カテゴリー「HOWE」の記事

2024.04.21

気がつけばこのブログを書きつづけて20年が経っていた

このブログをパソコンでご覧の方々は、記事の右側のメニューをずっと下にスクロールすると「ココログ」のアイコンがあり、その下に「2004/02/10」という数字を確認することができるはずだ。

それはこのブログを開設した日付であり、つまりこの「H O W E * G T R ブログ」は2月で20周年をひっそりと迎えていたのである。

そして作者はつい先日そのことにようやく気づいて、思わず一人で声を出して笑ってしまった。
「笑う」といってもそれは「苦笑い」に近いものがあり、そして「20年も経ってしまった」という事実に直面すると、自分のこれまでの歩みを短絡的に振り返ってしまうことで生じるなんともいえない情けなさとか後悔みたいな気持ちが圧倒的に上回り、「めでたいなー」っていう気分はあんまり、起こらない。

本来は、自分が作ったフリーペーパー「HOWE」の副読本みたいな形で始まった「HOWE*GTR」という別のペーパーがあり、それは完全に趣味オンリーの話を書き散らすためのものとして位置づけていたのであるが、2004年当時にブログサービスが開始されるにあたり、自分もその流れに乗っかって、フリーペーパー「HOWE*GTR」の延長線上のような気持ちで作ってみた・・・というきっかけでこのブログが始まっていった。

それがやがて30代になり40代になり、忙しさにかまけてフリーペーパーやZINEといった印刷物での表現をサボっていくようになり、ブログというのは気が向いたときに言いたいことや書きたいことを安価に手軽に表現する場として重宝し、そうしてこの2月で20年が経っていった。

最近ではブログをやるというと、すぐに「マネタイズがどうの」っていう話になってくるのだが、こちらはそういう時代の流れに乗っかっているわけではなく、せいぜいAmazonのアフィリエイトを置いたりしている程度だが、最近では自分自身がAmazonという会社そのものに嫌悪感を抱いているので積極的にアフィリエイトを設定する気にもならず、なおさら「何のためのブログなのか」と問われると、答えにくい(昔、Tシャツのシルクスクリーン印刷を解説した本ブログの記事がやたらGoogleの検索上位にあがっていた時期は、毎月数千円の収益が続いていたことがありました)。

でもフリーペーパーやZINE作りにせよ、このブログにせよ、「終了しました」と宣言しなければ、今でも「続いている」という状態になるわけで、結果的にそれはそれでよかったかもしれない。解散宣言をしないまま長期活動停止状態のロックバンドと同じである。そういう気持ちでずっとブログを書いてきている。

なので、自分のパソコンのブラウザに残っている「ブックマーク」のリストをたどり、かつて自分が気に入ってアドレスを保存していたさまざまな個人ブログのお気に入りを訪れても、そのほとんどが閉鎖しているか、別のブログサービスに移っているか、移ったとしてもその先では更新が昔に止まったままだったりして、寂しさを感じさせる。や、そのままブログを放置しておいていいんじゃないか、閉じなくてもいいんじゃないか、気が向いたときに少しでも書いたらいいんじゃないか・・・「あ、いまだと別のSNSのほうが便利なのか、そうかそうか・・・」とかいうことを悶々と考えてしまう。

それはまるで、大きなロックフェスの会場で、ブログの登場とともに一人でずっと最前列で盛り上がっていたつもりが、ふと我に返って後ろを振り返るとお客さんがほとんどいない状態になっていたかのような、そういう心象風景を思わせる。

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そんなわけで、何に向かって書き続けているのかもよく分からず、こんな気まぐれなブログをずっと読んでくれている方々(の存在を信じている)にはひたすら感謝。ありがとうございます。

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2024.03.02

往復書簡「言葉になりそこねてからのZINE」

同じ大学でかつて学んだ人たちが自主的につながりをゆるく保ちつつ、学びや対話の場をバーチャルに設けていて、ときどきやりとりがあったりする。「井戸端人類学F2キッチン」と呼ばれているそのつながりにお声がけをいただき、ZINEについての往復書簡を書かせてもらうことになった。その第一回目の自分のテキストが公開されている→(こちら)。

