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2025.06.02

2025KYOTOGRAPHIE:印刷工場跡地で過ごした日々のこと

 京都国際写真祭・KYOTOGRAPHIE(以下KG)が終幕し、昨年と同様にさっそくの「ロス」を味わっている。この一ヶ月のあいだ、休日を中心に11回ボランティアスタッフとして参加し、空いた時間にも他の会場の展示を観に行ったり、今年から行われた「KG+アカデミー」という講座のひとつであった「9枚から始める写真史(講師:タカザワケンジ氏)」を受講してみたり、関連音楽イベントKYOTOPHONIEで来日したパティ・スミスのパフォーマンスを鑑賞したりなど、忘れがたい濃密な日々が怒濤のスピードで過ぎていった。

 鑑賞者の立場から思ったことは前回の記事で書いたが(こちら)、写真祭がもう終わってしまう!という感情に駆られて自分の印象をあのタイミングで記しておいたことは、それはそれでよかった気がする。別れを惜しむ間もなく、すべての作品たちは「現場」からすみやかに取り払われて、すっかり日々は元通りとなり、祭りは過去のことになった。

 ありがたいことに私は会期の最終日において、京都新聞ビル会場にボランティアの担当を割り当ててもらったので、あの大好きな印刷工場跡地における展示会場の最後の瞬間に立ち会うことができた。ただし感傷にふける間もなく、最後のお客さんを送り出した鉄のドアの閉まる音が響くやいなや、撤収の作業開始を待ち構えていた関係者は粛々と動き出す。場所を借りるというのはそういうことなのだ。この空間で長い時間を一緒に過ごした会場担当リーダーの方々へも、あらためてじっくりと謝意を伝えることもままならず、ボランティアとしての我々はその場からすみやかに立ち去るしかなかったわけだが、あのときの気持ちをずっと抱えたままだからこそ、いまこのブログ記事をじっくり丁寧に書きたい理由になっている(なので、はい、今回も長文です、あしからず)。

 私は全11日間のボランティア活動日のうち、5日間もこの京都新聞ビルで過ごすことができた。活動日のシフト希望を出すにあたっては柔軟に要望を聞いてくれるのをいいことに「可能なかぎりたくさん京都新聞ビルの会場にあててほしい」というリクエストをダメモトでさせてもらい、そんなワガママを十分に汲んでくださったKGボランティア担当マネージャーのMさんには感謝しかない。

 今年の京都新聞ビル会場を舞台に展示されたのはフランスの写真家JRの作品であった。例によって私は、今回の写真祭での展示が決まるまでJR氏のことやその活動については何も知らなかった。
 もちろん、そういったアート方面の知識が乏しくてもボランティアスタッフを務めることにはまったく問題ないのだが、ときどきお客さんから質問を受けたり、その場で感想を自分に向かって述べてくれることもあったりするので(よほど誰かに何かを語りたい気持ちがわいてきたのだろうと思うと嬉しく感じる)、せっかくならば担当する会場の作品やアーティストについては自分ができる範囲で理解を深めておきたい気持ちがある。

 で、たまたまJRについては今回の展示に連動して『顔たち、ところどころ』という2017年制作の映画がUPLINK京都で期間特別上映されていたので、すかさず観に行った。これは当時33歳のJRと、87歳の映画監督アニエス・ヴァルダがコンビを組んでフランスの地方を旅し、そこで出会った人々やコミュニティを題材に、独自の手法で大きな壁画作品を作っていく過程を追った映像記録である。<本作のすてきな予告編はこちら

 二人が乗り込むのはJRのつくった不思議なクルマで、内部はスタジオになっておりそこでポートレイトを撮影し、やたら大きな紙に印刷された写真が出てくるという楽しげな装置を備えている。
 そうして人々の大きな顔たちを、廃れつつある住宅地であったり、職場であったり、さまざまな屋外の壁や建造物に大きく貼り出す。その壮観な光景をみるにつけ、「でかい」というだけで、それらは動物的な本能に訴えかけてくるのか、なんだか特別な面白みが感じられてくる。そして作品の当事者たちも、その場所や人々との結びつきをあらためて確認しあい、できあがった作品やその風景そのものからエンパワメントされていくような感じがあった。

 つまり「技術によってサイズの大きい写真を作品としてつくる」ことと「いかに作品を展示する『場』の力を活用するか」ということが、JRの作品としての妙味でありツボであると思った。
(そのほかにも、この映画全編を通してJRとヴァルダの間に流れるチャーミングな空気感もとても印象的で、ほのぼのとさせる)

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 今回のKYOTOGRAPHIEにおいて、JRはJR京都駅の烏丸口の壁面スペースを使って「クロニクル」シリーズの京都編を制作した。約500人もの様々な人のポートレイトを撮影し、コラージュし、ひとつの絵巻物のように構成することで、京都という街のありようを捉える試みである。この巨大な作品を構成する一人一人の姿であったり過去に世界中で手がけたプロジェクトの紹介展示を京都新聞ビル会場で行うことにより、「場」のもつエネルギーを取り入れたJRの作品を、駅と新聞工場跡地の2つの空間で味わえるようになっていた。

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 京都新聞ビル会場ではまず最初の展示エリアでJRの過去の作品や今回の「クロニクル京都」をめぐる展示を自由に観てもらい、そこから15分ごとの完全入れ替え制でオープンするビデオルームに進み、JRのインタビューおよび本プロジェクトに関わるメイキング映画を観てもらう。

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 そしてここから目玉の展示ともいえる印刷工場跡地にお客さんは案内される。真っ暗な状況で、目隠しになっていたシャッターがお客さんの目の前で開かれるとこの巨大空間の全貌が現れ、そこにはクロニクルの被写体から選ばれた10人の巨大化されたポートレイトがそびえ立っており、その中を通っていくという流れとなる。

 スタッフとしてこの「巨人ゾーン」のスタート部分を担当するときは、暗闇のなかペンライトを使って、ビデオルームから出てくる来場者の集団を所定の場所に誘導する。やがて担当のサブ・リーダーさんが注意事項を説明する(でも、ずっと真っ暗なのでお互いの顔は見えない)。説明を終えたリーダーさんがアコーディオンカーテンのようなシャッターの中央部分に近づくので、自分もその動きに応じてシャッターのハンドルに手をかけておく。そこからタイミングを合わせて真ん中から左右に分かれてガラガラと音を響かせながら体重をかけて重たいシャッターを開けていく。それぞれの表情は暗闇の中で見えにくいものの、大きな工場跡地で薄暗がりのなかに並ぶ巨人たちを目にしたお客さんたちが「うわぁ~」と反応する様子をダイレクトに感じられるのが毎回楽しかった。

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【 ▲ この写真は、通常の展示のときには設定されない照明の明るさのときに撮ったので、いつもはもっと暗かった】

 シャッターが開いたら、自動化された照明が順番に巨人を照らし、収録された本人の語りが所定のタイミングで流れる。彼らのメッセージはもはや何十回と繰り返し聞いているので全部のセリフを暗唱できそうなぐらいであるが、特に広島の被爆体験から生きのびた方の語りは何度聞いても心を揺さぶる。たまたま自分も3月に広島に行ったばかりなので、夕刻に原爆ドームのまわりを歩いたときの情景がそのままつながってくる。

 10人全員のメッセージが流れ終えたら、奥に控えるスタッフは鉄のドアを開けて、そこに屋外からの光が一気に差し込むことで出口があることを示し、それとなく退場をうながす。この「出口ドア担当」のときは、巨人のダイナミックな展示を見終えた直後のお客さんのひとりひとりの表情と出会えるのが楽しく、ここが新聞社の印刷工場跡地であることを認識していないお客さんになると、この異質な空間に圧倒されてやや興奮気味にこの場所について質問してきたりするので、こちらも嬉々として説明する。

