのでうれしかった。そしてあまり客も少なかった)

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 あらためて現物を前にした直感的な印象としては、「額ってこんなにシンプルな薄めの色だったっけ」ということだ。このすっきりした感じが、書かれた文字の凛とした印象を高めている気がする(そのあとネットで当時の写真を確認すると、たしかに同じ額のように見える。まぁ、天皇が崩御したあとの改元なので、変に目立つ額に入れてもダメなんだろうけれど)。

 そして「平成」の文字であるが、やや変色した和紙の上にかすかに残る墨のかすれや、細かい部分などを自分の目で確認できたので、文字通り時代の変わり目を捉えたひとつの芸術作品として堪能させてもらった。ひとつの書にたいしてここまで自分自身を丸ごとぶつけるように見つめることは、これからもないかもしれない。

 もちろん、元号はやはり単なる記号みたいなものでしかないのだが、この紙の上に書かれた文字としての元号は、確かにほんの少し自分の人生とわずかながら重なったわけで、それなりに「手応え」を感じることはできた。時代性にたいして「手応え」を覚えるのも変な話かもしれないが。

そうして、そのあと出口の近くになると、複製ではあるけれども日本国憲法の「前文」の文書が展示されていた。その前文をあらためて当時の空気感を想像しながら黙読することで、やはりどうしたってこれは格調高く心に響く日本語の文章だと再認識させてくれた。浅はかな政府と広告代理店なんかが結託したかのように打ち出すキャッチコピーまがいの政策ワードとは雲泥の差であって、そういう部分でも公文書館に来てみてよかったと思った。あぁ、平成は終わる、本当に終わる。終わってしまう。そして相変わらず不安げな政治的統治はこの国で続く、それだけだった。

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▲自分の影とかさねて「平成」を写し取ることのできる場所。

 

「平成の書」は現在の特別展「江戸時代の天皇」の期間中、ゴールデンウィークいっぱいは一般公開されているようだ。

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2019.03.31

ピンク・フロイドの初代マネージャーのピーター・ジェナー氏をめぐる話、そして2019年の神戸でピンク・フロイドの音楽につつまれた話

奇しくもピンク・フロイドのネタが続く。

イリノイ州アーバナ・シャンペンからお送りしているコミュニティラジオ「harukana show」番組ホストのMugikoさんは、ロンドンでのフィールドワーク調査の流れで、60年代後半のロンドンのアンダーグラウンド文化に携わった人々にインタビューをしているのだが、今回ピーター・ジェナー氏との会見を行ったということで、その放送回に私も日本からウェブマイク越しに参加させていただいた。

今回の機会をいただくにあたって、あらためてピーター・ジェナー氏について調べると、この人こそはピンク・フロイドの最初のマネージメントを行った人物であり、そこから音楽業界に本格的に関わっていった元・経済学者という経歴を持っている。

私が興味深く思ったのは、ピンク・フロイドのデビューアルバム『夜明けの口笛吹き』のオープニング・ナンバーである『天の支配』、この曲のイントロに流れるノイジーな人間の声の主がジェナーさんだということである(これもマーク・ブレイク著『ピンク・フロイドの狂気』で初めて知った)。
つまり、ピンク・フロイドというモンスター・バンドのアルバム・レコード史において、一番最初に登場する人間の声は、実はシド・バレットではなくピーター・ジェナー氏の声になるのである。そういうこともあって私は、Mugikoさんがジェナー氏にインタビューを行う前に、いくつかの質問事項にそえて「記念に、私の名前を呼びかけるようなボイス・メッセージをぜひしゃべってもらって、録音してほしい!」という無茶なリクエストをさせていただいた。そしてありがたいことに実際に(期待以上の)メッセージを見事にいただけたのであった(それは今回のharukana showでも聴ける)。

すかさず私はスマホのメール着信音にそのジェナー氏からのメッセージ音声を加工して設定した・・・が、スマホのメールをGmailで利用していて、そこの着信音にはうまく機能しないようで、おかげでまったく関係ないタイミングで突然「タテーシ、ハロー!」とジェナー氏の声で鳴ることがちょくちょくある。これはこれでビビるのであった。

というわけで、番組のポッドキャストは(こちら)より。

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そしてさらに別件で、ピンク・フロイドのネタは続く。

4月に神戸で行われるアートイベント「078」の一環で、「TIME TRIP COSMOS with PINK FLOYD」という催しが神戸税関の古い建物の中庭でつい先日開催されたのである。フライヤーには「伝統建築・神戸税関中庭を華麗にライトアップ、美しい建物の姿を幻想的に浮かび上がらせる空間演出。ピンク・フロイドの良質な音楽を響かせる時空を超えた幽玄の夜」とのこと。入場無料だったので気軽にでかけてみた。