「言葉になりそこねてからのZINE」というタイトルは、この企画を進めるにあたって最初に行われたオンラインでの打ち合わせの場で即興的に私が考えて提案し、文通相手となる「壺さん」も気に入ってくれたようなので、それに決まった。ZINEやフリーペーパーを作るうえでは、言いたいことが出てきても、それをすぐにはストレートに出し得ない、なんらかの停滞感だったりモヤモヤを抱え込み続けるプロセスを経て、ようやく文字にしていくようなプロセスがあるような気がしている。そしてそれとともに現在の私というのが、ZINE的なるものを作る欲動に欠けており、「つくりそこねている」ということへの自省みたいなものもあって、こんなタイトルが降ってきたのかもしれない。

そんなわけで、自分にとってはリハビリに近い感覚で、久しぶりにZINEについて考えて書いてみた。まだ第一回目なので今後どのような話になっていくかは分からないけれども、よければご一読を。

ちなみにこの初回の話題で取り上げた『Notes from Underground』という本について、装丁が初版本のほうがカッコ良かったというのは、こういうことなのであった。

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結果的に英語力がないのでこの本もロクに読み通していなかったが、この本の装丁が放つ雑多でパンクな雰囲気こそ、当時の自分にとってZINEという言葉が誘う世界への探求心をかきたてる要因のひとつであったのは間違いなかった。

で、数年後にこの本は「増補版」として再版されているのだが、そのときの装丁がこれである。








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いや、もう、いったいどうしちゃったんですかと言いたくなる。
著者は何も言わなかったのだろうか。これでゴーサイン出してよかったのか。
もし初版からこの装丁だったら、私はこんなにもZINEについて向き合っていなかったかもしれないとすら思う。

装丁って大事、ほんと。

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2023.08.14

国会図書館のデジタルアーカイブ検索で遊んでみたら、父親の卒業制作までたどり着いた話

国立国会図書館デジタルコレクションというページ(こちら)では、所蔵しているデジタルコンテンツを次々とテキスト化しているようで、それらを検索可能な状態で提供している。
基本的にはものすごく古い時代の書物あたりがメインになっているが、たとえば自分の祖父母とかご先祖の名前を入れてみると、いろいろと楽しめるはずである。

私の場合、祖母の名前ではヒットしなかったが、祖父と思われる人物は数件ヒットしたのである(同じ漢字を途中まで含む、似た名前の別人もヒットするわけだが)。両方の祖父ともに特に有名人というわけではないのだが、長い人生においては、たとえば公的機関が出すような文書だったり、地域における公共性の高いちょっとした読み物みたいなものには、ときに名前ぐらいは載ったりすることもあるだろう。

そしてそういう非常に細かい情報たちが、こうしてネットで探し出せることに「すげぇぇぇ」となる。ここは世代的な問題だろうが、未だにインターネットにたいしては、そういう気持ちになってしまう。すげぇよ。

で、一般ユーザーの場合は、「この文書に、この検索キーワードがヒットした」というレベルまでしか分からないので、当該のページそのものをネットで閲覧することはできない。本当にデータが欲しい場合は別途、手続きが必要になる。

私の場合は「これは」と思う資料について古本サイトで検索すると、実物で入手できるものがあったので、ちょっとした記念に2つほど発注してみた。
ひとつは父方の祖父についてのもので、地域の郷土史家らしき人々が戦後に編纂した重厚な本だった。地元の産業界の詳細な紹介をしているコーナーに関係者の名前が細かく列挙されており、電力会社に勤めていた祖父の名前を見つけることができた。
もうひとつは母方の祖父についてのもので、実は某地方の旧制高校の出身だったようで(私の母もその認識はなかった)、その高校の同窓会が編纂した書物の中に主だった卒業生たちの進路先や活躍ぶりが分野ごとにずらっと紹介されており、絶対にこれは本人だと分かる内容で書き残されていた。

