カテゴリー「photo」の記事

2019.10.25

なぜこの写真がジワジワくるのか

先月にこういうツイートをした。

 

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サッカー選手たちの練習場でのヒトコマ。

なんてことのない写真ではあるが、ジワジワくる面白さがあって、でもその理由がうまく説明できず、モヤモヤしているのである。今も。

 

その直後に友人のToyottiからこういう返信もあった。

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なるほど、「丈長めの練習着の統一感」というのは、たしかに面白さに寄与している要因かもしれない。

しかもこのスタートレックの写真、見事に服装の色がブルーで、そこもオツである。

で、このネタについてあらためて先日ふと思い出して、スマホに保存してあった画像を見返しては、「うーむ、なぜ面白いのだろう」とふたたび考え込んでしまった。

そこでひとつ、新たな説を思いついた。

 

これは背景の問題なのかもしれない、と。

 

チームの練習場で、広いグラウンドの、特に何てことのない場所でたたずんで、複数の人間が固まって写真に収まっていることで、適度に背景が遠くに浮かび、その「なんとも言えない中途半端な場所っぷり」が、この面白さを支えているのかもしれない。

もし、このポーズのまま、たとえば「浅草の雷門の前」みたいな観光地で記念写真に収まっているシチュエーションを想像してみると、とたんにこの様子は「ありきたり」に思えて、あまりそこまで面白くないかもしれないのだ。

・・・と、ここまで書いても本当にそれが答えなのかどうかも自信がもてず、さらにいえば「だからどうした」っていう話ではあるが。

まぁ、基本的にこのブログは「だからどうした」ってネタばかりですが・・・

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2017.11.23

ECHOESなロンドン旅2017夏・その7:写真をみながら、いろいろと。

もう季節はすっかり秋を経ていよいよ寒くなろうかという日々だが、いまだにブログで夏の旅を思い出したがることを許して欲しい。たった5日あまりの滞在だけれども、4年分の想いをぶつけにいったような旅だったので、とにかく楽しくて毎日写真を撮りまくって歩きまくったのである。

というわけで「番外編」的に、写真を脈絡無く貼りまくっていく。

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着いて初日の朝に地下鉄の駅で出会ったポスター。「ロンドンはすべての人を歓迎します」という見事なデザインとメッセージ性。ちょっとグッときた。入国審査が厳しいくせによく言うよとは思うが(笑)、このようなセンスをオリンピックを控えた我が国のパブリックな空間にはまったく感じないのはなんなんだろう。

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英語を話せなくても注文しやすい、という観点からもそうなのだが、私はなんとなく、KFCはイギリスで食べるとミョーに美味しい気がしている。このフィッシュ&チップス的な「箱にポテトとチキンを混ぜてぶちこんで提供する」というザックリした感じがそう思わせるのか、あるいは単に食べ慣れた味が異国の地だとよりいっそう刺激的な味わいに思わせる錯覚におちいっているだけなのか。あと写真右側に見えるが、小さい袋で塩とコショウがついてきて、これもなんだかいい感じに思えてくる。普段ファストフードなんてまったく評価しないはずが、好きな国にくると、とたんにこうなる。
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ちなみにトレイの紙のデザインも、念のため。

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そしてこのときのKFCの店内から撮影したスナップだが、この写真について言いたいことが3つもある。

(1)写真が見切れて申し訳ないが、左端にある、のっぺりした赤いソファが60年代っぽくてオシャレだった。
(2)でもそのソファに座りたくても座りにくかったのは、そこの窓のすぐ外に座っている白人男性が物乞いのような状態だったからである。しかし、私が店内にいる間だけでも、通行人のかなりの割合の人が彼に話しかけたり、お金?をあげていたりしていたのが印象的だった。
(3)写真をクリックしてもらうと分かりやすいのだが、いままさに人が出て行く右端のドアノブのところは「PULL」と貼られている。しかし写真の様子から分かるように、このドアは実際はプッシュしないと開かない。そして反対側の表示は哀しいかな「PUSH」と貼られていた。私も含め、この日のこの店にやって来た客のすべてが最初は「開かずのドアでガンガンしながら戸惑う」という儀式を経て入店していた。しかし私が店内にいる間、誰もそのことについて特に文句をいう様子でもなく「まぁ、こんなもんだよな」的な雰囲気でレジまで行くし、その結果、店員も気づかないのか、あるいは面倒くさいからなのか、そのまま放置されていて、相変わらず新規の客はドアをガンガンしてから入ってくるという切ない状態が続いていた。うまく言えないが、「あぁ、イギリスに来たなぁ」と思うひとときだった。

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↑ノッティングヒルで出会った、素敵な外壁のカラーリング展開!