 こうしてその場にいた来場者が全員退室したらまたシャッターも出口もすべて閉じて、暗闇のなかで10人の巨人とともに、次のビデオ上映が終了するタイミングを待ちつづける・・・という流れだ。まるで「お祭り」というものは最初から存在していなかったかのような、暗くて巨大な印刷工場跡地でたたずむ、あのひとときの静けさが忘れられない。外の世界は陽光まぶしい5月のゴールデンウィークだったりするが、鉄のドアをはさんで時間が止まったかのような暗い工場跡地で過ごすというのは、それ自体もある種のアート的な体験だった気がする。

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 そんなわけで、この京都新聞ビル会場を担当するスタッフは一般的な写真展においてはなかなか求められないであろう心構えのもとで動いていた。ガチの工場跡地ゆえに出口の鉄製ドアはかなりチカラをこめてガツンと閉めないといけないし(でも出口に戻ってこようとするお客さんも稀にいたりするのですごく気をつけていた)、暗闇で迷ったりコケたり、仮設の手すりを越えて工場の地下ゾーンに落下する客がいないように気をつけるとか、ここは工事現場かよと思えるような注意喚起がシロウトの我々にもフツーに必要とされており、今年も期待通りに京都新聞ビル会場は本写真祭のなかでも屈指のデンジャラス・ゾーンと化し、毎日がスリリングな現場だったのは間違いない。

 それは同時に、お客さんの側にもある種の「負担」を強いる展示会場でもあったということだ。入り口で事前に注意事項を説明することを必須としていたので多少の緊張感を与えざるを得ないし、とくにビデオルームに入ってからは演出の都合上、決められた時間ごとに集団で一緒に動いてもらうという段取りになるので、そうした「定まった流れ」に乗りたくないと訴えるお客さんだって往々にして出てくるし、それは日本人だけでなく様々な国からの人々だったりもする。そういう来場者の事情やニーズとも柔軟に向かい合わねばならないのがこの会場特有の難しさであり、「見ず知らずの外国人からちょっと文句を言われる」というのは日頃の生活ではなかなか直面しないシチュエーションであるがゆえに、しまいには面白味すら感じていたので、やりがいのある部分でもあった。

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 そんななか、最後まで無事に展示をやりきれたのは、この京都新聞ビル会場を運営したリーダー陣の、(我々の伺いしれない部分もたくさんあったであろう)日々の奮闘あってのことだったと思う。現場監督としての「ベニュー・リーダー」と、その脇を固める「サブ・リーダー」は各会場ごとに設定されており、今年も私は多種多様なリーダーさんたちとの関わりに感じ入るものがあった。

 とくに今年の京都新聞ビル会場は、ベニュー・リーダーが2名体制となり、そのうちの一人であるSさんは昨年も同じ京都新聞ビルのリーダーを務めていたことが大きかった。そのことを知った当初は「おおっ!? 今年も京都新聞会場でリーダーやるんか!」となり、がぜん楽しみが増した。つまりは、そういう人なのである。私より2回りほども若い人であるが、特にモチベーターとしての才覚がバツグンで、下は中学生から上はご高齢の方々にいたる我々ボランティアスタッフの多種多様な面々とSさんは日々丁寧に向き合い、それぞれに参加意欲をかきたてて仲間意識をスムーズに構築し、「この人のもとで一緒に働けてうれしい」という気持ちにさせてくれる。つまりは「理想の上司像」を感じさせる人物であり、今年も相変わらず無尽蔵の愛嬌と野性的な瞬発力でもって、この特殊な京都新聞ビル会場をめぐる多様な局面の数々にも軽やかに立ち向かっていた。

 そしてもう一人のベニュー・リーダーがYくんであった。フランス人のお父さんを持ち関西弁と英語も話すマルチリンガルで、それゆえいろんな国からのお客さんが来場するにあたってはフル回転で対応し続けていた。いつも飄々としたムードで会場を歩き回り、そしてしばしば上手な言い回しで我々ボランティアスタッフにも「こういうふうにしてほしい」と要望を伝えることで写真展会場としてのクオリティを損なうことがないよう常に現場での心配りを怠らず、そうしてスタッフ間のつながりが緩慢な状態にならぬよう、ほどよい緊張感を保つうえでもYくんはキーパーソンであったように思う。ちなみに彼は子どもの頃からフランス屈指のサッカークラブ、オリンピック・マルセイユの熱狂的なサポーターだということが分かり、彼の深いサッカー愛が垣間見えたのも個人的にとてもうれしかった。

 そんなわけでこの2人のベニュー・リーダーの組み合わせはお互いの持ち味を活かし合えるような、とても良いコンビだった。あるとき、私は会場入り口のチケット確認係の担当としてそこにいて、たまたま客足が止まって落ち着いた時間がしばらく続き、Sさんはおもむろに入り口の軒先のほうにまで進み出て、何かを待って遠くを見ているかのように無言で一人じっと立っていた。そこへYくんも隣にやってきてSさんの肩をガシッと組み、まるで二人が担う大きな責任への役割を互いに労り合うような感じで、同じ方向を見たまま彼らはしばらく話し込んでいた。ビルの隙間から差しこむ太陽の光が遠くに立つ二人の後ろ姿を際だたせていて、それが実にクールで詩的だった。つい自分はスマホでその様子を撮影したくなったが、ここは控えておいて目に焼き付けておこうと決めた。あの場にいられたことに感謝したくなるような、今年のKGを思い返すうえで自分だけの宝物のようなシーンだった。

 そしてサブ・リーダーと呼ばれるスタッフさんたちも交代で毎日3~4人ぐらいのシフトで現場を担当し、必要に応じてほかの会場のサポートに入ったりすることもあったようだ。このサブ・リーダーさんたちもそれぞれに個性的な方々でじっくり話を聞いてみたかったのだが、何せこの現場で我々が共有していた最大の関心事は、「次々とやってくる来場者を人数制限の範囲内で適度なタイミングをはかりビデオルームに案内し続け、次のゾーンに送り出してシャッターを開けて巨人たちに『うわ~!』となって会ってもらい、工場跡地の暗いキャットウォークの足場をたどって出口の鉄トビラにたどり着いてもらったあとは、できれば建物の外に設置されている物販ブースのテントにも行ってもらうというオペレーションを円滑に回し続けること」にあったので、それ以外のテーマで雑談をしている余裕は少なかった。それでも別の日にKG主催のパーティーイベントで他のボランティア・スタッフさんらとともにお話をうかがい、あらためてそれぞれの興味深いキャリアの個人史やKGへの想いを聞かせていただけたのは貴重な時間だった。

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【 ▲ 毎回、閉館後にはSさんがサービス精神を発揮して「バックヤード・ツアー」を開いてくれて、ボランティア・スタッフに展示物やこの建物の裏側を紹介してくれた。特別な時間。】

 こうして「いろんな経歴を持った多様な人たちが集まって、長い人生のほんのひとときを一緒に働く」というこのKGの状況というのは、JRの「クロニクル京都」の作品が醸し出す雰囲気とどこかで通じ合う気がしてきた。この市井の人々の集合体が、まさに写真祭をつくっていく多くのスタッフ・関係者の姿に重なってくるように思えてきて、そして自分もまたその一人として作品のなかに紛れ込ませてもらっているような感覚だ。