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神戸税関は1927年に立てられた古い庁舎と、阪神大震災後に増築された部分とが連結されているようで、「近代産業遺産」ともなっている建築とのこと。

こうしたモダンな建物の開放的な中庭に立ち入ること自体もおもしろいのだが、ここで大音量で、よりによってピンク・フロイドの曲をひたすら流すという試みなのであるから、なかなかマニアでトンガったイベントである。工業大学の学生たちの手による大きなブタのモニュメントも置かれ、夕闇が少しずつ濃くなっていくなかでライト・ショーが壁面を照らし、音楽プロデューサー・立川直樹氏による選曲でピンク・フロイドが流れていく。

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そして肌寒い中でもお客さんはけっこう入っていた。老いも若きもただ中庭に突っ立ってデビューアルバムから近年の作品までを含めた19曲をじっくり聴き入る2時間あまりのひととき。なんだろうなこの2019年の光景は。
そしてなによりこの建物がよりによって税関局だというのに、そこで『マネー』という題名の曲が鳴り響いていたわけで、その状況はなんだか確かにフロイド的だなーと感じていた。

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そしてさらに翌日は、この神戸税関の向かいにあるデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)にて、テクニクス社の最高級オーディオを用いてピンク・フロイドのレコードを鑑賞するという企画も行われた。こちらは有料のイベントではあったが、ダメもとで申し込んだら参加できたので、2日連続で神戸へ。

私はオーディオ機器には明るくない。というのもこの分野にもし深入りしたらそれこそとんでもない人生になるという怖れもあり、あまり手を出さないように努めている。いつもお世話になっている鍼灸師さんがけっこうなオーディオ愛好家で、自宅でいかにお気に入りの音楽を最高のコンディションで味わうか、その環境づくりをめぐる奮闘ぶりをよく施術中に聞かせてもらっていて、自分としてもその話は確かに魅力的なのだが、近づくと絶対に泥沼だなぁと思っている。

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で、この総額一千万円ぐらいのシステムで、この日は名盤『狂気』を全曲フルで聴いてみるということとなった。
レコード盤の持っている情報量の豊富さ、そして音響機器のセッティングがうまく決まれば、聴き手をつつむ音の波の配置や奥行き感がとても立体的になっていくことを、全身で体感したわけである。
「あぁ、私はこれからの人生において、このアルバムをこれ以上の良好な条件では聴けないのかもしれない」とか思うと、たしかに「今までとは別物のように」聴こえてくるわけである。さすがに立川氏が言うように「聴いたことのない音」までは、私の耳ではそこまで探れなかったが、「良いオーディオ機器は、そりゃあ確かに良い」という、至極あたりまえのことをじっくりと納得させられた時間であった。

ちなみに私個人の歴史でいえば『狂気』を初めて聴いたのが高校生のときで、当時はそこまで好きな作品でもなかったが、今となってはすごく好きなアルバムになっている。聴き続けることで、歳を取るごとに自分のなかでも変容していくものがあるのかもしれない。あらためて全身で集中して『狂気』の生み出す世界に没入したこの時間はたしかに貴重なものだった。

『狂気』のあとの残り時間は客席からのリクエストを募って『吹けよ風、呼べよ嵐』と『Sheep』の2曲ほど聴いたわけだが、個人的には『エコーズ』のあのイントロ部分だけでいいから聴いてみたかった。

そんなわけで、オーディオシステムのすごさ以前に、私なぞはやはり「レコード盤って、やっぱりいいんですねぇ」っていうレベルのところで、あらためて新鮮な体験となった。やばい、レコードプレーヤー欲しいかも(笑)。

何より、その日は朝からちょっと頭が重たくて体調がそんなによくなかったのだが、このレコード試聴体験が終わったあとは体調もなぜか回復して、体がスッキリしていたのである。最高級オーディオ機器はここまでフィジカルに響くものなのかと、試聴会が終わったあとの帰り道にジワジワとその威力に敬服するというオチである。

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2018.05.07

自分にとっての平成時代において、おそらく最後の全力疾走になると思えた日のこと

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 今年のゴールデンウィークはあちこちへ移動が激しかったのだが、ある事情で立ち寄った長野県の飯山駅から帰ったときのことを書いておきたい。