そんなわけで「恐るべし国会図書館」、思わぬタイムカプセルを見つけた感じであるが、さらに踏み込んで父親の名前を入力すると、似たような名前の検索結果がたくさん出てくるなかで、誠文堂新光社が発行している、広告関係やデザイン関連を扱った雑誌『アイデア』の1961年6月号に、父の名前がありそうだということが分かったのである。
私の父は多摩美術大学の図案科、つまり今でいうところのグラフィックデザイン学科で学んでいたのである。おそらくその関係ではないかと思われた。

すかさずこれも古本市場で調べたのだが、あいにく雑誌の現物を入手できそうなアテがなかった。
そこで次に調べたのは、国立情報学研究所のCiNiiによる全国の大学図書館の蔵書検索である(こちら)。そうすると『アイデア』の当該号を所蔵しているいくつかの大学のなかで、自宅に近い某大学図書館が学外一般者も資料閲覧やコピーが可能だということが分かったので、とある日の午後に訪れてみた。

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たまに「休みの日には何をしているか」と人から訊かれることがあり、いつも答えに苦しんで「いろいろやってます」と返すのだが、こういうことが「いろいろ」の中にあるんだろうなと、誰もいない静かな書庫を歩き回りながら思った。「父親の名前が載った古い雑誌をみるために、よく知らない大学図書館の書庫の中でウロウロする」という、ただそれだけの休日。

もちろん図書館なので、きっちり整理されている資料群から、目的のものを探し当てるのにまったく時間はかからなかった。

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(▲黒表紙に製本されて「アイデア」とだけ書かれて並んでいる状況がなんだかポップ感があって、よい。)

こうして1961年6月号の『アイデア』と対面することができた。

そこで分かったのは、この号では前年度の主な美術系大学のデザイン関係の卒業制作展のなかから、いくつかの作品を紹介するという趣旨の特集記事があり、そこに父の卒業制作が掲載されていたということであった。

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「え、ということは、他の美術大学も含めていくつもある卒業制作のなかからピックアップして選出されたということ!? すごいやん!?」と、素直に父親を褒め称えたい気持ちになった。
誰もいない書庫で。



そこで見つけたのがこれだった。










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タイトルは『日本の民謡』




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お、おう・・・・。


たしかに味のある作品といえば味があるが、当時のこの美大生の試みがうまくいっているのかどうかはよく分からない。でもまぁ、こうして雑誌に選ばれているのだから、きっと良い作品なのだろうと自分に言い聞かせながら、この特集コーナーまるごとをコピー機にかけさせてもらい、あらためて実家に行って父親にこのコピーを手渡してみた。

なんとなくの予想通り、父の反応はたいして盛り上がるわけではなく薄いリアクションであった。
この卒業制作はレコードジャケットを作るという課題だったとのことで、たしかに他のページに掲載されている学生の作品も、そんな感じで正方形にオシャレなデザインを配置しており、当時はモダンジャズが流行っていたようで、ジャズのレコードっぽいのがたくさん掲載されていた。

そんななかであえて「日本の民謡」を押し出したあたり、さすが「ビートルズは嫌いだった」と言い張る偏屈な若者だった当時の父親の気概を匂わせる(正確にはビートルズは大学卒業後に流行っていたわけだが)。

私がこのコピーを持ってきたことで、父にとっては自分の作品のことよりも、あちこちのページに記載されている同級生の名前にひとつずつ懐かしさを覚えていたようで、それはそれでコピーしておいてよかったと思った。

父は卒業後に某家電メーカーの宣伝部に進むことになるのだが、この雑誌が出たのはまさに社会人一年目の慌ただしいときのことだったようで、こともあろうに私が今回見つけるまで「こんな雑誌に載っていたことは知らなかった」とのこと。つまりあれか、遠く山口県の故郷から芸大にまで通わせてくれた両親にも雑誌に載ったことなんて伝えてなかったのかこの息子は。