 そのことは、京都新聞ビル会場でJR作品の被写体に囲まれて過ごした最後の最後の日になってようやく芽生えてきたところがあり、これは「KGという大きなイベントが始まって、終わっていく」という感慨をシンボリックに描いた、ある種の「記念写真」のようにも感じられ、私は最終日の業務の休憩時間に物販のテントブースに出向きこの「クロニクル京都」の特製トートバッグを思いきって買わせていただいた(現場では残り1つとなっていたこの貴重なバッグを快く私に売ってくれたサブ・リーダーのTさんに感謝。ちなみにボランティアスタッフとして規定の参加回数に達すると、特典としてグッズが割引で買えるのであった)。

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で、今回のこの「クロニクル京都」の展示についてどこかのメディア記事で取り上げられたときに「この作品に写っている約500人の中にあなたの知っている人が登場しているかも」といったことが書いてあったのを読んで、私は直感的に「さすがにそんなことはないだろうなー」と思っていたのだが、結果的に私も直接知っている人が被写体として入っていたのだった。

それはベニュー・リーダーのSさんだった。2回目に京都新聞ビル会場を担当したとき、たくさんの被写体が並べられている展示をあらためてじっくり見ていて「あれ、これってもしかして・・・?」と、ようやく気づいた次第である。本人に訊ねたら、気づくのが遅い!と言われてしまった。聞けばJR氏がこの作品制作のために京都で撮影をしていた時期にアシスタントとしても関わっていたとのこと。

一通り見ているつもりでも、なかなか気づかないものだなぁ~と、ぼんやり思っていた。

しかも、それだけに留まらなかった。

それは会期が終了する直前のことであった。
私がいない日に同僚のmizuix氏がこの京都新聞ビル会場を訪れて、その感想を送ってくれたのだが、「Sが写っていたのに気づいていたか?」ときた。

Sくんは、かつて我々とともにSUPERCARのコピーバンド「ワルシャワ・ドロップ&ロマンティック」を組んだ人物であった。

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【 ▲ 当時つくった手作りバンドTシャツ。なつかしい】

しかもしかも、ビデオルームで上映されていたメイキング映画のエンドロールの部分で、彼がJRに撮影されている様子も映っていたことを(1回しかそれを観ていないはずの)mizuix氏はちゃんと認識していた。例によって私はこのビデオ上映だって、何回も何回も繰り返しエンドロールを観ているにもかかわらず・・・そこに自分のよく知っている人が映っていたことに、mizuix氏から言われるまで、まっっったく、ちぃぃぃっとも、気づいていなかった。

いったい自分はなにを見ていたのだろうか・・・とアタマを抱えるしかない。
「見ているようで、見えていない」
これは写真に限らず、日々の生活全般においても言えることかもしれない。
JRの作品は、最後の最後まで私を揺さぶってきたのであった。

そんなふうにしてこの一ヶ月が終わっていった。あの大きな印刷工場跡地に戻ってこられる日がくるのかは、今は分からない。そして京都新聞ビルだけでなく、ボランティアで携わったさまざまな展示会場で出会った人々と、同じ場所で同じように過ごすことはもうないのかもしれない。それでもまた来年、KGのそこかしこの会場で「ひさしぶりーー!?」と言えるような状況があればいいなと、それこそ「顔たち、ところどころ」というフレーズがかもしだす雰囲気を想いながら、その日を待ちわびている。

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そして最後にお知らせとして・・・おなじみイリノイ州アーバナ・シャンペンで展開するコミュニティラジオ「Harukana Show」では、数週にわたってKGをめぐるあれこれについて取り上げていただき、自分もメールやトークで参加させていただいた。このブログに書ききれていないエピソードなども少し話しているので、よければぜひ。(ポッドキャストのページはこちら。No.735~No.740です)

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2025.05.06

京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」の印象をざっくりと。

京都国際写真祭KYOTOGRAPHIE(以下KG)もあとちょっとで閉幕! ゴールデンウィークの混雑のなか京都をウロウロしたくない人もまだ会期としては5月11日まで残っているので、観にいけるチャンスはまだある!
・・・ということで、今回の記事は、ボランティアスタッフとして立ち入ったり、スキマ時間でお客として訪れたりした範囲でタテーシが書けるレビューを、ダァーッと殴り書きのように記す。誰かにとって何かの参考になれば幸い。

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ここについては前回の記事で取り上げているけれども、ひとつ書き忘れていたのは土田ヒロミによる「リトルボーイ」は今回の写真祭における最重要作品となり、終戦80年を経たことへの大切な、とっても大切なメッセージがこめられている。今回のメインテーマ「HUMANITY」はこの作品ですべて語り尽くしているのでは。
この展示だけはメディアに載る広報物でも非公開の設定になっており、実物はこの八竹庵会場の一番奥の倉で、暗がりのなか、静かにあなたを待っている。

京都市美術館別館

今回のKGで予想以上に自分に刺さったのがこのグラシエラ・イトゥルビデの展示。実際SNSで検索してもここは大絶賛の様子。KGは毎年、取り上げる写真家や展示内容のコンセプトのバランスを考慮して、一人の作家のこういうガッツリした展示を最低でも1箇所は設定しているように思われる。実際この会場がもっとも作品の展示点数が多いそうで、見応え度という意味でもダントツに推せるのがこのメキシコ出身の写真家の回顧展であった。

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▲この入り口のキーヴィジュアルの時点で、これはタダものではない作品たちが待ちかまえていることを示していた。

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▲イトゥルビデさんは鳥をモチーフにいくつかの写真を撮影してきたとのことだが、特にこの作品は、今年のKGのメイン会場で観たすべての写真のなかでも個人的ベストとして推したい。動物を被写体に入れる場合は、往々にして運を味方につける必要があるにせよ、「それにしても!」ですよ。ものすごくないですか、これ。

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▲Diorから依頼されたという作品も少し展示されていた。こういう依頼仕事でも写真家の強い個性がどうしたって滲み出るものがあるようで、写真というものが、その瞬間を永遠のなかに閉じこめる装置であるということを改めて思い至らせてくれるような「神秘的な静けさ」みたいなものが、張りつめた緊張感とともにプリントされているような感じが忘れられないのである。いったい何がどうしてこういうふうになるんでしょうねぇ、と。

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この他にもいくつか「うおぉああ~」と感じた写真があるのだが、ともかくこれらは現地でぜひ観てほしいと願う。

TIME’S
三条通り高瀬川ぞいに80年代からある安藤忠雄設計のTIME’Sがすっからかんになって久しいが、このKGの時期だけはあたかも以前からずっとそうであったかのように全部が写真館みたいになって、あちこち歩き回れる状態になっていて、それだけでもここに来る価値があり、そこへきてマーティン・パーの展示「Small World」だ。世界の観光客の行動を皮肉とユーモアで切り取った作品群で、ただひたすら笑える。そう、笑えるのだが、同時にそれは今まさに写真展に押し掛けている自分自身もある部分で観光客と同じようなもので、その笑いが直接自分自身へ返ってくることにも思い至る、という部分もある。

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▲このラマほんとに好き。

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▲ピサの斜塔にまだ行ったことがないが、自分もぜひこのような写真を撮りたいと固く決意した(笑)。

ちなみにパー氏はイギリス人(さすがMr.ビーンを生んだ国だけある)。そんなパー氏が春の桜咲き誇る京都に滞在し、いろいろな観光スポットで撮影した写真が延々リピートされる映像コーナーも、苦笑いをひとりこらえつつ楽しませてもらった。大混雑のなか、観光を楽しめているように思えないいくつもの疲弊した表情だったり、なんとか自分なりに観光を意味のあるものに奮闘すべく必死になっている姿だったり・・・ある種、そこを強調してチョイスしているんだろうけど、パー氏のブラックな皮肉を込めた視点を通して、「観光地に人が集まるってどういうことなんだろうか」と改めて問わずにはいられない。そして映像の後ろで流れるユルいBGMも、より哀愁を誘う。
(そして同会場では吉田多麻希「土を継ぐ」の展示があるのだが、私があまりにパー氏の作品に時間をかけすぎて、こちらのほうの開館時間を逃してしまい、観ていないのであった・・・)