 当初手配していた切符は、18:23発の北陸新幹線「はくたか」で金沢駅にいき、そこからサンダーバードに乗り換えて京都に帰るというものであった。

 しかし当日、飯山駅の改札口を通ると、電光掲示板に「50分遅れ」の表示が(この日、北陸新幹線は架線にビニールがひっかかったようで、その影響で大幅な遅れが生じたとのこと。ビニールねぇ・・・)。あわてて改札口横の窓口へいく。すでに先客が切符を手にしつつ駅員さんに問い合わせていて、その話の内容から、まさに私がしたい質問そのものであった。その場にいた3組の客はどうやら全員が関西方面へ金沢経由で帰るつもりだったので「サンダーバードの乗り継ぎは待ってくれるのかどうか」が問い合わせの焦点となった。

 駅員さんも困っていて、金沢駅にその場ですぐ電話で問い合わせてくれていたが、少なくとも我々が乗る予定だった接続のサンダーバードは「待たない」との返答(金沢駅はJRが西日本の所管になることも影響していたようである)。駅員さんも金沢駅への電話のなかで「今ここに10名ほどのお客さんがその予定で切符を持っているのだが、なんとかならないだろうか」と、できる限りの対応をしてくれたが、難しそうであった。

 私は窓口カウンターでノートをひろげて、駅員さんの言ったことをメモしつつ、考えられるその他の手段を検討してみた。まずスマホで「長野からの夜行バス」の可能性を調べ、当日の座席が予約できるかどうかの問い合わせをするか迷ったが、あまりにも疲れていたのでそれはやめておきたかった。飯山駅から南下して関東経由で帰る線ももちろん検討したが、時間が遅くてどうにもいいダイヤがヒットしない。そのことについては駅員さんに聞いてもよかったが、それどころじゃない感じだったのと、もしその可能性があれば先に教えてくれていたであろう。現地で一泊するという可能性は、本当に最終手段である。翌日も大事な予定があったので、できる限り当日中に京都に戻りたい。



 で、こういうとき、お客さんのなかには駅員さんに不満をぶつけにかかる人がいる。怒りたい気持ちは分かる。分かるんだが、偉そうだが私の気持ちとしてはこういうことだ。旅のトラブルは、ある種の「神様からの挑戦状」みたいなものなのだ、と。こういうときには冷静に状況を味わい、最悪でも苦笑い、できれば笑顔で乗り切ってこそ、旅人としての矜持が問われてくるのである・・・そのお客さんが旅行中かどうかは知らないが。

 なので、ノートにあれこれと考えられる可能性を書き付けていくと、周囲の慌ただしさから距離を置いて、落ち着きを保つことができる。新幹線が1時間に1本到着するかどうかの閑散とした改札なので、そのまま窓口カウンターに留まっていても特に問題のない状況だったので気分的には助かった。

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 その場にいた他の駅員さんたちもいろいろ調べたり問い合わせたりしてくれて、もしどうしても当日中に帰るのであれば、我々が乗る予定だった列車の1時間後に出発するサンダーバードの終電しかない、となった。ただし連休中なので指定席は完売していて、自由席に乗るしかないが、おそらく混雑していて、立ったままの乗車になってしまうだろうとのこと(そして、ムダになった指定席券は行った先の駅で半額だけ払い戻しがされるらしい)。

 

 しばらくすると、金沢駅からの続報として「サンダーバードの終電だけは、遅延した電車の接続のために待ってくれる」ことの確約が得られたという情報が伝えられた。もはや選ぶべきルートはそれしかないと思ったので、そこで私は、いったん改札の外に出させてもらって、駅のコンビニで食料と多めの水分を調達しにいき、その後ひたすら待って、1時間遅れの新幹線「はくたか」に乗った。


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 この区間だけは指定席なので確実に座ってご飯が食べられるうちに・・・と思い、はくたかの中で、買っておいたおにぎりをまずは食べはじめた。

 

 そして、このトラブルのなかで、考えられる限りの最善を尽くせるとしたら、「2時間立って帰ることになるであろう終電のサンダーバードで、誰よりも早く自由席車両に飛び込んだら、もしかしたら座れる可能性もあるのではないか?」ということだと思い至り、そこで、「時刻表を愛読するほど鉄道業界に明るく、調べ物が得意で、私の状況や事情をすぐに理解して適切なアドバイスをしてくれることが期待できる人物」として、友人のM・フィオリオ氏にLINEで事情説明をし、協力を取り付けた。実は改札の窓口カウンターでやりとりする直前に、彼はまったく別件でLINEを送ってきてくれていたので、頼みやすかったのも大きい。