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↑たまたま移動中に出会った運河のボート停泊エリア。地下鉄Angel駅のちかく。いつか運河を船でゆっくり移動する旅をしたいと思っているので、バッタリこういうシーンに出会うとテンションあがる。

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↑こちらはブリックレーン・マーケットの古着屋の看板。なんか妙に心ひかれる雰囲気があった。中はわりとフツーだったが、海外にいくと古着屋は一通りチェックしたくなる。

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↑これもブリックレーン。チョコレート専門店の、すべてが素晴らしいディスプレイ。

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↑「シリアル・キラー・カフェ」。いいネーミング。これもブリックレーン・マーケット。

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↑ブリック・レーンのとあるジャンクなマーケットエリアではいろんなガラクタ系がひしめいていた。写真では分かりにくいが、車の前で座る店主のおじさん2名と、その背後にかかげられているパンダの着ぐるみの売り物?の組み合わせが醸し出す、なんともいえない情景が忘れがたかった。あまりにおじさんの雰囲気が鬱々としていたので近づけなかった。

ロンドンのマーケットといえば他にもいろいろあるが今回あらためて「やはりここが一番好きだ」と思えたのがステイブル・マーケットだ。

普通はカムデン・ロック・マーケットを歩き通したあとのそのさらに奥に行けばたどり着くマーケットなのだが、個人的にはあえて地下鉄のチョーク・ファーム駅まで行って降りて、南下してラウンドハウスの建物(ここもロック聖地として、例のテクニカラー・ドリームの関連においても重要なライヴハウスである)を横目に眺めて、そのままステイブル・マーケットに入っていくルートを推奨したい。カムデン・ロックのあたりだと、観光客相手を意識しているのか、似たようなモノを売る似たような店がやたら多いので、疲れるし飽きてくる。ステイブル・マーケットのエリアに来て初めて、このディープな味わいのマーケットにたどり着くわけで、だったら最初からこっちに来た方が時間の節約にもなるぞ、と。

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うまく言えないが、「軽く狂っている感じ」と「インディーズ手作りDIY」の感じが観光客向け路線のなかで、ほどよく楽しめる雰囲気。

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↑しばらく来ない間に、『TIMEOUT』誌はフリーペーパーとなってしまった。ずっと探していたのだが、これをようやく手にできたのが旅行の最終日だった。そして特集タイトルが「ハロー・ロンドン」っていう。もう帰るのに!(笑)。昔は空港について真っ先にこれを買って、細かい字でびっしり書かれたその週のイベント情報をじっくりチェックするのが楽しみだったのだが、そういう情報も現在のこの誌面では載っていなくて、すべてウェブで調べなさいという時代。2005年に現地で「London Zine Symposium」のイベントを知ったのもこの『TIMEOUT』誌のおかげだったのだ。

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↑セインズベリーズのパッケージデザインがユニオンジャック好きにはたまらないのでムダに買ってしまいたくなる。

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↑こちらは近所のテスコで買った単なるクッキングペーパー。どうしてこうも見事なデザインを・・・

旅先で雑貨屋・文具屋をチェックするのも毎度のことであるが、今回の旅で一番よかったのは、「Present & Correct」というお店。

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写真を撮っていいか尋ねたら、二つ返事でオッケーをしてくれた店員さんがおそらくオーナーの方で、この人が男性だからか、自分にもすごく共感できるチョイスの雑貨が多かった印象。ロシアっぽいメモパッドとか買い込む。

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↑そしてこのお店の紙袋も凝ったデザインでステキ。

お店のサイトは(こちら)。地下鉄ではAngel駅のエリア。

 

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↑これはテート・ブリテンで絵を観ながら、どうしても甘いものが食べたくなったので初めて地下のカフェをトライしてみたときのプレート。この無骨な感じの紅茶ポットがひたすらカッコよかった。そしてチョコケーキも美味しかったのである。

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↑これは朝のBBCニュースで取り上げられていたネタで、当時人気が出てきたロックンロールなどが公共放送では紹介されないので、法律にひっかからない海の上からラジオで放送した「海賊ラジオ局」が起こって50周年とのこと(ピンク・フロイドが50周年なのだから、確かに同時代的にこのあたりのネタはすべて50年を迎えるのだった)。これもDIY精神の歴史を語る上で外せない歴史のひとつであり、映画『パイレーツ・ロック』はまさにこのテーマを扱った快作。