嶋臺(しまだい)ギャラリー
 同じように「皮肉」っぽさが効果的に炸裂している展示として、リー・シェルマン&オマー・ヴィクター・ディオプの「Being There」がある。この展示は何の予備知識もないまま進んでいくと、古き良きアメリカのほのぼのとした写真がレトロな調度品やインテリアとともに次々と並んでいるという、ただそれだけの作品なのだけれど、展示の最後に流れている映像を観て、「そういうことだったの!?」と驚いてしまうという仕掛け(なので、もういちど前に戻って見返したくなるお客さんも多数)。

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ちなみにこの会場ではもうひとつ無料の企画として、長年京都で発行されている英文雑誌『KYOTO JOURNAL』のこれまでの歩みを振り返る特別プログラムも併催されており、タイミングがあえば創始者のジョンさんが温和な笑顔で来場者を迎えてくれる。

京都文化博物館 別館
 KGは写真作品を展示する場所そのものの個性との相互作用を楽しむというコンセプトを志向しているけれども、この京都文化博物館の別館はまさにその強烈な存在感をもって来場者を迎え入れ、古くは日本銀行京都支店として人が行き交っていたであろう歴史ある格式高い空気感が今もそこかしこに漂い、そんな空間で作品が楽しめる。

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今回はインドのプシュパマラ・Nの展示ということで、森村泰昌のように自分自身をさまざまな役柄に変身させて、根強い因習やジェンダー規範などへの問題提起を試みた作品群が展示されている。2階では彼女のインタビュー映像作品が視聴でき、インドのカースト制や民族誌的な知識がないと難解な内容であるのは否めないが、ずっと撮影用のメイクをしてもらいながらしゃべり続けたり、被った冠の衣装が対話の途中でズレてくるのがどうしても気になってしまう様子だったりを観ているうちに、プシュパマラさんへの親しみがわいてきたりする。

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 「自分自身の身体を作品にする」という意味では、こちらのレティシア・キイ「LOVE & JUSTICE」もストレートに迫ってくる。コートジボワールで生まれ育ち、髪の毛はまっすぐでなければならないという俗習にみまわれていたところを、かつての植民地以前のアフリカ人女性たちの髪型の多様性を知ることで「自然な私」を受け入れ、そこから表現活動を通して女性へのエンパワメントへとつながっていく。それにしても自分の髪でここまで作り込むか!?と驚かされる。
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そしてこの力強い展示が、祇園という特殊な場所のまっただ中を選んで設営されているということもポイントである。
(これとは別に、京都滞在時に撮影した作品たちが出町枡形商店街で展示されているのだが、私はまだ観ておらず)

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東本願寺 大玄関
京都に住んでいると、なかなか具体的な用事がない限り、こうした「ザ・名所」には立ち入らないわけで、今回のKGでこの場所が会場になったおかげで、おそらく初めてじゃないかと思う訪問となったのが東本願寺だ。

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このイーモン・ドイル「K」は、作者の急逝した兄、そして兄にあてて母親が書いた手紙がモチーフとなり、追悼としての作品が捧げられている。有料会場にしては展示の規模が小さく感じるのだが、この「大玄関」が普段は非公開となっている希少な場所ということで、そこでアイルランド由来の音楽とともに、その場を流れる風を味わってみたりした。

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両足院
逆に「ここは無料でいいの!?」となったのが建仁寺のなかにある両足院、エリック・ポワトヴァン。ここは庭園とともに日本家屋の佇まいにとけ込む絵画のような繊細な写真作品を堪能できる。襖絵のような大きなプリントが、余白の美とともに存在感を放っている。時間帯によって日の傾き具合で少しずつ色彩がうつろう世界。

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ちなみに庭園のなかをサンダルで歩いて茶室の窓からのぞく作品は、「だから何?」と思うかもしれないので、近くにいるスタッフに作品の意味を訊ねることをお勧めする(スタッフは自分からは話しかけないし、ましてやお寺の会場なので、静寂をできるだけ保とうとしている)。

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同じく無料会場でがっつり展示が楽しめる場所として紹介したい。これはメイン・プログラムではないが「KG+SELECT」という関連イベントとして、審査員から選ばれた国内外10組のアーティストの作品を集めて展示し、ここで審査のうえ選出された1組には、翌年のKGのメイン・プログラムとして開催権が与えられるというもの。

私がとくに見入ったのがウルグアイのフェデリコ・エストル。まず説明文でノックアウトされた。「ラパスやエル・アルト近郊には、毎日3000人の靴磨き職人が客を求めて街に繰り出している。彼らを特徴づけているのは、周囲に気づかれないようにつけているスキーマスクだ。近所では、彼らが靴磨きの仕事をしていることは誰も知らない。」とはじまり、「え!? どういうこと!?」となる。続きはこの以下の画像からぜひ読んでみてほしい。
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こういう社会があり、こういう人がいて、そしてそれをアートのチカラで変調させる可能性があるということを知らせてくれる展示であり、「うむ・・・ぜひ来年のKGのメインプログラムになってほしい・・・もっとこの人の作品について知りたいわ・・・」と思っていたら、よくよく調べるとすでに今年のKG+セレクトのアワードで受賞決定していたことを知る。おおっ、来年さっそく超楽しみな展示がこれで確定!!

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それともうひとつ、香港の何兆南(サウス・ホー・シウナム)による「Work naming has yet to succeed」も印象的だった。香港における2019年の民主化デモにおいて街のあちこちに書かれたメッセージが消去され、その「痕跡」を捉えた写真群が展示されている。「壁の言葉が消されたあと」の光景ではあるものの、実は消えきっていないという、その曖昧な領域が可視化されている。説明文を読まずにさっさと通過して「単なる街の風景写真」だと認識して去っていくカップルのお客さんがいて、「あぁっ、そうじゃないんです! 説明文を読んで!」となってしまった歯がゆさも思い出として残っている。

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で、その昨年のKG+で展示された作家のうち、アワードを獲得して今年のメインプログラム開催に至ったのが台湾の劉星佑(リュウ・セイユウ)の「父と母と私」という展示。昨年のKG+で観た、「父親にウェディングドレス、母親にスーツ」を着させて撮影した作品群がインパクト大で、その圧巻の「両親シリーズ」の発展系ともいえる内容が今回じっくりとメインプログラムとして鑑賞できるわけで「フシギなご両親との久しぶりの再会」のような感覚で展示会場を歩いた。

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性別役割の固定概念を問いかけるシリーズから、さらには父親が兵役をつとめた土地に赴いて制作した作品など、家族の歴史をたどっていくことでそのメッセージ性がより社会的なものへと昇華していく感じがあったが、それにしても映像で展示された、ご両親の「足踏みダンス」みたいなナゾの動きが延々と展開していく作品が絶妙にジワジワきて、目が離せなくなった。表現行為の原動力には作者にとってのシリアスで切実な想いがあるのだろうけれど、それをファニーなタッチで「作品」にしていくことで、観る者の心情にグッと入り込んで、不思議な角度から共感を呼び起こすような、そういう作品たちであった。

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・・・と、ここまで書いても、まだ「誉田屋」の石川真生「くろちく万蔵ビル」の甲斐啓二郎の展示について書ききれていない! そしてタテーシにとって最重要な「京都新聞ビル・印刷工場跡」のJRの展示についても、今回はあえて触れずにこの記事をアップしようと思う。なぜなら「京都新聞ビルはマストだから」。ここを行かずしてKGは始まらないし終わらない。すでにSNSではたくさん写真が拡散しているけれども、最後のネタバレについてはまだこのブログでは書きたくないので、そういうのも含めてぜひこれはマジで京都新聞ビルの展示「Printing the Chronicles of Kyoto」は多くの方々に味わってほしい。

本当ならもっと洗練された記事にしたかったけれども、もう連休も終わってしまうので、エイヤッとこの記事を公開させていただきます。

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▲JR京都駅の壁面にJRの「クロニクル京都」の壁画が会期終了後もしばらくは展示されているとのこと!