あと、ついでに書くと、私自身もたしかにイラストや絵を描くのは得意なほうだが、子どものときから振り返るに、父から絵の描き方を具体的に教えてもらった記憶はない。
さらに、私はやがて仕事上のなりゆきで、自分でチラシ制作のためにデザインやグラフィックソフトを独学で習得して、趣味においても仕事においても我流でデザイン作業がそれなりにできる人になったのだが、よくよく考えたら父のほうは学生時代にみっちりデザインを専門に学んでいたというのに、そういう会話をほとんどしたことがなく、これは我々の間における「皮肉な謎」のひとつである。

例えば私などは「教えたがり」なので、もし子どもがいたら、良くも悪くもそれなりに自分の得意技能についてあれこれと言ってしまいたくなるだろうと思う。しかし私の父はそういう干渉をまったく行わなかったことになるので、人からみたら「それが最高の教育なんです」とか言うかもしれないが、本当に何もなかった側からすると、ちょっとぐらいは何か教えておいてくれてもよかったんじゃないかと思う部分もある(笑)

皮肉ついでにさらにいうと、この1961年に父が『デザイン』にその名を刻んだ55年後に、今度は私が同じ雑誌(2016年7月号)に載ることになったわけである。野中モモさんとばるぼらさんのZINEについての連載で、フリーペーパーを紹介していただいたのであった。

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そして、このページにたまたま挙げてもらっていた『HOWE』の第20号「ベルギー、フランス、ハイタッチ」の表紙絵は、父親に頼んで描いてもらったモン・サン=ミシェルを載せていたわけで、図らずも父親は2回、自分の作品を『アイデア』に載せたことになるのであった。

(そんなことよりも、いいかげんフリペの新作を作れよというツッコミはさておき)

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2020.08.22

実在した名前

 その昔、自作フリーペーパー「HOWE」を友人知人だけに配る感じの範囲で書いていた頃、オマケとして「ゴールキーパー・ジョンの不安定な冒険」というマンガをつけていた。友人たちはわりと楽しんで読んでくれていたと思う(さらに当時のHOWEを読み返すと、自分の知らない読者に向けては、感想文を送ってくれた人へのお礼としてこのマンガを送り返そうとしていたようだ 笑)。

 ただし、私は今でもそうだが持続力や計画性といったものに非常に乏しいため、この作品は未完のまま、第4回で力尽きてそれ以後まったくマンガは描いていない。

 ちなみにこのマンガを描くことになったきっかけは、2001年にはじめてロンドンを訪れて街中を歩いているときに、突然「ガンガンと大量に降ってきた」のであった。数歩進むたびに不思議なぐらいに次々とキャラクターやストーリーが思い浮かんできて、最終回に至るオチまで思いつき、そのたびに立ち止まってメモをつけていった。どうしてこんなに創作のアイデアが一気にわいてくるのか自分でもよく分からなくて、そんな体験はあのときだけだった。おそらく、言葉の分からない世界でひとり黙々と歩き続けていくなかで、普段は使わない領域の集中力みたいなものが研ぎ澄まされていったのだろうか。よく音楽アーティストがわざわざ海外でレコーディングすることがあるが、そうしたくなる気持ちがそのときすごく共感できる気がした。

 というわけで、帰国後すぐにインスピレーションにまかせて創作した、とある国のとある弱小サッカークラブ「FCペンシルズ」というチームを舞台に、実在の人物をモデルにしたキャラや(主人公のジョンは、当時フランス代表キーパーだったファビアン・バルテズがモデルだ)、まったくの創作キャラを交えて、マンガを描いてみたのだった。

 

そのなかで、自分の創作したキャラに「トークマン」という選手がいる。

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このように、設定としては「常にブツブツと何かをつぶやいていて、試合のときは相手に語り続けて集中力を削ぐ『つぶやき作戦』を得意とするディフェンダー」である。
喋りまくる男だから「トーク」+「マン」であり、それだけの単純なネーミングであった。

で、話は急に先日のことになるのだが、早朝テレビをつけたらNHKのメジャーリーグ中継が放送されていて、ニューヨーク・ヤンキースのスタメンの選手名を実況アナウンサーが読み上げていたら、

「トークマン」

という言葉が耳に入り、

「ええええええーーー!?」と反応し、すかさずスマホで写真を撮ってしまった。


トークマンって人名、実在していたのか!?