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個人的に感じ入ったのは、そもそも当時のBBCがロック音楽の放送を忌避していたことへのカウンターカルチャーとして海賊ラジオが始まったわけだが、50年も経つとBBCが「今度この海賊ラジオの船と一緒にイベントします~」とか言っていることを、こうして目の当たりにしたことだった。

・・・というわけで4年ぶりのロンドン、本当に今回は最高に良い旅だったので、いろいろと書いてみた。ピンク・フロイドの50周年記念ということがすべての始まりであったので、この一連のブログ記事の締めくくりに彼らの曲の動画を貼り付けて終わろうかと思う。

で、最近YouTubeで知ったピアノ奏者、Bruno Hrabovskyという人がピンク・フロイドのいろんな曲をカバーしているのだが、その中でも最高に素晴らしいのが、代表曲『エコーズ』で、ぜひそれを紹介したい。むしろこれは、原曲よりもよりいっそう原曲の良さを引き出しているとすら思える。原曲の冗長な部分を省いて聴きやすくしていて、『エコーズ』がいったいどういう曲だったのかを改めて解釈し、迫力あるピアノの響きで表現している。

というわけで夏のロンドンでの想い出は、『Echoes』の曲とともに。

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2017.06.24

「世界を変えたレコード展」@グランフロント大阪

「ぜひ行ってみてほしい」とMSK氏に薦められてて、今日たまたま梅田に立ち寄ることができたので、グランフロント大阪のナレッジキャピタル・イベントラボにて開催中の「世界を変えたレコード展:レコードコレクションからたどるポピュラーミュージックの歴史」にいってきた。

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まったく知らなかったのだが、金沢工業大学では「ポピュラー・ミュージック・コレクション」というアナログレコード等のアーカイブが設置されていて、多様な側面からポピュラー・ミュージックの歴史的/芸術的視点に触れることができるようである。

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たくさんの貴重なレコードだけでなく、当時の時代背景を物語る資料などもいくつか展示されているのだが、とりわけ面白いと思えたのは、19世紀末から現在に至る巨大な歴史年表だった。

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今回の展示はたしかに図録集みたいなものを作ることは無理なのだろうけれど、せめてこの年表だけでも資料化して販売してもいいぐらいだと思えた。私なら買いたくなる。見終わったあとで受付の人に聞いたら、金沢工大の学生さんたちが制作した年表だそう。ちょいちょい興味深いエピソードなどもうまく書き込まれていて、読ませる年表になっている。

そして何より私のテンションを上げてくれたのは、最後の最後に設置されていた「顔ハメ」ならぬ、「そこで座って写真を撮ってください」という・・・

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ピンク・フロイドの「ウマグマ」のジャケット参加型記念撮影スポット!!

たまたま今ピンク・フロイドの本を読み返していて、この家のことが登場していた箇所を読んだばかりのところだったのでタイムリーだった。(ジャケット・デザインでおなじみの『ヒプノシス』のストーム・ソーガソンのガールフレンドのお父さんが田舎に持っていた家で、デビュー前にフロイドのメンバーたちや無名時代のポール・サイモンがここで行われたイベントで演奏を行ったこともあったそう)

このシュールな設定に感銘を受け、あいにく1人で来ていたから、係員のお姉さんに頼んでシャッターを押してもらう。

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やー、これはうれしかった(笑)。足の置き方もちゃんとギルモアに揃えてみたり。気合い入りすぎて肩に力入っているのが惜しい(笑)
このネタ考えた人には何か一杯おごりたい気持ち。まさかこんなオチに出会えるとは・・・入場無料で、7月23日まで開催中。

あ、テクニクスのレコードプレーヤーが設置されているコーナーもあって、たまたまそのときはロキシー・ミュージックの『アヴァロン』がヘッドホンで聴けるようになっていたのだけど、改めてアナログレコードの音の深みが味わえたのも貴重だった。うっかり手を出したら泥沼の趣味になりそうだが・・・


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2016.08.01

「上司の故郷に一人で勝手に行ってみる旅」をしてきた(その1)