 

 そして私はこのとき初めて北陸新幹線を利用したことになるのだが、しばらく乗っているうちに、金沢方面に向かうときには、やたらたくさんの長いトンネルがあるようで、スマホではネットの電波がすぐにとぎれてしまうことが多そうだということが分かってきた。そうなるとなおさら、金沢へ着く一時間ちょっとのあいだであれこれと自分のスマホで調べられることには限界があり、フィオリオ氏のほうで安定的に情報を集めてもらって、まとめて送ってもらえるほうが絶対に良いだろうという判断もあった。

 

 私が知りたい情報を要約すると、こういうことだった。「金沢駅で、はくたかが到着するホームから最短ルートでサンダーバードの自由席車両に行くにはどうすればいいか」、そのためには以下の情報が必要だった。

 ・はくたかが到着するホームで、乗り換えに適切なエスカレーターに最も近いはくたかの車両は何号車の、前後どちらの出入り口か?

 ・はくたかが到着するとき、車両の右、左のどちらのドアが開くのか?

 ・はくたかが到着するホームから、どういうルートでサンダーバードの待つホームに向かうべきか?

 ・サンダーバードの自由席車両は何号車か?

 ・最短ルートでサンダーバードの待つホームにたどり着いたとき、もっとも近い場所にある車両は何号車になるのか?

 

 おおむね上記のような内容を調べてもらった。その前提として、新幹線ホームと、サンダーバードのいる在来線ホームのあいだには乗り換え改札を通らないといけないことをフィオリオ氏は書いてきて、「そうだった!」となり、そんな当たり前のことを忘れていた私も実は今回のトラブルでやや参っていたのかもしれない。いずれにせよ私は金沢駅へは人生で2回ぐらいしか利用しておらず、まったく駅内部の記憶がないため、なおさらナビゲートを必要としていた。

 

 そうして、時間を追うごとにフィオリオ氏からはひとつひとつ情報が提供されていった。大げさかもしれないが、このシチュエーションはまるで映画『アポロ13』を思い起こさせた。トム・ハンクスらが地球に帰還するための宇宙船の電源を確保しなくてはならず、手順を少しでも間違えるとアウトとなるため、NASA管制塔からゲイリー・シニーズが苦労して見いだした適切な手順を伝えていく、あの名シーンみたいに思えた。もし仮に私が自由席に座れなくても、今回のトラブルを通して、こうしたやりとり自体がとても楽しく感じられてきた(フィオリオ氏にとっては迷惑で面倒な依頼が舞い込んできただけなんだが 笑)。

 

 こうした情報収集の結果、私がとるべきアクションは次のようにまとまった。

「はくたかの7号車の前寄りの出口でスタンバイ。13番ホームに到着予定なので左側ドアから出て、すぐ目の前に下りエスカレーターがあるので、下ったあと左側に折れて在来線への乗り換え改札を通り、すぐ左の階段で2番ホームに駆け上がり、サンダーバードの5、6、7号車の自由席を目指す(サンダーバードは先頭が9号車)」

 完璧だ。ありがとう、フィオリオ!

 

 幸い私は6号車に座っていたので、列車が金沢駅に近づく10分前には荷物を持ってすぐ隣の7号車の前方出口の左側にスタンバイできた。もはやこれは「勝負」なので、なりふり構わず「ポールポジション」を狙って、ドアが開いたと同時にダッシュするつもりであった。

 

 そして金沢駅に近づくにつれネットの電波も安定してきたので、ここでようやく、念のためJRの公式サイトに掲載されている金沢駅の構内図を見てみた。しかしこの構内図をパッと見て、小さい画面ですぐに何かを読みとるのも難しく、そこで自分のなかでちょっとした混乱を招いてしまい、ムダによけいな質問を次々とフィオリオ氏に投げかけてしまった。このあたりで自分の判断力に迷いが生じてきたのも事実である。

 

 はくたかが金沢駅に近づき、私は左側ドアに鼻を押しつける勢いだった。もし誤作動でドアが開いたら飛び出していただろう。

 