 

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※画面の傾きっぷりから、いかにあわててカメラを向けていたかがうかがえる。

ただし調べるとスペルは「Tauchman」ということで、まぁ、そういうものだよなと納得した。

いつかサッカー界のトップレベルでもトークマン選手が現れてほしいものである。

★★★

今回のおかげで久しぶりにこのマンガのことを思いだし、手元の保管資料を発掘して読み返してみた。若干恥ずかしい部分もあるが、第2回と第4回の内容をスマホで撮ったので、画像で置いてみる。

第2回「新シーズン開幕!の巻」。設定では「いつまでも現役にこだわる超ベテランストライカー」のスチュワート選手が当時42歳ということで、気がつけば彼の年齢を自分が越えていたことにショックを受けている。

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こちらは第4回「ピッチの中心で、ウソを叫ぶの巻」。「セカチュー」が流行っていた頃なのね。

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ペンシルズ監督のイレイザー氏がよく頭突きをするのは、それを「イレイザー・ヘッド」と名付けたかったからである。元ネタの映画は観たことないんだけど(笑)

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2020.05.09

動きの遅い私でも、いつでもメディアになりえること:『野中モモの「ZINE」:小さなわたしのメディアを作る』について

 

『野中モモの「ZINE」:小さなわたしのメディアを作る』(晶文社、2020年)

 

この本の帯にはこう書いてある。

「何かを作りたいと思ったら
 あなたはいつでも
 メディアになれる」

 フリーペーパーのようなものを作ってみたいと衝動的に思ったころの自分に言ってあげたい言葉だ。


 
 ごくたまに、若い人に向けて、自分が作っているものについての話をさせてもらう機会があったりする。そして私が高校3年生のときにフリーペーパー『HOWE』を作りはじめた頃のくだりで、必ず言いたくなることがある。
 それはきわめて当たり前のことなのかもしれないが、「人がメディアを語るとき、その人がどういう時代のなかで、どのような個人史においてメディアを捉えてきたか、そこを想像しながら聴いてほしい」ということである。

 私が自宅のワープロ機で最初のフリーペーパーの原稿を印刷したとき( とはいえインクリボンは高額だったのでめったに使わず、熱転写でプリントできる安い感熱紙であらゆる文書を打ち出していて、こうした保存がきかない紙で初期の『HOWE』を作っていたことを後々になって後悔することになるわけだが )、まだインターネットというものの存在は知らなかった。その年の暮れに「Windows 95」というパソコンの基本ソフトが発売されて盛り上がっている様子がニュースで盛んに報じられていたが、まだそのことの本当の意義やその直後に起こりうることはよく分かっていなかった。
 その翌年大学に入り、友人MSK氏に教えてもらい、図書館に置いてあるごく一部のパソコンだけがインターネットにつながっているというので、そこで私は初めてウェブサイトというものを見て衝撃を受け、それからはネットサーフィンに明け暮れるようになった。
 しかし私はそれでもホームページづくりではなく、すでに自分がカタチとして持っていた「新鮮な遊び」ともいえるフリーペーパー作りにもう少しこだわろうと思っていた。

 もしこのタイミングが少しでも違っていて、高校生の頃にインターネットに触れていたら、私はおそらく「紙によるメディア」を作ろうとはまったく思わなかったかもしれない。

 こうして個々人にとってのメディア体験を語ることは、その人の生きた時代なり技術史なりとの関係のなかにおいて受け止められることによってようやく「その時々の面白さや意味」が浮かんでくる。