 私の上司のSさんはとても地元愛の強い人で、生まれ育った愛知県・豊川や豊橋の話をよくする。とくに出身高校に強いこだわりを見せるので、私はSさんが高校時代にお世話になった、珍しい名字の「朧気(おぼろぎ)先生」という数学教師のフルネームだって暗記できてしまっているほどだ。高校を出た後、郷里を離れて京都の大学にきて、そのまま40年ちかく関西で暮らしてきたSさんにとっては、豊川で過ごした高校時代というのがきっと輝かしいノスタルジックな思い出になっているのであろう。

 しかしSさんにとって幸か不幸か、そういう郷土の美しい思い出を語っている相手としてのタテーシが、これがまったく郷土愛のかけらもない、むしろ地元のことを嫌っているフシもあり(ほぼ「せんとくん」のせい)、かつ、「旅に出たくなるネタ」を日々追いかけているような輩であることだった。こうして職場で日々Sさんから発信される豊川・豊橋をはじめとする東三河関連の情報に接するうちに、当初は(自らの郷土愛の薄さゆえに)その熱い地元推しのスタンスそのものを面白がっていたのが、Sさんの思い出話における固有名詞に慣れてくると、これらの地域に対する妙な親近感が芽生え、「これは実際に行ってみないと」となったわけである。

 なにより、この地方で伝統的に行われている「手筒花火」のお祭りがかなりファンキーでダイナミックな様相を見せており、どうせならその時期に合わせて行こうと考え、ようやく今年の7月末、まさにSさんの地元の国府(こう)にある大社(おおやしろ)神社での手筒花火の日にあわせて訪問することとなったのである。

 まず新幹線で豊橋駅に降りる。

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 豊橋市のマスコットキャラクター「トヨッキー」の出迎えにもあまり驚かないのは、すでにSさんから何度も見せられているからであろう。

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「トヨッキーにたいして言いたいこと」はいくつかあるが、それは職場でSさんに伝えておけばいいだろうと思い、何も書かずにやり過ごす。


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 さて、まず向かったのは豊橋駅からすぐのところにある「玉川うどん本店」である。開店直後におじゃましたがすでに賑わっていた。ここでは近年豊橋でプッシュされている「豊橋カレーうどん」がいただけるのだ。

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 見た目はふつうのカレーうどんであるが、知らない方のために紹介すると、こういうことなのである。

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 この大胆なコンセプト、これは一度は食べておきたいと思っていたので、あえて朝食を軽めにして出向いたのである。
 そもそもただでさえカレーうどんというのは気を遣いながら食べるものだが、この豊橋カレーうどんはさらに「お箸で底をかきまぜないように」という、いつも以上にシビアな動作が求められるのであった。

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 そのせいか、麺をお箸でひっぱろうとしても、器の底から何らかの「フォース」みたいなパワーが働いているような手応えを感じ(笑)、ゆっくり、慎重な箸さばきを意識しながら食べていくことに。

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 最終的には付属のスプーンに持ち替えて、お米部分をリゾット風にしてカレーのルーを綺麗に最後までいただくこととなる。なにより、とろろの食感がカレーのダシをまろやかにしてくれるので、「もはやすべてのカレーうどんはこの方式で食べたくなる!!」と思えた。つまりこれは「変わったカレーうどん」なんかではなく「新しいカレーうどんのスタンダード」という可能性を提案しているのである。

 このお店だけでなく豊橋エリア一帯のあちこちでこの豊橋カレーうどんは食べられるみたいなので、ぜひこの新食感を味わっていただきたい。

 うどんを食べたあと、近くに聞き慣れた名前の書店があった。

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 これもSさんの会話にたまにでてくる名前、「精文館書店」だった。最近はZINEの特設コーナーもあったとかで、そういう話もしていたなぁと思いつつ店内にはいると・・・


でかい。


とってもデカイ。


そして建物が入り組んでいて、よくわからない構造。

なかに眼科・コンタクトレンズ店だったり、最上階はいまどきのカードゲームが楽しめるコーナーが作られていて、そのすぐ横にはパソコン書コーナーがあったり・・・
よくよくみたら、何かとサブカルチャー系の本棚が異様に充実していたり。

「こういう大型書店、ありそうでないよな・・・」と、いまどきの書店にしてはかなりがんばっている雰囲気だった。

 なにより感銘を受けたのは、ワンフロアがぜんぶ文房具類の売り場になっていて、その豊富な品揃えには「これは、東急ハンズやロフトよりもレベル高いのでは!?」と素直に思えたことである。気がつけばガッツリと歩き回って日常的な買い物をしてしまったほどだ。