 そうして車内アナウンスが流れる。電車の遅延についての一通りのお詫びのあと、「到着は14番ホーム、お出口は右側です」との衝撃的なお知らせ。

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 後ろを振り返ると、4人の若い家族連れ(荷物多め)がいた・・・1時間も遅れてしまった新幹線は時刻表通りに13番ホームには入らないようであった。さっそくのつまずきにウケてしまい、思わず手にしたスマホでフィオリオ氏に「出口14番で右側やった(笑)」、「家族連れがポールポジション(笑)」と続けてLINEに書いて送ったため、その最中に続けてアナウンスされた「乗り換えのご案内」を耳に入れそこねる始末。サンダーバードが予定通り2番ホームにいるか確信がもてないグダグダの状態になり、自分を責めつつ(アナウンスを聞き逃したことはフィオリオ氏には伏せておいた)、4人の家族連れ(荷物多め)の、他愛ない会話の背後で、手にしたカバンをぶつける勢いの私が立ちすくむ構図。

 おそらくこれが『ミスター・ビーン』だと、なんとかしてヒドい手段を講じてこの家族連れを押しのけて右側ドアの先頭に立つのだろうなぁと思っていた。

 

 そうこうするうちに新幹線がホームにすべりこむ。するとフィオリオ氏が教えてくれたように、ドアの窓の向こうにはちょうどいい場所に下りエスカレーターが見えたので思わず笑ってしまいそうになった。できることならその光景を(家族連れの背中ごと)写真に撮りたかったぐらいなのだが、私はカメラではなく切符をしっかり手に持って、これから始まる競争に意識を向けなくてはいけないと自分に諭した(家族連れの背後で笑いをこらえていた時点では、この話をブログに書こうとはまったく思っていなかったため、残念ながら写真記録は取れずじまいである)。

 

 ドア、オープン!

 家族連れがエスカレーターに。

 ハタから見たらタテイシもこの家族の一員だと思われたであろう距離感で後に続く。

 殊勝にも、先頭をいくお父さんが重たそうなスーツケースを持ったままエスカレーターを駆け下りていったので、心から拍手を送りたい気分。ほら、子供たちもお母さんも後に続け! ほら早くーっ!!

 

 自分の足がエスカレーターから降りた瞬間、その家族連れを置き去りにして走る。ちゃんと目の前に乗り換え改札口があり、瞬間的に「現在、改札口を開放しています」という見慣れない案内表示が目に入る。おそらく今回の事情ゆえにそういう配慮をしているのだろうか、とっさのことなので理由を確かめず、開け放たれていたゲートを遠慮なく走り抜け、すぐ左の階段をあがる。

だあぁぁぁーー。

 

 階段の上に2番ホームの表示がみえ、たしかに列車が停まっていて、「9」の文字が車体に。すかさずターンして後ろの車両をめざし、7号車車両に。混んでいた車内で、2つぐらいしか空いてる座席がなかったが、とにかく通路側の空き座席に飛び込む。車内アナウンスが聞こえ、いま乗った電車が無事にサンダーバードであることをそこではじめて確認できた。

 そして間もなく、つぎつぎと新たな乗客がこの自由席車両にやってきて、通路は人であふれる。

 

ウェェェェーーーイ!!!

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 その場にいた乗客からしたら、北陸新幹線のトラブルのせいで出発が遅れて、ただでさえ夜遅い電車なのに、グダグダした感じであっただろう。そこへ血相を変えて40歳の男が息切れ激しくゼーハー言いながら突然走り込んできたのだから(でもおそらく顔は少しニヤニヤしてたとも思う)、せっかくの(平成最後の)ゴールデンウィークの夜に気持ち悪い光景を見せてしまったかと思う。

 

 

 「・・・座れた・・・」

 

Tension

 ともかくこのときの、「一言打ってすぐ送る」を繰り返しているLINEの状況から、私のテンションの高ぶりがうかがえよう。

 旅先での予想外のトラブルを、一転してスリリングなゲームに仕立てることができたのは、すべてはフィオリオ氏のおかげである。しかもこうして久しぶりのブログのネタにもすることができた。さらに言うと、今回のこの記事の下書きは、その金沢からのサンダーバードの車中で、持ち歩いていたポメラで書いた次第である。多くの「座れなかった乗客」を周りに感じる中では、眠ってしまう気にはなれず、何らかの文章を打つことで、自分なりにこの一連の出来事を振り返る時間にしようと思ったわけである。

 

 そして、最近ことに強く思うのは、年齢を重ねるとますます私はミスター・ビーンのような行動様式を是としてしまう感覚が強まってきたことだ。ビーン師匠と呼んでしまいたい。

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