 すでに『日本のZINEについて知ってることすべて』(誠文堂新光社、2017年)という決定的な仕事により、戦後占領期以後から現在に至るいくつもの自主制作印刷物について網羅的な解説をされた野中モモさんが今回の新著で取り組んだのが、まさにこの「メディア環境の変遷と個人史」を書ききることだった。まだ見ぬ若い世代の読み手にZINEの面白さや可能性を伝えるためには、やはりどうしてもこの作業が必要なのだ。おそらくご本人にとってしばしば書きにくさを感じるテーマだったかもしれないが、こうして日本のZINEカルチャーを応援し、また実践者としても試行錯誤してきた独自の取り組みのあれこれを読者と共有するためには、やはり野中さん個人による「私語り」からはじまっていくのが最もふさわしい。そしてそれは、決して「こういうルートがモデルである」というのではなく、むしろまったく逆で、「それぞれのオリジナルな自分だけの土壌から、いかにメディアを紡ぎ出すか」を示すことであり、そのひとつの手段としてZINEがあるのだ、ということだ。

 そして第2章からつづくのは、さまざまなZINEの作り手や、ZINEをめぐるコミュニティについての紹介になるのだが、そこにも「参考となるモデル」ではなく、「極めて独自の、他にない、その人ならでは」の話が連なっていく。だからこそZINEは「わたしがつくるもの/誰でもつくることができるもの」としての意味が深まっていくのであり、この本がトータルで伝えたいことも「お手本なんてないし、求められるクオリティなんて関係ないし、あなたの立ち位置から、自由に作ってみよう」なのだと思う。

 冒頭の帯のコピー、「あなたはいつでもメディアになれる」をあらためて考えると、これもそれぞれの読み手の世代によって、捉え方が違ってくるのだろう。今では誰でもメディアになれる(ならざるを得ない)ことは自明のことのようにすら思えるかもしれないが、この本でいう「メディアになる」というのは、技術革新のスピード感とは無縁のものだ。すでに広がっている、大きな組織や経済によって構成されてきた仕組みに同調するのではなく、それらと趣が異なる地平に降りていき、遠くにいるかもしれない誰かに向かって、自分の腕力でできる範囲で、その想いを放り投げ続けていくことなのだ。

 そうした試行錯誤が、たとえすぐには誰かに届かなくても、広い世界に向かって精一杯に腕を振って何かを投げたことで生じる、どこか心地よい疲労感が肩に残る感じ・・・その「手応え」みたいなものが、ZINEという「手間がかかって、なにかと遅いメディア」を自分の手で作り上げていくことで得られる楽しさなのだろうと思う。

 

 ・・・そして今回のこの文章はまさに、ここ数年のあいだ様々な言い訳を連ねて何もZINEやフリーペーパーを作ることができていない自分自身に、ダイレクトに跳ね返ってくるわけであるが・・・遠くに投げたいけど、その腕力もめっきり落ちてきまして・・・いやいや、がんばりますよ、ええ。

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2016.08.28

ドアーズのワークショップ「古雑誌のページを切り取って封筒を作ろう」実施報告

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お客さんが1人来るか来ないか、っていう状況で、ドアーズのスタッフさんにも加わっていただき、なんとかワークショップを無事終えることができてよかったです。


とても楽しかった・・・というか、とっっっても勇気づけられたのは、今回参加していただいたのが、60代のお父さんだったこと。


奥様に先立たれ、ご自身の親の介護もするうちに、たとえば介護施設などで自分が入ったときのイメージとして、「女性の多い集団のなかに加わって、何らかのもの作り(などの各種アクティビティ)をする状況などに自分がスムーズに入っていけるようにしないといけない」と思うようになり、こうしたいろいろなワークショップを今のうちに体験しようと思ってドアーズに何度も来られているとのこと。

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「・・・!!」


うぉぉーー!! って、思った。


そういう問題意識でもって、「ものを創ること」に慣れようとすることそのものに、非常に感じ入るものがあったのである。いやホント、自分はこのお父さんに出会うために今回のこのワークショップを実施させてもらう運命だったんだ、というのが今になって思う結論であった。

しかも、こういう場所に一人で申し込んで、娘や孫のような世代と、机を並べてファッション雑誌とかを切り取って封筒を作るというのは、すごく勇気と根性が要るはずである。自分が同じような歳になったときに、果たして同じような意欲をもってこういう場所に来ることができるのか? そこで突きつけられる問いは、これからずっと抱えていくものかもしれない。