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 それに、ここで初めてお目にかかったグッズがあって、輸入雑貨なのだが、

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 これはつまり、マグネットの力を利用してこの器具ではさみ、ホッチキスの上側をあてがって、いくらでも好きな場所で「中綴じ」ができる、その補助具である。これは今まで見たことがなかった・・・中綴じ冊子を作るぶんにはコクヨの名機「ホッチクル」があれば事足りることが多いのだが、場合によってはA3サイズの冊子なんかを作る機会だってこの先あるかもしれないし、そのときにこの器具があればとても便利であろうと思い買った。

 そんなわけで、かなり広範囲にさまざまな商品を揃えた文具店で、正直これは地元にはないクオリティだったのでうらやましかった。そしてよく考えてみたら、上司のSさんは日頃から文房具にこだわりのある人で、ひょっとしてそのルーツは子ども時代からこのような店が生活圏内にあったからかもしれない、ということに思い至ったりした。

 こうして、豊橋に到着して2時間もしないうちに、カレーうどんを食べ、いろいろ文房具を観て回り、買い物をし、書店の各フロアをあれこれ観て回り、もはや当初の目的が何だったか分からない様相をさっそく示しているが、続きはまた後日。

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↑ 精文館書店の階段エリアのフロア表示がレトロモダンな感じでかっこいい。
あるいは「AC/DC」のロゴみたいな。 でもよくみたら餃子の王将のガラスコップみたいにも見えたり。

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2016.04.10

Speedy OrtizというバンドのPVがあの鬼才へのオマージュで溢れまくっていて良くできている件(曲も素敵)、など

Speedy Ortizというバンドのある曲のPVが、とってもグッときた。曲そのものもツボにハマる。

そう、『ツイン・ピークス』とか『イレイザー・ヘッド』など、ディビッド・リンチの映画作品のモチーフをちりばめた内容で、ヌイグルミのちょっと間の抜けたアンバランスさとか、なんともいえないミクスチャー感。
とはいえ私も元ネタはさすがにぜんぶ分かりません。

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2月の寒いころに、ちょっと思いついてこんなことをネタ帳にメモしていた:

「暖かい春そのものが好きというより、冬の室内から天気のよい青空を眺めながら、そこで暖かくなった春を夢想するときのあの感覚のほうが、内面の心地よさも含めて、最高にステキだと感じた」

・・・そうして今、実際に暖かさが増してきた今日このごろ、このメモを再読すると、「そうだよな、花粉症とか鼻水とかでズタズタになっているフィジカルを思えば、まさにそのとおーーりだよっ!!」
と、思った。

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ヴィレッジ・ヴァンガードのアウトレット店、すべて70%オフなのだが、久しぶりに立ち寄って、何かを探すわけでもなくたまたまポスター売り場をちょっとマメにチェックしたら、自分的にグッとくるデザインをひとつ見つけたのであった。最近の気分的に、まさにこういうのを「欲していた」感じがストレートに表現されている感じで、おみくじの大吉をひいた気分。

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「最近読んだ本でもっとも印象的なものを挙げよ」 → まちがいなく、上司のSさんが強くオススメしてくれた漫画、東村アキコの『かくかくしかじか』。

この自伝的作品を描いた作者がどういう漫画家なのかまったく知らずに読んでも、そんなことはまったく問題なく、ただひたすらに、自分が描きたいもの、創りたいもの、たどりつきたい世界を探求していくうえで、とても大事で貴重なもの、そしてなによりその道を歩む上で出会ってきた人々との関わりが、この全五巻の作品にギューーーとつまっていて、不思議な感情移入を喚起させてくれる、人生で忘れがたい作品になった。


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2016.02.16

生き方と、構え方:『写真家ソール・ライター:急がない人生で見つけた13のこと』

ドキュメンタリー映画『写真家ソール・ライター:急がない人生で見つけた13のこと』を観てもっとも感じ入ったのは、80歳になるこの写真家が、街中で写真を撮るべく構えるデジカメの、その持ち方だった。

まるで、どこにでもいそうな素人のおじいさんが「デジカメって使い慣れないのよね」といわんばかりに、ブレた写真になりそうな、指先だけでカメラを支えるような、ハラハラする構えかただったのである。