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2024.05.20

KYOTOGRAPHIEのボランティアが終わってロスになっている、っていう話

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 まさか、こんなにも「ロス」な気分になるとは一ヶ月前には想像もしていなかった。そして私の暮らす街について、ちょっと違った気分で眺めていた日々でもあった。

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 4月中旬から開催されていた京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」(以下KG)が先日閉幕し、私は主にゴールデンウィークを中心とした祝日・休日にボランティアスタッフとして携わったわけだが、この一ヶ月間は「イベントの合間に本業の仕事をこなす」という感覚だった。すまん本業。何せ京都市街のあちこちにある13会場(加えてそれらのメイン会場の他に、『KG+』という関連展示が数え切れないほど存在する)が舞台となっているわけで、すべての会場で事故なく滞りなく日々の会期が無事に過ぎていくことをボランティアの端くれである自分も祈るような気持ちでいたのである。



 つまり、楽しかったのだ。とっても。



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 結果的に私は13会場のうち6会場で、のべ8日間活動を行った。
 スタッフとして求められた役割はいたってシンプルで、入場の際のチケットチェックや、展示会場の監視、巡回、案内誘導である。それ以外のややこしい作業は、その会場ごとに配置されているリーダー役の有給スタッフが行っていた。

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 このリーダーさんたちの存在も興味深く、それぞれがいろいろなバックボーンを持ってこの役割に挑戦し、そしてキャリアの分岐点を迎えているのであろう若い人が多かった。とはいえ実際には、その日のスタートからあわただしくなるリーダーからゆっくり話を聞いたりする機会はそんなにはないので、ふとしたタイミングで交わす会話のなかで、その一端を伺い知る程度にはならざるを得ないのだが、自分が担当することになった会場に愛着を寄せつつ、よりよい展示空間を作っていこうとする真摯さには熱いものを感じた(なのでいつもの本業にも伝播していくような前向きなエネルギーをいただいた気がする。。。すぐに消えそうだけど)。

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 そうして私は今回はじめてボランティアスタッフとしてお客さんを迎え入れる側になったわけだが、この役割が長時間にわたってもまったく苦にはならず、いつもあっという間に時間が過ぎていく感覚があった。そしてこのことについてよく考えてみると、「一定の目的をもって集まった大勢の老若男女が、自分の目の前を次々と通り過ぎるのを見守る」というこの状況は、「市民マラソンでの沿道応援」の趣味と構造がまったく同じであることに気づき、そこは苦笑いするしかなかった。冬はマラソン大会でサッカーユニフォーム姿のランナーを探し続け、そこに加えて5月の連休は写真展の会場で無言のうちにいろいろな人々が通り過ぎゆくのを見守るというのが新たなルーティンになりそうな。

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 前回のこのブログ記事で書いたとおり、個人的にこのイベント最大の推し会場は「京都新聞社ビルの地下、印刷工場跡地」である。そして私はここで2回、スタッフとしてシフトを割り当てていただいた(最初は1回だけの予定だったが、無理やり都合をつけてもう1日追加で入らせてもらった)。そもそもKGのボランティアに申し込んだ動機が「この会場でスタッフ側として携われたら楽しいだろうな」という思いがあったからなのだが、その狙い通り、いや想像以上に、この会場はやはり特別な場所だった。

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 今年の京都新聞社会場の展示はヴィヴィアン・サッセンの回顧展ということで、現代の写真業界もファッション業界にも疎い私は彼女のことをそれまでまったく知らなかったのだが、色彩の強弱が印象的な写真作品が、この印刷工場の無機質でダークな空間のなかで放つ存在感のコントラストが見事だった(そしてアンビエント・テクノっぽいBGMが鳴り続け、それもまた雰囲気づくりとして最高に合っていた)。

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 およそ写真展の入り口とは思えない通用口(でもマンチェスターの伝説的クラブ、ハシエンダって結局こういうことだよな? と思った)を出入りし、足下にはかつて大量の新聞紙が運ばれたのであろうレールなどがそのまま残っており(穴が深すぎてスマホを落としたら二度と取れなさそう)、背の高い人がアタマをぶつけまくりそうなところに配管パイプが張り巡らされ、導線もはっきりしない会場の作り方ゆえに出口を求めてさまよい続けるお客さんなどの動きを常に注視して見守る必要があったのでスリリングなのである。

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 さらに最も気をつけていたのが、プロジェクションで作品が照らされた展示場所のさらに奥にも空間が続いていて、幻惑をもよおすシチュエーションゆえにか、プロジェクターが置いてある舞台を乗り越えてまでその暗黒の世界の果てへ進んでいこうとする客がたまにいるので、そんな彼らを現実世界へ呼び戻さないといけないことだった(私が体験した限りでは、不思議とそういう動きを見せるのはほとんどが女性客だった。そして私は決まりの悪そうなお客さんにむかって毎回『お気持ちは、よく分かります』と言い添えた)。

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 そして本会場ではサッセンがキュレーションに協力した、Diorが主催した若手作家支援の関連展示も併設されていた。工場跡地からその地点へ誘導し、見終わって戻ってきた客を出口へ案内するという業務もあった。で、このポジションではDiorの洗練されたクールな写真展示とともに「ふつうに京都新聞社で働いている社員さん」が導線のすぐ脇をウロウロしたり、新聞社の清掃担当のスタッフがふつうに我々の傍らで作業をするというリアリティかつ混沌とした状況もしばしば発生し、刺激的で飽きがこなかった。

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 また、閉館したあとにリーダーさんの計らいで、お客さんには通らせないバックヤードをスタッフみんなで歩かせてもらったことがあった。誰もいなくて真っ暗で、サッセンの展示だけが煌々と光り続けている空間をゆっくり味わっているとき、ふと、このメンバーでこの時間をともにすることはもう二度とないんだろうな、ということを思うと胸に迫るものがあった。

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 うん、他にも書きたいことがいろいろとある気がするのだが、ひとまずは会期のあと個人的・仕事的にもバタバタが続いているので、「終わった! ロスだ!! なんなんだこの感情は!!」という気持ちとともに、まずはこの書きっぱなしの文章のままでアップさせてもらう。自分と写真との向き合いかたもなんとなく変化していった感じもあって、アートを楽しむというシンプルな行為をたくさんのお客さんやスタッフさんたちと共有できたことのテンションの高ぶりに、いまはボーッとのぼせあがっている状況なのかもしれない。

 ということで、落ち着いたらまたこのことを書くかもしれない。

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2024.04.06

京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」がはじまるよ(ボランティアで参加します)

今年も京都市街のさまざまな場所を舞台に、4月13日~5月12日の会期で京都国際写真祭「KYOTOGRAPHIE」が行われます。
で、今回は初めてボランティアのサポートスタッフとして、(少しだけですが)参加させてもらうことになりました。

公式サイトは(こちら)へ。

以前、観客として京都新聞社ビルの地下会場での展示を訪れたとき、「京都の地下にこんな空間があるのか!」と、写真を観賞するだけでなくそれをとりまく不思議な空間の強いインパクトにも感じ入るものがあって、また行ってみたいなー・・・あ、スタッフで体験したらもっと面白いんじゃないかと思ってボランティアに申し込んでみたら、数日あるシフトのうちこの京都新聞ビル地下会場にも1日だけ割り当てをいただけて、それがかなり楽しみ。