そして何より嬉しかったのは、このお父さんも含め、ドアーズのスタッフさんにもこの封筒づくりの愉しさを共有してもらえて、「想像していた以上に面白い」という感想をいただけたことだった。そう、頭で分かったつもりでも、本当に自分の手を動かしてみてはじめて分かる「うわ、これ面白い!」のポイントが、この作業にはあるんです。

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みんなの作品を並べて鑑賞。
こうしてオフィシャルな場でこのワークショップをするのは3回目なのだけど、毎回誰が作っても、見事にオシャレな封筒ができあがるのが、あらためて自分でも驚いてしまうところ。

透明プラ板のテンプレートの大きさや向きによる「制約」のおかげで、雑誌の好きな部分を切り取るときに、どうしても普段の自分では切り取らないであろう角度や方向でカタチをとっていくので、「いつもの自分では思いつかない、大胆でダイナミックな構図で画面を切り取ること」が可能になっていくわけで・・・って、これも文章で書いても本当に伝わらなくって、実際にプラ板のテンプレートを片手に雑誌のページを切り取ってもらってはじめて実感してもらえることかもしれない。

お父さんもこのワザを身につけたことだし、雑誌を見つくろって、封筒作って、お手紙を書いたりして、誰かに渡してほしいなぁ、とひたすらそのことを祈りたくなる気持ちになった。

そうなのだ、自分がもの作りを教えるというより、やはりこれは自分自身にたいする学びと修行の時間でもあり、そのことを含めてワークショップというものがあるのだと、つくづく思った。
関係者のみなさまには、ひたすら感謝。

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2016.06.14

Lilmagさんで『HOWE』新作とTシャツづくりZINEを扱っていただいてます

野中モモさんのLilmagにて、『HOWE』の22号(こちら)、そして最新作ZINEである『Tシャツ印刷であそぶZINE』(こちら)を扱っていただいております! ありがとうございます・・・! Lilmagブログでもコメントをいただいておりますー(こちら)。

たしかに今回のハウは、きわめてマンガに近い描き方をしていて、それもおそらく『かくかくしかじか』の影響かと思える。

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ちょっと前になりますが、Harukana showの2週連続トークの2回目、Grassroots Media Zine3号をめぐる、ジョン・ホッピー・ホプキンズのことやZINEそのものについての対話(こちら)。
次のハルカナショーでもタテイシは語らせてもらっています。EASYのことや、ハウができたことなど。ストリーム配信は日本時間土曜日の朝8時より。くわしくは(こちら)。

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最近の「なんとなくシンクロニシティ」。

先日、ご飯を食べていたら友人からLINEメールで「冷酷度チェック」っていうサイトのURLが送られてきた(これね)。
ひととおり回答して、私の得点は「61:あずきバー・レベル」だったのだが、そんな結果をめぐって友人とLINEでやりとりしつつ、ふと気づいたのが、たまたま私がまさに今飲食店で食べていたのが、人生で3度目ぐらいしかオーダーしたことのないと思える「冷やし中華」だったので、なんか苦笑い。

あ、でもこれから積極的に冷やし中華は食べるかもしれない。なぜ今まであまり外食時に食べなかったのかよくわからないけど。

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世の中にはありとあらゆる学術学会があるのだが、最近見つけたのが「日本ゴルフ学会」(これ)。学会の発行する雑誌は『ゴルフの科学』という。

もはや私にとってこれは「看板屋の看板問題」に通じるところがあるが、きっと学会の年次大会はゴルフ場で学会を開催し、懇親会とかはゴルフをプレーするんだろうなー・・・ということは容易に想像される。