あくまでも彼はフォトグラファーであり、その昔、商業ファッション誌で一時代を築いたとされる写真技術を持っている人物である。でもそんな彼は名声や評価にはとんと無頓着であり、このドキュメンタリー映画のために自身の姿が撮影され、インタビューをされるなかでも、端々に「なんで私が?」という戸惑いを隠さない。

もちろん、まだ若くて体がよく動く頃とは、カメラの持ち方や脇のしめ方だって違ってくるだろう。それは時間の流れとともに変容していくはずである。
でもビジュアルを捉えるその姿勢や感性は年を取っても変わることがない部分もあるわけで、どんなカメラの構えになろうが、目の前の世界を愛でて瞬間を切り取っていくその動作を眺めているうちに、その人となりや生き方が、まるであのなんともぎこちないカメラの持ち方に集約されているようだった。

なのでこの映画およびソール・ライターという写真家の人生について語るには、その「カメラの持ち方」を語るだけで充分のような気がした。


得てして我々は本当に大事な本質を捉えるのがヘタだったりする。


あのたどたどしいカメラの持ち方、でも何も悪びれることなく構えるその「たたずまい」に、それを強烈に感じた。

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2016.01.20

「あったかもしれないパラレルワールド」としての、昭和15年の東京オリンピックを今この時代に思うこと: 『幻の東京五輪・万博1940』(夫馬信一・著、原書房)

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 『幻の東京五輪・万博1940』夫馬信一・著、原書房

 2020年に「また」東京でオリンピックが開催されるわけだが、そんな状況においてこのような興味深い本が出たので紹介させていただく。

本当だったら1940年、昭和15年に行われていたかもしれない東京五輪・札幌冬季五輪・日本万博について、その計画経緯や準備状況、そしていかに「幻」に終わっていったかを丁寧に、豊富な図版とともに検証していく本である。歴史に疎い私は、戦前に冬季五輪や万博までもが計画されていたことなど、これまでまったく知らなかった。

 で、私がこの本の存在を知ったのは、実はひょんなことで私もこの本の、ほんの0.1ミリ程度だけ貢献させていただいたからである。

 このブログとは別にやっているサッカーのブログで、2012年の正月休みに訪れたベルリンのオリンピックスタジアムにあった鐘の写真を載せていて、著者の夫馬さんがたまたま検索でその写真にたどり着き、画像の使用許可を問うメールをくださったのである。そういうところで役に立つのであれば、私にとってあの旅はさらに意味のあったものになるわけで、うれしかった。

 「あとがき」を読むと、著者の夫馬さんはこの本を9年かけて準備されていたようで、70年近い時を隔てた資料や証言と格闘し続け、そしてその間に2020年の五輪が奇しくも東京に決まったり、そういったタイミングのなかで、寒空のベルリンで私の撮影した何気ない写真も、インターネットでもたらされた縁によって関わり合いをもつことになったわけで・・・不思議なつながりのなかで私が知り得たこの一冊の本もまた、「五輪をめぐる歴史」のひとつになっていくのであれば素敵なことだと思った。

 ちなみに巻末の協力者のクレジットのところ、名前だけじゃなくこのブログのタイトルまで入れてくださっていて、ちょっと恐縮(笑)。


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2015.12.18

世界に表現されることのなかった、すべてのかくされた創作物へ:『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』

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ジョン・マルーフという若い歴史家が、シカゴの街並みをとらえた写真資料をオークションで漁っていたことから、このヴィヴィアン・マイヤーなる無名の人物が撮影したフィルムを手にする。そこから「ヴィヴィアン・マイヤーとは何者か」を探究する旅がはじまり、やがて多くの人に彼女の作品が知られるようになる。このドキュメンタリー映画はあらためて「ことの次第」と、さらなる深い探究の軌跡を収めた作品となっている。

ネタバレ的に書くが、結果的にこの映画を観ても、我々はヴィヴィアン・マイヤーについて知るどころか、さらに多くの謎をつきつけられて終わっていく。家庭を持たず、乳母として生きるかたわら、路上に出てカメラを持ち、あらゆる瞬間、あらゆる人物をファインダーごしに捉えていった謎の女。ちょっと常人離れした部分を抱えつつ、あれほどの技術と才能がありながら、生涯においてまったく公表することのなかった膨大な写真作品。

ゆえにこの映画は、おそらくもっとたくさんいるであろう、ヴィヴィアン・マイヤーのような人びとによる無数の創作物、決して陽の目をみることのなかった「いくつもの輝き」についても思いをはせるドキュメンタリー映画である。