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他にもなかなか味のある会場で展開されていますので、京都にお越しの際はぜひ。

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2019.10.25

なぜこの写真がジワジワくるのか

先月にこういうツイートをした。

 

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サッカー選手たちの練習場でのヒトコマ。

なんてことのない写真ではあるが、ジワジワくる面白さがあって、でもその理由がうまく説明できず、モヤモヤしているのである。今も。

 

その直後に友人のToyottiからこういう返信もあった。

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なるほど、「丈長めの練習着の統一感」というのは、たしかに面白さに寄与している要因かもしれない。

しかもこのスタートレックの写真、見事に服装の色がブルーで、そこもオツである。

で、このネタについてあらためて先日ふと思い出して、スマホに保存してあった画像を見返しては、「うーむ、なぜ面白いのだろう」とふたたび考え込んでしまった。

そこでひとつ、新たな説を思いついた。

 

これは背景の問題なのかもしれない、と。

 

チームの練習場で、広いグラウンドの、特に何てことのない場所でたたずんで、複数の人間が固まって写真に収まっていることで、適度に背景が遠くに浮かび、その「なんとも言えない中途半端な場所っぷり」が、この面白さを支えているのかもしれない。

もし、このポーズのまま、たとえば「浅草の雷門の前」みたいな観光地で記念写真に収まっているシチュエーションを想像してみると、とたんにこの様子は「ありきたり」に思えて、あまりそこまで面白くないかもしれないのだ。

・・・と、ここまで書いても本当にそれが答えなのかどうかも自信がもてず、さらにいえば「だからどうした」っていう話ではあるが。

まぁ、基本的にこのブログは「だからどうした」ってネタばかりですが・・・

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2017.11.23

ECHOESなロンドン旅2017夏・その7:写真をみながら、いろいろと。

もう季節はすっかり秋を経ていよいよ寒くなろうかという日々だが、いまだにブログで夏の旅を思い出したがることを許して欲しい。たった5日あまりの滞在だけれども、4年分の想いをぶつけにいったような旅だったので、とにかく楽しくて毎日写真を撮りまくって歩きまくったのである。

というわけで「番外編」的に、写真を脈絡無く貼りまくっていく。

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着いて初日の朝に地下鉄の駅で出会ったポスター。「ロンドンはすべての人を歓迎します」という見事なデザインとメッセージ性。ちょっとグッときた。入国審査が厳しいくせによく言うよとは思うが(笑)、このようなセンスをオリンピックを控えた我が国のパブリックな空間にはまったく感じないのはなんなんだろう。

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英語を話せなくても注文しやすい、という観点からもそうなのだが、私はなんとなく、KFCはイギリスで食べるとミョーに美味しい気がしている。このフィッシュ&チップス的な「箱にポテトとチキンを混ぜてぶちこんで提供する」というザックリした感じがそう思わせるのか、あるいは単に食べ慣れた味が異国の地だとよりいっそう刺激的な味わいに思わせる錯覚におちいっているだけなのか。あと写真右側に見えるが、小さい袋で塩とコショウがついてきて、これもなんだかいい感じに思えてくる。普段ファストフードなんてまったく評価しないはずが、好きな国にくると、とたんにこうなる。
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ちなみにトレイの紙のデザインも、念のため。

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そしてこのときのKFCの店内から撮影したスナップだが、この写真について言いたいことが3つもある。

(1)写真が見切れて申し訳ないが、左端にある、のっぺりした赤いソファが60年代っぽくてオシャレだった。
(2)でもそのソファに座りたくても座りにくかったのは、そこの窓のすぐ外に座っている白人男性が物乞いのような状態だったからである。しかし、私が店内にいる間だけでも、通行人のかなりの割合の人が彼に話しかけたり、お金?をあげていたりしていたのが印象的だった。
(3)写真をクリックしてもらうと分かりやすいのだが、いままさに人が出て行く右端のドアノブのところは「PULL」と貼られている。しかし写真の様子から分かるように、このドアは実際はプッシュしないと開かない。そして反対側の表示は哀しいかな「PUSH」と貼られていた。私も含め、この日のこの店にやって来た客のすべてが最初は「開かずのドアでガンガンしながら戸惑う」という儀式を経て入店していた。しかし私が店内にいる間、誰もそのことについて特に文句をいう様子でもなく「まぁ、こんなもんだよな」的な雰囲気でレジまで行くし、その結果、店員も気づかないのか、あるいは面倒くさいからなのか、そのまま放置されていて、相変わらず新規の客はドアをガンガンしてから入ってくるという切ない状態が続いていた。うまく言えないが、「あぁ、イギリスに来たなぁ」と思うひとときだった。

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↑ノッティングヒルで出会った、素敵な外壁のカラーリング展開!

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↑たまたま移動中に出会った運河のボート停泊エリア。地下鉄Angel駅のちかく。いつか運河を船でゆっくり移動する旅をしたいと思っているので、バッタリこういうシーンに出会うとテンションあがる。

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↑こちらはブリックレーン・マーケットの古着屋の看板。なんか妙に心ひかれる雰囲気があった。中はわりとフツーだったが、海外にいくと古着屋は一通りチェックしたくなる。

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↑これもブリックレーン。チョコレート専門店の、すべてが素晴らしいディスプレイ。

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↑「シリアル・キラー・カフェ」。いいネーミング。これもブリックレーン・マーケット。

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↑ブリック・レーンのとあるジャンクなマーケットエリアではいろんなガラクタ系がひしめいていた。写真では分かりにくいが、車の前で座る店主のおじさん2名と、その背後にかかげられているパンダの着ぐるみの売り物?の組み合わせが醸し出す、なんともいえない情景が忘れがたかった。あまりにおじさんの雰囲気が鬱々としていたので近づけなかった。

ロンドンのマーケットといえば他にもいろいろあるが今回あらためて「やはりここが一番好きだ」と思えたのがステイブル・マーケットだ。

普通はカムデン・ロック・マーケットを歩き通したあとのそのさらに奥に行けばたどり着くマーケットなのだが、個人的にはあえて地下鉄のチョーク・ファーム駅まで行って降りて、南下してラウンドハウスの建物(ここもロック聖地として、例のテクニカラー・ドリームの関連においても重要なライヴハウスである)を横目に眺めて、そのままステイブル・マーケットに入っていくルートを推奨したい。カムデン・ロックのあたりだと、観光客相手を意識しているのか、似たようなモノを売る似たような店がやたら多いので、疲れるし飽きてくる。ステイブル・マーケットのエリアに来て初めて、このディープな味わいのマーケットにたどり着くわけで、だったら最初からこっちに来た方が時間の節約にもなるぞ、と。

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うまく言えないが、「軽く狂っている感じ」と「インディーズ手作りDIY」の感じが観光客向け路線のなかで、ほどよく楽しめる雰囲気。

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↑しばらく来ない間に、『TIMEOUT』誌はフリーペーパーとなってしまった。ずっと探していたのだが、これをようやく手にできたのが旅行の最終日だった。そして特集タイトルが「ハロー・ロンドン」っていう。もう帰るのに!(笑)。昔は空港について真っ先にこれを買って、細かい字でびっしり書かれたその週のイベント情報をじっくりチェックするのが楽しみだったのだが、そういう情報も現在のこの誌面では載っていなくて、すべてウェブで調べなさいという時代。2005年に現地で「London Zine Symposium」のイベントを知ったのもこの『TIMEOUT』誌のおかげだったのだ。

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↑セインズベリーズのパッケージデザインがユニオンジャック好きにはたまらないのでムダに買ってしまいたくなる。