しかし私の予想をさらに越えて、学会大会の要項をよく読むと、学会のなかでゴルフ場でプレーすることを「フィールドフォーラム」という名称でプログラムに組み込まれていたりする。それはシンポジウムでも研究発表でもなく、「フィールドでフォーラムする」時間なのだそうだ。もちろん、ゴルフ学会がれっきとした学問としてゴルフを扱っていることは否定しないが、それでもきっとこの学会に出張する先生たちは事務方から「単にゴルフで遊んでいるだけじゃないんですか」と言われまくってて、いやいや、何らかのフォーラムがそこで展開されているのだよ・・・ということで、この名称を考えついた人は、なんだかすごいとすら思う。

ほかにスポーツの名称がついた学術学会はほかにもありそうだけど、ゴルフ学会ほどにその主題となるスポーツをプレーすることが年次大会のプログラムに堂々と組み込まれることってどこまであるのか、ちょっと気になってくる。


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2016.06.05

あらためてシャムキャッツ"EASY"@京都磔磔のことと、ハウ22号のこと

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あらためて京都磔磔のシャムキャッツ「EASY TOUR」、ありがとうございました。D.A.N.とシャムキャッツの共演に、ZINEの作り手としてあの空間を共有できて光栄でした。

最近何度も聴いていた(そしてこのブログのサイドバーにも動画貼り付けさせていただいていた)マイブームの曲『忘れていたのさ』からはじまったり、アンコールのシメは『なんだかやれそう』で終わって、聴きたい曲がぜんぶ聴けた感じがうれしかったです。

ZINE SHOP側から椅子に立って壁際から眺めた磔磔のステージ、あの角度でまたシャムキャッツのライヴを観てみたい。


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今回もご一緒させていただいたミシシッピさんの「そばちょこ」、おそばを食べるときの入れ物は「蕎麦猪口」と呼ぶものであること自体、いままで分かってなくて、他にもいろいろな使い道がありそうで、何よりこのデザインの存在感にひかれてゲット。


そしてこの日から配布させていただいた新作フリペ『ハウ』22号、あらためて表紙はこんな感じ・・・

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テーマは『ヘタな英語でも、生き抜いていくために』。
ちょっと説教臭い内容ですが、英語を学ぶことについて思っていたモヤモヤをぶつけてみました。
表紙の絵は、ピンクフロイドの『炎』のジャケですね、まるまる。

開演前に夏目さんに渡したらさっそく読んでくださり、「僕もそう思ってました!」っていう感想をもらったので、なんだかすごく背中を押してもらった気分。

これからジワジワと配らせていただきます。


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2016.05.31

フリーペーパー『HOWE』vol.22が完成(4年ぶり・・・)

Howe22printing
「ハウ」の新作、できました。

今号のテーマは「ヘタな英語でも、生き抜いていくために」。
英語とのつきあいかたについて、思うところを書きまくってます。

まずは木曜日のシャムキャッツ「EASY TOUR」@京都磔磔に持って行きます。持って帰ってもらえると嬉しいです。

ちなみに今回の印刷も「京都カンプリ烏丸店」でお世話になったのだけど、カンプリの店舗によって両面印刷についての方針が異なっているようで、ここの店では「1時間程度乾かせば裏面に印刷してもいい」ということだったのが実に助かる。片面を終えた印刷物を置かせてもらって、店を出て四条通まで歩いて京都芸術センターでフライヤーとかチェックしにウロウロしたりCOCON烏丸ちょっとのぞいて帰ってきたら余裕で1時間は過ぎていった。

「EASY」が終わってからは、徐々にいろいろな方面で配布をさせていただきます。
よろしくです!

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2016.03.04

シャムキャッツ「EASY TOUR 2016」の京都公演@磔磔にZINE SHOPで出させていただきます

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シャムキャッツのイベント「EASY」が、今年は全国ツアーになっていろいろな街で展開されるとのこと。

そして6月2日(木)の京都公演@磔磔では、タテイシもZINE SHOPに出させていただきます! ヒョウ!

それまでにフリーペーパー「ハウ」が配布出来るように準備します!
他にも何かいろいろ作っていきたいです!

ライヴの状況的&時間的にその余裕があるかどうか分からないけど、できる範囲で毎度おなじみの「即興ZINEづくり」も出来るようにしたいと思ってます。

濃密な夜になりそうですっ!

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