こういう過去の埋もれた芸術作品が人の目に触れるにあたって、やはり現代におけるインターネットが果たしうる役割というのは大きいなぁというのはきわめて月並みな感想ではあるし、今後も似たような事例が生まれてくることも予想できよう。しかしだ、それにしても、このヴィヴィアン・マイヤーの遺した作品たちは、お世辞抜きに本当にどれもこれも見事なのだ。

もちろん、すべての創作物が人目に触れなくてはいけない理由はないし、本人の意向に従って、それらが秘密のまま保持されてもまったく問題はない。それは分かっているのだが、次々と映画のなかで惜しみなく・・・その刹那的な見せ方も、演出としては効果的だったが・・・紹介されていく彼女の写真作品に触れれば触れるほど、このクオリティが埋もれていた人生のありよう、そしてそれが現代において発掘された数奇な運命を、どのように受け止めればいいのだろうか、と思案しながらこの映画を観続けていたのであった。

映画についてくわしくは(こちら)へ。

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2015.08.27

旅先で出会うフリーマーケットのはなし

 その昔、私がまだ心理学を専攻する大学院生で、いろいろ悩んだ末に休学し、その業界から足を洗うつもりでいた頃のこと。あるとき所属学会の旗印となるロゴマークの募集があり、休学の身でヒマだったことをいいことに、当時愛用していたワープロ専用機で作った図案を応募したら、それが見事に当選した。ひいては、その夏に東京で開催される学会の年次大会の、総会の場で表彰を行うとの通知が来たので、辞めるつもりでいたその学会にどうしても行かざるを得なくなった。

 すでに休学して学会も業界もきっぱり辞めるつもりの学生の立場として、学会の総会で壇上にあがることの意味をあまり深く考えていなかった私は、夜行バスで東京に向かう途中、自分が家から履いてきた「いちよ革靴」が、総会が開催される東京国際フォーラムの舞台上には相応しくないカジュアルすぎる靴ではないかと薄々思えてくるようになった。

 それは足首ぐらいまであるバスケットシューズのような黒い靴で、靴底は白いゴムが分厚く貼られていたようなシロモノで、そもそも持参してきたスーツにも合わないデザインだった。東京につく頃には「賞金がもらえるのだから、ちゃんとした革靴を買うべきなんじゃないか」という思いがつのっていた。しかしわざわざ壇上にあがる一瞬のために靴を新しく買うのも、その当時の自分の置かれている状況やその業界にたいする自分の気持ちのこともあって、今思えば浅はかではあったが、どこか素直にはなれない部分もあったのである。

 そうして朝から新宿にきて、何もすることがなかったので、その頃からサッカー熱が急激に高まっていた私は、当時の国立競技場のあたりまで歩いてみた。

 単に競技場の周囲を記念にぐるっと回るだけのつもりで行った私がそこで出会ったのは、広い駐車場で今まさに開催されようとしていた、巨大フリーマーケットだった。

 こうして翌日、私は東京国際フォーラムの舞台の上を、数百円で買ったばかりの、おそらく知らないオジさんが履き古したのであろう、サイズの少しきつい革靴で歩いたのだった。


 おそらくそういうことがあって、「旅先で出会うフリーマーケット」というのは、自分にとっていくらかの郷愁めいた気持ちになるコンセプトなりシチュエーションなのであった。


 昨年のドイツ旅行でも、何も知らずに朝のブレーメンの駅ちかくを歩いていたら、巨大な駐車場にたくさんの車と人が集まっていて、まさに「不要品処分!」といわんばかりの、文字通りのフリーマーケットに出会って、テンションがあがった私は予定を急きょ変更して、結局半日をそこで過ごすことになった。でもそのおかげで、私はブレーメンという街や人々がさらに身近に感じられたのも確かであった。やはり、旅先で期せずして出会うフリーマーケットというのは、自分にとっては何か格別な時空間である。

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 そして、このあいだのPARC自由学校でのレクチャーの翌日のことだ。新幹線で帰る直前、東京駅のほうへ歩いて行く途中、かの懐かしの東京国際フォーラムを通り抜けようと思った。

 するとそこで、ちょっとしたフリーマーケットが開催されていたのである。

 すでに夕方ちかくだったので、店の多くが閉店の準備をしているなか、とあるブースで、ペーパークラフトが飛び出す手作りのグリーティングカードを売っているおじさんがいた。