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↑こちらは近所のテスコで買った単なるクッキングペーパー。どうしてこうも見事なデザインを・・・

旅先で雑貨屋・文具屋をチェックするのも毎度のことであるが、今回の旅で一番よかったのは、「Present & Correct」というお店。

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写真を撮っていいか尋ねたら、二つ返事でオッケーをしてくれた店員さんがおそらくオーナーの方で、この人が男性だからか、自分にもすごく共感できるチョイスの雑貨が多かった印象。ロシアっぽいメモパッドとか買い込む。

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↑そしてこのお店の紙袋も凝ったデザインでステキ。

お店のサイトは(こちら)。地下鉄ではAngel駅のエリア。

 

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↑これはテート・ブリテンで絵を観ながら、どうしても甘いものが食べたくなったので初めて地下のカフェをトライしてみたときのプレート。この無骨な感じの紅茶ポットがひたすらカッコよかった。そしてチョコケーキも美味しかったのである。

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↑これは朝のBBCニュースで取り上げられていたネタで、当時人気が出てきたロックンロールなどが公共放送では紹介されないので、法律にひっかからない海の上からラジオで放送した「海賊ラジオ局」が起こって50周年とのこと(ピンク・フロイドが50周年なのだから、確かに同時代的にこのあたりのネタはすべて50年を迎えるのだった)。これもDIY精神の歴史を語る上で外せない歴史のひとつであり、映画『パイレーツ・ロック』はまさにこのテーマを扱った快作。

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個人的に感じ入ったのは、そもそも当時のBBCがロック音楽の放送を忌避していたことへのカウンターカルチャーとして海賊ラジオが始まったわけだが、50年も経つとBBCが「今度この海賊ラジオの船と一緒にイベントします~」とか言っていることを、こうして目の当たりにしたことだった。

・・・というわけで4年ぶりのロンドン、本当に今回は最高に良い旅だったので、いろいろと書いてみた。ピンク・フロイドの50周年記念ということがすべての始まりであったので、この一連のブログ記事の締めくくりに彼らの曲の動画を貼り付けて終わろうかと思う。

で、最近YouTubeで知ったピアノ奏者、Bruno Hrabovskyという人がピンク・フロイドのいろんな曲をカバーしているのだが、その中でも最高に素晴らしいのが、代表曲『エコーズ』で、ぜひそれを紹介したい。むしろこれは、原曲よりもよりいっそう原曲の良さを引き出しているとすら思える。原曲の冗長な部分を省いて聴きやすくしていて、『エコーズ』がいったいどういう曲だったのかを改めて解釈し、迫力あるピアノの響きで表現している。

というわけで夏のロンドンでの想い出は、『Echoes』の曲とともに。

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2017.06.24

「世界を変えたレコード展」@グランフロント大阪

「ぜひ行ってみてほしい」とMSK氏に薦められてて、今日たまたま梅田に立ち寄ることができたので、グランフロント大阪のナレッジキャピタル・イベントラボにて開催中の「世界を変えたレコード展:レコードコレクションからたどるポピュラーミュージックの歴史」にいってきた。

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まったく知らなかったのだが、金沢工業大学では「ポピュラー・ミュージック・コレクション」というアナログレコード等のアーカイブが設置されていて、多様な側面からポピュラー・ミュージックの歴史的/芸術的視点に触れることができるようである。

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たくさんの貴重なレコードだけでなく、当時の時代背景を物語る資料などもいくつか展示されているのだが、とりわけ面白いと思えたのは、19世紀末から現在に至る巨大な歴史年表だった。

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今回の展示はたしかに図録集みたいなものを作ることは無理なのだろうけれど、せめてこの年表だけでも資料化して販売してもいいぐらいだと思えた。私なら買いたくなる。見終わったあとで受付の人に聞いたら、金沢工大の学生さんたちが制作した年表だそう。ちょいちょい興味深いエピソードなどもうまく書き込まれていて、読ませる年表になっている。

そして何より私のテンションを上げてくれたのは、最後の最後に設置されていた「顔ハメ」ならぬ、「そこで座って写真を撮ってください」という・・・

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ピンク・フロイドの「ウマグマ」のジャケット参加型記念撮影スポット!!

たまたま今ピンク・フロイドの本を読み返していて、この家のことが登場していた箇所を読んだばかりのところだったのでタイムリーだった。(ジャケット・デザインでおなじみの『ヒプノシス』のストーム・ソーガソンのガールフレンドのお父さんが田舎に持っていた家で、デビュー前にフロイドのメンバーたちや無名時代のポール・サイモンがここで行われたイベントで演奏を行ったこともあったそう)

このシュールな設定に感銘を受け、あいにく1人で来ていたから、係員のお姉さんに頼んでシャッターを押してもらう。

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やー、これはうれしかった(笑)。足の置き方もちゃんとギルモアに揃えてみたり。気合い入りすぎて肩に力入っているのが惜しい(笑)
このネタ考えた人には何か一杯おごりたい気持ち。まさかこんなオチに出会えるとは・・・入場無料で、7月23日まで開催中。

あ、テクニクスのレコードプレーヤーが設置されているコーナーもあって、たまたまそのときはロキシー・ミュージックの『アヴァロン』がヘッドホンで聴けるようになっていたのだけど、改めてアナログレコードの音の深みが味わえたのも貴重だった。うっかり手を出したら泥沼の趣味になりそうだが・・・


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2016.08.01

「上司の故郷に一人で勝手に行ってみる旅」をしてきた(その1)

 私の上司のSさんはとても地元愛の強い人で、生まれ育った愛知県・豊川や豊橋の話をよくする。とくに出身高校に強いこだわりを見せるので、私はSさんが高校時代にお世話になった、珍しい名字の「朧気(おぼろぎ)先生」という数学教師のフルネームだって暗記できてしまっているほどだ。高校を出た後、郷里を離れて京都の大学にきて、そのまま40年ちかく関西で暮らしてきたSさんにとっては、豊川で過ごした高校時代というのがきっと輝かしいノスタルジックな思い出になっているのであろう。

 しかしSさんにとって幸か不幸か、そういう郷土の美しい思い出を語っている相手としてのタテーシが、これがまったく郷土愛のかけらもない、むしろ地元のことを嫌っているフシもあり(ほぼ「せんとくん」のせい)、かつ、「旅に出たくなるネタ」を日々追いかけているような輩であることだった。こうして職場で日々Sさんから発信される豊川・豊橋をはじめとする東三河関連の情報に接するうちに、当初は(自らの郷土愛の薄さゆえに)その熱い地元推しのスタンスそのものを面白がっていたのが、Sさんの思い出話における固有名詞に慣れてくると、これらの地域に対する妙な親近感が芽生え、「これは実際に行ってみないと」となったわけである。

 なにより、この地方で伝統的に行われている「手筒花火」のお祭りがかなりファンキーでダイナミックな様相を見せており、どうせならその時期に合わせて行こうと考え、ようやく今年の7月末、まさにSさんの地元の国府(こう)にある大社(おおやしろ)神社での手筒花火の日にあわせて訪問することとなったのである。

 まず新幹線で豊橋駅に降りる。

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 豊橋市のマスコットキャラクター「トヨッキー」の出迎えにもあまり驚かないのは、すでにSさんから何度も見せられているからであろう。

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「トヨッキーにたいして言いたいこと」はいくつかあるが、それは職場でSさんに伝えておけばいいだろうと思い、何も書かずにやり過ごす。


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 さて、まず向かったのは豊橋駅からすぐのところにある「玉川うどん本店」である。開店直後におじゃましたがすでに賑わっていた。ここでは近年豊橋でプッシュされている「豊橋カレーうどん」がいただけるのだ。

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 見た目はふつうのカレーうどんであるが、知らない方のために紹介すると、こういうことなのである。

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 この大胆なコンセプト、これは一度は食べておきたいと思っていたので、あえて朝食を軽めにして出向いたのである。
 そもそもただでさえカレーうどんというのは気を遣いながら食べるものだが、この豊橋カレーうどんはさらに「お箸で底をかきまぜないように」という、いつも以上にシビアな動作が求められるのであった。

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 そのせいか、麺をお箸でひっぱろうとしても、器の底から何らかの「フォース」みたいなパワーが働いているような手応えを感じ(笑)、ゆっくり、慎重な箸さばきを意識しながら食べていくことに。

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 最終的には付属のスプーンに持ち替えて、お米部分をリゾット風にしてカレーのルーを綺麗に最後までいただくこととなる。なにより、とろろの食感がカレーのダシをまろやかにしてくれるので、「もはやすべてのカレーうどんはこの方式で食べたくなる!!」と思えた。つまりこれは「変わったカレーうどん」なんかではなく「新しいカレーうどんのスタンダード」という可能性を提案しているのである。

 このお店だけでなく豊橋エリア一帯のあちこちでこの豊橋カレーうどんは食べられるみたいなので、ぜひこの新食感を味わっていただきたい。

 うどんを食べたあと、近くに聞き慣れた名前の書店があった。

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 これもSさんの会話にたまにでてくる名前、「精文館書店」だった。最近はZINEの特設コーナーもあったとかで、そういう話もしていたなぁと思いつつ店内にはいると・・・


でかい。


とってもデカイ。


そして建物が入り組んでいて、よくわからない構造。

なかに眼科・コンタクトレンズ店だったり、最上階はいまどきのカードゲームが楽しめるコーナーが作られていて、そのすぐ横にはパソコン書コーナーがあったり・・・
よくよくみたら、何かとサブカルチャー系の本棚が異様に充実していたり。

「こういう大型書店、ありそうでないよな・・・」と、いまどきの書店にしてはかなりがんばっている雰囲気だった。

 なにより感銘を受けたのは、ワンフロアがぜんぶ文房具類の売り場になっていて、その豊富な品揃えには「これは、東急ハンズやロフトよりもレベル高いのでは!?」と素直に思えたことである。気がつけばガッツリと歩き回って日常的な買い物をしてしまったほどだ。

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 それに、ここで初めてお目にかかったグッズがあって、輸入雑貨なのだが、

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 これはつまり、マグネットの力を利用してこの器具ではさみ、ホッチキスの上側をあてがって、いくらでも好きな場所で「中綴じ」ができる、その補助具である。これは今まで見たことがなかった・・・中綴じ冊子を作るぶんにはコクヨの名機「ホッチクル」があれば事足りることが多いのだが、場合によってはA3サイズの冊子なんかを作る機会だってこの先あるかもしれないし、そのときにこの器具があればとても便利であろうと思い買った。

 そんなわけで、かなり広範囲にさまざまな商品を揃えた文具店で、正直これは地元にはないクオリティだったのでうらやましかった。そしてよく考えてみたら、上司のSさんは日頃から文房具にこだわりのある人で、ひょっとしてそのルーツは子ども時代からこのような店が生活圏内にあったからかもしれない、ということに思い至ったりした。

 こうして、豊橋に到着して2時間もしないうちに、カレーうどんを食べ、いろいろ文房具を観て回り、買い物をし、書店の各フロアをあれこれ観て回り、もはや当初の目的が何だったか分からない様相をさっそく示しているが、続きはまた後日。

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↑ 精文館書店の階段エリアのフロア表示がレトロモダンな感じでかっこいい。
あるいは「AC/DC」のロゴみたいな。 でもよくみたら餃子の王将のガラスコップみたいにも見えたり。

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2016.04.10

Speedy OrtizというバンドのPVがあの鬼才へのオマージュで溢れまくっていて良くできている件(曲も素敵)、など

Speedy Ortizというバンドのある曲のPVが、とってもグッときた。曲そのものもツボにハマる。

そう、『ツイン・ピークス』とか『イレイザー・ヘッド』など、ディビッド・リンチの映画作品のモチーフをちりばめた内容で、ヌイグルミのちょっと間の抜けたアンバランスさとか、なんともいえないミクスチャー感。
とはいえ私も元ネタはさすがにぜんぶ分かりません。

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2月の寒いころに、ちょっと思いついてこんなことをネタ帳にメモしていた:

「暖かい春そのものが好きというより、冬の室内から天気のよい青空を眺めながら、そこで暖かくなった春を夢想するときのあの感覚のほうが、内面の心地よさも含めて、最高にステキだと感じた」

・・・そうして今、実際に暖かさが増してきた今日このごろ、このメモを再読すると、「そうだよな、花粉症とか鼻水とかでズタズタになっているフィジカルを思えば、まさにそのとおーーりだよっ!!」
と、思った。

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ヴィレッジ・ヴァンガードのアウトレット店、すべて70%オフなのだが、久しぶりに立ち寄って、何かを探すわけでもなくたまたまポスター売り場をちょっとマメにチェックしたら、自分的にグッとくるデザインをひとつ見つけたのであった。最近の気分的に、まさにこういうのを「欲していた」感じがストレートに表現されている感じで、おみくじの大吉をひいた気分。

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「最近読んだ本でもっとも印象的なものを挙げよ」 → まちがいなく、上司のSさんが強くオススメしてくれた漫画、東村アキコの『かくかくしかじか』。

この自伝的作品を描いた作者がどういう漫画家なのかまったく知らずに読んでも、そんなことはまったく問題なく、ただひたすらに、自分が描きたいもの、創りたいもの、たどりつきたい世界を探求していくうえで、とても大事で貴重なもの、そしてなによりその道を歩む上で出会ってきた人々との関わりが、この全五巻の作品にギューーーとつまっていて、不思議な感情移入を喚起させてくれる、人生で忘れがたい作品になった。


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2016.02.16

生き方と、構え方:『写真家ソール・ライター:急がない人生で見つけた13のこと』

ドキュメンタリー映画『写真家ソール・ライター:急がない人生で見つけた13のこと』を観てもっとも感じ入ったのは、80歳になるこの写真家が、街中で写真を撮るべく構えるデジカメの、その持ち方だった。

まるで、どこにでもいそうな素人のおじいさんが「デジカメって使い慣れないのよね」といわんばかりに、ブレた写真になりそうな、指先だけでカメラを支えるような、ハラハラする構えかただったのである。

あくまでも彼はフォトグラファーであり、その昔、商業ファッション誌で一時代を築いたとされる写真技術を持っている人物である。でもそんな彼は名声や評価にはとんと無頓着であり、このドキュメンタリー映画のために自身の姿が撮影され、インタビューをされるなかでも、端々に「なんで私が?」という戸惑いを隠さない。

もちろん、まだ若くて体がよく動く頃とは、カメラの持ち方や脇のしめ方だって違ってくるだろう。それは時間の流れとともに変容していくはずである。
でもビジュアルを捉えるその姿勢や感性は年を取っても変わることがない部分もあるわけで、どんなカメラの構えになろうが、目の前の世界を愛でて瞬間を切り取っていくその動作を眺めているうちに、その人となりや生き方が、まるであのなんともぎこちないカメラの持ち方に集約されているようだった。

なのでこの映画およびソール・ライターという写真家の人生について語るには、その「カメラの持ち方」を語るだけで充分のような気がした。


得てして我々は本当に大事な本質を捉えるのがヘタだったりする。


あのたどたどしいカメラの持ち方、でも何も悪びれることなく構えるその「たたずまい」に、それを強烈に感じた。

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