 そこで出会ったカードに釘付けになった。

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 イギリスのビッグ・ベンである。

 私のフリーペーパーを読んでくれた人は、私が父親を連れて行くほどにロンドンという街に思い入れがあることを知ってくれていると思うが、このカードをみたときに、ずっと抱えていた宿題が解けた気分になった。というのもこの2週間後に、父親の喜寿のお祝いが迫っていたからである。

 なので子どもたちでこのカードにメッセージを書いて送ろうと即断するのに時間はかからなかった。


 こうして、77歳の誕生日に、ビッグベンの精密なペーパークラフトがニョキッと飛び出るカードを、メガネのレンズ越しをさけるように裸眼で眺める父親と、それを囲む家族の姿を思うにつけ、「旅先で出会うフリーマーケット」というのは、よりいっそう自分にとっては印象的なテーマとなったのである。

 

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2015.08.21

映画『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』/「美しく捉えること」のジレンマと破壊力と

 セバスチャン・サルガドはブラジル出身の報道写真家として、いわゆる途上国の内戦や貧困問題の現場に赴き、そこで目の当たりにした厳しい現実をカメラで捉え、ありのままの惨状を世界に伝えてきた人物であった。

 正直にいうと、映画をみるまで私はその人の名前と仕事が一致していなかった。ヴィム・ヴェンダースがこのドキュメンタリー映画を手がけたことだけが自分にとっての手がかりみたいなものであり、そういえば『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』や『ピナ・バウシュ』のときと同様、ヴェンダースが映画にすることではじめて私はその人の営みを知ることとなった、ということである。

 ヴェンダースの側に寄り添ってこの映画をあらためて考えると、ヴェンダースはとにかく「見る/観る/視る」ことへのこだわりがある人なので、そういう意味で彼が写真家という存在をテーマに映画をつくるということには、視ることのアートを探求してきたヴェンダースにとってもそれ相応の覚悟みたいなものがあったのだと思う。

 そのうえでいうと、この映画がよかったのは、もはやヴェンダースは単なる「聞き手」であって、もうそれ以上の出しゃばった感じがなく、この映画においては「視る」ことの主役はサルガドの写真作品そのものであり、その1枚1枚の写真が訴える社会の真実だったり残酷な人間の行いだったり・・・が、「それ以上の説明」を必要としないぐらい、圧倒的なチカラで観る者の心に突き刺さってくるのだった。そして映画監督としてのヴェンダースの仕事は、「聞き手役」に徹してそれらの写真作品を生み出したサルガドの人物としての奥行きを伝え添えていくことであり、今回のヴェンダースはいい仕事をしたはずだと、ちょっと安心した(笑)。(や、最近の彼の映画の評判がすこぶる悪いらしいので・・笑)

 サルガドの作品が果たした社会的影響力や取り上げたテーマについては、もはやそれを語り得るほどの知識がない自分が残念でならないのだが、今年の2月に仕事で出会った『ASAHIZA』の映画のときと同様、「過酷な現実を、(芸術として)美しく捉えてしまうことのジレンマ」といった問題にも通じるものがあって、映画ではそのあたりのことは触れてはいないのだが、個人的にはそこが問題意識として残ったのが収穫。いろんな考え方ができるが、「過酷な状況を、それでも芸術作品として切り取ったとしても、それゆえに多くの人の関心をひきつけたり、衝撃を与えることができるのであれば、それはアートのチカラとして素晴らしいことだ」という考え方もできるし、一方ではそこにたいする批判も当然ありえる。ただこの映画を見終わった私としては、ほんの少しだけ「美しく切り取ったからこそ、この現実の意味がさらに重要なものになっていったのでは」という側に考えが寄っていっている。

 とにもかくにも理屈抜きに、彼の写真作品をあらためてじっくり堪能したくなっている。写真、とくにモノクロ写真の力強さというものにあらためて感じ入った次第である。

 あと、ちょっと話がそれるが、湾岸戦争時のイラクによるクウェート油田火災の鎮火作業を追った写真なんて、サルガドはあの炎と油まみれの地獄のような場所で、どうやってカメラ機材をケアしながら撮影していたのか、そういう細かいところがすごく興味をかきたてられたり(当時はデジカメもなかっただろうから、フィルム交換とかもどういうテクニックで行うのか、とか)。

Salgado1

Salgado2

Salgado3


 公式ホームページは(こちら)。京都シネマだと明日22
日から上映するようだ。

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